■833 01/18 20:59:28 理工OB 1.18
ラッパの大将さん
何を食べ、
何処で寝たのか、
憶えていなくても、
貴方は映像の記録に生き生きと残っています。
私は何処を探しても映っていない1.18。
あの時、本当にそこに居たのかの記憶も定かでない。
有るのは東大に辿り着けなかった怨念だけ。
目指せ本郷、悔しい・・・。
理闘委の一行動隊。
■832 01/18 20:37:40 ラッパの大将 1.18
諸君は今頃何をしていた?
日中は神田・御茶ノ水解放区に居た。
食料は有ったのか?
何を食べたのか記憶に無い!
何処で寝たのか記憶に無い。
■831 01/18 11:18:24 理工OB Re:大阪反戦青年委員会 様
ご親切な指摘、ありがとうございます。
QuickTimeのプレヤーについては、有料版のガイダンスでファイルのダウンロードが出来るという説明は見ていました。一般的に有料版プレヤーを持っている方は極僅かだろうと思って、あえてマックユーザーのためにアップロードしたわけですが。
ご指摘の内容ですとTemporary Internet Files にファイルが保存されるということですね。
当該映像は、当掲示板や仲間の掲示板で、かつての、そして現在も仲間である方々が当時の出来事、現在の思いを語っているのですが、それが決して「酔っ払いの戯言」やレトロ親父の「大言壮語」でないことの真実の裏づけでもあります。
著作権は最大限守りながらも、出来るだけ多くの方々に日大全共闘の生の姿を見ていただきたくて、一部に限定して私の責任で公開しています。
著作権の面からもご指摘の内容は「よろしくないです」。
昨夜までのアクセスログ解析を見ますと
幸い(?)にも昨夜20:00まではQuickTimeのmovファイルへのアクセス履歴はありません。
僅かなマックユーザーのためにアップロードしたわけですが、
大阪反戦青年委員会さんの親切な忠告に素直に従い該当ファイルは今から削除いたします。
著作権については、アップロード責任の私が一番気をつけないといけなかった立場です。
ここで皆様にお詫びいたします。
今後は著作権、そして個人情報、プライバシーにも最大限注意いたします。
■830 01/18 05:12:14 大阪反戦青年委員会 管理人殿へ
メールアドレスが記載されていないので掲示板に書き込みさせていただきます。
著作権のことですがQuickTimeはテンポラリファイルを作成しますので、動画も保存できます。
右クリック阻止もこれではお手上げになります。
もしご存知であるならば失礼しました。
C:\Documents and Settings\Administrator\Local Settings\Temporary Internet
Files
■829 01/17 22:07:15 理工OB RE:私ではありません!
大木晴子さん、その節はどうもありがとうございます。
PEACEバンダナ、大事にしていますよ。
トチローさんの投稿、訂正しようかなと迷っていたところでした。
女子高生のバリケード見学は1968年の秋の出来事、先日お会してお話した内容ではどうも年齢が食い違うようで、頭をかしげていたところでした。
キッパリと訂正されるところはさすが大木さん。
確かにバリを案内し、新宿西口で奇跡の再会をしたのは上野高校の方です。
でも嬉しいですね、当掲示板にご訪問いただいて。
今後もよろしく。
■828 01/17 21:44:50 大木晴子 私ではありません!
初めて投稿させていただきます。
「明日も晴れ」を書いています大木です。
トチローさんの
★「1968年、日大全共闘のバリケードを見学しにきた女子高生」は、大木晴子さん!!
私ではありません。学校名が違っていますから!
あの時代、全共闘の皆さんとたくさん話をした記憶はあります。
1969年1月、安田講堂に機動隊が入り私たちフォクゲリラの仲間たちは
御茶の水の聖橋で歌い抗議の声をあげ心で連帯していました。
あの日に流した涙の感触はいまも鮮明に残っています。
■827 01/17 19:08:06 ブルースモークよこはま さーゆくぞー
明治大学構内から
出発する日大全共闘
■825 01/15 22:14:36 薮 水中のみずすましさん
私が丸木位里 丸木俊さんの作品に出会ったのは高校生のときでした。
故郷の美術館で観れた『原爆の図』です。
ちとだけ、コピペ
「つばめ 羽の焼けたつばめは、空をとべなくなって、チョンチョンと
地面をあるいています」 ピカドン より
自分の子であれ、友人の子であれテメェがこれだ!と確信するものを伝えなければ
悔いが残ります。今、手元にある『ピカドン』『おきなわ島のこえ』はボロボロです。
子供等が読み繋いできた本ですので。手前味噌で恥かしいのですが、いっしょに行く
よ、という息子・娘たちの笑顔こそなにか嬉しいものがあります。
自衛隊がことさらに美化される風潮にはムチャクチャ異議があります。
サマワに引篭もりアリバイ的に給水活動するくらいなら、
土建屋のかわりに雪下ろしせえや。たった30人でなにができるんじゃ。と、想う。
納税者をまもれ、コイズミ総司令官(怒)
ラッパの大将さん
>子供の野生化計画 これ、まったくに異議なし!!です。
月に2回の『運動・遊び』でも、子供たちの力は伸びますのよ。なんのこっちゃ(笑)
うちの上の子二人はひどいアトピッ子で悩みました。薬(ホルモン系)ではダメ。
ま、とにかく連れ合い様の奮闘努力のおかげをもちましてナントカ生活できるように
はなりました。食物のとりかた、シャワーの励行、ストレスの解消(>今は口うるさいです)。
私は・・・といえば、某団体(のみならず)でキャンプ、ハイキング、トレッキングを共に
してました。
体力勝負です。ケアは家族、仲間の協同性にリンク(キッパリ)
水中のみずすましさん、ラッパの大将さん。
なんだか私的なお手紙のようになってしまいました。これからも教えてください。
■824 01/15 12:12:53 ラッパの大将 日大10万の全共斗諸君!!の再結集の日は近い?
最近、掲示板のカウントが急激に増え、まもなく9万アクセスを越え、10万に到達する。
やはり、文字だけでは当時の空気を知らない世代には近寄りがたいかもしれないが、映像の力は大きい。
我々日大全共斗は10万人の同志と多くの映像の記録が有る。
これを武器として再び問題提起をすべきであろう。
内容はともかく?ボリュームがあるので全てを観ようとすれば長時間になるだろう。
熱心な読者?に感謝するが出来れば書き込みを頂ければ尚嬉しい。
日大全共斗は『何時でも何処でも誰とでも』の元祖ユビキタスです。(笑)
■823 01/15 12:02:53 ラッパの大将 近況・雑感
地方議会の活性化
痴呆議会を分裂さす事に成功した。
現在は野党の方が優勢であるがこいつらは手綱を緩めると直ぐ逃げる。
元々が日和見なので「リコールするぞーーー」と無恥に鞭入れている。
次の手は、利権に絡む議員の排除と議長不信任。
そして町長不信任〜リコール
日本再生のためのNPO
環境の浄化。
環境浄化微生物の製造と散布による脱化学物質。
豚糞の堆肥化による有機栽培→安全な野菜栽培と自給率の向上。
子供の野生化計画
フリースクール
不登校・アトピー等環境に対応できない子供たちの受け入れ。
自然の中、自力で立ち上がる事を応援する。
戦争について
極一部の戦争で利益を得ようとする『死の商人』と『人殺しが趣味』の輩が企てている。
やがてマスコミを煽って戦場に駆り立てるだろう。断固阻止すべし。
■822 01/15 04:08:56 水中のみずすまし 薮さんへ
>丸木美術館』をご存知でしょうか。
いえ、全く知りませんでした。
当該HPを訪れ、呼びかけ人の中に、ある会合で知り合った辛淑玉さんの名前も見つけた。賛同人リストに吉永小百合の名もある。当地東松山は、我が子(犬)の関係で土地勘もあり、近々訪ねてみようと思う。情報有難う。
成田闘争関係の諸君には申し訳ないが、なけなしの我が貧者の一灯はこちらにお送りしようと思う。
関連する問題提起として。
最近、自民党、民社党を問わず45〜50歳の代議士が、自衛隊を「自衛軍」とする憲法改正・法律改正に遁走しているらしい。因みに、表面上反対する日共は共産国家武装軍を保有したいのが本音であり腹の中では軍組織構築を期待していると思われるので同属。
小学生低学年時代に東京オリンピックを経験した45〜50歳の諸氏は、敗戦国日本の心身の貧しさを象徴する出来事にあまり記憶は残っていないだろう。昭和31年に巣鴨刑務所から最後の戦犯が釈放され、32年に最後のソビエト抑留者を乗せた船が舞鶴に降り立つ。35年の60年安保。その他、ビキニ環礁での水爆実験による被爆船員。日本各地の米軍基地による住民被害、兵士による犯罪被害等々、日常的な「敗戦後」。
軍隊とは戦争遂行を前提として保持するものである。警察組織の延長線上の保安部隊や自衛部隊とも異なる武装集団組織を称する。業務遂行上、下達命令に異を唱えられない組織ルールが必要不可欠だ。有事となり兵が不足すれば「徴兵制度」を設けて国民から強制的に徴用する。
現自衛隊は世界他国に比して強大な軍備を持つ集団である。「これを軍といわずして何なのか。だったら「軍」に名称を変えればよい」。これも一理論ではあるが、これまでに「軍同等の自衛隊を保持している日本国」を切り札にして国家間外交を恫喝的に推進したことがあるのか。
戦争は、勝敗に係わらず戦場となった地域を非人道化する。増してや負ければ戦勝国が食いつくす。敗戦を受け入れ、60年経っても「敗戦国ボケ」したままの日本、米国の属国化したままの日本に今更交戦権を後ろ盾にした国家外交ができるのか。独立国と称するなら「米国にも銃口を向けることもある」軍隊を保持しようとしているのか。
全く分からない。
「勇ましい言葉」を発すれば、時には人がついてくる。ドンキホーテとあざ笑っていた小泉氏が総理大臣に就任してから自民党への支持率が高揚した。意味の無い解散選挙をしたら若者の票が集まって大勝した。ドンキホーテのやりたい放題に目をつぶる体質。
なんだろう。
愚痴、途中までで終える。寝る。
■821 01/14 23:03:02 薮 鹿砦社・松岡利康裁判を支援する会 より
呼びかけ・支援の会へご賛同を!!
ただ今、『鹿砦社・松岡裁判を支援する会』にネット上でもご賛同いただける方を広く募っております。個人・法人・団体・国籍を問いません。ペンネーム、ハンドルネームも可としますので、広汎なご支援をお願い申し上げます。(メールアドレスはここ)
master@paperbomb.jp
■820 01/14 17:59:01 J 御案内Part2
中間報告というには早すぎますが、「笠置さんを偲ぶ会」参加表明が、続々と報告されています。
ブルースモークよこはまさんの写真にあるように、農闘委が総結集しそうです。
ネット環境がある方は、JUN、天野屋、Jに連絡をして頂ければ、詳細がわかると思います。(ネットは何でもありの世界ですから、本人確認をさせてもらうことを御承知おき下さい)
よろしく。
■819 01/13 22:49:18 薮 水中のみずすましさん
『無言館』は父から知らせがあり、それで私も行った経過があります。
本当に静かな時間が流れ、知らず知らずのうちに頬を伝うものがありました。
置いていったものの確かさとはなんだったのか。
愛する女性の肖像画。故郷のどこまでも続く道。森の中の家。
ほとり、ほとりとおいてある絵画の表情。なんと、胸に沁みてきたことか。
ヤスクニには学生時代にいちど行きました。
お化け屋敷みたいで、気持ちが悪くなり早々と立ち返った記憶があります。
今行けば、また違った思いが浮かんでくるかもしれませんね。
ヒロシマ平和記念資料館は私どもの家族はそれぞれで。
核反応弾がそこに住む人々に及ぼした災禍。
圧倒的でしたね。私たちの感情は緩むばかり。
米帝の基本戦略は「日干し作戦」ではなかったでしょうか。
この国はすでに潜水艦と航空機、機雷によって補給を止められ列島内に
押し込められ立ち枯れる寸前でした。
ヒロシマ・ナガサキへ核反応弾の投下は来るべき対ソ連戦への布石。
費用対効果の確認。
アメリカ大統領の聖書に誓った宣誓ほど自国の利益に適ったものは、ないようです。
そうですね。息子・娘連中と『反戦インパクトツアー』に出かけなくては(笑)
沖縄に行きたいのだけど、下部構造が枯渇してるので辛い。
>小泉首相とは異なる思想での「死没者」への慰霊を願う。
お任せあれ。私達は頑固な親父です。
水中のみずすましさんは『丸木美術館』をご存知でしょうか。
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/top/shien.htm
もし、近くにお住まいでしたらお出かけくださいませ。
■818 01/13 02:10:36 水中のみずすまし 薮さんへ
>親父連中だけではなく息子連中もいっしょになった『無言館』ツアー
わざわざのお出かけに敬服いたします。
私事。昨年秋、広島出張がてら40年ぶりに「広島平和公園」を訪ね平和記念資料館を拝観してきた。涙止まらず。
米国曰く「早期の戦争終結を計画し原爆投下した。これ以上の戦争犠牲者を出さないために米国民にとっても日本国民にとっても最善の決断であった」との奴らのスピーチが幻聴のように駆け巡る。否「早期に戦勝するために」原爆を投下したに過ぎない。
靖国の展示物に、戦時中、満15歳頃の特攻少年志願兵の遺書がまだ展示されていると思う。達筆な年少者の覚悟が涙をそそわれるはず。
戦争とは、前線では人間同士の悲惨な殺し合いではある。しかし、所詮は為政者のみが生き残る殺し合いゲーム。日大全共闘ゲバ学生と機動隊隊員との前線での戦いは何であったのか。白兵戦の記憶が蘇る。
広島や靖国にも反戦インパクトツアーにお出かけください。
結果としての戦勝国・敗戦国に係わらず、戦争を始めれば、悲惨な民衆が出現する事実を現・若い世代に理解いただけると思う。
小泉首相とは異なる思想での「死没者」への慰霊を願う。
■817 01/12 15:11:17 ブルースモークよこはま 19700311野音
70年3月11日日比谷野音楽堂でとりおこなわれた「中村さん」の
全共闘葬での「中村さんの遺影と秋田議長」
■816 01/10 23:46:03 薮 『無言館』ツアー
今年。私ども(どもって、誰だよ(笑))の確約ツアーは無言館を訪ねる、になりました。
数年ぶりの無言館ですが、親父連中だけではなく息子連中もいっしょになります。
風呂は別所の湯。真田幸村の隠し湯で浴びるけど宿舎はテント。食いもんは野外料理。
旧大本営を眺めて戦争の馬鹿馬鹿しさ、そして慰霊。
10代20代の息子・娘たちと現場で語り合いたいと想ってます。
■815 01/10 04:48:57 天野屋 御案内
昨年9月メキシコで亡くなられた、元日大全共闘農斗委笠置嘉一郎さんを知る方へご案内いたします。
笠木さんを偲ぶ会を開催いたします。
日時;2月5日(日) 午後2時〜5時(1時開場)
場所;都内某所(参加ご希望の方のみ、ご連絡差し上げます。)
呼びかけ人;J /JUN /天野屋
連絡必須事項;農斗委の場合
@学科 A入学年度 B御名前(識別できるものであれば、ニックネー可。)
C連絡先
他学部の方の場合
上記@〜Cと、学部もご記入願います。
その他の方
上記@〜Cに参加希望のコメントを加えてください。
本人の確認が出来次第、詳細を連絡いたします。
当方への連絡は、投稿者へのメール窓口からお願いいたします。
まずは連絡まで。
■814 01/09 19:08:03 ロックなマスター ご案内感謝します。
こちらでは、はじめまして。
現在、永岡さんたちと松岡君の救援活動をしている者です。
私自身は同志社ではなく、立命ですが、渡世の義理と人情から松岡君の早期釈放を勝ち取りたいと思っています。
いち早くの熱い「連帯のご挨拶」、ありがとうございました。
今後とも、どうかよろしくお願い申し上げます。
■813 01/08 22:14:58 管理人 カンパ口座開設
鹿砦社 松岡利康さん支援のカンパ口座が開設されました。
元同志社大学全学闘、その一点に於いて惜しまぬ支援をお願いします。
<カンパ振込み先>
郵便振替口座 No.00940-6-264345
口座名称 永岡浩一(ながおか こういち)
■812 01/08 15:44:12 志田糺 島泰三殿
拝啓2
やはり、「安田講堂」読みきれなくて、何度も読み返すのですが、どうしても疑問が解けない。
これ以上は精神が持たないので、一時中断しますが。
「東大全共闘・日大全共闘は、当時の状況で連帯できたのか」
「東大全共闘・日大全共闘の連帯で何が獲得できたのか」
感情的にいえば、至極当然の事柄が、冷静に考えれば、果たしてそれは?となります。
少なくとも、日大全共闘理学部闘争委員会では、東大闘争支援は各自の自由意志に
任せたと聞いています。
私もまた、1.18、19東大安田講堂への支援の意思は少なく、神田での戦いに
参加したと思います。
党派が組んだ隊列には当然加わりません。
目的は、神田地区からの機動隊の排除です。
神田地区に機動隊を引き付けて、安田講堂への支援・連帯とする高度な戦術は
思い浮かべません。
それでも、同じ問題が三里塚支援闘争でも発生しました。
日大闘争を闘うことなく、三里塚支援はあり得ないと三里塚支援要請を受けて
の理工学部闘争委員会の残党メンバーが出した結論には説得力があります。
それでも、三里塚闘争の場においてのゲリラ戦では、自然に、理工学部闘争委
員会の多くのメンバーに出来わし、機動隊の進撃を局所的ではありますが阻止
できたことも事実です。
その後、神田での闘いは続きました。
安田講堂攻防戦の状況下では無数の闘いが全国に展開していました。
それは、誰かの指令に基づくよりも、自然的発生に近い形での展開力と認識し
ています。
それを一極集中させる方策は、誰が望もうが不可能な状況であったと認識して
います。
東大安田講堂を天王山とする戦いは、誰かが望んだとしても、決して実現しえ
いない状況であることも、私の認識範囲です。
この不可能な状況を切り開いたのは、党派が60年代培ってきた暴力性であり、
日大全共闘が自ら作り上げた暴力性であったと思います。
としても、それは偶然の出来事であり、その偶然を必然に反転させる何かが不
足していた。
それは歴史的課題と残る問題であるとしても、この偶然を利用したのは、やは
り国家権力である。
その後の大学管理法案を根っことする日大型大学管理が、私学のみならず国公
立大学においても、波及していったことは現在の歴史的事実である。
そのお蔭で、3流大学日本大学は一流大学となった。
その他の私立大学での変化も同様に起きた。
国公立大での大学院大学、独立行政法人化に始まる東大を中心とする再編は見
事である。
他方で、全共闘もまたその参加メンバーに大きな心の変革をもたらした。
それは、権力側においても、それを管理する見事な管理ノウハウを植えつけた
と同じです。
どちらが一歩進んだかは、歴史の見るところ、決着はついていない。
日本の管理体制、エスタブリッシュメントは明らかに、世界に誇れる。
日本の反管理体制、抵抗勢力もまた、世界に誇ってよいと思います。
たとえ、小泉独裁が威厳を示そうと、憲法改正、海外軍事派遣はまだおおぴろ
げでない。
その根拠は、あの全共闘が示した大学解体どころか、国家解体にまでとどろく
勢いである。
その勢いが止まったのも安田講堂が権力側のヘゲモニーで終わるというのも偶
然である。
国家権力は、この勝利をまだ持て余している。
抵抗勢力は、まだ、この敗北をトラウマとしている。
私たちは、安田闘争を敗北の歴史として語ってはならないのではないか。
安田砦で、権力にいたぶられた歴史を語るのは止めてはどうか。
むしろ、日大闘争、神田カルチェラタンでの勝利はどうだったのか。
砦戦を回避して、勝利のままで、全国に散った仲間の戦いこそどうか。
全共闘に参加したメンバーの精神的な成長(心の変革)は、肉体的な静養を
必要とする。
その時間が過ぎて、次なる目標を求めているのではないか。
「神田の戦いを再度やりたい」とする声も、私の耳を離れない。
■811 01/08 15:40:13 天野屋 境さん
こちらこそ、24日は楽しく過ごさせていただきました。有難うございました。
我らより少し若い世代の方々の中で、あれほど正直すぎる、まじめすぎる輩と遭遇するとは思いませんでした。
少し遠いけれど、ご近所ですね。色々お互いに協力できれば、幸いです。
ノンアルコール大歓迎です。酒飲みはしつこくて、いやですねーーーーーー。
共謀罪粉砕を目的とした、飲み会を計画中です。つまみは、『日大闘争』『続・日大闘争』『死者よ来たりて、我が退路を絶て』の3本組みのミニ上映会です。
日大三中さん
aaghさんが、もう一度会いたいそうです。でも、彼は今ごろ???????
■810 01/07 20:42:34 堺 連帯基金運動の記録集できました
はじめまして。管制塔元被告連帯基金運動の勝手連の一人、堺といいます。
昨年7月以降、彼らを孤立させてはならないとの想いで運動に関わっていましたが、その運動をつつみこんだ「やさしさと感動」の坩堝にものの見事にはまり11.11で終わるはずでしたが、その後も記念集の発行に関わっていました。12.24に完成した「4ヶ月の記録」誌、ぜひお手にとってごらんください。
ご希望の方は、私宛に直接メールください。または連帯サイト経由でお申し込みください。よろしくおねがいします。
天野屋さん、aaghさん24日の二次会ではお世話になりました。お二人とはご近所同士ということになりますが、ノンアルコールの輩でも出入りOKでしょうか?あはは
■809 01/06 00:38:50 ラッパの大将 実音 日大闘争の記録
先日、芸斗委のメンバーと久しぶりにコンタクトが取れた。
我々が生きているうちに日大全共斗の真実を公表すべきではないか?と意見交換。
話の中で放送学科がデンスケを廻して録った音声がビクターからレコードで出されている事を知った。
情報通からの連絡で調べてみた。
http://marukyo.cosm.co.jp/BBS/OLD-LOG17/4156.html
探せばマダマダ出てきそうだ。
掲示板も容量アップしたので楽しみが増える.
■808 01/05 23:21:21 管理人 やっと・・・!
ラッパの大将の勇姿、どんどん上げたいのだけど・・・・。
写真、どんだけ上げてもヘコミません、これからは、
ギガだぞ〜!!!!!
今後もどうぞよろしく。
■807 01/05 22:55:46 ラッパの大将 祝 更新
週末かと思ったら以外に早かった。
■806 01/04 21:59:00 69年日大三中・三年生 了解しました。
管理人 殿
喪中のため新年のご挨拶は、失礼させていただきます。
本日 送付のご連絡有難うございます。
日大全共闘OB諸氏へ!寒さに向かう折から、酒の飲みすぎ
ご自愛のほどを念じております。
■805 01/04 00:21:59 aagh あの日、
わたしは行けなかったのですが、
旗旗さんのサイトに映像がアップされてます。
何回でも泣きましょう。
http://hatahata.mods.jp/modules/x_movie/
■804 01/03 22:23:49 薮@ヨッパ めでたく終了、と
旧連帯する会友人諸氏の我が家での宴会。
連帯する会・菱田、党派ブロックへの『オサラバ』の思いが表出したのはやはり、
第4の女性強姦事件だとの意見でした。
それでも私どもがカンパしたのは、獄中に囚われ何年も費やした捕虜への日々への感謝。
これでした。旧被告が桎梏する日々から解放されました。よかったなと。
無責任極まりないと、一致したのは『女性解放グループ』の分かりずらさ。
元4、旧連帯する会の一部の感慨です。
この間の「カンパ活動」での感想でした。板違いかも、ですが書かせていただきました。
■803 01/03 05:21:38 天野屋 転送
返事 削除 変更
共謀罪の新設に反対する市民の集い
1月26日
話し合うことが罪になる
共謀罪の新設に反対する
市民の集い
2006年1月26日(木) 18:30〜
■文京区民センター 2A集会室
(TEL 03-3814-6731、
都営地下鉄三田線・大江戸線春日駅「A2」出口徒歩0分、
地下鉄丸ノ内線後楽園駅「4B」出口・南北線後楽園駅「6」出口徒歩5分)
■講師
荻野富士夫(小樽商科大学教授)*
「治安維持法と共謀罪」
海渡雄一(弁護士)
「共謀罪、ここが危険だ!」
■発言
市民団体 ほか
■呼びかけ
共謀罪に反対する市民の集い実行委員会、盗聴法(組対法)に反対する市民連絡会、盗聴法(組織的犯罪対策立法)に反対する神奈川市民の会、日本消費者連盟、ネットワーク反監視プロジェクト、許すな!憲法改悪・市民連絡会、移住労働者と連帯する全国ネットワーク、ふぇみん婦人民主クラブ、反差別国際運動日本委員会、日本キリスト教団神奈川教区国家秘密法反対特別委員会、「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク、子どもと教科書全国ネット21、平和を実現するキリスト者ネット、ほか
■連絡先
日本消費者連盟 TEL 03-5155-4765
JCA-NET(広報室)TEL 070-5580-0563
ネットワーク反監視プロジェクト(小倉)TEL 070-5553-5495
info@tochoho.jca.apc.org
■参加費
600円
みなさん!
