■2003.12.29 管理人wrote 北大全共闘
友人と一年ぶりの再会をした。
家族一緒でお正月休暇に実家に帰省している高校時代の親友で、お正月に毎年再会し旧交を暖めている。
彼は一浪して1968年4月に北海道大学に進学している。
68年の夏、バリケードから帰省していた私は、高校時代の友人達にバリケード事や全共闘の事を熱く語った。
彼は当事、北大に入学したばかりの一年生だが、彼だけが心情的に好意をもって聞いてくれた。
それから直ぐ東京へ戻った後、9月に私は逮捕暦がつく身となった。
その年の年末、再び会った彼は北大の学園闘争のことを私に語ってくれた。
北海道大学では北大全共闘により、1969年夏から約4ケ月間バリケードストライキがされている。
丁度日大より一年遅れだ。
彼も北大全共闘に身を投じていた。
1970年の夏だったと思う、彼が北大の友人を連れて私の所へ訪ねてきた。
彼の友人は北大の医学部の学生だが、1969年の秋より半年ぐらい行方不明になっていたそうだ。
彼の友人の居所が風の頼りに入ってきて、皆驚いたという。
彼の友人は東京拘置所に居た。
1969年、大菩薩峠で逮捕された赤軍派メンバー53名の一人だったのだ。
永い拘置所生活から出てきており、心身を休めるため友人達が何かとケアしているとの事だった。
直ぐに意気投合し、三人でスナックで夜更けまで話した。
今は札幌で精神科医をしているそうだ。
私はこの友人の友が、大菩薩峠で逮捕されていて本当に良かったと思っている。
その後の赤軍の歩みは皆知るところだ。
※1969年11月5日、共産同赤軍派が大菩薩峠で、首相官邸占拠を計画して、鉄パイプ爆弾などの武闘・軍事訓練をおこなおうとしたが、警察がこれを逸早く察知。山梨県大菩薩峠にある「福ちゃん荘」に泊まっていた五十三人(事後逮捕を含む)の学生・労働者全員が凶器準備集合罪の現行犯で逮捕された。逮捕者の中には、塩見孝也議長など幹部が含まれており、これにより共産同赤軍派は結成当初に壊滅的な打撃を受けた。
■2003.12.27 管理人wrote 自衛隊はイランへ
今年はめずらしく早くから年賀状に取り掛かった。
ホームページを立ち上げて、なつかしい方々から便りを頂いている。
その方々にもお礼の気持ちこめて書いた。
昼過ぎ、電話があった、02で始まる電話番号で、誰かな?・・と受話器を取ると懐かしい仲間からだった。
しばらく近況を話した。
昔の写真を持っていないかと聞くと、いろいろ持っていたが何処に行ったか分からなくなったとの事、残念。
ベトコン(ベトナム解放戦線)の写真ならある、との事だが・・・。
関西に住む仲間がリストラされたとの近況も聞いた。
厳しい現実にあっている仲間もいる。
イランの大地震で何万人もの死者が出たとの報道。
妻に「自衛隊は行き先を変えてイランへ行けばいいのだ!!、そこなら銃弾も飛んでこないし銃器を持っていく必要も無い、きっと歓迎される」と思い付きを言った。
安直な発想とそしりを受けるかも知れないが。
■2003.12.9 管理人wrote 委員長のメッセージへの返信
おはようございます。
メッセージ読ませていただきました。
委員長(すみません、敢てこう呼ばせてください)の思いがひしひしと伝わってきました。
同時に送られた先をみて、ああ委員長は今の「全人間関係?」に対しメッセージを発しているのかと推測しました。
私もホームページで思いを語っていますが飽くまで匿名です。
現実の人間関係に対し実名でメッセージする勇気が少し足りません。
委員長の業界は建設?業界ではないですか、結構保守的だと思うのですが。
大丈夫かと心配しています。
事後報告になりましたが、勝手に委員長のメッセージをホームページに掲載しました。
一人でも多くの仲間に知って欲しかったし、
私も委員長と同じ思いだからです、お許しください。
私も何が出来るか考えています。
かつては、考える前に行動したのですが。
■2003.12.8 管理人wrote 反省
地元の自治体のホームページを見ていたら掲示板のページ設定が壊れていた、使っているフォントも若者向けで少し小さい。
掲示板に「壊れていますよ!」と、「年寄りには字が少し小さくて読みづらいですね」という投稿をした。
しばらく様子を見ていたが一向にページは修復されないし、投稿も掲示されない。
ああ、このページは放置状態だなと思い、首長への意見フォームにその旨と若干の意見を書き投稿した。
これも待てど暮らせど返事も反応も無い。
改めて三度目の投稿をしたが今もって反応は無い。
多分相当の費用をかけて作っているはずなのに、委託会社に任せ切りで自分が担当だと自覚している職員もいないのだろう。
電子自治体とかIT推進と言っている割にはお粗末限りない。
ここまで放置で無視されると俄然「闘争モード」にスイッチが入った。
自治体の総務課メールへ期限を切って質問状を送った。
公金を使い設置しているホームページを放置状態にしているのは、公務のサボタージュで税金の無駄遣いだ。
