管理人日記 2004年1月
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■2004.1.31 morning 管理人wrote  無題

かねてからスキャナーで取り貯めていた「叛逆のバリケード」掲載写真のページをとりあえず1ページだけやっとアップロードした。
正月休暇に掛かった作業が一部だけ日の目をみた。

実は年が明けてから仕事が急に忙しくなっている。
この歳での連夜の残業は堪える。
別にリストラ対象ではないのでその点は心配ないが・・・。
ホームページ作成のプライベートタイムがなかなか確保できない。

こころ温まるメールも幾つか頂いているがまだ返事が出来ていない。
非礼とは思いつつあがいている。
ホームページ立ち上げ時よりペースダウンしているが、
朝夕の掲示板とこの日記は怠らず続けて生きたいし、
新しいページのアップも、初老の体に鞭打って頑張るつもり。

明日ははや2月だ。



■2004.1.30 morning 管理人wrote

>管理人さん、あんまり熱くなりなさんな。
>最近の書き込みを見ていると、『ヘルメットを被ってる状態』のようです。
>社会情勢から見ても,我々が生きている内に、再び活躍せねばならない時が来るでしょう。


ホームページ作っていて、いろんな方から便りが届く、
一昨日も、仲間の水闘委行動隊さんから「戒め」の便りが届いた。
私がここで「名うての跳ね上がり」と評した”同志”だ。

>今度は、鉄兜かぶって。そん時、命散らそうよ。
>ちょっと跳ねたかな。

異議なし!
”同志”!、その時きゃ共に命賭けようよ。




■2004.1.27 morning 管理人wrote  一方通行

ここんとこ幾つか課題のある直メールが入っている。
いずれも今の時代に危機感を持ったものだ。
インターネットメディアを形成し、双方向Webツールを使い反戦の声を挙げ、ネットワワークを構築しよう、それには全共闘残党にも呼びかけようというのがその一つです。

私は時代の語り部として語り継いでいくことに使命感を感じるようになり、ホームページ作りを続けています。
これでも相当の気力を振り絞ってやっています。
また全共闘残党とはその主旨でコミュニケーションしています。

今の基本スタンスは、今後当分変更予定は無い事を返事しました。
1月21日の管理人日記にも書いていますが(読んでください)、
総括だ!、今をどうする、立ち上がれ!という行程には至っていません。

私は一方通行の語り継ぐ、がコンセプトです。
全共闘というテーマでは、私の体力・気力は一方通行が限界です。
ホームページでも何一つ総括していません。
総括をすることができません。
語り継ぐという事で、もう少し日和見主義の一方通行を続けさせてください。

多くではないですが、世代違いのかたから直メールが時折入ります。
これからも、語り続けてください・・・との内容が多いです。
気合の入った若い世代からみれば、生ぬるい感覚と思われるかもしれませんが。
これは私のライフワークにもなろうかとしています。

私は自分のホームページを立ち上げにかかって、基本が出来るまで約1年以上掛かりました。
掲示板の設置には悩んで悩んで3ケ月(12月9日開設)掛かりました。
でもそれ以上に、今のコンテンツを形成するには35年掛かっています。
人それぞれには物に対して必要な時間が有ります。

双方向のWebツール「blog」は確かに優れたインターネットツールです。
ほのぼの系でのこの「blog」はもう少しすればやってみようと思っています。
このページのような内容での双方向は自覚が出来てから、遅くとも良いです、それからです。
当分今のスタイルを続けさせてください。

■2004.1.27 morningU 管理人wrote  夢

秋田さんには1999年の理闘委同窓会で逢った。
30年ぶりだった。
短く刈り込んだ白髪交じりの頭。
柔和になった表情。

山本義隆さんの近影が新聞に載っていた。
白髪で白いひげをたくわえていた。
ラフないでたちだが、言いようの無い風格が感じられた。

この30数年、二人とも時代への発言を一切拒んできたと言われている。
何かの会で今井澄参議(東大全共闘、安田講堂防衛隊長で逮捕2002.9.1逝去)が、「山本に出てこいと言っているんだが、彼は頑として首を縦に振らない」と嘆いていた事を聴いている。
秋田さんもしかりだ。

私の死ぬまでの願いは、二人が時代に再登場する事だ。
小泉なんてくそくらえだ。
菅直人なんてめじゃない。
オジサン、その時きゃ命賭けていい。



■2004.1.26 morning 管理人wrote  Sくん

昨日仲間から電話があった。
このホームページで紹介しているSくんだ。
Sくんには早々とHPの事を便りしていた、なのに音沙汰が無い・・・。
結構な数の従業員を抱える経営者だ。
不安がよぎっていた、会社に何かあったのだろうか。
改めての便りをしかねていた矢先だ。

