■ビリー・ホリディーとジャニス・ジョップリン | |||||||
ビリー・ホリディーを初めて聴いた。 | ![]() | ||||||
ビリー・ホリディーは1915年生、1959年に没している。 | |||||||
Southern trees bare a strange fruit Blood on the leaves and blood at the roots, Black body swinging in the soutern breeze, Strange fruit hanging from the poplar tree. 南部の木に奇妙な果実がぶら下がっている、 葉にも根にも血が滴っている、 黒い死体は南部のそよ風に揺れ、 ポプラの木に吊るされている。 | |||||||
当時、藤圭子という歌手がおり、能面のような表情でブルースや演歌を歌っていた。 それなりのメッセージは感じられたが、ビリーの魂の底から響いてくるものとはちょっと違っていた。 彼女は”宇多田ひかる”のお母さんと言った方が今の方には分かりやすいと思うが | |||||||
![]() | ビリー・ホリディーと対極の歌い方がジャニス・ジョップリンだ。 体を振り絞って、絶叫し、嗚咽しながら歌う。 歌うというより叫ぶといったほうが適切かもしれない。 ビリーと同じガーシンの”サマータイム”を、搾り出すようにシャウトする。 寂しいよう!、悲しいよう!、恋しいよう!・・と泣いて叫んでいる。 めったな感性では受け止められない。 1970年10月、27歳でドラッグと酒で没した。 仲間4人で住んでいた四畳半のアパートで、チープ・スリルというアルバムもよく聴いた。 | ||||||
後日、モンタレーポップフェスティバルのビデオを観る機会があった。 足を踏み、全身を揺らし、叫ぶ「BALL AND CHAIN」の壮絶なシャウトの姿は、当時想像していた姿を裏切らなかった。 ビッグブラザーアンドホールディングカンパニーも荒削りでワイルドなバックで、テクニック以前の何かが感じられた。 当時日本のロックバンドがコピーしていたが、申し訳ないが気の抜けたバーボンの様に比べ物にならない代物だった。 同居の仲間が持っていたLuxmanのアンプのボリュームを最大にして聴いた。 | |||||||
吉祥寺に”ビ・バップ”というロック喫茶があり、よく行っていた。 壁一面にコーラルの16(18?)cmのフルレンジスピーカーを何十個と埋め込み、フルボリュームで鳴らしていた。 JAZZ喫茶では高額なJBLやアルテックのブランドスピーカーを鳴らしていたが、ロック喫茶のビ・バップは国産の安いスピーカーを大量に使い、「音圧」で勝負していた。 最近ラジオで、”椎名林檎”という歌手の歌を耳にしたとき、型破りの歌い方や歌詞になんとなくジャニスの雰囲気を感じた。 早速CDを買い求めた。 最後まで聴いたが、波長がピッタリ合った。 50才を過ぎたオジサンが椎名林檎のファンになってしまった。 家でボリュームを上げてかけるのはき恥ずかしいので、カーコンポをフルボリュームでこれでもかと鳴らし聴いている。 | |||||||
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