政府・法務省は、市民、法律家、国会議員、マスコミなどの強い反対で二度も廃案になった共謀罪新設法案を通常国会で制定しようとしています。
共謀罪は法律に違反する行為を話し合っただけで処罰するという言論・表現の自由を侵害する違憲の法律です。
「現代の治安維持法」といわれる共謀罪の新設を絶対に許してはなりません。
ぜひ、「市民の集い」にご参加ください。
*荻野富士夫(おぎの・ふじお)
治安維持法研究で著名、治安維持法適用の実態を鋭く追究している。主な著書に「思想検事」(岩波書店)、「北の特高警察」(新日本出版社)、「戦後治安体制の確立」(岩波書店)などがある。
共謀罪を廃案に! 盗聴法に反対する市民連絡会
http://tochoho.jca.apc.org/
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■802 01/02 19:47:19 薮@ちょっとヨッパ・ウソ アォ〜〜〜ン!
狼が吠える。
ハッシュ(D・P)の出だしでございます>いきなりアホなことを、、。
古き懐かしい♪を聞きながら新年を迎え、生きながらブルースに葬られてで爆睡。
みなさま。
明けましておめでとうございます。本年もよろしく、お願い致しますm(__)m
明日の旧連帯する会同志諸君との我が家での大宴会。妻は仕込みに入ってます(笑)
目をつりあげ、ブツブツと量で勝負じゃ!味は二の次、文句は言わさん!!男には!>、、、
女性用のアップルパイ・ココアケーキには気合十分。
ローカル&家族ネタですみません。今年は盛り上がるでしょう。
■801 01/02 01:36:45 たかし・Y あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします。
東京方面にお出かけの際は、是非お声をかけてくださいね。
■800 01/01 21:17:03 天野屋 謹賀新年
この男、凶暴につき、、、、、、、、の天野屋です。昨年大晦日、最終便を出した足で我孫子に行きました。心ばかりの歳暮を持って。帰ってから爆睡。先ほど、起きたしだいです。今さっき、OSUTENに電話をしたところです。今年で77歳になるそうです。水闘委****ですと言うと。最初のモシモシで誰だかわかったたとのことです。この先生には、ずいぶんかばっていただきました。話をしたのは、7年ぶりです。お前もずいぶんジジイになったなと、先に言われる始末。元気な御爺さんに成長していた。忠さんとも同年代だと思います。
赤目さん、こちらから質問させていただきます。
M君を横ご存知のこと。しかし、水産ではないでしょう。獣医や農学でもないと思います。畜産でもないみたいです。彼らとはアウシッビッ体制下、見事な連携プレーをさせていただきました。どこの学科で、何年生だったのでしょうか? 当然、私は水産の1年です。よろしかったら、このページからメールをください。
■799 01/01 17:24:17 aagh あけましておめでとうございます
ここの掲示板がご縁で、
クリスマス・イブに、
泣いちゃうくらいの「インターナショナル」を歌うことが出来ました。
今年もよろしくお願いします。
■798 01/01 09:53:55 ラッパの大将 明けましておめでとう
今年も吼えよう。
■797 12/31 23:43:07 エデンの東 我等日本犬 新年に吠えよう
日大闘争迄の長い戦いのスロープに欠けていたものの一つは文化戦線だったと思う。
例えば、1967年、自分の大学でストに入った時、思い浮かびまず上映した映画は「戦艦ポチョムキン」しかなかったからだ。
53日を精一杯戦い、敗北メッセージの送り先として東大医学部生を的にしていた。
東京医科歯科大と南北から隣接する東大を挟み込んで導火線に火をつける。自分達のストは発火装置だと思っていた。そうでなければ妥協の道も、終息の仕方もないわけではなかったから。
そうしていよいよ、労働者本体が立ち上がる、学生の先駆性は壮大な犠牲フライだと思っていた。
1905年、日露戦争の最終局面での反乱に加わった水兵達には過酷な運命が待っていた。1906年のロシアも日本も苦境は同じ、1969年は学生にも難しい状況だった。
2005年からより困難な06年へ、お身体大切に、陽気にやろう。
■796 12/31 21:32:18 薮 連帯!
来年もよろしく、お願い致します(^o^)丿
aaghさん
私は今、移民の歌から胸いっぱいの愛を、を聞いています(^^)/~
■795 12/31 18:32:40 モンテカジノ よいお年を!
管理人さま 1968掲示板の皆さま
もうすぐ2006年ですね
私は皆さまより一世代ほど年下ですが、とても管理体制のきつい
大学で運動をしていました。
日大闘争のことはとても人ごととは思えない気持ちでHPを見ています。
血沸き肉踊る映像、感動的に拝見しました。
このサイトから管制塔連帯基金運動を知り、いたたまれない気持ちで
基金運動に参加する事ができました。 感謝しています。
2006年がよいお年であることをお祈り申し上げます。
■794 12/31 11:46:07 aagh@明大黒ヘル 我孫子亜細亜旅社から
天野屋さん、来たれてますぜ。
なぜか、ミック・ジャガーの「アンジー」を聴いてます。
結集を!
日大全共闘も、
第4インターも、
戦旗派の方々も、
プロ青のあんちゃんも。
■793 12/30 10:19:27 松岡さんを支援する会・代表世話 支援に感謝します
藪さん、aaghさん、レスありがとうございます。ご支援に感謝します。
松岡さんの問題、7月に逮捕されたと聞いて、ひっくり返りました。名誉毀損での逮捕は月刊ペン以来約30年振り、名誉毀損の刑事告訴も、噂の真相以来10年ぶりです。
ご指摘の通り、自由にモノを言うと、逮捕される時代、と言えそうです。この国では、マスメディアは自主規制?(小泉批判をマスメディアはやらない)するので、自主規制しないものを弾圧する一歩です。しかし、そこまでやらないと、この国は滅びます。ほとんど今の北朝鮮、崩壊寸前の旧ソ連と同じです。
松岡さんを保釈しないのも、出したら関係者に口裏を合わせて工作する、という屁理屈を付けられています。
もっとも、松岡さんの一連の行動には、問題点がないわけではありませんが、それは別途、民事でやればいいこと、刑事事件でやる性格ではありません。この点は、主張して生きたいです。
今後とも、よろしくお願いします。
■792 12/29 22:54:56 aagh 松岡さんを支援する会・代表世話人さんへ(2)
僕は、2〜3歳若い世代ですが(あえて強調笑
「表現」したいことを書いたら、「逮捕」みたいな時代なのでしょうか?
■791 12/29 22:29:23 薮 松岡さんを支援する会・代表世話人さんへ
こちらこそ、出すぎた振る舞ではなかったと。
紹介したのは私ですが、紹介を受け入れてくださったのは
bbsの管理人さん、そして『1968』の皆様がたです。
おずおずと言いますけど、こちらの方々の心は熱いです。
よろしく願います。<この場をかりて
■790 12/29 20:05:56 松岡さんを支援する会・代表世話 HPのご紹介、感謝します
藪様、当「鹿砦社・松岡さんを支援する会」をこの掲示板で紹介していただき、感謝しております。
このHPは松岡さんの支援者により立ち上げられたもので、管理は私が責任を持っております。
松岡さんは、まもなく勾留半年です。3回目の保釈請求も即刻却下されました。人一人の自由をこんなに簡単に奪うなど、許せることではありません。
松岡さんのやり方には、いろいろな意見があると思います。私も、松岡さんのやり方に100%賛同しているわけではありませんが、今回の不当逮捕、私の地元・神戸でやられた権力の横暴だけに、許さず、追求しています。
今後ともよろしくお願いします。
■789 12/28 21:07:18 志田糺 島泰三「安田講堂」読後感
拝啓
東大闘争の現場からの素晴らしい報告文ありがとうございました。
日大闘争の現場についての他に類を見ない報告についてもあわせて感謝です。
私は、2つの疑問を持ちながら、その報告を読んでいます。
「あれほどの戦いを経ながら、あれほどの決意を持ちながら、
戦いの中で、東大生らしさ、エリート性を失わないのは何故か。
素晴らしい、言葉を残しながら、私たちを左翼の中に引き込も
うとするパトスは何処から来るのか。」
この疑問の前者については、貴殿が日頃、「日大闘争には大儀があるが、東
大闘争には大儀がない」と発言していたとある人から聞き、東大闘争にも大
儀があるとの認識に到ったという変化と理解をし、疑問は解けた次第です。
第2の疑問については、中央公論の編集方針であろうと察しますが、今とな
っては重要ではありません。
さらに読み進めると、貴殿が東大闘争と日大闘争の結合こそが、時代を変え
るキーだと言い切られたことに、少なくとも、私はその理想が果たして、
「たらねば」は別として、当時の現実として実現しえたのか、そして、日大
闘争、東大闘争において、それが課題として残された事なのかについては、
疑問を持っています。
p321「ひとつの仮定を」は一般論としては正しい。しかし、貴殿が注
釈された東洋大のみならず、ほとんどの私学で経緯としての分裂はあるとし
ても、実現していたと思う「全共闘」、「右翼・体育会」、「共産党・民青」
との連携、東大のみならず、ほとんどの国立大で、実現し得なかった「全共
闘」と「共産党・民青」との連携についての、現実認識と、それゆえ回避で
きない特有の闘争形態についての分析なしに、日大闘争と東大闘争との連携
については、理想論、評論としても断じ得ないのではないかと思います。
ただ、東大安田講堂を死守する同志を救う道は当時それ以外ないし、東大全
共闘に日常的にお世話になってきた日大全共闘の義理として、ほとんどの日
大全共闘同志が、その戦術を良しとしたことの事実について、私も信じます。
不幸にか幸いかは別として、事実は安田砦の攻防のみならず、日大闘争と東
大闘争のゲバルト結合の多くが失敗しております。結果的には、長期のバリ
ケードを拠点とした神田解放区が実現しています。
1968年12月日大理工学部全学集会は、理工学部教授会、理工学部助講
会、理工学部情趣会、理工学部大学院闘争委員会、理工学部闘争委員会の5
者で神田の電電通会館を満員にして開かれました。秋田明大全共闘議長に代
り酒井杏郎全共闘副議長は、会場に向かって「共に立ち共に撃つ」とメッセ
ージを読み上げました。
日大闘争は、「連帯・団結ありき」ではなく、どこに位置しようとも、己の
意思で立てば、道は開けるというものでした。当然、この精神は日大全共闘、
東大全共闘とも、暗黙の了解と理解しています。それゆえに、東大闘争へも
全国的なエールも当然です。それでもです。「連帯を求めて、孤立を恐れず」
ではなくて、「連帯を求めず、孤立を恐れず」として、全共闘を闘った、限
りない同志の存在を見失ってはならないわけです。
p326「日大闘争、東大闘争に牽引されて」ではなく、せいぜい「日大闘
争、東大闘争に代表された」とでも言うべきではないと考えます。当時の状
況からすれば、戦いにおいても、日常性においても、官公立大の雄「東大」、
私大の雄「日大」を代表させることであり、その無を衝いたのが、全共闘の
決起であり、日大全共闘は「日大解体」を手中に収め、東大全共闘もまた「
東大解体」手中に収めていたことが貴殿の報告からも理解できます。
それは、全共闘のあるところの全国の大学で、提案されたと聞いています。
それゆえに、次は京大なのか、岡大、広大なのか、明大なのか、同志社、立
命なのかの日程が組まれ、権力は左往、止むを得ず、代表校での決戦を挑ん
できたと思います。全共闘はそこで敗北を強いられた。ここでも、幸か不幸
か、代表戦は一部の学生によって闘われ、全共闘の圧倒的多数は石を投げ、
もしくは見物し、テレビ・ラジオで観戦してきた。彼等は、全共闘のストー
リを体得した。戦いのストーリを体得し、全国に散った。権力にとって、こ
れほど怖いものはない。その後の新聞・報道規制は見事でした。p327「
それでも消せずに残った」のではなく、「それでも消さずに残したの」が「
安田攻防戦」であり、敗軍の将「秋田明大」、「山本義孝」であったのです。
全共闘は、その1点で敗北をした。
権力はそこでしか勝利を得なかった。「日大史」、「東大史」から、日大闘
争、東大闘争の摩擦されているのはその理由です。私たちは、自らが作った
戦いの歴史を自ら編纂する栄誉に服する。その作業の中で、お互いの分担作
業は「共に立ち共に撃つ」である。東大闘争が多くの東大全共闘同士によっ
て、報告されることを期待し、また、日大全共闘同志の多くが、日大闘争を
鮮明に描写することの約束とする。全国の全共闘を名乗った同志にも同じメ
ッセージを告げる。
とりあえずの読後感の一報です。
■788 12/28 13:01:05 ラッパの大将 もっちゃんへの返歌
昨夜は来年度の行動計画を練っていました。
NPOの立ち上げ、新事業の展開など、ついでにリコールの話題で盛り上がったものだから、折角の文理\(^o^)/学科さんの格調高い書き込みに品の無い反応をしました。
囚われし、まだ傷癒えぬ勇者(きみ)達と 腕(カイナ)組むまで我、旗となるべし。
輝ける 我らの旗が切り開きたる あの地平に立つのだ 再び。
■787 12/27 23:14:10 ラッパの大将 矢でも鉄砲でも持ってきやがれ!
誹謗中傷、不当逮捕上等じゃないか!
来るなら来て見ろ。
徹底的に斗うぞーーー。
昨年の今頃は議会解散で走り回っていた。
今年の最終議会で理事者提案を議会が否決した。
一歩前進。来年は町長リコールだ。
■786 12/27 16:43:25 文理\(^o^)/学科 道浦さんと秋田さん
皆さん年末、年始はいかがお過ごしでしょうか。今年もいろいろとありましたが、来年ももっと政治、社会は混迷することと思います。
さて"安田講堂"の帯に引用されていました道浦母都子さんですが、この人の本に母ともっちゃん"と言うエッセーがあります。
この本に道浦さんが広島の秋田明大さんを訪問することが書いてあります。以前道浦さんは何かのテレビの番組でインタビューに応じる秋田さんを
「秋田明大」よき歳とりてる顔を画面は映す1・18
と詠んでいます。その道浦さんが秋田さんと話をして、帰りの汽車の中で秋田さんのメッセージを同行した記者から渡されます。このメッセージが
言葉はすべてを語りつくせないし、哀しくいらただしいものであるが、言葉うんぬうより、ギリギリのことろでみてしまったものを、私の全存在は表現することを望む。空念仏かもしれないが。
わすれさることはできないであろう、血で書かれた自己の行為を、気がついたら、ほとんど、何もない世の中に立っていたいじょう、いかなる非難中傷があろうと、心のかがりびをたやすことはできない。それが私の復讐だ。
と言う内容です。ラッパさんの書き込みを見て、道浦さんのエッセーを思い出した次第です。
■785 12/26 21:49:11 薮 鹿砦社・松岡さんを支援する会のホームページ
『松岡利康への言論封殺を許すな!!』
鹿砦社名誉毀損事件の真相を究明し、松岡利康の早期釈放を勝ち取る!!
鹿砦社・松岡利勝を支援する会
http://www.paperbomb.jp/
■784 12/26 00:02:24 赤目久志 Re:ブルースモークよこはま/淡酔会
食工の写真屋:油絵とカメラのペアーであった方(兄貴?)と推察します・・・
貴方の写真ではと直感し、K氏に電話連絡しましたが、早々に確定が出来て嬉しく思います。
日和見教:御教祖、八王子の山男も健在。最首は海外・・・?。
平戸氏は31年間、彼方此方に探索を働きかけ続けていますが、今もって連絡が取れず・・・
・・・詳細に付きましては・・・当方の連絡先がK氏に伝えてありますので確認して下さい。
淡酔会(*マ*)さん、同窓会への誘い有り難う御座います。
既に、貴方とは同窓会にてお会いしています。
・・・その折、貴方は北海道の *ン* 氏と私が似ていると言われました。
■783 12/25 22:52:48 理工OB Re:ブルースモークよこはま
はじめまして、管理人の理工OBです。
当ホームページ農闘委写真集の撮影者と名乗り出ていただいてありがとうございます。
JUNさんから提供いただきましたが、撮影者が不明ということで勝手ながら独断で公開させていただきました。
書き込み内容が、当ホームページでの公開掲示を事後承諾いただくような内容で内心ホットしています。
独断での公開掲示をお詫びすると共に、改めてお礼を申し上げます。
今後も、学部を超え全共闘仲間として交流をよろしくお願いします。
理闘委ですが、天野屋さん、Jさん、JUNさんと親しくさせていただいています。
■782 12/25 22:27:36 ブルースモークよこはま Junさん・淡酔会さま
最近同級生の「吉野家K氏」から掲示板の存在を知らされ
昔のネガを捜索しましたが、今のところ見つかりません。
卒業アルバムの写真を「農獣医」の掲示板に送ります。
■781 12/25 22:04:57 JUN ブルースモークよこはま様 皆様 初めまして。
初カキコです。
そうでしたか ブルースモークよこはま様。 10月10日前後に探し物をしていて偶然あの写真の入った封筒を見つけました。 どういう経緯でワタシのところにあるのか 誰から貰ったものなのか思い出せないまま 懐かしく見入り また数少ない当時の貴重な写真なのでこのままワタシのところに留めておくのもどうかなと思い キチンと記録・管理してくださる方を探そうと「けいとうい」を訪れました。 そして 知ったのは笠置さんの訃報 驚きました。 追悼の意味で2枚の写真(笠置さんの写っているもの)を投稿した次第です。
撮影された方が名乗ってくださって ホットしています。
Jさんを中心に 年明け 笠置さんの追悼会を農闘委+日大全共闘でやろうと 計画中です。 よろしかったら 掲示板経由でメールを下さい。
■780 12/28 13:14:46 淡酔会 赤目さま
本田さんは元気です
貴方も同窓会へ出てきてください
天野屋が寂しがっています農獣医の掲示板記載して下さい
■779 12/25 20:44:55 ブルースモークよこはま 農獣医食工の写真屋です
農闘委写真集の写真を撮影したのはわたしです。1968年スト突入から1年あまりカメラを持ち歩き、バリケードの取り壊されたあと朝日新聞のアサヒグラフの成清記者を紹介した人(氏名を覚えていませんが)に頼まれ69・11・28アサヒグラフの88ページに「警備員の点呼」のカットが掲載されました。食工の卒業アルバムをでっち上げ、当該写真集と同じカットを使用しています。
写真集の上から4段目右から3番目怒って右手でさしている学友が多分朝日の紹介者だったとおもいます。私の写真を保存し、このような形で発表していただき感謝いたします。
新潟の日和見大権現、10・21防衛庁突入を図り、ぱくられて懲役3年の平戸さん元気ですか?八王子の鈴木さん、学部長室で篭城しながら「反戦」を論じた先輩氏名は失念。
最首委員長さんはどうしました?機動隊と素手で格闘し頭をわられての指をつぶされた本多さんは北海道で活躍されてるとか。
小生は付属中学から日大10年であれほど威圧的で言論の封殺された時代、体育会やヤクザ日新会ざまーみやがれと思い、本当に溜飲のさっがった出来事でした。全共闘がいつの間にか革命セクトの活躍の場に変質したのが当時よくわからないことでした。ノンポリの典型的シンパでした。
■778 12/25 11:54:40 志田糺 10年遅れた世代
やはり、私の50肩は60歳にきた。
とっくに50才は過ぎているので、半信半疑であったが、相当きついリハビリであった。
今度は、肩の骨折、3箇所で骨はついたが、症状は50肩である。
痛みに耐えるのが、回復のコツと心得る。
涙を流しながら、リハビリに耐える。
これは、身体に加えられる苦痛。
イスラムで言う修業の世界ではないが、実にその後が爽快である。
ゲバルトもそうした爽快さが漂う。
しかし、負け戦はそうは行かない。
権力は執拗に追ってくる。
執拗に付きまとう。
何か、しでかすであろうと、待ち構える。
何年も、何ヶ月も、続いていた。
自分もそのことを忘れた頃に、引越しをやると、権力側は焦った。
焦って、ぼろを出した。
私が勤める会社の出勤簿が、筒抜けだったというのである。
私は、上司からその事実を知って、安心した。
私は、何も悪いことはしていない。
彼等は、無駄に、私を見張ったに過ぎない。
公安が二人でサンケイビル1階で待つという。
一目で分かるその風袋、挨拶すると、逆に彼等が驚いた。
どうも、彼らは、私を知っていたようだ。
お互いに初体面なのに、風体の確認をした覚えがない。
即座に彼等は私を脅す。
「いつでも拘束できる」という脅かしだ。
私の行動については、よくも細やかに調べていた。
一通りの回答はしておいた。
私にも反論がある。
丁度、私の娘は、交通事故で脚の骨折だけで事なきを得たが、
公園前の駐車といい、運転手の酔っ払いといい、警察の怠慢は酷かった。
「そんなに暇ならば、交通事故ぐらいまともに処理してはどうか」と問い返した。
表向き、市民警察、日常的には、市民を攻めれない。
サンケイビル1階でのやりとりは事なきを得た。
私の形跡に何の疑いもない。
もちろん、戦いの場では、そうは行かない。
逃げようが、、隠れようが、怪我しようが、病気であろうが、現行犯では容赦はない。
私は、幸いにも、そうして助かり、逮捕の経験はない。
部隊の先頭に立つとそうは行かない。
市民派を装い、毅然と部隊を維持すれば、頑張れることもある。
その前に、部隊が混乱すれば、一人の市民を装うことだ。
市民であれば、ゲリラ戦が出来る。
ただ、日大、神田は解放区である。
非日常性である。
市民派は通じない。
相互に苛立つ。
誰でもが、先頭に立ち、誰でもが、拘束の試練を受ける。
戦いはゲリラ戦である。
飛び込んだ、家が敵であれば運が悪い。
敵味方は、五分五分の勝負である。
そのために、維持されている、バリケードは安全地帯だ。
バリケードは、解放区の拠点である。
死守すれば、それを頼る人々に安心感を与える。
それでも、死守できなければ、人々を恐怖に落とし込む。
警察ファッショの世界。
日大では、バリケードは、負けると分かってて死守すべきでないとして、
先頭の前に退却した。
もちろん、郡山工学部のような例外もある。
それは、あまりにも貴重な経験を我々の残した。
それでも、全体としては、砦戦を避けた。
市民の中で」警察を孤立させる。
警察が引けば、再度構築を図った。
さすがに、相手は国家である。
警察包囲網は狭まり、拠点は数が減り、闘う戦士も減り、かっての日常性が訪れた。
それでも、一人の戦士でも居れば、大学当局はロックアウト、鉄条網、彼等の城を築かざるを
得なかった。
今、確かに戦士は居ない。
それでも。一人でも出れば、神田戒厳令以上のものが復活する。
既に、テロ対策は、その経験の上に、市民をゲリラとみなす非日常性が進んでいる。
それでも、小泉のお蔭で、日本政府は、孤立化の道を歩みつつある。
古田のように頑張れ、小泉。
お前が、武士であれば、古田のように潔く、懺悔するときもあろう。
■777 12/23 22:41:41 大阪反青委 すこしだけ震える
久々天安門の秀作を発見、管理人さんもFlashにトライしてはいかがでしょうか
■776 12/23 12:33:33 ラッパの大将 日芸・単ゲバの真実−3
私のことを過激派だという人がいる。
しかしそれは正しい表現では無い。
エデンさんのように論理の展開はできない。志田糺さんのように石に刻み込むような言葉は吐けない。
私のもち味は直感的な状況判断と行動。つまり・・・単なる条件反射で生きているのだが。
これは全共斗症候群の後遺症だと思っていた。
しかし愛妻は「私の教育で少しはマシになった」と言う。
私はよく冗談を言う。
ただ若い娘には『親父ギャグ,サヴーい』『それ、セクハラ』といわれる。
主観の相違だといわれればそれまでだが。
市街戦ではいつも機動隊に一番近い位置にいた。それは望んだものではない。
私の定位置は最後尾の「殿」である。
これより下がってはならない位置、最終防衛ラインだ。
だから私が最前線にいる時は先頭集団が崩れ後退したときだ。だからいつもゲバルトしている事になる。
恐らく言動が過激なのではなく、問題点に対して直接的に指摘・行動するからだろう。
曖昧にして先送りできるうちはまだ良い。
しかしそんなことはいつまでも出来るわけがない。
与えられた餌に満足している豚が猪に「牙がある」といっても問題の解決にはつながらない。
権力に尻尾を振る犬が「狼が鎖につながれてない」と喚いても、どちらが本来の姿かは自ずと分かるだろう。
自らが考え行動することを放棄したものが誰に何の責任を追及できるのだろうか?
