■995 2009/08/08 21:51:21 藪 いしし^^
>喋って引くような相手なら、こちらから御免被ってやればいいのだ。
だんだん発言が過激に美しくなってきてる、としみじみ思うのであります。
40年前の感性?
きっと今も小さな涼やかな恋をしています。
■994 2009/08/08 20:43:35 ラッパの大将 亜米利加追従自民党と官僚をぶっ潰せ
民主党が良いとは思わない。
しかし、自民党は我国を駄目にした。
ギロチンに架けるべき。
結果は小泉チルドレンが消えて、小沢チルドレンが湧き出るだろう。
http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMITew000007082009&landing=Next
その次の再編成が見ものだ。
■993 2009/08/08 19:44:24 ラッパの大将 能書きよりも行動=一騎当千の破天荒な男たち
8/9(日)午前10:00
“動物の宝庫”アフリカ・ケニアを訪れ、究極の動物園造りを目指す男3人の生き様に迫ったドキュメンタリー。
http://www.wowow.co.jp/pg/detail/066317001/
■992 2009/08/07 13:16:55 ラッパの大将 Frankenstein's monster
ある寓話を想い出させた。
それは、狂気すらはらんだ研究の末、自ら墓を暴き死体を手に入れ、それをつなぎ合わせることで怪物の創造に成功した。
『フランケンシュタイン』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3
小熊英二『1968』は「大書」なのか?「巨書」なのか?
あの時代に網を掛けた労作は評価する。
30年後なら第1級の資料に為り得たかもしれないが、『虚書』だろう。
なぜなら歴史の証言者や歴史を創った者達が多く存命しているからだ。
あの11・8芸斗委のバリケードに居たのは何名か?
40?80??
正解は・・・判らない。恐らく50前後だろう。
普段の深夜まで及ぶ活動者会議に出るのは20〜30。出ないのも自由だから。
朝、デモに出かけるときも20〜30。出ないのもまた、自由だから。
しかし、顔ぶれは大きく異なる。途中で膨らんでくる。出るのもまた、自由意志。
安全な時は弁舌を振るっても右翼や機動隊の動向を察知するや否や姿を消す者も多く居た。
逆にバリケードの危機に忽然と姿を現すものも居た。
100名程が流動的に存在していたのだろう。
「自称バリケード最長滞在記録保持者」の私でさえ判らないのだから「公安」以外の部外者にどうして分かるのか?
根拠は11.12 芸術学部、右翼との乱闘事件で強制捜索。抵抗した学生全員逮捕。
その時の人数が46?43?
A子の証言からも50程と推定される。
見てきたような嘘をいう講談師、
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0610/061020-20.html
に任せず、自らの歴史書を作り上げよう。
我々には返り血を浴びた体験と未公開の膨大な資料が有るのだから。
■991 2009/08/07 02:30:23 エデンの東 足で書かなくては
大学から追い出されて、ルポライターをしていたとき売文には犬のションベンが必要で、確かに取材をしたよと例えば「朝の江古田駅は雨だった」というふうに書き出したものだった。
「橋本克彦の回想によると・・」が取材に基づいていないなら偽装とか手抜き工事と言うべきものの類だろう。
私の興味は、この大冊のどこに力を入れ、どこを手を抜いたかと言うことだ。
やはり日大ということになると諸君らの憤慨は大きいものになるが、そうさせるものが現在の日大から出てくるものであろうか、それとも諸君らの闘争の評価にあるとこの筆者は考えているのであろうか。
■990 2009/08/06 21:22:34 軟弱銀ヘル 管理人さんは人が好すぎる
ぼやかないで「しっかり殴りたい」というのが私の本音です。管理人さんは人が好すぎる。私は、最初から、まったく直接取材はない、と思っていました。すべて切り張りですよ。それも恣意的な。本当は無視したいのだけれど、この大著?が、後世、一定の権威になってしまうことがあるとすると、とても悔しいです。ああ悔しい。
(でも私は11月8日に江古田には行っていません。連絡があったときは、すべて終わったあとで、江古田ではなく、神田で抗議デモをやるということで神田に行きました。管理人さんごめんなさい。)
■989 2009/08/06 08:15:08 70年代後半 「その手にはのらない」 銀ヘルさんへ
じつは、この本、私の住む地方都市の某大型書店で「立ち読み」(正確には「座り読み」=座席が用意されている)をしています。これからも(時間を見つけながら)コツコツこの「やり方で」読み続ける予定です。
そう、その点でも「その手にはのらない!」のです。
この週末は、いよいよ第9章です。
■988 2009/08/05 15:24:29 軟弱銀ヘル 70年代後半さんへ
成田闘争と同じ構図ですね。当事者を無視していきなり既成事実(発刊)を積み重ね、「誠実」に話し合いにのぞんでくれる「誠実な方」のようです。権力者のやり方はつねに同じですね。一度、廃版をして話し合いたいというのなら「誠実な方」と言えるでしょうね。そうでないならば、話し合いの必要性はないと思います。
はっきり言って「その手にはのらない」です。
■987 2009/08/05 09:20:09 70年代後半 小熊英二『1968』【上】を読んだ≪3≫
『1968』「著者のことば」に集約された”違和感”(続き)
それに、「当時は、貧困・戦争・飢餓といった途上国型の『近代的不幸』が解決されつつあった」って、ホントかよ!
1968当時、まだ子どもだった私は(私でさえ)、「戦争をする国・日本」とどう向き合うのかを真剣に考えていた。
その真剣さ(たぶんに幼稚で未成熟ではあったろうが)抜きに、あの時代は見えてこないよね。
「激動の七ヵ月」の章の終わりには、あの「激動」に支持・共感を抱いていたのは、たかだか3割だったという趣旨のことが書かれていた。
この著者には、あれほど<過激な>行動が3割もの人々に共感をもたれていた、政治・社会・時代のダイナミズムの凄さ!がわからないのだろう。
(長文投稿、すみません!)でも、最後に
銀ヘルさんの「誠実な人」に関する「指摘」、異議なし!です。
(やはり、ここには、「闘いの志」がある! あらためて、うれしくなりました。)
■986 2009/08/05 09:14:41 70年代後半 小熊英二『1968』【上】を読んだ≪2≫
『1968』「著者のことば」に集約された”違和感”(続き)
たしかに、あの叛乱は、「アイデンティティの不安・リアリティの稀薄化・生の実感の喪失といった『現代的不幸』に、どう反応したのか」と分析しうるだろう。しかし、そういった「個」の側面のみに切り取ってしまっていいものか。
「生の実感の喪失」の回復は、体制・権力と向き合うなかで、鍛えられていったことが、分析の視点そのもの【=前提】から大きく抜け落ちている。
迫りくる楯怯えつつ怯えつつ確かめている私の実在(道浦母都子「無援の抒情」)
楯に象徴された権力が見えないのかなぁ…、この著者には。
なにより引用文献が恣意的! 問題を「個」の側面のみに切り取るために、闘いの本質を語った(であろう)文献はことごとく退けられ、個人の「感情」や「思い」レベルの発言(それも多くは回想!)を並べたてて(それも膨大に!*)、「小熊流のひたすらヌルい『あの時代』像(府川充男)」を描き出そうとしている。
*藪さんご指摘の通り、まさに「メタボ本」!
(続きます)
■985 2009/08/05 09:11:08 70年代後半 小熊英二『1968』【上】を読んだ≪1≫
管理人さんが
>”当事者”として違和感が残る。 と、されていたことなどを、頭に置きながら読んだ。
※じつは、まだ、第1部 第3・4章 セクト
第U部 第5〜7章 慶大・早大・横国大・中大闘争
第V部 第8章 「激動の七ヵ月」だけですが…。
私がこの本に感じた”違和感”は、以下の「著者のことば」に集約されている。
著者のことば
「(…前略)当時は、貧困・戦争・飢餓といった途上国型の「近代的不幸」が解決されつつあった一方で、
アイデンティティの不安・リアリティの稀薄化・生の実感の喪失といった先進国型の「現代的不幸」が若者を蝕みはじめた日本初の時代だった。
(…中略)いわばあの叛乱は、「近代」から「現代」への転換点で、
「現代的不幸」に初めて集団的に直面した若者たちが、どう反応し、どう失敗したかの先例となったのである。
本書が二〇〇〇年代のいま、「あの時代」をとりあげる意義はここにある。(…後略)」
(すみません!続きます)
■984 2009/08/04 21:08:14 藪 銀ヘルさん、
失礼しました 私のメルアドはこれです。
すみませんm(__)m
■983 2009/08/04 07:30:46 軟弱銀ヘル 誠実な方
41年前、全共闘と激しく対立した久米さんもじつに誠実な方でした。私たち1年生のクラスにも来て頂き、誠実にクラス討論に参加してもらいました。謙虚な方でした。いまだに久米さんに悪い思い出はありません。しかし、叛バリでは、もっとも否定すべき対象として扱われています。私も、7月には全共闘側に立ちました。「誠実」って何なのでしょう。もっとも危険な人ではないでしょうか。静かに静かに浸透させていく人なのではないでしょうか。
■982 2009/08/02 22:51:35 藪 銀ヘルさん、
こんばんは とある「電脳世界」では、彼の本は「メタボ本」と呼ばれ拍手喝采されてます。
伝えたいけど銀ヘルさんのメル・アドは知らないし、ああああああ・・もどかしい!
なんで知らないんだろ?????
教えてくださいm(__)m
■981 2009/08/02 22:11:08 大木晴子 小熊英二さんの『1968』
吉川勇一さんは、もうほぼ読まれたようですね。
旧「ベ平連」運動関連のニュースに・・・・・
http://www.jca.apc.org/beheiren/541OgumaEiji-1968kankou.htm
「あの時代」から現代の原点をさぐる――著者のことばが掲載されています。
そこには・・・・
「現代の私たちが直面している不幸に最初に直面した若者たちの叛乱とその失敗から学ぶべきことを学び、彼らの叛乱が現代にまで遺した影響を把握し、現代の私たちの位置を照射すること。本書の目的はそこに尽きる。そこから読者が何らかのものをつかみとってくれるなら、著者にとってこれ以上の幸いはない。」
・・・・と結ばれています。
目次も掲載されています。
(上巻)若者たちの叛乱とその背景
(下巻) 叛乱の終焉とその遺産
小熊英二さんは、誠実な方ですよ。
読まれて言いたいことがあったら直接投げかけられたら
きっとしっかりボールを投げてくださると思います。
我が家の黒猫ろくがこんな顔をして・・・・・
ぼやかないで「しっかりと向き合えば!」
・・・って言っています。
【ファイル1】 jpg(38.2k)
【URL】http://www.seiko-jiro.net/
■980 2009/08/01 13:18:11 軟弱銀ヘル ケガの功名で
東京神田の三省堂本店では「1968」は3コーナーを使い、大々的に売られています。そのうちの、レジ前のメインのコーナーでは、全共闘特集みたいな感じで、屋台が作られていますが、当然、叛バリ、佐々木さんの写真集も並んでいます。私が知る限り、三省堂で叛バリや佐々木さんの写真集が前面に出して売られたことはありません。けっこううれしい。ケガの功名で、「本物」が売れればいいのだけれど。
しかし、小熊って奴、切り張りだけで、よく本が書けるな。出版社も出版社だな。
■979 2009/07/31 22:43:19 藪 管理人さんの日記は刺激的すぎる、です
某新聞からの引用にしても、なんやかんやかまわずに突っ込めば突っ込みすぎで絶対に出入り禁止になるだろし、某兄に拳骨を喰らうのが怖いし。某党は、やっぱ一枚岩なのかな?で「建設的野党路線」で・・・なんじゃこりゃ!建設的なヨンジャラ党なんてあるかい!と想いつつ日記を何度も読んでいました。
>某氏の本
管理人さんによればぶっちゃけ「第三者的聞き書き」と申してます(間違ってったらごめんなさい、です)。史学的には某氏さんはえらく間違ってます。すでに過去世世界であるのならばまだしも、第一次史料たる方々(あえて、そう言わせて下さいm(__)m)がいらっしゃるにも関わらず「第三者的聞き書き」をもって「本」を書き記したのでは「史書」としては失格。この某氏さんは単なる怠け者です。まして日大全共斗に対して失礼でしょう(きっぱり)まったく管理人さんの「冷笑」からしても、この「本」の全体な有り様が類推できますわよ。雑文だって。
現物を読んでもない、しかも私ごとき部外者が、ここまでカキコしていいのか悪いのか分かりませんが投稿させていただきます。
■978 2009/07/27 20:05:19 明大全共闘 メットの色
>ヘルメットの色は、白か黒以外だと思います。
そうです。
茶ヘルでしょうか。
茶色のヘルメットは見かけました。
史地が被っていたのでしょうか。
今度、文ゼミのY氏に会った時にでも聞いてみます。
■977 2009/07/27 10:26:53 aagh 表紙の写真A
よく見ると、
「地歴(歴はゲバ文字)T〇〇」と読めます。
下のひとのヘルには、
「反スタ」の黒文字、
あと「〇〇プロ」の白抜き文字も読めます。
ヘルメットの色は、白か黒以外だと思います。
女の子は半袖なので、6.15でしょうか?
けっこう「しぼり」のある写真で、
バックはわかりませんが、他のひとは、ヘルメットをかぶっていませんね?
代々木公園の〇地区ののような雰囲気も、します。
■976 2009/07/27 02:34:39 叛 反戦女子高生?
蛇足ですが、この写真には見覚えがあります。
河出書房刊の「全共闘」(茜三郎・柴田弘美著/2003年5月30日発行)の7ページに記載されています。写真のキャプションには「反安保集会での一コマ」となっています。
茜・柴田の両氏は早稲田出身の全共闘世代。写真と文を茜氏が、文を柴田氏が担当したとあります。おふたりがどの程度の活動歴なのかは本文を読んでも不明ですが、あまねく全共闘への一定のシンパシーは保有しているようです。
ただし、最大にして最強の…かつ、史上比類なき全共闘(某N大全共闘)に関しては、明らかに無知とも思える記述がありました。
この書の中で使用された写真は特定の大学を追ったものではなく、当時の全般的な動きをウオッチしたものですから、あの時代を切り取ったワンカットと考えたほうがいいでしょう。
私見ですが、全体の文脈や写真などから、ずっと反戦女子高生と思っていました。
■975 2009/07/26 20:00:41 明大全共闘 1968
>明治大学の学生だと思いますが。
この写真だけではよくわかりません。
メットのデザインもあまり記憶にありません。
本校(駿河台)の学生だったなら、あまり顔を合わせていなかったので、そうかもしれませんね。
■974 2009/07/26 19:45:15 aagh 表紙の写真
明大の地理は、正確には「史学地理学科地理学専攻」。「地理学科」と呼ぶことはあっても、「地理歴史科」とは呼ばなかったような気がします。
まあ、きれいなひとですので、明大地理でもいいのですが(笑
■973 2009/07/26 10:16:55 文理\(^o^)/学科 1968(上) 小熊英二
1968(上・下)新潮社6,800円が刊行されました。当時の文献などを当たり、ドキュメント風ですが内容は裏を取り、研究書としての価値があると思います。
写真などは無く、文章だけで面白みは無いのですが社会史・政治史としても濃い内容です。例えば11・22集会以降の位置づけとか、党派政治の問題点とかの指摘もあります。
ところで表紙のこの写真、「地理歴史科」というと明治大学以外にそういう学科を知りません。よく引用される写真ですが明治大学の学生だと思いますが。
【ファイル1】 jpg(38.2k)
■972 2009/07/25 22:40:43 藪 年金
某兄から「年金話」があったので、昨日カミタン様に聞きましたの。
「そうゆう知らせがあった?」って。
普段からつり上がったマナコが更につりあがり「見たいの?」と言います。
唇を片側に・Vの字に曲げ私を威嚇するのです。
私は「都合のいい日にでも・・」とマジで答えました。
そしたら一言。
「二人で暮らしたらやっとだけど、一人で暮らすんなら・・・・・・」
私「・・・・・・・・」
二人で笑いました。
ラッパの大将さんじゃありませんけど「これから」です。
■971 2009/07/24 23:03:44 BSヨコハマ 日本百迷山
マスコミが言ってました、登山者の70パーセントが中高年の皆様。
そして遭難者の多くが中高年!
