1999年3月

30年目の同窓会が3月に懐かしい御茶ノ水である、と連絡がきた。
10年毎に行っており3回目だ。
航空券やホテルを手配していた。
同窓会を三日後に控えた日、兄の訃報が入った。

すぐさま家族全員で上京した。
二人の息子は学生で春休み、家にいたので連れて行った。
兄は「過労死」だと思った、連日11時前に帰る事はなかったと義姉が言っていた。
システムエンジニアのボスをしており、真面目な性格もあって、体と心の休まる事がなかったらしい。
義姉は考えるところがあったのか、会社には葬儀の前日まで連絡しなかった。
夫をここまで酷使した会社への、義姉なりの抗議だったのだと思う。
会社の総務が葬儀当日来ていたが、かなりあせっていた。

兄は私と5才違いで、私と違い父の”自慢の息子”だった。
K国立大の法学部を卒業し、通信系の電気メーカーF社に就職していた。
私が中学生だった頃、帰省した兄に日韓闘争で京都河原町通りをデモした話を聞いたことがあるが、しかし兄はそれ以上深入りする性分ではなかった。
深夜帰宅し、翌日朝に冷たくなっていた、55才での急性の心筋梗塞だった。
兄には随分迷惑を掛けた。

同窓会は葬儀の前日だった。
私は同窓会へは行けないと家族にいった、妻も「そうだね」と言った。
義姉は私が同窓会を予定していた事を知っており「是非行ってきてください」といってくれた。
私は家族4人で御茶ノ水へ出かけた。
妻や息子は御茶ノ水は初めてだった。
懐かしかった、30年ぶりに1号館へ行った。
息子二人を連れ1号館に入った。
ここが父さんの大学だ・・・、ここに寝泊りしていた事を話した。
兄の事もあってか不覚にも涙が出てきた。

私がぶっ壊した正面玄関の大鏡も元に戻っていた(当然だが)。
道路と校舎の間に狭い歩道しかない大学に、息子らは自分の大学と比べびっくりしていた。
それから御茶ノ水通りを渡り8号館に向かった。
8号館の隣は有名な「山の上ホテル」がある。
私は新館の喫茶「シャヌー(だったと思う」でコーヒーを良く飲んだことがある。
午後のある時間になると音大生らしき女性のピアノ演奏があり、それを目当てに高いコーヒー代にも関わらずよく行った。
だが、訪れた時は丁度閉まっており入れなかった。
明治大学をすり抜けマロニエ通り(私はそう呼んでいたが)を4人で歩いていると、大の親友だった仲間に出会った。
彼も同窓会に出席するため地方から出てきて、御茶ノ水界隈を散策していたのだ。

家族とは分かれ同窓会に出席した。
皆に「何故妻子を連れてこなかった」となじられた。

19919月、新宿での理闘委「同窓会」
68年当時の1〜4年で構成

(プライバシー保護のため画像を縮小しています)
19993月、御茶ノ水での「同窓会」
学科毎の記念写真に納まる
皆白髪が増えた。
前列左端が学科委員長、白い紙を掲げて
いるのが理工学部委員長、その右が秋田
明大議長
。普段めったに出てこない秋田さ
んが来てくれた。
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