■1434 2007/01/17 14:20:39 管理人 (無題)
当面、無期限で掲示板を閉鎖します。
(通りすがりさんを含め、今日まで投稿いただいた方々のせいでは無いですので、念のため)

■1433 削除

■1432 01/17 02:27:17 叛バリ小僧 閑話休題
管理人は、よっぽどHayley Mills が好きなんやねぇ…。
あの頃、いっぱしの映画マニアだったからHayley のことはちゃんと記憶してまっせ。
名優ジョン・ミルズの娘だってこともね。ま、親爺が偉大過ぎると、ガキは伸び悩むっていうのが世間の通り相場で、Hayleyちゃんも大女優にはなれなかった。いうなれば、“ヘタレ”たんでしょうなぁ…。

「へたれ」と言われようが、「うざい」と言われようが、わたしはいっこうに気にしませんよ。「通りすがりのもの」みたいなガキンコはいざという時、一発、PUTINすればいいんだから。
アッ、PUTINって新造語。意味はわかるよね、団塊世代なら…。

■1431 01/16 23:14:01 豹頭のグイン 遠い過去に栄光があったのか〜
単に未来へ向ける気持があるだけ。

■1430 01/16 21:16:19 文理\(^o^)/学科 へたれとは。。
ラッパさん、今日は。。
「へたれ」とは、若い連中の用語で「へたれこむ」⇒「へたれ」ということで、「屁たれ」ということではないようです。

ま、それはそれ、生きている限り闘いです。叛バリさんの言われる意味で、日大闘争の継続は困難ですが、それをつらぬことを人生の選択をしたわけです。これは地方であれ都市部であれ厳しいと思いますが、ダメなものはダメ、許さないものは許さないと言うことと、それを継続すると言う思想性の問題だと思います。

■1429 01/16 12:02:20 ラッパの大将 通りすがりの屁垂れ者
遠い昔の過去の栄光?
そんなこともありました。

すがすがしい?
人生、生きるか死ぬかのドロドロですよ。

ヘタレオヤジ?
君がヘタルほど何かをしたのかな?

異様?
何をしたかも語れない、他人の揚げ足を取って自分の立場を正当しょうなんて
そんな柔な奴と対話はできないだろう?

残念ながらヘタルほどの事をしてない一元サンに構うほど暇は無い。

■1428 01/16 01:55:11 叛バリ小僧 無傷な心
法闘委のある学友が、出張の合間に地方の住むかつての学友たちを訪ね歩いた。
その成果は、案に相異して「あまり芳しくなかった」との報告が、一昨日あった。全国津々浦々まで張りめぐらされた「日大県人会」なる組織にすっかり絡めとられとても「俺は全共闘」などと公言出来るような状態ではないらしい。それどころかつとめて「過去」を忘れ去ろうとしているという。

地方では、全共闘も全学連も、セクトだろうが、ノンセクトだろうが一切合財お構いなしで、要するに「極道者」なのだ。ま、「外道」とまで罵られないだけマシか。
ラッパや管理人はそういった苦境をどうにか克服した少数派、いや、“稀少派”。
ふたりはこれをトラウマと表現しているが、実際のところ、トラウマと言えるほど生易しかったわけではあるまい。
彼らの胸中を忖度するなら、都会に棲息するわれわれとしては、それなりの配慮が必要である。
なんの慰めにも、癒しにもならないが、未だ苦境にある学友に、この詩を捧げる。

時が流れる、お城が見える
無傷な心がどこにある…

■1427 01/15 20:20:11 管理人 Re:過去の栄光は、遠い昔
ハイハイ、そのとおりです。
ご・苦・労・様!

■1426 01/15 02:47:10 通りすがりのもの
過去の栄光は、遠い昔 なにか、異様ですね。団塊世代というのは、もうすこし、すがすがしいものかと思ってましたが。
自分の会社のヘタレオヤジと同じじゃん。

■1425 01/14 12:03:13 ラッパの大将 言葉の意味 2
魂を入れ、事を成す能動的な「言霊」から情報交換の記号としての「詞」になり今や、嘘を隠すための「葉」になってしまった。

言葉に騙されず行動で判断しよう。

巧言令色少なし仁。思い込みよりも思い入れ。

斗うNPO。3月より活動開始。

■1424 01/13 09:07:43 豹頭のグイン 言葉の意味
笑みに微笑があり
そして嘲笑があり
相手が笑ったから脈があるかというと
嘲笑であったりする。
言葉の意味は180度違う場合も多い
その行き違いをいつも
心にして事に当りたい。

今年の抱負です。

■1423 01/07 23:44:48 薮 蛇足ですがの補足の付けたし
>ま、半分、冗談ですが…。

叛バリ小僧さん
思いっきり冗談にしてください、赤面の至りです^^;

■1422 01/07 06:40:12 叛バリ小僧 蛇足ですがの補足
昨今のテレビでは必要以上にテロップを流して強調しますがあれと同じで、わたしが長年棲息していたヤクザな世界でも記事中に「」をよくつかいます。習慣ってホント怖いものです。
「」にそんな過去があったとは知らず、まことに失礼しました。
それにしても、薮さんのあの文章は、短いのに行間から鬼気迫るものを感じます。で、ついついビビッてしまいましたよ。
ま、半分、冗談ですが…。
ラッパの大将、面白い解釈をありがとう。でも、「全共斗的」じゃないと思うんですが、わたしの場合は…。ま、いいか…。

■1421 01/06 21:31:42 ラッパの大将 蛇足ですが
「」は強調する場合に使います。
現在では書体や色・大きさを変えたりしますが、活字を鉛で組んでた当時としては括弧で括る事が多かったようです。
>敵対する部分の名を「」で括りビラ等で攻撃・・・は、目標を絞る意味で使われたと思います。

私の感覚では現象面ではなく深い意味を持たせるときに使ったようです。
「言霊」あるいは「呪詛」の面が有ったのではないでしょうか?
良い意味でも悪い意味でも思い込みが激しい時代があったのです。
だから、「」は横並びの平和時はあまり使わず、動乱時に好んで使われたようです。
そういう意味で常時戦場の叛バリ小僧さんは無意識に使ったみたいです。
あまりにも全共斗的ですが。

藪さんに使ったのは「どうして?」というよりは「同志」として「代表」してという意味だと思います。

■1420 01/06 19:41:06 薮 お返事をありがとうございました
叛バリ小僧さん、こんばんは。
私(達)が在学した学校では、敵対する部分の名を「」で括りビラ等で攻撃するパターンがありました。さすがに本名で名指しはありませんでしたが、活動家名。人格否定の極致と受け止めておりました。また、私も同じような感覚で、このやり方を真似た事もあります。心底、反省。無様極まりない限りの私です。

それで過敏に反応してしまいました。かなりマジになってしまいました。ラッパの大将さんを始めご不快を。ごめんなさい。

■1419 01/06 09:19:05 J れ:大いなる誤解? ラッパの大将さん:

ども。m(_ _)m
訂正しておきました。

■1418 01/06 04:48:36 叛バリ小僧 質問ですけどのレス
薮さんへ。
そう正面きって質されると困るんですが、他意はまったくありません。
ラッパは上手いこと言ってくれてますが、そんな知恵すら浮かびませんでした。
ただ、わたしの拙文って、けっこう「」が多いんです。
まったく、お恥ずかしい限りですが…。気に障ったのならゴメンなさい。

■1417 01/06 17:19:05 ラッパの大将 解凍?です
薮さん
>「」を付けた理由
「カッコ」良い。
というわけで今年も宜しく。

■1416 01/06 00:07:08 ラッパの大将 大いなる誤解?
Jさん貼り付けたアドレス
http://pub.ne.jp/freedomjustce/
じゃなくて
http:///pub.ne.jp/freedomjustce/
になってますが?
ゲバ棒が一本多いようです。

■1415 01/05 22:41:44 薮 質問ですけど
叛バリ小僧さん
小生の投稿者名に、「」を付けた理由ってございますか。
あるのでしたら、お聞かせください。
お願い致します。

■1414 01/06 13:41:52 ラッパの大将 HTML的発想
NPO設立を機にHPを立ち上げようと試みている。
私の文章を読んで息子達は「ラジカルなだけでは駄目!ロジカルでなければ」
「英数字は半角で。機種依存文字は使わない。ワールドワイドの視野が必要。」
さらに「HP はWordではなくHTMLで創らなくては」等など。厳しい指摘が飛ぶ。

大括弧の中に中括弧、その中に少括弧を入れる。
つまり、入れ子的思考が必要になるようだ。

日大全共斗的発想では会話の『』部分しか無いようだ。しかも 』 がなく閉じてない。
帝大的発想は [ { 「 『 』 」} ] になっているらしい。
どうりで総括が出来るわけだ。

それでも「親父は同世代に比べればズートましだ。HTML的発想が出来れば良くなるしボケ防止になる」と誉められたのか慰められたのか・・・
気を取り直し「えひめAIの普及マニュル」を書き直している。

かなり難儀なことだ。
Jさんや管理人の苦労が始めてわかる。
>おぬし、やるな >動作が不安定だとか聞いているけど、どう?
と言われても、昨年からというと格好良いですが、まだ1週間たっていないのでわかりません。
>アプリケーションソフトも少ないというが、どう?
通常のNET関係では充分です。
MSオフィスとの互換性も充分です。
黒ヘル君はXPを再インストールしました。
白ヘル君にもOSはFedora Core 6を使う予定です。
http://slashdot.jp/linux/06/10/24/150212.shtml
http://ja.wikipedia.org/wiki/Fedora_Core

■1413 01/05 21:08:44 J おぬし、やるな ラッパの大将 :
>OSをLINUXに換えた。

動作が不安定だとか聞いているけど、どう?
アプリケーションソフトも少ないというが、どう?

■1412 01/05 21:01:50 ラッパの大将 あきました
開けましておめでとうございます
年末にノートパソコンが逝った。
ドライバーでねじを緩めた。
ところがHDDが見つからない。
ネットで調べたが情報が無い!
困っていたら帰ってきたばかりの息子が解体してくれた。
裏面にあるとばかり思っていたら表側のパームレストの裏だった。
ついでにOSをLINUXに換えた。
思ったよりも“ヨサゲ”
これでウインテルからの束縛から解放されそうだ。

■1411 01/04 06:20:03 文理\(^o^)/学科 これから仕事です。。
盆も正月もない生活ですが、年はとってしまうのですね。それはそうと昨年肝臓付近が重く、近く検査入院ですがばあいによりもうダメかもしれません。。。弱気です。主治医はまだ太っているので癌などは大丈夫、とのことですが歴史を次の世代に継承したいですね。

仕事場では先頭隊長(要は統括管理責任者)で、今も昔も似たようなことをしています。問題は山済みですが、何とかなるでしょう。新年早々辛気臭いことを申しましたが、動けるうちに安倍などの超反動右翼に火炎瓶でも投げつけたい気持ちです。

■1410 01/04 03:58:52 叛バリ小僧 「年頭の賀詞」に代えて
「薮」さんに倣い、みなさんに「あけおめことよろ」です。
また、遅ればせながら、管理人へ「ONLY YOU」ありがとうございました。

しかし、まぁ、年頭早々、HP「けいとうい」のアホ管理人「POP南」が何を血迷ったのか巻頭のページに一枚の写真を掲げて、こんな内容の駄文を載っけておりました。以下はその全文。

「写真は、日大経済学部屋上から俯瞰した日大闘争の山場=1968年9月経・法校舎奪還闘争の模様です。マスコミで発表された有名な写真の原板です。経斗委所蔵のものです。マスコミ発表のものは下半分のみのものですが、ここではその同じ場面の全景が映っています。若干、印象の違う写真になっています」

まったく、よくもこれだけ“嘘八百”をならべたてられるものだと、呆れてしまいます。
さすがに見るに見かねて、誰かが入れ知恵したのか、現時点では、全文削除されてしまったが、写真はそのまま掲載されています。

問題の写真は「グラフ日大闘争」が初出であり、断じて「マスコミ発表のもの」なんかではない。さらに撮影したのは藝闘委の学友であることはすでに証明済みである。
因みに、わたしの知る限り「グラフ日大闘争」の編集に関わっていたのは、文闘委と藝闘委の学友たちであり、「写真の原板が経斗委所蔵」云々はまったく根拠がない。否、「POP南」のことですから、なんか魂胆あっての言いがかりでしょうよ、きっと…。

なお、このHPにおいても、心優しき管理人にまで、「POP南」はその毒牙をむけている。それは「SFL」の略称について、つぎのような“出鱈目”な解説を平気で吹き込んでいるからだ。

「スチューデント・フリーダム・ライン(学生解放戦線)です。文理田村氏が創設したML派(=日大生)の部隊です。彼はこの部隊を「自由大学構想」とともに,全国化しようとしていると言っていました」
〜なんて言ってのけているのだ。文末に管理人が「経闘委さんのご指摘です」と記してあるから、これも「POP南」がほざいた“ご託宣”であるのは間違いない。

これまでも「水中のみずすまし」が指摘してきたように、「POP南」の悪辣さには際限がない。
みなさん、2007年も警戒心を忘れず、ともに「精進」して生き抜きましょう。
心ならずも、とんでもない「賀詞」になってしまったが、今後とも宜しくお付合いのほどお願いいたします。

■1409 01/03 05:48:30 aagh Be My baby を
22回聴いてました。
オンリ・ユーは、
わたしの持ち歌です。
特に意味ありませんが。

■1408 01/02 23:39:33 薮 あけおめこことよろ
後輩連中@嫁さん子供連中と大宴会終了でカミタン様がお風呂。
美味い酒でございました。68BBSの弥栄を\(^○^)/

■1407 01/02 20:15:29 aagh あけまして おめてとうございます
この新年、チョとしんみりでした

■1406 01/02 17:53:36 J 謹賀新年
みなさん今年もよろしく。m(_ _)m

■1405 01/02 02:32:12 ブルスモ きんがしんねん
たべられません

■1404 01/02 01:50:19 水中のみずすまし 管理人殿 ご発展お祝い  
管理人日記の目次段が5段目になりましたね。お陰さまで、昔の仲間とも新たな友とも年を追うごとに交流が親密になってきました。
 本年も引き続きの記載・掲載、宜しくお願い申し上げます。

■1403 01/01 21:45:51 管理人 新年です
未明からの頑張り、疲れ果てて爆睡してました。
中途半端な時間に目が醒めまして。
JUNさん、BGM良いでしょう、
私のセーリングの時のテーマソングです。
たかし・Yさん、お久しぶりです。
お母上、ご帰宅できて良かったですね。
aaghさん、何処へ行ったのでしょうか?

