トップページに戻る 上 京 記 管理人日記より再録

--2004年6月、日大闘争を記録する会の招きもあり、上京--

2004.5.26  night  wrote

来月中旬、急に東京での仕事が入ってきた。
東京以外には結構出張があるのだが、残念な事にマイ・ジョブの中央は東京ではない。
東京へは昨年11月以来半年振り。
昨年11月には、理工学部一号館の余りの変貌に愕然。
私の一号館がきれいさっぱり無くなっていた。
中大のように駿河台キャンパスそのものが消失していたわけではないが。

東京の理闘委の仲間ともすっかり縁遠くなってしまった。
そりゃ仕方ないか、35年も経ってしまったから。
ここ10数年は、東京へ行っても用事が済むとさっさと帰ってくる。
田舎者には、あの電車や雑踏は堪える。
ずいぶん前から、上京するに何の感慨も無くなっていた。

経闘委の仲間にメールをすると、
異議なし!!大、大、大歓迎す!!!
・・・・との返信。
やっぱ、人とのコミュニケーションだよな。
人に歓迎される事がこんなにうれしい事とは思わなかった。
何年ぶりだろう・・・、東京へ行くのが待ち遠しいのは


2004.6.19  night  wrote

「私、貴方の顔憶えてるわ・・・・、バリケードでよく見掛けたもの」
3軒目に行った新宿ゴールデン街”ひしょう”で、偶然来ていた元経闘委の女性にそう言って頂いた。
    ひしょうのホームページへ

学生時代も貧弱だったこの顔を憶えていてくれた、
そういえばこの女性、長身でスタイルがいい。
踝までのタイトのようなピッタリなスボン(今はパンツという)を穿いてた、かわいい他学部の女性が一号館によくいた事を憶えている。
その事を言うと、「多分私でしょう」とその女性も答えてくれた。
36年の時間を経て、名も知らぬ同志が憶えていた。

新宿で開いてくれた歓迎会、結構な人数が集まった。
ホームページを介し知り合った、元日大全共闘の仲間が私のために開いてくれたのだ。
仕事を終え、2時間近くかけ来ていただいた方も居る。
同じ2斗に、1斗も3斗も、それに神様のような4斗、当時講師をされていた先生までもいる。
2斗というのは2年闘争委員会の略称で、1968年当時で2年生という”業界用語”だ。
つまりこの歓迎会には、1年から4年生まで居る。

その中で神様のような4斗の先輩に言われた、
このグループと付き合うには日大闘争に参加していたという証拠がいる、たとえば自分が写っている当時の写真のような”物的証拠”が必要だと(笑い)。
皆それぞれの学部で、学年で日大闘争を闘っていた。
しかし、当時一度として話した事もないし、面識も無い。
どうだ先輩、元経闘委のこの女性の”証言”は物的証拠よりも説得力があるだろう。


2004.6.20  morning  wrote

とても優しい眼差しで語りかけてきた。
待ち合わせの新宿西口交番前、初めてお会いした経済二部闘委の仲間。
その優しい眼差しは、36年まえから皆が持ち続けてきた同志の親愛の情だ。
少し遅れてきた理工1斗、農獣医1斗。
こぼれんばかりの笑みをたたえ、手を握り合った。

昨年9月、このホームページを開設した。
すぐに、この歓迎会を開いてくれた方たちから連絡が入った。
私と同じように、日大闘争を、日大全共闘を、語り継ごうと活動している方達だ。
殆どの仲間が重い口を開こうとしない中、数は少ないが「語り伝えなきゃ・・・・・」とWebを使って発信を初めた方達だ。
何故?
私は、日大闘争、日大全共闘は、”今に続いている”と思ったから。

歓迎会が最高に盛り上がった頃経済二部斗の仲間が、次はゴールデン街に行こうと言い出した。
彼等の仲間がやっている店があるらしい。
狭い階段を上がっていくと10数人入れば一杯になるような小さな店。
壁に、文闘委田村さんがデモの先頭の写真が額に入れて飾ってある。
トイレに入ると、日大全共闘の落書きが至る所にある。
文理4斗の先輩が、「この写真は下高井戸ではないか」と言うと、すかさず経済2斗が「こりゃ、三崎町だよ」と反論する。
私の鑑定も、どう見ても三崎町。

この店のママはおりゅうさんという。
知る人ぞ知る御仁だ。
当時全共闘を立ち上げ、部隊を引き連れ日大に馳せ参じたと言う。
訳あって、文理田村委員長と同じ警察の送迎車両に乗り合わせたらしい。
仲間達、この店に後から来る方々、どなたもお知り合いのようだ。
後から入ってきたスタイルのよい女性、元経済1斗の仲間だった。


2004.6.20  noon  wrote

歓迎会には、芸術学部の先輩も来ていただいた。
フォトスタジオを営まれている。
先輩がバックから紙箱を出してきた。
中にA4大のモノクロ写真がぎっしり。

当時の生き生きとした状況が写っている。
ウワ〜、欲しいな!
私のホームページは自前の写真は全く無い。
関連書籍からのパクリか、マスコミからの無断借用ばかり。
経闘委HPの仲間が、「それじゃ一時借りとくよ」としまい込んだ。
欲しかった、でも言えなかった。
芸術の先輩きっと他にも沢山お持ちのはず、そのうち何時か貸していただこう。

黙っていたら何も伝わらない。
今の世、36年前の日大に良く似ている。
力を持った奴等、自分達のやり方が何でも通ると思って居る。
36年前、どうしても許せないことが目の前に立ち塞がった時、血を流して異議申し立てをしてる馬鹿な奴らが私の前に居た。
私を決起へといざなってくれた仲間に、36年経って会った



2004.6.24  night  wrote

東京滞在二日目の夜、歓迎会の席の自己紹介。
「僕の名前はね、インターネットの検索で引っかかるんですよ」
「あの後からずっ〜と・・・・・、今まで裁判闘争を続けているんです」
笑みを湛えた経済二部斗の仲間は、事も無げにそう言った。

”ひしょう”で席を同じくしてから、彼とゆっくり話が出来た。
でも彼はそれ以上、その話題には触れなかった。
少し(かなり?)薄くなった白髪頭、その表情は限りなく優しかった。

帰ってから彼の名刺を出し、フルネームでグーグルの検索をかけた。
幾つかのページが出てき、いずれも裁判に関するものだ。
彼の深く重いこの半生を物語っていた。
これだけのものを引っ張りながら、彼は本当に柔和な表情を湛え、物静かに語ってくれた。
僕等は全共闘の仲間だ。

2斗と4斗の先輩3人で行った、ゴールデン街4軒目の店。

オ00に怒られた 投稿者:水闘委  投稿日: 1月18日(日)13時01分17秒
花園神社の隣町の住民から、抗議の電話が入った。その昔我らのたむろ場所に、いつの間にか住み着いていた『オ00ちゃん』であった。開口一番、『あんたオOOを馬鹿にしないでよ!−−−


多分この話題の店だと思う、入ったのは1時も過ぎていた。
「**ちゃん(2斗)とは古〜い古〜い付き合いなの」とママ?の弁。
途中睡魔に何度か襲われたが、異次元の楽しさで何とか頑張った。

No1さんとツーショット

 

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