日大の姿は私利私欲の為だけ、腐敗堕落、隠蔽体質、政官財の癒着など時代の先取りであった。
一億総家畜化計画の実験であった。
930大衆団交の時、両国講堂を「手抜き突貫工事のため崩れる恐れがある」と指摘した。
今マンション・ホテルの経済的!!工事となり具現化している。
あの時の闘争の方向性は正しかったと思う。
今、ポチリズム(自国の民を犠牲にしてもダメリカに盲従する、強いものに媚、弱い者虐めをする)の台頭にその意を強くする。
還暦まで後僅か・・・
50肩で左腕が上がらない、右アキレスが寒くなると疼く、ぎっくり腰の時限爆弾を抱え満身創痍の白い狼だ。
しかし、一撃くらいは可能だろう。最後の戦いに備え牙を研ぐ。
■775 12/22 20:02:07 志田糺 単ゲバと一匹狼
ラッパの大将殿の文章が来て、読むスピードを上げているが、
やはり、じれったくなるスピードに自らを恥じねばならぬ。
あれほどの戦いを経ながら、あれほどの決意を持ちながら、
戦いの中で、東大生らしさ、エリート性を失わないのは何故か。
素晴らしい、言葉を残しながら、私たちを左翼の中に引き込も
うとするパトスは何処から来るのか。
日大闘争は、日大全共闘の少しづつの発言で、今までの間違った認識も
改まり、新たな歴史復活を遂げつつあるのだが、東大全共闘、安田闘争
の同志の目からの報告は、それを一歩進める。
ホー叔父さんではないが、一歩一歩である。
私は、その時代に、「共産主義に洗脳された」と自嘲し、「日大全共闘
に教えられて」が口癖であった。
単ゲバといわれた、TもO、そして、理闘委も何時も私のこの隙間を衝いた。
彼等に教わった事柄は、実に多い。
日大闘争をどう見るかでなく、私は、大学側に居て、何をなすべきかで、悶々
とした。
だから、厳戒体制下での、組織活動も辛いが、東大と同じにそれを妨害
するのは、共産党同僚である。
組織解体をずっと唱えてきた、私だから、組織活動というよりは、タイ
マン勝負である。
それでも、彼等は、組織を割ることはしない。
団結と統一は、生きているのである。
それ以上に、孤立が命取りであることぐらいは、嫌というほど経験済みだ。
幸い、古田派に近い教員は私を支持し、全学的な組織化は成功している。
日大全共闘から見れば、古田の先兵に見えて、その誤解は解けるはずも
ない。
私がバリケードの理工学部バリケードの中に入れたのは、1968年1
1月の1回と東大安田闘争後である。
11月にバリケードに入り、秋田との会話は、私の組織方針の鈍重さを
思い知らされた。
すぐに、一匹狼を募り、日大全共闘連帯の日大教員共闘とした。
それ以降、激しい行動はないが、そのメンバーの内30名近い教員が解雇、
もしくは辞職した。
全ての学部に跨るので、連帯しようにも、情報交換が唯一の勇気付けである。
各自は、それぞれの場所で戦い、様々な形での、退去を強いられた。
日大全共闘からの支援を受ける筋合いもなく、日大教職員組合、日大全学協
議会からの支援を受ける筋合いもない。
ましてや、他大学の教職員支援など受ける根拠もない。
完全、孤立の中で、「共に立ち、共に撃つ」の全共闘副議長Sの発言は的を得、
当然だが、実に厳しい突きつけである。
教員共闘のほとんどが、襲撃を恐れての匿名である。
例外的に、当初、日大教職組合の支援を受けようとした小林忠太郎講師、日本数学会、
日本学術会議の支援を仰いだ生産工学部統計学科小川潤二郎教授以下7名の
教員、表舞台に立った。
日大教員共闘結成後、オブザーバーとして全共闘会議に顔も出した。
理闘委のメンバーとの会話も進んだ。
もちろん、恐る恐るバリケードの中に入った。
その瞬間に受けた、批判、非難、そして、私の行為自身の脆弱性、
もしくは、連帯の意味についての反復も進んだ。
現在は、少しは、その時代の感覚を身につける。
所詮、外に居た人間としての苦悩は終わらない。
■773 12/21 21:04:16 ラッパの大将 日芸・単ゲバの真実 2
私のことを左翼だと誤解?!している人がいる。
確かに、関東軍や体育会と死闘を演じた。しかしそれは正当防衛にしか過ぎない。
あの、6・11。
大学に雇われた連中(右翼とは呼ばない)が襲ってきた。機動隊は彼らを守った。だから、敵になった。
もしも、全共斗側に攻撃されていたら、私は芸斗委のバリケード破りをしていただろう。あまりにも単純であるが、そうなのだ。
高校の時「生意気だ」と先輩に柔道部の練習場に連れ込まれた。そこにバーベルがあった。
60kgほどだったが全部セットして85kg位を「フン!」と頭上高々差し上げた。
「それで?」と言ったら先輩は「・・・イや・・・」 そこで「帰るぜ」
その頃、私は身長170cm、体重は60kgくらいだったが、100kgを軽く上げていた。握力は右75kg、左73kg。
後で聞いたら柔道部で一番強いのが75kgのバーベルを差し上げるのがせいぜいだったらし。
大学の授業は勿論!学ランで受けた。 しかし、ここでも入部の誘いはなかった。
革命(95P)について、
島氏は「世直し」と位置づけるが、私は『本来の姿に帰ること』と規定する。
だから、根源的な問いかけであり、自己否定するがゆえに、過激=ラジカルになってしまう。
自分では気がつかない間に、巨大な闘争を挑んでいた(93P)
安全が確保された上での、進歩的=リベラルとは違い一線を越えてしまう。
私の理想は「原始共同主義」だが、現実的には「電脳共有主義」になる?
『青年日本の歌=昭和維新の歌』(120P)について
島氏は「右翼も学識が高い」と評価しているが、私は昭和7年の5.15事件そして昭和11年の2.26事件に連なる青年将校に、心情的に近い。
私はこれを『平成維新の歌』として「革命歌」にしようと想う。音楽センスがないので無謀な試みであるが・・・
三島由紀夫氏について(268・291P)
島氏は逆方向から「巨大なモノ」の予感に反応したと評価している。
私はその死に様に「美」を見出す。
王陽明の解く、言動の一致など超える、「切腹」は、私の戦いを足元から切り崩す衝撃を与えた。
あの日、・・・私は国道2号線を走行中だった。四日市付近だっただろうか。 暗雲が前方に立ち込めていた。
公害のせいだろうか、樹立する煙突がけむる。 海はドス黒く澱んでいた。 辺りを異臭が包んだ。
窓を閉め、何気なしにラジオのスイッチを入れた。
緊迫したアナウンサーの声「作家の三島由紀夫氏が割腹自殺を図ったようです・・・・・」
1970年(昭和45年)11月25日、午後零時15分「楯の会」学生長森田必勝ほか3名の同志と、東京市ヶ谷陸上自衛隊東部方面総監部に至り、自衛隊の覚醒と決起を促すも果たさず、「天皇陛下万歳」を三唱して古式に習い割腹自決。(45歳)
森田また介錯後これに従い殉じる(25歳)。
「檄」「辞世二首」。 http://www.kokubou.com/document_room/rance/rekishi/seiji/mishima_geki.htm
翌日、自宅で密葬。戒名彰武院文鑑公威居士。
???
雷に打たれたような衝撃が背骨を貫いた。
!!!
体が硬直してしまった。
どうやって路肩に止めたか判らないことを告白しよう。
日大闘争の凄さは、本来右である者まで立ち上がらざるを得なかった深い闇を引き出したところにある。
失うモノの無い、全てを投げ打った戦いが権力を追い詰めた。
生きる事は闘う事である。
■772 12/21 20:41:30 ラッパの大将 日芸・単ゲバの真実 −1
東大全共斗が日大全共斗をこれほど感動的に評価したのは「安田講堂」が初めてだと同志が評価する、私もそう思う。
しかし、島さんが芸斗委を過大評価しているので等身大の姿を告白しよう。
これは、黒ヘルの私が身長2m、体重100kgを越す!全身黒い毛に覆われた狼男だ!!と想われ、伝説?が一人歩きした。
ところが、実際会った者から「単なる小父さんだ」とがっかりされた経験が有るからだ。(笑)
天下御免の単ゲバなので感覚的に述べる。
日大全共斗は東大全共斗の『理解できず、頭痛のするような論理展開』に驚嘆し、
東大全共斗は日大全共斗の『想定を超え、立ちくらみするような行動力』に感動を覚えたのかもしれない。
東大は学生運動を前衛として切り開いてきた歴史があるが、日大は徹底した学生管理のため『唯一学生運動がない』(37P)。
まっとうな要求を掲げるだけでも、命がけだった(43P)。
バリケードと泊り込みは必須の条件であり、ぎりぎりの闘いだった。(72P)
それゆえ、直接的な脅威から命を守るためバリケードを創らざるを得なかった。
芸闘委のオブジェ型バリケードは日々の闘いの意識として存在した。
文字通り、デモから帰ってくるたび変貌をとげて成長していった。
私も警備小屋を作り、風呂まで造った。
写真集では公開されているが、風呂ではしゃいでいるムービーがあるらしい。(私は見ていないのだが)。
最初はこのなかで『真の大学』を目指した。(72P)
自主講座やバリ祭りもした。 祭り=晴れ=非日常としての側面も有った。
年末には餅つきもした。
しかし、弾圧との闘いが進むほど(95・100・120・139P)、ただひたすら自己の内部に向かった。(78P)
反省などという生易しいものではない。自己批判どころではない。自己否定=自己解体の、のた打ち回る苦しみだ!
これに比べれば関東軍や機動隊とのゲバルトなど痛みのうちに入らない。
あと少しで普遍性に辿り着き、新たな地平を切り開く前に抹殺された。
11・22全国から駆けつけた同志に祝福され合体したが、長くは続かず、年明け早々1・18。権力により引き裂かれる。
(126P) 権力側の本能だろう。
日大全共斗の最も誇れることは、現象面的なゲバルトやバリケードではなく、直接参加の理想に近い社会=コミューンを形成し、それを200日以上に渡り維持したことにある。
「非日常」のバリケードが「日常」の生活の場となった事である。
バリケードは『砦であり、家』である。
当然日々の生活がある。寝泊りして学習する。そして実践する。
女子学生も居るし、炊事もする。(75P)
特に芸斗委の女学生たちは、『女性だからといって食事当番を押し付けるのはナンセンスだ』といって大衆団交・ストライキまでしてしまう!
革命的バリケードの中で革命宣言!である。 私は軽く論破される。
他学部は「兄弟」であり同じ部族である。運命共同体として強く結びついているので、芸斗委が襲われたときは、
身の危険も省みず救援に駆けつける(120P)
だから、破壊されても、破壊されても『永久奪還』する(95P)。そうしないと、完全なルンペンになってしまう(203P)
ヴェトナムの英雄(126P)ではなく、人民と同じであった。
生きる事=闘う事。自由は与えられるのではなく、奪い取るのだ!
その後、草の根運動、勝手蓮、など住民運動の新たな運動として展開したことだろう。
続く
■771 12/21 12:05:24 志田糺 鹿砦社
鹿砦社・松岡社長のことは、分からないのですが、真に時代状況を反映しての闘いです。
いろんな人がいて、いろんな戦いが始まり、権力が右往左往して、内部分裂する。
勿論、権力の内部分裂だけではありません。
我々の中にも亀裂が生まれるのです。
その亀裂を修復し、作業ベクトルを方向付けることが、権力を上回る力を得ると信じます。
文理\(^o^)/学科さん
島さんの本を勇気を出して読み始めましたが、やはり、60年以降を闘ったものとしては
辛いです。事実誤認もありますし、最後まで読むには、相当時間がかかります。
代わりにではなんですが、60年の安保闘争時、短期ですが、田中学という当時の全学連
委員長がいます。経済学者と思いますが、世界報道を色々な観点から分析しています。
立正大で同僚であったこともあり、偶然、彼のメールマガジンを読み始めていますが、
我々が知っておかなければいけない情報分析について鋭い視点があります。1970年
からのアメリカでのネオコンの動きがホロコーストの政治的利用に繋がるとの分析ですが、
歴史を見直しがここでも始まっています。もっとも恐るべき、情報の政治的利用について、
第2次戦争もそうですが、ベトナム戦争、イラク戦争全て、情報戦略です。
日大闘争は、ようやく、この情報戦略を打倒し、新たな情報源を創出する試みでもあった
ものので、ホームページの立ち上げも、始まったばかりですが、有効です。
以下、田中学国際ニュースURLです。
ちなみに、岩田浩主流の立正大全共闘の中で、彼は中立を守った学者でした。
全学連委員長のときも、何故あの人が思うほどの真面目な好青年でした。
■770 12/21 03:49:31 天野屋 敷石
文理\(^o^)/学科さん
日大闘争で敷石を剥がしたのは、‘68年9月が始だったんじゃないのでしょうか?
1.18は、私が始めて敷石を剥がしただけのことです。
それにしても松岡さん事件は、管制塔損害賠償請求と同じ構図。
■769 12/20 22:38:51 ラッパの大将 松岡同志、骨は拾ってやる。徹底抗戦せよ!
鹿砦社・松岡社長の保釈申請、却下される
本日、鹿砦社・松岡利康社長の名誉毀損に関する第2回目の公判が開かれ、閉廷後、松岡氏は3度目の保釈申請を出したが、即日、却下された。
逮捕された今年7月以来、名誉毀損罪で(逮捕さえ異例中の異例)で実に5カ月以上も拘留され続けている松岡社長、まさに公安事件の扱いで、何が何でも罪を認めないと保釈しないということのようだ。
これで、お正月もシャバで迎えられないことが確定した。
■768 12/20 21:30:20 文理\(^o^)/学科 ところで敷石のことですが。。
天野屋さんによりますと、対○機戦で敷石をはがして使用したのが69年1,18のこととのことですが、私は68年11,7騒乱罪適用粉砕!首相官邸包囲占拠闘争で敷石をはがして○機に投げていました。
当日は10,21新宿米タン阻止争闘で騒乱罪が適用されたのに抗議して、日比谷野音から国会方向に実力闘争を組んでいました。昼間と夜の2回の街頭闘争で私は不覚にも夜の部で大蔵省付近でパクられました。その際ブントや中核の反戦青年委の人が、野音を出たところで敷石をはがし、それを粉々にして○
機に投げていました。
10,21新宿米タン阻止実力闘争では、線路のグリ石を○機に投げていましたが敷石をはがしてはいないように記憶しています。
■767 12/20 21:15:39 薮 転載 鹿砦社 松岡さんのアピール
師走のあわただしいさなか、本日の公判に駆けつけていただき、本当にありがとうございました。
本日は「阪神事件」の告訴人2人の証拠調べですが、球団関係者がこうして法廷に立つということは稀有のことであり、屈指の人気球団の背後で起きたベテラン・スカウトの不審死の謎を究明する糸口になるものと信じています。
また、今日の言論弾圧事件にもっともらしい批評や報道をされたマス・メディアが、「マスコミ・タブー」といわれる阪神タイガース絡みの本日の公判について、どのような報道をされるのかも興味津々です。私たち鹿砦社の言論・出版活動のやり方を云々する前に、ジャーナリズム本来のきちんとした報道を望むものです。
さて、7月12日の逮捕から早5ヶ月が経ちました。本日の時点で、私はいまだ勾留されたままです。「名誉毀損罪」容疑で出版人の逮捕は29年前の「月刊ペン」事件にまで遡りますが、これでも勾留25日です。私たちは今、この「月刊ペン事件」について学習・検討していますが、あらためて今回の私や鹿砦社に対する言論弾圧事件が、エポック・メイキングなことだということが判ります。
ご存知の方もあるかと存じますが、「月刊ペン事件」は1審、2審敗訴、そして最高裁でよもやの大逆転で、この歴史的な判例は、その後の名誉毀損裁判の基準となっており、私たちもこれを元に今回の事件やこれまでの出版活動を検証しています。
大半のマスコミ・出版関係者には、今回の言論弾圧に対して、いわば「鹿砦社だから仕方がない」というような“見棄て感”があるとのことですが、むしろ問題なのは、私の逮捕や鹿砦社に対する大掛かりな言論弾圧が既成事実となって、今後常態化していくことの危険性、そしてこのことに無自覚なことにあるのではないでしょうか。
今回の弾圧で鹿砦社は、本社も支社も撤去を余儀なくされ、社員もほとんど散りました。わずかに、『紙の爆弾』編集長がひとり踏みとどまり、知人の出版社に身を寄せながら再起を準備しているところです。
この『紙の爆弾』は、「たとえ便所紙を使ってでも出し続けて欲しい」という私の強い意志を汲み、発行ペースを落としつつも、志ある執筆者や支援者、元社員らの協力で何とか維持されており、年明け1月7日にも新しい号が出る予定です。発行部数2万部、マス・メディアに比すればアリのような存在ながら、手前味噌ですが、<いかなる不当な圧力には屈しない!>という私たち鹿砦社の原点がここにあります(「鹿砦」という社名の由来もここに在ります)。
本件告訴人の1人は私に対して「蛇のようなしつこさ」と供述していますが、そう、私はしつこい男です。今は臥薪嘗胆の時期ですが、私も鹿砦社も、この「蛇のようなしつこさ」が必ず復活します。このままでは、死んでも死に切れません。
先日、私に支援を惜しまなかった門真市議・戸田ひさよし君が「政治資金規正法違反」容疑なる口実で不当逮捕されました。私と事件の性質は違いますが、共に不正や巨悪に対して闘う者として<反弾圧、反権力>の点で今後とも連帯していく決意です。戸田君、冷たい獄壁を熱い戦う意思で貫こうではないか!!戸田君の闘いにもご注目、ご支援を訴えたいと思います。
先日はさらに、「表現の自由」の問題で大きな不当判決もあり、上記戸田君不当逮捕と併せ落ち込む出来事が続きました。1審で無罪だった「立川反戦ビラ事件」の東京高裁逆転有罪判決です。これといい、私や鹿砦社に対する言論弾圧といい、もはや「表現の自由」ということを軽々しく口に出来る時代ではなくなりました。
「表現の自由」とは、坐して“守る”ことができるものではなく、叩きのめされても“闘い取る”ものだといえるでしょう。
こうしたことを想起するにつけ、マスコミ・出版関係者総体の“見棄て感”もあり一時は孤立感にさいなまれたことも正直ありましたが、私の闘いは、決して私だけのものではなく、わが身を捨てて闘うべきものだという確信に近いところに至りました。とは言え、私は決して大物でもなく、一介の弱い人間に過ぎませんから、日々気持ちの起伏もありました。これを皆様方のサポートにより、何とか自らに鞭打ち気持ちを取り直して、この5ヶ月余り独房で過ごしてきたというのが実情です。
本日3度目の保釈請求が出されます。この結果如何で、正月を「ひよどり台」の“別荘”で過ごすか自宅で迎えるのかが決まるわけですが、いずれにせよ、私はこれからも私らしく、この歴史的な裁判闘争に巡り会えた“幸運”を自覚し、皆様方と共に、愚直に最後まで貫徹することをお約束するものです。もし私が挫けそうになったら、ゲバ棒(古い!)でブンなぐっていただきたいと思います。
本年もあとわすが、皆様方、良い新年を迎えられますことを心からお祈り申し上げます。併せて、来年もご支援、ご鞭撻のほどよろしくお願いします。日々決戦!!!闘争勝利!!
(今発売中の月刊「創」1月号に、現在の私の想いを書き綴っていますので、何卒御一読いただければ幸いです)。
「ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴等が 笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を
ふるえながら のぼってゆけ」(中島みゆき『ファイト』より)
・・・・
風の便りによれば、松岡さんの「保釈請求」は却下(怒)されたようです。
■766 12/20 11:12:39 志田糺 日大教員共闘
水中のみずすまし殿
当時、日大教員共闘は1969年2月25日両国公会堂で旗揚げした。
旗揚げにに際しては、日大全共闘が津田沼生産工学部門前集会を勝ち取った
こともあり、日大全共闘の支援もあった。
東大折原浩氏は、日大教員共闘ということで、初めて東大を出て、学外講演をして
くれた。勿論、東大助手共闘の支援も頂いた。
1968年12月に日大教員全学協議会(全学約3000名の組織)を割って、独
自の日大全共闘連帯教員組織を模索しての2ヶ月足らずの間に、色々あったが、そ
の1つが、日大全共闘による、京大全共闘支援のための後援要請である。
日大教員共闘は生産工学部助手Hを派遣した。
理工学部闘争委員会は委員長自らが支援の先頭にいた。
貴殿との話の照合は、当時、設立したばかりの日大教員共闘にまで、支援の要請が
あったぐらい、日大全共闘は台所事情が厳しかったということだ。
京大支援派遣の主力は理工学部と聞いたが、全体で約300名とも150名
とも言われるが、京大全共闘側の対応は凄まじく、直ぐに勢いづいて、バリ
ケードの突入したと聞いている。
11.22の東大での感激がここでも再現したことも事実で、東大島報告と同じと
思うが、京大全共闘には、日大全共闘シンパは、凄まじく多い。まだ、その報告を
京大全共闘の中でした人はいないが。
たぐれば、当然、高野悦子さんに辿り着くと思うのだが、反マスコミである私とし
ては行動は控える。
■765 12/20 06:13:05 水中のみずすまし 朝日・補足
朝日新聞京都総局さんに対するラッパちゃん記憶の補足。
記憶では、69年1月、京都大学から日大全共闘本部にバリ構築アドバイスの要請が入った。
「今時京都から、なにを言うてまんねん」馬鹿らしい要請なので行動隊主力は相手にしなかったが、たっての頼みとのことで経済2闘委から何人かを応援に出した。他の学部からも行ったかどうかは知らないが少人数である。
こっちも連日の街頭戦、また、機動隊再々導入の情報が飛び交い、一人でも行動隊員がほしい時期。既に5回くらいパクられて、これ以上パクらせられないKを出張推薦した覚えがある。
「京都に最強の日大全共闘現われる」と噂が飛び交い、当日の集会・デモでは機動隊員をびびらせ、新聞に出て・・・、帰路は京大のおごりで夜行バスで帰ってきた・・・と後の話として聞いた。
セクトの教祖が多数いた割には、ちーとずれてたんですね、関西の全共闘は。
■764 12/19 12:43:29 ラッパの大将 テーマソング
映像(死者よ・・・)と活字(安田講堂)そして、歌(ロックバージョンの、戦争を知らない・・・)が立て続けに手に入った。
「戦争を知らない子供たち」は、70年代のフォークソングだろうと思っていたが、反戦歌らしい??
しかし、どちらかといえば「だすい」
標準語でいえば「ゆるい」「締りの無い」・・・要するに。 だすいフンドシ=「軟弱」のイメージだった。
ロックバージョンは歌詞を変えてかなりいける。
そこで、「我闘争」に合せて作詞をした。
アジテーションは叫んでいる本人もよく解らない??ので、消した方が良いとの意見がある。
お題を3つ頂いて、小話を創る訳ではないのだが。
これに合う映像と組合せば威力抜群???
ところが、闘う同志から更なる曲が提示された。
昭和維新の歌(青年日本の歌)
この歌は昭和5年5月世保で発表された。
昭和7年。26才の時5.15事件の首謀者=三上卓海軍少尉が作詞したものである。
以来昭和11年の2.26事件に連座した青年将校などが歌い継いだ。
聞けば即、軍歌だ!と分かるが内容が濃い。
曲を変えれば革命歌になる?
フォークソングよりも心情に近いのだ。
「平成維新の歌」の作詞を考えていたら、大雪だ。
慣れない事はするなと天の啓示か?
(一)
泪羅(べきら)の淵に波騒ぎ 巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁の世に我立てば 義憤に燃えて血潮湧く
(二)
権門上(かみ)に奢れども 国を憂うる誠なく
財閥富を誇れども 社稷(しゃしょく)を思う心なし
(三)
ああ人栄えて 国滅ぶ 盲(め)しいなる民 世に踊る
治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり
(四)
昭和維新の春の空 正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡(きょうり)百万 兵足りて 散るや万朶(ばんだ)の桜花
http://kaga226.hp.infoseek.co.jp/12/syouwa.html
■763 12/18 22:54:17 理工OB 練習?・・んなものは無いのだ!
☆日大全共闘はいつでもブッツケ本番なのだ。
だから1608名もの逮捕者出したお馬鹿さんなのだ、笑ってやろう。
でも3回、4回の猛者もいるので員数は少なくなるけど。
クリスマス、明大・日大黒ヘル共闘で結集しませんか。
あとチュン大が居ると御茶ノ水トライアングル共闘つっ・・う事になるのだけどね(懐かしい)。
赤ヘル三派に負けてなるものか!!!
■762 12/18 01:01:41 aagh あの〜
某4トロサイトでは、
「☆元日大全共闘は、隊列で登場するかも?」
と、書かれてます。
あと1週間しかありませんよ。
練習とか、しないのですか?
■761 12/17 21:38:31 ラッパの大将 れれ?れ!
