2003年12月へ 管理人日記 2003年11月
管理人日記トップへ戻る


■2003.11.27 管理人wrote   リナックス

昨月10月所属するNPOの仲間に誘われ、夕方6時から9時まで1日3時間、10日間コースの講習を受けた。
職業能力開発センターの就業者向けの講習で、費用は9500円自己負担で払った。
講習は「リナックス」を使ったインターネットの構築、という課題。
55歳を過ぎた私には、受講前に予備知識があった訳ではない、チンプンカンプンで受けた。
OSのインストールから始まり、講習の3日目位までは自分が何を習っているのか皆目解らなかった。
講習も半分過ぎる頃に、やっと自分が何をしているのか薄々解ってきた。

マイクロソフト社のビルゲイツ帝国に果敢に挑戦する、ユーロ発のオープンフリーのOS「リナックスのレッドハット」を初めて使った。
インターネットを構築するのにPHP、MY-SQL、それにアパッチというツールをダウンロードして、コミュニテーサイトを試作した。

コンピューターのOSといえばウインドウズ、米国マイクロソフト社の独占状態だ。
中東で戦争が起こると、ウイルスが多量に発生し、至る所のサーバーが攻撃を受ける。
アルカイダがウイルスやサーバー攻撃を仕掛けている、という話もあたら嘘ではないと思うようになった。

リナックスはソース(プログラム)を公開したOSで、リナックスで動くソフトもフリーソフトでインターネット上で公開されているし、世界中のフログラマーの無償のサポートで日に日に進歩しているそうだ。
中国は国策として「リナックス」を採用していると聞いた。
国の基幹を動かすシステムを米国の一会社が握っていると思えば、中国の対応は如何にもとうなずける。

講習の最後は「ハッキング」の実習だった。
リナックスのホームページソフトXOOPS(イクスウープス)にはハッキングソフトが付属している。
これには賛否両論があるらしいが、リナックスをつかうユーザーは自前のサーバーを立てる方が多いらしい。
自分のサーバーの弱点を調べるため、ハッキングソフトが付属しているということだ。
私も”にわかハッカー”になり、隣のサーバーに攻撃を仕掛ける実習をした。
もっとも、もう一度やってみろと言われても出来ないが。

既に硬直を始めている私の頭で、リナックスを使ってインターネットサイトを作ることが出来るかどうか。
多分無理だろうとおもうが、当分楽しめるものが出来た。
リナックスのホームページソフトは、アクセスするゲストにログインパスワードを発行する。
ゲストはレベルに合わせてホームページに自由に書き込みでき、共同でホームページの運営が出来る、「コミュニティーサイト」であることが一大特徴。

ちなみにリナックスを使ったホームページでは、「小沢一郎」、「安倍晋三」さんのページがそうだ。
一度ごらんになってください。
私は別にお二人の支持者ではありません。(念のため)

http://ozawa-ichiro.jp/
http://www2.s-abe.or.jp/modules/news/


■2003.11.25  遅れてきた全共闘世代さん 投稿

遅れてきた全共闘世代さんから投稿がありました
またまた長文なので、別ページで紹介します。

 僕の好きなブントは
 毎日一度 ゲバルトしなければ やりきれない
 赤坂見附を国会議事堂
 青山通りを防衛庁
 それがブントの夢なのさ
 ブント、ブント、ブント
 ブント、ブント、ブント。黄昏のブント

これは歌らしい
・・・。(失礼!)
私が70年当時の好きだった歌手を紹介したページに触発されたようです。
非常に”マニアック”な幾つかな歌の紹介があります、必見!

