■2004.6.30 morning 管理人 wrote
何を読んだのか、思い出しても余り出てこない。
書棚に飾ってある書物は、ほぼ全部妻か次男の物。
その中で数少ない私の本の一冊が「狭い道・子供たちに与える詩」
山尾三省さんという、私より10才上の、いわゆる安保世代の方。
別に60年安保に興味があったわけではない。
日大全共闘史には、60年安保を闘った数少ない大先輩がいるとは聞いているが。
80年代、私は秘めたる思いを抱えながらも闘争終焉後の生き様を掴みかねていた。
そんな時期、山尾三省さんの本に出会った。
山尾三省さんは、国分寺の「エメラルド色のそよ風」という部族(コンミューン)にいた。
当時で言うドロップアウトした”正統派”ヒッピー、60年安保世代の一つの生き様だった。
日大闘争が勃発する直前の時代。
その後山尾三省さんはインドに向かい、やがて1977年家族と共に屋久島に移住した。
その生き様は、理屈ではなく胸に沁みこんで来た。
山尾三省「狭い道」子供たちに与える詩 1982 野草社
その10数年後、私のベストフレンドが同じく屋久島に移住した。
夫婦揃って仕事を辞め、家財を売り払い身包み持っての移住。
屋久島には職業安定所がない、定期船で近くの種子島に通っている、と電話してきた。
「それでお前、生活の目途は有るのか?」と聞き返すと。
友は、こう言い放った。
「やかましい、俺は日大全共闘以降今まで、一度として生活の目途なんぞ立った事が無い!」
全共闘を全身全霊で突っ走った友だ、返す言葉が無かった。
■2004.6.29 night 管理人 wrote
前述のおっとせい日記を読ませていただいている。
相当のボリュームだが、至るところにお子さんに対する愛情溢れる記述がある。
私の子育てに例えて失礼と思うが、おっとせいさんは子育てで今が一番楽しい時期ではないか。
男の子二人というのも私と同じで親しみを持った。
どこの親でも一緒だが、二人の息子は目に入れても痛くなかった(今でも)。
車で出かければ後部座席は二人のプロレス場と化する。
小学2〜3年からは各地のスキー場へ連れ歩いた。
子供は膝や腰が柔らかい、上級コースのコブをへっぴり腰のボーゲンで苦無く滑り降りる。
10才くらいになると見ていられなくなりヘルメットを被せた。
今でも、小さな弾丸が北壁を直滑降で滑り降りてくる姿を思い出すと顔がほころぶ。
息子が大学生になった頃に言われた。
「父さんは僕をひたすら高いところへ連れて上がるんだ、
どんなゲレンデでも苦無く滑れるが、おかげでスタイルは最悪、格好良いスキーじゃない!」
御免な、父さんはヘルメットで性格が変わるんだ。
■2004.6.29 noon 管理人 wrote
困った事に、我が長男の職場は自民党の影響力の強い職場。
それに、今回の参議院選挙の自民党候補の出身地ときている。
この長男、幼少の頃よりオヤジが全共闘菌をばら撒いているので、どうも免疫が出来ているようだ。
全共闘菌に院内感染した兆候がない。
イラクの人質事件の時も、人質に批判的な反応。
小泉首相の北朝鮮への再訪は評価していた。
スキーやヨットで大人の中へ連れ回わしたせいか、年長者には極めて従順で反抗しない。
そのうえ、土日を構わず良く働く。
そのお陰か、職場での人間関係は極めて良好らしい。
オヤジの義理と人情の右翼的体質のDNAだけは引き継いでくれているようだが。
やっぱ、自民党に入れるだろうな。
先日、石川啄木の「ココアの一匙」というキーワードでページをめくっていたら、”おっとせい日記”というページに行き当たった。
2002/10/29の日記に、テロリストと呼ばれる者たちへの複雑な思いを記していた。
このホームページ「おっとせいのきらひなおっとせい」という標題で、世代も一回り以上違うのに書いている事に何故か波長があう。
表題も非常にユニークですが、経歴もユニークな方です(HP参照のこと)。