皆さん、今年もよろしくお願いします。

■1402 01/01 15:11:45 JUN Re:サンライズ・セイリング
管理人様  素晴らしい初日の出 有難うございます。BGMも良かった。 しっかり保存させていただきました。

こちらからは 近所のレトロな材木屋さんの写真を皆様に 年賀状代わりにお届けします。

■1401 01/01 11:21:17 豹頭のグイン バり構築38年
今年1968年から38年めの新春でございます。
今年がいい年でありますように。
後2年で40年〜

■1400 2007/01/01 08:58:36 たかし・Y あけましておめでとうございます。
ご無沙汰しております。
でも、いつも日記を拝見しています。
本年が管理人さんにとってより良き年でありますように。

■1399 2006/12/31 12:05:41 管理人 (無題)
そうですね、
武道館コンサートは高校3年生の時。
兄弟がビードルズのLP買ったら、何と抽選の”特別優待券”が当たりまして。
で・・・どうなったかと云いますと、
学校から「コンサート禁足令」が出まして、家人総出の説得で止む無く断念。
と、それもあるのですが。
本当のところはローカルから上京する旅費の工面がままならなかったのが主な理由。

ところで涙リク、ビートルズは何から出していいのか。
ネット上にごまんと溢れております。
ワタシャ〜中でも”ジョージ”が好きでしたね。
吉祥寺のビ・バップでビートルズが掛かった折には、暗い店内の客全員が床踏み鳴らして、例外なく大受け状態でした。

GPS機能・・・、遍路地で行き倒れになったら、その時は骨を拾いに行きますよ。
行き倒れは、理想の往生といいます(笑。

皆さん、良いお年を。

■1398 12/31 10:27:38 DOBUCHU 今年1年有難うございました
10月に初めてお会いしたかたがた、と38年の年月を飛び越えての交流はとても楽しかったです。
管理人さん、ラッパの大将さん、叛バリ小僧さん、文理学科さんその他のかたがた有難うございました。
私事ですが、とうとう頑強に拒否していた「携帯電話」なるものを持たされました。理由はもう年だからどこで倒れてもいいようにGPS機能付にしたとの事。
そこで私は着メロはインターナショナルかワルシャワ労働歌にしようと思いますが、なにせ初心者どなたか教えてください。ちなみに機種はauのW45Tです。
「涙リク」ビートルズはまだですか?高校3年のころ武道館コンサートへ見に行って、3日間の停学処分をうけました。
来年から「四国八十八箇所」歩き遍路区切りうちだけど「貫徹するぞ!」四国方面のかたがたその節はよろしくお願いいたします。
来る年が皆様にとって幸多き年になりますようご祈念申し上げます。
合掌

■1397 12/31 03:41:24 叛バリ小僧 「涙リク」お礼とご挨拶
JUNさん、管理人さん、ありがとうございます。おかげでおぼろげな記憶がようやく甦りました。感謝いたします。

なお、本年3月、突然闖入しては「毒舌」を吐きまくり、各方面に多大なご迷惑をおかけいたしましたが、来年は心機一転、皆様の絶大なる(?)ご期待に、寸毫も違わぬ「毒舌」を準備しておりますので(冗談ですが)、よろしくお願いいたします。
それでは、皆さん、よいお年を…。

PS:THE PLATTERSの「ONLY YOU」を入れ忘れていました…。

■1396 12/30 22:52:35 豹頭のグイン あの頃の心はある
けれど身体は確実に老化している。
くやしいー

■1395 12/30 07:48:29 管理人 クヤジィ〜
ムッムッムッ・・・・
先を越されてしまった(泣。

1■394 12/30 04:51:39 JUN RE:涙のリクエスト
追記 youtubeにもありました。

http://www.youtube.com/watch?v=4m6eYyNxuHs

■1393 12/30 04:43:42 JUN RE:涙のリクエスト
ジョニー・エンジェル めっけ

http://www.eigo21.com/03/pops/156.htm → http://www.geocities.jp/eigo21com/pops4509/johnang.html

皆さんの懐メロ(洋楽)合戦についていけないワタシでも 知っている曲です。
多分 その頃は山に夢中で 他のことには興味が無かったからだと思うが・・・。 皆様 良いお年を!!

■1392 12/30 02:35:04 叛バリ小僧 涙のリクエスト
Jさんの「J」は、「DJ」のJではないかと、勝手に決め込んでいる。
しかし、まぁ、管理人との“DJ合戦”よう続きまんなぁ…。
おかげで、毎晩深夜、ひとり泣きながら、聞いています。
懐かしいPOPSがつぎつぎと…ですから、こりゃー堪りませんぜ!!
「One Boy」はドーナツ盤のレコジャケ写真とはちょっと違いますがガキのころ夢中で聞きました。
当時は、ジョニー・サマーズと訳していた記憶があります。
LA郊外ポモナのカレッジ・ガールと説明書きにあったような…。ジリオラも、ダスティーも、プロコルハルムも、みな、ええなぁ…。ついでに、サラ・ヴォーン、セルジオ・メンデス、
オーティス・レディングなんていうのはいかがでしょうか?
でも、ホントは「ジョニ・エンジェル…」っていうフレーズの曲、誰の歌だったのかどうしても思い出せません。誰か覚えていませんか?

■1391 12/30 00:12:59 薮 今年もいろんなカキコ
ご無礼を、です。
来年にはうちのチビ娘@次女は高校生になります。
成人する頃には私も還暦近辺をうろちょろで、
孫を抱きとめられるかどうか。積み木や何かを買ってあげたいな、と。
ほんと、あれですね。遅くに生まれた子は妙に可愛いです。

いい未来をプレゼントしたかったのに、かなり寂しいです。

皆さま!よいお年を!!!!

■1390 12/29 22:37:05 ラッパの大将 犬の振りをする狼から豚の形をした猪へ
今年は「えひめAI」が軸だった。
バリケードの中で漠然と感じていた物質文明批判が具現化できそうだ。
脱税=金権主義=帝国主義=物優先===美しい国!!!

来年は環境NPOを立ち上げる。
柱は
1 環境浄化
2 障ガイ者の支援
3 まちつくり
4 ネットワークつくりです。

ハードでコアな全共斗は拠り所ですが、更に広範囲な活動のため、ソフトで愛に満ちたホームページを立ち上げ、各地の情報交換が出来ればと考えています。
しかし、創るのは簡単だが育てるのが大変。

管理人さん、Jさん、aaghさん
「あの頃」の心で見守って。

■1389 12/28 22:33:45 aagh Jさん、 管理人さん
見守っています
「あの頃」の心で

■1388 12/27 22:32:34 J 釣りと音ネタ
ラッパの大将へ:
タチウオは2、度ほど釣りに行ったことがあります。どちらも静岡県の海ですが、よく釣れました。
それにあれは、食べても美味しい。
塩焼き、バター焼き、刺身、一夜干しと、何でもいいですが、一番美味かったのは一夜干しでした。

管理人さん:
また、音ネタやりました。
今度はモータウン・サウンド。ロネッツです。
ご指導ありがとう御座いました。m(_ _)m

■1387 12/25 02:59:08 叛バリ小僧 天・地・人
われらの闘争が、四十年後の今日もなお喧伝され続けているのは「秋田明大」というまことに得がたい「玉」を奉じたからだと思っています。
もし、あの時、議長が「T」や「S」だったら、あれほど大衆的な闘争には決して発展しなかったでしょう。
その限りにおいて、われわれは実に「人」に恵まれた闘いが出来たことをあらためて感謝すべきではないでしょうか。

■1386 12/23 21:15:26 ラッパの大将 J さんに
報告いたします。
現在カマスが夕方、タチウオが夜中に釣れています。

寒過ぎて寒過ぎて震えながら、毎年防寒具で装備して釣りに出かけていました。
しかし、1000Km強行軍の後は足腰がくたびれました。

そんな理由から、この歳になると、足が向きません。

■1385 12/22 21:56:40 J 管理人さんに
報告いたします。
渓流釣りは禁漁期間中です。例え釣れたとしても、真っ黒に錆びてやせた岩魚、ヤマメ、アマゴ。可哀想で、とても釣る気になりません。
ハイ。

ですから、行くとしたら管理釣り場。養殖モノを。
こいつらは人口の餌を毎日人からもらっているので、痩せても錆びてもおりません。ただ、少々黒いけれど。

肉質はブヨブヨです。
そして一番いけないことは、寒過ぎて寒過ぎて震えながら釣るしかないこと。
厳冬期の管理釣り場での釣りは苦行です。

そんな理由から、この歳になると、足が向きません。

■1384 12/19 21:23:54 J 横レスのようで
管理人さんへ。

「ノルウェーの森」は、読んでも意味がないと、私は感じました。
ですから、何も異議はありません。

東野圭吾を薦めます。
「白夜行」を。
理由は某ブログに書いてあります。

横レス、失礼しました。m(_ _)m

■1383 12/19 02:11:19 豹頭のグイン 汝らのうち、罪なきもの、まずこの石をもちこのものを打て
日大闘争の中の言葉。
日大闘争の最中に私はこの言葉を覚えた。
それが聖書の中の言葉と知ったのはずーっとあとであった。
日大生が目指した地平とは自己の生き方を変えるということであり、
自己の生き方を変えることで周囲を変えていこうとするものであった。
日大闘争が人の心をひきつけるのは個々の人の生き方の問題として、
行動にしていった処にもある。

■1382 12/18 01:30:44 叛バリ小僧 「開かずの間」糾弾状
かつてNHKからトーク番組を持ちかけられた村上龍は対談相手に秋田明大を指名した。
そして、こう付言した。

「秋田さんは何も語らなくていい。ただ、一言ありがとうとだけ言いたい」

村上龍は1952年に佐世保で生まれた。思春期の真っ只中で全共闘の時代に遭遇した。
おそらくメディアを通して、われわれの闘いを知り、感じ、そして、ある種の共感を抱いたに違いない。事実、それは『69』という作品に結実し、近年、映画化もされた。
われわれの闘いに仮託し、そこに村上龍が思い描いたものが何であったかを、わたしは知らない。また、知る必要もない。
だが、自らの思春期を振り返ったとき、自分の生きた時間と空間を68/69日大闘争と重ね合わせて、自らの想い出を熱く真摯に語りたかったのだと思う。

村上龍の胸中をわたしなりに忖度する時、似たような感慨を抱いている人々が今なお数多く存在していることに気づかされる。
60年安保に挫折された世代は、過ぎ去ったかつての幻影を見たのであろうし、学徒出陣を経験された世代は、あえて時流にさからう若者の蛮勇を見出したのかもしれない。
われわれと同世代は同世代なりに、それぞれの闘争を闘うことによって、ひとつの時代を共有する連帯感を感得したのだと思う。
人々のさまざまな思いと感情が「日大闘争」の一語にこめられているを知らずして語るなかれ、痴れ者どもよ!

日々の闘いに翻弄されている当時は、まるで見えなかった世界が、長い時間を経ることで、ようやく見えてきたのである。そして、年表をつくり、アジビラと称される往時の“古文書”等を読みかえすことによって、その思いは日を追うごとに強くなっている。

あらためて言う。
「日大全共闘はわれわれのものだが、68/69日大闘争はわれわれだけの闘いではなかった」と。
この言葉の真の意味を理解せざる者は「日大全共闘に非ず!」

■1381 12/17 01:04:49 薮 ナンセンス!
>日大闘争と同じに

志田糺さん、一言二言言わせてください。
なぜ、あなたは書き込むのですか。なにより日大全共斗ウエブが生まれてきた・くるのでしょうか。志田糺さん。私のような全く日大とは無関係だった者が、あなた様にモノを言うのは間違っているのかもしれません。でも、でもですね。ちょっと違うと思いますよ。

そもそも「おなじに・埋もれてしまうものか」ってのは、失礼じゃありませんか。日大闘争は埋もれてしまったのでしょうか。違うでしょう。理科大の学友にも。理科大の学友は個々としても闘いには参画してます。『証拠を示せ』といわないで下さいね。言ったら大笑いします。「闘い」は埋もれませんよ。埋もれさせたい人々はいるでしょうがね。真でも冗談でも遊びでも「闘い」を担った当人は埋もれさせてはいない、のでは。

退場・出入り禁止覚悟で言います。ずっと志田さんのカキコを読んでますと、あなた様が一番埋もれせたい・みたいに思ってました。ただの感覚です、根拠はありません。ご無礼しました。

■1379 12/16 11:26:24 志田糺 開かずの間 理大生殿、
懐かしいですね。
開かずの間とは。この形は関東学院大など複数ありました。
裁判に勝利して研究室に復帰した宮内氏を大学側が排除しようとして研究室をコンクリート詰したものですがそれが残っているとは大学側もその亡霊に恐れをなしたかそれとも生贄のつもりなのか。大学側は解雇処分が負けたことでその後処分が進まず元気な教員組合もあって複雑なのかも知れません。
コンクリート詰めされる前は研究室の確保を巡って全共闘と大学側および体育系学生の間に相当のトラブルがありました。残念ながらその中心メンバーの一人も昨年ガンで他界しております。
日大闘争と同じにこの闘いも歴史の中に埋もれてしまうものかと危惧しています。

■1378 12/16 02:02:13 aagh (無題) 理大生さん
わたしの馬鹿娘に読ませたいです

■1377 12/15 19:15:43 理大生 お返事
僕みたいな若造に大変ご丁寧なレスをしていただき、とてもうれしいです。

>水中のみずすましさん
分かりもしない単語を使ってしまいすいませんでした↓
でもそれを優しく説明していただき、さらに歓迎もしていただいて
大変心が温まりました。

>管理人さん
長谷川さんの卒論も拝読させていただきました。
学生運動(日大闘争とはまた違うものなのでしょうか)については
テレビなどで、有名な「安田講堂事件」の映像を見たり・・・と言ったような
ことしか無く、「昔のこと」という感覚でしたが、貴方のHPを拝見して
貴方たちが僕と同年代のときにいかに行動したかを知り、自分の無関心さに
恥ずかしさを覚えました。
今までは大学生のモラトリアムに感けて時間を無駄にしてきたところがありましたが、「若さ」というバイタリティーを無駄遣いしてはいけないと思い、夢に向かって勉強しようという考えさえ出てきました。
貴方たちの伝えたかったこととはちょっとベクトルが違って僕に伝わってきたかもしれませんが、目覚めさせていただいた貴方たちにはとても感謝しています。
そういう意味で、こういった記録を残していただいたことは大変有意義だと思います。(えらそうにすみません。)
これからも貴方たちに安らかな時間が訪れますよう、僕自身夢中になって学問に打ち込みたいと思います。本当にありがとうございました。

>志田糺さん
その方について、一般教養の「文学」という授業で教わったのを思い出しました。照会された本の中で(おそらく「風景を撃て」でした)野田キャンパスのことを「俗物」などと言って批判していて、ちょっとショックだったのを覚えています。教授との親睦会で酔った先生から、理科大も学生運動が盛んだった時期があり、2号館という古い棟には当時のまま施錠された「開かずの間」が未だに残っていると聞いたことがあります。
これを機会に「風景を撃て」を読んでみます。ありがとうございました。

■1376 12/15 12:03:23 志田糺 理科大全共闘
私の友人に宮内康という日本建築家百人衆の一人が居ます。
55歳の若さで亡くなりましたが野田校舎理科大助手共闘3人衆の一人でもあります。
1969年当時理科大全共闘によるバリケード封鎖解除の後、大学が強制した校舎警備に対して拒否を貫き解雇されたのですがその不当性を訴え裁判では珍しく勝利しています。
その著作「風景を撃て」などもありますので読まれたらどうですか。
もちろん彼もまた日大全共闘の行動に刺激を受けて理科大の不正に抗議して立ち上がった一人です。

