管理人日記 2004年5月  
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■2004.5.29  morning  管理人 wrote

少しマニアックな内容。
サイト(ホームページ)のバックアップも考えて、私はこのサイトを3台のパソコンに設定している。
主に使うのはWin2000(NT)のOSのノートパソコン。
家族用のたまに使う古いデスクトップはWin98。
もう1台は仕事にも使っている私用(所有)のWin−XP機。

このWin−XP機のFTPソフト(ホームページを作成管理するソフト)がある日立ち上がらなくなった。
何度起動しても強制終了してしまう。
参ったなあ・・・・、と途方にくれた。
Win2000機でやると何とか起動する。

色々調べていると、トップページの容量が170KBになっている。
HTMLのページはA4程度の大きさだと普通は20KB程以下でこんなには大きくならない。
タグ(ページを作成するHTML言語)を見てみると、タグとタグの間に膨大なスペース(空白)が出来ている。
簡単に言うと一行のHTML言語の命令文と命令文の間にA4で4〜5ページ位のスペースが入っており、HTMLページが膨大なスペースで埋まっている。

このスペースを削除するのに2〜3日費やした。
数日後、タグを見るとまたスペースが注入されている。
どうもNTとXPは相性が良くないようだ。
違うOS機で更新管理をし合うと、何らかの原因でスペースが注入される。
それからは、このホームページの更新管理は、メインのWin2000機でのみ行うようにしている。
・・・・・更新管理がマメでない言い訳。

タグ(HTML言語)を見てみたい方は、インターネットのページの上部の表示(V)をクリックし、ソースをクリックすると、そのページを作っているタグがメモ帳で見れます。


■2004.5.28  afternoon  管理人 wrote

今日、「何故ジェンキンス氏が39度線を越えたのか、誰も関心を示さない」というような内容のメールを頂いた。
彼は確信犯だ。
仮に”良心の脱走”だとしたら、政府はどう対応するのだろう。
”何故”を掘り下げないと、氏の来日を”浪花節”で語っても詮無い事だと思うのだが。
また赤軍派とは少し事情が違うだろう。

最近のマスコミは少し変だ。
芸能雑誌顔負けの出来事ばかりを追いかけている。
大衆に受ける”浪花節”には全社を挙げて取材攻勢をかけるのだが。
ジェンキンス氏に関しては「複雑な事情」、たったこれだけの報道。
米兵が脱走・亡命するのは余程の事だろう。
彼の来日を”浪花節”で論じ報道しかしないマスコミは、もはやジャーナリズムの使命を亡くしている。


■2004.5.28  noon  管理人 wrote

パターンは実に単純だ。
良識も分別もある、このおばさん・おじさんパワーに勝てるか?

民は弱いもの、お上は弱い民を守るもの。
たまに悪徳お代官様が居ても、それを正すのは黄門様で民でない。
民は有り難い黄門様にひれ伏す。
今日も夕げのビールが美味い。

従順に振舞う事が美徳。
お上の成す事をありがたく思うことが調和。
平穏な生活がおくれるのは誰のお陰。
守られていることを肝に銘じておきなさい。
他人様に迷惑をかけないことが最高道徳。
それが美しきニッポンの伝統。

お上に対等な物言いをする奴は不謹慎な輩。
感謝を忘れ、楯突くなんて滅相もない。
そんな輩は私が許さない、村八分だ。
そうだメールをしよう!、掲示板にも書き込もう!。


■2004.5.27  noon  管理人 wrote

山崎前自民党幹事長が北朝鮮の高官に会いに中国へ行ったニュースを聞いた時。
妻がふとこう漏らした「北朝鮮に居る子供たちを、選挙の直前に帰らす段取りだと思うわ」。
もちろん今となってはそんなストーリーは皆が当たり前と受止めているが。
当時マスコミは、政府間交渉の原則を逸脱したものだなどの物議で賑わっていただけだった。
マスコミやその筋の専門家には、ストーリーがおおよそ読めていたとは思うが。
妻は先走った憶測記事を書きたてる新潮や文春は”下品”だと一切読まない。
彼女は極々単純な”歌舞伎芝居の筋書き”を直感で感じ取ったのだと思う。