リンクフリーという事なので早速リンクさせて頂いた。
■2004.6.27 night 管理人 wrote
文章を書く力が”読書量”に比例しているとしたら、私は最悪だ。
著者を評する記事の中に必ずあるのは「・・の頃、ひたすら・・を読み漁りました」とか「・・全集を夢中で読破しました」という言葉。
私は書物をまともに読んだ記憶が無い。
影響を受けた著作も無い、飾ってある書物はあるが。
当ホームページの本編を何故もっと書かないのか、という問いかけも受けている。
本編は1〜2週間程で一気に書いた。
”思い”はそんなに長く書けない。
斬った張ったの話題は出来るだけ避け、当時の思いを主に書いている。
今、文章力の無さに悩んでいる。
一気に吐露した”思い”を整理し、考え方にまとめようと思った途端に書けなくなった。
この歳になっても自分の考え方を上手く表現できないのは、読書量が足らなかったのか。
それとも基本的なIQが足りないのか(そうだろうなあ)。
私のアイデンティティーとなったものが、私のIQレベルではまとめ切れない経験なのか。
今でも、啄木の「ココアのひと匙」が好きだ。

■2004.6.24 night 管理人 wrote
東京滞在二日目の夜、歓迎会の席の自己紹介。
「僕の名前はね、インターネットの検索で引っかかるんですよ」
「あの後からずっ〜と・・・・・、今まで裁判闘争を続けているんです」
笑みを湛えた経済二部斗の仲間は、事も無げにそう言った。
”ひしょう”で席を同じくしてから、彼とゆっくり話が出来た。
でも彼はそれ以上、その話題には触れなかった。
少し(かなり?)薄くなった白髪頭、その表情は限りなく優しかった。
帰ってから彼の名刺を出し、フルネームでグーグルの検索をかけた。
幾つかのページが出てき、いずれも裁判に関するものだ。
彼の深く重いこの半生を物語っていた。
これだけのものを引っ張りながら、彼は本当に柔和な表情を湛え、物静かに語ってくれた。
僕等は全共闘の仲間だ。
2斗と4斗の先輩3人で行った、ゴールデン街4軒目の店。
オ00に怒られた 投稿者:水闘委
投稿日: 1月18日(日)13時01分17秒
花園神社の隣町の住民から、抗議の電話が入った。その昔我らのたむろ場所に、いつの間にか住み着いていた『オ00ちゃん』であった。開口一番、『あんたオOOを馬鹿にしないでよ!−−−
多分この話題の店だと思う、入ったのは1時も過ぎていた。
「**ちゃん(2斗)とは古〜い古〜い付き合いなの」とママ?の弁。
途中睡魔に何度か襲われたが、異次元の楽しさで何とか頑張った。
No1さんとツーショット
■2004.6.24 morning 管理人 wrote
カチンと来て、頭に血が上ってきた。
インターネット上で、私の気持ちが逆なでされるような事があった。
目をつぶり、ジィーと気を落ち着かせる。
ダメだ、今キィーボードを叩いては応酬を始めてしまう。
今朝刊に小学生に対するインターネットのマナーの指導を始めるという記事が載っていた。
メールや書き込みへの返事は、一日置いてする。
特に反対意見は直ぐにはしない方が良い、と指導するような事が書かれていた。
目をつぶり、この記事の事を思い出していた。
インターネットは瞬時に応答が出来る。
これは、他のコミュニケーションツールには無い特性だ。
この特性は、時として人に考える余裕を与えない。
ストレートな感情が直ぐ”文字”になる。
しかも其れが瞬時に相手に行ってしまう。
一度発信した感情は、もう元へは戻せない。
このツールのマナーは、大人も学んだほうがよさそうだ。
■2004.6.20 noon 管理人 wrote
歓迎会には、芸術学部の先輩も来ていただいた。
フォトスタジオを営まれている。
先輩がバックから紙箱を出してきた。
中にA4大のモノクロ写真がぎっしり。
当時の生き生きとした状況が写っている。
ウワ〜、欲しいな!