「お〜い見たぞ、Sとは俺の事だな!」
相変わらず地方なまりの張りのある声だ。
便りがないぞ、心配してたんだ、どうしたんだと切り替えしてやった。
「息子が嫁さんもらってな!、17日に結婚式がやっと済んだんだ。」
慶事ですったもんだしてたようだ。

Sは仕事で頻繁に東京へ行ってるようだ。
1999年に同窓会をしているので次は2009年の予定のはず、40周年だ。
元理闘委・委員長のメールは「次の同窓会で、生きてたらまた会いましょう」と括られていた。
「おい!、次の同窓会まで俺たち生きてるかな?」と言ってやった。
Sは笑って「お前なら大丈夫だ」と切り替えしてきた、どういう意味だ。
皆もういい歳だ、幹事の方、同窓会は5年に一度のスパンに替えて下さい。
生きてるうちに仲間の顔がもう一度みたい。



■2004.1.25 morning 管理人wrote  春一番

ちょっと全共闘話題から外れて

昨晩はヨットクラブの新年会に出ていた。
仲間と会うのはほぼ1年ぶりだ、盛り上がった。
昨今の市町村合併で、私が籍を置く公営のマリーナも揺れ動いている。
海に活動拠点を置くマリン系クラブが、合併する規模の大きい自治体で自己主張できるのか。
規模が大きくて、活動実態のある陸上系スポーツクラブに吸い込まれそうになっている。
仲良くやれば良いのではと言われるかもしれないが「海の男」は少し頑固者の集団、他と交わらない。
クラブの中に知恵者がいて、マリーナ施設の管理・運営を受託するNPO法人を設立する準備を進めている。
皆、異論なく賛同し当面の会費もその場で集まった。

私の長男はこのクラブのオジサン達にかわいがられている。
中学生の頃から海に連れて出た。
他の仲間もそれぞれ息子・娘を連れてきたが、親のやる趣味の強制、殆ど残らなかった。
そんな中で私の息子だけは何故か嫌がらず残った。
中学生のヨット教室のボランティアで来ていた高校生の息子に酒を勧めたのは、グラブを置く自治体の教育長さんだ。
お陰で今は大酒飲みになっている。
そんな大らかさが残る田舎だ。

長男は今28歳になるが、クラブの会合では最年少で酒を注いで回る。
若いクラブ員は、弟のようにかわいがってくれる、少々乱暴にだが。
学校ではなく社会の中で「体育会系クラブ」を経験した息子だ。
昨晩の会合はスキーへ出かけ抜けた・・・、父さん”後の仕打ち”は知らないからな。

もうすぐ春一番が吹く季節になる。



■2004.1.24 管理人wrote  白衣の天使たち・・

今未明、掲示板への水闘委さんの書き込み
971年3月、『白衣の天使拒否宣言』なるビラを最後に、音信不通となる。彼女とその同級生達は、全共闘を名のることは無かったが、民主化闘争を立派に闘った。
日大高等看護学院に関わる、微かな記憶よりーーーーーーーー

言葉にならなかった、知らなかった・・・・。
私達の傍らで名も知れず、闘った白衣の天使たち・・・・。
私の知らなかった永い永い闘争前史。
私の知らなかった共に闘ったであろう仲間たち。

機動隊のライトに浮かび上がった闘士だけではない。
マスコミにも、報道にも取り上げられなかった闘士たち・・・。
ここで改めて言う
水闘委さん、貴重な話ありがとう。
貴方のキャラクターの一面を知る事も出来ました。



■2004.1.24 管理人wrote  35年目の訂正

昨日も仲間と電話で話が出来た。
68年当事面識は無かった。
無名の私と違い、彼は当事知る人とぞ知る、名の知れた経闘委の闘士だった方だ。
でもやっぱり、時間・場所・風景が会う。

先日、水闘委さんから彼の情報を得ていた。
叛バリ(叛逆のバリケード:68.10.20発行)に載っている古田の写真を掲げ、デモ最前列で写っているのが彼らしい。
写真の説明文は
「古田会頭の写真に喪章をつけてデモ行進する芸術学部の学友」と書かれている。

   