彼女は、家族会が小泉首相に厳しい言葉を浴びせかけたニュースを見たとき時、「これでは大変だ、家族会に”人質”と同じようなバッシングがくる」と嘆いていた。
例え何があろうと、公の席であからさまにお上に楯突くと、何故かバッシングが湧き出てくる。
それも電話やFaxは脇役、メールや掲示板への書き込みが今や主役だ。
我が家でも困った事態に、妻と長男は首相の訪朝を一定評価できると言う、3人家族で支持率はほぼ6割だ。

テレビでは学者やコメンテーターが相変わらず後付で”薀蓄”を立てている。
彼らは先の憶測が外れると、”タレント商品”として致命的なので、必ずといっていいほど先のことは言わない。
それに比べると我が妻は実に単純に”歌舞伎の筋立て”で先を読む、それが実に的確なのだ。

我が家では政治情勢の先読みは実によく当たる
対戦相手は我が妻の様に、単純に疑いなく受止める”大衆相手の筋書き”を書いているのだから。
小泉の次の一手の読みは「難しく考えない事」。


■2004.5.26  night  管理人 wrote

来月中旬、急に東京での仕事が入ってきた。
東京以外には結構出張があるのだが、残念な事にマイ・ジョブの中央は東京ではない。
東京へは昨年11月以来半年振り。
昨年11月には、理工学部一号館の余りの変貌に愕然。
私の一号館がきれいさっぱり無くなっていた。
中大のように駿河台キャンパスそのものが消失していたわけではないが。

東京の理闘委の仲間ともすっかり縁遠くなってしまった。
そりゃ仕方ないか、35年も経ってしまったから。
ここ10数年は、東京へ行っても用事が済むとさっさと帰ってくる。
田舎者には、あの電車や雑踏は堪える。
ずいぶん前から、上京するに何の感慨も無くなっていた。

経闘委の仲間にメールをすると、
異議なし!!大、大、大歓迎す!!!
・・・・との返信。
やっぱ、人とのコミュニケーションだよな。
人に歓迎される事がこんなにうれしい事とは思わなかった。
何年ぶりだろう・・・、東京へ行くのが待ち遠しいのは


■2004.5.24  morning  管理人 wrote

「日大全共闘って銀ヘルじゃないんですか?」
遅れてきた全共闘世代さんがそう言ってきた。

確かに文理学部闘争委員会は銀色ヘルメットだったのは間違いない。
夜、デモ隊列の中でサーチライトに鈍く光る銀ヘルは、言いようのない凄みがあった。
セクトのヘルメットにも、銀色のヘルメットを被るところは無かったように思う。
そんな強烈な印象が、日大全共闘=ノンセクト=銀ヘルメットとして印象に残ってきたのだろう。

でも真実は違う。
ヘルメットの色は、若輩の私たちには己の存在に等しいものがあり、各学部毎にヘルメットの色は分かれていた。
銀ヘルはその一つに過ぎない
日大全共闘の御本家のような存在の経闘委はライトブルーのヘルメット。
法学部は白だったと思う。

私の理工学部は下の写真の赤のモヒカン柄。
決めた経緯は、他の学部と一番区別しやすいからだと聞いた事がある。
セクトのヘルメットにもこの赤のモヒカン柄は無かったのではないか。
白い工事用ヘルメットを買ってきて、赤のモヒカンをせっせと塗った。

「@日大闘争史をつくる会2004」が写真を提供して下さった。
芸術学部と、理工学部習志野闘争委員会の2つを紹介する。



■2004.5.18  morning  管理人 wrote

管理人日記がかなり飛び飛びになっている。
けっして手を抜いているわけではないのだが、Weblog「イラクに平和」に結構手をとられる。
今週からは経闘委の仲間も何人か参加してくれて賑わい始めた。
個人日記形式のWeblogが今では8名のユーザーになった。
Weblogでは珍しい試みではないかと思う。

