息子

1998年、下の息子は同志社大学へ入学した。
他の大学も受かっていたが、私は強く同志社を勧めた。
この親にしては出来すぎた息子と思う。

私も授業料のバカ高い日大に行かせてもらったが、30数年前でも友人の入った上智とか青学の雰囲気は日大とはぜんぜん違うものがあり、田舎者の私は都会のミッション系の自由そうな校風にあこがれたものだ。
それにあの赤ヘル軍団の同志社だ。
ミッション系の大学にあこがれもあって、息子の入学式にのこのこついて行った。
式は賛美歌を歌い(と言っても歌えないが)、学長の式辞のあと在校生の歓迎の挨拶があった。
私の学生時代を思い出させるような汚い格好をした学生が数人壇上に上がりやおらアジ演説を始めた。
学長を呼び捨てにし、今出川と田辺に校地を分けた経過で、大学当局は学生を分断し、運動を弾圧しているというくだりを絶叫し新入生に訴えていた。
また新入生に、学友会(自治会)は民青と統一教会の勢力の学内への侵入は絶対阻止すると訴えていた。
これについては私も「異議なし」だ。
不思議な事に、学長以下の教授はそれをにこやかに聞いていた。
こんな風景は日大では考えられないものだった。

学校紹介のパンフレットには70年前後の卒業生が、自由な校風の例としてこんな事が書いてあった。
「集会にキャンパスから出かけようとする学生が、すれ違った教授に”先生こんにちわ”と挨拶をすると、教授も深々と頭をさげ”今日は”と応えていた」。
もちろん学生は赤ヘルにゲバ棒スタイルたったそうだ。

息子が今出川の校地に移った年、妻と一緒に息子の様子も見るため京都に出かけた。
今出川周辺を散策し、息子が「父さん絶対喜ぶと思うよ」と教えてくれた建物に向かった。
そこは、古い洋館が建て並ぶキャンパスから一筋離れて建っている学生会館だった。
貼ってあるステッカーは「佐藤訪米阻止!」、これは私の時代のものだ、
ここだけは時間が止まった空間のようだった。

日大には学生会館というものは存在せず、私たち理斗委は69年春に理工学部1号館のバリケードを追われた後、一時期明大の学生会館に居候していた。
明大の学館も確か赤ヘルが仕切っていたと覚えている。

館内の汚さも薄暗さも全てが30数年隔てて同じで、私はタイムスリップした様だった。


2003年3月学位授与式 同志社大学・今出川キャンパス
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