♪♪全共闘の歌(元歌第七旅団の歌)がBGMで流れます、音量にご注意を。

投稿ページへ


■2003.11.25 管理人wrote  便り

日大理工学部闘争委員会の同窓会は「**会」といい、住所などの連絡先を把握している仲間だけでも100名以上になる。
非常にユニークで、1968年当時の1年から4年生で構成し、他にはあまりない同窓会だと思う。
もっとも1年生は御茶ノ水キャンパスではないので極僅かだが。

この理闘委のメンバーにホームページを知らせようかどうか迷っていた。
当時の情況に一番詳しい当事者集団だから、何と言われるか、正直怖い気持ちもある。
「お前なあ・・、いい加減にしろ!」と言われそうで。
でもやっぱり一番見てもらいたいのはこの仲間だ。
一大決心をして書いたのが下記の便りだ、12月になったらハガキで皆に出すつもりだ。

’99年にお茶の水の「**会」で再会してから早5年目になります、いかがお過ごしですか。
****科卒の”**”こと***(’68年時2年)です。
頭も白く薄くなり寂しいかぎりです。
今年9月30日にホームページを作成しました。
題名は「1968年全共闘だった時代」、あの当時を振り返った個人史として作りました。
もの言わぬ私達にあって、敢えてインターネットという場で声を上げてしまいました。
よろしければ暇なときに一度見てください。
アドレスは下記の通りですが、ヤフーかグーグルで「全共闘」と入力し検索いただくと最初のページの5番目くらいに出てきます。
あれから35年経ち、かなりの思い込みで作っています。
未だ黙して語らず、思いは墓場までという仲間にあって、非難轟々の声は覚悟の上です。
感想など聞かせていただくとうれしいです。
来る年がよい年でありますように  2003年12月


■2003.11.24 管理人wrote  掲示板?

最近迷っている。
掲示板を付けようかどうか・・・・・・・。
掲示板はレンタルで簡単に付けられる、費用も月額250円で年2800円の安いものだ。
ヨットハーバーでのディンギーの保管料が年額24000円だから、一月分チョット。

色んな掲示板を見て回ったが、インターネット掲示板というツールで「議論」は成り立っていない。お互いの意見は平行線で交じることなく、言いたいことを言い合っているだけ。
最も議論とは、本来そういうものかも知れないが・・・。
全共闘であった私(達)は余り議論が得意でない、議論よりも「行動」を優先した。
考えてから行動するよりは、考えながら同時に行動していた。
行動の伴わない饒舌な議論は私(達)が最も嫌ったものだ。

仲のよい者同士、信頼しあっている者同士のコミニュケーションツールとしては有効だが、それは趣味や同好会の範疇での事。
色んな人や、私たち以外の世代の方の考え方、仲間の便りも聞いてみたいのだが・・・・、
私の「全共闘」というテーマはかなりヘビーだし、スムースに掲示板が運営できる自信がない。

人は面と向かって話し合う時は、表現は如何様にも出来るし瞬時に修正も利く、しかし文章で一度言ったことは元に戻らないし、修正もままならぬ。
管理者を無視し、延々と続く一方的なやり取りの「掲示板」や、”荒らし”にあっている寒々とした「掲示板」を多く見すぎた。

掲示板の設置についてはまだ決心がつかない。


■2003.11.22 管理人wrote  一号館

1999年以来4年振りに仕事で上京する機会があった。
新しく建て替えられたという一号館を見るために、御茶ノ水へ足を運んだ。
予想を裏切らない変貌ぶりだった。
守衛さんに断り、館内を歩いた。
感想は無かった。
写真を撮ってきたので見てください。

一号館フォト
クリックください


■2003.11.22 管理人wrote  返信

世代違いの日大OBさんへの返信

メール有難うございました。
日大OB(後輩)の方からメールいただいたのは初めてです。
日大闘争は最初経済学部から”勃発”しています、秋田議長も経済学部でした。

私の知人のお子さんで日大理工建築と農獣医(今は学部名が違っていますが)の林業へ行っているお子さんが居ますが、日大闘争なんて全く知らないそうです。
今は経営的にはスリーAが付くほど”安定経営”だそうで、知人に「貴方たちが騒いだお陰で、理事会の経営学が他大学より進歩したのでは」と皮肉を言われています。
私たち全共闘を経験したものは職業の選択ではかなりハンディを負いました。
逮捕暦のある私も以後の就職には苦労しました。
とは言っても今の学生の苦労ほどではありませんが。
入った職場は当時”大学卒”は私一人で、(失礼な言い方ですが)高卒や中卒の同僚と配達を何年もやりました。