申し訳ない
演奏が始まったら。スタート→インターネット→このページに帰ってください。
直接帰ると音が消えた。
演奏はエンドレスです。
■760 12/20 11:52:10 ラッパの大将 斗いしか知らない単ゲバ達
ハードロックの音源が間に合わないのでBGMはこちらを聞きながら口ずさんで下さい。 作詞 編曲 ゲバローズ
http://www.fukuchan.ac/music/j-folk1/sensooshiranai.html
注意 ー は伸ばして歌う
弾圧が起こってー 僕らは生まれたー 不正を許さずー 僕らはゲバった
大衆ー団交ー 求ーめながーら 大学ー解体ー 叫ーびーながーら
僕らの名前をー 覚えているかい ゲバルトしかないー 単ゲーバ達さー
僕らの仲間はー バリケで育ったー 僕らの相手はー 右翼に体連
関東ー軍などー 蹴散ーらしてー 返り血ー浴びてもー まだーまだー進むー
僕らの名前をー 忘れていたかいー 斗うしかないー 単ゲーバ達さー
僕らの生き方ー 単純だけれどー 土方にカンパにー アージーテーション
集ー会 デモーにー 解ー放ー区 催涙ー弾などー 投げー返ーせー
僕らの名前がー 分かってきたかい 自由を求めるー 単ゲーーバ達ーさー
僕らの生活ー バリケの中でもー 全員交えてー 白熱議論だ
観念ー論などー ナンーーセンス 徹底ー抗ー戦ー あるーのーみだー
権力粉砕!闘争ー勝ー利! 明日を求めてー 進ーむだけさー
ジュラルミン目指してー 突撃あるのみー 怯えて逃げゆくー 機動ー隊にも
かまわずー 追いかけー ゲーバールトかけーるー 自由のー為ならー 体ーを張ってー
僕らの感覚ー 分かってきたかい 闘うことこそー生ーーきーることさー
仲間の為ならー どこでも行くのさー 日共ー民青ー あかつき部隊に
ゲバルトーかけてー 突ーきー進ーむ 自由のー歌をー 歌ーいなーがらー
僕らの名前をー 覚えて欲しーい セクトを知らないー 単ゲーーバー達ーさー
連帯を求めてー 孤立を恐れずー あらゆるところでー 展開するのだ
労学ー共ー闘 反ー戦運動ー 住ー民ー運動― 環ー境ー浄ー化ー
僕らの力はー 時代を変えるさー 斗い続けるー 単ゲーバー達さー
自由の為ならー 命を掛けるさー 明日はもうないー ルンペン暮らしに
インターナショナルー 労ー働ー歌ー 肩組ー歌ってー 頑ー張ろーうー
僕らの目的ー 判ってきたかいー 愛とー平和のー自ー由ー戦士
腐敗と堕落にー 斗い挑んでー 社会正義をー 貫くためにもー
直接ー行動ー あるーのーみさー 弱きをー助けてー 強―きをーくじけー
僕らのー力はー 時代を創るさー 愛ーとー平和のー自ー由ーー戦ー士
■758 12/15 20:41:14 ラッパの大将 さすが情報通
薮さんダブったよ。
そーか!はんぺんさんはここか。
今年の夏は哲学の道を愛妻と手を繋いでを散策した。
これからは旅行する前に相談するよ。
■757 12/15 21:49:14 ラッパの大将 思案暮れーる
朝日新聞京都総局さん、ここはハードでコアでレアな連中が集まっています。
日大全共斗関係ならある程度判るのですが。
鹿砦社の松岡さんなら詳しいと思うが12月19日神戸地裁で2回目の公判がある。
朝日新聞も取材に行ってください。
保釈請求が通るかもしれない。
高野悦子プロフィール
1949年1月2日 栃木県那須郡西那須野町(現・那須塩原市)生まれ
1967年3月 立命館大学文学部史学科入学
1969年1月 全共闘運動に参加
私の知っているのは全国全共斗結成に向け遠征隊がこの頃京都に派遣された。
数は百に満たなかったと思うがいつの間にか「700人から数千の日大全共斗が加勢のため西下してくると噂になり京都中がパニックになったという。帰りは特急で指定席だった。」と報告があったのを記憶している。
1969年1月17日、立命大全共闘により中川会館が封鎖される。彼女が講義を受けていた史学の北川教授などが辞職したり、試験が延期になったりし始めた。そしてクラスメイトからの“代々木系なのか反代々木系なのか”という眼差しを受け、やりきれない気持ちになっていく。何か行動を起こそうと思うが、どうすればよいのか分からなくなる。新聞や雑誌を読むが、いまいち分からない。この時はまだ「傍観者」であった。
1969年1月20日この日も学校で徹夜をした。早朝行われた全共闘の集会に、彼女は初めて傍観者としてではなく隊列に加わった。私は眼前のバリケードを見ながら、「闘うぞ」と思った。あのバリケードは国家権力の否定、自己のもつブルジョア性の否定のバリケードなのである。
1969年6月24日未明・鉄道自殺
http://www12.ocn.ne.jp/~chi0010/
私と同年同月生!なのだ
私の二十歳の原点はバリケードの中。
誕生日直後の祝砲代わりの催涙弾。
6月は同じく死と向かい合っていた。
他には
http://fujino.tea-nifty.com/mellow_kiss/2004/03/post_8.html
■756 12/15 19:52:06 薮 朝日新聞京都総局さん
『mysoul with your heart』つうプログがあります。
http://rollingstoneskid.cocolog-nifty.com/my_soul_with_your_heart/
立命館大方面の方かと。よろしければ、訪ねてみてください。
■755 12/15 19:07:53 管理人 しあんくれーる/二十歳の原点
下記の要請、間違いなく朝日新聞社のサーバーから発信されています。
何方か関西方面に詳しい方、お応えを。
管理人
■754 12/15 13:49:30 朝日新聞京都総局 しあんくれーる/二十歳の原点
朝日新聞京都総局です。二十歳の原点について
お調べになったホームページを拝見し、メール
致しました。
このたび、06年の新年連載で、今出川通を
中心に、京都大、同志社大、立命館大が登場
する学生街ストーリーを企画しております。
そのうちの一つとして、高野悦子さんを巡る
ストーリーを書くべく、取材しております。
当時、彼女が通っていた「シアンクレール」も
はるか以前に無くなり、当時を知る方から
お話しをうかがう機会になかなか巡り会えません。
どのようなことでも結構ですので、情報を
いただければ幸いです。
突然に勝手なお願いで申し訳ありませんが、よろしく
お願い致します。
■753 12/14 12:33:18 ラッパの大将 単ゲバの論理=徹底抗戦=勝利
文理\(^o^)/学科さんの問題提起 徹底抗戦=玉砕=敗北について
先ず、敗北の定義付けから行わないと、話が噛み合わないと思うので私の定義を述べます。
敗北には「物理的な敗北」と「精神的な敗北」が有り、「一時的」と「永久的」敗北があると思います。
バリケードを撤去された、逮捕された事は、一時的・物理的な敗北です。
しかし、真の敗北は戦うこと、活きることを諦めた時だと思います。
だとするならば、私の辞書には「敗北」の二文字は無く、常に「勝利」(を目指す)の二文字しかありません。
つまり、徹底抗戦をする。と決意をしたことは勝利への第一歩である。
国家権力と我々全共斗を比較した時、物理的に勝てるわけが無い。
しかし、少なくとも200日以上バリケードを維持できたのは勝利であると思います。
我々が存在しているのだから次は勝てる(可能性があると信じています)。
むしろ徹底抗戦=玉砕と考えて、組織を温存しようとすることの方が=敗北だと思います。
私がセクト嫌いなのはそれが組織優先であり権力志向であることです。
「組織」と言う名称を使いながら自分だけが助かれば良いと裏が見えてしまう。
観念的で返り血を浴び、肉を切らして骨を絶つ覚悟の無さ。
問題のすり替えの上手さ。この傲慢さ、官僚臭が鼻持ちなら無い。
私を「単ゲバ」と侮蔑するのはまだよい。
彼らが元気なのは「安全な」バリケードの中だけで、いざ機動隊が目の前に現れると蜘蛛の子を散らすように消えてしまう。
せめて、私より前で戦えば、理論は理解できなくとも体では納得できたのだが・・・
私には自己合理化=詭弁・抗弁にしか観えなかった・・・
勿論、いつも正面からぶつかり玉砕せよ!自爆せよ!!と言うのではない。
撤退も戦略上大事です。
バリケード自主撤去も「助かりたいから」が動機付けであるなら敗北ではないでしょうか?
臥薪嘗胆し捲土重来=再構築めざし、戦いが継続されれば負けたことにはなりませんが・・・
その後、セクトが真の強大な敵ではなく、手近で弱い相手に内ゲバに走ったのは敗北以外の何ものでもない。
全共斗運動の衰退はセクトに引きずり倒された側面がある。
しかし、「内ゲバの論理」を超える「純ゲバの論理」を展開できず、いまだ「単ゲバ」で何が悪いと開き直っている私が最も自己批判すべきだろう。
■752 12/12 22:42:49 文理\(^o^)/学科 藪さんこんばんは
安田講堂を一読されて、ああこんな人も東大全共闘にいたのか、と私は思いました。私の周辺に元東大全共闘のかたもいるのですが、島さんのような人は(日大全共闘に対しての思い入れがある)いなかったのです。
今まで東大闘争や日大闘争に関する様々な著作を読んでいますが(と言っても70年代の当事者関係者を除くと、そんなにたくさん刊行されてはいないのですが。最近のものはあほな小説もどきとか佐々淳行のような国家権力側とか、愚につかないものがあり、腹がたつ思いです)、島さんのように日大闘争を記述するのは大変な作業でしょうか。。。
天野屋さんの怒りは怒りとして、今後事実関係を踏まえて明らかにしていかなくてはならない課題です。神田の部隊が本郷三丁目まで進撃しつつも、それ以上進撃できなかった理由など、党派が69年4月沖縄闘争、6月安保闘争などに展望を描いていたことと、部隊温存路線が存在していたのか。
そして何よりも安田講堂に続くはずの2月文理学部バリケード自主撤去?と言うブラックボックスについても、当事者の証言など集めてみたいと思います。私の見解は徹底抗戦路線は玉砕路線であり、闘争継続と言う観点でバリケード自主撤去も仕方がないと言う理解でしたが、徹底抗戦=玉砕=敗北と言う絵図が正しかったのかどうか、他学部の場合はどうか、などの検証も必要でしょう。。。
■751 12/12 21:56:29 薮 文理\(^o^)/学科さんへの私信 『
安田講堂』。昨日、一昨日と二度読みました。
>おわりに
二〇〇五年十一月二十二日 あたかも日大全共闘が安田講堂前に現れた日に
島泰三さんは、よくよく日大全共闘に敬意を戴いていた方だと思います。
大状況、東大全共闘@局面史と共に日大全共闘の歴史が気合の入った筆致で書かれていますね。
いろんな全共闘本のなかで、ここまで感動的に心情を露に日大全共闘の東大への登場を記した本があったでしょうか。無いでしょう、たぶんきっと、おそらく。
ものすげえシンパシーをもっていらっしゃったのでしょう。部外者ながら強く思いました。
ちょっとビックリしたのは氏が『アイアイ』のひとだったことです。
ア〜イアイ♪ア〜イアイ♪おサルさぁ〜んだよ♪アイ!アイ!、アイ!アイ!南の島ぁ〜の〜♪
のアイアイです。子供等が小さい頃、よくいっしょにお風呂の中で、買い物の途上で。
わたし『なぞのサル アイアイ』をもってますもの。とおちゃんは子の疑問には答えてやらんといけなかったので。あービックリしたです(笑)
文理\(^o^)/学科さん
天野屋大兄は怒りすぎですよね。島氏は講堂の中に篭っているのに、本郷・神田の状況なんか分かるわけが無い。どっかの後ずけ記録からの書き取りや、誰かからの印象情報で書いたのでしょう。某BBSに顔を出していたら天野屋大兄の怒りを買う事も無かったのに、と^_^;
ここらは仕方が無いことではないかと、想ってます。
それにつけても芸闘委の出ずっぱりはラッパの大将さんの苦笑いが浮かびます。それほど印象がつよかったのでしょうか(笑)文理\(^o^)/学科さん。本当によい本をご紹介していただき、ありがとうございました。
PS:
天野屋大兄には、くれぐれもナイショにしておいてください。怖いので。
藪 拝
■750 12/11 12:57:58 志田糺 ケンカ道
安田講堂の攻防戦の実態が、少しわかってきた。
日大全共闘内部の不一致の様子も見えた。
権力が日大全共闘の東大への進撃を阻む攻略に出た事実記述も多い。
これは、権力側の弱腰だが、権力が安田講堂に活動家を誘い込もうとした事実記述
も多い。
歴史は、どのような目論見があっても、1つしか選択しない。権力の戦術が功
を奏し、全国、学園闘争のみならず、労働運動、農民運動までも、一網打尽、現在
の秩序を築く基礎を築いたのも事実だ。
小泉が横須賀に君臨するのも、横須賀原潜闘争の敗北の結果である。
残念ながら、突撃戦は、横須賀も、佐世保も、アメリカ大使館、イギリス大使館、
国家会突入、三里塚、数えれば、切りが無い。
その中で、60年6.15国会突入、60年三池闘争、68年三里塚公団、68年
日大闘争等は、その後の大闘争を見事切り開いた。
68年日大闘争は、神田解放区を構築しつつあった。
東大もまた、その一角であるとの認識を得たならば、進撃は、完全な勝利を得ただろう。
残念ながら、その認識は無い。
東大は、国会に代わる小さな権力のシンボルとして、
東大を解体するのではなく、帝国主義に牛耳られた東大を解体するのだと。
神田には、共産党を始めとして、まだまだ、反動分子も多くいたが、日大では、
彼等もまた、日大全共闘メンバーである。
東大を支える、日本共産党イデオロギー民青を打倒することと、東大解体とが
一致するなどという認識も無かった。
日大全共闘、神田解放区としての東大進撃は正しい。
たとえ、数千人の逮捕者が出ようとも、それは、必然で、かつ、それを支える
神田解放区があった。
しかし、その認識は無かった。
そのコンセンサスも無かった。
一部、感性豊かな全共闘は東大に進撃した。
東大・日大の連帯を信じて。
退却というデマゴギーでその進路は残念であるが、阻まれた。
神田では、陣地戦が始まっていた。
数千の機動隊ならば、駆逐できたと思う。
しかし、東大包囲の全機動隊が、神田を制圧することで、ようやく神田の火は消えた。
その後、1年以上、神田での戦いには、白山通り、明大どおり、本郷通りを完全封鎖
する、権力側の戦術が敷かれた。
それに呼応するように、神田の大学学内では、党派が息を吹き返し、無党派への管理
を強くした。東大闘争を錦の御旗に、党派は、無党派を論破し、暴圧した。無党派は、
学内に、2つの敵、学外に警察という3つの敵との戦いを強いられた。
日大では、党派というよりは、体育会であったが。
日大闘争は、どこかに吹っ飛んだ。
無くなったのではなく、敵だらけの中で、ゲリラ戦を強いられた。
それは、つい最近までの戦いである。
ラッパの大将のケンカ道を語る予定が、吹っ飛んだ。
ケンカ道にもルールがある。
目を射る瞬間は、勝負が決まる。
相手はすくすくと引き上げる。
先手を打つ方が勝つとは限らない。
速さがいつも勝つ。
速さだけで勝つのは、まだ、スポーツである。
戦争は、陣地戦である。
陣地を死守できれば、勝てる。
近代戦は、陣地戦も古い。
情報戦だ。
情報発信源の多さが勝利をもたらす。
■749 12/11 20:53:18 ラッパの大将 1・18 甦りつつある記憶
文理\(^o^)/学科さんのお陰で掲示板が活性化した。
これも藪さんが指摘したように掲示板があってこその盛り上がりだ。
管理人に感謝すると共に同士諸君!更なる書き込みを願う。
あの1968−69、日大全共斗が戦いを切り開いたように!
我々にとって『9・30』、『11・22』、そして『1・18』は特別な日だ。
9・30 日大闘争は両国講堂で歴史的大勝利を収めた。
これにより全国大学・高校をはじめ労働者も立ち上がる。
1・18 東大安田講堂は機動隊により圧殺された。
これ以降バリケード封鎖が解除されロックアウトされる。
安田講堂をまだ読んでない方は、 http://plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200511290000
それにしても、皆さん記憶力が素晴らしい。
志田糺さんのレポートで神田解放区の様子が分かってきた。
天野屋さんと共に、私は御茶ノ水解放区だった。と思う。
当日、江古田を出て、御茶ノ水駅から理工に合流した?
前に日から泊り込んでいたのか?18日の夜は何所で寝たのか? (早くも???だ)
記憶にあるのは広い都電通り、前方が下り坂になっている。その先に機動隊の影。
右側のガソリンスタンドのドラム缶を拝借して道の真ん中に置く。
機動隊が攻め上がってきたら、坂を利用してドラムを転がし、粉砕する。つもりだったが、待てど来ない。
「死者よ・・・」を巻き戻し確認する。
(おそらく開放区を造り次の行動まで待機中)で救対の「金太郎」との会話で、トンでもない事を発見。(49分頃)
「つかまらないでよ」「差し入れ頼む」という他愛の無い話だが、「議長が演説していたとき眠ってしまい、起きたときはテイダン(艇団)分けが終わってしまっていた」!!!
「馬鹿やろー、なぜ安田講堂突入を提案しなかったのだ」37年前を叱り飛ばす。
彼のために弁護するが、何時も口を開けば「徹底抗戦あるのみ」。
それに対し、セクトの諸君から「非科学的だ」「ナンセンス」「冒険主義だ」「これからは組織の時代、個人の時代は終わった」
そして「単ゲバ」の烙印。
悔しいので「単ゲバから純ゲバ」を模索するが、「単ゲバで結構、やれば良い」などと女学生に論破される。(21分頃)
おそらく作戦会議でいくら言っても多勢に無勢。 諦めて、「男は黙ってゲバルト、1発ーっ!」
島さんと文理\(^o^)/学科さんにお断り。
「旗を持つ」という会話も出てきているので芸斗委の黒旗は持って来ていた。私が持った記憶が無いだけです。
何度でも言うが、「いかなる犠牲を払ってでも安田講堂に突撃せよ!」
喧嘩は目を離したほうが負け、ぶれたほうが負け、ましてや天王山の戦いだ。
トカゲの尻尾きりだったかもしれないが、切られた尻尾が主体性だった!!
戦いは常に人民の中にあり、決して一部の指導者?によるものではない。
指導者を乗り越える戦いであって始めて勝利できるのだ。
指導者だった?セクトは内ゲバでショーモーした。
全共斗は住民運動として根付いた。
さて戦う同志諸君! 最後の一花を咲かせよう!!
■748 12/09 23:12:42 薮 ラッパの大将さんへ
はい、ラッパの大将さん。東大全共闘のHPの一章を待ちます。
国鉄闘争団を支援してる方から聞いた言葉があります。
「権力は待っている。記憶や当該の生命が失われる日を」
闘争団は個々の戦線を整え、姑息な「あらゆる権力」に抗し
闘っています。記憶や当該の命が失われる前に!
「東大闘争アーカイブ」
なにが悲しゅうて国会図書館に。これは淋しいです。
『日大闘争アーカイブ』が始まるならば、少しの額しかだせませんが、
私が続けられる限りカンパしたいなぁと想ってしまいました。
いつも感じます。ラッパの大将さんのお言葉は誰にもいつも優しいですね。
お連れあい様に、愛されている証でしょうか(^^)
■747 12/09 23:07:28 文理\(^o^)/学科 ラッパの大将さん今晩は
私もラッパさんの意見に賛成です。おそらく島さんの著作の参考資料に間違いがあり、ここでの天野屋さんの記憶が正しいのではないでしょうか。
私個人は1月17日までに東大にいました。その日の夕方明大の学館に行きました。どこかで足を挫いた記憶があり、自家用車を止めバリケードにしたのを手伝い、18日、19日は御茶ノ水駅周辺と学館にいました。医科歯科大方面に機動隊が見えるのです。ちなみにガス銃の水平撃ちはしていたように思えますが、何故か機動隊は御茶ノ水駅周辺まで突入してきませんでした(おそらく18日の記憶です)。
19日の午後から神田白山通りの飯屋で、安田講堂の攻防戦の終わりをテレビで見ていました。明大の学館から飯屋に行き、言葉で言えない無念な気持ちでテレビを見ていました。。。。その後アジトに帰りました。。。。
■746 12/09 21:40:17 エデンの東 徳田球一
1962〜1967年迄日大の文理にいた方が職場に来たので話を聞いた。
「社研にいたので、メーデーにも参加をしたが、赤い旗でないとイカンのに日大の旗のピンクには閉口をした。でも愛校精神があったからやめろと言えなかった。なにしろ規模の大きい大学だから、アカだっていて100人ぐらいの隊列だった。下高井戸の廻りではレポを置いてストッキングに入れた糊を電柱にひとはけ塗ってビラを貼ったものだ。お巡りと当局暴力団の介入に備えながら活動をしていた。
東大、いや共産党だって徳球こと徳田球一委員長は日大夜間だよ。東大はその後だろう。自分の人生を変えた日大での生活の事はこだわりで持っているよ。」
■745 12/09 19:27:21 志田糺 ラッパの大将殿
「そんなことよりも、現場の指揮官の一人として、連帯を表明した同志として安田講堂に
たどり着けなかったのが痛恨の極みなのだ。」
この悔しさを多くの人々が語る。
素晴らしい一言だ。
安田講堂を巡るドロドロの情報よりも、この一言に真実がある。
神田しか知らない私は、御茶の水橋を渡ったデモ隊が、押し返されたのを見て、
戦いの流れが変わったのを知った。最初は、反撃が功を奏した。
確か、これは、小部隊の移動である。
中大、日大の校舎からの石の礫は見事だった。
警官は、右往左往し、何回も、何回も中学館へ向けての進撃を図り、失敗した。
解放区が出来上がった。
これは、中大学館前の攻防だ。
そのうち、解放区は、中大学館前の細い路地から、どんどん大通りに広がった。
催涙弾の水平撃ちも、最初は効果があっても、次の瞬間には、群集が学習していた。
ジュラルミンで囲った、警官隊の中に、催涙弾が投げ返された。
警官は退却を重ねた。
その後、安田を包囲した、警官が一斉に神田を目指した。
やがて、大通りには、警官の群ができて、群集の帰宅が始まり、静かになった。
それは何時間の攻防だろう。
その後、お堀に飛び込んで逃げたもの、神田カルチェラタンの夜は、厳しかった。
神田カルチェラタンは、神田全体の学生が参加することとなった。
日大も、中大も、明大も、法大も、専大も、電大も、その一体感は、神田を解放する
エネルギーである。
中大学館、明治学館、理工1、6、4号館、その後の戦いを引き継いだ。
それは、神田学生街を、警官が踏みにじることへの学生の反抗だった。
東大・日大闘争といいながらも、実は、そこには、この戦いを底辺から支えた、
神田の、名もなき、沢山の一般学生がいた。
芸術での闘いが、砦戦を免れたのは、日大11学部に広がった、バリケード封鎖の賜物だ。
11学部からの支援体制は、6月以来の攻防戦で、獲得した日大全共闘の知恵である。
それぞれは、自らの学部で戦い、他学部支援の必要を感じてきた。
安田講堂攻防戦を戦った、全国の大学活動家の逮捕は辛かった。
本来ならば、燎原のごとく、広がった、地方の大学での戦いも、実は、安田講堂
攻防線を機に、矛先が緩んだ。
散発的に、全国にミニ安田講堂が生まれた。
幸いにも、日大では、ミニ安田はなかった。
■744 12/09 12:53:39 ラッパの大将 1・19
東大斗争に勝利するぞー!日大斗争に勝利するゾー!!最後の最後まで闘うぞーーー!!! 天野屋さんへ
>島氏の記述は集会の時間も、敵方の数、機動隊の所属も違う。
島氏は安田講堂に篭城していたのだから、どこかの資料で調べたので正確ではないでしょう。
天野屋さんの記憶が正しいと思います。農斗委の果敢な戦が緒戦で、私はその後の出撃だったと思う。
残念ながら・・・私の記憶は・・・飛んでいる。
どれだけ投石をしたのか? 催涙弾を何発投げ返したのか? 何人ぶん殴ったのか? 覚えていない。
煙を吐きながら顔面めがけ飛んでくる催涙弾。連帯を阻むジュラルミンの盾。
その中で、一歩でも前に、1メートルでも安田講堂に近づきたい。それだけだった。
私が反応しているのは島氏が
>全共闘側に立ってみたときに実に残念だと思うのは、この日の総決起集会が正午すぎに始まるというその遅さである。もしも、機動隊の封鎖解除と同時に外の青年たちも動きだすほどの目的意識があれば、機動隊はほんとうに二正面作戦を強いられることになっただろう。
と提起していることだ。
11.8 関東軍に急襲された時、「夜明けまで頑張ろう。必ず同志の応援が来る!」そのことだけを信じ戦った。
私は勇猛果敢な全共斗の同志諸君に助けられた。
しかし、私は安田講堂にたどり着けなかった。だから、救出できなかったのは残念なのだ。
戦力的に機動隊を粉砕できたと思う。
作戦ミス?あるいは70年安保のための捨石?セクトの思惑?があったのか?