にわかオンブズマンだ。
私も2〜3年前まではメールもホームページもチンプンカンプンのオジサンだったはず。
これが、自分が使えるようになると他も当然と言う「傲慢さ」が生じてきている。
メールや投稿は「車の運転」と同じ。
ハンドルを握ると性格が変わる・・・。
自分のペースが絶対で、相手を待てなくなる。
今日出したメールは今日のうちに返事が来ないとイライラしてくる。
待てて翌日までだ。
辛抱が短くなった自分を反省している。
■2003.12.7 管理人wrote 掲示板
昨日、クリスマスローズの古葉を取り除いた。
この花は冬が生育期、鉢姿は少し寂しくなったが直くに新芽が伸び青々とした姿になる。
花芽は昨年より多く付いている、クリスマスの頃から咲き始める。
今年はこの花をプレゼントしたい知人が何人かいる。
昨年は自分が楽しむ範囲の5〜6鉢しか花を付けなかったが、今年は大半の鉢や庭植えに花が咲くはず、可憐に咲いているクリスマスローズを届けることを今から楽しみしている。
昼過ぎ、経闘委さんの掲示板を訪ねた。
キツイ書き込みを見つけた。
『全共闘って結局単なる流行じゃないですか。
ディスコブームやコギャルブームそんなのといっしょで群れたいって気持ちだけ。
社会や政治やそんなものは単なる言い訳でしょ。それが証拠になんの総括もないまま
結局体制内でぬくぬくと生きているじゃない。
若い世代から見るととてつもなく不快です。
日本をだめにしたのは全共闘世代だと確信しています。』 経闘委・掲示板より転載
歳を忘れてムカッときた。
気持ちを静めないまま私も反論を書き込んでしまった。
「人や時代、世代について何の具体的な情報も待たず、ただイメージだけで「確信」してるんじゃないですか、”けんすけ”さん。
ものを否定的に決め付けるのは貴方の勝手だが、決め付けられたほうはたまったものじゃない。
貴方はどう生きているのですか?、多分「どう生きようと、俺の勝手だ!」と言うと思うが。
なら、勝手に根拠無く決め付けはしないで下さい。
それと、全共闘の世代はいわゆる団塊の世代で、一学年200万人、当時の大学進学率は約15%、全共闘と言われる者はその中のほんの数%。
大半の学生は我知らずの傍観者。
日本の指導的立場に居る政官、経済人は全共闘なんかに関わらず卒業していた奴らだ。
貴方は攻撃する相手を間違っていますよ。
日大全共闘は「道理」と「義」を正した運動、多分運動についてろくに知識も無いのにセクトの政治闘争と一緒にしないでください。
体制内で生きてどこが不都合なのですか。
何を根拠に「ぬくぬく」なのですか。
人や世代を不快に思う前に、自分の生甲斐や価値観、アイデンティを真摯に考えたらいいと思いますが。」
経闘委・掲示板への書き込み転載 12/6
その後少しして仲間が冷静な返答の書き込みをしていた。
相変わらず「反応が早いが単純」な自分が恥ずかしかった。
■2003.12.5 管理人wrote 巡礼
昨晩もう一通メールが入ってきた。
館林市に住む同学科の仲間のD君からだ。
リストラにあって最近また働き出したらしく「疲れた!」と弱音が書かれていた。
60歳になったらきっぱり仕事を止め、四国の八十八箇所の巡礼に出たいと記されていた。
四国の青い空の下、黙々と歩くD君の姿が目に浮かんできた。
巡礼するなら早春がいい。
柔らかい陽光のした、そよ風になびく菜の花の街道を、薄っすらにじむ汗を拭きながら黙々と歩く。
D君は何を思って巡礼するのだろう。
首都圏の仲間は時折集まっているようで、それぞれの近況が書かれていた。
その中にF君のことも書かれていた。
F君は当時カメラを何時も携えており、当時の写真を多く持っているはずで私が連絡を取りたいと願っていた仲間だ。
もっと詳しい情報を寄せてくれるように即メールを出した。
私は地方に一人で、近くに仲間は居ない。
自分で選んだ環境なので泣き言は言わないが、一人ポツンと暮らしてきた。
語りたくても相手が居なかった。
永く沈黙してきたので「思い」が塩漬けにされたのだろうと思っている。
そのかわり進歩も無いが。
■2003.12.4 管理人wrote 委員長からメールが届いた!
今月2日(火)、意を決してハガキを投函した。
私のホームページを仲間に知らせる便りだ。
今日4日(木)昼休みにメールを開封すると、午前10時55分と、11時55分に二通受信していた。
同じ科のT君と、理闘委の委員長だったS先輩からだった。
T君くんは変わらず元気そうだった。
委員長は「急ぎの用事を抱えていることを忘れて読んだ」と書いてくれていた。
後で時間をかけてゆっくり読む、とも書いてくれていた。
委員長にそう言って貰って心底ホッとした。
皆に何と言われるか気になってこの2日、気もそぞろだった。
これから先、仲間にこき下ろされても「委員長はああ言ってくれたから」と慰めが出来た。
今後の便りが余裕を持って待てるようになった。
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