深田久弥氏の著書などに惑わされた中高年が日本100名山全てを踏破しようと・・・幼児が塗絵を行うように、安易なツアーに参加して。
装備も安易そして♪山でふかれりゃよー♪・・・お陀仏・・・。
一方その頃「田母神大本営」が大日本帝国陸軍の侵略戦争を開放戦争だったかのような論理を展開、そんな与太話をありがたがって出かける聴衆が大勢いるから驚きです、郵便局に戦没者遺族に一時金支給のポスターがありました。そしてみえみえのネズミ講に騙される欲張り人種も後を絶たず。
おめでたい日本でございます。
■970 2009/07/19 08:22:52 文理\(^o^)/学科 明大全共闘さま
私のHPはここのHPのリンク→明大全共闘さまの2つ下の「*の城」です。宜しくお願いします。左翼版HPではなく、私の仕事に重きを置いたHPですがどうしても「地金」が出てしまいます。
それが災いの元の一つになりました。それと、業界で私の存在はある種の「化石」であり、「また、不満を言っている」程度のぼやき漫才にしか見られていません。パターンが同じであり、いつも何でも不満である見たいな先入観が定着しています。
それと私が会社の看板的存在で、会社の意見として捉えるということもあります。藪さんが私のブログで緊張感のない「その日その日」的記事にしたら、との意見も私も考えております。難しいというより、目線の位置をずらすことを考えていますが、閉鎖することも範囲内で(別の匿名のHPを立ち上げること)も考えております。
■969 2009/07/18 21:24:27 明大全共闘 (無題) 文理\(^o^)/学科 さんへ
当方の「野次馬雑記」にコメントいただいており、ありがとうございます
すみません。
文理\(^o^)/学科 さんのHPは拝見していませんでした。
アドレス教えてください。
>実名でHPを維持することの難しさともどかしさも感じています。
実名でHPを維持することは、なかなか難しいですね。
私のHPも詳しく見ると実名がわかるようになっていますが、ストレートに出せないです。
HPやブログの維持も「エイヤー!」という気力がないと続かないです。「連帯を求めて孤立を恐れず」を心に刻みガンバルしかない心境です。
>距離感は各自で違いがあり
先日、御茶ノ水で私の知りあいの文理のN氏(文理\(^o^)/学科さんも知っていると思います)と飲みましたが、彼は全共闘から青になり、闘争を続けてグズグズになって敗北していった時の想いは、ともに闘った日大全共闘の仲間にも理解してもらえないのではないかというような話をしていました。
当時の闘争に対する距離感の違いは違いとして、「今」どこに立っているのか、当時の闘争からどこまで流されてしまったのかを自ら確認していくことが常に必要だと感じています。
■968 2009/07/18 15:25:35 文理\(^o^)/学科 管理人さんありがとう。
管理人さんエールありがとうございます。
私自身疲れてしまい、その背景にはネット上の誤解とか問題が発生していました。それを逐一反論することも不毛であると思いました。
私の業界も極めて閉塞化が進行し、生き残る展望も見えません。しかし、今まで切り開いた地平を守り、発展させることが大事と考えネット上で意見を言ってきました。だが、暖簾に腕押し的な業界と、私の意見が空中楼閣となっています。
HPの継続をするようメールなどが来ますが、気を静めて考えることも必要とのメールも来ます。今の社会情勢は本屋での本が、右翼や保守、歴史修正主義の本であふれています。左翼とは言えないリベラルな本も少ない状況です。こんな時代だからこそ、断固たる意見が必要ということは充分わかります。
だが、パトスが擦り切れてしまいました。さらに中*派精神とはいえ本家が無様な状況です。産経や朝日で40年前を取り上げましたが、今を生きる方向性を見出すことができません。私は全共闘運動と、日本赤軍(ほとんどがノンセクトです)、東アジア反日武装戦線、あるいは連合赤軍、戦争的党派闘争などの事件とは無縁な関係ではないと思います。
それらの距離感は各自で違いがあり、無縁という立場に近い人はそれはそれでよいと思います。私は例えば山で殺された明大の遠山さん、京大の山田さんをよく知っています。彼女らの無念を思うと、我々の運動とは無縁だ、ととても言えない心情です。
話は本題からそれましたが、実名でHPを維持することの難しさともどかしさも感じています。ですから考える時間をください。
画像はドイツ赤軍の映画の宣伝画像です。ドイツ赤軍も敗北をしましたが、社民党や緑の党などで意思を継続して運動をしている人も多いのです。
【ファイル1】 jpg(15.0k)
■967 2009/07/17 11:24:11 [THE・1968] 40年の時間
40年前の事を昨日の出来事のように話すことは、経験した者以外伝わりようがないので、そこには大きな断絶があるように一見すると見えます。
でも当時の自分がその時どういう存在であったか考えてみれば、今のばらばらに見える若い人達と同じではなかったのかと感じているのです。およそ学生運動とは無縁と見られ、また、実際多くの日大生は未経験な出来事に遭遇したとも言えるのが日大闘争でした。
私は、闘争の始まる前の学内の行き詰るような雰囲気。前年(67年)の4・20右翼による経済学部学生会襲撃事件が、また再現するのじゃないか、殺されるんじゃないかという恐れが頭から離れなかったことを今でも鮮明に思い出します。その時、50メートルも離れていない法学部からの少数のデモによる合流の意思表示のなんと嬉しく、力強く感じた事か。また文理学部からの大量デモの合流は、経済学部内の重苦しい空気が払拭され、底辺からの流動を感じさせるに十分な手ごたえのあるものでした。
とにかく毎日毎日が、薄皮を一枚一枚とはがされ、実態が暴露され、それまでこんなものかと思っていた幻想がうろこのように剥がれていきました。変に頭でっかちでない学生運動未経験者が大多数の日大生の闘争の始まりはそんなところから出発しました。
今、40年を経過してこの国の文部行政の成果ともいうべき個人個人の閉塞感は、“自己責任論”と“自己規制”でますます逃げ場のない“個”の孤立化が進行しているといえます。40年前の闘争の始まる前の個人の状態と感覚が同じに思えます。40年の時間が過ぎ、当時、多少輝いていたかに見えた社会主義の幻想も霧散し、拠るべき思想も無惨な状態です。
しかし、いま考えると日大闘争を主体として闘った日大全共闘は、全闘争期間を通じて膨大な人数の“意思と志”を持つ人物を各地に放って、その組織は全体としては“守りません”でした。その事は“守るべきもの”は個々の意思であり志であることを
ひとつは示していて、次の世代が経験しなければならない闘いのなかで“復活”すると思っています。
私及び私たちは“昨日の出来事”の記録を、私たちの世代の責任として、これからの世代の方に残す作業を今後も生き続ける限り行っていきます。
■966 2009/07/14 23:31:41 たかちゃん 意見を言いながら一歩前進しよう
いまをどのようにするのか考えろ
について、命令的言葉になったのをおこっている諸君へ
人に命令することは、己に、命令することでもあります。
大木さん、藪さん ご意見ありがとうございます
ここに参加されている片は、本当に社会を、変えなくてはと、思っている方たちと思います。
だから、あえて 言います、年寄りになったように、昔の全共闘ばかりを、わめくのでなくて、
古田君を断行した、成果を、人々に教え、又 その後の負けたことを知らしていく、ことがだいじでしょう。
今は、私を含めて、新しい運動を、どのようにしていくのか、真剣に考えるときではないでしょうか。
以上
藪さん、大木さん アドバイスありがとう
■965 2009/07/12 01:56:10 大木晴子 見上げない、見下ろさない
「見上げない、見下ろさない 」
このおもいは、新宿で反戦意思表示をしている皆さんが
持っておられる想いです。
管理人さんの言われるように横柄な表現はせっかくの繋がりを
切ってしまうことになるのでは・・・・・。
でも、たかさんの言わんとするところはよくわかります。
私も同じような気持ちをここを訪ねた後に感じていましたから。
少しずつでもいいなぁ〜。
個の意思表示を!!
何処かで繋がって温かい!優しい!!力が動き出すと素敵ですね。
【ファイル1】 jpg(43.8k)
【URL】http://www.seiko-jiro.net/
■964 2009/07/11 22:47:41 藪 たかちゃん、
こんばんは 管理人さんは『0.5%』を、いつもいつも主張します。本当は「全共闘世代」なんて、ないんだって事を言いたいんじゃないかと思います。迷惑だと!そりゃそうです、御上と当局を相手に現場で命と心を削る大喧嘩してるときに40年後の「評価」や「認識」を考えたり思ったりする時間なんてあるわけないじゃん。ふつうにそうでしょ。「世代論」なんて、何事も括りたがって安易に考えたがる「部外者」の寝言に過ぎないんですから。
私は68年10月の修学旅行@確認しましたwで白山通りの日大全共斗のデモ!と東大の安田城攻防をみて「カッコいい!!」のお調子組で進学したらやるぞ組でしたけどね。私はひとのせいにはしてませんよ。当時の私の仲間もそうだと確信してますのよ、ほほ。
>いまをどのようにするのか考えろ
はい、考えましょうね。ご一緒に。
■963 2009/07/11 09:38:10 管理人 RE:たかちゃん
いつも見ていただいてありがとうございます。
「お前たちの責任だから自分で何とかしろ」=「責任」=自己責任論・・・・、この論理展開は止めましょうよ。
町村さんや福田さんが意図的に使う論法ですよ(笑。
強烈な反論差し控えますが、一点だけ。
「君たち」=「全共闘」=「世代の凡そ0.5%」・・・と思う。
0.5%の根拠は、
理工学部で最後まで残った全共闘メンバー約200名、理工学部の学生数5000名でそのほぼ4〜5%
当時の4年生大学の進学率約15%、15%×4%=0.6%
何度も言っていることですが、個人的には、私等の向こう側で傍観していた99.5%をさて置いて、今の世の中育てたのは「0.5%」の君たちよ!、と世代責任を一方的押し付けられても釈然としない訳で。
それと、「考えろ」という上目線の物言いはやめましょうよ、
これからも仲良く一緒にやりましょうよ”たかちゃん”。
■962 2009/07/11 02:07:43 水中のみずすまし やっぱり連合赤軍に至る
エセ全共闘シンパ記者 朝日夕刊「人脈記 叛逆の時を生きて14」2009.07.10東京版を見て…。
執筆者・臼井氏は、他の同世代前後の「あたかも左翼擁護派評論家」と同じ人種であったことが判明した。
69年後半・へ理屈を込めたセクトの「全国全共闘運動」これぞ全共闘運動の真髄→正義の百姓一揆火付け役・日大全共闘は「はしり程度」の位置づけ(ごく素朴な全共闘坊や達と言いたいらしい)→東大全共闘は「これぞ全共闘・運動の柱」→仲間同士の殺し合い「連合赤軍」→・・・大地の狼・さそりの無差別爆破事件→日本赤軍の国際テロ事件
相変わらずの全く箸にも棒にも掛からぬ左翼支援者風評論家の理屈には反吐が出る。
同記事の一節、『(加藤倫教コメント)アメリカはいずれ中国と衝突する。その前にアメリカ支持の日本政府を倒さねばならない、と。』…。『植垣は、ナイフやアイスピックで仲間を殺した。「自分を軍人だと思っていた。…』
現役の軍部青年将校が軍の重機・弾薬・兵隊を使って天皇に「世直し」を訴えるために立ち上がった5.15や2.26事件でさえ鎮圧された。
それを大東亜戦争の前線で死闘を経験したこともない「教祖様」にあおられ、一般市民の銃砲店を襲って猟銃を手に入れ、銀行強盗で金を手に入れ、一度は同志と誓い合った仲間を殺し、挙句に逃げ回った連中を「叛逆の全共闘の一員」がごとき記事構成を企てる「臼井氏」。
これまで機動隊の側で取材し、適当に同情し、「全共闘」を知ったかぶりして語る、『ノンフィクション作家・評論家』の肩書きをほしくてしょうがない…、マスコミに登場したい連中の一人と、断言できるが、当HP愛読者はいかが思うや。
■961 2009/07/11 00:07:03 たかちゃん 世の変人
みなさん初めて投稿します
毎日見ています
年老いた人達が昔なつかしく全共闘時代を話しています。
楽しいですか
古田さんを団交して勝利を収めたことは大きな勝利でしょう
そこで、終わってますね
NHKにでて うれしくなったようですね
その後、今の社会を育てたのも君たちでしょう
もうすこし全共闘といわず、いまをどのようにするのか考えろ
■960 2009/07/10 03:40:53 水中のみずすまし (無題)
○大木晴子さんへ
都議選投票日に出張予定あり、昨日午後7時30分頃、近くの区出張所に「期日前投票」に出かけました。
職員4名・立会人3名が待機していましたが我が夫婦のみ…、5分ほどで投票終了。
夜8時まで投票できるのですから、普通の勤め人は日曜日に限らず、無理なく事前投票できるのです。
選挙管理委員会が投票行動を広報したければ、なぜ、テレビ・新聞で呼び掛けないのでしょうかね。投票率が上がると困る政党の存在が裏に見えます。選管現場の役人は当該政党の意のままに業務遂行しているのでしょうか。叛旗を翻せ!
○文理\(^o^)/学科さんへ
小生の田舎の同様。結局は地元労働者への仕事を増やせと、無駄公共事業の増大に繋がる基盤・理屈に繋がる図式になるのでしょうか。企業に仕事が廻らなければ労働仕事が発生しないのですから。プロレタリア直接受注公共仕事はありませんので。
○軟弱銀ヘルさん・明大全共闘さんへ
西口フォークゲリラ在りし頃は、ヘルメット姿で近づくと周辺を固めた機動隊・公安刑事に「任意検問・身体検査。実は強制職務質問」を受けて参加不能になってたんだよね。やな時代だったが、今現在はもっとひどい状況。職務質問を拒否した途端「公務執行妨害」で一瞬のうちに「署で事情を聞くから…」とパトカーに乗せられるらしい。
○80年代さん、他当事者各位へ 「朝日夕刊 叛逆の時を生きて」の件
このシリーズの「臼井担当氏」の記事は中々のもの。当時の体制・権力側の不正弾圧行為を全共闘側の主張に沿って文体構成しているものの、断定的言葉は「さらりと避けて」の文章。事情を知る者にも事情を知らない者も目に留まるが、当時の体制のひどさは伝わらない。
また、登場者は「有名人」或いは「有名人に接した」人間エピソード、または、昨年のNHK等テレビ特番に出演関係した方々にほぼ限られている。ニュースソース源が乏しいね。定番企画記事「人物往来」再登場。全国紙に「全共闘その後」を取り上げてくれた臼井氏には素直に感謝するが。
■959 2009/07/09 22:38:35 藪 ご存知の方も、おりましょうが カメラマン篠田昇の残したもの
http://channel.slowtrain.org/shinoda/
を、紹介させてください。佐々木さんとの想いが書かれてます。どぞ、どぞ。
ps
「今、全共闘をふりかえる」というテーマで「流動」という雑誌が家にありましたの。
最首悟・神津陽・津村喬・笠井潔の面々(ありきたりきの)がお喋りしてます。
この方達はおいといて、中に『「農民」になること‐生活の場から』by田村正敏。
という論文が載っておりました。
抜き書きするには勿体なく、どうしたらいいか分からないのでブツはナニしようと思います。
■958 2009/07/09 22:34:04 文理\(^o^)/学科 そうだよ。。
管理人さんが言う通り。管は東工大のスト破り、町村もそう。いわば反動です。そういうのを乗せて朝日は"バランスをとる"という考えかもしれないが、不愉快である。
バリケードの内側と外側とでは、深い溝がある。
■957 2009/07/09 07:52:07 軟弱銀ヘル 明大全共闘さんへ
明大の皆さんには頭が上がらないです。拠点としての和泉校舎、集会場としての記念館、逃げ込み先の学生会館。明大が頼りでしたね。明大生は、私たちに優しかった。感謝です。
以前の記念館が高層ビルの校舎に変わって、指名手配のような感じで、名前を掲示して新左翼系学生の入場禁止の立て看が立てられています。他校とは言え、少し寂しいです。
■956 2009/07/09 00:06:12 80年代 (無題)
ついに登場ですね。待ちに待っていました。しかし、今の状況は、皆さんにご心配とご迷惑を掛けっぱなしで、心苦しいばかりです。
しかし・・・「闘争勝利!」・・・です。
【ファイル1】 jpg(127.4k)
■955 2009/07/08 20:35:41 明大全共闘 新宿西口のデモ
軟弱銀ヘル さんへ
明大和泉には文理の皆さんを含め、日大全共闘の方々がいっぱいいましたね。
西口のデモは1回だけですが参加しました。
その時はヘル部隊の記憶はありません。
ほとんどノンヘル。
デモ隊の脇を白ヘルを被ったお兄さんが乗った車が行き来して警察情報を伝えていました。
■954 2009/07/07 22:47:46 軟弱銀ヘル フォークゲリラの思い出
69年の新宿西口フォークゲリラは、私にとって4年間の全共闘活動の中で、いちばん楽しい思い出かもしれない。私たち銀ヘルグループは、明大和泉校舎から出陣しましたが、べ平連幹部から、派手にやらないでくれ、と圧力?を受けていたので、ヘルメットと旗を隠し持って集会に参加しました。最後の歌は、お約束のインターナショナルで、この歌が終わると、私たちは、座り込みを解いて、ピーッと笛を吹き、一斉にスネークデモに移りました。私たちは、30人くらいの部隊しかいなかったのですが、デモが始まって、後ろを見ると、いつも1000人くらいの一大デモ隊になっていました。楽しかったな。なぜかヘル部隊は、私たち以外は赤ヘル数人しかいなかったような気がします。なんでセクトの諸兄はこんなおいしい場面を見逃しているんだろう、と不思議な気がしていたものでした。
■953 2009/07/05 19:55:41 文理\(^o^)/学科 もうダメかもしれない
今仕事で鳥取市にいます。仕事で体力が持たず来週には東京に帰ります。鳥取で昔の仲間と会ったのですが、地方の疲弊度は予想以上に激しい。政権が自民であれ民主であれ、どうにもこうにもならない。
作業員さんを募集したが200名枠に1000人以上応募がある。日当6300円で雨天日は支払いはない。ハローワークで募集して作業員さんと会話をした。仕事がない、この現実を直視する。
6300円で月に雨天日がないとして、22日働いて約13万円である。それでも作業員さんは真夏日で必死に働く。若い人もいるし、リストラにあったサラリーマンもいる。
昔だったらプロレタリア革命をオグルるだろうが、今の現実を見るとそういう話はできない。もうどうしようもない、という気持である。地方も物価は東京と同じである。革命以前に生活をどうするのか、切実なもんだいである。
【ファイル1】 jpg(38.8k)
■952 2009/07/05 01:07:50 大木晴子 記録は動き出しませんか。
あの時代・・・
あの時の想い・・・
記憶が記録されていることは素晴らしいとおもいます。
その記録は動き出しませんか。
【ファイル1】 jpg(44.5k)
【URL】http://www.seiko-jiro.net/
■951 2009/06/30 23:02:45 軟弱銀ヘル 山本さんの写真
朝日新聞の山本さんの写真については、よく覚えています。「安田講堂」の寸前、記者に囲まれてインタビューを受けていたときのものです。記者からの「角を矯めて牛を殺すことにならないか」という質問に、「殺さなければならないこともあるでしょう」と突っぱねていました。当時、へー、やるなと思ったものでした。やや疲れた顔をしていますね。
しかし、山本さんは、いつもヘル姿、秋田さんは、いつもノーヘル姿ですね。秋田さんはヘルをかぶったことがあるのでしょうか。
■950 2009/06/29 22:43:51 藪 管理人さん、ありがとう 先日の土曜日。
30数年来の後輩と一杯やりましたの。
入学前に里塚で一戦やらかしパクられて、学内初登場以来のお付き合いです。
うちは地元新聞だけど後輩んちはA新聞をとっていて、夕刊を貰ってきました。
ところが佐々木さんの章がなかったのです。よかった、よかったですぅ。
続きは後輩の連れ合いさんに頼んどきました。
連れ合いさんは、彼女が高校生の時からの知り合い。同郷ですのよ。
話は簡単です。だからと言って私の缶ビールを飲まないでください(^^)
書棚には叛バリが、叛バリさんの許可を戴いた『レジュメ』のコピーと一緒にあるのです。
■949 2009/06/25 20:46:09 明大全共闘 管理人さんの日記を読んで
安田講堂の記事に出てくる人物は、前田さんではなく米田さんですよね。
反逆の時代を生きて4回目は佐々木さんでしたが、日大全共闘写真集はいわゆる「写真集」という範疇ではなく、佐々木さんの想いが詰まった個人のアルバムのように思えます。
それがいいのでしょう。
この記事により、写真集が若い世代の人たちに広く見られることを期待します。
■948 2009/06/14 23:04:43 藪 場でして、ごめんなさいm(__)m
aaghさん、こんばんは
こればっかりはセンスつうっか感覚の世界です。
趣味の世界でも。
■947 2009/06/13 04:26:04 aagh (無題) 藪へ
申し訳ないが、彼のロックは好きではない。
「コトバ」を、感じないから、だ。
■946 2009/06/11 21:40:22 The「1968」 最近の経済記事から
「どこからどこへ」さんも言われているが、この夏の米国発金融崩壊は、いよいよ現実味を帯びてきているようだ。米国の単独覇権体制から多極化(BRIC・GCC・EU)した経済体制へ覇権が移行するようだ。これまで世界は、米国の生産から消費のほぼ全ての領域でドル決済による支配を受け、特に、この国の人々の多くは環太平洋(海側)の優位性(米国従属化)を選択し恩恵を享受してきた。ところが2007年に顕在化した究極の集金システム(プライムローンの破綻・崩壊)が行きづまり逆回転をはじめ、更にイラクとアフガン戦争は泥沼化し足抜けができず軍事費の負担は増大している。第2次大戦後世界の覇権体制は、英国・米国・(イスラエル)の産軍複合体によって維持・支配されてきた。冷戦後のイラク・アフガン戦争の泥沼化は、イスラム精神を惹起させアラブ諸国に敵対するイスラエルは、国が消滅する可能性まで出てきている。米国の覇権の終焉の影響といえる。
目を転じて、東アジアはBRICのうち(ブラジルを除く)ロシア・中国・インドがあり、特に最近の中国の経済成長は改革開放政策によりGNPでも来年当たり日本のGNPを抜くところまできている。このことを背景に、現在米国の国債をもっとも多く保有しているのは中国であり、米国の金融破綻の影響を大きくかぶる国といえる。このことの回避策として最近の中国は、世界の鉱物資源の確保等の動きが活発になっている。こうした動きの結果、東アジアの覇権の確立は「人民元」建・決済の方法で行われる可能性が高い。北東アジアの枠組みは中国を中心に日本・韓国・北朝鮮・ロシアの5カ国で、実質は米中両国とその他となる。東南アジアは上海機構に組み込まれ、やはり中国がその中心にあることはかわらない。こんご中国の経済成長はすすみ、国内の矛盾を内包しながらも全体として国内需要拡大の方向に向かっていく。
これは、インドの経済の成長と内需拡大(タタ自動車の販売拡大)と(一部に富が片寄る傾向がありながらも)ロシアの石油・ガスの価格高騰による内需拡大傾向といい、地政学的な面からも従来の海側の優位性から陸側に優位性が移ってきているのが、米国の覇権の終焉と同時に顕在化してきているといえる。
英国(パックス・ブリタニカ)〜米国(パックス・アメリカーナ)の終焉。米・中の2カ国を中心に・中東・EU・南米ブラジルと多極化する時代に、この貿易立国はどこへ行こうとしているのかな?(破綻寸前の英国とおなじ洋上の孤児になるのか・・・)
■945 2009/06/09 21:46:11 藪 無責任に(^_^;) 闘争勝利!