■1375 12/15 07:24:41 管理人 有難うございます
理大生さん、
読後の感想をありがとうございます。
現役の大学生の反応があったのは確か早大の長谷川さん以来ですので嬉しい限りです。
私も息子がもう30歳オーバーになっていますので、貴君のお父様の年代はかなり年下になるのですね。
ホームページの本文は3年前に一気に書き上げたものでして、それ以後はあまり(ほとんど)手を加えておりません。
それ以後は管理人日記をブツブツとボソボソと書きつづけています。
40年近く経った全共闘のなれの果てを肩肘張らず綴っていますので、そちらも是非(宣伝。

理科大といえば・・・・・、無謀に受験しましてものの見事に砕け散った哀しい歴史があります(泣。
ご感想いただき、本当にありがとうございました。
管理人
    ■1374 12/15 01:37:19 水中のみずすまし 理大生 さんへ
>ネットサーフィンで貴HPに辿り着き、ハンマーで頭を
>殴られたような新鮮さと共に読破させて頂きました。私の父も日大生でしたが、
>父が入学したときはすでに80年代中盤で全共闘運動も下火だったようです。

良くぞおいでくださいました。
 貴兄のような、閲覧後に文字で記録感想文を残していただける紳士のご登場を管理人さんも待ち望んでいるのです。でしょ、管理人さん。
 気が晴れるような一文掲示ありがとう。

 ただし、我ら日大全共闘は「全共闘運動」でやってた訳ではありません。

 68年の日大闘争を戦い勝つために「全学部の全学生が共闘」せざるを得なかったのであります。その昔から日大では、個別(学部・学科個々に、あるいは個人的に)に大学当局と闘った歴史(学生のみにあらず教授、講師も含め)があるのですが、いずれも暴力弾圧により鎮圧されていた経緯があり、日大全共闘は正に(江戸・明治時代の)百姓一揆であり、羊の暴動でありました。

 「全共闘運動」とは、日大闘争の快進撃(後期は悲惨でしたけど)に憧れ、あきれ返り、影響を受けた他大学・高校生の考え付いた言葉です。
 日大全共闘は、決して「運動体」ではありませんでしたので念のため申し添えます。

 またの書き込みをお待ちします。
  草々

■1373 12/15 01:14:07 理大生 こんな時代だったのですね
こんにちわ。はじめまして。ネットサーフィンで貴HPに辿り着き、ハンマーで頭を
殴られたような新鮮さと共に読破させて頂きました。私の父も日大生でしたが、
父が入学したときはすでに80年代中盤で全共闘運動も下火だったようです。

貴方のHPを読んで、いかに主張するという行為が尊いものか再認識いたしました。
 (僕も含めて)今の大学生は自分の考えを主張したりするのが苦手なようです。
いや、そもそも自分の考えなんてものを持っているかもあやしいものです。

これからはしっかり自分の道を見据えて歩んで生きたいと思います。

感謝します。ありがとうございました。

■1372 12/12 18:51:04 豹頭のグイン 自分の歴史
自分自身のの歴史に対する認識の度合いが記録する作業の状態を表している。
自分の歴史は自分で保存しなければならない。
でなければ当然権力者にとって都合の悪い歴史は闇に葬るのである。
その作業は生きている間にできるのだろうかと言うところまできた。
後がない。

■1371 12/10 03:39:59 叛バリ小僧 難儀なプレゼント
管理人が激怒したのは小阪修平の「思想としての全共闘世代」(ちくま新書)らしい。
読む気などさらさらないが、本の内容はともかくとして、たとえ衒学的ではあってもあの時代の熱気(または狂気あるいは侠気でもあるが)を後世に語るという動機についてだけは一応の評価をしておきたい。

というのも、あの時代、われわれがなにを目指し、なにを語り、どう生きてきたかを正確に記録する作業を放擲してきたからだ。
そのことが、あとに続く世代にとって、全共闘世代の無責任さと非難されてもいる。
還暦を目前に控え、えらい難儀なこっちゃ、と思わないでもないが、悪しざまに非難されるいっぽうでは全共闘世代の男(女もだが)がすたるというもの。
たとえハチャメチャな論理展開であっても、見たまま感じたままを「徒然なるまま」に書きつづってみるのも一興なのではないか。
諸君、この課題を今年のプレゼントといたします。さァーかかれー!!


ところで、管理人が水入らずでイタ飯デートの間、こちらは全共闘の“亡霊”(冗談)どもに引き廻され、やれ「出版記念会」だとか、やれ「忘年会」だとか、年末にきて目の回る忙しさである。
なお、報告が遅くなったが、12月6日、都内某所にて、日頃は瀬戸内の小島にお隠れあそばしているわれらが“現人神”とほぼ十年ぶりに遭遇。外見的には、予想していたよりお元気にあらせられた由、謹んでお伝えいたします。

■1370 12/07 20:57:47 J 農斗委の竜宮城
今年中には、農斗委の竜宮城を見学してきます。(キッパリ)
塩漬けになっているというから、ついでにバリで封鎖しようかと。(笑)
きっとその封鎖は、怨念がこもっているに違いない。(笑)

叛バリ小僧さん:
この間は、ど〜も。
日大闘争は、ハチャメチャで豊かな表情を持った闘いでした。われわれは、そうした情感を覚知できたのだから、いい青春を送ったということでしょうね。

それじゃ、叛バリ小僧さんに答えてクリスマスには、恒例のケーキと鳥の丸焼きでも食べることにしようか。
皆様方にもおすそ分けをしますので、この訪問の後にでもゆっくりと食されたい。

■1369 12/07 01:30:23 叛バリ小僧 メリー・クリスマス
七夕の夜はキャンプ・ファイアで気勢をあげ年末になれば、バリの中で餅つき大会やクリスマス・パーティーを開く…。
大晦日の夜には、紅白歌合戦に「赤組勝利」の激励電報を闘争委員会の名で送ることさえした。

遊び心とでもいうんでしょうか、それまでのアタマでっかちな学生運動とはまるで発想も行動もちがっていた。

これって、戦後学生運動史の上で、特筆すべき事柄だと思うんですが、この特異性を知らないというんじゃ、あの時代に何を見ていたんですかね、そのセンセイは…。

まなじりを決して悲愴感が漂うって類の闘争じゃなければ、全共闘じゃないとでも考えているんでしょうよ、きっと…。

以前も指摘したと思うが、「全共闘」の三文字は、今なお“商売”になる。ベストセラーは無理でもそこそこにヒット作を狙える素材。
きっとこれからも柳の下の泥鰌が現れますよ。

題名に「全共闘」と銘打った書籍は、うかつに購入しないことが肝心です。
ま、新手の振り込め詐欺とでも思っておいたほうが無難でしょうね。

それではみなさん、メリー・クリスマス!!
(薮さんに「強面…」と言われたので、本日はちょいソフト爺を演じてみました。悪しからず)

■1368 12/06 22:25:13 薮 文理\(^o^)/学科さん、
こんばんは レスをありがとうございました。
そうなんですか。そういう意味があったのですね。

先ほど先輩からрェあり、当時の中核派のお話を聞きました。
他党派の高校生赤ヘルにも、きわめて優しかったそうです。
オルグ抜きで(笑)

■1367 12/06 18:55:17 ラッパの大将 無謀なおじさんの野望
12月3日に「えひめAI」の原産地に行くと連絡がある。
私の当初の目的は東京帝国ホテルで追悼式参加。
1日
14時から追悼式。
室内で大型犬を飼っている同志と臭い対策などの話。
日本一地価の高い所で腹ごしらえ、繁華街で打ち合わせ。
2日
世田谷発。武蔵野で乗り換え。紅葉の中を源流目指し走る。
昼過ぎに日本一の山の麓に到着。
挨拶もそこそこに基礎工事を手伝い、夕方温泉で熱の入った議論。
3日
途中多摩川最下流に住む津田沼と合流。
これで多摩川の源流から東京湾までの浄化の目途が付く。
天下分け目の戦場で大雨になるが、昔を思い出しながら高速をひたすら西に走り、
日本で最初に出来た島を渡り、南の同志と合流。
先に来ていたメンバーと日本最古の温泉で発明者と合流。

一適の水が色々な沢から集まり大河となって海に注ぎ込む。
日本は広いし格差があるな!と実感した旅でした。

次は港町シリーズで愛の布教に旅立とう。

■1366 12/06 06:09:55 無謀なおじさん 無謀
2000キロの長さから得たものはものづくりにはいろいろの形が人の顔ほどにあるということであった。
どういう世界を作るのか。
それはそれぞれの関係者の夢の現実化である。

まず、とりあえず
それには2000キロを走ることである。
そこに答えはある。

■1365 12/05 13:46:24 文理\(^o^)/学科 藪さん今日は
藪さん、こんにちは
中核派の本多書記長が日大・東大闘争としたのです。中核派以外の党派が東大・日大闘争と呼んでいましたが、本多書記長は大衆的実力闘争の位置付けから日大闘争の意味を理解し、東大闘争より日大闘争のある意味での優位性を主張されたと聞いています。

学生と言う層の位置と、その中で日大を大衆的とする意味、並びに東大闘争に対する日大のプロレタリア的位置などを勘案されていたと思いますが、私は本多書記長の意味を前向きに評価していました。。。

■1364 12/04 23:03:30 薮 本!
立ち読みレベルですね。足が痛くなったので帰りました。
有名といえば有名だし、どこで有名なんでしょ。

>東大・日大を頂点として
大昔の『前進』では「日大・東大」闘争です。
解放派は「東大・早大」一本槍ですの。そうかな。と思います。

この本の著者さんは、単に『馬脚を現した』だけなんでしょ。
莫迦!>

■1363 12/03 09:45:27 理工OB ぶッ千切
AM8:23、無事四国M市に到着と当方に連絡あり。
オイオイ、それにしてもかなり早すぎる、ぶッ千切ったな。
夜の行軍はおてのものか。
おじさん(お爺さん)達の”スタンド・バイ・ミー”に拍手!

■1362 12/03 04:12:47 水中のみずすまし 無謀なおじ(い)さん達・「愛ちゃん報告」  
今(午前3時半)、関東地区の無謀なおじ(い)さん達が、四国お遍路の地へ向かっている。「交通費を節約する」と、若者の発想でしかない交通手段…、乗用車2台に分乗して1千キロ先を目指して走っている。今頃、大阪を通過中だろうか。

 えひめAI、小生の愛称「愛ちゃん」の製造技術ノウハウの習得が目的。

 小生も、ラッパから送ってもらい、使用テスト開始して約1ヶ月。
 流しの排水溝の臭みには、原液100CCを流した後、5倍希釈液を噴霧して3−4日には一切消滅。
 油を使った皿には、晩に、表面に5倍希釈液を噴霧(シューシュー)しておき、朝、お湯で皿洗い。水を張って化学洗剤に漬けおいた時と同じ効果。ただし、表面にシューシューした後、水を張っておくと希釈されすぎるようで効果が薄い。

 主目的は、犬の小便の無臭化。アフガン2頭とスコッチ1頭と室内で生活中。
 犬は良い、ウソをつかない(人間の子と違い)。学費がかからない。泥棒が寄り付かない。当然、欠点はある。開けたドアーを閉めない。電話に出ない。

 雨の日に排便させる為、庭と家屋の間にコンクリートを敷き、ミニハウス兼ションベン・グランドをつくっている。3頭とも雄のため、ヒノキのションベン棒を立ててある。
 大便は良いのだが、小便の臭いを消すのに20数年苦労している。ドックショーの仲間から教わった「次亜塩素3%液」を希釈して使っているが、余り濃すぎると犬の足の平を火傷する。特に雨が続くとジワーと臭いが漂う。

 まず、「愛ちゃん」の原液を集中的にションベンする場、排水溝に流し、以後、水道で洗浄した表面に10倍液を噴霧。10日目頃からジワーとする臭いが消えている。
 アフガンの1頭は、股にションベンが付き易い。ぬれた毛に「愛ちゃん」を噴霧して水ぶき後、ブラッシング。かわくと臭いもなくサラサラになる。スコッチは歯石のため口臭がきつかった。5倍希釈液を口ひげと歯につける。次の日には無臭。
 犬のブラッシングの際、人間用のリンスを希釈して使っていたが、「愛ちゃん」を試し始めた。良好。

 以上、テスト中間報告を兼ねて、おじ(い)さん達の無謀行動のご報告まで。

■1361 12/02 19:40:18 ma >ワルシャワ労働歌
大木さん、ありがとうございます。
でも、ほしいのは、ワルシャワの「楽譜」なのです。

■1360 12/02 01:59:33 亀スモーク AV本館
ここが農斗委の元竜宮城?

■1359 12/02 01:01:01 亀羅鰻 AV中庭  
竜宮城の中庭こんなのが出ました

■1358 12/02 00:46:48 大木晴子 ワルシャワ労働歌
maさん、ここで聞くことができますよ。
http://www.medianetjapan.com/10/travel/vladimir/russian_house/warsaw.html

■1357 12/01 20:57:54 ma ワルシャワ労働歌
以前、携帯電話の着メロに「ワルシャワ労働歌」を入れていました。
どこかのHPに楽譜があったので、おたまじゃくしをひとつづつ携帯に入れたのです。
ちょっとしたことでデータ消失。
さいど探したのですが、楽譜が見当たりません。
どこのサイトにないでしょうか?