彼は笑って言った。
「あの写真は芸闘委に紆余曲折あってもって行かれたんだよ、それを文闘委が間違って載せたんだ。」

これは公式な訂正が必要だ。
35年経った今、ここで公式に訂正する。
古田会頭の写真に喪章をつけてデモ行進する経済学部の学友


■2004.1.23 管理人wrote  

1月15日の日記で紹介した「東京***記」のyamamoto(メールアカウント)さんからメールを頂いた。
読後の感想をメールしたのが12日の成人の日。
10日ぐらい立っている。

ナイーブでペーソスがあって、都会的なセンスの溢れるHP。
それに比べ田舎者の私のHPは、いかにも粗野でハードコア。
余計なメールをしたのでは。
返事は来ないだろうな、と思っていた。

メールには、
「もしかすると私は、**様のような方に読んでもらいたくて、 そして、このようなメールをいただきたくて、あのHPを作ったのかも 知れません。果てしない海に瓶詰めの手紙を投げかけるように。」 と記されいた。
私にはもったいない・・・言葉だった。

最後に「森田童子はお好きですか」と問いかけがあった。
ウ〜ん、「好きです」という言葉はふさわしくないですね。
聴きます、のめり込みます、「覚醒剤」です。
30数年前がスライドのように頭の中を駆け巡ります。
副作用も強く、回復には時間が掛かります。




■2004.1.22 管理人wrote  電話

水闘委行動隊さんと話をした。
昔話に花が咲いた。
場所、時間、風景、ほとんど一致する。

理工学部奪還闘争。
正面のブロンズのドアをぶち抜いて中に突入した。
ぶち抜いたのは私です、と彼は言った。
私もそこに居た。
私はぶち抜かれたドアから駆け込み、正面の光るものを闇雲に叩いた。
バラバラとガラスが落ちてきた。

皆が口を揃えて「貴方は名うてに跳ね上がり」だと言ってるよ、と言ってやった。
かれは否定も肯定もしなかった。
彼は私の声がホームページのイメージとは違う、と言った。
もっと神経質そうな奴だと思っていたらしい。

ちらっと、私の掲示板で余り「跳ね上がらないように」とやんわりお願いをした。
けど話題はすぐに昔話になる。
それが延々と1時間位続いた。
「理工OBさん電話代大丈夫?」、と彼が心配し始めてくれた。
また今度話しましょう、上京したらお会いしたいですねと告げて電話を切った。
お願いは通じたのだろうか・・・。



■2004.1.22 管理人wrote  渡世の義理

ヤイ、東大のバカ野郎

バリケード組んでやった恩義を忘れたか
11・22、万難を排し安田講堂にはせ参じたろう
明日の闘争に戦力を温存すると撤収し
替わりに篭城し見事飛び散った仲間たちへの恩義、忘れたか

日大生は間違わなければ精々中間管理職か
中小企業の大将
あんたたちは違う
俺たちゃ、あんたらの明日に賭けて飛び散った

秋田さんはいい、黙っていても
それだけの事はした、結果も受け止めた
でも、東大のバカ野郎
あんたたちはには
まだ、借りは返してもらっていない




■2004.1.21 管理人wrote  無題

経闘委HPの管理者からメールを頂いた。
サーバーがそろそろ満杯になるとここに書いたら、心配してメールを下さった。
そんな心遣いがありがたい。
私は全共闘の仲間とは遠く離れ、田舎で一人ポツンと暮らしてきた。
ホームページを上げてから、時折仲間からメールが入ってくる。
田舎者にはこれが何ともうれしい。

水産委行動隊さんからも時折直メールが入る。
いつも文面はぶっきらぼうだが、何故か暖かみがある。
経闘委HPの管理者さんが、「彼は昔から皆が認める名うての跳ね上がりだった」と評していた。
農闘委と芸闘委の過激さは日大全共闘の誰もが認めるところだ。
今も評価に負けない咆哮ぶりだ。
でも計算上はもう50歳も半ばのはずなのだが。

掲示板が俄然賑わってきた。
HP開設時にも書いたが、私は議論が余り得意でない。
語り部として日大全共闘を語ることを目的に開設したのだが。
総括が必要だ・・・!。
今をどうするか!  さあ、立ち上がろう・・・!。
厳しい。

私は書物は読まない、と言うより全く読まない。
議論をするための状況認識、ツールとしての理論を持ち合わせていないのだ。
直情・行動型の典型だ。
見事に書棚には書物があふれているが、これは全て妻のものだ。
妻は感心するほど読書する。
難解な哲学書も数多い。
息子の理屈の多さは妻のDNAだ。



