■阿佐ヶ谷 | |||||||
4回目の引越し先となった阿佐ヶ谷はいろんな思い出があり、忘れられない街だ。 よく通った穴蔵バーの「吐夢」。 5〜6人入れば満杯で、ウイスキーはレッドやハイニッカ、オールドは高級酒だった。 駅ビルゴールド街の2階にあった、日本最古と称するやけに新しい喫茶店「可否茶館」。 阿佐ヶ谷唯一の映画館「オデオン座」 朝5時までやっているスナック「エプロン」、喫茶「祇園」も不気味な店だった。 Pizza&Jazzの「アランフェス」。 何の店だか忘れたが名前の印象だけ残っている「毘沙門」 歩けば何でも揃うパールセンター商店街。 味噌汁に薄い輪切りのトマトが浮いている、安くて旨いハンバーグライスのお店「キッチン・チャンピオン」、店主はもとボクサーということだった。 何が出てくるか分からない北口の古本屋。 中杉通りの喫茶「亜土」「茜社」。 3回目の下宿を仲間が騒いで追い出され、飛び込み泣き付いた北口の不動産で斡旋してもらったのが、北口より10分ほど北へ上がった雀荘の2階の下宿。 | |||||||
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この店には漫画の月刊誌「ガロ」に”若者たち”というシリーズを連載している漫画作家の永島慎二さんが常連で来ていた。 何時頃だったか、私のこの下宿に仲間が人を連れてきた。 | |||||||
彼は私にこう言った。 「お前には世話になった、俺がソビエト議長になったら、お前を地区ソビエト議長にしてやる」と。 彼は**医大の学生で、ブントの**派のキャップであり、**に追われていたのだ。 彼は今、地方都市で精神科の医師をしていると聞いている。 | |||||||
2003年11月、かつてのポエムがあった跡、建物は当時のままで不動産が営業していた。 | |||||||
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