着メロで、ワルシャワが流れるとしゃきっとします。

■1356 11/28 19:35:55 下馬家 ディベロッパー
約10年前藤沢六合に移転後の農獣医学部下馬校舎はディベロッパーに売却をする予定でしたが、地元住民のマンション建設反対に会い今でも塩漬け状態です。今後の予定も立っていないとの事です。

■1355 11/28 10:17:52 赤目久志 そこは、我等が龍宮城 ・・・   
Jさん  > どこかのデベロッパーにでも売却して、・・・

    40年前から既に、株式会社・日大はダントツのデベロッパーだった筈・・・

  ものは考え様かも・・・天のなせる技か、それともソロバンか、はたまた誰かさん達の念力か・・・
  21世紀に我々の龍宮城が残っている事は奇跡です。
    美麗なる乙姫様達(断定??)、鯛や平目、海老に蛸、海鼠に海胆、そして浦島太郎・・・
    きっと今も、どこかで多くが逞しく シタタカ に生きています。

    さしあたりブルースモーク氏は亀羅鰻ですね。
    最新の影像まで披露していただき、有り難い事です。

                           拝

      思いつくママの乱文を御容赦・・・

■1354 11/28 08:27:25 J れ:下馬正門
う〜ん。大分記憶とは違う風景。
当然だよね。あれから40年近い歳月がたっているのだから。
空家になっているのか。
その内どこかのデベロッパーにでも売却して、マンションにでもなるのかもしれない。

1353 11/27 16:28:04 文理\(^o^)/学科 ワルシャワ労働歌も良いけど。。 管理人さんの日記で、ワルシャワ労働歌が紹介されていました。私も今でもこの歌を歌いますとあのころの思いがぐっとこみ上げてきます。また凹みそうになる現在も、この歌でがんばろうと思います。。
そして
憎しみのるつぼと言う歌があります。この歌もまたあのころの思い、そして現在の思いと重なります。

曲名  憎しみのるつぼ
作詩作曲 エリ・ラージン
訳詞  鹿地 亘

一 憎しみのるつぼに 赤く焼くる
  くろがねの劒を 打ちきたえよ
  くろがねの劒を 打ちきたえよ
二 圧制のとりで よし堅くとも
  暴虐の嵐 よしすさぶとも
  暴虐の嵐 よしすさぶとも
三 同志の腕よ 固く結び
  同志の誓いよ 高く胸打ち
  同志の誓いよ 高く胸打ち
四 屈辱の歴史 その日閉ずる
  最後の戦いを 戦い抜かん
  最後の戦いを 戦い抜かん
五 真紅の旗を見よ 屍の
  築きなすとりでに 翻える見よ
  築きなすとりでに 翻える見よ ns.katoh-k.co.jp(203.141.155.128)
1352 11/26 20:32:06 通りすがり 下馬家さんへ 有難う御座います。早速入手します。
永年、探していました。
日大の思い出といえば、あまりないのですが、74年頃、中核とマル
のゲバが激しくなったおり、日大の友人に某所にマルがサークルを
作ってるので協力してほしいといわれ、2人でバールをもって訪問
したことがありますw
しかし、サークル棟はもぬけの殻で、帰った覚えがありますw
私も彼も決して中核ではないことだけは、記しておきますw

■1351 11/26 17:39:32 ブルースモーク 下馬正門
正門前民家が無くなり見る通しがよい

■1350 11/26 17:31:14 下馬家 通りすがりさんへ
アメリカングラフィティ2でYAHOOの映画→DVDで検索すると情報があります、2006年9月21日に販売開始になりました、自分は検索しネット通信販売で購入しました、
あまり店頭には出ていません、ユニバーサルピクチャーズジャパン販売で定価1500円です。

■1349 11/26 17:16:28 ブルースモーク 元農獣医学部校舎
神奈川県藤沢市に全面移転し空き家状態の元農獣医学部校舎(世田谷区下馬3丁目)

1348 11/25 00:30:44 うらら CCCP
凄い柄のTシャツ持ってます。
ペレストロイカでソビエト崩壊直後の頃、祭で、怪しいロシア人の出店で、100円で購入。
大事なお宝です。↓

■1347 11/24 23:22:57 通りすがり 下馬家さんへ
アメリカン・グラフティー2がDVDが出ているのですか?
永い間、捜し求めていたのですが見つかりませんでした。
エンド・ロールで流れるライク・ア・ローリング・ストーンに聞き入っていた自分を思い出しました。
発売元等ご存知でしたらお教え下さい。

■1346 11/23 22:38:41 薮 岸を倒せ
父が60年安保のとき市内でデモをしていたのを家族で観にいった記憶があります。古典的なスクラム・スネークデモだったような。同じ長屋にはお巡りさんもいまして登校間際に「せんせ、あんまりがんばんなよ」と。これは母から聞きました(爆)

チビの頃の小生も『デモごっこ』をしてたみたいです。

■1345 11/18 08:06:39 豹頭のグイン 古田倒せ
小さな子供達が「古田倒せ」と遊んでた水道橋付近。
そういえば小さいころ「安保、反対」とデモごっこしておりました。

    ■1344 11/17 01:09:23 豹頭のグイン ホームページ
いいなあ〜
奉祝と言うよりも
おめでとう
お疲れ様といいたい。

■1343 11/16 22:25:50 J れ:奉祝!!!
全てと言っていいのですが、HPの開設はJ〇Nの力に帰します。
ごつい奴です。

■1342 11/16 00:30:02 叛バリ小僧 奉祝!!!
発・文闘委
宛・農闘委

「農闘委HPの開設を祝すとともに、
 関係各位のご尽力に深謝します」

■1341 11/15 23:33:38 大木晴子 16日、国会へ!
管理人さんは、遠いですね。
16日、国会へ駆けつけること出来る方はいませんか。
下記のページを訪ねてください。

http://www.seiko-jiro.net/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=359&forum=1&post_id=462#forumpost462

『いちご白書』も高倉健さんの映画も思いだすと
あの時代の熱い心根を取り戻しませんか。
動き出してください!
決まってしまっては、遅いのです。

1340 11/15 22:36:22 薮 >いちご白書をもう一度
私的には大嫌いな歌でございます。
な〜にが、髪きって就職じゃい。髪切らんでもいい仕事についたぞ。
今じゃ生えてもこん(怒)

>『いちご白書』
yesterdy a dragon side a wander
got a dragon flying side a jar〜〜♪
うろ覚えのcircle game ^^;
体育館で学生が、give piece a chanceを歌っていた場面を覚えてます。

紅顔のド田舎高校生が学生運動に、乙女のような憧れを抱いていた頃の映画です>小生(達)

■1339 11/15 21:11:48 ラッパの大将 いちご白書をもう一度(昭和50年)  
荒井由実:作詞  荒井由実:作曲 バンバン:歌
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=1910
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/ichigohakusho.html
http://www.fukuchan.ac/music/j-folk3/ichigohakusyo.html

■1338 11/15 08:00:05 J れ:映画
そこらへんの映画は、観ていません。
今度ビデオ屋に行って、借りてこようかな?

下馬家さん『いちご白書をもう一度』は、確か番場だったかな?何とかいうやつじゃないですか?
ビリーバンバンは、「白いブランコ」だったとか記憶。

■1337 11/14 19:43:06 下馬家 映画
アメリカングラフテイー2をDVDでやつと見た、前作の3年〜5年後の続編だ、主人公の一人は交通事故で亡くなり、他の一人はベトナム戦争で消息不明になり、最後の二人は結婚して子供が出来たが、ベトナム反戦運動に巻き込まれ、誤認逮捕されてしまう。
ベトナム反戦運動のシーンで1970年に製作された映画『いちご白書』を思い出した。
農闘委写真集で一緒に写っている友人と泣きながら見た映画だ。
主題歌はたしかサークルゲームという曲だった、ビリーバンバンが歌った『いちご白書をもう一度』のテーマになった映画だった、あの時自分の中の日大闘争は終わっていた。

■1336 11/14 21:32:04 薮 おお\(^○^)/
i know this love of mine and tenderly
・・・you never die and i love her

強面っぽい^^;叛バリ小僧さんが、and i love her とは(笑)
ちょっとびっくりです。

>映画館
小生は池袋の文芸座でした。オールナイトの一本槍で健さん、よか渡哲也。
日活の無頼シリーズからニューロマン。
最後に観にいったのは「怒りを歌え・三部作」でした。


(迷惑) ■1335 11/13 20:42:14 防犯・防諜普及会
北朝鮮による侵略に備えましょう。 防犯・防諜普及会

北朝鮮による侵略に備えましょう。

日本政府の動議により、北朝鮮非難の安保理決議1695号が可決しました。これに対し北朝鮮は強く受け入れを拒否しています。国際社会から孤立した北朝鮮にとって今後の進展は厳しいものとなり、局面の打開を目指して一気に軍事的行動に出てくる可能性が高くなります。国民の皆さんは、進んで国防に協力しましょう。特に開戦に備えてスパイ活動やテロ活動を強化しますので、周囲に工作員や、北朝鮮に協力しそうな人物がいないか気をつけましょう。また反政府的な言動をするグループなどが防衛行動を妨害するかもしれませんので積極的に情報を政府機関に通報しましょう。
(以下、あて先明記のこと。)
内閣情報調査室
http://www.iijnet.or.jp/cao/cas/jp/goiken.html
公安調査庁
psia@moj.go.jp
自衛隊情報本部
kouhou1@joint.info-jda.go.jp
自衛隊中央情報保全隊
gsopao@jgsdf.info-jda.go.jp
警察庁警備部公安課
http://www.npa.go.jp/goiken/index.htm
入国管理局
http://www.immi-moj.go.jp/cgi-bin/datainput.cgi
政府機関への総合窓口
http://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose


(迷惑) ■1334 11/13 14:11:47
z137.220-213-74.ppp.wakwak.ne.jp(220.213.74.137)

    ■1333 11/13 13:05:23 文理\(^o^)/学科 映画といえば
昔高田馬場と早稲田の中間に映画館があり、高倉健の昭和残侠伝をやっている時、場内アナウンスで【どこどこ大学が機動隊に襲撃されています】とあり、どこどこ大学の学生が、よし行くぞ!と立ち上がりました。

場内はよし!!との声、割れんばかりの拍手でしたよ。。それと朝鮮人民共和国の映画[アジプロ映画ですが]妙に感動しました。。

■1332 11/13 02:11:36 叛バリ小僧 「ラブストーリー」雑感
邦題は「ある愛の詩」だったかな?
この映画を観た記憶はない。

みなさん、予想以上にけっこうロマンティストなんですね。

なにしろ、わたしが覚えているのは「怒りのキューバ」とか「アルジェの戦い」といった相当に“くさい”映画ばかり。
その後も「サンチャゴに雨は降る」なんてとりわけ“左翼色”のつよーい作品を好んで観たものです。
もっとも、生来のへそ曲がりですから、スクリーンにむかって内心罵倒することもしばしばでしたけど…。

「邪宗門」って、当時はちょっとばかしトレンディーな喫茶店ですよね。ふーん、そうか…。なるほど…。

わたしの場合は、なぜか渋谷駅前の「フランセ」でした。それも三階のフロア。
窓から夕陽が東横線のホームをこえてビルの谷間に消えていく光景は、いまなお忘れることはないでしょう。

そのときBGMで流れていたのは「…and I love her」。
それ以後、この曲を聴くと、想いは往事にもどってしまいます。
ですから、本音を言えば「インター」も「ワルシャワ労働歌」もあまり好きではありません。
もっとも、LPだけは、不覚にも「代々木」党本部前の書店で購入してしまいましたけれど…。

■1331 11/13 01:48:53 文理\(^o^)/学科 管理人さんの日記から
60年代後半期に疲れたら、阿佐ヶ谷でアランフェス交響曲を彼女と聴いていました。ギターの曲で心が落ち通のです。その語新宿。御茶ノ水に出陣です。70年以降下高井戸のモンタンと言う喫茶店で学外オルグですが、静かに音楽など聴いていませんでした。

■1330 11/12 22:10:59 薮 ラブストーリー
love means never having to say your sorry

愛とは決して後悔しないことよ、、、。

when i bigin you tell a story〜〜〜〜♪

はぁ。

■1329 11/12 09:13:28 a ありがとう、と
宇井純さんがお亡くなりになりました。
当たり前のことを当たり前にされた方です。
ありがとう、を言いましょう。

■1328 11/12 01:52:35 豹頭のグイン 火中の栗
焼き栗は結構うまい。
おいしいものを得るには危険を冒すほかない。
即ち他人の利益の為にあぶない事をすると言う意味らしい。

■1327 11/12 01:48:28 豹頭のグイン 母の支援
「おまえ大事なもの、捜索受けるかもしれないから隠しておいたよって〜」

■1326 11/12 01:30:54 薮 >家族帝国主義
うちは楽でしたよ。
狭山・里塚闘争に参加するのは当然だ、ですし。
東山さんが虐殺された後には、母が燃えちまって。
心配要らないから、ですと。

それぞれ、ですね(笑)

■1323 11/10 22:45:35 水中のみずすまし 「火中の栗」いいねぇー  
感激の言葉。 文理\(^o^)/学科の「火中の栗」

 何んで拾っちゃたんだろうねぇ。あの時。
 後悔はしてないけど…、貧乏性なんだろうねぇ…。皆んな。

■1322 11/10 14:07:06 文理\(^o^)/学科 家族帝国主義
親に反対され、運動にのめりこんだのですが警察にパクられて留置場でのさし入れが母親の作った懐かしいおにぎりでした。後で聞いた話ですが、私がパクられたとき日大闘争救援会の仲間が母親にあい、支援を要請しそれに対して母親が受け入れたのでしょう。

闘争を行う時、それは本人にとって結果的に役得ではなく、多くのノンポリが様子を見ている場合なぜ自分の子供が火中の栗を拾うのか、将来性は全く無いと思うのが親の心でしょう。今は父親はなくなりましたが母親とは懐かしい思い出だと言う感じです。

■1321 11/10 00:05:54 豹頭のグイン 家族帝国主義
日大闘争での家族帝国主義は
その後、どうなったのだろうか。


(迷惑) ■1320 11/09 21:26:00 147.222.150.220.ap.yournet.ne.jp(220.150.222.147)

■1319 11/09 17:26:47 澁谷 あしたのジョー
初めまして。澁谷と云います。
現在番組リサーチをしてまして、1970年3月24日講談社講堂で行われた「力石徹の葬儀」を調べています。この葬儀に出席された方、記録フイルム、写真、配った力石の墓石を探しています。ご存じでしたら、ぜひご一報をと 願っています。

(迷惑) ■1318 11/08 13:21:04 d68.HosakaFL14.vectant.ne.jp(210.131.237.68)

■1317 11/06 21:31:45 J マルチレス2
うららさん:
訪問させてもらいましたが、最新エントリーにはコメント欄が見当たりません。
次の機会にコメントをすることにします。

大木さん:
管制塔カンパの時は、お世話になりました。貴女のパワーを貰って、私たちは一億円以上のカンパを集めることができました。
人間って、見捨てたもんじゃありません。

緊急行動には行けませんが、次の日曜日には反基地行動に参加する予定です。老いても、まだまだ現役。
の、積りです。(笑)

■1316 11/06 21:24:50 J マルチレス
叛バリ小僧 さん、ありがとう御座います。m(_ _)m
道理で読んだことがないハズ。
いや、民青の本でしたら読む気になりません。

教祖さん:
バリの中での生活を思い出しますね。時々、教祖さんのこの名調子を聞かせてもらった身には。

■1315 11/06 20:41:25 日和見教 教祖 日大全共闘節  
東に〜大利根の清流を注ぎ〜。
 西に〜霊峰富士の峰を仰ぐ〜。
ここ関東、 大江戸、 神田三崎町の杜に毅然と建つは 日本大学である〜。
セイサン桜花のもとに馳せ参じ、明日の日本を背負い立つ、
我が 日大全共闘の面々 がここに集い、全共闘節の一節を、いざ歌わんかな、
 舞わんかな、 いざ狂わんかな〜。
・エッサ、コリャコリャこの俺は、まかり出ました、この俺は、
 全共闘一の色男、エッサコリャコリャこの俺は、まかりでましたこの俺は、全共闘一の強き者。
 エッサ、見てくれこの腕を、投石で鍛えたこの腕を〜。
 エッサ、見てくれこの身体、スクラムで鍛えたこの身体〜。
 前から来い、後ろから来い、前から来るやつあ、ワンパンチ〜。
 後ろから来るやつあ〜背負い投げ〜。
・エッサ コリャ コリャ〜日大名物数あれど、数々あれど 数あれど
 皆が そろたら 全共闘節だよ 全共闘節は1拍子。
♪・♪ こ〜こは神田か〜東京の街かあ〜、東京の街ならあ〜大学はニホン、
 大学ニホンの〜全共闘さんは〜、度胸一つのお 男伊達エ〜 度胸一つでえ〜、
 神田の町を、デーモおって行きまあす〜う ゲバ棒、ヘルメット。
 ゲバ棒、ヘルメットは 全共闘育ち〜。
 ボロはおいらの心意気〜。
 ボロは纏えど〜、心は錦〜、どんなものにも恐れはせぬが〜、かわいいあの娘〜いつでも捨てる
 全共闘のためなら、命までも〜。
 いーのち捨てても〜 その名は残る〜、日大全共闘のその名は残る〜。
 ついでに おいらの その名も残る〜、
 おーまけに〜彼女の その名も残る〜〜。
                     こんな事でありますジャンジャン。 教祖 拝

     ■1314 11/06 01:01:30 叛バリ小僧 『されど我ら斗う』 返信
Jさんへ

確か『されど我ら斗う』って、民青の諸君が畏れ多くも「叛バリ」に対抗して出した本ですよね。
で、あれば持っていますよ。

と、いっても本来の所有者はさる学友で、現在、わたしが管理してるだけですが…。

もっとも、参考文献にするには、余りにも“党派的”過ぎるので、雑資料のダンボールにしまいこんだため、そう簡単には探し出せそ
うにありませんが…。

1313 11/06 00:55:24 大木晴子 意思表示をしましょう!!
ご無沙汰しています。
「明日も晴れ」を書いています大木です。
ときどき、皆さんの会話を・・・。
皆さんの元気が平和を育む力になるといいなぁ〜と
思いながら読んでいます。

きっと、可愛いお孫さんのことなど考えたら
昔の熱い思いが・・・。
もう、黙っていては・・・
意思表示をしましょう!!
お知らせを掲載させていただきます。

■緊急行動のお知らせ■

教育基本法・共謀罪・少年法が危ない!
安倍内閣の暴走を許さない!
「ヒューマン・チェーン」(人間の鎖)
あなたも鎖のひとつに!!