http://www.youtube.com/watch?v=aJdMa1VI0do
■944 2009/06/07 10:57:22 新闘委1969 貧困について
ある樵が山林地主に一万円をはらって木を切り出し、二万円で材木屋に売った。それを家具職人が三万円で買い、テーブルを作って四万円で売りに出した。各人の収入はそれぞれ一万円で、四人の収入の総計は四万円である。左側には四万円の収入があり、右側には四万円の商品がある。
もし樵の取り分が五千円であれば三万五千円の総収入に対して三万五千円の商品になり、材木屋が自分の収入を一万五千円にすれば四万五千円の総収入が四万五千円の総商品に対することになる。さらに一人の商人が現れてそのテーブルを買い五万円で売るとしても同じで一方に五万円の総収入があり反対側には五万円の商品がある。総収入の額と総商品の額は常に等しい。この二つは違うことができない。だから収入のすべてが支出されればすべての商品が売り切れる。
このとき、収入の一部が支出されずに貯蓄に回されるとするとその分の商品が売れ残ることになり、その商品が売れればもたらされるはずの収入が実現しないことになる。そこに発生する貧困の量は貯蓄の量と等しい。使われずに残った貯蓄は世界の反対側に自分と等しい量の貧困を生み出す。
加賀百万石の国で百万石のすべてが消費に回されれば百万人が生きることができる。十万石が貯蓄に回されれば十万人が餓死する。十万人の餓死を防ぐには溜め込まれた十万石を没収して貧民に配ればよい。
貯蓄が残るということは、それがなくても生活が維持できるということなのだから、それを没収して貧民に配れば貧困を解決することができる。
現物のコメが溜め込まれてしまったら力まかせで放出させるしかないが、カネが溜め込まれている場合にはいくつか方法がある。木の葉っぱに「かね」とスタンプを押して貧民に配ることもできる。または、没収するのはカドが立つというのなら公営の銀行に預金を集め、その金を国づくりのためとかいう名目でバラまけばいい。これが要するに郵貯による公共事業だ。しかしこの、「郵貯による公共事業」という偉大な循環ポンプの一つが今機能を停止されようとしている。日本経済の急所が突かれたのだ。
■943 2009/06/06 02:06:08 aagh@明大文ゼミ協 (無題)
?>卒業後、I君はネパール、
わたしではないかと思い、ドキリ!
【URL】http://geocities.yahoo.co.jp/gl/meidai1970/comment/20090522/1242993406#comment
■942 2009/06/06 00:43:24 70年代後半 管理人様
失礼など、めっそうもない。ホントありがとうございました。
>一面識もない、
>年齢も知らない、
>過去の履歴も知らない…わたしと、
親しくお話しいただけて、とてもうれしかったです。
”もやしラーメンのS”さん
迫力があって、後年の活動家にはないパワーを感じる方でした。
きっと、そのあたりが日大の強さの秘密かな
と、思った昨晩でした。
■941 2009/06/06 00:18:36 70年代後半 きのうは、はからずも、
銀ヘルさん
>私の周辺は、皆ドロップアウトしてしまいました。
わたしの、まわりも(ドロップアウトとはすこし違うかもしれませんが、)いまは会うことが、かなわない仲間が、ほとんどです。
…で、わたしは、ここにきました。それで、書き込みをさせていただくだけでも感謝!なのに…。
きのうは、はからずも、管理人さんにお会いすることができました。(じつは、すべてはY氏の、おかげです。)それにしても、うれしかったなぁ。ネットの奇跡に感謝!
藪さんや銀ヘルさんに
お会いできる日も近い気がしてきました。
■940 2009/06/04 20:50:11 軟弱銀ヘル こんな程度の話しですが
当時、私たちの小グループ「カムイ伝研究会」のメンバー、I君の3畳の下宿が西武線の中井にありました。窓の下には神田川‥でした。そこにグループリーダーのN君が転がり込み、2人で暮らしていましたが、当然、そこが私たちの溜まり場になりました。ここでガリ版を切ったり、ヘルを隠しておいたものでした。管理人さんの桃井コンミューンから、直線で6kmくらいの距離です。管理人さんとずいぶん近くに居たのですね。
I君は、新宿三丁目にあった東映映画の2階の食堂で働いていたので、どんぶりモノを作るのが上手で、下宿に行くと玉丼を作ってくれました。
卒業後、I君はネパール、N君はアメリカに海外に行ってしまった関係で、今ではまったく連絡がつきません。
私の周辺は、皆ドロップアウトしてしまいました。死ぬまでには一度会いたいものです。 i60-36-100-
■939 2009/06/03 22:11:32 70年代後半 わたしも!
「頭ごなしに怒る」人間で、ありたい、と思っています。
いつも、旗印を鮮明に(子どもに対しても)して、生きたいという、気持の表れでもありますが…。
■938 2009/06/03 20:24:14 藪 連投失礼します 日記を読んで。
>頭ごなしに
私は「頭ごなしに」に怒る方です。子供たちが「勢いで」身体を動かしているとき、優しい言葉では止まりません。自分の子でも・近所の子でも・月ニで顔を合わせてる子でも・まったく知らない子でも同じ。私は思いっきり怒鳴ります。そうしないと気づいてはくれません。まして当該の子供たちの身に迫る危険行為なら、なおさらのこと。思いっきり怒鳴ります。止まってから呼び寄せ説明するんです。ダメなモノはダメ!
いろんな考え方がありますんで、私の行為が良いとは限りませんけど、。
偉そうに御免なさいm(__)m
■937 2009/05/31 20:40:35 藪 >フレンチ・トースト
70年代後半さん、こんばんは
30数年前の私は知りませんでしたのよ、フレンチ・トーストって(..)
しかも卵は高級食品でしたよね。冷蔵庫が無かったので八百屋で一個買い。
米殻みたいのに一個ずつ置いてありましたの(遠い眼)
>辛子マヨネーズソース添え
ほんとにもう70年代後半さんはオシャレでハイカラだったんですね。
豪華ですわい。
すばらしいお連れ合い様に乾杯\(^o^)/
■936 2009/05/31 01:48:51 70年代後半 パンの耳といえば…
当時、近くのスーパーに、食パンの両端と耳が袋詰めされ「20円」で売られていました。
その頃いっしょに住んでいた(注)いまも一緒に住んでいる…)女性が買いに行くと、「20円」なのですが、わたしが行くと、パンコーナーのおばちゃんが「(タダで)持っていっていいよ」って、言ってくれるんです。で、いつも、わたしが「買い」に行くことに…。
トースト(焼き)ばかりでは飽きるので、揚げたり、ときには(とくに両端は)オシャレにフレンチ・トーストにして。キャベツ<EX.辛子マヨネーズソース添え>とともに豪華ディナーに…。
もう、あの頃から30数年が、過ぎました。
■935 2009/05/30 21:53:48 aagh@明大文ゼミ協 明大全共闘関係で、
演劇の話題で盛り上がっています。
「あの頃」誰も知らなかった裏話とかも、あるようです。
その「歴史」を、伝えましょう。
【URL】http://geocities.yahoo.co.jp/gl/meidai1970/comment/20090522/1242993406#comment
■934 2009/05/30 00:35:44 藪 >貧乏食
私的にはキャベツが神でした。
焼いたり炒めたり、煮たり茹でたり、塩でよし醤油でよしマヨでよしソースでよし。もちろん生でよし\(^o^)/
かくれた同志、玉ねぎとの相性はファンクスのような抜群のタッグチーム。キャベツと玉ねぎを塩コショウで炒め魚肉ソーセージがたまに入って鰹節をふりかけ醤油をチチッと振りかけるとお酒の友、ご飯の友。なにもいりませんでした。
しかしながらもやし&パンの耳単体共闘と比すると、ビンボなりに私は「マトモ」なお料理をいただいていたのかもしれません(^^ゞ
■933 2009/05/23 22:11:54 文理\(^o^)/学科 貧乏食・・
もやしラーメンもうまそうだが、私の場合パンの耳ラーメンです。ふやけて「麩」みたいになりますが量で勝負ということです。味が薄くなるので塩を足しました。
それと、新宿のション横の鯨カツ定食ですがあれを仲間が「豚カツ」だと言っていました。私が「鯨」だといっても「豚」だと言います。その仲間は「豚カツ」を知らないのです。そういえばパクられると、カツ丼が定番でしたが私はカツ丼をデカが出したのは2回ぐらいしかありません。
完黙貫徹でしたが、私みたいに何回もパクられると少し雑談になります。その時にカツ丼が出たと思います。でも、完黙が基本ですから昼飯の基本は官食です。延べ200日ぐらい留置されたり、鑑別所送りにされたりしましたがカツ丼は2回しかなかったと思います。冷えててうまくない。。
救対を通して、母親からのおにぎりの差し入れを取り調べで食べたのがおいしかった。
■932 2009/05/23 08:58:58 aagh もやしラーメン
作って食べたくなりました。
どんなグルメ番組よりも、グルメでした。
■931 2009/05/17 08:35:48 70年代後半 被写体当事者ではありませんが…
わたし(当時小学生=いま50過ぎのじいちゃん)は、集会を見たことはないですが、中学入学直後、高校生のデモ隊に遭遇したことがあります。かなりの人数がいて、走り去るような感じのデモだったので、第1印象はアッ風が吹いた感じ…でした。そのあと、「(ボキャブラリーがすくなかったせいもあって)楽しそうだな」と、思ったのを覚えています。いま回想すれば、そこには「解放感」があふれていたんだろうな、と思います。写真の子らも、同じ感想(=わぁ、お兄ちゃん達、楽しそうだ)をもったのでは、ないかと思います。
そんな記憶の断片が残っていたとしたら、自らが入学後の大学の閉塞感との落差にガクゼンとした子もいたのでは(わたしも、そのひとりです)…。ただ、それ以上に72年頃からの徹底したキャンペーンと高校での締め付け等によって、圧倒的な多数は、自ら主体的に大学や社会とのかかわりを考えることを予めネグってしまっていたというのが、70年代後半のキャンパス状況ではないかと思います。
■930 2009/05/16 15:25:16 80年代 新版友達のパンケーキ
先日、書店の方から電話注文がありました。書店「お客様の注文です。新版友達のパンケーキ、一冊お願いします」
電話を受けた私は、児童書だと思い「版元違いでは?」と答えましたが、「新版」が気になり、聞き直してみると「走り書きのメモなので読みにくいんですが…友達のパンケード?パリケード?…」なんとも可愛らしい書名に化けた、叛バリでした。
この後、社内で爆笑でした。
■929 2009/05/16 00:48:10 水中のみずすまし 68年の小学生
今、当HP表紙に掲載されている「佐々木みちこ写真」の左下に写る児童達…。いい写真ですねー。児童達の服装は我等の小学生時代とあまり変わりはない。これぞ歴史を感じる記録。一体いつ、どこで撮った写真だろうか。
この子達は我等より10歳位年下の世代(つまり50歳位のじいちゃん)のはず。どんな思いで大学生の集会を見ていたのであろうか。
彼等が大学生になった時は、全国的大学経営管理体制確立の後。あの時代との落差をどう感じていたのだろうか。
もし、被写体ご当事者がいらっしゃれば是非ご感想を投稿いただきたい。
■928 2009/05/15 06:55:55 JUN 瀬戸内海放送(香川・岡山)
みなさん、おはようございます。
「高知白バイ」事件の片岡さんは、昨夏の最高裁上告棄却=「有罪」確定で現在収監中です
が、瀬戸内海放送がその後を追いかけています。5月3日には地元の高知市自由民権記念館
で集会も開かれました。(参加したであろう知人を動画を見て探したが分からなかった)
瀬戸内海放送では、シリーズ全17回分の動画をHPで公開しています。
お時間のある方は、是非ご覧下さい。
http://www.ksb.co.jp/newsweb/indextable.asp?tid=4&sid=7
【ファイル1】 jpg(28.0k)
■927 2009/05/14 10:38:44 J れ:救援480号
今回の救援は、サイトに行っただけでも、お世話になりました。
漆間巌・官房副長官のこと。(小沢への西松建設献金問題に絡み、話題になった)
何も反弾圧専用のサイト、機構ではないことを痛感した。
■926 2009/05/12 13:42:06 J 何というか
管理人さんのmy favorite songs、いたく心惹かれました。
Kawai Ikuko Tasogare no Waltz
■924 2009/05/01 00:42:07 水中のみずすまし 佐々木おみっちやん写真集
●佐々木美智子写真集『〜あの時代に恋した私の記録〜「日大全共闘」』(発行 鹿砦社)本日現品到着。本編332ページ。
これ写真集にあらず…、アルバム。
発行直前、O氏より「ゲラにて貴兄の写真と名前が掲載されているを見つけたが、了解したのか否か」との電話連絡あり。小生全く事情分からないが、名前削除の申し入れには賛同した。
が…、P328・右上の写真・怪しい二人の右側の「パンチパーマ、ふち無し色つきメガネのヤクザ風男」にしか見えない小生の数数年以上前のスナップ。こんなもんなら喜んで実名キャプションに賛同したのに…。
「右翼日大全共闘」の証拠写真に転用ください。
■923 2009/04/29 22:53:00 藪 591-1301 JUNさん、こんばんは
救援連絡センターにはお世話になりました。とにかく連絡して、アレして、コレしてでした。タオル・歯ブラシ・パンツと肌着。想いだします。気ばかり焦ってなにも電話で言い出せなくって、「電話では言わないでくれ」と言われて。盗聴されてるからと言われて。
山で亡くなった事務局長さん。想いだしてしまいましたm
JUNさん、ありがと!でした。
■922 2009/04/29 08:09:24 amanoya 豚インフルエンザ
新型インフルエンザって、そんなに恐ろしいのか?
毎冬のインフルエンザでは、世界中で何千人も死んでいる。
選挙にらんで新型豚インフルエンザワクチンを製造させると騒いでいる要一くん、
新型豚インフルエンザウィールスの病原性はどれ程の物か、確証はあるのかね?
新型こそウィールス新米だ。進化したウィールスに比べれば、病原性なんて軽いはずでしょ。
新型ウィールスに感染した人間がだけが死んでいるのだろうか?
問題はほかの病原体の介在が隠されていることだ。
豚ウィールス感染死亡者は、他の病原菌の二次感染によるものとする説が浮かび上がっている。問題は、その地域の衛生状態だろう。
普段衛生上の問題がほとんど無い地区に住んでいる人間が、不衛生地区に入り込んだ場合はどうなる?
何の抵抗力も無い人間だ。感染=発病。ひどければ、病死。
日本では、毎冬ノロウィールス中毒が発生する。何人死ぬ?
O−157は、出るたびに死んでいる。
冬季インフルエンザでは大被害が出ることは確実だ。
そのワクチン製造を全面ストップしてまでも、新型豚インフルエンザワクチンを製造する意図は何か?????
危機管理と言うならば、その新型ウィールスの日本上陸を阻止することではなかろうか?
新型豚ウィールス汚染国からの豚輸入を禁止することのほうが先決だろう。
メキシコだけでなく、アメリカからもだよ。
これを機会に食料自給率UPを推進すべきだ!!!
選挙向けのパホーマンスより国民の安全を考えろ!
漢字読めない空気読めない阿呆が、危機管理本部長なんて誰が認めるものか。
■921 2009/04/27 09:56:02 JUN 「救援」紙第480号より
「獄入り意味多い」(ゴクイリイミオオイ-XX-X591-1301)でお馴染みの、
(業界人の中にはお世話になった方も多いと思いますが)救援連絡センターは、
1969年創設ですから今年40周年ということになります。
そして「救援」紙もこの4月で第480号、センター事務局長・スタッフ・運営委員
の方々の持続する奮闘に、敬意を表したい、彼・彼女らは「最高の人間」たちです。
センターURL http://kyuen.ld.infoseek.co.jp/
お世話になる恐れのある方は――センターのお世話にならざるを得ない状況は、
本人の意思には関係なく権力の勝手な都合で突然やって来るのですが――時々、
救援連絡センターHPを覗いて、正しい電話番号と代表弁護士のフルネームの記憶を
「更新」することを、お勧めします。なにしろ記憶力の減退が顕著な年頃ですから。
そして、そうなっちゃたら完全黙秘です!!カンモクです!!
さて、その第480号に鹿砦社の広告が出ていました。以下、添付します。
【ファイル1】 jpg(59.4k)
■920 2009/04/26 06:26:20 JUN やったね!
moto0429さん、やったね!完璧だ!
アスペクト比16:9で完成、お疲れ様でした。
日大全共闘・芸闘委行動隊長(半田健人監督作品)
http://www.youtube.com/watch?v=LyMdEIQQJww&feature=channel
青春は・・・?、今です(半田健人監督作品)
http://www.youtube.com/watch?v=HiJQkXiY2Rc&feature=channel
■919 2009/04/25 11:02:14 J こんな話題でも、ぞうぞ
YouTubeで一躍世界の人に知れ渡った、スコットランドのおばさん。
その名は、Susan Boyle。
容姿は、写真とURLを添付しておくので、確認してください。
http://www.youtube.com/watch?v=vMVHlPeqTEg&fmt=16
容姿と歌声のミスマッチが、絶妙であります。
ハイ。
■918 2009/04/22 22:19:24 70年代後半 深く静かに浸透する…1968
親愛なる某Y氏とお話ししていて
あの叛バリ・138P!(あのページに読書カード!)は、私を圧倒するなどというレベルではなく、
もっと深い仕掛けだったことに気づきました。
それは、「マイドキュメント」への伏線で(テーマとなり)、
さらに佐々木さんの写真集へと繋がっている…と思うのです。
■917 2009/04/22 18:57:01 藪 大々大推薦のお言葉\(^o^)/
我が家にUFOが飛来し、見せつけられました。
こりゃ!だめだ!購入するしかありませんがな。
70年代後半さん、ありがとうございました(^^)/~~~
■916 2009/04/22 11:07:07 JUN 北海道新聞記事
「ベルク」ブログ http://norakaba.exblog.jp/
から拝借しました。
【ファイル1】 jpg(67.2k)
■915 2009/04/20 12:31:58 80年代 半田健人監督作品「団塊の世代に迫る」
管
理人様、ラッパの大将、速達で送りました。
---
半田「今の若者に反骨の気概がないのはなぜだろう」
山崎「パワーはあるのに、自分で制御しているんだよ。危機的状況に気付いていないから安穏としているだけだ・・・」
半田モノローグ:山崎さんにいまだ冷めない熱い熱を感じた・・・
山崎:「私がやったのは学生運動ではないよ、自分の存在を賭けた闘いだ」
スタッフ「山崎さんの青春はあの学生運動だったのか?」
山崎「おかしい事聞きますね。今が青春。死ぬまで現役です…」
【ファイル1】 jpg(51.4k)
■914 2009/04/19 23:29:43 80年代 業務連絡
管理人様、ラッパの大将、アナログDVD録画ですが、取り急ぎ明日お送りします。
ラッパさんの例の「怒れる鬼神」の写真を開いてみせるシーン、しっかり右手に栞代わりに挟んである「愛読者カード」が画面中央にも映っています…
クレジットの画面端には<『新版 叛逆のバリケード』三一書房刊>とあるし、
ラッパさんのゲリラ戦術に感謝です。
■913 2009/04/19 21:23:08 70年代後半 こちらもローカルですが…
ちゃんと、その時間「マイドキュメント」が放送されて、観れました。
番組ごとDVD録画しましたので
よろしければ(ご連絡いただければ)、速攻でお送りします。
80年代さんの言うとおり
ラッパの大将さんの存在感は圧倒的!