そんなことよりも、現場の指揮官の一人として、連帯を表明した同志として安田講堂にたどり着けなかったのが痛恨の極みなのだ。
「本郷学生隊長」が復活した! 東大全共闘が復活する。それが嬉しいのだ。
■743 12/09 12:46:05 ラッパの大将 1・18
東大斗争に勝利するぞー!日大斗争に勝利するゾー!!我々は闘うぞー 薮さんへ
>東大全共闘のHPは一個もないのはなんでだろ。
「はじめに」で島氏が触れているが、
>>この事件について語ることは一種のタブーとされている。そこには、重い意味がある。強い抑圧がある。これほど強く抑圧される出来事には、人間性の深い本質が隠されている。>>
全共斗運動は自己否定の闘争でも有った。
だから、自己否定し、バリケードの中で自己肯定する途中で国家権力に物理的に・暴力的に圧殺された時、何が残ったのだろう?
覚悟の上といいながら別荘暮らしはきついです。
縄手錠で引き回された公判で、「母親の名前が違う!」と抗議しても、20センチ以上積み上げられた証拠資料の中から写真を見せられ「ピントが甘い、手ぶれしている、アングルが悪い」と写真技術論を展開し、裁判長の目を剥かせても、強靭な精神力と肉体が武器の単ゲバでも、ズッシリと重みがかかり自分の重さに耐え切れなくなります。
闘った、うわべだけでなく、死んでも良いと想い闘った、自分自身と戦い抜いた、同志諸君は立ち上がることさえ出来なかっただろう。
そこにはボロボロになった肉体が残像のように横たわっているだけ。
私は「それ」を処理する為、北海道を彷徨った。・・・・・・・・・
・ ・・・・・・30年が過ぎ、時代の風が私を呼び覚ます。
・ 狼たちの遠吠えが聞こえる。
大丈夫。東大全共闘のHPは近々立ち上がるでしょう。 AKIKOさんのプログもあるし。
日大のビジュカル(映像と感覚的・先鋭的)、東大のロジカル(論理的・根源的問いかけ)の違いは有っても。
かつて両極にありながら11・22歴史的な合流がなされたように。
■742 12/09 01:16:39 天野屋 (無題)
1.18、島氏の記述は集会の時間も、敵方の数、機動隊の所属も違う。
≫機動隊の総力をあげた東大構内の封鎖解除が進められている間に、青年たちは神田に集合した。十二時十五分、中央大学生会館前で全都学生総決起集会が開かれた。二千人の青年たちが集まり、ただちに東大へ向けて押し出し、午後一時十五分には国電御茶ノ水駅付近で機動隊と衝突した。この機動隊は、八機までの警視庁機動隊とは別に動員されていた神田方面本部の機動隊(百九十二人)だった。
第一波、午前9時か10時ごろだろう。日大駿河台病院と日大歯学部の間のT字路から機動隊が侵入して来た。集会場から出てきた直後でした。坂の上からゆっくりと進撃してきた。あわてて敷石を剥がす。一枚目が剥がれると、後は早かった。瞬時に投石の嵐。中には割らずに、大上段に掲げ突撃した猛者も居た。1分ほどで、撃破。(一枚目を剥がした本人の証言)
敵の数。第一波への迎撃開始の時点で、理工1号館中ほどから坂の上まで敵はあふれていた。後続もまだまだ居た様子。第二波派YWCA方面からも侵入して来た。とても200未満どころではない。背後からの襲撃が無かったので、さほど数は多くはなかったろう。
所属。
捕まえた機動隊員を武装解除した。脱がした上着に黄色い刺繍。「福島県警本部」を目認。闘いつかれ路上に寝ていた機動隊員の胸にも、同じ刺繍があった。
■741 12/08 23:14:21 薮 「安田講堂」
仕事帰りに買ってきました。ぼちぼち読んでます。
それなりに気合が入ってる本だと想いますが^_^;
つくづく想うのですが、日大全共闘の皆さんがHPを開設されなかったら
なにも生まれなかったのですね。様々な会話が。>生意気を失礼しますm(__)m
ここでひとつ疑問。東大全共闘のHPはいっこもないのはなんでだろ。
先日、飲み屋でしばらくぶりで元京大全共闘の方と会いました。
昔々からの付き合いです。詳しくは書きません、ごめんなさい(^^ゞ
で、日大全共闘の京都登場の話を聞きました。
「興奮の一言につきるよ、おまえ。理屈じゃねえんだ。日大全共闘だぞ」
■740 12/08 17:25:08 ラッパの大将 ムービー再生
「時の過ぎ去るがごとく」 を観る為に、 Quick Time Player を入れているがファイルをクリックするだけでは再生しなかった。
ファイルをQuick Timeで指定して開けば再生できた。
保存したファイル名がMP4であればそのまま再生できる。
■739 12/08 12:16:25 天野屋 (無題) 管理人殿
お手数かけます。
クリスマスイブには時空を超えた農斗委、とりあえず3名出席の予定です。+1。
■738 12/08 09:29:57 理工OB 韓国ぶろぐ
韓国のブログに管制塔が紹介されていると管制塔サイトに紹介がありました。
OCNの翻訳サービスですので少し変な訳もありますが・・・
正義は私たちの便だ"
1978年 3月 26日, 工事を終えて開港を目の前に置いている日本成田新国際空港管制塔が占拠される初乳の事態が発生した. 千名余のデモ隊が空港入口で警備(経費)警察と代置しながら注意をひくうちに地下道で空港管制塔にしのび込んだ先鋒隊が管制塔を占拠して座り込みを始めたのだ.
座り込み者たちは管制塔上に “反対同盟”の旗を掲げた. 10年以上続いて来た空港建設反対闘いで一番劇的な瞬間だった.
* 正式名称は “サンリズカシバヤマヨンハブゴングハングバンデドングメング三里塚芝山連合空港反対同盟”
日本現代史で除くことができない事件な “サンリズカ闘い” 銀 60年代初盤日本政府が東京の羽田空港では未来の航空数鼠を手におえることができないという判断で新空港建設を構想しながら始まった.
当時日本政府はコンコードみたいな音速旅客機が常用化されるはずと信じて大型滑走路を建設することができる敷地を東京周辺で探した. しかし立地選定は難航を経ったし結局
66年 6月千葉県のサンリズカで決めて土地収容に出た.
しかし選定地域の農民たちは空港建設に反発, 土地収容を拒否した. もう立地選定過程で多くの時間をむだ使いした政府は計画敷地の半分位だけ確保した状態で急いで工事を始めた.
そして農民たちの反発は公権力で撫摩させようと思った.
ここに地域農民たちは “サンリズカバンデドングメング”を結成して抵抗を始めた. 以後サンリズカ闘いは新左翼学生, レーバーユニオン,
市民団体, 知識人が農民を支援しながら政府と市民社会の対決になった. 工事はまるで戦争を経験するように進行されて初シャベルを汲んでから
10年がずっと去る 78年に行ってやっと開港ができるようになった.
しかし 3月 26日, 主に学生で成り立った先鋒隊が管制塔を占拠して官制施設を破壊しながら開港は延期されるしかなかった. 虚を突かれた政府は警察力を総掛かりして管制塔を奪い返した.
警察ヘリが管制塔を攻撃する場面を TVを通じて見た日本市民たちは誰も 10年前ゾンゴングトの東京大学ヤスダガングダング座り込みを思い浮かんだ.
占拠当時管制塔姿
警察は 160人を逮捕したしこの中 17人が主動に指目されて兄さん(型)を住んだ. しかし暴力行為に対する処罰と別に空港公団(科国土交通性)の損害賠償訴訟が進行されたし去る
95年 16人(1人は玉の中で自殺)に対して 4千4百万円の賠償決定が確定された.
16人の被告人団は不当な決定なら賠償を拒否した. 官制塔寺でも以後にもサンリズカ闘いは続いたし成田空港の最後の滑走路工事は 21世紀に入ってからこそやっと完了いい.
また確定判決が出た 95年村山当時日本総理は成田空港建設と係わった政府の過ちを公式誤りした.
成田は紆余曲折あげく完成したりしたが東京でとても遠くて, 設計が間違って失敗した国際空港で判明された. むしろ国内用に改編された羽田空港がまた国際線をふやしている都合だ.
こんな状況の中で被告人団が賠償を支払うことはサンリズカ闘いが誤ったのだと自ら認める体たらくなので当然賠償を拒否した. 出すつもりもしなかったが今としても高額である
4千4百万円を用意することもできなかった.
確定判決から 10年が去る今年初国土交通性は延滞料と利子を加えて “1億3百万には”で増した賠賞金の強制執行に出た. 16人の被告人団を対象で住宅を差し押えして給与を仮押留した.
政府が給与を差し押えすると会社から辞職を強要受けた人々ができた. 急に会社で追い出されて家族たちは距離(通り)で追い出されるようになったのだ.
初めて助けの手助けを伸ばしたことは過去にサンリズカで一緒に争った同志らだ. 70~80年代日本大学でサンリズカ闘いに連帯することは韓国大学生のノングファルと似ていて多くの学生たちがサンリズカを経て行った.
このようにサンリズカの記憶を胸の中に解くことはまだ生きて行っている昔の仲間たちに訴えて十匙一飯でも一緒に問題を解決して行く事にした.
"正義は私たちの便だ"という名前で連帯サイトが立てられて, インターネットを通じて政府の不当さと過度, そしてサンリズカ闘いのオルバラッウムを立証しようという訴えが広がって行った.
モグザン, ティーシャツ, 闘い記録を盛った DVDなどを売ってお金を溜めたり地域巡回集会を開いて募金をしたりした.
地域巡回募金集会に展示された当時闘い物品
上は管制塔を占拠した先鋒隊の奇抜
下はサンリズカ反対同盟に参加した新左翼政派たちのヘルメット
もっぱら左側から第4インタ, 公算小銭気波, プロ青銅の順序で
この 3組職が管制塔占拠を主導した.
初めには被告人団までも半ば信じ半ば疑ったが案外多いお金が集まった. 連帯サイトには毎日募金額総額が更新された. どの瞬間からは “過去の戦死”たちを飛び越えて一般市民にまで募金が拡がった.
サンリズカが何なのかよく分からない 30代以下の市民たちも多かった.
そうして募金を始めてから4ヶ月ぶりに賠賞金 1億3百円を飛び越える 104,019,993円が集まった. 不可能だと見えた事が現実になったのだ.
被告人団と支援団は 11月 11日国土交通性に現金を持って行って賠賞金を支払った. 国土交通性は職員たちを動員して紙幤をいちいち数えて見なければならなかった.
27年前サンリズカ農民を解放させるために争って国家の虜になった 16人の戦死たちが政府の借金から ‘解放’になる瞬間だった. ニュースでこの光景が報道されたし
NHKは関連プログラムを編成して事件を再照明した.
11日賠賞金納付後開かれた勝利報告集会.
ひとときの革命青年たちはもう斑白の中年になった.
この日報告大会では過去の記憶を思い浮かんで
涙を見せる参加者達が多かったと言う.
ただ, 政派を飛び越えて昔の活動家たちを
また閨閤して団結させたことが運動内部の動力ではなく
‘国家の弾圧’だったという事実はちょっと皮肉としか言いようがない.
1億円(私たちお金で 10億ウォン)というお金は, 今日の日本はサンリズカが忘れて闘いという単語が似合わない社会になったが 20年以上サンリズカ農民たちと一緒に争った人々まで世の中で消えたことではないということを確認させてくれた.
今度募金は日本あちこちに散在している彼らの存在をお互いに確認するきっかけになった. 運動と関連がない一般市民たちも “国家が不当だ”,
“信念を守る姿に感動した”と言う理由で募金に同参したということは日本市民社会が持つ底力を見せてくれたことでもある.
私たちはよく日本の民衆運動, 市民運動を私たちよりできないと言うがこんな底力を見ればそんなに易しく捐下することはできない. 組合員たちのために争ったレーバーユニオン幹部が会社と政府の損賠訴訟で困境に処してもこれをそっぽを向く組合員たちや,
民主労総が組職次元で不正規基金 50億ウォンを決意してからもまともに集めることができない私たちの姿と見ず知らずの管制塔被告人団のために募金に応じた日本市民たちの姿を比べて見ればもっとそうだ.
また今度募金は被告人団が法的な団扇を解決したという成果を過ぎて ‘サンリズカ’ 闘いを再照明してこれを宝くじさせたという点でも意義がある.
成田空港は利用者の外面を受ける誤った政策でもあったが, それがいくら政府の方針で共益のためのものと言っても公権力が市民個人の意思を強制で押えつけながら強行することは誤ったのであり,
そのように傷を残しながら強行された政策は長期的に見る時結局国家と市民社会皆に否定的な結果のみを残すということをサンリズカ闘いは見せてくれた.
最終募金額 1億4百万円はその貴い教訓をまた思い起してくれている.
(2005. 11. 24 by ソックワン)
by ソックワン | 2005-11-23 23:48 | -miscellany | 関連文( 1 ) | ドッグル( 4 )
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Tracked from Justice is O.. at 2005-12-06 11:47
題目 : きじレンクン′ダックベット堅休み口ツァックグルトンアックィル
11ルング騫ムォヨブスェムぱんと??Θ′つけるΛε【?白さ友。ダックベッBLOG http://soundz.egloos.com/口ツァックグルトンアックィルファンルッ。トットブ???レンクンチァッ′......
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Commented by ゾナス at 2005-11-24 08:52
あ.. こんな事がありましたよね.... 成田空港話はざっと一切れずつ拾って持ったことがあったんですが..
正義は私たちの側にある... 涙が出ます...
Commented by ソックワン at 2005-11-24 23:07
私も最後の勝利報告大会で被告人団たちの発言を移しておいた文を読んで涙少し流しました.
Commented by ソックワン at 2005-12-07 08:30
昨日今日のブルログ接続者数が増えて何の事かしたらこのポストが日本に紹介されて日本での接続が増加したのでした.
Commented by TOCHIROU at 2005-12-07 12:14 x
■737 12/08 05:15:59 天野屋 (無題)
その八
安田講堂攻防 街頭の闘い
この文章、時間も機動隊も、ずいぶん違います。
つずきは、本日夕方。
■736 12/08 00:36:33 ラッパの大将 安田講堂
1968年、腹の底からの怒りで雄叫びを上げ、一年に渡り怒涛のように疾走してから、早40年が来ようとしている。
全共斗の闘士達は挫折し、多くのものを失い、重荷を背負い沈黙を続けてきた。
それでも、日大全共斗は十年ほど前から少しずつ語り始めた。
掲示板の書き込みから広がりを見せ、今年の930同窓会は例年に無い賑わいをみせた。
その中で、島氏が人間性の深い本質や闘争を解き明かす為「安田講堂」を出版した。
安田講堂の中から東大全共斗の肉声である。私は率直にエールを送りたい。「異義なーーーーーし!!」と
しかし、島氏の感性は私に近い!
帯に入っている道浦母都子「無援の抒情」は先日書き込んだばかりだ!
嬉しいやら驚きやらで、文理\(^o^)/学科さんじゃないが「東大全共闘に単ゲバ派がいた?!」
まだ斜め読みしかしてないが、今年の同窓会で天野屋さんが体を張って問題提起したことに触れている。
長くなるが全文を引用する。
その八 安田講堂攻防 街頭の闘い
機動隊の総力をあげた東大構内の封鎖解除が進められている間に、青年たちは神田に集合した。十二時十五分、中央大学生会館前で全都学生総決起集会が開かれた。二千人の青年たちが集まり、ただちに東大へ向けて押し出し、午後一時十五分には国電御茶ノ水駅付近で機動隊と衝突した。この機動隊は、八機までの警視庁機動隊とは別に動員されていた神田方面本部の機動隊(百九十二人)だった。
全共闘側に立ってみたときに実に残念だと思うのは、この日の総決起集会が正午すぎに始まるというその遅さである。もしも、機動隊の封鎖解除と同時に外の青年たちも動きだすほどの目的意識があれば、機動隊はほんとうに二正面作戦を強いられることになっただろう。
この全共闘側の出遅れのために、東大構内での封鎖解除を終えた機動隊がつぎつぎと神田、お茶の水の街頭へ転進して、青年たちのデモを抑えることができた。青年たちの行動は集まっているから何かができる群衆行動にすぎず、これをゲリラとして小部隊に分けて、各駅、各方面から東大構内に攻め上るという戦術はまったく使われなかった。青年たちはあくまで学生として闘っていた。それが、生死をかけた局面とは言っても、青年たちの限界だった。
午後二時すぎ、デモ隊は湯島交番、お茶の水交番を占拠し、機動隊と一進一退の攻防を繰り返し、夜八時すぎには本郷三丁目近くまで達した。しかし、それがデモ隊の最大到達点で、東大構内に入ることさえできず、午後九時には解散した。
歴史にもしもは無いが「責任者出て来―――い!」
■735 12/07 22:21:09 文理\(^o^)/学科 志田さん今晩は
志田さん今晩は
いろいろとあの時代の闘争について、受け止め方での違いはあってしかるべきです。個々人の主体性により決起したのですから、それそれで受け止め方の違いを問題にすること自体あまり生産的ではないことは、私的に踏まえているつもりです。
>日大全共闘が、敗北していく前夜の記録ですが、果たして、ここに、現在に繋がる危機を、日大全共闘以外に感じた人々は、幾人いたのでしょうか。島著作は、そのことを論じてくれているのでしょうか。
これについても島さんは論じていますが、その論の展開が不十分とかの感じはあると思います。しかし、今日あの闘争を語る人が出始めた、と言うことの意義はあると思うのです。ここで島さんの本を読んで、東大全共闘単ゲバ派とでも言うのか島と言う人の心の奥底で、人間としての尊厳を基調とする感性と言うものに感動している私と、本を読まないで日大闘争の意義を抽出し、シニカルに対応されている志田さんと議論をこれ以上しても生産的ではないと思います。
ただし日大闘争のアーカイブが一大事業となるでしょう。文理学部だけでも膨大なものでしょうか。でも当時のビラなどどこに行けば残っているのか。誰かが昔の本に挟んでいるのをどうやって探し、集成するのか考えてみただけでも気が遠くなる作業です。
■734 12/07 12:59:31 志田糺 文理\(^o^)/学科殿
こんにちは。
事情で、左手中指1本だけ、勤務時間ではありますが。
細切れの時間だけは取れます。
ということで、一言。
私の表現の拙さは、理工OB、ラッパも大将とベクトルは同じですので、洞察願いたい。
「せっかくの志田さんのご指摘ですが、このような指摘される文脈は本書では読めません。」
私は、本に接していないし、接すると、相当の批判となるだろうなと思いながら、
文理\(^o^)/学科殿の文章をみています。
島さん、山本さんが、どうのではないのです。
東大生としての最大限の闘い、戦いと表現を感服すれども、非難はしていないです。
私が、示したいのは、認識の限界、表現の限界です。
私は、ロビンを含め、多くの篭城者、その後の理工闘争委などの支援部隊の話を聞き、
その状況を見た立場で、歴史には、経験したものしか、表現できないものであると
思っています。逆に、その経験がトラウマとなり、その経験を語れなくなる人々も多い。
日大全共闘10万の学生が、日大闘争を共通に語り合えるためには、まず、日大闘争
の勝利を示し、それでも、いろいろあったということではないでしょうか。
ましてや、マスメディアと同じスタイルで、篭城戦と反撃戦を同じレベルで、記述
すると、佐々も島さんも同じに見えてくるのです。実際に、心情は別にしても、
客観的には、同じ立場、視点にあるとみなすべきです。
老婆心ですが、反撃には、数十倍の戦力が必要です。
「山本さんは東大闘争の資料の(膨大な量ですが)アーカイブ化されていたことを
島さんの著作から知りました。また、島さんはこのアーカイブを元に著作されたのです。」
「アーカイブ」という学術作業を行うとすれば、日大闘争では、東大闘争の100倍以上の
努力が必要です。この苦行を日大全共闘OBが決意したということは、素晴らしいことです。
是非、完成させたい、完成して欲しいという気持ちは、私にあります。それでも、この事業
1つ取利上げても、日大闘争の大きさ、本質を知って、日大闘争を語ってくれる人を期待し
ています。失礼ですが、文理\(^o^)/学科殿の島著作の引用では、これが、伝わってこな
いのです。
できれば確かめたいとする要求は文理\(^o^)/学科殿に失礼です。実は、私たちには、
色々の本を読んで確かめるほど、そんなに沢山の時間は与えられていないのではないで
しょうか。できれば、同志の理解で良しとしたい。
「東大闘争と日大闘争の連帯の意味」は、まだ、私には、理解できていません。それを著作で
理解させる本が素晴らしいのか、それを引用する読者が間違っているのか。どちらかです。
連帯の必要性は、戦いの中で必然的に要請されるものです。日大・東大連帯で、あれほど、
日大全共闘内部で煩悶したか、これは、連帯という美名の裏にか隠れた鬼がいるのではと私は
考えています。
「なるほど東大生の中には日大闘争を客観的に見ていた人もいたでしょう。そう言う人がいる
からと言って、島さんとの間にあえて一線を画すのもある意味で日大モンロー主義ではないで
しょうか。」
客観主義といえば、日大でもそのような輩がいた。例えば教職員とか。それでも日大全共闘は、
日大全共闘とその他敵対するものとに識別し、日大全共闘10万人を組織した。モンロー主義
でもなく、日大全共闘は、自らの学内の戦いでは、連帯を必要としなかった。これが、国家
権力との戦いであるという認識に、日大全共闘が、例えば、認識しえたとしても、果たして、
どのように1億人の人々を組織し得るだろうか。という課題が当然あった。それが、日大・
東大連帯という矮小化に走ったとすれば、間違いであると私は考えている。
「東大闘争の内側の人間の決起がなんと言いますか根本で日大闘争の決起と通底して
いるのです。無論東大闘争は医学部の不正処分に端を発しましたが、その意味では日
大闘争との違いはあるのです。しかし、闘いの決起する動機は個々人で違いはあれ大
きな意味で共通していることを再認識しました。」
戦いの具体的な契機は違えども、人々の決起は、同じ心です。しかし、宿命的にも、
その人の立場は、権力(エスタブリッシュメント)によって、がんじがらめであり、
その効果・影響については、予測することが難しい。日大10万学生は、その効果を
充分発揮できたと思う。それでは、東大全共闘は、その効果・影響を充分発揮でき
たであろうか。私は、否定的ですが、島さんはそのことを書いてくれたのでしょうか。
「島さんの日大闘争に対する思いは過剰ともいえるのですが、こんな風に日大闘争を
受け止めていたのかと思わず涙が出ます。日大理工学部1号館に潜行していた山本さんと
秋田さんのエピソードも出ます。」
日大全共闘を過剰評価、過小評価様々な著作があるようです。最近、山本義孝の「知性の
叛乱」を読みました。違和感がありますが、立派な本です。そこに、秋田、佐久間、山本、
最首の反大学を課題とした対談があります。当時、4者の意識のズレが明確です。東大
安田講堂決戦の直後の対談ですが、秋田は日大全共闘の代表、佐久間は理工学部闘争委員会
委員長です。日大全共闘が、敗北していく前夜の記録ですが、果たして、ここに、現在に
繋がる危機を、日大全共闘以外に感じた人々は、幾人いたのでしょうか。島著作は、
そのことを論じてくれているのでしょうか。
■733 12/07 07:04:36 理工OB 援軍
>このことも本に書かれています。何でも電車の中で右翼のレポに注意を払い、電車の床に腹ばいで江古田まで援軍に来たとか。。。。
私も馳せ参じましたよ。
電車の中では這いつくばっていませんよ(始発でガラガラでしたが)、話し合うもの、黙々と寝ているもの色々いましたが。
理工からは泊っていた三上治氏が中央線で新宿まで一緒でした。
頑張れよなって、新宿で彼は下車しましたが。
理工の空になったバリに残るのはヤバイと思ったんでしょうかね?(笑い。
もっとも私は江古田の駅から芸術までの駆け足はビビリぱなっしでしたで、門に着いた時は何故か隊列後方に(笑い。
■732 12/06 22:42:44 ラッパの大将 島泰三
どう評価するか
http://money4.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1133431224/l50
■731 12/06 22:45:03 ラッパの大将 文理\(^o^)/学科 さん今晩は
ネット販売ですか。もう少し大きな本屋に行ってみます。
>何故か芸術学部のことが多い
多分下記の映像資料を見たのでしょう。
日大全共斗の記録(13.5時間)の内「日大闘争(56分)」「続日大闘争(55分)」「日大白山通り」「日大芸講堂にて」
「ドキュメント6.15」「日大商学部(56分)」等、「東大闘争1969.1.18(24分)」や
「死者よ来たりて我が退路を断て(62分)」「地下からのアピール」「炎,1960−1970」「ゲバルトピア・日大大衆団交」
「68年10,21夜新宿」「叫び」等です。
果たして上記の映像を知っている人が何人いるのでしょうか?