  教育基本法改悪反対!
―少年法改悪反対、改憲手続き法と共謀罪の新設反対―

★「ヒューマンチェーン」★(人間の鎖)

実施日程● 11月8日(水)午後4時〜6時

  場所● 衆議院議員面会所 集合 (地下鉄丸の内線国会前下車)

      午後4:00 <集合> リレートーク
               <呼びかけ人&国会議員など>
         4:40  ヒューマン・チェーン<コール>
         5:00  リレートーク <呼びかけ人&国会議員など>
         5:30  キャンドル・ヒューマンチェーン
             コール&リレートーク
        6:00  終了
主催
・教育基本法「改正」反対市民連絡会
・子どもと教科書全国ネット21
・子どもの育ちと法制度を考える21世紀市民の会
 (「子どもと法・21」)
・「子どもたちを大切に…今こそ生かそう教育基本法」全国ネットワーク
・許すな!憲法改悪・市民連絡会
・共謀罪の新設に反対する市民と表現者の集い実行委員会 h219-110-29-200.catv02.itscom.jp(219.110.29.200)

■1312 11/05 15:24:57 J れ:道楽
>革命」は道楽だ。 道楽だから人によってその程度に
>差があるのは当然で 命を賭けたり 金をつぎ込んだ
>りすることもある。 道楽なんだから 疲れたら休め
>ばいい。 道楽なんだから他の道楽と平行してやった
>って構わない。 これからも「革命」をやっていこう!

うん。異議なし!だな。
この精神の在り様に辿りつくまで、こっちは何十年かかったか。
Junは71年か。
参ったなぁ〜〜〜

オコジョだね。
よし、もっとトレーニングをして今度Jun達と山に行くか。
僕はただのD70を持って。(笑)

■1311 11/05 15:14:22 J 『されど我ら斗う』
どなたか上のタイトルの記録書を、持っていますか?
実は私、『されど我ら斗う』という本の存在を知りませんか。
ひょっとすると読んでいるのかもしれませんが、記憶にないというのが正確かも。

もし、持ってられる方がいたら貸してもらえませんでしょうか?

■1310 11/05 11:32:07 Jun 道楽
大昔 多分1971年頃だと思うが自分の所属していた党派が瓦解した頃 「革命」を目指していた農闘委の仲間 QとYukiとワタシの3人で夜を徹して話し合いこんな結論を出した。

「革命」は道楽だ。 道楽だから人によってその程度に差があるのは当然で 命を賭けたり 金をつぎ込んだりすることもある。 道楽なんだから 疲れたら休めばいい。 道楽なんだから他の道楽と平行してやったって構わない。 これからも「革命」をやっていこう!

今でもワタシの道楽は 日大闘争と「革命」と そして山登り 11月3・4日農闘委の仲間だった友人と槍ヶ岳に行ってきた。

以下 管理人さんへのイヤガラセです

70sの3000メートル・デビュー 槍ヶ岳の岐阜県側で遭遇したオコジョです。 ピンが甘いが小さい画像ならなんとかいける。 すっかり冬毛になっていました。


(迷惑) ■1309 11/05 04:47:21 pl224.nas945.p-osaka.nttpc.ne.jp(219.102.48.224)

■1308 11/04 22:30:09 うらら 「遊び」ですか
唐突に。
今更なんですが、実は私は若い頃、7年間芝居(演劇)をしていました。
恩師である某演出家が、

「仕事しているみたいに遊べ。遊ぶように仕事しろ。」

と仰った、これが現在の私の理念になっていますので、私は長い説明無しでも「遊び」の理屈はよくわかりますよ。

私は大学受験をしたことがないですし、マルクスやらレーニンやら毛沢東やらゲバラやらは、実はよく知らんのですが。
私に思想性は特に無いと思っていましたが、右翼の友人と話をしていて、わかりました。
私は共産「趣味者っぽい」みたいです。

手前味噌ですが、少しでもアクセス数を増やして検索に引っ掛けて、醜い支配者階級に呪いをかけようという腹黒いモクロミから、ブログのリンクを貼ります。

■1307 11/04 10:38:24 J 定年間時価 2 いけね〜。
タイトルの変換ミスを直し忘れた。「定年間時価 」の歳になると、こういうことをやるんだよね。(^^ゞ
歳はとりたくないね〜〜〜

で、安西さんへ。
前のカキコを撤回します。
マルクスの著作など、読む必要などないということです。正確には、読んでも、読まなくてもいいということです。

理由を書きます。
左翼的かどうかはどうでもいいのですが、左の思想とはというか、あるいは人間的な考え方というのは、「深夜の独り言」叛バリ小僧 、「思想性の問題か。。」文理\(^o^)/学科、「人としてどう生きるか」豹頭のグインさんら書き込みの中にあると、思い至ったからです。

そういう「左の思想」を持つ知人とめぐり合うことができる闘いを、私たちができたということを嬉しく思っています。そしてその闘いに、自分が参加しほんの少しですが、寄与できたことを誇りに思っています。

その私たちの闘い、生き方から、貴方がなにものかを掴み取っていただければ、私はそれでいいと思います。

と、いうことでまたみんなせめて日大闘争40周年までは、生きていようなぁ〜!

■1306 11/04 08:12:01 J 定年間時価
>出来たときの喜びはオタクの極みだ(Jさん、分かるよね!)

この気持ちよく分かります。思わず、万歳をしてしまうから。(笑)

例えば上のタグをを付けて文字を色付けするテクですが、当然これもHTMLで記述されていますよね。昔は、このタグは呪文としか見えなかった。しかし、今は「おお、フォントの色とサイズを指定して、要素と属性でこう書かれているのか」とか、漸く読めるようになりました。

ず〜〜〜っと昔、マルクスの著作(=「ドイデ」だったかな?)を読んだ時も似たような印象を持ったのですが、今はなんとか読むことができるようになりました。まあ、食べきれないスルメイカの様な本ですけれど。

同様に、PC関係も。しかし、このPC関係は次々と新しいテクが、出てきます。しかも、ご存知のようにものすごく広いソフトの分野です。こいつを追いかけ、こなして行くのは個人では無理。ですから、オイシイところだけをチョイスして、頂こうと思う次第。
もっとも、まだ複雑なものは解説書と首っ引きです。(笑)
しかし、この歳になってPC言語と取り組むとは、つい半年前までには想像もしていませんでした。

yamamotoさんのような達人の領域に達するまでには、何時のことやら。
墓場へまで持っていくことになるかも?(笑)


(迷惑) ■1305 11/04 03:32:18 pl140.nas945.p-osaka.nttpc.ne.jp(219.102.48.140)

■1304 11/04 01:16:23 豹頭のグイン 人としてどう生きるか 自分をどう変えていくか。と言う事かもしれない。
自分が変わることで周囲を変える事ができる。
他人を変える事とは自分が変わること。
今日より明日、明日自分をどう変えるか。
言葉を変えればどう変身していくか。それ以外に方法はない。
他人を変えることは不可能かもしれない。
要はどう生きるかと問いつづけて、自分が変わること
それを自己変革と言ったのかな〜
と今ようやく納得。
あ〜カメのあゆみ。

■1303 11/03 10:43:58 文理\(^o^)/学科 思想性の問題か。。
よく昔は思想性の問題だ、とか言ったもんです。私の場合思想性とはマルクスとかの思想であるのですが、それ以前に人間性の問題だと思います。私は家で子供に対して日大闘争とか、全く言いません。お父さんは左翼だとかも言いません。但し、人として恥ずかしくない生き方をする、差別をしないとかは言ってきました。

その子供が今年高校卒業の時、300人の生徒が日の丸・君が代に起立した時たった一人で着席をしたと連れ合いから聞きました。今その子は9条を守るため大学で運動をしています。その子は私のマルクスやレーニンの本を、ピアノの下敷きにしたのを知ってか知らないか、私の思想とかを理解しているとは思えません。

でも子供は歴史学び、人として恥ずかしくない生き方をしていると私は思います。ベトナムの人達やイスラムの人達も最初から思想とか、宗教とかあったのではなく人として生きることが闘いの原点だと思うのです。

■1302 11/02 22:44:45 J 入試中止
管理人さん、私の仲間に入試が中止になり東大に一年遅れて入るしかなかったという、奇特な方がいます。(笑)
その彼からは、「Jさんのおかげで、東大に一年遅れて入ることを余儀なくされました」と、今でも言われいます。

「そうか、それは大変申し訳ないことをした」と、今でも謝っています。

安西さん:
「思想が左というのはあるんですが」とのことですが、今時、奇特な方と言うしかありません。
ですがもし貴方が世界史と対話し、自らを高みへと飛翔させようと考えているならば、「ドイツイデオロギー」、「経済学哲学草稿」、「ユダヤ人問題によせて」(いずれもマルクス著)等々を、読むことを薦めます。
そこには叛バリ小僧さんが書く、「投げた石の量と殴り倒した青服公務員の数を自慢するだけでは決して見えてこない世界が」全てではないにしても、叙述されていることは確かだと私は思います。

そして、「人はどこへ行くのか」ということを問い続けてみてください。
無駄な時間ではないと思いますよ。

■1301 11/02 22:09:27 ラッパの大将 ようこそ
安西広さん
よそは知りませんが「思想が自由」はいても「左」はあまりいません。
疑問・質問があれば遠慮なく。
勿論、答えうる範囲ですが。

私は間もなく還暦ですが、精神的にはバリスト時代の二十歳の「自遊人」です(笑

■1300 11/02 21:15:52 安西広 はじめまして
現役の大学生です。
社会問題に目を向けない学生が多いので、何か学校生活が生ぬるく感じています。

思想が左というのはあるんですが、そういうことを抜きにしても全共闘への興味(漠然とした憧れかもしれませんが)があります。
こういうHPがあるのはうれしいですね。

■1299 11/02 22:12:47 ラッパの大将 「引き出し」と主体的参加
豹頭のグイン さんのテーマの展開。
個=点。とするならば、点と点を結ぶのは線=学部斗争委員会。
線と線を結び、面=日大。
面と面を結ぶのが、管理人とうららさんとの表現=「のりしろ」です。
これは大学・世代を越えた連帯です。
さらに次元を超えると「よりしろ」=神々との交信。になるのではないでしょうか?
多次元的・有機的・精神的結合が全共斗の結集軸だったのかもしれません。
私の感覚では『多様な生態系』になります。
目に見える地上系だけでなく、地下系・水中系・空中系。
全ての存在を認める事になります。
発展させれば大地の女神=地球=ガイア説に近くなります。
さらに云えば、天照大神を始め、イスラム・キリスト・ユダヤの兄弟宗教などの拝火教=太陽信仰になるでしょう。

これが顕在化したのが芸斗委の「バリ祭り」や各学部のイベント、
農斗委の「日和見教」!年末の「餅つき」だった?
「全学連」や「関東軍」が「なんじゃ〜!コリャ〜〜?」と言った、
伝説の「黒旗」と共に掲揚された正月の「日の丸」。
他の大学やセクトでは「ありえな〜〜い」事が出現し、それを咎める事も誉める事もなく自然に受け止める日大全共斗。

今年の930も大学の会頭を吊し上げ、ヘルメットにゲバ棒で機動隊をボコボコにしている映像の横で日大応援歌が始まり、これに喜んで「日大一の良い男」と唱和している???
今でも全共斗は「何でもあり」なのです。

■1298 11/02 00:52:32 豹頭のグイン 遊び〜大きなテーマ
大将の言う遊びは大きな意味をもちます。
これは決まった形に対して、決まってない部分を遊びの部分と呼びたいとおもいます。
日大闘争はつくっていくべき、
決まってない部分がたくさんあったといえるのではないでしょうか。
決まってない部分だけではなく、決まった部分の上に決まってない部分があり、
それが多くの参加した学生のつながりを受け入れることが出来た。
多分それは日大全共闘独自新しい形であったのではないかとおもいます。
言わば多くの引き出しが存在する事が許されたから、
多くのいろいろの学生達が自分の問題として、
自分自身の闘争として参加が可能になった。
そして日大全共闘に個の集結を実現したのです。
以上私の考えです。

■1297 11/01 21:33:51 ラッパの大将 これからも、全部がかっこよかったといわれたいです。o(^▽^o)(o^▽^)o
aaghさん、薮さんそうですね。貴方達もかっこよかったんです。

日大全共斗は『個』が集まった稀なケースだと思います。
世界的な反戦運動のうねりと共鳴した部分もあると思います。
内包する問題に普遍性があったのではないだろうか?

今となっては爆発するエネルギーは有りませんが、シコシコと存在の原点を掘り起こして見ます。
とりあえず環境浄化から始って、政治も経済も。

それから教育も。
お受験列車に乗ってて脱線。
人の所為にして喚くのか?路頭に迷うのか?
家畜から目覚めるチャンスだぞ!
ヤッチマエ!若造共!!

■1296 11/01 21:18:15 ラッパの大将 叛バリさんの提起が私の総括と展望になる。
>68/69の「日大闘争」はわれわれだけのものではない。
>なぜ、心ある市民・労働者・知識人があれほど支援し、驚くほどのカンパがあつまったのか? その意味を問うべきなのである。

運動は何故支持されたか?
どうして衰退していったのか?
再結集するにはどうすれば良いのか?