私のホームページは自前の写真は全く無い。
関連書籍からのパクリか、マスコミからの無断借用ばかり。
経闘委HPの仲間が、「それじゃ一時借りとくよ」としまい込んだ。
欲しかった、でも言えなかった。
芸術の先輩きっと他にも沢山お持ちのはず、そのうち何時か貸していただこう。
黙っていたら何も伝わらない。
今の世、36年前の日大に良く似ている。
力を持った奴等、自分達のやり方が何でも通ると思って居る。
36年前、どうしても許せないことが目の前に立ち塞がった時、血を流して異議申し立てをしてる馬鹿な奴らが私の前に居た。
私を決起へといざなってくれた仲間に、36年経って会った。
■2004.6.20 morning 管理人 wrote
とても優しい眼差しで語りかけてきた。
待ち合わせの新宿西口交番前、初めてお会いした経済二部闘委の仲間。
その優しい眼差しは、36年まえから皆が持ち続けてきた同志の親愛の情だ。
少し遅れてきた理工1斗、農獣医1斗。
こぼれんばかりの笑みをたたえ、手を握り合った。
昨年9月、このホームページを開設した。
すぐに、この歓迎会を開いてくれた方たちから連絡が入った。
私と同じように、日大闘争を、日大全共闘を、語り継ごうと活動している方達だ。
殆どの仲間が重い口を開こうとしない中、数は少ないが「語り伝えなきゃ・・・・・」とWebを使って発信を初めた方達だ。
何故?
私は、日大闘争、日大全共闘は、”今に続いている”と思ったから。
歓迎会が最高に盛り上がった頃経済二部斗の仲間が、次はゴールデン街に行こうと言い出した。
彼等の仲間がやっている店があるらしい。
狭い階段を上がっていくと10数人入れば一杯になるような小さな店。
壁に、文闘委田村さんがデモの先頭の写真が額に入れて飾ってある。
トイレに入ると、日大全共闘の落書きが至る所にある。
文理4斗の先輩が、「この写真は下高井戸ではないか」と言うと、すかさず経済2斗が「こりゃ、三崎町だよ」と反論する。
私の鑑定も、どう見ても三崎町。
この店のママはおりゅうさんという。
知る人ぞ知る御仁だ。
当時全共闘を立ち上げ、部隊を引き連れ日大に馳せ参じたと言う。
訳あって、文理田村委員長と同じ警察の送迎車両に乗り合わせたらしい。
仲間達、この店に後から来る方々、どなたもお知り合いのようだ。
後から入ってきたスタイルのよい女性、元経済1斗の仲間だった。
■2004.6.19 night 管理人 wrote
「私、貴方の顔憶えてるわ・・・・、バリケードでよく見掛けたもの」
3軒目に行った新宿ゴールデン街”ひしょう”で、偶然来ていた元経闘委の女性にそう言って頂いた。

学生時代も貧弱だったこの顔を憶えていてくれた、
そういえばこの女性、長身でスタイルがいい。
踝までのタイトのようなピッタリなスボン(今はパンツという)を穿いてた、かわいい他学部の女性が一号館によくいた事を憶えている。
その事を言うと、「多分私でしょう」とその女性も答えてくれた。
36年の時間を経て、名も知らぬ同志が憶えていた。
新宿で開いてくれた歓迎会、結構な人数が集まった。
ホームページを介し知り合った、元日大全共闘の仲間が私のために開いてくれたのだ。
仕事を終え、2時間近くかけ来ていただいた方も居る。
同じ2斗に、1斗も3斗も、それに神様のような4斗、当時講師をされていた先生までもいる。
2斗というのは2年闘争委員会の略称で、1968年当時で2年生という”業界用語”だ。
つまりこの歓迎会には、1年から4年生まで居る。
その中で神様のような4斗の先輩に言われた、
このグループと付き合うには日大闘争に参加していたという証拠がいる、たとえば自分が写っている当時の写真のような”物的証拠”が必要だと(笑い)。
皆それぞれの学部で、学年で日大闘争を闘っていた。
しかし、当時一度として話した事もないし、面識も無い。
どうだ先輩、元経闘委のこの女性の”証言”は物的証拠よりも説得力があるだろう。
■2004.6.16 night 管理人 wrote
三菱自動車について、問題が大きくなった頃全国紙にこんな記事が載っていた。
三菱の上層部は、殆ど一つの大学の出身者で占められている。
いわゆる学閥コネクションで経営陣が牛耳られている。
社内の議論に自由な風潮は無く、硬直化しているのではと論調していた。
どこの大学かな・・・と野次馬的に興味を持った。
多分そうだろうなあ、きっとそうだ、とほぼイメージは付いていた。
やっぱり、思ったとおりT大学だ。
どうしてT大学かと思ったか?
そりゃ簡単だ。
隠蔽体質の最たるものは中央省庁であり官僚だ。
三菱でも”自己保身”で、官僚と同じ事をしやがった。
T大学=官僚だもな。
・・・・・N大の”ひがみ”かな?!