理工学部を卒業したのに全く関係の無い職に就かざるを得なく、職業の選択は間違ったかも知れません。
しかし 、負け惜しみではないですが「人生の選択は間違わなかった」と子供たちには言ってきましたし、それが私のささやかな自負です。
妻と共働きで二人の息子を育ててきました。
ページを見て息子がいろいろ話をしてくれます。
「父さんの事が少し解ったような気がする」と言ってくれました。
ページにも書きましたが、このページは二人の息子への父親のメッセージでもあります。

中学生の息子さんがおられるそうですが、これから受験など大変と思います。
私も家族がいたから頑張れました。
ご家族を大切に。

PS. メール文ホームページに掲載させていただきました



■2003.11.21 管理人wrote  my son

先日、久しく下の息子が帰省していた。
私のホームページを時折見てくれているようで、彼の友人達にも教えているらしい。
父さん、最初のほうは内容もかなり抑制が効いていて簡潔だったのに、最近のページはかなり感情移入が激しいね、それはそれでいいんんだけど・・・・」。

新聞学を専攻した息子である、父親のページでも結構冷静に見て評してくれる。
帰り際に息子は
「僕の事は余り書かないでね、間違っても写真なんか載せないでよ!」、
と言って私にしっかり釘を刺して帰りました。



■2003.11.12 管理人wrote

10月12日付けのメールをこのページに掲載させていただいたら、ご本人から改めてメールが届いた。
メールは
「2003 mail 紹介」について:ホームページに載せていただ
きありがとうございました(20代の大学生)
と題されている。
息子以外の若い方とコミュニケーションが出来たことがうれしかった。
私の言ったことがメッセージとして少しでも伝わったと思うと、目が赤くなっていた。
今後もページを作っていく励みがでた。
「オジサン」に勇気を与えてくれた若い方に感謝する。


■2003.11.7 管理人wrote

経闘委の掲示板に、「宣伝」の書き込みをさせていただいた。
掲示板に書き込んですぐ何通かのメールが届いた。

一通は20歳代の若い方だった。
全共闘の事に関心があり知りたいという内容と、声を挙げられない自分たちの世代の自責の念を綴っていた。
必死に私に「回答」を求めているようだった。
ご本人の了解を得ていないが、プライバシーに触れる内容が記述されていないので此処に全文を紹介させていただく。

だた思いだけを綴った私には、彼の問いかけに対して返事はしたものの、十分な「回答」を出せていません。
丁度私の二人の息子位の世代です。

私(達?)は社会に対して、反戦とか平和とかいう問題意識があって全共闘に参加したわけではありません。
団塊世代は幼稚園から始まる競争に追い立てられていました。
同世代で200万人を超す人口を擁し、ただただ同世代との競争を煽られました。
そういう意味では「社会全般」に対する根っからの反抗意識は持っていましたが。

気が付いたらヘルメットを被り、バリケードに寝泊りしていたのです。
当時の事を思い出してみても、何故なのか自分でも良くわかりません。
あえて言えば「道理」と「義」です。
反戦とか変革とか語れるものがあればもう少しかっこ良いのですが。
共産党に言わせれば「極めて幼稚で、反動勢力に利用され易いプチブル集団」と言うことでしょうか。

右翼に襲われ、機動隊に叩かれ「反権力」感情を持つようになりました。
仲間と語らうなかで、安保とかベトナム反戦とかにも意識を持つようになりました。
熊本から上京し活動していた熊本大学生と友人になることで「水俣病」のことも知りました。
色んな集会に参加することで「部落差別」の問題も知りました。
バリケードは、全共闘は私にとって「生きた大学」であり、その後の人生を決めています。

この「個」からの出発が私(達?)の原点です。
私たちの仲間は多様です。
保守系で活躍するもののいれば、民主党やその他の革新政党で活躍している方もいます。
地域の運動や、NPOなどの団体で活動している方も多くいます。

出きればメールにて、この若い方への投稿をいただければ幸いです。

 

トップページに戻る 2003年12月管理人日記へ