個別日大の問題点
他大学との比較
時代の空気?
客観的情況と主観の違い。
普遍的問題! まだまだ判らない事が多すぎる。

■1295 11/01 17:26:27 ラッパの大将 豹頭のグインさん「遊び」は大真面目なテーマなのです。
>日大全共闘は個性差を認める。すばらしい生き方。
>参加した人間には言葉尻を捕らえるような議論はして欲しくない。

その通りなのです。
現場にいたものは時間と空間を共有しているので「感覚」で判り合えます。
しかし、感覚が通じない場合は「言葉」に頼ります。
この言葉が実は問題を複雑にしています。
同じ「単語」を使った「言葉」にも「意味」がまるで違う事が多くあります。
アジテーションにしても「意味」としては理解できないが、時代の雰囲気あるいはリズム=「感覚」として判るのではないでしょうか?

無限ループの中で「何なのか?」がハウリングを起こしながら、疾走するバリケードの中で「共産主義」が論点になった。
マルクス・レーニンや毛沢東の「共産主義」ではなく、バクーニンの「無政府」共産主義をかすめ、たどり着いたのが「原始・共有主義」。

もう一つは
バリスト=「遊び」=芸術=表現=自己=生きている事。
だから、「遊び」は大真面目なテーマなのです。
「こだわり」なのかもしれませんが。

■1294 10/31 01:13:05 叛バリ小僧 深夜の独り言
確実に言えることは、「日大全共闘」は、われわれのものだが
しかし、68/69の「日大闘争」はわれわれだけのものではない。
この事実にもっと多くの学友が気づくべきなのである。
なぜ、われわれでさえ、驚くほどのカンパがあつまったのか?
なぜ、心ある市民・労働者・知識人があれほど支援してくれたのか?
その意味を問うべきなのである。
投げた石の量と殴り倒した青服公務員の数を自慢するだけでは決して
見えてこない世界があることを、もうそろそろ自覚してもいい頃じゃ
ないのかねぇ…。

■1293 10/31 00:23:00 豹頭のグイン 希望の星
藪さん、こんばんわ。
日大全共闘は他大学の希望の星であったんです。あれは、九州の日大と言われる大学の学生にいわれた言葉でした。だからその日大全共闘に参加した人間には言葉尻を捕らえるような議論はして欲しくない。人は個人差があってあたりまえ。それを認めた日大全共闘だから、実はかっこよかったのかもしれません。個性差を認める。すばらしい生き方でもあります。
だから徹底的な攻撃がされたのだと私は思います。68年9月の仮処分を実力粉砕したパワーは
やった当事者達も気付かない変革そのものでした。しかし気付いた奴がいた。時の権力者でした。
はっきり、それはかっこいいことでした。時の権力者を青ざめさせたのは日大全共闘だけでした。
それに心有る人は希望をもっていたことも事実です。

■1292 10/29 22:34:58 薮 あのころ、全部がかっこよかったです。
豹頭のグインさん、こんばんは。
で、豹頭のグインさんが仰るように(日の当たらなかった他大学の闘い)は知りませんでした。軽率なカキコでした。ごめんなさい。おそらくaaghさんは、私を戒めたのだと思います。

>あそび 遊び
私の業界では隣りと隣りを密着させるようなものは作りません。不本意な力が加わった時、力の逃げ場所が無くなり繋がりが破断・破壊するおそれがあるからです。0/0の緊張に耐えられない。人もそうだと思います。つきつめた緊張が途切れたら壊れます。遊びは余裕ではないでしょうか。ラッパの大将さんが紹介されGEBAKOさんが仰られた「遊び」。私としての捉え方は『こう言うしかないかも、』でした。

aaghさん、そうですね。全部がかっこよかったんです。

■1291 10/29 07:49:48 ラッパの大将 ビッグバーンの痕跡を尋ねて4
我々を誹謗中傷する者の中に「学生のくせに」とか「働きもせず、遊びでやって」とか言うものがいる。
しかし、それは的外れの批判にしか過ぎない。
私は問う。
「貴方が何をしたのか?汗を流し、返り血を浴びて、命を懸けて」
「批判するのは自由だが、何もしないで?」
「何かをしたことに関しては話も出来るが、やってないことは空論にしか過ぎない!」
「妬みなのか?自分が何もしなかったことを隠蔽する為か?」
「貴方は家畜なのか?人なのか?」

「遊び」に批判的な発言の根拠は、「非生産的活動」である事に由来すると思われる。
生産性を強制するのは搾取する側の理論である。
なぜならば、「遊び」は支配者側に利益を与えないばかりかその存在を脅かすからだ。

「遊び」とはたゆみ、ゆるみ、余白などの「ゆとり」であり、高度な知性を持つ者ができる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E3%81%B3

http://www.mng.toyo.ac.jp/publication/kenkyujoronshu/r26/10_ogawa.pdf#search='%E9%81%8A%E3%81%B3' によれば、
@自由な活動、A隔離された活動、B未確定の活動、C非生産的活動、D規則のある活動、
E「賭けと偶然の領域」、F「物まねと演技の領域」と定義される。

これは全共斗の活動そのものではないだろうか?
遊びの本質は「面白さ」にある。まさに、「面白さ」があるからこそ、人は遊ぶのである。

ところで、
>F−15来るな百里闘争。田舎の共産党とも、自称右翼とも共闘。
あるいは選挙等は私の定義では「遊び」である。
とすれば
>「遊び」断固として許さぬ。
は矛盾することになる。

この「遊び」という「言葉」の意味の違いはどうしてか?
生産に直結している農斗委と、かけ離れている芸斗委の「感覚」の相違なのか?

魚の「うろこ」あるいは「えら」を取り出してこれが魚だ!と言っても特徴では有るが魚ではない。
「さしみ」を出しても同じであろう。
「さかな」全体を知っている者=闘争経験者にとって当たり前のことが、「切り身のさかな」しか知らない者=家畜化された者達にどのように説明すればよいのだろうか?

>あのころ、全部がかっこよかったです。
をどのように伝えていくか?

GEBAKOの「総括」、
「遊びでやったんだから。面白かったね。あんなに面白いことは無かったね!」
を越える総括が出るのだろうか?

■1290 10/28 23:54:26 aagh 全学連よか日大全共斗の方がカッコよかったし(^^ゞ
いえいえ、あのころ、全部がかっこよかったです。

■1289 10/28 09:25:08 薮 >全学連
私が在学中、私の学部には自治会はありませんでした。
党派の連中が再建しようという動きはあったけど、
私(達)のスタンスはあればあったでいいが、なければないほうがいい。
ポツダム自治会も赤色自治会もいらない。協力せず^^;

学内・学外課題もすべて有志による行動委員会方式。
やり切るのは個人の勝手次第。組織に縛られるのはいやだ。
党派・全学連・自治会信仰とは無縁。

これが私(達)なりに日大全共斗に学んだ運動でした。
こっそりと言いますけど、
全学連よか日大全共斗の方がカッコよかったし(^^ゞ

■1288 10/28 01:14:09 豹頭のグイン 日大闘争はうらやましい
「日大はいい。日も当たらなかった学園の闘争もあったことを忘れてしまってはいないか。」

■1287 10/27 10:09:59 天野屋 (無題)
叛バリ小僧さん
貴方の様なドエライ方に、喧嘩売るなんてめっそうもない。
びびりまくります。元々喧嘩は好きなほうですが、しばらくの間時間も有りません。
どこかに、「遊びでやったんだから、面白かつた」という記述がありましたね。
これに対する反論を求めただけです。「遊び」断固として許さぬ発言だ。
ラッパ氏のリンクによれば、面白いとは、楽しいの反語であり、同意語のようだ。

中村さんと早岐君の事件は別として,日大闘争私にとっては楽しい思い出だけ。どんなに苦しくとも辛くても、人生最大の喜びとして今も引きずっています。

F−15来るな百里闘争では、大同小異。田舎の共産党とも、自称右翼とも共闘しています。

1286 10/27 00:19:08 豹頭のグイン 組織ではない 同感ですね。組織ではない。
だってつながり方が従来にはなかったつながりだ。
まさに小異を捨てて大同につく。
全共闘が衰退を余儀なくされたのは
カリスマ的な理論の純化を始めたときからだった。
冷静に言えば全共闘は
既成にいう組織ではない。
革命の溶鉱炉にはコークスも酸素も
鉄鉱石も必要なのだ。
そういう意味から言えば
全共闘は革命そのものであった。

■1284 10/26 20:46:08 ラッパの大将 ビッグバーンの痕跡を尋ねて 3
GEBAKOの「総括するために闘った東大」と「総括できない日大」についての考察。
全学連と全共斗。一般的には公安刑事とヤクザ、共産党と自民党議員等、表面的に違いが判らないだろう。
外部の「見てきたような嘘をつく」評論家が多いが、ここでは内部から、ビッグバーンからの距離で論じてみる。

全学連はそれまでの既成左翼から行動的に突出して生まれた新左翼である。
その立脚点は「左翼思想」あるいは「マルクス主義」だったのではないだろうか?
すでに大昔?マルクスなるものが色々考えた結果を取り入れ「言葉」として繰り返している。
あたかも自分の意見の如く錯覚して。

「マルクス」は「マルキスト」だったのか?
たしかに「マルクス」は「自分で考えた」。
しかし、「マルキスト」達はマルクスの一方向の考えを思想とした。
これを取ってつけて主義とした。
当然、偏差値的な輪切りになり、徒党を組む。=セクトになる。
自分で考えてないからゆとりが無く、内ゲバに走る。
キリスト教徒とイスラム教徒のように。

問題にしているのは「自分で考える」か否か。
つまり、ビッグバーンとは全方位的に自分自身で考え行動することだ。

「自分」とは何か?
考えているのも自分であり、それを取り巻く世界も自分である。
自分が無ければ世界も無い。世界が無ければ自分も存在しない。
デモをする学友も自分であり、バリケードで夜を徹して語る同志もまた自分である。
これらの行為は相手を言い負かしたり、攻撃するものではない。
追究するのは普遍的真実であり、これを実現しようと行動することだ。
当然、根源的な行動になり、過激派に観られてしまう。
徹底的な弾圧を受ける。苦しくてつらい時もある。
しかし、言動は一致する。それだからこそ、楽しく面白いのだ!

全共斗は組織ではない。運動体あるいは生態系である。
一人一人が一人であり全体である。
多神教であり、混沌である。
それ故、余りにも多くの出来事を背負い込んだ。
総括できないほどに。

その点、全学連はすでに固まった「主義」で総括できるのではないだろうか?

■1283 10/25 22:29:27 aagh また、
喧嘩売りました(笑

■1282 10/24 00:03:08 豹頭のグイン たのしかった日々
一枚の写真がある。バり構築直後のものである。そこに大きく学科闘争委員会のたてかんばんが
写っている。集合場所を伝える目的で私が書いた。あの時は楽しかった。歴史の歯車を感じた。
後の1月18日、ほとんどの学生が御茶ノ水へ出かけた。そして帰ってきた学生は楽しそうに戦果を語っていた。
たのしい闘争は必ず勝利する。激動の9月。そして930〜
たのしさに怯えた相手方は時の最高権力者が声明を出さざるを得なかった。
地元の若い世代から「知らないでしょう。学生の闘争で権力を打ち破ったのは日大だけですよ」
といわれる。わたしは「へぇ〜、すごいんだね〜」と答えて歴史は語りつづけられていることに密かに胸をときめかせるのだ。

■1280 10/22 19:08:45 下馬家 訂正とお詫び
日本大学全学共闘会議農獣医学部闘争委員会年表をキチンと確認しないでバリード撤去の日を間違え2月10日のはずが2月22日と誤記してしまい諸関係に対して赤面します。
ここに訂正とお詫びをします。
自分のミスはすぐ謝ります、自分の主張は撤回しません、自己批判しません、
なぜなら多分このBBSを見ている元全共闘〔現在も全共闘という人も含め〕の人たちは、
親兄弟の意見・ガッコーの先生・教授・官憲の言うことを聞かず意思を貫徹したでしょう、
自分もそうだった、その後の生き方もそうだった。
多分自分含め皆さん理屈ぽぃ・頑固親父・意固地・石頭・なんて今言われていませんか?
某日皆さんと初めてお会いした時頑固親父がいっぱいいるなと感じました。

■1279 10/21 11:37:43 DOBUCHU 楽しかった
ラッパの大将さんや文理学科さん、管理人さんではないけれども、本当に楽しかった。
一生のうちでこんなに楽しいことはもうないと思う。
他学部の人たちとも、闘争がなければ絶対に知りえなかったほどのマンモス大学であった(今でもそうだが)。
ラッパの大将さんが先日の会で別れ際に私に言ってくれた言葉「人間生きることは戦いだ」
空気入ったね、感謝します。「人生日々遍路」合掌!

■1278 10/19 23:12:29 aagh 復活
おめでとうございます

■1277 10/19 22:24:56 文理\(^o^)/学科 最後の最後まで闘うぞ!
シュプレヒコールを最後の最後まで闘うぞ!と言う時、最後と言うことは勝利を信じた時があり、ある段階から一人になるまで闘うのだと思う時に移行した。本当にこのシュプレヒコールを叫んでいる者が、最後まで残る人が何人いるのか、と言うシニカルな自分がいた。

楽しかったのは仲間との合宿であり、練馬少年鑑別所だった(泣)。いろんな党派がいて、ノンセクトがいて、いろんな大学がいて、議論したり卓球したり野球したり、皆で生意気な革○を風呂で沈めたり。。。

■1276 10/18 21:07:54 ラッパの大将 ビッグバーンの痕跡を尋ねて 2
「本当に面白かった」
http://gogen-allguide.com/o/omoshiroi.html
http://www.asahi-net.or.jp/~NG1F-IST/omotano.html

この感覚は何処から来るのだろうか?
私はビッグバーンの体験だと思う。
さしたる目的意識も無く惰性に流れていたポン大生が自らの意思により立ち上がった。
内部告発による脱税事件が歴史の揺らぎの中で増幅され、それまでのブラックホール=日大暗黒体制を根底から打ち砕いた。
ホワイトホールを創り出した日大全共斗とそれを形成する名も無き闘士たちのエネルギーだ。

時期的には1968年から69年の間。
更に突き詰めるなら、1968年9月30日。
付け加えるなら、1969年1月18日。ほんの瞬間の輝きにしか過ぎない。
しかし、東大を越えた瞬間であり、我々の咆哮が全国に轟き渡り、日大全共斗を軸に新しい歴史の扉が開いた時だった。

斗争を損得で勘定すれば、大赤字だ。
その後の人生は茨の道を歩むが如く過酷なものであった。
が「あの時は面白かった。もう2度と無いだろうと云うほど面白かった」

バリケードの中では「自己責任」という言葉が赤面して隠れるほど主体の存在が明確だった。
主義・主張等は糞食らえ。思想性など関係ない。
人間とは何か?自分とは何か!
小宇宙と大宇宙が己の肉体を対蹠点にしてエネルギーの交換を行う。
この存在感、そして開放感をどのように表現すべきか?
人生は芸術だ!芸術は爆発だ!!爆発は存在だ!!!
色即是空。空即是色。

今聞くと訳のわからないアジテーションも当時は判った。
言葉では無い。理屈ではないのだ。
言霊であり、波動なのだ。直接交信なのだ。
こんな素晴らしい体験は有るだろうか!
面白い。本当に面白い。

それが再現出来るなら死んでも良い。
そんな体験をしたから初めて会う他学部の学友でも瞬時に連帯できるのではないだろうか。
930はそのような痕跡を尋ねて来る場所ではないだろうか?
そして未だ傷の癒えぬ同志を待つ母港ではないだろうか?

