■二十歳の原点 | ||||||
1971年7月、阿佐ヶ谷の駅ビルの本屋で立ち読みをしていた。 「二十歳の原点」と題名された本を手に取った。 ページをパラパラとめくると、感受性は強そうだが、どこかひ弱そうな女の子の写真が載っていた。 名前は高野悦子と記されていた。 最初の数ページを読んで、頭に痺れが走った。 1969年6月24日、運動に疲れ自ら命を絶った立命館大学の女子学生の手記だった。 1949年1月生まれ・・・、私と同学年だった。 東京と京都と離れてはいても、全共闘として同じ時間を共有していた者同士が感じる思いがひしひしと伝わってきた。 買い求め、下宿に帰り一気に読んだ。 真剣に生ようともがき、苦しみ、最後に自らの命を絶った彼女の気持ちが分かるように思えた。 手記の中に潜む彼女が愛しく思えた。 | ![]() | |||||
1971年当時、私は5年次途中で大学を放り出され、行くところが無くなっていた。 言いようの無い喪失感に苛まれていた。 彼女と私が違ったのは、少なからずの友がいた事だ。 友が、仲間がいなかったらどうなっていたか。 私たちの仲間内では”京都”は憧れの地であった。 はるばる、彼女の通った六曜社に行った。 | ||||||
1971年京都の夏、切なる思いとともに私の全共闘は終わった。 | ||||||
旅に出よう テントとシュラフの入ったザックをしょい ポケットには一箱の煙草と笛をもち 旅に出よう 出発の日は雨が良い そして富士の山にあるという 大きな杉の古木にきたら 近代社会の臭いのする その煙を 原始林の中にあるという湖をさがそう 原始林の暗やみが包みこむ頃になったら 衣服を脱ぎすて 小船の幽かなるうつろいのさざめきの中 そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう | ![]() | |||||
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しあんくれーるのマッチ、 本の中ではカタカナで記されているが、実際はひらがなの店名だった | ||||||
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