ビリー・ホリディーとジャニス・ジョップリン 

ビリー・ホリディーを初めて聴いた。
1970年も過ぎようとしている頃だった。
阿佐ヶ谷駅前に「吐夢」というJAZZをかけている、地下の小さなバーがあった。
熊本から上京し、水俣病の支援闘争をしている友人の熊本大生のリクエストで始めて聴いた。
「奇妙な果実」から始まるアルバムだった。

感情を押し殺して、抑揚を抑えて歌う、初めて聴く歌唱法だった。
いいようのない印象だった。
”奇妙な果実”とは、リンチされ木に吊るされた黒人の死体の事だとは後で知った。
その次に行ったときに、別のアルバムをリクエストした。
ジョージ・ガーシンの「サマータイム」を感情を殺し、淡々と歌っていた。

 
 

ビリー・ホリディーは1915年生、1959年に没している。
黒人がゆえに不幸な幼少期をおくっている。
食わんがためハーレムで娼婦をも経験する半生から、非凡な歌手として才能を発揮する晩年について、ディスコグラフィーには書かれていた。
ビリーは語った、「私はいまだにこの歌を歌うたびに沈痛な気持ちになる。パパの死に様が瞼に浮かんでくる。しかし、私は歌い続けよう。南部ではパパを殺した時と同じような事が起こっているから」。
怒りと悲しみが頂点に達すると、このような抑制の効いた歌い方になるのかと思った。
聴く者の心をえぐる、深く、重い凄さを感じた。

 
Southern trees bare a strange fruit
Blood on the leaves and blood at the roots,
Black body swinging in the soutern breeze,
Strange fruit hanging from the poplar tree.

南部の木に奇妙な果実がぶら下がっている、
葉にも根にも血が滴っている、
黒い死体は南部のそよ風に揺れ、
ポプラの木に吊るされている。

 
 

当時、藤圭子という歌手がおり、能面のような表情でブルースや演歌を歌っていた。
それなりのメッセージは感じられたが、ビリーの魂の底から響いてくるものとはちょっと違っていた。
彼女は”宇多田ひかる”のお母さんと言った方が今の方には分かりやすいと思うが
 
ビリー・ホリディーと対極の歌い方がジャニス・ジョップリンだ。
体を振り絞って、絶叫し、嗚咽しながら歌う。
歌うというより叫ぶといったほうが適切かもしれない。

ビリーと同じガーシンの”サマータイム”を、搾り出すようにシャウトする。
寂しいよう!、悲しいよう!、恋しいよう!・・と泣いて叫んでいる。
めったな感性では受け止められない。
1970年10月、27歳でドラッグと酒で没した。

仲間4人で住んでいた四畳半のアパートで、チープ・スリルというアルバムもよく聴いた。

後日、モンタレーポップフェスティバルのビデオを観る機会があった。
足を踏み、全身を揺らし、叫ぶ「BALL AND CHAIN」の壮絶なシャウトの姿は、当時想像していた姿を裏切らなかった。
ビッグブラザーアンドホールディングカンパニーも荒削りでワイルドなバックで、テクニック以前の何かが感じられた。
当時日本のロックバンドがコピーしていたが、申し訳ないが気の抜けたバーボンの様に比べ物にならない代物だった。
同居の仲間が持っていたLuxmanのアンプのボリュームを最大にして聴いた。
 

吉祥寺に”ビ・バップ”というロック喫茶があり、よく行っていた。
壁一面にコーラルの16(18?)cmのフルレンジスピーカーを何十個と埋め込み、フルボリュームで鳴らしていた。
JAZZ喫茶では高額なJBLやアルテックのブランドスピーカーを鳴らしていたが、ロック喫茶のビ・バップは国産の安いスピーカーを大量に使い、「音圧」で勝負していた。

最近ラジオで、”椎名林檎”という歌手の歌を耳にしたとき、型破りの歌い方や歌詞になんとなくジャニスの雰囲気を感じた。
早速CDを買い求めた。
最後まで聴いたが、波長がピッタリ合った。
50才を過ぎたオジサンが椎名林檎のファンになってしまった。

家でボリュームを上げてかけるのはき恥ずかしいので、カーコンポをフルボリュームでこれでもかと鳴らし聴いている。
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