■1275 10/18 20:25:38 管理人 その通りですね-V
具体例は”ひんしゅく”を買いますのでまあ、おいおいと、
そのうちゆっくりと書いてゆきますので。

サーバーが移転ですったもんだしているようで、
其の内、またお目見えできると思いますが。
今、私もつながりません(泣。

■1274 10/19 12:11:47 amanoya そのとうりではあいませんんr
≫面白かったね。あんなに面白いことは無かったね!
何が、オモシロかったのか?返答願いたい。
下記URLで結構です。
下馬屋さん
農獣医のバリ撤去は、2/10と記憶しています。わたしの19の誕生日っです。

本当に苦るしかった斗争は、その後からです。
ハンバリ小僧さん、なんかしましたか?

■1273 10/18 08:21:44 管理人 その通りですね-U
>面白かったね。あんなに面白いことは無かったね!
私もその通りですね、
時代といえばそれまででしょうが。

ホームページのサーバーの移転作業を進めておりまして、現在一時ページが見れない状態になっています。
サーバー会社の都合で、私のせいではありませんので悪しからず。
其の内見られる様になるはずです。
無料でレンタル容量が大幅に増えました。
容量に大幅な余裕が出来ましたので、今後も許される範囲でムービーやフォトをどんどんアップするつもりです。

シュピレヒコール
我々は戦うぞ、最後の最後まで戦うぞ。

■1272 10/17 19:51:07 下馬家 その通りですね  
〔GEBAKOは書記局なので色々知っているだろうと連絡する。
「遊びでやったんだから。面白かったね。あんなに面白いことは無かったね!」
そうなんだ!それが日大全共斗だ!と納得してしまった〕
そうです自分もそうでした、バリケードの中に友達がいる、新しい友達とも知りあった。
だがしかし、1969年2月22日バリケード解除されその後約1月間以上近くのK公園や色々なシーンで喪失感と挫折感でボーとしていた。
シュピレヒコール
我々は戦うぞ、最後の最後まで戦うぞ。
その言葉を辛い時・悲しい時胸に抱いて、もう40年近く生きてきた。

■1270 10/22 08:38:02 ラッパの大将 ビッグバーンの痕跡を尋ねて 1
豹5郎がアベマリアに連絡してくれた。

豹5郎とマリアは面識が無かったが、たまたた居酒屋で隣り合わせに座っていた。
日大全共斗の話を聞いて彼女が私の事を聞いた。
不思議な縁だ。
マリアはロックアウトされてからの新入生。
安田講堂以降の過酷な70年世代だ。
マリアと知り合った後、(記憶が定かでないが2度目)パクられた。
裁判闘争があり、内部崩壊を起こした私は、傷ついた獣が死地を求めるように北の大地を彷徨っていた。
笑いながら「親に捨てられた子供のように大変だったのだから」
「ごめん」・・・
午後930の予定が有り時間が足りない。

BANSOUKOUに「NONKOが連絡先を知っている」と聞いたので電話してみた。
「黒ヘルね」と覚えていてくれた。
受話器越に38光年前の映像が浮かぶ。
キタロウが死んだ。
生きてるうちに合わないとね。次はもっと早く連絡するから。

NONKOと何時も一緒にいたHISAにダイアルする。
落ち着いた声が聞こえた。
しかし電波の状態が悪く途切れる。
やはり、直接会わなくちゃ。

GEBAKOは書記局なので色々知っているだろうと連絡する。
彼女は親の介護と自身の病気で大変だと聞いていた。
「記録は有るが記憶が無い。まだ総括が出来ていないので・・・」と尋ねると
明るい声で「総括なんて出来ないよ!東大は総括するためやったんだから」
さらに、「遊びでやったんだから。面白かったね。あんなに面白いことは無かったね!」
そうなんだ!それが日大全共斗だ!と納得してしまった。
しかし、同世代的には闘争を横糸に、世代を超えて環境問題を縦糸に組合すには多少の考察が必要だと思う。
やはり、ゲバルトローザ達に逢わねばならない。

■1269 10/14 12:24:01 ラッパの大将 反省の心
>つい筆の勢いで、仲間の履歴を吹聴気味に

愛妻のジャッジによれば、私の69%はそれに該当するみたいです。
声も態度もでかいので「なんジャロ?」状態です。
http://www.jaro.or.jp/nto.html/j_toha.html

トーフのラッパが突撃喇叭に。全く法螺貝状態。
悪意が無ければ良いじゃないか!
と、相変わらずの単ゲバです(笑

■1268 10/11 23:28:41 ラッパの大将 淡酔会早いな
こちらは昼の便で出たのに、日付け変更直前だった。

■1267 10/11 22:30:09 淡酔会 930の同志の皆様へ  
8日の日最終電車で実家へ帰りました
息子たちは呆れて先に帰りました今年も会えませんでした
9日10:00に起き 12:00の新幹線で帰りました
途中大阪で居酒屋へより 19:30帰淡しました

■1266 10/11 13:23:19 ラッパの大将 AMANOYA余聞
DOBUCHU さん有難うございました。
>伝説になった
日々苦闘の連続を楽しんでいて、まだ成仏してません(笑

Jさん
>40周年に向けて!!!みんなそこまでは生きていよう!(笑
芸斗委の可愛い(かった?)娘!達に再結集を呼びかけます。

叛バリさん
AMANOYAは自己(タコ)批判しています。

「日和見教」の聖人たちにお願いです。
年内保護観察をお願いいたします。
 追伸 昨年は私とゴンさんでみずすまし邸に隔離しました。

■1265 10/11 03:35:34 叛バリ小僧 AMANOYA異聞
昨晩、赤目君から電話で以下の報告があった。

一悶着のあと、AMANOYAクンを「日和見教」の聖人たちが“保護”。
文教地区に仮設された「臨時大聖堂」に同行のうえ、収容。夜明け近くまで、聖人たちによる訓戒と説諭がおこなわれた。
翌朝、一応、改悛の情が認められるとして、保護観察つきで仮釈放した、とのこと。

なお、保護観察期間中につき、今後も動向には注意されたし、とのご助言も承っていることを付記しておく。
(薮さん、aaghさん、甚大な被害を蒙りましたなら、どうぞ遠慮なくご一報のほどを)

聖人たちの忍耐と深甚なる行動にあらためて謝意を表します。

■1264 10/10 23:53:02 薮 叛バリ小僧さん、こんばんは
小生の名を出していただくなんて(笑)

本当に私の頃の日大の学友はシニカルな目つきをしながらも、
拳を握り締め、歩を進めてました。

良い日々を!

■1263 10/10 20:33:44 J お疲れ様
みなさんお疲れ様。
とある世田谷の夜中に起こった出来事で、覚えていたシーンの人に会うことができました。念願がかなった。
何せ38年間、「あの人は、誰だったのだろう?」と、ずっと引きずってきたから。

と、いうことで40周年に向けて!!!
みんなそこまでは生きていよう!(笑)

ps.
ブルスモさんへ。
ブルスモさんの写真を、私のブログに使わせてもらっていいかな?
後からJUNより同様の内容で、メールがあると思います。

■1262 10/10 16:33:00 DOBUCHU 皆様ありがとうございました
先日、伝説になったラッパの大将さん、叛バリ小僧さん、そのほかもろもろのお方とお会いできてとても楽しかったです、世話人さんにはひとかたならぬお世話をおかけして申し訳ありませんでした。
闘争の時は知らなくても38年後の今あったときには旧知の間柄になってしまっていた気分でした。
来年もぜひ参加したいと思います。ハンドルネームをDOBUCHUに変更します。

■1261 10/10 09:06:49 文理\(^o^)/学科 930
皆さん、お疲れ様でした。準備された幹事の皆さんに心からお礼申し上げます。私はいつも思うのですがタイムスリップをしてしまい、あの時代に頭の中が飛んでいくのです。その間38年近くの歳月があるのですが、どうでもよい時間スパンであるのです。日大闘争以降苦闘の時間があるのですが、そんなのどうでもよいと思うのです。あの人生を圧縮した時間に対して変えがたいものはないのです。

当時から知っていた人、今になって知りえた人などいますが、当時は知らなくても同じ隊列におり、同じ思いをしていた人との邂逅は胸が熱くなります。知り合えてよかった教祖さん、赤目さん今後もよろしくお願いします。

実は今度の930の会の参加の前に、何人かの仲間と議論をしました。なぜ930にこだわるのか。69年以降入学組みは930を体験しておらず、強いては 930の会では無く日大全共闘の会とかにすればよいとか、自殺した仲間に気が重いとか、様々です。しかし、議論をすることであの時代を風化させず歴史的事実としてきちんと残すことが大事だと言うことでしょう。

108は67年羽田闘争の日であり、一昨日の当日は三里塚反対同盟の現地集会でした。現在右翼政権である安倍内閣は"美しい日本"などとナチス張りのナショナリズムを掲げております。明治・早稲田・法政などの大学はアウシュビッツ体制が強行され、職場は労組が管理を行い、地域には自警団が組織され戦争国家へと体制を強化しています。

教科書から旧石器時代・縄文時代の記述は無くなり、いきなり弥生時代から歴史が始まります。日本と言う国号は室町時代ようやく国際社会に容認されていますが、古墳時代にすでにあったような記述があり、近代・現代の戦争はやむを得ない戦争だったとしているような教育がなされています。皇国史観の再現です。その結果何ら疑問なく若い連中は、スポーツ鑑賞でも日の丸が振られ、恥ずかしくも無くニッポンチャチャチャなど言うナショナリズムが謳歌しています。

ネットでも中国を支那と言う蔑称で表現し、中国・共和国・韓国を特亜三国などと言う蔑称で排外主義をあおり、右傾化の波はここのところ著しい速さで動いています。私自身何も出来ないのですが、こういう時代と対峙していきたいと思います。

ところでラッパの大将さん、11月第1週の連休ですが仕事で松山にいきます。お会いできないでしょうか。管理人さんに私のメール先を連絡しますので、ご連絡くださればありがたいのですが…

■1260 10/10 07:46:08 ラッパの大将 全共斗は不滅です
受け入れ下さった同志の皆さん有難うございました。

前日、昼過ぎに到着。愛妻と日比谷公園を散策。
夕方から別行動。

12年振り、あれ以来始めて会えた仲間と朝4時過ぎまで話す。
翌日はロックアウトされ、学外闘争してた時にオルグったマリアに会えた。
彼女もまた波乱万丈!

西部戦線に別れを告げて930の参加。
初めての同志の参加もあり感激!

叛バリさんの報告のように盛り上がりました(笑
その後、都内某所で朝2時過ぎまで語る。

昼の新幹線で移動。
辿り着いたのは叛バリさんが書き込みする直前。
台風のごとく過ぎた2日間でした。
今年来た同志諸君は来年も会おう。
一人でも多く声を掛けて。

■1259 10/10 00:36:20 叛バリ小僧 謝辞にかえて
薮さんへ
「邂逅」へのエールありがとうございます。
おかげで近年にない実り豊かな会合となりました。

ある意味で、このBBSのオフ会みたいな側面もあるわけですから、4次会までの約12時間は、いささか短かった(?)と思えるほどです。

むろん、わが全共闘のことですから、予想に違わず“一波乱”あったことは事実です。
ご想像通り、「時の人」になったのは、AMANOYAクンですが、農闘委長老衆の機転とラッパの一喝でもって“惨劇”にいたらなかったことは、「時の人」にとっても幸いだったと言うべきでしょう。

遠路はるばる駆けつけられたみなさん、無事帰宅されましたか?
参会者のみなさん、時節厳しき折、より一層ご自愛のほどを。
また、お目にかかることを楽しみにしつつ…。

■1258 10/07 04:12:20 天野屋 団塊の明日
管理人さん
わざわざ特設頁をありがとうございました。
あの記事は、私の地元では載りませんでした。
何せ保守王国茨○県ですから。
ほんの殴りこみのいったんです。

追;明日は戦友会930ですね。
  楽しみにしています。

■1257 10/06 23:22:29 薮 >シカゴ
68年、シカゴ市で開催された『血のアメリカ民主党大会』を契機に結成されたバンドですね。「流血の日」や「25or6to4@長い夜」でなんか聞いていました。H大に入学した同級生に誘われ武道館での会場設営バイトに行きましたです。ライブではございません(泣)

Jさんの感性はどっかでイーグルスとシカゴがシンクロしたのでしょうね。そういうのって好きです。

■1256 10/06 22:40:43 J ホテル・カルフォルニア
雨の降る夜は、美味しいコーヒーを飲みながら「ホテル・カルフォルニア」を一人で聴こう。
そして、こんな絵を見て「われわれは、どこに行くのか?」を、少し考えてみることにしよう。

■1255 10/06 09:46:42 J ホテル・カルフォルニア
管理人さん:
イーグルスでした。してみるとシカゴは、なんだったのだろう?
aagh さんと、連続で聞かせてもらいました。

Thank's

YouTubeにはまりそう。(^^ゞ

■1254 10/05 23:53:35 薮 菅直人氏
?「昔、大きなことを一言ってきた"落とし前"をつける責任がある」

菅氏は、あの時代 何を してたのかな。
"落とし前"なんて言えるのかな????

■1253 10/05 22:54:55 aagh 挑発
しました(笑

■1252 10/05 17:44:52 ラッパの大将 団塊の明日 1より  
日大全共闘の活動家出馬を決意。

 一九四七年から四九年の戦後ベビーブームに生まれた「団塊の世代」が二〇〇七年から六十歳を迎える。定年などを機にした新たな挑戦
、老後への不安−。社会に大きな影響を及ぼす団塊の明日が動き始める。
この世代の大量退職を前に「第二の人生は地方員で」と呼び掛ける政党のリク一卜活動が活発化している。候補者難の解消に加え、七百万人と言われる大票田の関心をひきつけ、党拡大につなげたいと思惑もあるからだ。

 先鞭(せんべん)をつけたのは、自らも団塊世代の菅直人主党代表代行(五九)。「会社人間」から「地域社会の一市民」へのUターンを支援する「団塊党」構想を打ち出し、市民運動グループの集会などで「昔、大きなことを一言ってきた"落とし前"をつける責任がある」と決起を促している。(略)

■1251 10/05 13:52:49 J 管理人さんへの質問
you-tubeでしたかな?管理人日記に貼り付けてある音楽ネタ。
それにシカゴだったかな?「ホテルカルフォルニア」ってあります?