日大全共闘公式BBSに、中大全共闘のヘルメットがyahooオークションに出ている書き込みがあっている。
私も少し鑑定評価の書き込みをさせて頂いた。
本物としたら、持ち主はどうして売ろうと思ったのか。
私が持っていたら絶対手放さない。

いざという時には適当なヘルメットを被って飛び出していたので、私用のヘルメットが有った訳ではない。
理工学部は赤のモヒカン柄は統一していたが、書いてる文字は適当だった。
前に「理工」、後ろに「日大全共闘」と書いたものが一番多かったように憶えている。
横には好き好きな事を書き、その内容は時期によって変化していった。
最初は「古田打倒」とか「学内民主化」とか。
後期には「安保粉砕」とか「反戦」になっていった。

写真提供

バリケードを追われてからは、私は前面に「」と書いたヘルメットを好んで被った。


■2004.5.17  night  管理人 wrote

16日の日曜日は雨になる天気予報。
今の予報は正確でまず外れない。
15〜16日の土日、一泊のセーリングは海岸に沿ったコースを計画。
突き出た半島の海岸線と海の色は、海から望んだ者しか味わえない美しさがある。
天候が穏やかであれば、シーカヤッックを持って行って海岸線を巡ると素晴らしいと思う。
もっとも沖でシーカヤックに乗り降りするのは至難の技だが。

メンバーで相談し、クルーは日帰り組みと一泊組みに分かれた。
私は目的地の港から妻の迎える車で帰る方に入った。
ほぼ1年ぶりのクルージング、低気圧のうねりで雨の中、半日近く揺すられ続けるには少し根性が足りなかった。
土曜日は予報どおりの晴れ時々曇り。
低気圧がゆっくり近づいてきているため案の定、風は無い。
やむなくメインセールだけで機帆走。
こうなれば風向きは殆ど無視で最短距離コース、目的の港まで6時間足らず着いた。
ゆっくり温泉に入り帰路に。

日曜日は午後4時ごろクルーザーが帰り着いた。
波浪注意報に合わせ強風注意報も出ていたが、風はそんなに無かったらしい。
ゲストの方は「ひたすらジェットコースターに乗っていた気分」との感想。
うねりも3mを越すと、波頭から下るときはかなりの迫力。
乗り始めの頃は、恐怖で体が強張ったのを憶えている。
クルーの皆に「ご苦労様」と感謝。


■2004.5.13  morning  管理人 wrote

年金問題で政党が揺れている。
民主・菅代表の未納が発覚した時、直感的に思った。
ここで潔く「御免なさい」と国民に誤り、直ぐ身を引けば”浪花節”で勝つ!。
私だけでなく多くの方もそう思ったはずだ。

私が日大闘争に身を投じたのは理屈でない。
オルグやアジテーションでもない。
仲間の”様”をつぶさに見たからだ。
私も含めた大衆の心理が動くのはそういう契機だ。

日大闘争と政治を同じレベルで語るはおこがましいが、
大衆を動かしているのは、物事の本筋以上に”勧善懲悪”の歌舞伎芝居なのだと思う。
選挙戦にあれだけ巨費を投じてイメージ戦略を行うのに、肝心要の時にこうだ。
そういう意味では民主党は、菅代表は決定的に大衆の心理を見誤った。
反対に小泉・福田は役者として実に巧みだ。

年金問題は自分の事なのに余り今まで関心が無かった。
私達の世代はせっせと働き、今の年金制度を支えてきた。
人口構造がいびつだから、制度自体を変えねばという流れだろうが。
だが私達の団塊の世代は、膨大な世代人口を背景に膨大な年金基金を供出し、国に委ねてきたはずだ。
それは有形無形に社会資産として蓄積されているはずだ。
蓄積してきた社会資産は、年金だけでなく”福祉”という形でも平等に受け取れるはずだ。