アッ、そうだ、つい最近T大出の弁護士さんと知り合いになったんだ、御免なさい。
■2004.6.15 morning 管理人 wrote
ず〜と言いたいことがある、でも旨く言い表せない。
少しずつ少しずつ、まわりくどく言って行くしかない。
日大闘争って何だったんだろう。
何故私はあそこまで走ったのか、走れたのか。
>党派の影響ではなく、一般大衆が自分の意識で、意志を表明し行動していった出来事は、それほど日本の歴史上ありませんから。
掲示板に”遅れてきた全共闘世代”さんがこう書かれている。
確かにご指摘の通りだと思う。
全共闘は何故党派でなかったのか、また何故東大や早稲田でなく日大だったのか。
当時は気に留めなかったし、自分とこ(日大)がそうだったから他(大学)もそうだ思い込んでいたが。
やっぱり日大は特異だった。
東大へ行った時も、ヘルメットは殆どセクトのもの。
ヘルメットの前や後に全共闘と記したものは殆ど無かった。
代々木や日比谷の全国集会へ行ってもそうだ、集団をなして周りを威圧しているのはセクトのヘルメット。
其処ここに少人数で黒ヘルを被ったノンセクトグループ、多くて数十名で全共闘のヘルメットを被った集団がいるだけ。
全共闘のヘルメットで統一し、大集団を成している日大は異質というか唯一の存在だったのではないか。
何故だろう。
自分で言うのもなんだが、私は穏やかな性格だ。
政治には関心が無かったし、学生運動もしかりだ。
心情だけではあそこまで走れないし、自分がもたないはずだ。
時代と言えばそれまでだが。
日大闘争はこの私が”決起”したことに鍵がある。
そう思って、自分の”思い”を綴っている。
■2004.6.14 night 管理人 wrote
面白おかし、お馬鹿な話を幾つかしたいが。
思い出すに刑法に触れる事は・・・・・、傷害、器物破損、威力業務妨害、道路往来妨害、公務執行妨害、軽犯罪etc、かなりしている。
世が今なら許してもらえないだろう、社会は緻密で隙間を見せなくなっている。
反省は今でもないが、何分小心者なので35年経っても時効かどうか一抹の不安。
でも傷害だけは相手も訴えないので大丈夫だろうが。
詐欺とかハレンチ罪だけは無い、断っておく。
お馬鹿な話と言えば、軽犯罪とか、遁走した話が無難かな。
遁走したと言えば、ステッカー貼り。
深夜、阿佐ヶ谷北の中杉通りを下井草に向かってステッカーを一人貼っていた。
ステッカーは何かの集会だったが、忘れた。
これでパクられると、少なくとも軽犯罪で一泊有りと聞いていた。
小さなブリキバケツに刷毛。
糊はビニール袋で売っている洗濯糊を水で少し緩めたもの。
刷毛に一杯滲ませ、電柱にタップリ塗りつける。
次にスッテカーをベタッと貼り付ける。
鼻歌交じりで次々に電柱に貼って行った。
時刻は11時も回っていたと思う。
人通りは無く通りはひっそりしていた。
行く手下井草方面から車が近づいてきた、ツートンカラーに赤色灯。
ヤバイと思い、バケツにステッカーを体の陰に隠した。
パトカーは10m位通り過ぎてブレーキ音をたてて止まった。
間髪入れずに、咄嗟に走って逃げた。
警官は当然「待てーーー!!」と追いかけてくる、革靴がドタドタ音を立てながら。
これなら逃げ切れると、と思った直後パトカーが猛然とバックでダッシュしてきた。
深夜にタイヤを鳴らしバックで追いかけてくるパトカー、劇画ものだった。
これは捕まる、ヤバイと思い通りを左に折れ、路地に遁走。
何とかドタドタ革靴の鈍足を引き離した。
それでもどれだけ逃げただろうか、ハタと気が付いたらブリキバケツにスッテカーをしっかり持って民家の生垣に体を潜めていた。
お道具は民家の庭に投げ込んで、証拠隠滅。
意識的にゆっくり歩き、中杉通りに戻り交番を覗き込んだ。
犯人は現場に戻るというのは本当だ。
下宿に帰り着くまで1時間ほど掛かっていた。
無我夢中で走り、結構遠くまで行っていたのだ。
今なら確実に捕まるだろうな。
■2004.6.13 morning 管理人 wrote
私のスピーカーは、結婚したときお祝い金で買い求めたものだから、もう30年以上使っている。