これ等は記録ですが、全共斗の共通の記憶であり財産だと思います。
日大闘争の資料の整理を行い、資料のアーカイブ化をするのは賛成ですが、国会図書館に寄贈することを目的化せず、出来るだけ公開すべきだと思います。
プロによる作品も有るのでお願いして、オールナイトの自主上映会が出来ればと思っています。
■730 12/06 21:33:40 文理\(^o^)/学科 ラッパの大将さん今晩は
本はネット販売のアマゾンなど利用されてはいかがでしょうか。文春文庫の反動佐々淳行の本が500円ですので、島さんの本と一緒に買うと送料は無料です。。。。比較して、本当に安田講堂や各校舎の徹底抗戦に東大生がいなかったのか、そんなに東大全共闘は腰抜けだったのか、検証されてはいかがでしょうか。。。。
>撃退出来たのは、他学部の大遠征してくれた援軍のおかげです。我々だけでは後1時間が限界だったと思う。
このことも本に書かれています。何でも電車の中で右翼のレポに注意を払い、電車の床に腹ばいで江古田まで援軍に来たとか。。。。
>委員長が逮捕(12.4?)されてから色を変えた
メットの色はともかくも、マーちゃんの不当逮捕のことも書かれています。何故か芸術学部のことが多いのです。文理学部はほとんど書かれていないのです。。。
■729 12/06 20:53:25 文理\(^o^)/学科 志田糺さんお久しぶりです
島さんの本から
>島さん、山本義孝さんはいくら頑張っても東大で戦った立場でしか物見えません。従って、芸術学部での戦いを権力側でもの見てしまうのです。事実の例証が、右翼が攻めている映像に集約されるのです。
せっかくの志田さんのご指摘ですが、子のような指摘される文脈は本書では読めません。山本義隆さんは、東大闘争以来闘争それ自体に関する山本さんの発言は何故か控えておられます。しかし、山本さんは東大闘争の資料の(膨大な量ですが)アーカイブ化されていたことを島さんの著作から知りました。また、島さんはこのアーカイブを元に著作されたのです。
日大闘争の資料のアーカイブ化を今年の9,30の会で提案されましたが、私はぜひこの日大闘争の資料の整理を行うべきだと島さんの本で改めて確認した次第です。東大闘争と日大闘争の連帯の意味を私はこの本で再認識しました。なるほど東大生の中には日大闘争を客観的に見ていた人もいたでしょう。そう言う人がいるからと言って、島さんとの間にあえて一線を画すのもある意味で日大モンロー主義ではないでしょうか。
私は昨日から4回も島さんの読んでいますが、率直に感動しています。東大闘争の内側の人間の決起がなんと言いますか根本で日大闘争の決起と通底しているのです。無論東大闘争は医学部の不正処分に端を発しましたが、その意味では日大闘争との違いはあるのです。しかし、闘いの決起する動機は個々人で違いはあれ大きな意味で共通していることを再認識しました。
こんな本が出てよかったと思っています。島さんの日大闘争に対する思いは過剰ともいえるのですが、こんな風に日大闘争を受け止めていたのかと思わず涙が出ます。日大理工学部1号館に潜行していた山本さんと秋田さんのエピソードも出ます。ぜひ一読をお奨めします。一冊1000円ちょっとです。
■728 12/06 20:36:32 ラッパの大将 記念日
寒くなりましたが文理\(^o^)/学科さんお元気ですか。
情報有難うございます。
元東大全共闘理闘委の島泰三さんの「安田講堂」。本屋に行ったのですが無かった。
「紙の爆弾」は売れ残っていた。
私の町には全共斗は一人しか居ないので他の者が買うわけが無い。と思うのですが・・・・
内容は読んでいないので文理さんの書き込みを元に判断しました。
日大闘争の細かな事実関係ですが。
>68年11月8日芸術学部のバリケードに対して(守備隊40人)、
知らなかった!そんなに居たのか!←当事者は分からないものですネ〈苦笑〉
>右翼・暴力団・ヤクザと体育会系の学生が、日本刀、鉄パイプ、木刀、ライフル銃で武装した約400人が襲撃
「銃を持っている!!」と叫び声を聞いたので私は屋上に駆け上がった。
>屋上まで追い詰められながら、芸斗委は不屈に闘いついに撃退したことです。
確か、委員長とロビン隊長が4(3?)階で右翼を阻止していた。先日の同窓会で本人から聞いた。
撃退出来たのは、他学部の大遠征してくれた援軍のおかげです。
我々だけでは後1時間が限界だったと思う。
>当時の学生たちは、誰もが、決して屈しないヴェトナムの英雄を見るように、日大全共闘の闘いを見ていた。
>ことに、黒いヘルメットに黒い旗の日大芸斗委を。
有難うございます。最大級の褒め言葉です。
これで、自他共に68年9月から69年2月まで、瞬間的とはいえ日大が東大を越えた記念日ですね。
11.12までは白ヘル。黒ヘルは12.15か69−1・9からか?
委員長が逮捕(12.4?)されてから色を変えた。〈委員長は怒っていたが〉
私は旗を持った記憶が無い。ゲバルトに邪魔だから。
6.19スト突入時にパラボラアンテナを支えている40メートルの鉄塔の上に掲げ、11.22機動隊も降ろせずに、翩翻とはためく旗のことだろうか?
この後、更にノンセクト・ラジカルに先鋭化した。
これ等は資料をアーカイブしたものをバックデータにして記されているので許容誤差ですが、歴史の証人として一言。
>なお本書は2005年11月22日、日大東大全共闘総決起集会の日に脱稿されています。
1.19安田講堂落城の日ではなく、11.22なのは日大全共斗に対する連帯の証だと思います。
>日本人の美意識として"義"と言うものを美化しすぎている、
>民間反革命三島を逆の立場からとは言え評価している、
私もそうです。
69年1.18.19の安田講堂の徹底抗戦と党派の思惑は書かれていないのは残念ですね。
■727 12/06 19:38:56 志田糺 文理\(^o^)/学科殿
少し、気になるので、一言述べます。
文章は、それぞれの立場でしか書けないもので、絶対的な客観性は難しいです。
島さん、山本義孝さんはいくら頑張っても東大で戦った立場でしか物見えません。
従って、芸術学部での戦いを権力側でもの見てしまうのです。
事実の例証が、右翼が攻めている映像に集約されるのです。
天野屋さんは日大生の立場です。
日大生が右翼を攻めた、日大闘争全体像に目が移るのです。
両方とも事実のようで実は違います。
島さんの事実抽出では、日大闘争は、表現できないでしょう。
右翼は強かった。日大生は頑張った。だから勝った。
事実は違うようです。
確かに右翼は強い、それ以上に日大生は強かった。
それゆえに、日大闘争は勝利した。
2つの立場は、いつか同じでありたいものですが、基本的に違うのです。
前者は、日大闘争を物の見事に、歴史から抹殺してきた手法です。
東大闘争は、東大生が一番よく知っているので、島さんの立場は少しはそれを反映します。
しかし、山本義孝さんとは違うように思えます。
彼の書いたものを読んだ限りですが。
東大生はよく戦いました。
しかし、大学当局や権力に対抗できる勢力ではありません。
その不利な状況で、助けを呼ぶのは当然でしょう。
しかし、もっとも不利な条件で戦いを仕掛けることは歴史上ありえないことです。
どうして、そんなことが起きてしまったのかは、私が知りたいことです。
島さんはそれを書いてくれたでしょうか。
余り、本は読まない私ですが、機会があれば、覗きます。
■726 12/06 12:56:10 文理\(^o^)/学科 天野屋さん今日は
天野屋さんこんにちは。
島さんの本の紹介で補足説明をします。
>数で十倍、装備で数十倍の右翼・体育会系の攻撃をはね返して、バリケードを死守した。
ここのところの文章は、68年11月8日芸術学部のバリケードに対して(守備隊40人)、右翼・暴力団・ヤクザと体育会系の学生が、日本刀、鉄パイプ、木刀、ライフル銃で武装した約400人が襲撃した時のことです。
それを屋上まで追い詰められながら、芸斗委は不屈に闘いついに撃退したことです。しかし、あろうことか国家権力は4日後の12日にバリケードを襲い、芸斗委46名を不当に逮捕したことにも拘らず、決して屈しない芸斗委はその日の午後4時に再度バリケードを構築する、と言う闘いの紹介を島さんはされているのです。
そこで、私が引用した文脈になるのです。島さんの東大闘争の原点は天野屋さんが言われていることとが違い東大エリート意識の陳腐さ、尊大さの裏の腐臭性、人格失格などであることを付記しておきます。
また1,18,19に東大生は約100人不当逮捕されており(安田講堂+α)、東大全共闘が安田講堂の土壇場で逃げたと言うのは、佐々淳行「東大落城ー安田講堂攻防72時間」などの権力側のデマであることを言っています。
そして島さんのこの本は、山本義隆さんらが7年以上もかかり当時のビラなどの資料をアーカイブしたものをバックデータにして記されています。内容的には私としては、日本人の美意識として"義"と言うものを美化しすぎている、とか、民間反革命三島を逆の立場からとは言え評価している、などの問題を感じますが一読をされることをお勧めします。
なお本書は2005年11月22日、日大東大全共闘総決起集会の日に脱稿されています。。。
■725 12/06 07:18:48 理工OB 1968.11.22 今日の一枚
宵闇の中、東大安田講堂前に入場する日大全共闘10列隊列
1968.11.22 1
■724 12/06 04:42:38 天野屋 (無題)
≫数で十倍
やはり、ひっかかります。やはり、東大生のエリィート意識がそう書いたのか?
数?、馬鹿野郎。コチトラ、右の数百倍だよ!
≫当時の学生たちは、誰もが、決して屈しないヴェトナムの英雄を見るように、日大全共闘の闘いを見ていた。
でも、これは大当たりです。
■723 12/05 23:11:21 文理\(^o^)/学科 島泰三"安田講堂"
中公新書安田講堂で、元東大全共闘理闘委の島泰三さんが書かれています。内容的には私は良い、と思います。日大闘争の細かな事実関係には、問題がないわけではないのですが。。
若干引用としますと。。。
これほどの大弾圧に抗することができる学生たちがいようとも思われなかったが、秋田明大議長の下で日大全共闘は恐るべき粘り強さを発揮した。ますます露骨になる分断工作と暴力的な弾圧、逮捕攻撃を跳ね返して、日大全共闘はバリケードを解除されれば作りなおし、いくど機動隊を導入されてもまた建物を奪い返し、数で十倍、装備で数十倍の右翼・体育会系の攻撃をはね返して、バリケードを死守した。
当時の学生たちは、誰もが、決して屈しないヴェトナムの英雄を見るように、日大全共闘の闘いを見ていた。ことに、黒いヘルメットに黒い旗の日大芸斗委を。
引用終わり。69年1.18.19の安田講堂の徹底抗戦と党派の思惑は書かれていないけど。。。
■722 12/04 10:59:48 理工OB R:敷石→投石
今日の一枚
1969.1.18(19?)、理工学部一号館前
ラッパの大将
■721 12/05 12:39:29 ラッパの大将 敷石→投石
当日、私が機動隊と遭遇した時は、丁度手ごろな石がゴロゴロ有った。
神が与えてくれたと思っていたら、農獣や理工の諸君の活動だったのか!
多分、芸斗委の出撃順番が遅かったので投げるのが仕事になったと思う。
しばらくして次の大規模衝突(3月?)の時には解放区の舗道の敷石は撤去され舗装されていた。
だから、薮さんの上京時には手ごろな武器は無くなっていたと思う。
この時は催涙弾をゲバ棒で叩き落し、投げ返し、敵を粉砕した。
その後、催涙弾も煙を吐くS型から爆発するP型に代わった。
最初は不良品かと思ったら手元でいきなり爆発!最前列の何人かは真っ白になった。
すばやく投げ返すと丁度機動隊の真上で爆発!一気に隊列が崩れた。
彼らは研究し、爆発までの時間を短く、水平撃から仰角をつけ、投げ返せないように魔弾の射手を指導した。
権力側は武器を創り出す。
我々はそこに在るモノを武器にする。
敷石が投石になるなんて。コロンブスの卵。これを発見した者に『ノーヘル・ゲバルト賞』を与える。
管制塔闘争ではインターネットが強力な武器になった。
奴らは何とか規制しようとするだろうが、更に上を行こう。
■720 12/03 22:13:36 理工OB 一号館前 寝る前の一枚
安田講堂進撃(のつもりだった)に結集する理闘委と中大全中闘
1969.1.18(19?)、理工学部一号館前
(この中に居るのだ!)
■719 12/03 18:56:30 薮 敷石
私が上京した時期には表にはどこにもなかったです。
ところが、本郷近辺の奥まった路地で発見。
路地の途中までアスファルトが流されてました。
■718 12/03 08:19:00 理工OB 運ぶ
更に、更に今日の一枚
黙々と労働(運ぶ)する図
理闘委は真面目だな
1969.1.18、御茶ノ水
■717 12/03 08:17:27 理工OB (無題)
更に今日の一枚
黙々と労働する図
1969.1.18、御茶ノ水
■716 12/03 08:08:56 理工OB 敷石
今日の一枚
これでしょうか、まだまだ有るけど
1969.1.18、御茶ノ水
■715 12/03 05:09:09 天野屋 1.18神田カルチェラタン
あの日の朝、理工1号館前の角で敷石を一番先に剥がしたのは、私です。と、今でも思っています。始の一枚を剥がせたのは、初体験でした。あの日、田舎からやってきた機動隊は、弱すぎた。一枚目の写真は、大盾を持って逃げている。まだまだ警察官の意識を持っている。昼ごろになると、学生の勝ち鬨だけで逃げ出していた。しかも逃げた痕には、大盾は勿論、催涙銃/警棒/ヘルメットまで山積み状態で落ちていた。逃げるのに、邪魔だったんだろう?
■714 12/02 21:29:59 理工OB 追い討ち
更にもう一枚
追い討ち
■713 12/02 19:25:25 理工OB 足かけ
今日の一枚
逃げる機動隊に猛然と足かけタックル
1969.1.18、御茶ノ水
■712 12/01 22:09:07 ラッパの大将 松岡氏にエールを!
最近胸のすく出来事は管制塔闘争の大逆転だ!
クリスマス・イブの感謝会は盛大に行われるだろう。参加できないのは残念だが共に喜びを分かち合おう。
勝因は諦めない事。小さな力をあわせ、手を繋ぎ支えあう事。
それにしても、なんとインターネットの凄さよ!
権力側は情報操作をするためにあらゆることをする。
佐藤栄作が新聞記者を追い出し、テレビだけに演説をした。
新聞がまだ権力から独立していた時代は良かったが、新聞社にテレビ局を持たせ放送法でTVを支配し、新聞を操作出来るようになった。先の「八つ当たり解散」での去勢されたマスコミの追従はどうだったのか?
鹿砦社の報道を殆どしない。これはマスコミの自殺行為だ。
「平和とは戦争と戦争の間の時期だ」と言われているが最早戦前になっている。
権力の横暴を許せば大変なことになる。
ファシズムの軍靴の音がそこまで迫ってきている。
次の犠牲者は我々かもしれない。
クリスマスをシャバで迎えられるように、孤軍奮闘している松岡同志に熱い連帯のエールを送ろう!
■711 11/28 22:29:37 ラッパの大将 映像資料
有名なのは「日大闘争」「続日大闘争」「東大闘争1969.1.18」ですが、「死者よ来たりて我が退路を断て」の他に、
(私はまだ見てないが)「地下からのアピール」「炎,1960−1970」「ゲバルトピア・日大大衆団交」(城之内元晴/1969)等が有ります。
●城之内元晴(1935-1986) 50年代から60年代への転換期における学生映画会のリーダーとして日大映研を中心に足立正生らと共に活躍。60〜70年代へ、東京・荻窪VAN映画研究所の主宰者としてあらゆるジャンルの前衛芸術家たちと協働し実験的作品を撮りためる一方で学生叛乱を記録し続けた。75年それらの未発表中短編群を「ゲパルトピア∞」一巻に集大成し、90分にわたる誠実な自己総括によって改めて注目された鬼才。86年交通事故のため急逝。代表作「釘と靴下の対話」「ドキュメント6・15・'61,
'62」「神聖受胎」「チカニオリル・新宿ステーション」(上映会は監督自身のヴォイス・パフォーマンスと映像のコラボレーションであった)
http://www.hinocatv.ne.jp/~katsu/konohito.html #bU城之内元晴
かつて「日大闘争があった」事実を風化・忘却することなく心の中に刻み込み、映像・記録などを通して、かつての仲間との再会を一人でも多く果たす中から交流を重ね、互助的意識を高揚しよう
記録を持っている方、記憶が残っている方、疑問や思いのある方はドンドン投稿してください。
■710 11/28 21:52:47 理工OB Y君
はためくは理闘委の旗
持つのは我が学科のY君(だと思う?)
Y君の思い出
■709 11/27 18:40:34 薮 ラッパの大将さん
PCの『背景』にさせていただきましたm(__)m
■708 11/26 17:43:36 新島學 松岡さんからのメッセージです
管理人様、神戸の新島と申します。不当逮捕された、松岡さんの支援を行っております。
本日、松岡さんからのメッセージが来ました。以下に掲載します。
皆様方、御一読よろしくお願いします。
ご無沙汰しています。鹿砦社・松岡利康です。
7月12日、突然の逮捕劇から早4ヶ月余りが経ってしまいました。
いまだ神戸拘置所にて勾留が続いています。逮捕以来ずっと弁護士以外の接見も手紙も禁止されていて、皆様方にはご連絡さえできませんでした。勾留もこたえますがもこの接見禁止というのもけっこうこたえました。
10月17日の第1回公判には、神戸地裁の大法廷は満席となり、公判後、浅野健一同志社大学教授と同志社大学の旧友らが記者会見もしていただき、本件逮捕−勾留、起訴、総じて私や鹿砦社に対する前代未聞の大言論弾圧を弾劾してくださいました。
また、こののち接見禁止は解除となり、制約ある中でぼちぼち皆様方にメッセージを送り始めているところです。どうしても弁護士や家族、そして会社関係のものが優先し、遅くなりましたことをご容赦ください。
しかし、保釈はまたしても却下となりました。
次回公判は12月19日午後1時半からですが、この終了後に3度目の保釈請求を出していただくことになっています。師走も押し迫り、これが認められるかどうかで、正月をシャバで迎えられるか、“別荘”で過ごすかが決まりますので、内心は正直おだやかではありません。また、年明け以降の仕事や生活の再建もありますので、そろそろ出してほしいところです。
この間、会社はほぼ潰れ、本社も支社も撤去、社員も全員散りました。小出版社なんて権力からの一撃で脆いものです。ただ、たった一人残った若い社員が月刊「紙の爆弾」を隔月の合併号にして出し続け、再起を目指していますので、皆様方も是非応援ください。
この間の状況は、雑誌「創」や「紙の爆弾」等にてレポートされていますので、これらをご一読ください。「創」は今発売中の12月号、そして12月7日発売の1月号、「紙の爆弾」は今発売中の12月/1月合併号が直近のものです(バックナンバーも参照してください)。
50代半ばの身にとって、長期勾留がこたえないといえば嘘になりますが、「ペシャンコ」にされてもへこたれないぞ!という気持ちです。
第1回公判で陳述しましたように、私は今、鎖につながれ、私の唯一の財産だった鹿砦社も潰され、全てを失くそうとしていますが、「鉄鎖以外に失うべき何物も持たない」という想いで、血の一滴、涙の一滴が涸れ果てるまで闘い抜く決意です。
季節の変わり目、皆様方もお身体に気をつけてお過ごしください。私も老骨に鞭打って、人生最大の大勝負に立ち向かいます。
造反有理、言論無罪!!
■707 11/26 08:16:31 理工OB 今日の一枚
今日の一枚 Vo.01
■706 11/24 21:15:18 理工OB ラッパ 死者よ来たりて我が退路を絶て
これが大将のラッパだ
■705 11/24 21:04:03 エデンの東 ヘリで御所に降り立つとは
天孫降臨、我が祖先は大陸からの一歩を高天原に天下ったと神話に記した。
今、ブッシュの猿て猴め、御苑にヘリで降りるとは何ごとだ。小泉のポチは靖国神社にブッシュがヘリで降り立つとでも言えばことのおかしさに気がつくのだろうか。
■704 11/20 08:14:16 aagh まだ、
いらっしゃいます・・
■703 11/19 23:53:58 ラッパの大将 警告
その漢(おとこ)満月の夜中に暴れる恐れあり。
夜明けまで抗戦せよせよ。
応援が来るまで死守せよ。
■702 11/19 21:28:02 aagh 本日
日大全共闘の某氏を革命的に捕捉したことを報告しよう。
今、彼は、わが我孫子亜細亜旅社のソファーで、無防備に寝ている。
寒そうだから、チベット産の毛布を、かけてあげました。
■701 11/18 12:57:06 ラッパの大将 かんせい
官製の手かせ足かせ引き千切り、
歓声上げ管制塔に駆け上がる
数千の闘士(とも)
国策の慣性に流され未完成
片肺に成田(なった)夕暮れ
たわわに実る三里塚の秋
さて、同志諸君!管制塔カンパ闘争は勝利に終わった。次は我全共斗最後の闘いである。
初心に戻ろう。
早稲田全共闘として、戦いと愛と孤立を歌い、日常の風化に抗する意思表示した、
道浦母都子「無援の抒情」より。
http://blogs.dion.ne.jp/mrgoodnews/archives/1556330.html
迫りくる楯怯えつつ怯えつつ確かめている私の実在
ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いゆく
「何のため」湧きくる迷い捨てるとき今日の黙秘を決意するとき
調べより疲れ重たく戻る真夜怒りのごとく生理はじまる
君のこと想いて過ぎし独房のひと日をわれの青春とする
釈放されて帰りしわれの頬を打つ父よあなたこそ立たねばならぬ
「今人間であろうとすればデモにいきます」父の視線よ肯きていよ
燃ゆる紅失せて滅びし父の旗越えて私の青春が行く
炎あげ地に舞い落ちる赤旗にわが青春の落日を見る
異常が日常に溶け込む際の一瞬を青年の眼よ見逃すなかれ
誇り持ち貧しさ選ぶと言い切りて君の肩えに海風を受く
どこかさめて生きているようなやましさはわれらの世代の悲しみなりき
明日あると信じて来たる屋上に旗となるまで立ちつくすべし
■700 11/15 11:42:41 天野屋 下馬三丁目城防衛隊布陣の図
Jさん、懐かしいでしょう。
■699 11/14 04:56:23 天野屋 (無題)
Jさんご苦労様でした。
■698 11/13 22:48:47 J 仲間達の魂の重み
1億300万円を一度でいいから、自分の手で持ち実感したかった。
そこには多くの人の熱い魂が、込められていると思うから。
その魂の重みを感じたかった。
■697 11/13 14:31:00 天野屋 追加報告
1億3000万円、叩きつけの瞬間。
■696 11/13 11:53:21 志田糺 ご苦労様
さすがに、天野屋どの、ごくろうさま。
いつもの、日大闘争を称える言葉が、ボツボツとでたのでしょう。
結集点の少ない時代での1つの成功は、何千倍にもなって跳ね返ってくる。
一人一人の、前向きのベクトル、結集点さえ見れれば、怒涛のごとく広がる。
勝利を目指した、一歩一歩。
まだまだ、拠点主義の時代は続くとも。
■695 11/13 04:12:47 aagh ゼッケンには
主催者側発表と思われる部分が約1名ありますが、ま〜ヨシとしましょう。
■694 11/12 21:58:37 ラッパの大将 異議なーし
aagh さんも管理人さんも出席できず残念でしたね。
私も残念。
J さん、69年日大三中・三年生さんお疲れ様。
天野屋 さんあのむしろ旗の代わりに「ゼッケン」だったのか!
有難うございました。
一つの闘いが終わり、新たなる戦いが始まる。
次は我々の勝利の歌を高らかに歌おう!
■693 11/12 21:31:19 天野屋 何十年ぶりだろか?我が勝利の歌
昨日、久しぶりに勝利の歌を歌った。
インターナショナルだ。党派を超へ、人間として歌った勝利の歌だ。皆、小異を捨て大同に付いた。昔ばらばらになってしまった闘う仲間が、再び隊列を整えたのだ。1968日大組のゼッケンを付けた私の所へやってきた方々。ことごとくこのHP管理人と思っていたらしい。少なくとも10人やそこらは、「HP見てます」「見ました」と挨拶された。僕は、ここに名前の書いてある団体、あるいは個人の代表としてきましたと言う。東京は遠すぎるのでこられない地方の方々の代理です。そう述べると、泣き出す奴まで居た。私らの世代よりだいぶ若い方から、時間が許せば一言挨拶を願いますと言われた。瞬間、ガチガチに固まった。ここ十数年、大勢の前で話をしたことなど無かった。頭の中は、真っ白。何を話したかは覚えていない。おめでとうもご苦労様も言っていないのは覚えている。
改めて発言させていただく。
目標貫徹、おめでとうございます。
資金調達にかかわった皆様、ご苦労様でした。
おまけ!
東大出のアホ官僚ども、思い知ったか。次は、我々側からの反撃だ。
1968日大組、天野屋りへい。
■692 11/11 22:41:41 aagh 「旗」
わたしは行けませんでした。
でも「旗」があったようです。
■691 11/10 21:49:29 J れれ:「叩きつけ行動」集合場所の変更
またまた、すみませんです。
叩きつけ行動の模様は、明日(11/11)のNHK首都圏ニュース(6時〜7時)で、放送されるそうです。
時間が取れる方は、是非TVにスイッチを入れ、チャンネルを1に合わせてください。
何だかNHKのコマーシャルの様な、書き込みになってしまいましたが、お許しを。(^^ゞ
■690 11/10 20:35:32 J れ:「叩きつけ行動」集合場所の変更
>しかし、よく変更しますね。 これも作戦のひとつですかね。
すみません。m(_ _)m
そういうわけでもないようです。
いや、ちょっと他言できない複雑な理由がありますので、ひょっとするとそうかもしれません。
■689 11/11 00:12:29 69年日大三中・三年生 「叩きつけ行動」集合場所の変更 !