意外に!いいドキュメントに仕上がっていて、いい感じです。
■912 2009/04/19 20:08:00 管理人 悔しいローカル
いいですね、都会は。
ローカルの当方は、その時間帯は別番組が。
フジ系列チャンネルですが、その番組はありませんでした。
ラッパさんの地域も同じだと思いますが。
何方か、録画された方、
ご恵みを。
管理人
■911 2009/04/19 18:38:13 80年代 マイドキュメント
半田君の作品テーマ、ラッパさんの取材で決まった感じでしたね。
いつもながら圧倒的な存在感に感服です。
『新版・叛バリ』もずいぶん宣伝していただけました。
ありがとうございました。
【ファイル1】 jpg(39.8k)
■910 2009/04/18 08:59:50 70年代後半 おおっ! 表紙は、あの無敵の!
…それにしても、見るからに、強そうだ。
■909 2009/04/18 06:53:57 ラッパの大将 予約受付中
まもなく発売発売!
【ファイル1】 jpg(146.8k)
■908 2009/04/16 20:55:52 ラッパの大将 新たなる闘い
JUNさん無事帰還おめでとう。
健人は講釈を垂れる奴だと思っていた。
http://www.youtube.com/watch?v=WVu7cy15dg8
しかし、実にいい。
最初「貴方は知識と知恵の違いが判る?知恵は汗と涙と返り血を浴びて身につくのだよ」
と先制攻撃。
さらに「日大斗争は自己の存在を賭けた闘いだった。そしてそれは今も続いている」
反発するかと思えば、実に率直な反応。
そこいらの団塊の世代よりも遥かに知識は有る。
レスポンスも良い。
彼がもし、当時日大にいたら、私と先陣争いをしていただろう。(笑
ディレクターから「『攻撃』隊長ですか?」と聞かれた。
「私は専守防衛。やられたら倍返しにするが『行動』隊長です」
そうなのだ、私は愛と平和の為に闘い続けているのだ。
環境保全と食料自給率200%目指して。
■907 2009/04/16 13:23:05 JUN 3泊4日
事情をご存知の一部の方には、ご心配をお掛けしましたが、予定通り3泊4日で戻って来ることが出来ました。廊下を走って「白衣の天使」(古い表現かナ)さんに怒られるほど元気です。
数ヶ月先にもう1度、3泊4日が必要ですし、「使える体」を取り戻すには、半年から1年近くは掛かるだろうと、覚悟しています。カンレキ、リハビリからのスタートです。
ラッパさん、テレビ楽しみにしています。
■906 2009/04/15 22:42:45 ラッパの大将 イケメン・ライダーvs日大全共斗
フジテレビ19日16:00ー17:30
マイドキュメント
生まれてくる時を間違えた?俳優・半田健人が撮る
(仮)「僕は昭和23年生まれ」
半田健人が描きたいモノは「団塊の世代」。彼が好きな物はほとんどが団塊の世代と呼ばれる
人たちが生み出したものだった。団塊の世代の方たちの生きた時代はどうだったのか、
その方たちと会って自分のルーツを探る。
http://kentoworld.weblogs.jp/musicblog/
神田川→喜多條→学生運動
で、日大・東大等に当たったが、出演者なし。
またまた最後のストッパーにお鉢が回ってきたというわけだ。
学園紛争・学生運動・日大斗争の違いについて述べ、
なぜ今も闘い続けているか?
それは、愛と正義のためだ!
半田=555
1号=本郷=安田講堂=守備隊長
2号=カメラマン=芸斗委と強引な展開(笑
悪の組織がある限り、仮面ライダーと全共斗は闘い続ける。
元々は歌謡曲「神田川」の
http://www.fukuchan.ac/music/j-folk3/kandagawa.html
・・・若かったあの頃
何も恐くなかった
ただあなたのやさしさが
恐かった・・・・・
歌詞の意味から展開したのもだからどのような編集になるか分からない。
2時間ほど収録したから5分ほどか?
叛バリとおミッちゃんの写真が出るか?
■905 2009/04/11 20:53:11 藪 ”見守り”@管理人さんの日記より
私の友人に子供たち・兄弟(小二・小一)をどこでも電車で送り出すご夫婦がいます。婆ちゃんちまで、叔父さんちまでと。結構な距離があるんですけど、どんどん行かせてます。
私が「誘拐とか危ないとおもわないの?」って聞いたら「気にしてません」と。「交通事故の危険性の方が誘拐よかもっと危ないし、けど交通ルールは教えてます」って。親ご心で一度ケータイを持たせて婆ちゃんちに行かせたら、まったく親?ケータイ?に頼りきり。次回からはケータイ抜きの婆ちゃんち、叔父さんちを積み重ねてるそうです。ケータイは良くない!と言ってました。
電車の中の皆さんはとても優しく、お兄ちゃんH君のお願いやらなにやらに答えてくれキチンと目的地の駅まで導いてくれるそうです。H君が言うに一番の問題点は、弟Kの電車内爆睡。到着駅が迫ると泣きたくなるそうです。やさしいお兄ちゃんは、途方に暮れるのです。見守る私たちは微笑を浮かべるだけ。そういうのって好きなんです。
■900 2009/04/04 21:53:43 藪 >写真集
7000円ですか?
図書館に依頼するしかないな、、、、、(恥)
■899 2009/04/04 17:52:13 70年代後半 佐々木さんの写真集 絶対!買うぞ!
このsiteのTop pageで紹介されたものをはじめ、どれもいい写真ですよね。
「あの時代に恋した私の記録」title通りのパワーを感じます。
■898 2009/04/03 22:28:19 文理\(^o^)/学科 クラクラ
今日時間が取れたので、クラクラに行きました。佐々木さんもお元気そうで。。クラクラにいたドイツの青年に、山梨からでてきた「石橋泰山オヤジ」が日の丸の扇をあおりならが、片言英語で喋っていました。
結局写真集7,000円+入場料500円+佐々木さんの小説1,500円=10,000円近く使いました。昔の戦友会とどう違うのか、などの意見が周囲にありますが、それはそれで良いのではないかと思います。
ただ思うのは、写真のみんなは若い(それはそうだにしても)。未来も将来もあったのでしょうが私は「死ぬ」と言うことの日常にいました。それは人により違うでしょうが私の場合「死ぬかもしれない」→「死んでも良いし敵対するものは殺す」と言う風に思いつめていました。
この年まで生きるとは当時考えていません。でも若い・・・・。
【ファイル1】 jpg(64.9k)
■897 2009/03/30 23:32:48 藪 見えました
\(^o^)/ T/O
■896 2009/03/30 20:23:04 amanoya) おみっちゃん情報
佐々木さん、先ほど無事都内上陸慣行。
ずーと昔より声が若かったな。
■895 2009/03/30 18:04:12 JUN ダメか?
IE6だといいのだが、IE7だとダメかも?
管理人さん、教えてください(泣
■894 2009/03/30 18:00:22 管理人 Hasta Siempre
JUNさん、
オタクの話題を振っていただいて有難う・・・。
高画質版が出たのですね、
私も最初にYouTubeでハマッたヤツです。
あれからもう3年近くになりますが、しっかり管理人日記に貼り付けていますよ!
私の見た邦訳は「いつまでも・・・」でしたが、色々な訳が有るようですね。
JUNさんと趣味が共有できて感激です。
>■2006.08.07 morning 管理人 wrote
時流に乗ったビデオ投稿サイトの「You Tube」に夢中になっている。
もう観れないと思っていたレアな映像がある。
チェ・ゲバラのそれはもう涙ものだ。
Hasta Siempre(スペイン語で「いつまでも・・」)
■893 2009/03/30 16:26:14 JUN 「ごきげんよう司令官」という動画
最近ユーチューブで、Nathalie Cardoneの歌っている「Hasta Siempre Comandante」を見付け、ハマっています。
高画質版(約76M)をゲットしたので、下記アドレスにアップしておきました。
http://www.akahel-1968.com/nathalie-cardone.html
【ファイル1】 jpg(48.7k)
■892 2009/03/30 03:48:58 エデンの東 今日は砂川判決から50年
1959年3月30日は、砂川闘争「安保条約違憲」伊達判決50周年にあたる。
伊達判決では「安保条約違憲無効・被告人7名無罪」。最高裁田中耕太郎判決は「安保条約合憲・被告人全員有罪」と逆転。「ベトナム戦争」協力に道筋をつけた犯罪的判決となった。
現在、被告人7名のうち6名が健在で、昨年米国公文書館公文書の中から「伊達判決を覆す意図をもった、駐日米国大使マッカーサーと藤山愛一郎外務大臣・田中耕太郎最高裁長官との密約」が明らかとなり、元被告達は情報開示請求を求めている。
実は起訴された労働者4名、学生3名のうち1名が大学の先輩にあたる。学生自治会の委員長をしていた方で、小さな大学の一番大きな役割を担った事件だ。
全学連も統一されていて、大きな力を発揮した頃だ。
そして、新聞の死亡欄に「日本舞踊家で女優 藤間 紫さんが死去」とあった。
85歳で3月27日に亡くなっている。
この方の父親が我が校の学長で、「日大的センス」で学生弾圧をしていった張本人だ。
忘れかかった記憶が蘇ってきた次第。
■(非表示*) 891 2009/03/29 17:29:04
■890 2009/03/28 07:50:37 aagh@明大文ゼミ協 新宿ゴールデン街「クラクラ」
わたしや、多くのインド帰りの奴がお世話になったお店ではありませんか!!
80年代さま
情報、ありがとうございます。
■889 2009/03/27 22:57:16 藪 平和の塔
エデンの東さん、こんばんは
某党と某宗教団体が「共闘」して建てたもんだと記憶してます。
「開港」前には邪魔にならないところに「移転」したとか。
どうでもいいことですけど。
その、某宗教団体がフニャコニャとは?そんなもんか、です(^^)
■888 2009/03/27 16:10:28 80年代 図書新聞09年4月4日号
島泰三さんによる書評が掲載されました。
二つの世紀を生きる叛乱の書 秋田明大という「時代を体現する人格」がいた
元東大全共闘が『新版 叛逆のバリケード―日大闘争の記録』を読む!
【ファイル1】 jpg(213.6k)
■887 2009/03/26 20:33:41 エデンの東 草に埋もれた平和塔
三里塚の農民が、闘いの中で共産党から決別したエピソードは多いと思います。
農民が測量の強制執行でひどい目にあっているとき、道の上で挑発にのるなと歌を歌っていた民青のことなど、有名と思います。
1968年の日大闘争の頃のことです。
「私は見た」風にいいますと滑走路予定地の端に「民主勢力」の建てた大きな平和塔(パコダ)がありましたが、敷地には随分草が生えていて、誰も訪れていないことがありありでした。
時は流れ、オーバービー博士をお呼びしたりして、9条の会は十数年年位前からやっていましたから、今更9条の会に潜り込むもないものだと思います。
ご当地共産党とはけっこう仲良くやっているのに、千葉の党組織のように「主敵」がアメリカや麻生よりもこちらというのは適わないですよ。
■886 2009/03/25 21:28:25 藪 エデンの東さん、
こんばんは
>権力の手引きだ
どこかで聞いたことがあるフレーズに苦笑いでした。
私らの頃に『全国的に嫌われていたグループ』が表明していたのを思い出します。
具体的に書くとアレなんで、アレでアレします(^^ゞ
管理人さんが「9条の会総会?」とのバッティングについてアレしてましたけど、
どこまでも、そういう感性なのでしょうね。
80年代さん、こんばんは
レスを、ありがとうございました。佐々木さんのご案内も。
残念ながら写真展には行けません。家庭内でいろいろありまして。
「日大全共斗写真集」!みっけ!
だ〜〜れも教えてくれませんでした。イジケてます、、、、。
up感謝です(^^)
■885 2009/03/25 14:47:09 80年代 佐々木さん@新宿
藪さん、こんにちは。
そうですね、党派はどうでもいいですね。階級的視点は大事だと思うけど…
さて、佐々木美智子さんの写真展、
新宿ゴールデン街「クラクラ」と東口「ベルグ」、
同時開催の案内をいただきました。
【ファイル1】 jpg(69.0k)
■884 2009/03/25 13:21:28 amanoya) DNA
>息子よ、ヤンキー魂捨てずに頑張れよ!
ヤンキー魂と言うよりも、日大全共闘のDNAでは無かろうか?
■883 2009/03/22 12:00:06 エデンの東 三里塚のこと
藪さん、お久しぶり。
日大全共闘と並ぶ大きな闘いであった三里塚。反対同盟を纏め上げた戸村一作さんのことは忘れられない思い出です。
この2月に共産党千葉県委員会が三里塚の総括集を出版したというので買い求めました。
内容で目を引くのは、
「三里塚に当時の社会党が不純分子を引き入れたので統一と団結が破壊された。九条の会に再びもぐりこもうとしているから排除すべきだ」
「私は見た、管制塔には先に機動隊員がいた、閉まっている扉が開いていて突入は権力の手引きだ」
などというものです。
我々にも反省点はあるが、農民からそっぽを向かれた地区党の主体的総括はなく、責任逃れの資料集でしたのでがっかりしました。
■882 2009/03/20 21:22:32 藪 >選別・排除
80年代さん、こんばんは
党派的にはどうでもいいんです、たぶん。階級的視点も(^^ゞ
現実の「場」のとこで・がっかり・なんですのよ、私としても。
昔話になりますけど、反対同盟の戸村委員長。
20人のお座敷にも来てくれましたよ。遠くまで。
言葉はいいんです、私的には。
■881 2009/03/19 12:01:04 80年代 反貧困の彼女
管理人様、ご無沙汰です。
反貧困の彼女、右から左、赤・白・黄色? 選別排除なく階級的視点で生きる人だから、どうか皆さん、がっかりしないで。
読んでみてください。
↓
【URL】http://www.magazine9.jp/karin/
■880 2009/03/18 23:01:47 70年代後半 がっかりですね!