アナログの時代から、デジタルに変わった今まで、何の不具合も無くしっとりした音色を出す。
”ダイヤトーン”ブランド。
何故三菱ダイヤトーンスピーカーを買ったのかというと、
学生時代、貧乏旅行をして中四国から北九州を回った。
松山市では道後温泉に入り市内を歩き回った。
温泉は市営の銭湯で確か100円位と憶えているが。
愛媛大学のすぐ近くにJAZZ喫茶を見つけ入った。
旅行といっても金が無いので、入るのはJAZZ喫茶ぐらい。
そこに鎮座していたのが、一世を風靡した三菱ダイヤトーンの”スダジオモニター”だった。
東京で、当時(今も)高価なJBLやALTECのスピーカーを、「ウム!、やっぱ舶来は音が違うな」と分かったような顔をして聴いていた。
しかしこの国産の、何の飾りも無い業務用スピーカーの音に聞き惚れた。
この時、私の頭に「三菱のスピーカーは良い」という刷り込みが。
ダイヤトーン・スタジオモニター
結婚で頂戴した祝い金の全てぶち込みダイヤトーンスピーカーを。
でもスダジオモニターではない、全てをぶち込んでもこれには手が届かなかった。
密閉型3WAY、BASSスピーカーは30cmタイプ。
30年以上使っているが壊れない。
日大は金持ちのボンボンも多く、自家用車で来る奴もいた。
校舎の脇に乗りつけた、三菱ギャランGTOハードトップの黄色が今も頭に焼き付いている
三菱自動車はもうダメかな・・・・・。
■2004.6.12 noon 管理人 wrote

5月下旬にニ輪咲いたバラを切り戻しておいたら、
また三輪花芽が付き、咲き始めた。
オヤっと気が付くと、早くも花瓶に差されている。
二番咲きだが結構大輪だ。
’70年過ぎの何時頃だったか、確か梅雨時ではなかったか。
お馬鹿な渋谷事件について。
桃井の同居人と赤坂のバイトの帰り?、だったと思うが記憶が定かでない、皆酒が入っていた。
ワイワイガヤガヤと渋谷の山手線ホームで電車を待っていた。
その時、一人がプラットホーム壁に張ってあるポスターに目をつけた。
渋谷パルコの、当時人気だったスターがモデルの大きなポスターだった。
これはいただきだ!、と仲間で剥がしに掛かりゲット。
獲物をもって意気揚々と電車に乗り込みドアが閉まった。
すると駅員が走ってきて窓から「降りて来い」と怒鳴っている。
当時はある意味”怖い物なし”状態の不埒な学生集団。
駅員の要求には応じず、窓越しにさんざん罵った。
当然、電車はサ・ヨ・ナ・ラ〜と発車するはずだった。
車内で勝ちどきを上げていたが、一向に電車が発車しない。
何分か経っただろうか、突然ドアが開いた。
私達の数を上回る”鉄道公安官”がなだれ込み、あっさり御用。
この後”悪質”という事で、渋谷の警察に引き渡され深夜まで絞り上げられた。
別に警察は怖くなかったが、皆この一言にはシビレ上がった。
「お前たちは国電を3分止めた、国電を1分止めると200万円の損害だ、国鉄から請求があったら払わなきゃいけないぞ」
当時の国有鉄道は”寛容”で助かった。
もうボチボチ喋ってもいい、お馬鹿な事件が他にも幾つかある。
■2004.6.11 morning 管理人 wrote

帰宅すると玄関に泰山木の一輪が。
梅雨時に大きな花を咲かせる。
妻に「どうやって採ったの?」
この木は2階屋根を越して高々と茂る、我が家のシンボルツリー。
妻では手が届かない筈だが。
近所の方に「今年も咲きましたね」と褒めていただく。
愛でようと思うと、我が家から少し離れて眺めないと樹上の花は見えない。
近くにあるとこれが良く香る。
泰山木、くちなし、自然の香りは良い。
■2004.6.10 afternoon 管理人 wrote
今週も残すところラスト一日。
ヘタリは水曜日が頂点だが、木曜は「今週も残り一日!」と体に言い聞かせ踏ん張る。
昨日はトラブルに見舞われ残業が深夜まで。
でも帰ってみると息子が遅い夕食をとっている。
残業常連の息子と夕食を共にするのは久しぶりだった。
my eldest son
at marina
思い出すに、私の20〜30歳台は週休二日なんてのは都会の一流企業ぐらい。
でも今のように、深夜に及ぶ無制限な残業なんて余り無かった様に思うのだが。