■2004.1.19 管理人wrote  写真集

ぼつぼつサーバーが満杯になりそうな気配。
ブロバイダーのホームページを書き込むサーバーの無料サービス領域は10MB、現在9MBオーバーになっている。
あと少し、大きな画像をアップするとオーバーフローだ。
先般、写真集をアップした負荷が大きいようだ。

昨日もトップの手直しをした後、文闘委が出版した「叛逆のバリケード」に載っている写真をスキャナーでせっせと取り込んでいた。
今までに写真集「日大闘争」「解放区’68」の二つと、報道写真をアップした。
写真集は無断借用だが、日大全共闘発行のものはよもや外せとは言ってこないと思っている。
しかし、報道写真はいつ抗議が来るかもしれないし、その時は「御免なさい」で外すつもり、メルアドも公開しているので。
そのためできれば、全共闘が発行した写真集や挿絵に使った写真は出来るだけ多くアップしたいと思っている。

「叛逆のバリケード写真」をアップする際、もう10MBの増量(月額250円)を申し込む予定。
ホームページ仲間の「遅れてきた全共闘」さんがニフティーのホームページサービスで「ココログ」というサービスをさかんに薦めてくれる。
「遅れてきた全共闘」さんは既に実験サイトを構築しリンクも張ってくれている。
双方向コミュニティーを意識した、新しい形式のホームページだそうだ。
以前リナックスのホームページソフトXOOPS(イクスウープス)の講習を受けた事があるがそれに良く似ている。
プロが構築したコンテンツ毎の定型フォーマットの制約がある以外は、良く出来たHP形式だと思う。
コミュニケーションツールとしてのHPの進化は目覚しい。
やっとHTMLのHPを覚えたのに。
当分はこの形式を継続するつもり。



■2004.1.18 管理人wrote  無題

増殖しゴチャゴチャになったトップページを少し整理した。
コンテンツ毎にページを作り、トップから下ろした。
少しみやすくなったかも(自己満足?)

作業はあがた森魚の「乙女の浪漫」を聴きながら。
「東京***記」というホームページを先週見てから、この手の曲を何故か聴いてしまう。

ないて生きよか
笑って生こか
死んでしまえば
それまでよ
生きてるうちが
花なのね 

(大道芸人)
あがた森魚は赤色エレジーが有名だが私はこの曲、この詩が好きだ。

二日前に掲示板につらい書き込みがあった。
気の弱い?私は、掲示板を一時閉鎖しようかとも悩んだ。
昨日、同じ日大全共闘だった仲間がフォローの書き込みをしてくれた。
ほんと・・、うれしかった。

今日、本人から侘びの直メールが入ってきた。
身近で話せば何でもない無い事が、言葉の行き違いでトラブル。
私も含め直情・行動型の日大全共闘は、爆発的なパワーを持つ反面特にこの点が危ない。
原始的な直接民主主義を体験した私達は、その良さと危なさの両面を知ってるはずなのに。



■2004.1.16 管理人wrote  森田童子U

家族が居る時には森田童子の歌は聴かない。
休日の午後、誰もいない時そっと聴く。
聴いていると自然に眼を閉じている。
ワルツのリズムにメランコリックなバイオリンの旋律がのる。
いつの間にか拳を握り締め、歯を喰いしばっている。

赤坂見附、機動隊に殴られながらも延々と続くデモ隊列、
バリケードで知り合った仲間達、
見張り番の夜の焚き火の赤い炎が浮かんでくる。

父よ、母よ、
あなたのいい子でいられなかった僕を
許してください
ぼくは一人でいきてゆきます

(チィチィよハァハァよ)

留置場を出た日、迎えに来た父の悲しげな顔、
涙を浮かべて迎えた母の顔が浮かぶ。
かみ締めた口を緩めるためコーヒーをすする。
思いはスライドのように変わって行く。

ガリ板刷りのアジビラが風に舞う
赤ヘルメットのお前が
ぼくを見つけて手を振った

(球根栽培の唄)

防衛庁に突っ込んで行った同志社の学生、
赤軍から生還した北大生、
いつも何かに悩んでいるような眼をしたバイト仲間のトン女の全共闘、
水俣から上京してきた熊大生、
デモで親しくなった青ヘルの青学の仲間、
安田講堂のてっぺんで微笑んだ東大の女学生。

あの時代は何だったのですか
あのときは何だったのですか
みんな夢でありました
みんな夢でありました
悲しいほどに
ありのままの君とぼくが
ここにいる

(みんな夢でありました)