緊急! 「叩きつけ行動」集合場所の変更です
Category: General Posted by: solid on 11/10 Add comment
先ほど元被告団から連絡がありまして、明日の行動集合場所が変更となりました。行動参加予定のみなさんに連絡・周知お願いいたします。
----------------------
●集合場所:九段会館前(地図)
●集合時間:11月11日(金)午前10時30分
と、変更の記載があります。(サイト参照)
日大全共闘OB諸氏が、間違えて和田倉噴水公園に行かないように!
しかし、よく変更しますね。 これも作戦のひとつですかね。
■688 11/08 22:03:13 文理\(^o^)/学科 昔のスタイル、、
皆さんご存知のムービーだとは思いますが、一応紹介しておきます。。。
1本目 http://members.at.infoseek.co.jp/historie/aa1.html
2本目 http://members.at.infoseek.co.jp/historie2/bb1.html
3本目 http://members.at.infoseek.co.jp/historie3/cc1.html
4本目 http://members.at.infoseek.co.jp/ogenkidesuka/ee1.html
5本目 http://members.at.infoseek.co.jp/henohenomohe/dd1.html
■687 11/08 12:11:12 理工OB 衣食・・・・住。
経闘委鳥越さんですか、
WEBでは個人名は出さないのが鉄則ですが、
日大全共闘仲間では秋田さん、田村さんと並ぶ知る人ぞ知る超〜有名人ですからいいかな?。
集会では何時も前に居ましたよね、あの独特の髭を蓄え。
鳥越さんはいろんな写真集に、日大といえば必ず何処かに登場します。
それだけ目立つところに居たということは、覚悟も人並み外れた闘士だったということです。
私のHPの写真集にも登場してますよ。
写真といえば、JUNさんに提供頂いた写真で私はこれが一番格好良いと思っています。
コートにブーツ、それぞれ皆オシャレですよね。
当時の私のファッションといえば、写真下のモヒカン理工ヘルメットのスタイル、ジャンパーに綿パン姿が限りなく私に近い。
田舎者の私も69年頃になると都会にそれなるに染まり、マイクを持つS委員長のようなコートを主婦の友会館で買いました。
茶色のVANの綿のコートでした。
トレンチコートを羽織りゲバルトに来る奴も居ましたっけ。
■686 11/08 04:51:48 水中のみずすまし 文理\(^o^)/学科さん の思い出をつなぐ
>>文理\(^o^)/学科 さん 曰く
>>新宿西口の鯨カツが70円だったような。
68年当時、先輩に「150円で腹一杯飯が食えるレストラン」があると言われて連れて行かれたのが「新宿レストラン鶴亀」本名・鶴亀食堂。
値段、大盛り丼飯・20円、味噌汁5円は確かだったと思う。生卵30円、目玉焼き50円、鯨カツが50円、肉入り野菜炒め80円位と記憶する。一般の中華ソバ屋でのラーメンが60〜80円位に高騰していた時代。
噂では、肉は野良犬・猫を使っていたと聞き及んでいた。当レストラン前に並んでいた職安に向う労働者諸君の行列に加わり、厨房脇の通路に吊るされた猫を見たことがある。今にして思えば、窃盗・つまみ食いをする野良猫を捕まえてさらしものにしていたのかも知れない。
今現在も当鶴亀食堂は存在する。安くて安全。酒が飲める。
当時の通常の食堂のテーブルにはソースがあった。どろりとしたソース。醤油はあった様な、無かったた様な。
ライスのみのお客には使わせなかった。目玉焼き程度をオーダーしたお客がどんぶり飯にタップリとかけるのは許された。美味しかった。今は、お祭りなどのお好み焼きや焼きそばに使われている。極めて安いから。
新宿西口の反戦フォーク集会。べ平連連中が火をつけ、帰宅途中のサラリーマン・大学高校生が足をとめ、見ず知らずの者同志が腕を組み合唱した。反戦歌を。なぜなら、ベトナムで現実に戦争をやっていたからだ。人と人が殺し合う前線の戦闘が行われていた。
この場で、日大全共闘を名乗ると、誰もが激励し、小額ながらもカンパをメットに入れてくれた。ベトナム同様、日大生と機動隊が前線で戦っていたことを知っていたからだ。
そんな時代が・・・、事実あったのだ。
■685 11/07 21:53:06 文理\(^o^)/学科 当時の生活は、、、
お久しぶりです。皆さんお元気でしょうか。
私は風邪を引いてしまい、しんどいですが。。。
新宿西口広場(今でもこう読んでいます)での集会、歌を歌い○機とのゲバルト懐かしいです。。あのころあそこで3000人以上集まりました。。。
食生活は貧しく明大生協でライスのみ注文し、ソースをかけたものでも良かった。。新宿西口の鯨カツが70円だったような。。
それと久しぶりに11.6全国労働者集会に参加し、芸闘委M委員長、経闘委鳥越さんに会いました。。お元気でした。。
■684 11/07 08:29:54 理工OB 私も一兵卒
新宿西口へカンパに行きだした頃はもうバリケードはありませんでした。
御茶ノ水駅でもよくやりましたが、明大や中大と競合状態で効率はよくありませんでした。
新宿西口広場(?)が面白い事になっていると聞きつけ、毎週出かけました。
主役はベ平連さんでしょう、日大のヘルメットは強烈にアピールしましたよ。
新宿西口は素晴らしい効率でしたのを憶えています。
御茶ノ水理工学部一号館バリケードは地の利も良く、夏も過ぎると”見学者”が結構ありましたし、一宿一飯の他大学の上京組みもよく泊まり込んでいました。
そういう意味では結構”開かれた”バリケードでした。
修学旅行の高校生もよく来ました。
概して女子高生の方が度胸がありますね、というより好奇心が強いのか?
女子高校生のバリケード案内役は競争率が高く、一兵卒には回ってこなかったですが(笑。
■683 11/06 22:45:27 J 新宿フォークゲリラ
昔、西口のフォークゲリラに行ったことがあります。
フォークを歌うためではなくて、日大闘争のカンパを訴えに。メットを持って。
沢山のカンパが集まったと記憶しています。そして、そのカンパは情宣、遠征費用と食当に充当されたと、記憶している。
食当はそのカンパから、通常のスパゲティの上に鰹節だったか、マヨネーズを乗せる費用に一部だけ回したと思います。
こう考えてみると、60年代後半のニッポンは、まだ貧しい食生活だったということですね。
飽食の現代からは、考えることもできない時代でした。
なお、当方には理工さんのような淡い、ホノボノとした、女性の影は付随しておりません。
闘争、闘争の日々だけでした。
下級兵士でしたから。(^^ゞ
■682 11/04 18:32:03 ラッパの大将 遠征
07:00発。21:00着
930では戦友会だったが今回は今後の住民運動について。
理工OB・ エデンの東さんと数時間に渡り、身障者の方達の援助。NOP。オンブズマン等について、
幅広く意見交換。
面白い運動方法として、「シンボル川」方式が有った。
今までの直接対峙するゲバルト方式ではなく、斜めからの攻撃?
というより直線的な対立より曲線的な「非対立」の方法論。
「非対立」と言えば地球村があるが、
http://www.cute.to/~ev_kanaz/pages/aim.htm
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/volunteer/1112228404/l50
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/atom/1062378346/l50
この、観念的なものではなく、実践的な、地域・子供を巻き込んだ運動。
我町でどのように展開できるか?
Jさんお疲れ様
■681 11/03 21:49:21 J れ:だめおし
ありがとう御座いました。m(_ _)m
連帯基金の報告では、
>10月31日 集計額 104,019,993円 です。
目標の1億300万円を突破しました。
季節は冬に向かいますが、心の中は温かくなっています。
ただし、懐の中は寒風がヒュ〜ヒュ〜と吹いています。(^○^)
■680 11/01 19:58:41 天野屋 だめおし
Jさん。貴方には負けました。
利根川統一戦線は、とりあえず駄目押しのカンパ貫徹。複数人。
■679 11/02 11:22:27 エデンの東 データベース化かー
日大全共闘もデータベース化を図られるとか、「桜田門」にも職人はいるけれど、戦う主体の責務だろうね。
ために東大全共闘 Y さんの講議を受けられたとか。
Yさんの連れ合いさんには本の表紙のデザインでお世話になった事がありました。日中関係の本でしたがハイカラな装丁に仕上がりました。
データベース化ですか、我が産別もしなくちゃいけないなー。すでに1971年に纏めているから入力すればいいだけで、これはもう自分がやらないと誰がヤルの世界です。
日大全共闘にその時はお世話になります。
■677 10/31 07:29:01 J ありがとう御座いました。m(_ _)m
御承知の通り、私たちは1億300万円賠償=強制徴収という、国家権力の報復攻撃を打ち破りました。
管制塔カンパは、全額を達成しました。
御協力いただいた全てのみなさんに、心よりお礼を申します。m(_ _)m
本当に、本当にありがとう。
当初は40年近く前の仲間が、カンパ運動に協力してくれることなど、考えることもできませんでした。
Mが「この闘争で、人生決まった」と言っていましたが、私は「この闘争で、人生を決めてよかった」と付け加えさせてもらいます。
ありがとう御座いました。m(_ _)m
■676 10/30 21:15:37 理工OB Re:田舎新聞にもカンパ達成が大きく
管制塔タイムスに載ってますよ
■675 10/30 16:03:35 エデンの東 田舎新聞にもカンパ達成が大きく 管制塔被告へのカンパ一億達成が田舎の新聞にもとても大きく掲載されていました。
共同通信の配信によるものだと思われますが、同志を見捨てるわけには行かないという見出しでした。
私の所感は、このエゲツない取り立てを許可した所轄官庁のデエジンは確か自民党ではない人物ではないかという驚きです。
■674 10/30 13:16:08 赤春の風 アドルフ小泉粉砕!
謀議法、憲法改悪。
小泉の暴走を許すな!
小泉は、自民圧勝を追い風に、やりたい放題。ただ意見が違うと言う理由で、彼の同士おも粛清した。まさに、和製ヒットラーだ。唯一つ!ナチスと違う所は、「小泉自民党」は対米追従売国党ということだけだ。このまま進めば、米帝軍の先鋒隊として世界に軍隊を送るだろう。
共謀法は治安維持法の再来。ブルマスは、理解していない。というよりも、翼賛化している。何かやろうよと、複数人が話しただけで刑事事件成立。いくらでも、。好きなように弾圧できる。政権に反対する者及びその親派を、一網打尽にすることが可能。売国奴小泉は、やらかすだろう。米帝のために。横須賀を母港にしている米帝海軍「空母キティホーク」、引退後の原子力空母の導入も、「売国奴小泉」は簡単に承認する。日本人は、どうでもいい。米帝のためならば。
憲法改悪。9条第一項は残すものの、第二項は削除。日本軍(自衛隊)を軍隊とする。
アメリカの押し付け憲法云々と言うならば、天皇制も廃止しろ。昭和天皇は、明らかにA級戦犯。マッカーサーの占領政策の道具といして残されたのが、天皇制だ。
いざ、起たん、青き日々の戦友諸君!
赤く熟れた柿の実のごとく、残された時間は少ない。
■673 10/30 11:25:15 菊地原 博 管制塔元被告連帯基金サイトのリンクで知りました
はじめまして。管制塔連帯基金のサイトのリンクで知りました。
私は元第4インターのメンバーで、80年代前半組織を離れる頃は傘下の青年組織の「幹部」でした。そうした関係で、今回のカンパを最初は個人的な責任感から呼びかけたのですが、運動の広がりの中で、途中から連帯基金サイトに柘植さんと共に、実名で投稿するようになりました。今回、「カンパのお礼の手紙(「メール)」を呼びかけた友人・知人に送るに際して、貴サイトの紹介をさせていただきました。
ダイレクトメールのアドレスを探したのですが、見あたらないので、掲示板に投稿します。
「管理人日記」には共感するところが多く、毎日のように読んでいます。ありがとうございました。
いきなりで申し訳ありませんが、お願いしたいこともありますので、お時間のある時に、メールをいただけると助かります。
■672 10/29 14:08:37 紋二郎 管理人 殿
管理人 殿
>私が特異な経験の中で学べた僅かなものは、「人とはどう在るべきなのか、どう生きる
>・・・かけがえの無い体験としてある訳です。
同じような体験をした訳ではありませんが、白けず物事に積極的に取組み、社会的な活
動に参画してきました。その中の経験から、充分同感できるものがあります。
ただ、親の世代の「戦争」のことは見聞きするだけでは身につかない次元のように思え
ます。単に、平和を語るつもりも争いから逃避するつもりもありませんが、この「戦
争」の経験だけは、体験しない覚悟を持たなければならないとも考え、世がそうあるべ
きだと思います。
憲法論議にも関心はありますが、この手のことに拘り過ぎるがために、他の面を忘れな
いように心がけています。
>…著名な書物・教えから引用できる教養が無く、…
>私には知り及ばない深い深い意味があるのだと、己の不勉強を恥じるばかりです。
私も理工系人間のせいか、あまり文献を読む習慣がありません。ただ加齢を経て、先人
の残した素晴らしい資産があり、自分の役に立つことに気づきました。WEBが先か気
づいたときWEBがあったためか判りませんが、自分の家に図書館と司書がいるような
時代になったことは、大変幸せに思います。
>そちらのお話、その時代の”自分の時”をお聞かせいただければ、もっと通じ合えるも
>のがあると思いますし、・・・決して癇に障らないと思うのですが。
ありがとうございます。個人としては臆するものもないのですが、「蒲原の合併」をき
っかけにこのような投稿をしている経緯もあり、自身のことをご披露することは得策で
もなく支障が想定されますのでご辞退します。
>PS.「ラッパの大将」さんの紹介をしておきます。
ありがとうございます。
WEB上で幾許かの情報を得ています。合併についてもそれなりの確固たるものを御持
ちのようで、このスレでも先導的な発言のレスを拝見しています。
○「…合併を巡る住民運動を序章として2007年闘争に向け、隊列整えようと考えてい
ます。ご存知のように我々団塊の世代が60歳になる時、会社も社会も大転換期を向か
え、官僚民主主義の政策、アメリカ追従主義により国家が破綻するであろうと予測され
ます。…」 http://yamakawa-akiko.cocolog-nifty.com/blog/2005/06/post.html
■671 10/29 13:12:36 紋二郎 Re:紋二郎殿 水中のみずすまし殿
先般の「ラッパの大将」さんと同様に、
タイトルが入力ミスで「Re:」だけになりました。お詫びします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
藪 殿
>わたしには中1の娘がおりまして、ここらはいまだ現役ですが・。
「水中のみずすまし 」さんの投稿にも、
「秋田兄は元気。二人目の赤ん坊をつくったばかり。」とありました。
皆さんの年齢(57〜60〜ですか?)を想定した中で、私が「子育ても終わった年齢」とし
たのは、既成概念だったようです。取り消します。
■670 10/29 13:08:57 紋二郎 Re:
水中のみずすまし殿
>これまでの貴兄の文面を拾い読む限り、貴兄は我らの世代ではなく、日大生でもない。
10月28日(金)の「五徳/仁・義・礼・知・信」で
「…私のことは、適宜ご判断下さい。」としましたので、コメントはありません。
>…日大全共闘が「左翼全学連の一派、さりとて皆目見当もつかない一集団」程度…
>国体学的正当派右翼思想も保持していないようだ。
>「三島兄」を批判しているので保守体制派なのだろうか。
>「日大全共闘は左翼にあらず。右翼もタップリいた」と反論されて…
私は元来、人を「分類・仕訳」するような感性を持っていませんでした。若い頃、父親
が少しでもそれらしきことを述べたりすると、嫌悪感・反発したように記憶しています。
しかし、年齢を重ね様々な方を知るつれ、自分も時折そのような思考に至っていること
に気づくことがあります。
なお、皆さんのような分野の分類項目は持っておらず、チンプンカンプンです。
>しかしながら当掲示板に書き込む以上・・・
10月28日(金)「Re:飛び入り 様」にあるように、「お邪魔虫」のつもりでいました。
その意味でをもって投稿者名を「飛び入り」にしました。
(管理人さんは、「返品」=「飛び入り」としています。)
ただ、HNの「紋二郎」は、「匿名BBSでも必要なものでしたら」との考えから、命
名いただいたものを使わせていただいています。
このスレが特別のものと思っていませんが、「お邪魔虫」のようでしたら言って下さい。
>例えば、以下の記述。
やはり、勘違いしておられるようですネ
(…と思いますので、それ以降へのコメントはありません)
10月29日(土)「Re: 」にレスしたように、 http://www.ikuma.net/zenkyoto/ は、
「5.全共闘語録」から「自己批判」を辞書替りに引用しただけです。
私の言葉としては、「…「思い込み」かどうかの検証は大事だと思います。…」です。
このような反応が立て続けにあるというのは、やはり「自己批判」という言葉が当時
「流行っていた」証だと思います。このことと私の言葉を結び付けないで欲しいと思っ
て引用したので、気にかけないで下さい。
■669 10/29 08:53:30 薮 紋二郎殿
>数日、子育て論議が交されたようですが子育ても終わった年齢でもあり、収束したと思
いますけれど・・・
わたしには中1の娘がおりまして、ここらはいまだ現役ですが・。
668 10/29 07:56:40 管理人 Re:五徳/仁・義・礼・知・信 昨夜は金曜の例会で遅くなり、疲れ果てて寝てしまいました。
いつもならパソコンを開けるのですが、それをする馬力も無かったのです。
「紋二郎」さんでの投稿、ありがとうございます。
投稿を頂いた内容、職場で夕方拝見しました。
紋二郎さんのような内容の投稿を頂くのは初めてで、
「ウッッ・・・こりゃ〜どういう返答を書いたらいいのか」と考え込みました。
私のHPはお読みに成っていただいてすぐお分かりになると思いますが、綴った内容に東洋や西洋の名著、古今東西の学問書からの引用はは全くありません。
高尚な学問、教養をつけるような余裕を持ち合わせんでした。
というよりこれは私の能力であり素地であります。
HPの内容は、ある時期体験した個人的な体験記で、実際に体験した時の思い、フィードバックした記憶を出来るだけ時系列で綴っています。
私が特異な経験の中で学べた僅かなものは、「人とはどう在るべきなのか、どう生きるべきなのか」という誰もが持つ素朴な問いに、ギリギリの選択肢の中で我が身を投げてそれを行動に移す仲間を身近に見れたことです。
ギリギリの選択肢というものが無知で偏狭であり、偏っていた事の一面は否定しませんが、少なくともその時点では利己的な選択肢ではなかったと今でも思っています。
利己的でなければ何をしても良いのか、という反論を受けそうですが。
選択し行動に移したという生き様は、かけがえの無い体験としてある訳です。
私には先に書いた”義”という意味を、著名な書物・教えから引用できる教養が無く、学問的に定義・解釈したことも勿論皆無です。
か細いボキャブラリーと体験から恣意的に述べただけなので、解説いただいた内容を読んで、私には知り及ばない深い深い意味があるのだと、己の不勉強を恥じるばかりです。
名著、文献を我がものとして実生活の中で実践され人間を高められる方は、それこそ最高の方です。
人の人生に軽重はありません。
先の書き込みであった次の一文が気になっています。
>皆さんの思い出の時代、別の意味で、思えば私なりの「意味ある時」を過ごしたと思っ
>ていますし、
人それぞれ「意味ある時」を背負い生きています。
そちらのお話、その時代の”自分の時”をお聞かせいただければ、もっと通じ合えるものがあると思いますし、そういう内容は、生き方が違っていたとしても決して癇に障らないと思うのですが。
PS.
「ラッパの大将」さんの紹介をしておきます。
彼は私と同輩で、日大全共闘芸術学部闘争委員会です。
私はその他大勢の一兵卒でしたが、彼は芸闘委の行動隊長をしていた士官級です。
行動隊長とは別に役職でなく、デモや突撃の時に何故か何時も先頭を斬る"馬鹿な奴”がいまして、実績で自他とも認めた存在です。
彼は全共闘でも勇名を馳せた伝説の人物です(強調)。
当時は全く面識が無かったのですが(階級が違いますので)今春、ふとした事でホームページが縁で初めて知り合ったわけです。
ラッパの大将というHNは、68〜69年当時デモを指揮する際に豆腐屋のラッパを首に下げ、プァ〜と吹いたと言う実話から、水中の水すましさんがつけた名です。
豆腐屋のラップが戦意高揚に繋がったかどうかは不明ですが。
彼の歴史的なショットを貼っておきます。
信じ難いとは思いますが、この尊影でも彼はかつても今も立派な右派です。
■666 10/29 05:45:17 水中のみずすまし 紋二郎ちゃんへ
これまでの貴兄の文面を拾い読む限り、貴兄は我らの世代ではなく、日大生でもない。どうも、日大全共闘が「左翼全学連の一派、さりとて皆目見当もつかない一集団」程度に理解されておいでのようだ。
ただし、貴兄自体は国体学的正当派右翼思想も保持していないようだ。「三島兄」を批判しているので保守体制派なのだろうか。
しかしながら当掲示板に書き込む以上「反体制や左翼が好きでもないが嫌いでもない」ウエイブサーファーなのかな。
当管理人やラッパの大将から「日大全共闘は左翼にあらず。右翼もタップリいた」と反論されて戸惑っているのだろう。かわいそうに。
例えば、以下の記述。
>>「○「全共闘」に関する覚書 http://www.ikuma.net/zenkyoto/ より、」から
これをクリックすれば何のことは無い「全共闘を東大全共闘を例に解説」と言う馬鹿アホのHPである。
東大全共闘は全共闘ではない。
65年頃から東大では学部ごとに自治会を各セクトが競い合って制圧し、セクト毎に政治闘争の戦術展開を図っていたが各派の兵隊は不足傾向。68年、全学連に加盟していない日大で日大闘争が勃発して日大全共闘が結成され、学生・市民に圧倒的な支持を得て勝利の道を邁進する様を見て、東大各セクトが「全共闘なるものの」結成に動いた。しかし、セクト間では中立的議長の人選が出来ず、当時、ノンセクトの大学院生であった「山本氏」に議長を一任した。結果、東大全共闘なる名称が出来上がった。
「全共闘」を東大全共闘を例に語ることこそお門違い。
因みに同HPには「最近、秋田明大が死んだと言われたが生きている」との旨記述があった。秋田兄は元気。二人目の赤ん坊をつくったばかり。当該HPが、いかに日大全共闘と接触が無い奴が勝手に作っているか、知る人ぞ知る。貴兄は、そんなお粗末なHPの知識でここに書き込んできたのでレス。
かわいそう。
当時の図書を古本屋で捜し求め、読解の上、当管理人の自白的自叙伝をもう一度読んでごらんなさい。
老婆心ながら以下の記述「自己批判」についても一言。貴兄が我らより年少であることが明確な文。
>>現実的には、自分の非を分析した後、問題解決のための現実的手段を提案してこそ、自己批判は意味があると思いますが、そのようなことを促した記述は見られなかったので、しょせんはイジメの手段に過ぎないのか、と邪推してしまいます。はたしてどうだったのでしょう?
「自己批判」との言葉は、筋道の通らない思想行動をした相手、あるいは論破し終えた相手に対して使う言葉ですねん。左翼と言うより共産主義の人たちが多用していた言葉のようである。
従って「>>問題解決のための現実的手段を提案」する段階まで要求する意味を持っていない。
しかし、語呂はきついが非のある相手に反省のチャンスを与えているのであるから「>>しょせんはイジメの手段」とは言い切れないのでは。
追伸
「69年日大三中・三年生さん」 へ。
当時中学生だったあんたの感性には脱帽する。偉い。
■665 10/29 02:18:12 紋二郎 Re:憐れだ。 +お詫び
ラッパの大将 殿
タイトルが入力ミスで「Re:」だけになりました。お詫びします。
69年日大三中・三年生さん
>言葉巧に言い回し、何を語らんや! よ〜わからん。
>他者を非難することによって、己の存在を表現しているのですか。
レスの大部分がURLの案内とそれからの注釈、後は管理人産とのチョットした
「会話」程度です。何かあなたに不都合なことがありましたか?
読み違いのようで、そのまま「よ〜わからん」うえでのレスですか?
・・・記憶の限りでは初めてのHNです。他のスレでの皆さんのお友達ですか?
それに、意味の判らないHNですネ
■664 10/29 01:50:29 紋二郎 Re:
ラッパの大将 殿
>であるならば、当時の日大の状況、・・・
http://www1.quolia.com/kt_yamamoto/ にあるWEB情報で、「管理人」さんのことは
「その旨、承知しています。」の事柄の一端をURLの後に加筆しただけです。
私のことは述べていません。
>何処が重要なのかは理解できません。利害関係にある者だけでしょう?