なのに社会福祉は「国は今後お節介は止め、民間(営利企業)に委託する」といい、給付は基金に見合うだけのものに削減する、という責任逃れ。
簡単に納得できない。
法は国会を通過し成立するかも知れないが、
この法律、政治的には”チャラ”で”リセット”だな。



■2004.5.10  night  管理人 wrote

丁度梅雨の近づく今頃の季節から、毎土曜日”新宿西口広場”へ通い始めた。
スケッチ用の画板に、署名用紙。
カンパ用のモヒカン柄の理闘委のヘルメット、これにカンパを入れてもらう。
仲間4〜5名の、何組かで出かけた。

新宿西口広場では、ベ平連のフォークゲリラがサタディー・ナイト・フィーバー。
地下広場を学生、サラリーマンが埋め尽くしていた。
通い始めて2〜3週間目だろうか、輪の中心で歌っていた女の子が駆け寄ってきた。
見覚えのある顔だった。

岡林信康の「友よ

友よ 夜明け前の闇の中で
友よ たたかいの炎をもやせ
夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の向こうには
友よ 輝くあしたがある
 

友よ 君の涙 君の汗が
友よ むくわれる その日がくる
夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の向こうには
友よ 輝くあしたがある
 

ジョーン・バエズの「花は何処へ行った

Where have all the flowers gone
Long time passing.
Where have all the flowers gone
Long time ago.
Where have all the flowers gone
The girls have picked them ev'ry one.
Oh, when will you ever learn
Oh, when will you ever learn
作詞・作曲 ピート・シーガー

結構もの悲しい曲調だったが、この曲も反戦歌としてよく歌われた。
それに、ボブ・ディランの「風に吹かれて」も。

女の子は、その前年’68年のバリ祭りに、勇敢にもバリケードに入ってきた高校生だった。
どんな経過があり、フォークゲリラで歌っていたのかは定かでなかったが、再会を喜んだ。
このフォークゲリラに刺激され、帰省したとき地元の繁華街の公園で、一人フォークゲリラを試みたが、下手なギターと音痴で全く受けなかった。
それよりも私には、ヘルメットとゲバ棒が性に合っていた。

昨年12月9日、私の掲示板の一日目にこう書いた

元全共闘のみな、生きていますか。
ベトナム反戦を忘れたか!
生きているならここで何とか言ってよ。



■2004.5.4  morning  管理人 wrote

かわいい訪問者があった。
生後3ケ月、抱っこをするとウーウーとお喋りをする。
ウインナーのような手をさすると握り返してくる。
命の塊だ。
いくら見ていても飽きない。
この女の子の名前がまた良い、*子という最近では珍しいオーソドックスな名。

お母さんは妻の職場の後輩。
お父さんは若手の弁護士、東大法卒のサラブレッド。
司法修習生の実習の時知り合ったと聞く。
彼女は・・・、いや女性は強い。
仕事を辞めず、彼が東京から離れこちらで弁護士を始めた。
妻も皆もこの反対を想定していており、唖然としたそうだ。

妻の手作りのピザの昼食を挟み、2時間ぐらいこの子を中心に楽しい会話が弾んだ。
「は〜い貴方の番よ!」、おしめ番は彼だそうだ。
「おしめを変えてる彼はただの人ネ・・」、帰ってから、妻が一言。
そりゃそうだ、どんなキャリアがあろうが、幼子にとって父親はただの人。

彼の趣味はウインドサーフィンと音楽という。
私のCDコレクションを披露、1960〜1970年代がメイン。
ビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビィー」は彼も持っていて好きだという。
かけていたウイントン・ケリーも良いですねという感想。
弱冠29歳の彼、音楽の趣味はただものではない。
普通はこんな古い”暗い”ジャズは聴かないと思うのだが。
2週間後のロングセーリングにお誘いした。

Bill Evans "Waltz for Debby"