■2004.1.15 管理人wrote  森田童子

仲間がパクられら日曜の朝
雨の中をゆがんで走る
やさしい君は それから
変わってしまったネ
さよなら ぼくの ともだち

バックミラーを見ると眼を真っ赤に腫らした顔が映っていた。
朝仕事に向かう車の中で久しぶりに森田童子の歌を聴いた。

この前の休日、グーグルで日大全共闘という検索用語でページにどんどん入っていた。
かなり入っていったところで「東京***記」というホームページを開いた。
JOURNALという日々の思いを綴る2003.5.11に、

「NHKアーカイブスのボブ・デイランの番組を観る。
若き村上龍氏が様々なアーテイストにデイランについてインタビューをしている。
途中からだったので、中山ラビさんの部分は観ることができなかった。
最後に日大全共闘のリーダー、秋田明大氏にもインタビューしている。
村上龍さんは、秋田氏にだけは質問をせず、ただ彼の秋田明大さんへの想いを一言告げにきたのだと言った。
佐世保で闘っていたころの僕にとって、日大闘争を闘ったあなたは英雄でした、と。
秋田明大氏の最後の長い沈黙には、はかりしれない重みがあった。」


と記されていた。
同世代かと思って読み進んでいくと、どうも一回り若い方らしい。
それにしても感性が私たちの世代に近く感じられ”親近感”を持った。

作者は森田童子についてもかなりの思いをそこここに記していた。
私も森田童子の「マザースカイ」というレコードを発売直後に買っていた、昭和50年頃だったと思う。
最近は復刻版のCDを2枚購入した。

熱心なファンにしかられるかもしれないが、彼女の歌っている世界は私の実体験をデフォルメしたものとダブるのだ。
前述の歌を聴くと思いを寄せていた彼女がパクられた記憶がダブってくる。

親近感を感じ、読後の感想などをメールした。
一回り若い世代には森田童子の世界は「夢想」の世界かもしれない。
そんな世代に、私の実体験だと言って割ってはいるとどうなるのか。
余計なメールをしたかも知れないと反省している。


■2004.1.14 管理人wrote  無題

私の掲示板に「日本を大切に思う道民の会」という団体が”イラク派遣自衛隊を励ます道民の集い ”の案内の書き込みがあった。

『今回の自衛隊イラク派遣について思う会としては、米国が勝手に起こした戦争にわざわざ行くのも疑問ですが、自衛隊さんについては、何の罪もないことで、逆に言えば国軍としての誇りを我々有権者がシビリアンコントロールだからこそ、きちんと法整備をするべきであったのです。それにもかかわらず行かれるわけですので私たちはせめてこのくらいについてはするべきと思います』


国語としての文章の論旨も乱れているが、”派遣については疑問がある”、”派遣についての法整備が出来ていない”、という事を認めている。
それでも「命を掛けて出かけていく自衛隊」の皆さんを激励し送り出そうと言っている。
何のために行くのか、この団体も説明できていない・・・、道理もむちゃくちゃである。

昔、出征する兵隊さんは「お国のため、家族を守るため」と念じて戦へ出て行った。
見送る人もそう信じて小旗を振って見送った。
でも、家族もお国も、自分も守れなかった。
守られたのは社会の頂上にいる一部「特権階級」も方達だけだったと私は思っている。

イラクに行った自衛隊員が何者かに襲われ反撃したとする。
正当防衛が成り立たない限り、相手にダメージを与えると傷害罪、強いては殺人罪に問われると聞いた。
間違って民間人を殺めたとすると業務上過失致死罪に問われるのか、それとも殺人罪なのか。
自衛隊は平和活動でイラクへ行くという、戦争にしに行くのではないらしい。
平和活動する自衛隊の方々を日本という国は守ってやれない。
行くな!

激励の会を主催するのは「日本会議北海道支部」という団体という事だ。
我が同胞の自衛隊の皆さんを、どの面下げて激励するのか。
激励は「死にに行け」と同じではないのか。
私は日本のためにも、イラクのためにも、自衛隊の人たちの為にも「行くな」「死ぬな」「殺すな」としかいえません。


