当県は戦後連合軍の占領統治下で戦後教育改革の「新教育の理念」に基づき、公立高校をそれまでの選抜制から無試験=全員入学(全入)という制度に変更した。
県教委は1950年に公立学校全員入学制を決定し「入学者取扱要領」を発表、この制度は1949年度から実施されは1961年度(1962年4月入学生)まで続いている。
こう言うと意味不明だが、高校進学を希望する者は試験を受けずに全員が入学を認められ、入学する学校は抽選で決定された。
この結果、各学校の平均学力は統計的に等しくなり、学校間の学力格差は完全に無くなった、これは統計学的に正しい結果。

つまり各人は行きたい学校へ進むのでなく、抽選で決まった学校に進む。
制度の主旨は一言「教育の機会均等」、高校教育を望む者には学力に関係なく全員に入学の機会を与えるというもの。
これは戦後アメリカのよる占領統治での日本民主化政策の一環であったと私は考える。

しかし反面、個性を伸ばすという考え方は脇に置かれ、特殊な生徒については私立学校の拡充でその希望を生かそうと言う考え方が支配的だった。
この「特殊な生徒」とは「学力が優秀」なことであろうと考えられ、戦後の高校教育のスタート時点で、教育の機会均等を実現するため「特殊な生徒」の指導は私学に託したものともいえる。
この制度には長短があるが最大の長所は「教育の機会均等」、望むもの全てが高校教育を受けられた点、返して最大の短所は「学力の低下」。
それは高校教育を修める能力のないと認められる者が相当数入学してきており、教育の徹底を図るためには、勢い低い水準で教えざるを得なくなったと言う状況。
具体的には当県市部の高校一年生の数学テストで中学段階どころか小学段階の問題も理解できていない者が多数いると言う調査結果が公表されている。

高校全入時代の市部高校一年生1065名の数学テストの結果

この制度は1961年度を持って終了しているが、この「公立高校の学力低下」という「新教育の理念」のマイナス面の反省・克服という課題を持って制度が終了し、その後の新制度が発足した訳ではなく、教育政策という理念面からは程遠い「増大する教育財政」「差し迫る団塊世代の受入れ」という極めて現実的な課題をして理由付けされている。
すなわち、高等学校教育とはどうあるべきで、教育の機会均等は何処まで到達し、或いは到達しなかったか議論されたふしが教育委員会にも教職員組合のどちらにも無かった事、それがその後の高等学校教育がどうあるべきかの議論の不毛の元凶になっているとも言える。

此処までが長い前置きだが、この長短相食む制度が1961年度で廃止され、現行の選抜入試方式にとって代わっている。
これは最大の長所である教育の機会均等よりも、それまでとは比較にならない大量の団塊世代を受入れるには及ばない教育施設ひいては財政が最大の要因として推測する事が一番妥当だと考えられる。

言いかえれば決して「公立学校の学力低下」の克服では無かったのではないか。
そんな団塊世代への対処療法から新たな制度がスタートしている。
その一期生が1962年度入試、つまり1963年4月に入学を果たした私達より一つ上の学年。
私等が入学して、どの先生の物言いだったか既に忘れたが「君たちは三年生とは違うから」という事を聞いた憶えがある。
違うと言うのは、無試験・抽選、全員入学で入ってきた三年生と、この学校に入ると希望し試験を受けて入学した君達とは「違う」という意味だったのを理解したのはかなり後の事。

受験の状況は私等の一つ上の学年から各自が自由に受験高校を選択、当然だが「旧一中」の歴史を持つ我が校の人気が群を抜いて高かったのは当然。
抽選制のタガを外し新しい理念が示される事が無いのであれば、受験生はおのずと過去の高校の序列を基準で判断を始める。
受験生を送り出す中学校側も、無試験全入制度の時代には「受験指導」という概念が永らく無かった事もあり、制度スタート時、受験生の学力評価や受験希望先選別が十分機能してなかったのではと思われ、事実結果は我が校では大量の不合格者を出す結果となったいう。

そんな騒動の年の次年度が私等の受験だった。
中学校は前年の反省で受験生の振い分けと選別絞り込みを行い、結果、受験生を絞り込み過ぎてしまい合格者が入学定員に大きく足らなかったらしい、今のように情報共有が容易でないことも一因であると考えられる。
定員に大きく足らず慌てた高校は再募集を行い、追加受験した殆ど全員を入学させたという。
当然のことながら、追加受験組みは市内高校に合格出来なかった生徒、最初の受験生と追加再募集の受験生の学力差は歴然。
その追加募集の生徒かどうかの裏付けは無いが、授業についていけない生徒が多量に発生し、留年、自主退学、或いは転校という形で入学時750名が卒業時には大きく減じたという一説がある。

無試験全員入学制度についての証言







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