規制の効かない違法な長時間の残業と週休二日、中小企業と大企業とを区別する要素でもない様だし。
土曜日の半ドンは凄い開放感、サタデー・ナイト・フィーバーなんて今や死語だよな。
明日は待ち遠しい金曜日。
■2004.6.8 morning 管理人 wrote

くちなしの花が庭に薫る6月
一輪挿しに、家中のそこここに生ける
甘い香り、それだけで心は和らぐ
建て替え前の我が家は、ご町内でも一際目立っていた。
町内でも最古(1964築)の物件のうえに、こんもりとした”森”状態。
父が丹精込めて手入れしていた庭が、没後14〜5年殆ど放置状態。
樹木は自然の法則に従い、勢いのある木は天に向かって伸び屋根を覆っていた。
緑にすっぽり覆われた古屋になっていた。
お陰で家も庭もひんやり涼しいが、梅雨の季節は家中カビだらけ。
庭は1分とは居られない、蚊の大群に見舞われる。
ダンゴ虫にゲジゲジ、家の中は至る所に蟻の通り道、樹木の下に居るとナメクジが落ちてくる。。
よく害虫駆除業者が営業に来たが、「我が家は虫と仲良く暮らしています」ととぼけて応対した。
それでも木陰に育つ、半日陰の草花が愛おしかった。
三年前の建て替え時、大きな樹木と父が大事にしていたミカンの古木を残し後は取り去った。
お日様が必要な草花を植えるスペースが生まれた。
アジサイが梅雨に濡れ映えている。
春から育て始めたバラが一つ二つと花をつけ始めた。
家の周りに生垣で植えた白カシの緑が目に優しい。
朝のひんやりした空気に、甘いくちなしの香りが漂ってくる。
梅雨も良いものだ。
■2004.6.7 afternoon 管理人 wrote
歳の割には結構平易な言葉で書いているつもりだが。
・・・・すべき!、だとか、
ねばならない!、だとかは使っていない。
単ゲバ派の私には、もともと持論なぞない。
思いを綴るという事で、ページ公開の敷居を低くした。
しかし、最近ブログ「イラクに平和を」に参加頂いた1972年生のwomenの開設するブログにはぶっ飛んだ。
極私的な思いをここまで書けるのか、それに比べれば私の語りなんぞは兜を被り鎧を羽織っているみたいなものだ。
世代ギャップはあって当然だが、ここまでとはと思い知らされた。
ホームページにしてもブログにしても、インターネットは一度書いてしまえば世間様への出版になる。
不特定多数への語り掛けになる。
一方通行はまだ二次元で理解できるが、双方向となると三次元の”未知なる領域”の様を呈している。
位置づけ(古い言葉だなあ!)が出来てやってる奴なんて居ないだろう。
誰もが手探りで、今だかつて無いコミュニケーションの世界へ乗り出している。
この双方向インターネットコミュニケーションはワールドワイドでボーダレス、ツールもどんどん平易になりエイジレスに成っている。
それが証拠に、還暦を迎えた御仁からこの私、果てや小学生までがコミュニケーションツールとして使うようになっている。
人間の適用力を横目に、あざ笑うかのように急激に進化するツール。
このツールの爆発的な増殖が予感される。
■2004.6.7 morning 管理人 wrote
1967年から1968年にかけては、佐藤訪米阻止の羽田闘争、佐世保での米空母エンタープライズの入港阻止闘争、またベトナム反戦への大きなうねりがおき始めていた。
私が大学一年生の時だが、全くと言って良いほど”関心”は無く、大学には都合の良い”生徒”だった。
もともと反戦・平和に興味を持つような激な性格ではなく、おとなしかった。
アメリカンポップスと塾通い、受験競争に少しの反抗心ぐらいの普通の思春期。
そんな私が首都で全学連顔負け、いや彼らよりも突っ走った。
20歳を迎えようとする初夏からほんの1年間位、駿河台で私の”アイデンティティー”が形成されたと言っても過言ではない。
それほど強烈な体験だった。
地方出身の学生は過激に走り易い、とよく揶揄された。
親の制約から離れていることも一因だが、それだけでは無いようだが。
仲の良かった全共闘仲間には、何故か”地方出身”の学生が多かった。
高校時代に平和運動に興味を持っていたとか、民青に傾注していたとかは余り聞いたことは無い。