若い(反貧困の)アノ方…。
■879 2009/03/14 06:33:13 70年代後半 (無題)
管理人さんdiary
ご子息、本当に大変でしたね。
でも、手術も無事成功!のようで、ひとまず、ひと安心。(まぁ、ご心配は尽きないでしょうが)若い方は、回復力も驚異的ですから…
>全ての人が等しく、息子のような適切な医療を受けられる訳ではない、
>思うと、胸が痛む。
国民皆保険制度の基本原則ともいうべき、給付の平等性は、
完全崩壊に向かっていますよね。
なのに「これで、いいのか…。」と、国民は、声をあげることも、自ら問うことも、できない。
■878 2009/03/14 06:02:25 amanoya(天野屋) 連絡を願います
お知恵を拝借したいことがあります。
80年代後半さん・貴重品さん、連絡をいただきたい。
当方のメルアドは投稿者のなかに入っています。
貴重品さん、ご無沙汰しています。PC故障から、メルアドが取り出せなくなりました。
更に通信事情からプロバイダーも変えました。したがって、メルアドも変わりました。
御両者から御連絡いただければ幸いです。
■877 2009/03/14 03:01:43 水中のみずすまし ご子息 お大事に
夜中に帰宅しても、明け方まで仕事をしていても、地方出張日以外、日課として当HPを覗く。掲示板の「書き込み」もしかりだが、「管理人日記」の日常性情報を微笑ましく拝読し、その日の我が怒り高ぶり「躁」と表裏一体の「うつ」を中立に戻している。いわば鎮静剤。
然るに「管理人日記」に何日も記載がないと妙に心配になる。
ご子息の手術、大変でしたね。麻酔からさめない「大人になった子供」の顔に触れて目から雫を落とす様は「お涙共有」しました。
それだけの投稿でーす。
「大変だったけど…、アー、よかったね…」の心地よさを有難う。
を
■876 2009/03/05 21:50:59 藪 阿羅漢
の意味がようやくわかりました。
小生ももうじきです。
先だって齢を重ね四捨五入すると阿羅漢、、、、。
でもって、この日曜日は長男の結納モドキですのね。
何年かすると小生はジイチャンになる可能性が大、、。
歌だけは教えたいと思うのです。お風呂で。
■(非表示*) 875 2009/02/28 12:46:04
■874 2009/02/27 18:06:10 時計台 失礼しました
写真アップに慣れていないものですから、写真を取り違えてしまいました。
写真と字句訂正をしていて回数を刻んでしまいました。
『たちまち日記』は今井澄さんのご遺族(厚子夫人)が出されたもののようです。
■873 2009/02/27 16:07:28 管理人 時計台さんへ
時計台さん、
イエローカードです。
何度も何度も同じ内容で編集投稿を繰り返すのは控えてください。
↓この編集投稿で4回目です。
人的ではなく、自動設定での繰り返し投稿と疑わざるを得ません。
再度、同じ内容で編集投稿を行うのであれば、承認は控えます。
■872 2009/02/27 13:38:15 時計台 今井澄
絶版だと思っていた『たちまち日記』(風塔舎刊)が増刷されたようです。
【ファイル1】 jpg(60.8k)
■870 2009/02/25 07:05:13 kanie お世話になりました。
先日、祖母を見送ることができました。
カメラの件につきましては、ラッパの大将さまを含め多数の方にアドバイスを
いただきたいへんお世話になりました。見ず知らずの私のような者へのありがたい
アドバイスに対する御恩は忘れません。
写真も撮ることができまして、最後の思い出を残すことができました。
年末に祖母の癌が見つかってから、京都より毎日、手紙を書き続けました。
また、近くの神社にお参りに行き、1日でも長くと祈願をしておりました。
医者から年末越せるかどうかと言われながら、40通以上の手紙を送ることが
できましたこと、日頃の行いの悪い自分でありましたが、祈願が届いたことと
受けとり、先ほど、お礼のお参りに行ってまいりました。
葬式の際には手紙を棺桶に入れて、一緒に燃やしていただきました。
話は変わりますが、1968年当時は、まだ、特に行政へのアクセスができるようになる
法整備が整っていない時代であったと認識しております。近年、行政手続法などの
法整備が整いつつあるのと同時に、ネット時代によって、多くの不正などの内部
告発などが容易になっています。現在の戦い方と1968年の戦い方ではずいぶんと
環境を異にするものだと考えます。
当時の運動の「適法性や違法性」「是や非」など各人によって意見は異なると
思います。ですが、今の世代の人たちはその「事実」すら知らずにいる者が多数に
なっております。特に私の20代の後輩などは高度経済成長期はおろか日本の好景気
すら記憶にない者も多数います。
ネットや携帯電話の時代でも、昔ながらの手書きの手紙の必要性をこの
ようなときになって初めて認識した次第です。
現在とは環境の異なった時代において、運動をされていたという事実につき
お話をしてくださる皆様について、自分としてはたいへん感銘を受けております。
今回の世界的な金融恐慌が回復すれば、新しい時代が来るのでしょう。
その時、こうゆう時代があったのようだよと、ものを語ることができるように
なれたらと、語り部の一人となれたら良いと考える次第です。
皆様のお話を聞けるように掲示板についてもたびたび拝見させていただいております。
このたびは本当にお世話になりました。ありがとうございました。
■869 2009/02/24 22:18:11 藪 お答えします
当地の「給付金」も、いっしょで世帯主たる私の口座に入ってきます。
「給付金」つっても、今まで無駄に払った税金が戻ってくるシロモノ。
返してもらいますわよ、全額を。ぜんぶ使い切ります。
もっとも使い道は私には分かりません。決めるのは私じゃありませんので、。
いっつもこうなんだよな(遠い眼)。納得している自分が哀しい、、、、。
■868 2009/02/23 06:26:28 amanoya 両国講堂跡
横断歩道の向こうに、拍手と歓声が聞こえた。
もう、40年以上前のことなのに。
【ファイル1】 jpg(38.7k)
■867 2009/02/21 22:29:07 amanoya 両国橋
皆さん、いろいろとおさがわせいたしました。大変反省しております。
今日、御江戸まで遠征いたし、懐かしい場所へ行ってきました。
朝焼けの橋に、ゲバ棒を打ちつけながら渡ったあの日。
あれから40年5ヶ月。カチーン、カチーンと響いたあの音。
今日もあの音は、私の中で響いていました。しかも鮮明に。
【ファイル1】 jpg(28.0k)
■866 2009/02/21 18:27:39 aagh さっきまで天野屋さんと飲んでました。
トリスのミニボトトル2本がおみやげでした。
アメージング・グレースを、103回は聞きました。
■865 2009/02/19 20:24:12 エデンの東 カフカとヘル
三派でヘルを見たのは1966年だった。
日比谷公会堂前の10・21で旗持ちの辺りにチラホラと、工事現場から持ってきたような白いヘルが見られた。
「日大の諸君が到着しました」、なんて司会者のはしゃいだ声はなかったかな。
翌年3月、新しがり屋の私はヘルを被り、逮捕者へのカンパでヘルは一杯になった。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
「カフカは心配性であった為、労災保険協会の仕事で流血が絶えなかった現場への視察の際に、万一の事を考えて軍用ヘルメットを着用した事で安全ヘルメットが普及した事が知られている。経営学者ピーター・ドラッカーの著書『ネクスト・ソサエティ』においては安全ヘルメットの発明者として紹介されている。」
カフカとは、そうフランツ・カフカのことである。
■864 2009/02/18 21:10:02 藪 銀ヘルさんに
圧倒的に異議なし!です。
この場を潰してはいけませんし、同時に書き手人を晒してはいけません。
と私は思うのです。
■863 2009/02/16 22:49:15 軟弱銀ヘル 管理人さんに同意します
そうなんですよね。確かに、ここは「解放区」ではありますが、「解放区」特有の問題があることは覚悟した方がいいと思うのです。すなわち誰でもが自由に入ってこられるのです。公安でもね。私なんか、すべてがばれているので、開き直っていますが、できることなら、余分な被害を出したくないというのが本音です。また、軟弱と言われそうですが。
■862 2009/02/16 09:00:27 管理人 不穏当な書き込み
当該掲示板の利用料金は金曜日に振り込んだのですが、上の督促メッセージはなかなか取れません(笑。
まあ、そのうち外れるでしょう。
amanoyaさん以外にも、もう一件イエローカード。
私も元は”暴力学生”といわれた身ですので、言える程の立場ではないのですが、
掲示板上で”テロ”を匂わすような書き込みは自粛ください。
昨今は、掲示板を元にしたトラブルが多々あるそうです。
気持ちは分かりますが、その筋にマークされかねませんので、よろしく。
■(pending) 861 2009/02/15 19:34:13
■860 2009/02/15 17:24:10 管理人 イエローカード
amanoyaさん
当掲示板は匿名をもって投稿する方の匿名性は尊重しています。
たとえ善意の書き込みでも、70年代後半さんを特定するような書き込みはイエローカード一枚です。
今後、その点を考慮して投稿ください。
尚、この件に関して抗議他、一切受け付けませんので念のため。
管理人
■859 2009/02/15 13:09:16 明大全共闘 再び全共闘グラフィティについて
藪さんへ
「全共闘グラフィティ」を入門編と表現しましたが、当時を知らない人が全体像をイメージする上での入門編という意味です。
藪さんの言うように、この本に全共闘というタイトルを付けるのはチト違うと思いました。
当時のレコードジャケットも掲載して時代の様子を伝えようとしているのでしょうが、浅く広くということで散漫な印象を受けます。
この本の中で参考になったのは「書誌」の部分です。
著者の個人的な思いが分かるような気がしました。
70年代後半さんへ
私は69年組なので、この掲示板の管理人さんや書き込みをしている日大全共闘の皆さんのような貴重な体験はしていません。
でも、1年遅れではありますが、私が体験し見聞きした事柄をネットを通じて今に語り継いでいくことは必要と考えています。
「あの時代」を正しく伝えるためにも・・。
ところで、3月上中旬にフジテレビで「フジテレビが選んだ50大事件!50年目の真実(仮)」という番組が予定されており、その中で5〜15分程度、安田講堂攻防戦が取り上げられるようです。
企画の趣旨は
「60年代を代表する事件のひとつに東大安田講堂事件がある。テレビや新聞は、機動隊による放水や学生たちが投げる火炎瓶の様子を映し出しました。
しかし、それは表面的な出来事で、当時の学生の姿は、今の若者には”暴徒”としてしか映っていないかもしれません。
これは、一方的な報道をするマスコミの責任も大きいと思います。
そこで、あの攻防戦から40年、当時の学生達が一体何を思い、どんな気持ちで陥落必至の安田講堂に入ったのか・・・。
そして、今、当時の学生運動をどう思い、今の日本をどう感じるのか考えてみたいと思います。」
とのことです。
昨年暮れの情報なので、実際に放映されるのか、放映内容がこの通りなのか分かりません。
■(pending) 858 2009/02/14 18:04:41
■857 2009/02/13 23:16:08 70年代後半 やっぱり楽しい方へ!
明大全共闘さん、こんばんは。
>「あの時代」を体験した者として、「あの時代」を今に語りつぐことが
>「私に課せられた使命のように感じられたからです。
ありがとうございます。
この掲示板の管理人さんも、そうですが、
「あの時代」を体験できなかった者にとっては、
ありがとうございます!しか・ありません。
「婆爺路道(バージンロード)」ですか…なんか楽しそうですね。
やっぱ、ついて行こうかなっと。
■856 2009/02/12 22:39:08 藪 RE:全共闘グラフィティ
明大全共闘さん、こんばんは
1984年といえば「全共闘ブーム」とかで、菊池哲也やら田原総一郎なんかが「戯れ本」を出版してます。サンデー毎日・朝ジャなんかでも。その頃「全共闘グラフィティ初版8000部w」を購入したみたいです。私(たち)が三里塚の様々な出来事でグジャグジャになっていたときです。
「入門編」なのかどうかは、はなはだ疑問です。ほとんどが政治団体の闘争シーンで日大・東大のメーンは僅かばかりですものね。「戯れ本」なんては某立花ゼミと一緒で全共闘運動を担ったみなさんの声はナシなんですから。看板に偽り有り!なんです。なんで、84年に「ブーム」が泡のようにあったのか私にはわかりません。
私が1968bbsに書き込むようになったのは、従姉の連れ合いさんが法闘委に参加してて沈黙を保っているのを聞いていたのがきっかけです。今も、連れ合いさんは静かにしてます。なにも聞くことは私にはできません。様々な私的な思いがあるのでしょう。
>それぞれの「全共闘運動」があったように感じられてなりません。
花粉症のせいか、涙と鼻水がでてきました。これからもよろしく願いますm(__)m
■855 2009/02/12 21:13:12 管理人 (無題)
皆様
teacupさんの方の手違いで(怒)、掲示板の利用料金の請求が旧メルアド宛てに行っていたようで、当掲示板の利用料金の支払いが遅滞状態になっているようです。
明日、振込むよ予定ですが、システム上は料金未納で一時的に当掲示板が閉鎖される可能性があるそうです。
手動で変更ができないようです。
決して・・・・、”すねて”閉鎖する訳ではないですのでご心配無用です。
少し経てば、元通り再開するはずですから。
その折は、あわてずゆっくり待ちましょう。
管理人
■854 2009/02/11 21:43:02 明大全共闘 全共闘グラフィティ
藪さんへ
今日、たまたま図書館で「全共闘グラフィティ増補」(新泉社1990)を借りて読んでいました。掲示板で「全共闘グラフィティ」に関する記事を見て書き込みしました。
この本が出版されたのが1984年。70年安保闘争から14年目でした。
増補版は1990年。時代が昭和から平成に変わる頃です。
当時を体験した者としてはやや物足りない印象の本ですが、入門編としてはこんなものでしょうか。
1990年当時、私は「黙して語らず」ということで、この手の本は読みませんでした。
「思い出を語ってどうするんだ」という気持ちがあったのかもしれません。
今、「明大全共闘」のHPやブログで、あの時代の資料を紹介しています。それは、3年前のある出来事がきかっけで、軟弱ではありましたが全共闘運動に関わり、「あの時代」を体験した者として、「あの時代」を今に語りつぐことが私に課せられた使命のように感じられたからです。
このところ全共闘関係の本を読んでいますが、運動に関わった個々人にとって、それぞれの「全共闘運動」があったように感じられてなりません。
■853 2009/02/11 18:54:50 JUN 教祖さま、
こちらに転載します 教祖さまそしてブルヨコさま、すいません。この掲示板で投稿を知り、先程あわてて「承認」してきました(汗。
絵と共に文章も同じところにあったほうがいいかな、と思いこちらに転載します。
『バージンロードとは婆と爺の行く道です
それには二つの道があります
拾う道=共生
捨てる道=楢山節考
例えば昨年11月22日連帯の挨拶をしたドンガバチョ氏が
”俺の夢は”娘の結婚式にバージンロードを手をつないで歩きたい、そのときお父さんが若かった頃、燃えた話してやりたい。などは拾う道と通じる物があります。
了見が狭いと捨てる道になります。
ワシら農斗委は共生の思想をバリケードの中から持ち続けており、まさに”拾う道”そのものなのです。
農斗委こそチームバージンロードだと思うのですが、いかがなものでしょうか。
枯葉カマキリの旗のもとバージンロードを行きましょう
※このHPには絵が入らないのでバージンロードの旗は
1968HPにのせました
09・02・11 教祖 拝 』
■852 2009/02/11 17:37:23 amanoya 41年前の蟹工船読書会
私が日大に入学直後、蟹工船の読書会があった。
学部学生会の主催だったと記憶している。
農獣医の執行部は、民○が殆どであったと後から聞いた。
読書会には、後に三馬鹿トリオと呼ばれた彼らもいたような気もする。
学校側に回り、11月に銀ヘル部隊に仕留められたアホウも混じっていた。
そんな内に、6.11事件は起きた。ラッパさんの投稿を読んで、蟹工船とまったく一緒だったことにきずく。
連日学生総会が開かれた。黒縁のメガネをかけ、オカッパ頭を振り乱し、『もう!バリストしかない!!!』と叫んでいた先輩の声も顔も鮮明に記憶している。
誰かが言った。あの人わが学科の民○さん。
そんなことで、その先輩がF科の民○だと信じていた。
数年前に知った。先輩は、V科で民○ではなかった。
当初共産党ってスゲーナと思い、あこがれていた。
民○と言っても、バリストを先導した。
学生会Y委員長は地区民に呼びつけられて、査問を受けたそうだ。
返す言葉は、『俺とこでバリストしてナニワリイ』だったとか。
一年坊の間では、男民○Y委員長とまで騒がれた。
皆さんのお叱りを受けるだろうが、現在このローカルでは共産党も大事な同志だ。
自民主流派・ナンミョ連合撃退には、彼らの力も大切です。
大同小異! 闘争勝利!!
追伸;そろそろ花粉舞うころです。
レンコンが非常に効果があるようです。3ヶ月毎日レンコンを食べると、
80%の人が直ったと言う臨床結果があります。
一番早いのは、レンコンの絞り汁を花の穴に塗ることです。
一発で撃退です。
昨日開店の居酒屋九参丸でも、レンコン焼酎があります。
【ファイル1】 jpg(5.6k)
■851 2009/02/11 15:54:31 日和見教 教祖 チームバージンロードの旗と歌
日に日に新たに不快の華の〜
栄ゆく世界の荒野のうえに〜
夕日と落ちゆく浄土の道に〜
毅然と立ちたるバージンロード〜
♪ ♪ ♪ ♪〜 〜
いざ称えんバージンロード
いざ歌わん我らが理想〜。
※チームバージンロードの事を知りたければ農斗委HPを
09・2・11 教祖 拝
【ファイル1】 jpg(86.7k)
■850 2009/02/11 14:23:15 管理人 (無題)
上のメッセージは利用料金の請求を見逃し、払い込みが遅れているため”督促”されているもです。
一部の方にご心配をかけているようですが、別に大したことではありませんので、皆さま気になさらずに。
管理人
■849 2009/02/09 22:20:33 ラッパの大将 剛の日大闘争再検証 日大・東大全共闘
【ファイル1】 jpg(109.2k)
848 2009/02/09 21:09:53 ラッパの大将 再び日大闘争四十周年に
あるフラメンコダンサーの述懐PARTU
【ファイル1】 jpg(105.8k)
■847 2009/02/08 18:59:21 藪 江古田遊侠伝
江古田 日大一帯 グータラどもが
お上を相手に勝ち目のない
闘いを挑んでいるのでございます
ジャンパイしかもったことのない手で
ゲバボウをふりまわしても
機動隊に勝てる道理はござんすまいに
まったく命の安売りでございます
女のシリの下にしかれて
なまけてばかりいる虫けらが
いったん重い腰を あげたとなると
あとにひかないということを
知らぬが不覚で ございましたな
古田どの
《日大芸術学部ビラ》『全共闘グラフィティ 新泉社 1984』より
■846 2009/02/08 00:14:13 68年代 もう亡くなっているので悪くはいいたくないが・・・
“エデンの東さん”が指摘されているように、朝日新聞の高木正幸氏はよく擦り寄ってきてはいました。スタンスはあくまでもブルジョアー新聞の本質のである“センセーショナリズム”の人といっていいでしょう。売文業の悪しき面をうまく隠して味方のふりをして近寄ってきました。少し前の○京大学ラグビー部強姦事件で大学側のマスコミ対策広報として“教授名”で露出してました。その後すぐにガンで亡くなったようですが、あたりが軟らかいので人のいい方は随分目くらましを喰らわされ、勘違いもされたのではないでしょうか。
■845 2009/02/07 20:20:54 エデンの東 代行はないんだ!
「ラッパの大将」さん、ありがとうございます。古田は凄い長期政権ですね。
普通はそんなにもつものではないのですが。
私のいた大学から昔、学生全員が憤慨して退学し別の大学を作ったのですが、1968の頃は『俺達はやったもんだが、お前達はやったらいかん』と教授連は言ってましたね。
そして一世代下がった今日、聞くところによると学長以下、多数の教授が学位審査で金銭を授受していたようです。
元の中核派の方が学長代行をこの間までしておられましたが、困られていたことでしょう。
■844 2009/02/08 10:08:33 エデンの東 不況と連動です
まだみぬamanoyaさん、おひさしぶりです。
こちらは不渡りこそつかまされない業界でしたが、不景気風が吹き始まる昨年9月からお客さんが減少、むしろ需用は増えているはずなのですが購買力のない方たちばかりで「マイド」につながりません。来てもお金はないというんです。
連れにも去られ、会社から首になった方たちが顧客ですから、帰していては仕事になりません。営業も力が要ります。
■843 2009/02/06 18:36:14 ラッパの大将 総長!理事長!会頭!会長!総裁!誰が偉いんや???
エデンの東さん訂正と追加です。
昭和21年(1946)
1月 第4代総長に呉文炳就任
7月 理事長に圓谷弘就任
理事長・会頭に呉文炳就任
9月 理事長に佐藤運雄就任
昭和24年(1949)
4月 「建学の主旨及綱領」を改訂 「目的および使命」を制定
12月 理事長に古田重二良就任
昭和33年(1958)
6月 会頭に古田重二良就任
総裁に呉文炳就任
第5代総長に永田菊四郎就任
昭和44年(1969)
9月 第6代総長に鈴木勝就任
会長に古田重二良就任
理事長に高梨公之就任
http://www.nihon-u.ac.jp/info/history.html
他に会長職は載っていません?
残りたい古田と残したい佐藤の裏工作で緊急避難したのでしょうか?
■842 2009/02/06 10:33:06 amanoya (無題)
エデンの東さん元気で何よりです。
■841 2009/02/05 23:22:52 エデンの東 確認がとれない
教えて 1月30日に「ラッパの大将」さんに古田の役職名は総長ではなく会頭であるとご注意を受けて、訂正したはずなのに2月1日の訂正見出しも「会長」と会頭ではありません。
さて、このような錯誤がどうしておきたかと申しますと、掲示板1月30日付けの1970年10月の朝日ジャーナル掲載、高木正幸氏の執筆記事によるものと考えられます。
氏の「日大会頭・古田研究」に会頭と入り混じって会長が3度も出てくるのです。原稿からは出世魚のように役職名が代わっていったのかどうか、そこらがわかりません。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5328/furutakenkyu.htm
この高木正幸氏は朝日の記者で、当時学生運動や狭山闘争などに擦り寄ってきていましたが、注意深く氏の文章を見ると決して心を学生などに通わせる方でなかったことは明らかです。
卑近なところでは、私の大学の学生自治会長がブンド・RG派の爆弾事件で誤認逮捕されたことがあり、これを高木氏に実名入り相関図で朝日紙に書きたてられたことがありました。
すぐにクラス会で無罪決議をあげ、自治会決議で声明文を出し、裁判に際しては化学教授の証言を頂き、ことなきを得ました。
■840 2009/02/05 05:01:23 70年代後半 当事者の思いは語られているのか?
>このひとは、なぜウーマンリブが生まれたのかわかっちゃいないんだと落胆。(…一応同感ですが…)
この部分も含めて(あえて、そこで問われた現実=真実を、現象的なもので覆い隠し)
敵側が
40年前を総決算しようとしている。
当時の言葉で云うと「矮小」化しようとしている。(ように思える)
当事者の思いは語られているのか?