「このスレにとっては」としたように、行政との利害関係者とした者へのレスが多かっ
たにも関わらず、作為的に表しなかったと思ったので情報提供しただけです。
皆さんが問題にしなければ、私の方はあまり意味のある情報でもないので構いません。
>何もしなかった者が人の揚げ足をとっても、不毛なだけですよ。
「○「全共闘」に関する覚書 http://www.ikuma.net/zenkyoto/ より、」から
以下の行は、「5.全共闘語録」の「自己批判」のコピペ(コピー&ペースト)です。
これも読み違いでだと思いますが・・・
文中の…「思い込み」かどうかの検証は大事だと思います。…を敢えて「自己批判」と
同じように取ってもらいたくないために引用しました。
>「うざい」の意味ですが、・・・
この手の言葉は、子供たちの流行語のようなもので、私の日常的な言葉でもないため、
気にも止めていません。ただ、ことの他皆さんには気にかかったようですネ
ある意味、使用した目的としては「正解」でしたが、「礼儀」としてお詫びします。
>ノンポリと言う隠れ蓑であたかも・・・
読み間違ったため、私へのご意見でもないと解釈し、特にレスはありません。
なお、
「私は「思い込み」を自負するタイプではありません。「思い込み」を全面否定するつ
もりもありませんが、「思い込み」かどうかの検証は大事だと思います。」は、
管理人さんの10月28日(金)08時29分17秒 レスの中の「思いこみ」について私見を述べ
たもので、「ノンポリ」などの言葉とは無関係です。
>なんらの行動を起そうともしないのですか?
それなりの行動をしています。
なお、「論語読みの論語知らず」はレスとして想定できていました。
「嫌いな分野ではありませんが、得意ではありません。」としてあります。
■663 10/29 00:43:21 69年日大三中・三年生 憐れだ。
飛び入り紋次郎 殿
久しぶりに、あなたのような憐れな人に出会った。
言葉巧に言い回し、何を語らんや! よ〜わからん。
他者を非難することによって、己の存在を表現しているのですか。
何と憐れで、可哀想な紋次郎殿
あなたは、これからも残り少ない人生を、その様に生きていくのでしょう。
それが、株式会社 日大で学んだ技ですか。
■662 10/28 21:00:23 ラッパの大将 論語読みの論語知らず
紋二郎殿
>1948年生まれ 1967年日大理工学部入学
であるならば、当時の日大の状況、全共斗が結成された「必然性」は理解できると思いますが、貴方のスレからは時代の空気が感じられません。
「意味ある時」を送ったからですか?
>卒業1971年5月卒業(無理やり放り出された)
ここにも貴方の主体性の無さが露呈されています。
嫌なら卒業しなければ良いだけ。 私は自分で辞めました。
>日大三島高校OBは、現町長と縁戚関係にあるとか聞いていますが、このスレにとっては重要な要因?
何処が重要なのかは理解できません。利害関係にある者だけでしょう?
私にとって重要なのは「現実に問題が起こり、それに対して解決の為努力したかどうか」です。
日大三島高校OB殿は出来ることをした。
>自己批判。 他者を批判するのではなく、自分自身のことを反省する。なぜか「自己批判」という言葉がもてはやされたようです。
>要するに懺悔、ですな。 しょせんはイジメの手段に過ぎないのか、と邪推してしまいます。はたしてどうだったのでしょう?
>現実的には、自分の非を分析した後、問題解決のための現実的手段を提案してこそ、自己批判は意味があると思いますが、そのようなことを促した記述は見られなかったので・・・
貴方は学生時代、何をしたのですか?
これから何をしようとしているのですか?
何もしなかった者が人の揚げ足をとっても、不毛なだけですよ。
「うざい」の意味ですが、本来は「面倒」「煩わしい」「邪魔だ」という意味ではなく、人の事を言う時に使うものでした。「うざったいやつだな」というと「少しのろまなやつだな」「今ひとつキレのないやつだな」という意味です。「ほんのちょっと物足りない能力を持った」という意味ですね。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=601037&rev=1
ノンポリと言う隠れ蓑であたかも「政治色や思想性をなくした善良な多数派」で有るかのように振舞ってもこの掲示板では浮き上がっているだけです。
私の独断と偏見では「単に感性も無い、度胸も無い、知恵も無い。利己主義の日和見」である。
それこそ「うざい」と言われるだけですよ。
貴方も間も無く還暦。
日大闘争が始まってから40年になろうとしている。
何も問題は感じないのですか?
なんらの行動を起そうともしないのですか?
■661 10/28 15:08:43 紋二郎 五徳/仁・義・礼・知・信
>出来たら「友好的」にやりましょうよ。
依存ございません。
>文面から拝察すると、私達と同年輩と見えますが。ノンポリと言われて、
>・・・それでもノンポリです。日大闘争の主力部隊はノンポリ集団で、・・・
WEBに掲載されている情報で、その旨、承知しています。
http://www1.quolia.com/kt_yamamoto/
■ 生まれ 1948年 ■ 大学 1967年日大理工学部入学
■ 卒業1971年5月卒業(無理やり放り出された)
・・・蒲原に、同年入学の理工・建築「服部真悟」という人がいました。
>主義の義は”義理”の義ですから。
○「論語の世界」http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/rongo.html
○「論語に学ぶ会」http://rongo.jp/index.html
…「仁・義・礼・知・信」の五徳でありましょう。この五徳(五常とも云う)…
○「雍也第六 137」http://rongo.jp/kaisetsu/rongo.php?137,1
…「徳はすべて仁ベース」つまり、仁あっての義・仁あっての礼・仁あっての智・仁あっ
ての信である!と感得した訳です。仁とは人を思いやる心、つまり利他の愛・与える愛の
ことですが、これが人の踏み行う道の根本(土台)である!…論語から「徳はすべて仁ベー
ス」であると教えられたことは、今世最大の収穫だったように思います。そうでなかった
ら、未だに仁に根ざさぬ義を振り回して正義面をし、仁に根ざさぬ礼を振り回してその場
しのぎの愛想を振り撒き、仁に根ざさぬ智を振り回して人を蹴落とし、仁に根ざさぬ信を
振り回してバール信仰(ご利益宗教)にはまっていたかも知れません。…
嫌いな分野ではありませんが、得意ではありません。
「仁に根ざさぬ義を振り回して正義面」にもあるように、「…だけじゃない」と思います。
○「学問のすすめ」http://www1.sphere.ne.jp/dia/gakumon/gs/GS0.HTM
○世界の名言・名著 http://meigen.poke1.jp/index.html なども同様です。
皆さんの世界とて、見方を代えて、私は同じように拝読しています。
>HNの「返品」も「飛び入り」も無機質で今一よろしくないですね。・・・
>・・・「紋二郎」さんではいかが?
「無機質で今一」は当然だと思います。必要な記述にとどめています。
HN:Handle Name ですか? 匿名BBSでも必要なものでしたら命名どおりのものを
今後利用させてもらいます。先ずはこのレスで・・・
なお、「礼」からすると自己紹介も必要とも思いますが、匿名BBS=HN使用の世界
でもあり、「日大三島高校OB」さんのように、ご自分の都合・遺恨・僻みの感情のま
ま、他人の紹介までする地元の方がこのスレ投稿者であるので、ご遠慮させてもらいま
す。…私のことは、適宜ご判断下さい。
・・・日大三島高校OBは、現町長と縁戚関係にあるとか聞いていますが、このスレに
とっては重要な要因だと思いますので、ご本人にご確認下さい。
>普通の人間の”思い込み”だけで行動してきましたから、
私は「思い込み」を自負するタイプではありません。「思い込み」を全面否定するつも
りもありませんが、「思い込み」かどうかの検証は大事だと思います。
(皆さんの世界でもてはやされたとある「自己批判」とは意味が異なります)
○「全共闘」に関する覚書 http://www.ikuma.net/zenkyoto/ より、
・自己批判
他者を批判するのではなく、自分自身のことを反省する。なぜか「自己批判」という言
葉がもてはやされたようです。要するに懺悔、ですな。
現実的には、自分の非を分析した後、問題解決のための現実的手段を提案してこそ、自
己批判は意味があると思いますが、
そのようなことを促した記述は見られなかったので、しょせんはイジメの手段に過ぎな
いのか、と邪推してしまいます。はたしてどうだったのでしょう?
■660 10/28 08:29:17 管理人 Re:Re:飛び入り 様
一つ一つ丁重なご返答、有難うございます。
今日の書き込みは少し早い時間帯ですね。
>勘に触ってお邪魔虫がでてきました。
私なんぞはしょっちゅうですが、そんな時は出来るだけそこにはお邪魔しないようにしています。
板の上での敵対的(最近のはやり用語ですな)やり取りほど不毛なものは無いというのが私の考えですので。
出来たら「友好的」にやりましょうよ。
文面から拝察すると、私達と同年輩と見えますが。
ノンポリと言われて、私等と区別するような表現ですが・・・・・、
個別私は生粋のノンポリですよ、まあそれぞれの基準が違いますから、「ヘルメット被ってノンポリか?」って言われるでしょうが、それでもノンポリです。
日大闘争の主力部隊はノンポリ集団で、左翼思想集団ではないですよ
(極一部に極左部分もいたことは確かですが)。
左翼部分に引っ張りまわされなかったのが、唯一日大全共闘だけだったと信じていますから。
思想ではなく、普通の人間の”思い込み”だけで行動してきましたから、主義の義は”義理”の義ですから。
ところで、HNの「返品」も「飛び入り」も無機質で今一よろしくないですね。
もう少しウイットに富んだHNにしてはいかがですか。
紋切り型の書き込みから始まりましたので、「紋二郎」さんではいかが?
■659 10/28 00:42:08 飛び入り Re:飛び入り 様
○Re:返品 様 投稿者: 返品 投稿日: 9月13日(火)
>>ところで、”返品”その心は?
一言で言えば、「1968一同様」ウザイ!
○しつこく返品様 投稿者: 管理人 投稿日: 9月13日(火)
>一言で言えば、「1968一同様」ウザイ!
ありがとうございます。ハイハイ、いいですよ。
…私ら元”単ゲバ”への褒め言葉ですから。ありがとうございます。
○「1968一同様」 投稿者: 藪 投稿日: 9月13日(火)
返品殿 私もそのなかに入っているのかな。であるならば、光栄この上ない\(^○^)/
○水中のみずすましさん 投稿者: 藪 投稿日: 9月14日(水)
長男坊がカミサンに中坊のとき言いましてね、ウザイと。
すかさず!さすが『元県高体連バスケット代表選手』!狙いたがわず顔面にダンクシュー
ト! 小僧!沈没! 文句はいうけど、今だフザケた口はききませぬ。
口の利き方だけは、気をつけないといけません。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>まだ前回の「うざい」発言の顛末は終わっていませんよ。
これらの件ですか? 「お褒めの言葉」と称されていますが・・・
>猛者オヤジが愛息のビンタを張った話題の収拾をつける責任が”返品”さんにはあるの
>ですがねえ。
数日、子育て論議が交されたようですが子育ても終わった年齢でもあり、収束したと思
いますけれど・・・
>ここに入ってくるときは腰を据えて来ないと、飛んでると蝿叩き(昭和レトロで)で叩
>かれますよ。あれからもIP禁止設定はしていませんので、腰を据えて投稿ください。
以前、「ところで…おかしいな、IPは固定だし間違っていないのに。」とかありました
ので、その辺のことは特に気にしていません。
なお、別に皆さんの論議に干渉するつもりもありません。
皆さんの思い出の時代、別の意味で、思えば私なりの「意味ある時」を過ごしたと思っ
ていますし、ノンポリだったこともあり「別の青春」があったことを今にして耳にして
いるようなものです。
>異議なし! 異議なし!
これそのものは気にかけませんが、「日大930の会 討論会場」の閉鎖を見て
http://test.total.co.jp/kamijima/test/nichidai930/scripts/board.pl?EX_CMD=dsp_msg
「日大三島高校OBは見てないだろうなぁ。」と思い、もし見ていたら、BBSでしつこ
くあんな投稿できないモンなぁと思っていた。… やはり知らずに、「異議なし!異議
なし!」と飛び跳ねてるようで、勘に触ってお邪魔虫がでてきました。
防虫剤でも撒いておいて下さい。
なお、あんな投稿と言うのは、http://shizu.0000.jp/read.php/inaka/1124637459/ の
>>652 >>505 >>482 >>473 >>224 >>219
>>179 など何度も話題逸らしで、官の職権をひ
けらかした発言で、ある人の発言を制しようとしています。
・・・官の職権・・・投稿者: 日大三島高校OB 投稿日: 6月 8日(水)
私は役場人生の半分以上を税の職場にいます。・・・
>でも、よろしくないですね、別人のように書き込むのは。
その気があったならば、もっと上手に書きます。
>三島OBさんの報告聞きたいのかな。
・・・と言うより、こちらへの報告も「情報」の一つですので・・・単なる情報収集の一環です。
■658 10/27 12:29:43 管理人 飛び入り 様
どこかで見たようなIPと思ったら、確か9月12日の投稿だったかな、”返品”さん。
「うざい」発言でオジサンたちを大いに活気付かせて下さいましたが。
今度はHNが”飛び入り”さんで未明の午前3時前に飛び入りですか。
ここに入ってくるときは腰を据えて来ないと、飛んでると蝿叩き(昭和レトロで)で叩かれますよ。
あれからもIP禁止設定はしていませんので、腰を据えて投稿ください。
でも、よろしくないですね、別人のように書き込むのは。
まだ前回の「うざい」発言の顛末は終わっていませんよ。
猛者オヤジが愛息のビンタを張った話題の収拾をつける責任が”返品”さんにはあるのですがねえ。
飛び入りさん、静岡だから三島OBさんの報告聞きたいのかな。
最後に、
異議がないからどのようにも異議が無いのですよね(?、三島OBさん。
■657 10/27 02:57:51 飛び入り Re:管制塔被告連帯基金支援
>2005.10.25 night 管理人さん日記に、
>異議なし! 異議なし!
http://www1.quolia.com/kt_yamamoto/nikki_200510.html のどのように異議なし?
日大三島高校OB さん!
それより、全然「報告」もなくどうなっているの?
■656 10/26 16:32:59 J 報告です
管制塔カンパが、9700万円になっております。(10/27現在)多分、目標の1億300万円は行くと思います。
後、600万円くらいですので。多分。
近日中に詳細な報告が、連帯基金からなされます。
御期待を。
この成果は、管理人さんをはじめ、みなさんのご協力のたまものです。
本当にありがとう御座います。
心からお礼を述べさせてもらいます。m(_ _)m
それから、笠置さんのことです。
31日に関係者が、メキシコに旅立ちます。何人かの追悼文を、明日その関係者の方に手渡すことになっています。
帰国されたら、みなさんに報告することができるでしょう。
私もメキシコに行きたいのはやまやまなのですが、管制塔カンパでお金が底をつきました。
当分の間は、謹慎生活です。
ハ、ハ、ハ。(^○^)
■655 10/26 08:37:13 日大三島高校OB 管制塔被告連帯基金支援
2005.10.25 night 管理人さん日記に、
異議なし! 異議なし!
■654 10/24 22:52:21 薮 旧管制塔被告支援
もうじきのようです。
小生。鼻血もなくなりました(笑)
■653 10/23 09:33:29 フ?ーホン (無題)
ラh」ス仝、ヒオ
ハヨ抱、ュ・筰`・ノ、ヌ、筅タ、皃ヌ、キ、ソ。」
■652 10/23 09:20:55 天野屋 みちよチャンこのメルアドです
管理人さんごめんなさい。
小学校クラス会の連絡に使わしていただきます。
みちよチャン、投稿者(天野屋)をクリックしてください。私に直結です。
余談ですが、ここのTOPから農闘委写真集に入ってください。No,16に桃二小六年五組出身の日大全共闘三勇士の一人、MASATOSIの勇姿?が映っています。
■651 10/23 07:58:00 ラッパの大将 タテカン
ML派の影響だろうか?
漢字でない簡字を多用していたナ〜
会議の”ギ”←変換できない!
■650 10/20 02:27:54 天野屋 昨日は電話有難う
おーい、淡酔会殿。昨朝電話をいただき有難うございます。
農斗委写真集のNo.9に若き日の貴方を発見。
故SAKURAI君の写真、確認いたしました。
■649 10/19 21:08:43 ラッパの大将 農闘委写真集
流石に皆さん若いね(笑)
長髪でむさくるしい奴が多いかと思いきや、意外とこざっぱりしてる。
私はバリケのなかで原始人のような生活をしてたからナ〜。
目線を潰した方が怖い?
■648 10/18 04:29:06 天野屋 農斗委赤ヘルレプリカ
赤地に白抜き。前に、全共闘。後ろにN.かすれた記憶は、正しかった。
■647 10/18 01:42:30 天野屋 懐かしい顔顔顔ーーーーー
理工OB様、有難うございました。
No.15 には、どうも私のような顔があります。
中央には、最後まで苦楽を供にした先輩がいます。目頭が熱くなってきます。
■646 10/17 06:27:56 理工OB 天野屋 様
目線を潰していない原版を順次送りますよ。
■645 10/17 03:59:39 天野屋 (無題)
No.9J もいる、HIROもいる、YUKIもいる。
写真(レプリカ)のメットの後ろには、『N』。まさしく、農斗委。
続く写真には、私の小学校の同級生も写っている。くやしい。私がいない。
■644 10/16 21:30:09 ラッパの大将 副議長殿。
「叛逆のバリケード」を開く。セピア色のページが時の重さを教えてくれる。
あの時流した汗が、涙が、血を吐くような叫びが凝縮している。
他学部との交流は全学集会と奪還闘争に参加するだけで、連帯のエールを送るが内情まではわからない。
各学部単独で他の大学並みの学生がいるのだから。右も左もわからない純情な一兵卒には全体の流れは判らない。
「叛逆のバリケード」を読んで点が線に繋がりだした。
文理学部闘争委員会の貴重な貴重な最後の初版本は理工OB殿から我手に。
苦しいときも病めるときも私を励ましてくれるでしょう。
有難うございました。
■643 10/12 05:36:31 天野屋 J,そしてJUN
農獣医のJさんが、出てきた。笠木さんの件で、今度は同じ農獣医のJUNさんが出てきた。
930の会合に、笠置さんが来てたんだろう。私は,そう思う。
やはり、日大全共闘の同志だ!
■642 10/12 02:19:59 w05312 (無題)
sagetest
■641 10/11 22:53:57 ラッパの大将 人は見かけで判断してはいけない
愛妻が「人と会う時はきちっとしなさい。私が恥ずかしいから」という事で、前日に散髪屋に行かされた。
馬子にも衣装。狼にウールの背広。
私はもともとハンサムで優しい。
あの時猛り狂ったのは体制側に問題がある、と思う。
だから理工OB殿が
>「私はソファーからズリ落ちそうになった。
>「ちょっと待って、そりゃ〜違うだろう」、声にならない第一印象。
>しかし、余りにもあの写真との落差が激しい。後から来る方々も、私と同じ感想。
と言われても、親父殿に「お前は強い。強いことは良い事だが。強すぎるのは良くない。」
「敵を創ってはいけない。こちらから攻撃しない限り敵は出来ない」と諭される。
勿論、一線を越えた敵に対しては徹底抗戦をする。しかし仲間に爪を立てたり、牙を剥くことは無い。
酒を飲まないのは制御不能に陥った時の自分に責任が持てないからです。
隣町で町長が汚職で逮捕されたとき、作業服で長靴のまま議会事務局にいた議長に「お前もやめクサレー」と怒鳴ったら震え上がった。とか反対の町の町長に「説明せよー」と問い詰めたらノイローゼになったとか、今の町長に「リコールするぞー」吼えるだけで充分効果があります。
目が釣り上がり、口が裂け、牙を剥く最後の戦いに備え大人しくしています。
その時は是非一緒に闘いましょう!
■640 10/10 07:24:34 与太郎 国民精神高揚運動連絡会
国民精神高揚運動連絡会、こいつ小生と同じくアル中であろう。
アルコールの悪い所だけ特異的に吸着。しかもお頭に。24時間、アルコールの老廃物アセトアルデヒドが体中をめぐっている。常に二日酔い状態。でなければ、売国奴小泉の大便(代弁)等出来ないだろう。アル中から脱却する方法を教えましょう。
@アセトアルデヒドと、ホルムアルデヒドに置き換える。(方法は自分で考えましょう。)もっともこんな文章書く奴には、考えも及ばないだろうが!それをすると、すぐに楽になります。≪良い子はまねしないでね!≫
Aアル中直すなら、 エデンの東 さんに御相談。これが一番早いかな。
B小生の場合。二日酔い対策の為、自宅に酸素ボンベを持ち込んでいます。これで深呼吸5回。むかむかは無くなり、息もすっきり。よい大人は実践しましょう。スポーツ用品店で、簡易型の酸素ボンベは売っています。さらに脳ミソに栄養。駄菓子屋で売っている『ブドウ糖』をかじる。
国民精神高揚運動連絡会の会員諸君には、理解できないだろうな。
田舎の朝からヨッパ
■639 10/10 02:44:52 ラッパの大将 我ら日本国民は、進んで自民党をブッ壊しましょう。
小泉自民党は、亜米利加の利益を守り、日本全土を横須賀基地にするため押し付けられた政党です。
まして郵政民営化法案はブッシュが作ったようなものです。
このようなアメリカの為だけの自由とダブルスタンダードの民主主義を称する一部の不心得者から、祖国を解放しなくてはなりません。次の世代に誇りある祖国を引き継ごうではありませんか。心ある我ら日本国民は、いまこそアメリカの占領を葬り去りましょう。
■638 10/09 20:05:43 国民精神高揚運動連絡会 我ら日本国民は、進んで改憲に協力しましょう。
国民精神高揚運動連絡会
我ら日本国民は、進んで改憲に協力しましょう。
日本国憲法は、日本が連合国に二度と敵対できないようにするため、進駐軍により押し付けられた憲法です。当時、進駐軍は、CCD(民間検閲部隊)による新聞や郵便物の検閲や、ポツダム勅令に基づくMP(憲兵隊)による反対者逮捕により、日本人に言論の自由を許しませんでした。そのなかで進駐軍に都合のよい憲法案のみを許し、取り入れたので、あたかも日本人の支持を得たかのような宣伝がされていますが、これは護憲派による謀略に過ぎません。単にそれらの意見を利用しただけで、大日本帝国憲法の改正手続きを形式的に踏襲するなど、巧妙に押し付け論が湧き上がるのを防いだのです。
まして憲法起草に関わったケーディスやシロタなどは、要注意人物として同じ進駐軍のウイロビー率いるCIC(防諜部)からマークされていました。占領憲法はアカが作ったようなものです。
このような占領憲法と護憲派と称する一部の不心得者から、祖国を解放しなくてはなりません。次の世代に誇りある祖国を引き継ごうではありませんか。心ある我ら日本国民は、いまこそ民族の悲願である正しき自主憲法の制定を実現し、屈辱的な憲法9条をはじめとする占領憲法を葬り去りましょう。
■637 10/09 17:38:37 明大黒ヘル 赤ヘルになっちゃいました
??
■636 10/09 15:27:37 ラッパの大将 あれから一週間 慌しく時が過ぎてゆきました。
出席する前は今後どのような運動展開を行うのか?志田糺殿に色々ご教授願いたかったのですが、単ゲバなモノで戦闘モードに入ってしまい、文理\(^o^)/学科殿の言う、戦友会になってしまいました。
2007年問題は冷静に?対策すべきでしょうネ。
要らぬお節介ですが、新参者殿は“J”の方が呼びやすい。
Aaghさんは摩訶不思議?な方ですね!
天野屋と一緒に居るンだから。
私は水中のみずすまし殿の命令で夜中に暴れださないように添い寝??させられました!!
残念だったのは、我々〈理工さんだけ?〉に関心を持った若い女性に会えなかったことです。
しかし沙漠派のゴッチン先輩がいれば脱線するので先に帰ったのが正解だった??
駅に着くまで、民青→自民現職先輩と電話で議論してた!!
ウ〜〜ン流石、全共斗は幅が広い!
プチ革命の為準備中
■635 10/09 12:14:02 エデンの東 恩讐の彼方に
笠置華一郎さんがなくなられたとか。
私の場合、政治的に言えば戦旗編集部から1970年10月に抜けて12月に関西・仏派の旗揚げ、4月に日向派の襲撃を産別部隊で清水谷公園に撃退。表にいたのでその分、恨みもかったことだろうし、テロ対象にもなった。
だが私は産別の人間、党派による大衆組織介入は常にご遠慮願っては来た。日共と日向派はその点、醜悪だった。日共については省略するとして、3月日向派の愛知外相宅前旅館での産別合宿への部隊介入など許されるものではなかった。
日向派はその後も生き延びたし、戦いもあったろう。産別は1998年頃に核心を失って自然消滅した。
まこと、人生は吹きわたる風のようなものだ。あと、20年足らずの余命が残されているとするならば、日大全共闘の諸君が提起しているようにふいごの風を残り火に送る手立てを求めなければいけないだろう。
■634 10/09 10:09:30 理工OB aaghさ〜ん
大丈夫ですか・・・・
暴れていませんか?
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