2003年11月へ 2003年10月 開設時掲示板などに寄せられたメッセージ
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■ 2003.10.12 mail
今日は、はじめまして。私は、20代の大学生です。
『けいとうい』の掲示板で貴ホームページのことを知り、拝見いたしました。
「解放区」というペイントが神田界隈には多く見られたというのは印象的です(これは社青同か何かと関係があってなのかは私には分かりませんが)。
また、「バリケード内の生活」の文章はひたむきな当時の学生の志が伝わってきます(想像ですが)。
歴史的なことが詳しく書かれていると硬く考えてしまいがちですが、このように個人の体験記録のような形式だと伝わってくるものがあり、一気に読み進めることができました。

それから、「資料について」のところの「日大生へ」は、ご自分で書かれた文章ですか。
当時を語ることに抵抗をもつ人も多いなか、このような形で語って下さる方がいらっしゃるのは若い世代にとってとても貴重で、ありがたく思います。
それから、私事で恐縮なのですが、色々と質問させていただきたいことや読んでいただきたいことがございます。

文章が込み入っておりますが、もし差し障りがなければお答えいただける範囲でお答えいただきたいと思っています。
私は、最近になって全共闘や学生運動について調べ始めました。まだまだ知識は浅く、他者と深い話をしたりすることはできません。
先日、『全共闘白書』を読みました。この本が発行されたのは10年近く前になります。
ご存知かもしれませんが、アンケート結果のようなものが載っています。
内ゲバがあったりなどして過去を引きずっている人も多いようです。
ただ、「当時に戻れたらもう一度活動に参加するか」という問いにたいして、多くの人が「参加する(方法を変える必要はあるが、などという意見はありましたが)」と答えていました。これには驚きました。
しかし、それは10年近く前の調査結果です。10年経つとやはり皆さんの考え方もかわっているのではないかと思います。

先月、全共闘世代(それよりも年上の方が多かったのですが)の方々が主催の例会(当時のことが話題とされる)に参加させていただきました。
大きな会で若い世代がかなり多く参加したこともあったそうですが、そのときは比較的小さな会場で10人適度の集まりでした。
私は何の知識もなく、また、当時のことにどこまで踏み込んでよいのか分からず、参加者の方々の話を聞いているだけでした。
例会では、全共闘世代の方々は、極めてオープンで、質問に対しても丁寧に答えて下さりました(そこで出た質問は「総括とはなにか」でした)。

私は興味本位的な参加でしたが当時のことを語りたがらない人も多いということから、あまり感情を表に出さずにいました。
しかし、ある20代の方が「興味があり、本では分からないような空気感を知りたいと思っている」と発言されました。
そのとき、全共闘世代はただ頷いてきいていらっしゃいましたが、ただ単に興味があるというだけで全共闘に触れる若い世代をどう思われますか。

若気の至りかもしれませんが、私は高校生のときから学校や教師に抑圧されているという意識を大変強く持っていました。
間違った考えでも、権力のある側の考えなら容認されます。たしかに、長い物に巻かれたり、また、問題から目をそむけて生きていったほうが楽です。しかし、私は要領が悪いので、行動に出てしまいます。
とはいっても、やはり権力が怖く、堂々と発言したり行動できず、いつも自分の主張をきっぱりと言うことができないため、誤解を招くことがしばしばです。

大学の方針にはとにかく疑いを持ち、時々先生と衝突し、エスカレートしている状態です。
ですから、当時の学生があれだけの大きな活動で社会に訴えたということは凄い事だと思います。
それに比べ、自分は本当に無力であると感じ、当時のことについてはとても関心があります。
また、全共闘白書に、「活動に参加することで方法論が分かった」というコメントが載っていましたので、私が誤解を招くのは方法を心得ていないことも理由と考え、何らかの活動に実際に参加してみようと考えるようになりました。

そこで、学生主体の反戦団体(実はよく趣旨を理解していないのですが)に質問のメールを送ったり実際にイラクの現状の写真展を見に行って、少し話をきいたりしました。
反戦とは関係ない動機で参加するのは不謹慎な感じがしましたが、ただ時間が過ぎていくのはどうかと思い、少しずつ参加しようかと考えているところです。

最近気づいたことですが、全共闘世代の方々は市民運動や反戦運動にも参加されている方が多く、また、(自分以外の家族に対して)何らかの活動に参加する必要性を感じているようです。市民運動や反戦運動、全共闘 ― 繋がっているところがあるのでしょうか。
また、当時のことを若い世代に語り継ぐことについてはどのようにお考えでしょう。
最近、生きがいや社会貢献という目的で団体(政党など)に属そうとする若い世代がいると知りました。しかし、自分も結局はそれと同じようなものだと思います。生きがいがないからやたら抵抗してみたり方法論を勉強しようなどと考えているわけです。
そのような若い世代についてはどのようにお考えですか。

以上、 全文。


■ 2003.10.14 「経闘委掲示板」より転載
  水産学科闘争委員会行動隊さんの書き込み

貴HP拝見いたしました。出てきた、とたん、拝見しました。
ただし、涙に暮れてまともに読めませんでした。
私は、‘68年当時農獣医学部水産学科闘争委員会の一兵卒でした。
いつしか、闘争委員会の解散集会を取り仕切る立場に立たされていました。
‘72年3月、水闘委を解散いたしました。
総括は、『我々は、母校の自由と、日本の正義のために闘った。』でありました。
アウシュビッツ体制下の非常に苦しい戦いの中の、学友諸君の顔が走馬灯のごとく、回り始めました。
もう少し、落ち着いてから、改めて読ましてもらいます。


■ 2003.10.13 mail

**といいます
変質しない人に出会うと励まされます。
色んなことをして、精一杯生きてきましたが、
最近は歳のせいか昔のことを考えることが良くあります。

また秋田明大さんのような人が表舞台に出てくるような
あるいは、あんな自由な時代が来ると良いですね。


■ 2003.10.13 「経闘委掲示板」より転載
  周さんの書き込み

>私のホームページ見てください 投稿者:理工OB  投稿日:10月 7日(火)20時25分06秒
のUPを見まして、すぐに貴ホームページをすべて拝見しました。たくさんの
ことを思い出しました。
 それで、私のメルマガ「将門Webマガジン第165号」(10月13日発
行)で紹介し、私のサイト内の、「リンクス(趣味・いろんなこと)」でもリ
ンクさせていただきました。
http://shomon.net/


■ 2003.10.9 「経闘委掲示板」より転載
  催涙三郎さんの書き込み

まるで、当時に帰ったようなひとこまひとこま、懐かしく感じます。
全体としては、学科も違うので、出てくる人物の正確な像はみえませんが、
それでも、彼だ、あいつだと思い出させてくれます。
別人からも、何十年ぶりに、子供を連れて理工学部校舎にいくと、
叩いた筈の守衛さんが寄ってきて、「困った」、「困った」との話を聞きました。
理工OBさんとは良く似ているようで、それでも違っている。
すでに、親なり、爺さんになってもなおかつ、
日大闘争を引きずっての人生、
今後も、長い年月があり、
昔以上の不条理があり、
ともに悩める人が増えたと喜んでいます。


 

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