■839 2009/02/04 21:04:31 ラッパの大将 今の若者が熱を出せないのは誰の責任か。
国の都合に合わせて感情をコントロールされるなんて怖いことなのに、結論がそれかよ。 朝日新聞 キュー 島崎今日子
NHK番組に登場した人たちのその後の人生の選択は、当事者が責任をとるということはどういうことかという問いへのある回答になっていた。そこには、1度デモに行ったくらいで「俺、学生運動やってたんだ」と自慢する団塊オヤジの言葉とは違う重みが、確かにあった。
・・・略・・・
日テレ番組の主役は機動隊を指揮した当時警視庁担当諜長の佐々淳行氏。最後に、彼は「若者は怒らなきゃ。40度は困るが38度くらいの熱を出してほしい」と語っていた。今の若者が熱を出せないのは誰の責任か。国の都合に合わせて感情をコントロールされるなんて怖いことなのに、結論がそれかよ。なんのために作られた番組だったのだろう。
【ファイル1】 jpg(145.8k)
■838 2009/02/04 20:42:17 ラッパの大将 思い入れが思い込みにそして思いあがりに
実践せず能書きだけの組織依存者はソレバーのもの。
残りの貴重な時間を「馬鹿の壁」に付き合うことはない。
■837 2009/02/03 22:59:13 藪 乾燥
この間の管理人さんの日記を読んで思うんですけど、今時の「意識ある」ご老体、若い衆ってデリカシィやナイーブな感性ってのとは無縁なんですかね。目の前にいらっしゃる御仁を想い推察する心ってないのかな。
同年な前後なら言い切る口調や強い言葉も多少はあるけど、それでも相手を慮る会話をしますわよ。失礼なのが分からないのかな。私は、そんな感覚な人たちとお付き合いしたことがないので、困ります。少なくとも私らの範囲にはいないよね、同志はんぺんさん(^^)
管理人さん、お疲れ様です>小生意気に(^^ゞ
■836 2009/02/01 23:57:03 エデンの東 古田会長を間違ってはいけない
そうですね、早稲田は総長で東大は学長と間違ってはいけないとこちらは注意をしていたのですが、そうですそうです日大といえば古田会頭です。
どうも「日大全共闘」でくくってペーパーテストをすると余り点数が取れないようです。
私の方の、おらんくの学校は「学長」、その上に理事長がいて私学はだいたいこうなっていたと思うのです。
理事長は「日本会」に入っていて『総調和運動』やらをしていました。大学を去るときに挨拶に伺いましたが、「いい経営者になってください」が餞別の言葉でした。日大に比べるとのどかですね。
真面目な学長はまだ怒っていましたが、学生部長はタイでの就職の口を斡旋してくれました。
■835 2009/01/30 22:58:20 amanoya 殺人の時効て何年ですか
本日完全釈放されました。
帰りの地下鉄の通路で見かけたのですが、中核派の指名手配書が張ってありました。
殺人37年前の警官殺しと書いてありましたが、とうに事項が成立しているはずです。
私としては良い思いは無い党派ですが、警視庁もあんまりですよね。
政府に逆らうやつは皆獣とのキャンペーンですね。 クワバラくわばら。
石原よ、ここまでするなら築地市場の移転先の地質データなんか隠すなよ!!!!!!!!
【URL】http://8817.teacup.com/sumiyoifujisiro/bbs
■834 2009/01/30 20:43:39 ラッパの大将 名は体を表す=株式会社日大
エデンの東 さんお久しぶりです。
揚げ足を取るわけですが(笑 日大に「総長」は居ません!
だって、日大は大学ではないから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E9%95%B7
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E9%95%B7
株式会社日大は「会頭」です
比較的に組織の規模が大きい会を統括する人の役職名。商工会議所のトップなどが該当。
日大会頭・古田研究
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5328/furutakenkyu.htm
教育よりも営利優先です。
■833 2009/01/30 17:54:54 日和見教 教祖 遅まきながら
新版「叛逆のバリケード」が着ましたよ。
1週間ほど前地元の図書館にリクエストしたのです。
皆さんも地域の図書館にリクエストして下さい。
全国の図書館に”叛バリ”を。行動するのが半年遅い。
※第4章がワシらロートル全共闘の総括。
チーム”バージンロード”ではなかろうか?
教祖 拝
■832 2009/01/29 23:53:58 エデンの東 総長室へ行ったこと
今は昔、だから記憶は定かでないが、日大の総長室のある本部棟に一度見学に伺ったことがあるようだ。確か小ぶりな建物で、勿論封鎖中の時代だ。
所属する組織確認を取らずにこのときと、経済だかでのオルグで二度のお邪魔をしたことになる。
日大が封鎖に入る頃まで、無期停学処分の身だったから、小田実の「なんでも見てやろう」じゃないけれど身軽に動いた。
600人も居ない小さな大学から見ると日大は量感があった。
キャンパスがなくて建物の脇まで校舎という作りが余計に存在感を増していた様子だ。
■831 2009/01/29 22:12:15 藪 銀ヘルさん、こんばんは
私は管理人さんを《甘やかし》てはおりません。
私が管理人さんから限りなく《甘やかし》ていただいております。
同時に、銀ヘルさんからも。
皆さまのご友人様に 合掌
■830 2009/01/29 21:53:56 ラッパの大将 想ってくれる人がいる限り、魂は活き続ける
お姉さんようこそ。
偶然とは思えません。
昨年、7月岩渕さんの追悼式をしました。
その時におミッちゃんが写真を持ってきた。
「これは歴史の記録だから公表すべきだ」ということになり、
11・22東大・日大闘争40周年記念に合わせ写真展をしました。
http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/081115/art0811151029000-n1.htm
http://www.geocities.jp/nichidainoutoui_1968/20081128.html
その内1部を文理の同志がDVD化して「叛バリ」の会場で上映できるようにしました。
奥に有ったのをたまたま私が見つけ管理人に「動かんネ」。
三一さんに来て操作してもらったら、スライドショーが始まり。
「宮澤君だ!!」と管理人。あとは「・・・・・」
DVDを宝物のように持って帰り少しずつ掲示板にUP。
命日の日に表紙に写真が載る!
日大闘争がなかったら。
おミッちゃんが撮影してなかったら・・・
写真を保存してなかったら・・・
掲示板がなかったら・・・
途中の一つが欠けても存在しなかった。
奇跡の連続です。
強い「意識」を感じます。
残った我々は日大全共斗の歴史を正しく伝える為の闘争を開始します。
■829 2009/01/28 23:55:07 70年代後半 砦の上に我らの世界を
バリケードであり、解放区であり、自主講座であり、(仲間を熱く想う)砦です。
このホームページは。
■828 2009/01/28 14:16:45 amanoya 居酒屋給参丸開店予告
開店の日、『930』の意味がわかる方、無料ご招待いたします。
店の名前はキュウサンマルです。
おいしい魚がいっぱいあります。
命の惜しくないグルメには、坂東太郎の刺身もあります。これは自己責任。
美味しい物ばかりです。ただし来店制限あり。
@取手市民の不用品及びその関係者。(醤油は除く)
Aとある宗教団体政党関係者。
不用品殿は、辞職後であれば来店可。
暴れないように、特製の鉄格子個室を御用意いたします。
お勧め品
ブルーギルの唐揚げ
アメリカナマズの酢の物
ブラックバスのソテー
アメリカザリガニの天麩羅
郷土の自然環境を守るため、この4種類はがんがん食おう!!
スタッフ
店長;石は30個は投げたと言い張るやつ。(ロックアウトの逆バリの中で、右翼に囲まれてションベン漏らしたあいつ。)
料理長;amanoya
ホール係り;駅ひとつ上ったところの変な詩人。(給料は、無し。aで始まる。)
調理係り;某破れタオル出身元空手部。
場所;利根川のほとり。
開店予定;2月10日、農獣医のバリが無くなった日。
昨日は宮沢さんの命日だったんですね。
今さっき線香を上げてきました。
宮沢さんの御姉さん、私の息子は34年前屋久島の隣、種子島で生を受けました。
とてもきれいな海でした。
宮沢さんのご冥福をお祈りいたします。
【URL】http://8817.teacup.com/sumiyoifujisiro/bbs
■827 2009/01/28 09:43:16 軟弱銀ヘル 涙が止まらない
最近、どうも涙もろくて‥。年を取りました。でも‥勇気をもらった気が致します。
管理人さん 身体を大事にして下さいね。管理人さんが体調崩すと、「解放区が」なくなってしまいます。そろそろ煩悩を捨てて神様の心境になられんことを切に祈ります。
藪さん 管理人さんをあまり甘やかさないように。69年1月20日 早朝に安田講堂に駆け上った人なのですから。何をするかわからない人なのですから。
■826 2009/01/28 00:57:13 80年代 そんなことありえない
「警察が『人』を守るためのもので」あったことなどありえない。
国家権力の暴力装置でしかない「警察」が、労働者、人民を守るはずがない。
私自身が経験した争議でもそうでした。
【ファイル1】 jpg(101.5k)
■825 2009/01/27 23:23:57 博の姉です。 今日は命日
管理人さん、こちらは私にとって博の空白部分を埋める事の出来る唯一の場所なのです。
今日は命日、掲示板を開くと「警察は人を守るためのものではなかったのか」が目に飛び込んで来ました。
博が怒りを込めて私に言った言葉、博が運動に突き進む原点と私は今も思っております。
偶然とはいえ命日に出会うとは…博に送る最高の言葉です。
初めて投稿します博の姉です。
必死に生きようとする姿に乳がん患者歴5年の姉は不本意ながら自然医学≠フ手当法講習会に付き添い12/19水道橋のクリニックへ(博は道すがら界隈を懐かしんでおりました)
民間療法を毛嫌いしている私が片棒を担ぐ事になった悔しさと憤りを今も自分にぶつけて
おります。良い命で生きて欲しかった…
博は1/11自治医大緩和病棟に入院するまでの僅かな日々を前橋の私の下で過ごしました。
屋久島には鉄道がないと言い朝夕通る上越線の蒸気機関車を子供の様に喜びマンション5階から眺めていた事が昨日の事の様に思い出されます。
破天荒な人生も今は屋久島の海に帰り本人は満足している事でしょう。
一周忌にあたり博に係わって下さった皆様方にこの場をお借りして心からお礼申し上げます。本当に本当に有り難うございました。
■(pending) 824 2009/01/27 23:21:47
■823 2009/01/27 01:22:55 80年代後半 「警察は人を守るためのものではなかったのか」
突然スミマセン。
41年前、日大闘争の時。機動隊を拍手で迎えた全共闘。
今また、愚直にホテルで働いてきて、悪逆非道な経営者に一方的な解雇された
労働者が同じ言葉を、悔しさの中から絞り出す。
これ以上、こうした歴史を繰り返さないために、我々は「何をなすべきか」・・
http://jp.youtube.com/watch?v=4GC0kTC30jU&feature=channel_page
http://jp.youtube.com/watch?v=Kc-m-clrc90&feature=channel_page
■822 2009/01/26 00:03:53 教祖 感想
◎遅まきながら11月22日拡大集会の感想、出席できなかった日和見教教祖。
新年明けましておめでとう(今日は旧暦1月1日)・・・。
イヤー、なまらいい会合だったんですね。
40年前の安田講堂前を、彷彿と感じました。
小生300日無言行だったので参加できなかったのですが、JUNさんから当日の映像をDVDで送ってもらい見させてもらいました。
水すましさんが記録関係に尽力したとの事、出席できなかった者には何よりの事でした。ありがとう。
秋田さんのあさってよりは明日だ、いい言葉でしたし、皆さんの発言、それぞれ含蓄のある話でした。
※さて、混迷する現代社会で我々ロートル全共闘は何をするか?
バージンロード(ババアとジジイの行く道)を示すのも一つの方法。
”競争””我慢””共生”こそ生物社会の掟。
厳しい条件下でちょっと我慢しながら嫌いな奴とも共生していく事でしょうか。共生とは決して仲良しクラブではなく競い合いながら互いに少し我慢してすみ分けて共に生き続ける事なのです。
これこそ全共闘そのものと思うのですが、いかがでしょうか。
後に続く世代にバージンロードを示そうではありませんか。
チームバージンロードは
・ババアとジジイを拾う道となるか、
・ババアとジジイを捨てる道となるか?
09・1・12 教祖 拝
■821 2009/01/25 22:02:04 藪 JUNさん、こんばんは
お返事をありがとうございました。
小生は軍事的(^^ゞな意味での「正面戦」と、とっちがえて解釈してました。「違い」を考えてませんでした。よぶんな事を失礼しましたm(__)m
水中のみずすましさん、こんばんは
>価値には差がありすぎる
「価値」の意味が分かりません。「差」の意味も分かりません。
私的には日大全共闘の一連の闘いは、日本史上最大の学生運動だと確信してます。そうであったからこそ日帝政治委員会から一大学の団交に密集した大弾圧が加わったとも想うのです。
同時に、開港阻止決戦の一環であった「管制塔占拠」を担った友人諸君にはメチャ時を越えてムチャクチャな大弾圧を加えてきました。御承知のように「一億円」です。結果もまた御承知かと思います。
70年代後半さん、こんばんは
懐かしいです。そう言ってはいけないのでしょうが(^_^;)
77.5.8。
小生仲間と一緒には三里塚闘争に連帯する会・プロ青同・ブント戦旗派で横堀労農合宿所から千代田まで出撃しました。東山さんの虐殺。某団結小屋から出撃した友人は左腕に「模擬弾」を直撃され骨折しましたの。3・26では「律儀」な事してパクられてます。航空危険罪・殺人未遂のオマケつきで(怒)。
78.3.1。
この日の連帯する会は、横堀三派諸君とは別途で公園から横堀要塞までデモンストレーション。本当に風が強くて旗竿部隊の旗がバリバリ折れるくらいの強さでした。風で目に赤土が入ってくるのね。5ゲート?当たりでは労働者鉢巻部隊の頭上に盾を振りおろして来るんです。私たちはメットが割られるくらいでしたが。気合いが入ったデモでした。
みんな、頑張っていたと思います。
■820 2009/01/25 20:10:04 70年代後半 同時代の活動家としての覚書
三里塚3月開港阻止決戦(管制塔占拠闘争)
1977年 5月6日 千葉地裁が「鉄塔撤去の仮処分」、即日、岩山鉄塔破壊
5月8日 千代田農協前広場で抗議集会 この日の闘争で、野戦病院前で仲間とともに赤十字のゼッケンをつけスクラムを組み病院を守っていた東山薫さんが、機動隊の近距離からのガス騨水平撃ち(狙い撃ち)により虐殺される
12月 横堀要塞の建設はじまる
1978年 2月6日 機動隊が横堀要塞への攻撃を開始、鉄塔攻防戦
3月1日 現地集会で反対同盟「3月開港阻止決戦突入」を宣言
3月26日 「空港包囲・突入・占拠」闘争 横堀要塞で第二次戦闘
横堀要塞には反対同盟幹部の石井氏、北原氏、秋葉氏らも立て篭もった
最終的に逮捕者は、管制塔突入部隊、空港突入の大部隊、横堀要塞篭城部隊、空港周辺各所のゲリラ部隊など、合わせて計168名に及んだ
3月28日 「開港延期」を閣議決定
■819 2009/01/25 14:48:21 aagh いまのトップページの写真
そうだったのですね?
「格好いいやつだな」とは思っていました。
写真は、ときに写真以上のものを伝えます。
あんなに美しい「ノクターン」を聴いたことは、ありません。
■818 2009/01/25 13:23:12 ラッパの大将 闘争支援のエールを送れ
JR品川駅前の「京品ホテル」を巡り、東京地裁は25日、元従業員らを立ち退かせる強制執行
http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009012501000117.html
経営者とその背後のハゲタカファンドによるホテル廃業と不当解雇を許さない!