多くが白紙で、日大闘争に遭遇して初めて突っ走り始めた奴らだ。
当時、テレビのニュース特番やワイドショーも無かった。
”佐世保事件”や”羽田事件”は新聞で事実だけは知っていたが、それ以上のものではなかった。
ベトナム反戦は、新聞・ニュースよりも、ジャーナリストが伝える報道写真誌のほうが説得力があったように憶えている。
人を突き動かす契機となるものは何なんだろう。
少なくとも今の肥大化したマスメディアではない事は確かだ。
■2004.6.6 noon 管理人 wrote
昨日は、ヨットクラブのNPO化に向けての総会。
地元有志や首長も理事にすえ、後は県知事に申請するところまで来た。
設立準備に汗をかいた方々に感謝。
総会後はマリーナ周辺の清掃活動とシースポーツイベントのボランティア。
NPO化による珍しい地域起こしという話題性もあり、ありがたい事に県知事も顔を出し、真面目に1時間余り清掃にご協力いただいた。
清掃が終わると、シーカヤックとディンギーの体験試乗会。
知事は秘書とシーカヤックに挑戦、結構飲み込みが早く器用だ。
ディンギーはいかがですかと仲間が勧めたが、今日は・・・と尻込みされた。
出艇と着艇をサポートさせていただいた。
帰宅すると腕と顔が真っ赤に焼けている、海に出ないのでうっかりUVケアを忘れていた。
今日は、朝から地区の一斉清掃。
早くから目覚めたが、昨日の清掃作業で腰・腕が既に痛い。
今年からご町内の衛生委員を拝命している。
リタイヤしたら、地域の”お役”も引き受けなければと思っていたのだが。
何故か現役の今から、地域の誰もが嫌がると聞く”お役”を引き受ける羽目に。
定年で時間をもてあました隣人も多く居るのに、少し不公平だと思うが。
コム手袋に、ゴム長靴、首にタオルを巻いた正装で6時半に出陣。
軍手にタオル、スニーカーに作業用ヘルメットとくれば35年前の必須アイテムだが。
今日の住民総出の一斉清掃は、町内会長と共に衛生委員の私も指揮官の役回り。
全共闘では一兵卒で突撃兵だった私が指揮官だ。
町内を流れる小川に降り立ち川底浚え、ここは普段から住民が綺麗にしており30分で目処が。
町内の児童公園には沢山の方々が、草むしりに側溝浚え。
ご町内を一巡し、ウム!全て順調。
ダンプが最後のゴミを回収し終えるの見届けて、お役目終了。
二日続きの清掃奉仕、明日の仕事が心配だ。
■2004.6.5 morning 管理人 wrote
梅雨時期なのに爽やかな朝だ。
久しぶりにコーヒーミルでカリカリと豆を挽き、コーヒーを点てた。
我が家の水道は、コーヒーカップを洗っていると手が冷たくて痛くなる。
近くに大きな清流の河川が在る、そこから水道水も引かれている。
カルキの匂いは、一年を通して意識した事がない、ありがたい事だ。
息子二人が小さい頃は毎週川遊びに出かけた。
大きな川原に、当時は珍しかった初代四駆のレオーネで乗り込む。
この四駆のレオーネ、川原で立ち往生した車を何度牽引した事か。
アウトドアブームのはしりの時代だった。
息子が小学高学年になるとこのレオーネ、アイスバーンを疾走しゲレンデを目指した。
my eldest son
at river of mytown
最近、妻はくたくたになって帰宅する。
年齢的にも管理職になっている、現場で働く女性を束ねる仕事だ。
一日中パソコンとにらめっこしている私より、はるかにストレスが溜まるはずだ。
殊勝にも掃除、洗濯、食事の後片付けは私がしている。
一日中殆ど机に座り、ディスプレイに向かっている私には、この家庭での任務が苦にならない。
これでリタイア後も万全だ。
昨日はインターネットの仲間と歓談した。
元BUNDの御大も顔を出してくれていた。
この御大、今となっては”一本釣りオルグ”の心配も無いので、心おきなく話せる。
御大が、「チョムスキーは面白いですよ!」
御大のアナログの知識・情報量は尊敬に値する。
初めて聞く名前だ、早速帰宅してから検索してみた。
書物にはめっぽう弱い私、とりあえずビギナー・シリーズを読んでみよう。
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