■2004.5.2  night  管理人 wrote

昨晩BSで1960年代ビルボード全米ヒットヒャートNo1の2時間番組を見た。
1963年は中学3年生だった。
2学期の座席の並び替えで、好きな女の子と机が一緒になった。
リトル・ベギー・マーチの「アイル・フォロー・ヒム」を聞くと、中三の頃の甘酸っぱい記憶が蘇る。

Peggy March "I WILL FOLLOW HIM " (1963/7)

私立進学校への中学受験に失敗した私は公立中学に進んだ。
成績の良い子は進学校に抜けており、こんな私でも成績はクラスでトップだった。
毎晩パナソニックのトランジスタラジオでヒットチャートを聞く。
都会であればFENも聞けただろうが、私の田舎は電波が届かない。
夜、減衰を繰り返す、雑音だらけの日本放送を聞きかじっていた。
学校で、ヒットチャートの情報交換をする、そんなたわいも無い事が楽しくて仕方なかった。

今はどうか知らないが、私の時代は男女がくっつき机を並べていた。
休み時間や昼休み、席を立たずその女の子に数学や英語を教えたやった。
学校が楽しくて楽しくてたまらなかった・・・・。
日曜日も学校があればとこの頃は本当に思った。
冬休みは、後何日で学校が始まると指折り数えた。

ヘレン・シャピロの「悲しき片思い」大好きな曲だった。
クリスマス、その女の子からクリスマスカードをもらった。
卒業式の日、彼女がサインアルバムに「 I  Like You 」と書いてくれた。
片思いではなかった。


Helen Shapiro"悲しき片思い" Jeanie Sommer"OneBoy" Ronettes"BeMyBaby" Ann Margret"ByeByeBirdie"

彼女とは同じ公立高校に進んだが、この卒業アルバムがいけなかった。
それまで同性の友達のように仲が良かったのに、がぜん意識し始めた。
意識し始めると全てがぎこちなくなる。
片思いでないのに距離が縮まらない高校三年間だった。

1963年にヒットしたのは、カスケーズの「悲しき雨音」、ガス・バッカスの「恋は素早く」、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」など。
私は東京、彼女は地元の短大へ、やがて日大闘争が始まりそれっきりになってしまった。
about forty years ago ・・・・・・


■2004.5.1  night  管理人 wrote

今日は一日マリーナで船の手入れ。
上架するのは一年ぶり、船底はひどい情況だろうなと思っていたが然程でもなかった。
それでもスクリューとシャフト、ラダーの先には”ひし”と呼んでいる貝が取り付いていた。
スクリューは貝が付着すると致命的、途端に走らなくなる。

この連休中クルーザーを出す予定が入った。
沢山のゲストが乗り込んでくる予定。
やはりセールクルーザーは海面を滑るように走らなくては、折角のゲストに申し訳ない。

船底の清掃が済むと海に下ろし、機関のメンテ。
エンジンオイルとギヤオイルを交換。
ジェネレーターとウオーターポンプのベルトも要調整。
これは車と違いそう簡単にはいかない。
マリンエンジンにはオイルのドレンコックなぞは無い。
手製の灯油ポンプを改造したものでエンジンルームに頭と腕を突っ込みひたすら抜き取る。

仲間がビールを差し入れてくれた。
一休みして冷たいビールを飲む。
再度オイルと格闘、ビールも入り波に揺られて気持ちよく、手元が定まらなくなる。
このビールで作業がかなり遅れた。
最後はデッキ、水を掛けながらブラシでゴシゴシこする、青い海面に白いデッキが冴える。
さすが我が愛艇、と悦に入って更にゴシゴシ。

とりあえず諸々のメンテは完璧。
海は危険と隣り合わせ、ゲストを迎えるときは特に念入りにやる。
5月4日の予定だが、その日は全国的に雨模様。
うねりが2mを越すと、ゲストの殆どの人が船酔いになる。
そちらが今から心配だ。
帰ってくると腕が早真っ赤に日焼けしている。

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