http://keihinhotel.blog49.fc2.com/
http://nsearch.yahoo.co.jp/bin/search?p=%B5%FE%C9%CA%A5%DB%A5%C6%A5%EB&st=v
■817 2009/01/25 12:52:29 うらら Re:私見他 >水中のみずすましさん
活動資金は、皆一生懸命バイトしてたんだなぁ…、と思っていた私ですが、カンパで金が集まるということ自体、最近まで実は私は知りませんでした。
産経新聞の「さらば革命的世代」で、「日本のレーニン」が実際に労働したことがなく、資金源は主に講演とカンパだったという記事で、初めてそんなことが可能なのだと知った者です。
お金の流れ方を見ていくと、本当に世の中の色んなことが見えてくるものですね。
それと、小野田さん!凄すぎます。私も頑張ろう。
最新情報、ありがとうございます。
■816 2009/01/25 12:51:21 うらら Re:目線 > たぎりさん
何も知らないなら運動に言及するなというのは、運動について人に知らせる意志が無いという風にも思えます。
何も知らない家族が、団らんの場で、テレビを見て適当にうじゃうじゃ思うことを言っている中で出た言葉であります。
私としては、「知らない人が初めて見たら、こんな感じ方をすることもある」ぐらい、鷹揚に受け止めて頂きたかったのですが。
言葉の問題ですね。
たぎりさんが「上から目線」という言葉に引っ掛かりを感じたように、高卒フリーターで使い捨て労働者である時間の長かった私には、インテリが放つ「労働者の道具に」という言葉に引っ掛かっただけです。
そしてそこで私はただ引っ掛かって動けなくなったのではなく、「労働者の道具」、言い換えればその後、外科専門なのに獄中で丁寧にノートを記しながら内科の勉強をされて、地域医療に没頭されたその生き方に感動して、「凄い」と言っていたわけでありますが。
簡潔に伝えようとするのも言葉足らずで誤解を生むし、言葉を扱うのは難しいことですね。
しかし、上からであれへりくだった状態であれ、そこに相手への「敬意」があるか無いかが問題なんだ、と思う私自身は、確かに基本的に目線が「上から」であろう、ということに関しては、否定は致しません。
自分自身を知る厳しいご意見に遭遇する機会の無い最近では、たぎりさんの叱責は、ありがたいお言葉と思って受け止めさせていただきます。
■815 2009/01/25 08:15:41 JUN 藪さん、おはようございます
私はその日、仕事で車を運転中にニュースで知り喝采を上げました。したがって正確では無いかも知れません。
三里塚'78.3.26の闘いでは、第9ゲートや第8ゲートから突入した数千人の「突撃隊」と、前日から地下に潜り込んだ多分15名の「隠密部隊」、その両者がうまく連携して勝利しました。
一方、日大全共闘の'68.9.4〜12、いわゆる「激動の10日間」(占有排除仮処分強制執行)の闘いでは、連日愚直なまでに正面からぶつかり460余名の逮捕者を出しながらも、地裁仮処分決定を完全に空洞化した。別に正面から行ったから「エライ」とか、そんなことを言っているのではありませんョ。地理的な条件も違いますし。
ラッパの大将は「(石を)腰を入れて気合で投げる、気合が届かなかったら前に出る、とにかく前に出る、更に前に出る」と日大全共闘の闘いを、たいへん分かりやすく(笑)表現してくれました。
■814 2009/01/25 04:42:14 水中のみずすまし 私見他
○藪さんへ
>>小生、開港阻止決戦は文字通りの「正面戦」で勝利したと思っています。
他人(敵)の施設になだれ込んでぶっ壊して全員検挙の特攻隊と、悪徳大学改革のために自らバリ封鎖した経済学部校舎を正面戦で敵(裁判所命令・機動隊導入)との死守防衛決戦を貫徹した68.9.4との価値には差がありすぎる…と思う。
○Rosso neriさんへ
ようこそおいでくださいました。これからの日本を背負う貴兄ら若人のご意見・反論を掲示してください。(駒場での小生を「おっさん」と呼んだHPがあったが抵抗はなかった。しかし「初老の元活動家」と書いた新聞屋には腹が立つ。「初老」はしょうがねぇかな…。ただし、我、現日大全共闘ナリ)
○うららさんへ
>>うちの親は、「この活動資金のカンパが、どこから出ていたのかが問題だ」
当時、耳にしてましたね。大学当局及び応援団・体育会OB会の宣伝工作で「日大全共闘はアカ」従って「共産党から金をもらっている」と吹聴してました。日大闘争勃発後、反全共闘に転じた日共・民青がカンパなんぞしてくれるはずも無し(ふざけるな!)。
大学側から全共闘学生への暴力テロやバリ破壊を命じられ、日当をもらっていた応援団・体育会の学生達こそ、恥を知れ。因みに、我が友人の体育会学生は日当3千円。当時のバイト相場の4−5倍。ただし、後に知り合いの応援団OBから聞いた日当支払額は8千円。先輩連中が7割近くピンはねしていたのだ。
因みに、経済学部では、学部当局が学生から納入された68年分の学生会費は5月(日大200メートルデモは5.23)に全額学生会に引き渡され、お陰で闘争資金と相成りました。他、市民からの多額の街頭カンパが活動資金の原資です(学生のバリ生活費には流用せず)。お父上にお伝え下さい。
「小野田寛郎氏」の近況。一昨年、肺気腫で一時入院、以後、酸素ボンベを引きずって生活していましたが、昨年夏にはボンベ無しで外出するまでに回復。正に不死身な人です。1月はブラジル出張、牧場の牛をセリに出す準備と聞いてます。
■813 2009/01/25 01:14:31 たぎり 目線
「上から目線」っていう言葉を金科玉条にするのは大嫌いですね。翻訳すれば「エラソーに言うな」ってことでしょ。三里塚の農民の闘いに共感したり、水俣病や障害者の闘いに共感し、共に闘おうっていうのも、その当事者が都市生活者であったり、健常者であっありすれば、「上から目線の」共闘なんですか?違うでしょ。そんなことを言うのなら、「この活動資金のカンパが、どこから出ていたのかが問題だ」「もし宗教団体から金が出ていたのなら、この運動はもっと長いこと続いたかも」なんていう方が「上から目線」の見方でしょ。
カンパは私の知り限り、みんな、ギリギリの生活から捻出してましたよ。活動家なんて、まともに食事できなくて、学生だった私のところに来て「夕食」をカンパ代わりにしてる人もいました。何も知らず「上から目線」で運動に言及してほしくないですね。
■812 2009/01/24 22:57:16 文理\(^o^)/学科 ゲバラはすごい…
映画でゲバラの実写を見た。国連での演説だ。テレビのニュースでゲバラが広島に来たときの発言を聞いた。なぜアメリカを許しているのか。抑圧と収奪、暴力の勝手な行使、アメリカなどが【野蛮で無知で暴力】で諸悪の根源だと。イデオロギーは後付けで、ゲバラの先進的決起、アジェンデの敗北、その後中南米で左翼主流となる。。
しかし、イスラエルとアメリカはまだまだ腐敗性を放っている。パレスチナの人たちに私はどうすればよいのか。映画でゲバラが「デモだけではだめだ、武装闘争こそ人民の解放の道だ」と言う。私たちはほんの少し暴力性を奪還した。角材・鉄パイプ・火炎瓶と言う低度だ。秀吉の刀狩以降人民は武装解除されていた。
国家は暴力装置であり、近代的武器で武装し訓練を怠らない。安田講堂にライフル狙撃隊を待機させ、街頭闘争には自衛隊の出動を本気で考えていた。それと真っ向から闘うのは角材では悲しいほど弱い。
革命的武装と、職場占拠、革命軍の創出、自衛隊内部に革命的細胞を組織する、それは捕まれば死刑となる。そういう緊張関係が階級と革命軍・党を強化する。昔大逆事件があった。でっち上げであるが、死刑になった。これに自称社会主義者などはびびった。極少数の心ある人が復習を試みたが、それも頓挫した。
キューバはバチスタ政権であり、民主主義ではなく暴力的圧制である。日本は民主主義で暴力的運動は大衆から離反する、としたり顔で言う人が多い。本当に日本は民主主義な国だろうか。これほど市民や労働者が酷いことになり、反戦ビラすら犯罪となる国が民主主義だろうか。政治家が世襲制をとり、小泉が行く所生長の家青年部、創価学会青年部を組織動員し、「純ちゃん」と言わせた。これが民主主義の国だろうか。
もう年だから、個人的に武装決起をしても良いだろう。人民の暴力性の復権が武装闘争を堅持させる。。 125-14-85-
■811 2009/01/24 22:53:46 うらら 感想
色んなところで総括をやってるみたいですが、衛星放送どころか、現在自宅にテレビが無く、何も見ることができないのが残念。
今は唯一、産経新聞の「さらば革命的世代」だけは、欠かさず読むことができます。
しかし、偶々「NHKアーカイブ」の東大のやつだけ、今回、実家で観ることができました。
うちの親は、「この活動資金のカンパが、どこから出ていたのかが問題だ」「もし宗教団体から金が出ていたのなら、この運動はもっと長いこと続いたかも」などとブツクサ言っておりましたが、そうなんでしょうか。
三里塚に自分で家建てて住んじゃった人の奥さん、あればもしや女闘士だった人でしょうか。
びっくりするぐらいフツーのオバちゃんでしたが、ああいう人と一度喋ってみたいものです。
長野で地域医療に身を捧げた元闘士が、最初「労働者の道具としての医者になる…うんたら」と言っているのを見て、エラい上から目線やんけ、とか、うじゃうじゃ言いながら見ておりましたが、それでも「労働者の道具」という役割を最後まで演じきったのは、凄いと思います。
「40歳から人生がはじまった」とか言っておられた、和光大の教授の話には、人生を考えさせられました。私が敬愛してやまない小野田寛郎氏も、60歳目前にして戦争を終えて、ブラジルの原野開拓をしたのだ、などと思うと、私の人生はまだはじまっていないのかもしれない。
ついでに、実家で久々に見たテレビで、「えひめAI」のニュースをやっていて、「飲み物ではないので、飲まないようにと指導しています」と言っていたので、え゛!と思いました。
…えひめAI、飲んでます。しかし、うちでの主な用途は風呂の入浴剤です。
■810 2009/01/24 19:26:03 Rosso neri あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。
いまだに僕のブログの方に来てくださっている方や、コメントしてくださる方がいらっしゃります。
ありがとうございます。
先日の日テレ、NHKと見ました。
まあ、日テレは権力よりの構成、NHKは個人をピックアップという形であったと印象に残っています。
安田講堂に至るまでをもう少し詳しく映像で見たかったという気がしました。
NHKでは秋田さんや日大の方々が映ってらっしゃった部分もしっかり見ました。
もちろんですが。
なぜ、書き込みをしたかと言いますと、下に藪さんという方が載せて下さっているサイトの資料を初めて見たもので、お礼を言わせていただきたかったからです。
ありがとうございます。
内容等々不適応であれば削除して下さっても構いません。
【URL】http://d.hatena.ne.jp/antiauthoritarianism_rosso_neri/
■809 2009/01/23 20:08:41 藪 JUNさん、こんばんは
>まぁ、正面戦という意味では日大だけかも・・・。
JUNさんのおっしゃる正面戦って、どういう意味でしょうか。
教えてくださいませ(^^)
小生、開港阻止決戦は文字通りの「正面戦」で勝利したと思っています。
■808 2009/01/22 22:10:29 管理人 アノ方
管制塔占拠被告へのカンパ運動に「ぽんと10万円カンパ・・・・」という話は、カンパ運動の事務局の方から私も直接聞いています。
ただし、名前を絶対公表しないという約束だったそうです。
私も名前は言いませんが、そうです、アノ方です。
東大全共闘のアノ方といえば皆さんもお分かりですよね。
管理人
■807 2009/01/22 20:54:47 JUN こんな記事がありました
★俺たち、タワー・アタッカー!!★
http://narita1978.jugem.jp/ というブログがあります。1月22日の記事に、下記(部分)のコメントがありました。
《 管制塔占拠は東大闘争のクライマックスから10年後のことでした。先日、NHKで放映されたドキュメントでは、管制塔占拠後に東大闘争10年で当事者たちをインタビューした映像に、40年目の今を加えて編集したものでした。管制塔のメンバーもほとんどがこの番組を興味深く、見ていたようです。
東大全共闘のなのみならぬ(←ママ)スターにして、その後は政治的発言や行動からまったく離れていた人が、管制塔占拠に「ぽんと10万円をカンパしてきたんだよ」なんて、話が出てくるのでありました。
あるいは行動隊長だった今井澄さんは、服役後に長野県のお医者さん、参議院議員になったのでしたが、管制塔占拠に「あんなふうに闘わなければ、と揺さぶられる」と言う姿を映像に残している。》
私は今でも、敵側の攻撃を大衆的実力闘争で一時的ではあったが阻止し得たのは、1968年9.4仮処分(約6ヶ月)と1978年3.26管制塔(約2ヶ月)だけだと、思っています。まぁ、正面戦という意味では日大だけかも・・・。
■806 2009/01/21 22:36:14 70年代後半 期待ほどでは・なっかったは・言いすぎかもしれません…
藪さん
むしろ、わたしの「期待し過ぎだった」かもしれません。
ただし、管理人さんがyou tubeにあげている「ラッパの大将さん出演部分」は、いいです。(ほんと)
そして、ラッパの大将さんのおっしゃる通り
>NHK3部作を通してみるとかなり輪郭が分かる
のかもしれません。うちは<BShi>は観れないので…第1部が観れていない・のですが…。
それしても
管理人さんが書いていらっしゃる
”頑な個”=胸にグサリときました。
でも、わたしも、この掲示板のおかげで
元気で・楽しく・明るい方へ・すすむことが・できています。
藪さん、銀ヘルさん
皆さんにお会いできる日を信じて
■805 2009/01/21 21:27:05 藪 そうですか
70年代後半さん、こんばんは。
期待したほどではなかったのですか。でも、あれですのね。観れたのでしょ?
私はパートが休みだったカミタン様に「ここを押せばいいからね」とお願いしました。
帰宅し「ありがとね、やっておいてくれた?」と言ったら、「あっ、忘れてた」ですと。
私は、烈火のごとく怒りました。叱りつけました。脳内で・。
でも、ま、いっか(T_T)
70年代後半さんがカキコしてる
>『進撃』(東大闘争全学共闘会議事務局編集委員会)「号外('69 1・21!発行)」
は1969〜1972 明大全共闘から学館闘争 さんの
http://www.geocities.jp/meidai1970/kikanshi.html
とこですよね(^^)
でもって、小生が確信してるのは、銀ヘルさんと70年代後半さんがお会いできれば、
絶対!仲良しになります(キッパリ)
■804 2009/01/20 20:41:37 ラッパの大将 若しも私が監督ならば
70年代後半さん
今回の<地上波>「アーカイブス」は40年後の現在を描いています。
前回の<BS>「日めくり」は時代背景を切り取っています。
最初の<BSHi>は当時を振り返っています。
このNHK3部作を通してみるとかなり輪郭が分かります。
NHKという厳しい枠組みの中で踏み込んで描いています。
だって、政府の顔色を見ながら、上部は東大官僚(笑
真っ先にお先棒を担いで、学園紛争→東大落城→赤軍派=暴力集団の図式で葬り去ったのです。
日大全共斗は長い間タブーでした。
今回も東大だけでお茶を濁すこともできたのです。
それが歴史の闇に光を当てた。
今後は更に真実に迫る番組が創られるでしょう。
ゲバルト・トーク番組。
出演者
全共闘・島泰三氏。片桐一成氏
民青 ・宮崎学氏。町村信孝氏
官憲 ・佐々淳行氏
始めに各自10分の挨拶
その後、相手を指名して10分の闘論。
本人が削除要請しない限りそのまま放映。
若しくは
私が突撃取材。
全共斗同志に。
敵対した右翼や民青にも
勿論大学や官憲にも。
■803 2009/01/18 22:57:35 70年代後半 期待したほどでは
NHKアーカイブス、DVD録画で見たのですが
期待ほど・では・なかったです。
ただ、山本さんの今井さんへの弔辞はよかったです。そして、ラッパの大将さんの出演部分は、あかるくて・溌剌としていて・元気が出ましたが…。
(あっ!ラッパの大将さん、文理\(^o^)/学科さん
3度目のハタチの誕生日おめでとうございます。)
考えてみれば、(日テレのドラマは問題外とはしても)「そのとき」を知りたければ、
たとえば安田講堂攻防についてなら、『進撃』(東大闘争全学共闘会議事務局編集委員会)「号外('69 1・21!発行)」を読めばいいわけだし、「そのとき」が「いま」につながる何かを伝えるのなら、
もう、自分たちでつくっていくしか・ないのかもしれませんね。
(すみません!わたしは部外者ですが…)
■802 2009/01/18 21:50:45 藪 チマタでは
警察官と税務署関係の徴税方面の係官は募集人員数が減ってないとか。
治安と納税はガチンコで「保守」との模様でございます。
根っこはキチンとしてますね。
大昔から攻城戦を戦う場合、攻者三倍の法則というのがあります。
守備の側よか3倍の勢力で攻めないと落とせない。という戦術思想ですね。
ラッパの大将さんによれば、10倍の勢力で攻めかかったのだ。
しかも2日もかかったのだ。そこまで力技で落とそうとしても落ちなかった。
アメリカ流の物量作戦しかなかったんですね、kc庁はっていうか公安中枢は。
そこで学んで、○機の増量作戦が始まった。
でもって、今に至る。これから先のことを考えているのでしょうね。
■801 2009/01/18 13:14:11 ラッパの大将 恥を知れ!東大官僚共
>「若者は怒らなきゃ。40度は困るが38度くらいの熱は出してほしい」。
そんなぬるま湯じゃ風引いちまう。
コチトラ。何時も42度じゃ〜
「紛争」を起させて「解決」する為に「兵力増強」=警察官を増やす。
そんな意図は見え見えだ(笑
そんなの、自国語の分からない大統領や首相が支配する国の話しでしょ。
危機を煽ることと危機管理は違うのでは?
「ニトロ」をでっち上げて「総長代行」を脅す。
大学から要請があるように仕組む。立派なやり方だ。
「大量破壊兵器」は発見できましたか?
東大落城!!何じゃそれ?
日大全共斗の創った闘う意志の具現化された正面バリケードを破壊できましたか?
日大全共斗のレポ隊に無線を傍受されて手の内がバレバレだったでしょ。
日大全共斗が怖くて神田から逃げたのは誰ですか?
唯一の作戦が「陽動作戦」で石や火炎瓶を吐き出さすこと。
後手後手の対応で戦略なき作戦だ。
十倍の兵士と十倍の兵器を費やして2日も掛かった。
それでも勝ちは勝ちですか?価値ありますか?
全学連に勝ったぐらいでこんなに喜ぶなんて!!!
東大の権威と大学の自治を足で踏みにじって。さぞかし気分が良かったでしょうネ。
東大は「入試中止」日大は「入試強行」・・・笑わすね。
袖の下を貰ったのかい?お代官様。
国民の血税でノウノウと暮らし、弱いもの虐めをしてご先祖様に恥ずかしくないですか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%B7%B3%E8%A1%8C
http://bbgmgt-institute.org/sassa.htm
■800 2009/01/18 08:41:07 ラッパの大将 1・18
天声人語 講堂に籠城(ろうじょう)した島泰三(たいぞう)さんの著にある。
「人生の暮れ方に至っても、私は後悔していない。歴史のひとつの局面で、果たすべき義の一端を担うことができたのは、わが人生の欣快(きんかい)である」
異議ナ〜〜〜シ
佐々淳行(さっさ・あつゆき)さんは、それらが織りなす音の渦を「交響曲不快」と表現する。
ナンセンス!!!
http://www.asahi.com/paper/column.html
■799 2009/01/18 00:59:13 @tsubaki 関西の「NHKアーカイブス」放映日
初めまして、@tsubaki(68法)と申します。
80年代さん、JUNさん、管理人さんから紹介していただいていた《関西地域の「NHKアーカイブス」》放映日の件。
NHKに問い合わせ、大阪放送局の番組表でもようやく次のように表示されているのを確認しました。
NHKアーカイブス特集▽安田講堂落城〜“あの日”から40年 学生たちのその後〜
チャンネル :教育/デジタル教育1
放送日 :2009年 1月23日(金)
放送時間 :翌日(24日)午前1:00〜翌日(24日)午前2:20(80分)
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=200&date=2009-01-23&ch=31&eid=47296
■(pending) 798 2009/01/17 23:58:56
■797 2009/01/16 12:36:46 80年代 佐々木みちこさん写真展 の会場となる、新宿駅東口のカフェ「ベルク」に関する記事
が先日朝日新聞にありました。人気のあるお店ですが、JRから立ち退きを迫られているのです。
【ファイル1】 jpg(234.7k)
■796 2009/01/16 01:43:51 水中のみずすまし 日テレ感想・また全共闘をセクトと意図報道!
>>01/14日本テレビ・日本史サスペンス劇場特別版
>>「東大落城」安田講堂36時間の攻防戦…40年の真相SP
安田講堂立て篭もり部隊の再現シーンに、白ヘルメットの正面に「全共闘」と書いた「白ヘル」学生姿が出てきていた。意図的なウソ小道具である。
当時の「白ヘル」には「中核(三派全学連中核派)」と書かれており、途中インサートされていた当時の記録映像画面にもハッキリ「白ヘル・中核」学生が映っている。安田講堂壁面に掲げられたセクトの種々の旗の内、中核の旗が映った場面は1カットのみと見えた。
他の消滅したセクト(ML・反帝等)のヘルメットは忠実に配色されていたが、なぜ白ヘルだけ「中核」とすべきところを「全共闘」と書いた小道具衣装を用いたのか。多分、中核派は現存する活動監視団体だからであろう。街宣右翼の映像を流さないのと同様、中核派一派の戦意高揚を抑止するためだろう。
つまらない策の入り込んだ時代考証により、事情を知らない視聴者に「安田講堂の篭城中心は白ヘル東大全共闘」と思い込ませてしまった。瞬時の繰り返し映像ほど記憶に残る。意図したものなのか。「過激派」なる台詞も数箇所出てきていた。学生が火炎瓶を表立って使用したのはこの時この場である事実も番組には出てこない。
日大全共闘を、反日共系(結局は共産主義革命思想)全学連セクト、そして後の爆弾闘争テロ集団・気印連合赤軍等と一緒にするな! 若い諸君へ、目的も参加意識も全く違うことを理解してほしい…な。
学友諸君へ、つまらない番組だったね。何が言いたかったのか。40年前の先輩は、かく闘えり…と若き機動隊員及び公安刑事諸君への戦意高揚を目的とした番組だったのだろうね。まるで日露戦争の203高地の武勲高揚放送。
日テレの担当者諸氏よ、恥を知れ。
■795 2009/01/17 20:29:40 藪 70年代後半さん、
こんばんは もしもよろしかったらメールをくださいませ。
ものすごくお話をしたいのであります。
ヨロ(^^)
■794 2009/01/15 00:12:13 ラッパの大将 真実が知りたければ
「安田講堂」と「叛逆のバリケード」を読めば分かる 「安田講堂」
http://plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200511290000/
http://www.linelabo.com/yasudakoudou.htm
http://myhome.cururu.jp/koutokuji/blog/article/31000396526
「叛逆のバリケード」
http://www.z930.com/hanbari/hanbari.html
残り部数あと僅か。
「紙の爆弾」2−3月号
■793 2009/01/14 23:43:05 ラッパの大将
徹底的な弾圧で若者が理想や夢を語らず、私利私欲に走り、日本を駄目にした。それが佐々の真実!! 放映・・日本テレビ放送網 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E6%94%BE%E9%80%81%E7%B6%B2
主要株主 (株)読売新聞グループ本社 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AD%E5%A3%B2%E6%96%B0%E8%81%9E
1924年2月25日 経営難から、前警視庁警務部長、後の衆議院議員、正力松太郎が買収。
1945年(昭和20年)正力松太郎社長がA級戦犯容疑で逮捕。
1994年11月3日 当時の社長である渡邉恒雄の下で、主要なマスコミで初めて「憲法改正試案」を発表して、憲法の改正を主張。
渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年5月30日 - )は東京都出身の日本の実業家。
読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆。読売ジャイアンツ会長。
「ナベツネ」の通称で知られる。
旧制高校卒業後、東京大学に入学
1946年 天皇制への嫌悪から日本共産党に入党
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E9%82%89%E6%81%92%E9%9B%84
番組は公正中立か?権力側からの捏造か?