で、もし今度の930に来るのでしたら、そのことなどについて質問しますので、教えてください。
よろしく。m(_ _)m

■1250 09/30 07:13:32 ラッパの大将 浄化
かつて930がそうであったように、
政治・経済・文明も一度浄化した方が良いと思うこのごろです。

とりあえず、すぐに出来る環境浄化。
10月1日(日)の午後11時から、テレビ朝日の素敵な宇宙船地球号で旧芝川再生プロジェクトの第二弾が放映されます。

■1249 09/29 00:15:31 叛バリ小僧 Fuck You 
薮さん、ラッパの大将
ご教示ありがとうございます。

それでは、みなさんもご唱和ください。
拓郎 Fuck You!Fuck You!Fuck You!

■1248 09/28 00:08:10 薮 ラッパの大将さんのレス通り
ラッパの大将さんと一所です。
Fuck You!!

>叛バリ小僧さん
誰が「ジジイ」ですか!!!!!!!(笑)

■1247 09/27 18:43:34 ラッパの大将 藪にらみの落ち 凸(`´)Fuck You!!

こんなん出ましたけど!
http://www.chironoworks.com/yuell/html/5-8.html

■1246 09/27 00:10:38 叛バリ小僧 落書き
学生課の任務は、昔も今も同じでしょう。
週のはじめに、“傾向と対策”の下調べをしてるのかも…。
一見、思いもよらぬ役所の中にその筋の「分室」があるのを偶然発見したことがある。なかには、遊んでいるお役人サマばかりじゃないかもしれませんぞ。

もっとも、ストックホルム症候群じゃないが、連日、閲覧してるうちに、すっかり「オタク」になってしまう公務員もいたりして…。
なんせ、わが大学の二部はノンキャリ・コップの巣窟ですからね。

薮さんへ
末尾の絵文字「凸(`´)」 が解読できません。
まことに畏れ入りますが、今後は絵文字にルビを振っていただけないでしょうか。
なにしろ、還暦目前のジジィなもので…。

■1245 09/26 19:52:26 薮 06 つま恋 おれたちの青春の確認だ・・・・・・ by拓郎

恥かしくないのだろうか
莫迦ヤロ 凸(`´)

■1243 09/24 18:47:59 文理\(^o^)/学科 それ程ではないでしょう。。
叛バリ小僧さん、こんばんは

それはさておき、問題はその周囲に冷静な、あるいは冷酷な観察者がいるかどうかです。この資質は年齢、経歴に関わりなく、ほぼ「天与の才」だと思っていますが、そうした人を有していなければ、無知無能なただの“アホ・バカ・間抜け”集団になるしかありません。

私自身時の流れに身を寄せて、あまり多くをそして深く考えずとにかく目先の問題から行動と言う短絡的な人間です。一度芸術学部に革マルが出たとの芸術学部からの連絡で、文理のほかのノンセクトと京王線、西武新宿線と鉄パイプと樫の木を持って遠征に出かけましたが革マルはいなく、何だかわけのわからない集会と学内制圧デモでお茶を濁しました。

しかし、今度は右翼だとの芸術学部からの連絡でまた同じことをしましたが、右翼はおらずしたがって学ランを着た右翼もどきを数人右翼と断定し、赤色テロを行使し、尚且つ本館を占拠し威風堂々と文理に帰ったことがあります。一連の事件で芸術学部には懲りたので、今後はよほどのこのがない限り、情報を確認し出て行くこととなりました。

メンバーからは単ゲバ主義と自己批判を要求された記憶があります。

自惚れついでに言ってしまえば、われわれの世代ではわたしが、そして、君たちの世代ではあなたが、その「天与の才人」なのだと、ことさら夜郎自大に言ってのけましょう。

それ以外にもアウシュビッツ体制を打倒した後、文理に赤色戒厳令と言う立看を出し(プロ独などと自惚れていました)、応援団、学ランなどを学内で摘発し (自称赤色公安委員会)その結果中村君虐殺の下手人を上げることができましたし(高橋裁判闘争に有利に展開しました)、原理研の学内登場を赤色テロで阻止した経緯があります。他にもいろいろとあります。

そういうことで私自身[天与の才人}ではありません。冷静な観察者でもありません。

■1242 09/24 18:24:04 薮 抜書き その2  
本書は彼の個人的書簡が中心になっている。公に「指導者」と認められた人間がかかる個人的な情念の軌跡を活字にするのはためらわれるものだ.。なぜなら、大衆運動の指導者とは別に命令を下したりするわけではないのだが、不幸な事に、「指導者」の固定概念にはためらいや疑問を知らない断乎たる人間像があり「指導者」は人間臭い弱みを人目に晒さないことになっているから。

 だから本書の読者は、秋田明大もまた、ためらいつつ、時にはいらだちながらすこしづづ歩む人間であり、更にはそのことをかくしもしないことも知って驚くかもしれない。だが彼の闘いは、そして日大闘争そのものが、当たり前の人間が当たり前の人間らしく生きたいという闘いであり、そこに彼の果たす役割の大きさも日大全共斗の強さもあるのだと知るべきである。

 これ以上、私が日大闘争に言及するにはおよばない。ただ私および東大全共斗は日大全共斗に多くのことを教わり、助けられ、また力づけられたことだけを付言したい。

1969年8月19日
            山 本 義 隆

獄中記 1969年11月25日 全共社発行 秋 田 明 大 より 日大全共斗のよりよい邂逅あれ!と祈念しております。

■1241 09/24 17:40:36 薮 抜書き
はじめに
 昭和44年3月21日、東京は春には珍しい大雪に見舞われた。この日、権力は秋田明大を逮捕した。彼に逮捕状が出されたこと自体が不当であり、逮捕の目的は唯一、日大全共斗議長としての彼の行動を封ずることにあった。東京地裁が彼を不当に長期拘留し、更には保釈金100万・広島在住という前代未聞の保釈条件をつけたと聞くが、その事が彼の逮捕と拘留の目的を雄弁に物語っている。あの大雪の日、彼は二階から飛び降りて逮捕されるまで素足で逃げたとニュースは報じた。その時彼が何を考えたか知るよしもないが、ともあれ、そのような振舞も彼がやればサマになるのだから不思議なものだ。たとえば・・・・・・、たとえば私がやったとしたら、これはもう「相当猛烈カッコワルイ」。彼、秋田明大はそんな人物なのだ。

 忘れられないことがある。たしか2月のはじめ、共に官憲に追われる身として、日大経済学部のバリケードの中にいた日の午前3時ごろ、「明けがた右翼が機動隊に守られてバリ破壊に来る」との確実な情報が入った。全共斗を支援しているさまざまな方々も来て下さったが、中にいたのは、日大・東大全共斗のわずかの学友であった。うわべは平静をよそおっていたものの、私は「日大の右翼」と聞いただけでオタついてしまって、正直言って後のことも顧みず逃げ出すことばかり考えていた。実際「日大の右翼」と言うものは私たちにとって魔術的恐怖(まま)をよび起すものだ。おまけに校舎はすでに右翼に囲まれている。

 ところで、彼、秋田はなにやら、のそのそ人を集めて悠長に話し込んでいる。別に毅然としているわけでもテキパキと判断しているわけでもないが、かといってあわてている様子もなく、ウンとかアーとかひとの話にうなずいている。恥かしいことに、私のことまで心配してくれるのだ。後になって考えてみるに、政治的判断とはいえ、自らの手で血を流して作りあげたバリケードを撤退するのに心が痛まないはずがない。私ももう少し配慮すべきであったとくやまれたが、ともかくその時は何かしらこまわりのきかない安定感があるやつだと思ったものだ。

1■240 09/24 13:50:39 叛バリ小僧 「夢酔独(毒)言」
再度、文理\(^o^)/学科君へ

確かに、思考のプロセスを踏まずに、いきなり行動することは危険極まりないことです。
ただ、わたしの知る限りですが、思考のプロセスを欠いた学友はそう多くはありません…(正直なところ「誰ひとりいない」と書きたいのですが、残念ながら現実はそう甘くないものです)。

ご指摘の通り、全員そろって泥酔(陶酔かもしれませんが)状態では、ただの胡散臭い酔っ払いの放言になってしまうことでしょう。
大体、言った本人自身がその重要性にまったく気づかないことがほとんどです。

なるほど「酔った勢いで殴りかかること…」がありましたね、去年、某所で…。

それはさておき、問題はその周囲に冷静な、あるいは冷酷な観察者がいるかどうかです。
この資質は年齢、経歴に関わりなく、ほぼ「天与の才」だと思っていますが、そうした人材を有していなければ、無知無能なただの“アホ・バカ・間抜け”集団になるしかありません。

自惚れついでに言ってしまえば、われわれの世代ではわたしが、そして、君たちの世代ではあなたが、その「天与の才人」なのだと、ことさら夜郎自大に言ってのけましょう。

今後、一層のご奮闘あらんことを心から祈ります。

■1239 09/24 09:49:40 文理\(^o^)/学科 930」 叛バリ小僧さん、
今日は

人間は行動するとき、多言を要しないが、行動を拒否するときは多言を弄するものです。

これはお言葉ですが、私たちのグループの特性でして行動するときは何かと理屈をつけたがるのです。行動拒否のための言い訳ではないのです。実際に軽く行動するグループと議論を何度も行っており、意思統一とその貫徹のために時間を割いております。その一方緊急事態に対応することがすばやいこともあります。。

そのために軽く行動するグループと険悪な感じになったこともありますし、単なるノンセクトということだけで全都のノンセクトの集まりを批判して来た経緯があります。でも、どんなに議論してもやることは現象面的に同じなのですが。。。その癖がまだメンバーに残っているのです。基本的に左翼の集団で議論がすきなのだと自己分析しています。。。

私個人としては@戦友会に意味がないのではなく、意味をもたせるのが肝要なのです。席上で交わされる片言隻句から分析をはじめればいい。

とのことにはそうだと思います。しかし、酔った雰囲気で壊れた頭で建設的な意見が出るのかどうか。酔った勢いで殴りかかることがよいのかどうか、考えものです。また、学生一揆などと言う当時のムードとか、文闘委のノンセクトに抜刀隊などという連中に批判的なメンバーもいますが、そういうものを包括的に統合する全共闘という存在を否定するわけではありません。

B要するに、どのような形であれ、きちんと記録を残したほうが、歴史の上で勝利者になると心得ればいいのでは…。

これもその通りだと思います。この線で元メンバー何人かと話し合ってきました。協力的なメンバーのほか、中には思い出すのもいやだとか、当時のことを思うと気が重いとか言うメンバーもいます。根気よく口説いて行きたいと思います。

■1238 09/24 03:55:44 叛バリ小僧 「930」partU
文理\(^o^)/学科君へ

人間は行動するとき、多言を要しないが、行動を拒否するときは多言を弄するものです。自分自身を納得させるため、拒否したうしろめたさをエクスキューズするために。

AとCに関しては、それぞれの見解が異なるので、明快な回答は留保しますが、@とBについては、以下のように考えています。

@天野屋風に言えば、「わりゃー!、戦友会の一体どこが遺憾のじゃ!。酔余の挙句の想い出話がどれだけ忘れかけた記憶を呼び覚ますものか、己らちっともわかっておらんのぉー」といったところでしょうか。戦友会に意味がないのではなく、意味をもたせるのが肝要なのです。席上で交わされる片言隻句から分析をはじめればいい。酔った時ほど人間本音がでるものです。

Bこれは説明の必要もないでしょう。今なお史料的に疑義があると言われながら、「信長公記」を避けて織田信長は語れません。
これは太田牛一が真偽はともかく、読むに耐える記録を残したからです。要するに、どのような形であれ、きちんと記録を残したほうが、歴史の上で勝利者になると心得ればいいのでは…。

以上、“アホ”は“アホ”なりに真剣に考えております。

■1237 09/23 19:02:22 下馬家 身近な事
小学校・中学・高校・大学と戦闘機のプラモデルを作り続けた、航空情報の別冊プラモデルガイドを参考に迷彩塗装のパターンを真似てプラカラーで色をつけ本物に似せていた。
1970年のある日NHKのニュースを見ていたら、ベトナム戦争のニュースになり、F4EファントムUが、やし林にナパーム弾を投下している画像になった、ふと突然気づいてしまった。今リアルタイムにナパーム弾の炎で死んでいく人がいることを。身近にベトナム戦争を感じそれ以来戦闘機のプラモデルを作るのをやめた。
約12年ぐらい前、仕事でアメリカ人と通訳の人と3人で食事をしていた、シューティングの言葉が出てくるので趣味の猟の話をしているのかと通訳の人に確認をしたら、フィリピンに今住んでおり強盗が襲って来たので銃を撃って撃退したとの事で彼はベトナム戦争に従軍していたので銃の扱いは慣れていたるの事であった。身近な温和そうなアメリカ人が戦争に行っていた。
8月15日のころ皆さんがお父さんの第2次世界大戦に従軍したことの話をされていたが、それは我々にとり過去の話になるのだが、第2次世界大変後61年後の今でも、朝鮮・ベトナム・イラク・アフガニスタンと連綿と戦争を続けいる国アメリカの国民にとって、リアルタイムに戦争が身近な事としてあり続けているのではないか、祖父母・父母・叔父叔母・兄弟・姉妹・従兄弟・子供・孫 が兵役に出、戦争で死んでいるのだろう、だからウッドストックロックフェスティバル等人の集まるイベントの時、反戦・非戦がテーマになっているのだろう。

■1235 09/12 20:16:03 ラッパの大将 延命策
文理\(^o^)/学科さんの判断は正しいと思います。
植物状態・スパゲッティー状態では尊厳がなくなりますから。

親爺殿は意識がしっかりしています。
それだけに本人が一番辛いと思います。
今までの人生を五・七・五に書きとめ本にしたいと希望したので纏めました。
体力が落ち文字通りミミズのノタクッタ文字なので判読できないものが多く、聞き取りするも喉に痰が詰まって会話が進まず大変でした。
9・11ようやく本が出来たので久しぶりに書き込みをしました。

親爺の遺言です。
「お前は気性が激しい。それが災いになる。
敵は存在しない。敵を作るな。
敵と認めて攻撃した時に初めて敵になる。」

この国を腐敗堕落させた自民党を延命しようとは思わない。
最後の牙を剥く。

■1234 09/11 23:28:03 文理\(^o^)/学科 930
ラッパの大将さん、お父上のご様態大変でしょうがこれも一時の流れです。じっと見守るしかないのです。私自身父の最期は、父の遺言通り延命策をとらないで、家族で最後を看取ることが出来ました。

930には、仲間と議論をしまして@戦友会なんて意味がない。昔話に花が咲くなんて。。とかA今の時代と向き合う人たちの立場の共有軸は何だとか B日大闘争の事実を記録として残すその意味はとかC日大闘争は930を境に国家権力と対峙したのではなく、本質的に民主化闘争それ自体にすでに国家権力との対峙する政治性を内包していたなどなど。。。

そこで930に意見書をまとめようと思いますが、何をどうすればよいやら。。私自身本来の仕事もありますので、落ち着いて総括できないし。。。

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