■2004.1.12 管理人wrote  成人式

荒れる成人式のニュースが流れている。
演壇に駆け上がり式辞のマイクを取り上げる。
ニュースの音声で「オラオラ!、職寄こせ」という酒に酔った罵声が聞き取れた。

片方、テーマパークで行う成人式。
ミッキーマウスに無邪気に手を振っている新成人。
こちらはそこそこ平穏に終えれたと言う。

私は当時自分の成人式には、壇上に勝手に上がりアジテーションを打とう真剣に考えていたし、実行するつもりだった。
とにかく大人の仕切るセレモニーは混ぜ返したかった。
日大闘争とは別のステージで、社会に対し反戦平和について訴え「異議申し立て」をする決意だった。
1969年の正月は、越年宣言をした仲間をバリケードにおいて実家に帰省していた。
成人式は1月15日、刻々と迫る式にアジテーションの原稿を考え準備していた。
アジ演説しても別にパクられる訳ではない、引き摺り下ろされればそれでも良いと思っていた。
私は気合が入っていた。

1月10日頃だったと思う、バリケードの仲間から上京指令が届いた。
封鎖解除があるかもしれないから早く戻って来い、と言われた記憶がある。
私のアジ演説計画は結局未遂に終わってしまった。

街角で手をつなぎ「イラク自衛隊派兵反対」を訴える若者がいる。
それは良いとして、どうして・・、成人式で壇上に上がり「派兵反対!」の声を張り上げる若者がいないのか。
酒を飲み、訳の分からない狼藉を働く若者ばかりなのか。
物分りの良い若者ばかりなのか。
他者の痛みを分かろうとする、怒れる若者は何処へ行ったのだ。


■2004.1.12 管理人wrote  旧友

高校時代の旧友からメールが届いた。
彼には年賀状でこのホームページを見てくれるように便りをしていた。
彼は都内の国立大を出てゼネコンに就いている。
私の様に直感と感性だけで走り出す輩とちがい、冷静でどこかクールな感性を持っていた”同級生”だった。
東京とローカルと遠く離れてしまい30数年音信が絶えていたが、ふとした事で2・3年前から年賀状を交わしていた。

便りには勤めているゼネコンについて、
「我社も、昨年金融支援をうけて永らえていますが、本当の反省(難しいけれど)はナイ、これで良いのか。」
と書かれていた。
また今の少し狂った日本はまともに戻らないような気がすると言い、
「こういう時期に、君が書いてくれたのは矢張り繋がっているなと、嬉しく思いました。我が家でも、会社でも若者たちに歴史を語り継ぐことが、今非常に大切と思って逆に3サルの絵を年賀状に選びました。嫌われてもドンドン発言しましょう。」
と書かれていた。

彼はいわゆる優等生タイプで、学業でも考え方でも常に私より一枚も二枚も上手であり、どんなに頑張っても勝てない相手だったと思っている。
仲間内では同級生というより上級生の様な存在で、私はある面尊敬の感情を持っていた。
そんな旧友が30数年を経過し「矢張り繋がっているな」と便りしてくれた事はうれしかった。
私達は数年も経てば、学歴も職歴も殆ど関係ないシルバー世代に突入する。

身包み剥がれ、裸になった団塊の世代はどう行動するのだろう。


■2004.1.4 管理人wrote  反グローバル

今日4日の朝日新聞に気になる記事が載っていた。
フランスの’02の大統領選でトロツキスト政党の革命的共産主義者同盟(LCR)の29才の候補が共産党候補を上回る121万票、約4.3%を獲得したという。
勢いはその後も衰えなく、共闘するもう一つのトロツキスト政党「労働者の闘い」と合計すると支持率は1割前後に達する。
また世論調査会社CSAの調査では、国民の23%が彼らの主張に賛同すると回答している。
LCRは「左派はもはや消滅した。民営化を防ぎ、公共サービスを守るのは私達しかいない」といい、彼らのスローガンには「闘争」とか「団結」とか左派特有のものはどこにも無い。
また、このトロツキスト政党へのイメージは「改革者」が「革命家」を上回り、支持の理由は「階級闘争」が35%であるのに対し、46%が「反グローバル化活動」と答えたそうだ。

記事にはまだ色々書かれていたが、私は上記の内容に「う〜ん・・」と考え込んでしまった。
主張に国民の23%が賛同するトロツキスト政党、革命ではなく改革、階級闘争ではなく反グローバル化運動・・・。
フランスは常に世界の先頭を走ってきた。
歴史を振り返ればパリコンミューンに始まる急進的な流れ、1968年の学生による5月革命は世界的なスチューデントパワーの先導となりその後の世界的な学生蜂起につながっている。

今、国家と宗教の枠を超えて拡がっている動きは、世界単一市場化を推し進め、極少数の勝者と大多数の敗者に分けるクローバリズムに抗する戦いとも言われている。


 

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