11・22参加した東大の勇者たちが出演してない!
これこそが真実だ!
■792 2009/01/14 22:33:01 amanoya (無題) 今さっき日本テレビを見ていた。
1.18・19安田講堂をやっていた。
何故か銀ヘルが中に居たが、意味不明。
何度かバリケード強化について、『日大工兵隊』の言葉が出てきた。
カミタンが、ヨ〜〜〜〜シ!!!!!と騒いでいました。
どうせやるなら、11.8江古田の攻防の方が意味深いのでは!!!
まさに絵になると思います。
■791 2009/01/14 22:30:02 文理\(^o^)/学科 ライフル部隊まで用意し。。
機動隊はライフル部隊を用意していた。ピクリン酸があるとか根拠のないデマを信じる一方
安田講堂の部隊を射殺することも、あの連中の選択肢だ。
ゲバラの映画を見た。感動と共に彼が予測した中南米の解放が始まっている。首都のゼネスト路線に、ゲバラは「武装闘争だけが基本方針だ(当時のキューバの農村は小作農)」と言う。その路線は正しかった。
私の誕生日は1月15日。警察の牢屋で迎えました。同じ房のヤクザさんが、「お誕生日おめでとう」と言って、隠していたガムをくれました。たった1枚のガムだけど、ジワッとこみ上げるものがありました。
■790 2009/01/14 22:22:05 管理人 とばっちり でもね〜・・・、
今、洪水のようにアクセスが来ています。
とんだ事だ!!
ナンマイダ、ナンマイダ。
管理人
■789 2009/01/14 21:53:31 70年代後半 (無題) 藪さん
同感!
■788 2009/01/14 20:59:59 藪 や〜〜〜めた
やっぱササ某のなる沈む・ひろいずむ漫画じゃん。
私のアホ!ううううううううううう
■787 2009/01/13 21:39:10 ラッパの大将 1969年1月14日
凍える体を怒りで燃やして迎えた二十歳の誕生日 11・8関東軍。11・12機動隊により、徹底的に破壊されたバリケード。
全ての窓ガラスが割られ、寒風が吹き荒ぶ。
それでも、未来を信じて、「疾風怒濤」の如く闘った。
嘘吐き!佐々。
貴様は何を守ったのか?
大切な何を壊したのか?
明日で40年。
還暦を迎え髪は薄くなったが、怒髪天を衝く。
■786 2009/01/13 17:16:48 80年代 こんな番組が明日ありますね…
佐々淳行原作だぁ… 01/14日本テレビ 19:58〜21:54
日本史サスペンス劇場特別版
「東大落城」安田講堂36時間の攻防戦…40年の真相SP
陣内孝則(佐々淳行役) 金子賢(宇田川信一役) 宮地真緒(嵯峨邦子役) 隆大介(下稲葉耕吉役) 綿引勝彦(秦野章役) 松尾敏伸(松浦洋治役)
大谷充保(阿部知子役) 中西良太(石川三郎役)ほか
■785 2009/01/13 09:27:57 amanoya ‘69.1.18
40年前の1.17、久々に自宅へ帰った。
明けて18日早朝、ナップザックいっぱいの握り飯を背負って御茶ノ水へ向かった。
改札口を出ると、私服がてんこ盛りだった。
集会場に着くとすでに仲間は到着していた。当然背中の荷物は、瞬時彼らの胃袋に納まった。
SPと書かれた銀ヘル(赤ヘルではない)・覆面・軍手と皮手、私一人だけがガス管を持つ。
足元は、編み上げの安全靴。
イザ出撃!
外へ出たとたん、機動隊は理工1号館脇の坂の上まで来ていた。
その後は長くなるので、後日書くことにする。
1.17にNHKアーカイブ。1.18には何が来るのか、わくわくしています。
■784 2009/01/12 10:25:49 80年代 1・17 管理人様
掲示板に記載した日、アーカイブスの取材クルーから「取材した写真展の放映日の件」として連絡をもらいました。取材内容の一定部分を占める写真の著作権者、芸闘委Oさんに連絡の上、こちらにアップしました。
この放送が新版ハンバリの拡販に繋がるとうれしいのですが…
皆様、よろしくお願いいたします。
【ファイル1】 jpg(17.3k)
■783 2009/01/12 03:27:46 70年代後半 夜中の連続投稿で すみません!
管理人さんdiary
>日大は議長は当然として、もう一人はほらほら…”あの人”だ。
議長も!”あの人”も!とても楽しみです。
■782 2009/01/12 03:23:12 70年代後半 お会いできる機会なら
わたしは、いつでもお合わせします。
(なにせ、前回逸してしまっていますから…)settingをお待ちしてます。
それにしても銀ヘルさん
>今の状況はひどすぎる。
同感です。
管理人さんが元旦にインター(=L'Internationale@60-year-old people sing)をupしてくれていたので、
ことしのお正月は何度か聴きながら、仕事を(2日から)してました。
こんなにこの歌が似合う新年は、かつてなかった気がします。
■781 2009/01/11 21:03:04 藪 銀ヘルさん、こんばんは
3月、4月は長男の結納だのなんだので多忙でございます。
そうゆう年なんですね、小生も。
もう、ちょい待っていてください。
■780 2009/01/10 08:46:14 70年代後半 あちゃー2
17日は(あの時間!)、わたしも仕事なんです。
ON TIMEで観たいのになぁ。
■779 2009/01/10 07:15:55 軟弱銀ヘル 諸兄へ提案です
4月の「佐々木みちこ写真展」に日時を決めて、集合しませんか。籔さん70年代後半さんどうですか。
先日、新宿でみち子さんの写真を見ましたけど、そのボリュームに圧倒されました。また、ぜひ、見たいものです。こういうことが契機となって、若者が社会の矛盾に立ち上がれば素晴らしいですね。今の状況はひどすぎる。
長年、母子家庭を支援している『あしなが育英会』に寄付していますが、もう少し厚くする必要があるのかなと思っています。高校へも行けない家庭も多いのです。
■778 2009/01/09 22:51:53 藪 あちゃー(T_T)
17日は仕事になってるんですよ〜〜〜。
観れないじゃん。
うんにゃ!再放送がある!きっと!たぶん! s
■777 2009/01/09 20:23:52 ラッパの大将 記事の内容
相変わらず思い込みと勢いで書いています。
「常に過激な行動を取りたがる、と周囲から異端視されていた・・・」
あの剛に書かれると本当だと思われてしまう。;汗;
右下に叛逆のバリケードの宣伝があるからいいか
【ファイル1】 jpg(116.1k)
■776 2009/01/09 20:09:41 ラッパの大将 ある武闘家の11・22レポート
フラメンコ舞踏家であり、プロレス評論家、作家でもあり、
過激な「奇人」に分類される。
http://guitar.jp/MT2/2004/04/post-120.php
【ファイル1】 jpg(111.9k) s
■775 2009/01/08 00:53:41 80年代 ご指摘感謝
JUNさま、ありがとうございます。
地域でCHが変わるとは思いましたが放送時間も違っていたのですか…
失礼いたしました!
■774 2009/01/07 20:53:17 JUN 80年代さん間違っていません!
80年代さん そして管理人さんおよび皆様 本年もよろしくお願いします。
NHKの番組案内にはまだ1月17日の分は、出ていませんが、下記のような『但し書き』があります。したがって関西から西の方は、直前に番組表をチェックされたほうがよろしいかと・・・。以下コピペ。
《関西地域の「NHKアーカイブス」は原則として、教育テレビ 毎週金曜日深夜・(土)午前0時45分から放送します。
※放送予定は急きょ変更となる場合がございます。あらかじめご了承下さい。》
なに〜!関西では半日ほど、早く見られるんかい?
■773 2009/01/07 14:22:31 80年代 NHKアーカイブ放映CH
すみません。CH表示が間違っていました。
総合は1CHで(教育)ではありませんでした!
■772 2009/01/06 15:02:17 80年代 NHKアーカイブ放映日
先日の11・22写真展他、ラッパの大将、秋田議長への追加取材を含めた放映日が決まったようです。
***************************************
1/17(土)10:05〜11:25 NHK総合(教育)
***************************************
■771 2009/01/06 12:31:52 80年代 明けましておめでとうございます
皆様
昨年中はたいへんお世話になりありがとうございました。
本年もよろしくお願いいたします。
写真は、藪さん投稿の話題「日比谷公園・派遣村」の1・4集会にて
野党党首せいぞろいでした。一番受けていた新党大地の鈴木氏。
【ファイル1】 jpg(69.5k)
■770 2009/01/05 23:12:54 藪 派遣村、
まじめに働こうという人なのか?と坂本総務政務官 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090105-00000049-yom-pol
時節にぴったしの香ばしい発言です。皆さま、ご賞味下さいませ。
莫迦ヤロ(怒)
■769 2009/01/05 20:22:53 kanie あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。
遅くなりましたが、新年のごあいさつをさせていただきます。
実家の横浜から昨日、戻ってまいりました(自宅は京都になります)。
祖母の写真も撮れましたので今回の目的は達成できました。
こちらの掲示板の皆様のありがたいアドバイスのおかげです。
どうも、ありがとうございました。
>なのなの勢力様
セルフタイマーのダイヤルにある緑の記載はDINというものなのでしょう。
基本的にこの数字は機能的には無意味なもののようですね。理解いたしました。
ラッパの大将様も書き込みをされていますが、デジカメを使った撮影条件の測定に
ついても考えております。ですが、撮影の理論を一通り勉強したあとに利用しようかと
思っています。
自分の撮った写真とプロの撮った写真を比べると明らかに出来が違います。
(私のレベルで比べるのも無理がありますが(笑))
自分が考えるに写真の要素は3つに分けられるのではないかと思いました。
1つに、カメラの機器としてのテクノロジー
2つに、撮影者の技術
3つに、撮影者の感性
特に、1と2の連動性を理解できていないと撮影条件が厳しく変化した際に
高度な再現性を得られないと考えました。技術獲得のため、初めからオートの
機械に頼らずに全てマニュアルの技術で撮影をしていこうと思っております。
このカメラのファインダーを覗いていると、父が見た風景を見れるような
気がします。想いを伝える道具として自分が選んだものが、このカメラですの
で、なんとか使いこなせるように努力をしてみます。
1960年代のテクノロジーでどこまでできるかわかりません。少なくとも撮影者が
何を伝えたかったのか、これが見た者にわかる写真を撮れるようになるのが
最終的な目標になると思います。
したがって、単体の露出計とストロボは購入をするつもりです。
父がつかっていたものはもう切れそうだったので、本日は、
Pentaxブランドの本革のストラップを購入してきました。
これから道具も揃えていきます。
この書き込みをしていた、父の言葉を思い出しました。
父が、このSVを使っているのを見て、私が「そのカメラを使わせて欲しい」
と言ったところ、父は私に、「このカメラをお前に使いこなせるかなぁ」と
笑いながら言いました。
思い出してみれば、もう20年以上も前の話です。
■768 2009/01/05 15:49:50 文理(ー_ー)!!学科 セクトの問題
よくセクト批判をノンセクトはします。しかし、セクトはマルクス主義なりレーニン主義なりを自分勝手に理解し、その結果「前衛党」という組織が作られます。日大でもノンセクトからセクトに入る人もいましたし、「党」の独善性に嫌気がさしてノンセクトになった人もいます。
例えば重信さんですが(あの指名手配写真はモンタージュです。大道寺あや子さんもモンタージュです)、明大ブンドとは「社学同」の枠とはいえブンド自体が様々なフラクションがありました。遠山さん、重信さんは赤軍派になったのですが、本格的に重信さんが武装闘争に決起したのは、連赤で遠山さんの悲惨な死を知ってからです。
日本赤軍の武装闘争は、重信さんの遠山さんに対する「答え」であり、「総括」であったのです。これは重信さんと遠山さんの個人的関係ではなく、「党」としての責任の取り方です。それ以降国際的な武装闘争を展開しました。
私も明大で遠山さんとか重信さんとか、それ以外のブンドの人やノンセクトの人と付き合いがありました。遠山さんの死には怒りと悲しみと絶望がありましたが、重信さんはそれを乗り越えて武装闘争に決起したのです。
京大パルチザンの人は私に「誰か前衛党を作ってくれ。それと自分たちが気が合ったら党にはいる。ただし塩見・佐野・八木は人柄としてだめだ」と言っていました。奥平さん・安田さんは京大パルチザンです。岡本さんは違う。彼は岡本3兄弟の末っ子で、左翼でも右翼でもなく兄たちの闘いに心情的に動かされたのです。ノンポリということでしょう。
そういう意味でセクトとノンセクトの問題は、それほど大きな障壁ではないし問題にしても周囲から理解されにくいものだと思います。ノンセクトが「セクト化」した例もあります。でも、セクトのチビ官(小官僚のこと)が思い上がり、政治的引き回し、あるいは勘違いをしていたら頭にきますが、笑い飛ばすほうが良いと思います。
■767 2009/01/04 20:21:29 明大全共闘 叛バリ発見!
今日、近くの図書館で「叛逆のバリケード」(新版)を発見しました。
発売から3ヶ月たらずですが、図書館で見かけるとは予想外でした。
誰かがリクエストしたのでしょうね。
図書館の教育・大学の棚にありました。歴史の棚でなくてよかったと思います。
■766 2009/01/04 01:50:08 なのなの勢力 カメラの使い方
はじめて書き込みます。
>kanieさんへ
ペンタックスSVとはすごい!動かすようにしたのがまたすごい!
ASA(アメリカの工業規格)とDIN(ドイツの工業規格)のダイヤルがついていますが、意味はありません。撮影者のメモ用と考えてください。現在のISO(国際工業規格)の数値がASAと同じものです。
撮影に際しては、露出計を使った方が無難です。単体露出計は高いので、撮影時のシャッタースピードと絞りが表示されるような安いデジカメを1台用意するといいと思います。デジカメで測光して、それを参考にシャッタースピードと絞りをセットするよいでしょう。
露出計を使わず、外で撮影するなら、快晴時はISO100で、1/125でf5.6かf8ぐらいでシャッター切っとけばとりあえず写ります。あとはカンと経験です。ファインダーがかなり暗いと思いますが、なれればスパッとピントが合うようになります。がんばってください。
c25-107.actv.ne.jp
(210.171.153.107)
■(pending) 765 2009/01/06 18:30:34
■764 2009/01/02 15:36:15 たかし・Y 謹賀新年
本年もよろしくお願い申し上げます。
東京幻想旅行記、昨日から再開しました。
また、よろしくお願いいたします。
■763 2009/01/01 20:57:31 kanie ASA感度調整の件
>ラッパの大将様
お礼が遅くなってすみません。ありがとうございます。
ダイヤル上のASA感度数値についてはなんとなく意味のないものでは
ないかと思っておりました。
Rの謎がとけたのが大きいです。
Rを目安にして、ダイヤル調節(と思っていた行為)をしたいた自分が
恥ずかしいです。
撮影の方も、とりあえず、写っているというものは撮影できました。
とりあえず、お礼のみで。
■761 2009/01/01 09:41:33 文理\(^o^)/学科 映画もよいけど
新年おめでとうございます。
映画もよいけど、元日大全共闘が「イスラエル大使館」に火炎瓶を投げる、と言う方がインパクトがあると思います。パレスチナと連帯し、法廷闘争でもイスラエルと言う国の虚偽性が暴露されるし、効果があると思います。
爆弾でもよいのですが作り方を忘れたのと、作成中の事故が心配です。それと不発弾だったら笑われる。それより火炎瓶の方が確実です。
【ファイル1】 jpg(2.6k)
■760 2009/01/01 08:29:30 明大全共闘 佐々木さんの写真とても素敵です
昨年の11・22は、掲示板でなく実際に皆さんにお会いできて嬉しかったです。
今年もよろしくお願いします。
日大教員共闘委員会「戦砦」第3号 ホームページにアップしました。
http://www.geocities.jp/meidai1970/kikanshi.html
管理人さんのホームページのトップに佐々木美智子さんの写真を定期的に更新して載せていますが、いつも拝見していて、とてもいい写真と思います。佐々木さんのまなざしの暖かさが伝わってきます。
■759 2009/01/01 01:11:48 水中のみずすまし 新たな歳を重ねるにあたり
管理人さん始めお仲間さん各位
昨年は、日大全共闘の現役にとって様々な出来事がありました。その際、日大闘争の再勝利・怨念を晴らすための各位のご努力に敬意を表します。
09年は「安田講堂事件40周年」との事。またまた種々マスコミ関係の取材話を耳にします。
が、当時の真実を…偽りの全共闘像を打破する目的を果たすために、また一汗かきませんか。
日大全共闘(全学共闘会議)を、セクト・党派主導による「エセ全共闘・全国全共闘」や「実力暴力革命ゴッコ幻想バカちゃん派」の赤軍関係集団、爆弾テログループ等と「いっぱ一からげ左翼学生」とされた当時の汚名を晴らす最後のチャンスのような気もします。ただし、2009年この時期以後、もう2度と日大全共闘に関心を持つようなマスコミのスタッフはでてこないでしょう。
即急の問題は、映画「日大闘争」をマスコミに公開するか否かです。
当然、従来のような不埒なマスコミ企画に利用されてはなりません。しかし、過去につくられた「日大全共闘・悪人論」の政府・公安・マスコミ常識を覆し、誠意をもって真実暴露を約束する企画を文書確約提示してくるマスコミスタッフには積極的な公表を考慮すべき時期であろうと考えています。
当掲示板での公開討論を提議します。
■758 2009/01/01 00:57:11 藪 年の初めのためしとて
昨年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。
とりあえず引き続きガザ虐殺やらなんやらにアレします。
子供たちを殺してはいけません。ぜったいに許さんのです。
昨年の拡大同窓会。
おかげさまでネット・メル友仲間が顔をあわせて、
小さなネットワークができたような気がします。
これからです>ラッパさんのマネ
■757 2009/01/01 00:00:15 ラッパの大将 混乱と危機は支配者階級のモノで我々にとっては千載一遇の好機である
新年を祝う 苦節40年
多くの同志を見送った。
この間より多くの巨悪が蔓延った。
物質文明は限界点に達した。
このまま自壊するだろう。
我々のすべき事は正しい方向を指し示すこと。
昨年は日大斗争が間違ってなかった事が確認できた。
今年は圧殺された歴史を甦らそう!
正しい価値観に戻すことが日本人のみならず世界の平和に貢献するだろう。
消費から循環へ
抑圧から開放へ
従属から自立へ
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