■2004.11.30 noon 管理人 wrote
沖縄・辺野古の現地から便りを頂いた。
便りを出すとほぼ一週間後に返事が来る。
泊り込んでいるようで、宿泊地にネットの環境が無い様。
紹介頂いたホームページを見ると、その様子が分かる。
現地での状況が、便りからひしひしと伝わってくる。。
正直なところ、私は辺野古で今起こっていることについて今まで全くといってよいほど知らない。
今回初めて藪さんに紹介いただきホームページ等で知った次第。
当地でマスコミは、全くこの事については報道をしていない。
マスコミを通じては、沖縄の現状について一切の情報に触れることは出来ない、・・・・・相変わらずだ。
その事については、私の周りの方も多分同じ。
私にとって沖縄・辺野古は、イラクと同じくらい遠い地の出来事であることが正直な現状。
詳しい事を理解していないので、色々な意見を述べることが出来ないが、まず知る、知らせる事からはじめようと思っている。
インターネット、ホームページでの情報は一部の者には有効な情報手段だが、残念な事にまだまだ広範な”大衆”に行き届くツールとはなっていない事を痛感している。
ビデオや写真展示はその点、ささやかだが確実な情報としてメッセージできる。
辺野古から見ると歯がゆいような取り組みだと思うが、出来ることから始めさせていただきたいと思っている。
体を張って”大衆蜂起”を闘った元日大全共闘残党は、現在体を張って闘っている辺野古の行動に強く共感を憶える。
知り、伝えることからはじめたいと思う。
・・・こんな内容の返事を差し上げた。
ところで辺野古って、「へのこ」って読みでいいのかなあ?
■2004.11.30 morning 管理人 wrote
エデンの東さんが含蓄のある書き込みをしてくださっている。
私が日大闘争は”大衆蜂起”であったのでは、と述べたことを受けての実体験を語って下さった。
団塊世代よりも少し上のお方のようだ。
何かを変革したくて、個人で、或いは組織に入り、仕掛ける。
自己にも他にも厳しく、いくら頑張って仕掛けても思うようにならない。
段々失望感が増し、遂には挫折していく。
団塊後の世代の者の方で、いわゆる学生運動に関与した方の大半はそうでは?
何にも考えていなくて、波が押し寄せてくる。
決意も主体性も問われることなく、自然に波に身を任す。
あとはイケイケである。
・・・・・そりゃ〜幾らなんでも軽薄だろう!
そう言われても、そうだったから仕方ない。
少しの勇気は必要だったが、それでも一人分の勇気だけで十分。
世の中のためなんてめっそうもない、自分の目の前の事が許せなかっただけ。
日大全共闘はまさしく”大衆”だった。
■2004.11.29 morning 管理人 wrote
そろそろこの11月を”総括”しなければ。
安田さんの講演会がメインイベントで、急な東京出張がその次かな。
講演会はそのものより、それまでの何ヶ月のすったもんだが楽しかった。
新しい”友人”も出来たし、老後の楽しみも増えた。
それと、文章を書くことが楽しくなった事だ。
若い方から結構メールが届いたのもこの月だ。
それぞれ楽しい”読み物”として読んでいただいた様で、感想文を寄せてくれる。
嬉しくて、ついつい長文な返事を出す。
私的にはセーブして書いているつもりなのだが、かなりしつこい文書なのかも。
期待している割りに返事が来ない。
中には幾つか気になる事もある。
不特定の場所から発信されたと思うメール、サーバーが特定できないフリーメール。
インターネットをしていると、ついつい疑り深くなる。
返事が来ないのは私のしつこい文章のせいなのか、それとも”その筋”の探りなのか。
余程の事が無い限り”個人情報”には気をつけている。
■2004.11.28 morning 管理人 wrote
日ごろは土日だと、早朝に眼が覚め起きるのだが、昨日も今日も若者並みの起床時間。
続いた出張と、仕事のイベントで疲労が蓄積しているのか。
昨夜、早稲田の4年生からメールが入っていた。
文学部の学生で、卒論のテーマを”全共闘”に選び、四苦八苦していると言う。
私のページを資料として読んでくれたらしい。
>僕の卒論のテーマが「全共闘運動」ということもあり、興味深くHPを拝見させていただきました。
肝心の卒論は大風呂敷を広げてしまい、まとまらなくて結論に至らず四苦八苦しています。
中略
>日大闘争に共感できます。こんなことをいうのはどうかと思いますがうらやましいなとも思いました。
嬉しい便りだ。
実は逐一紹介していないが、最近若い方から頻繁にメールを頂く。
余り多いので、”公安の探り”ではないかと疑りも捨ててはいないが(笑い)。
この早稲田の四年生、父親も全共闘だったらしいと書いている。
>僕の父も学生時代、全共闘運動をやっていたようです。もっとも父からはほとんど話さず、僕もいずれ聞こうと思いながらまだ話を聞いてないのですが。
私見ですが、下の世代に伝えるべきものを全共闘は持っていたように思うのです。
卒論のテーマに選んだのも、結構、父親の影響も動機ではなかったのだろうか。
返信に少し風呂敷を拡げてこう書いて送った。
「余りにも横暴な学内管理が当たり前と思い込んでいた大学理事会と、その手足の体育会・応援団に対する一般学生の”大衆蜂起”であったともいえます。東欧の民主化や、途上国の民主化に相通じるものがあると私は思って居ます。そういう意味で、多くの大学(東大も)の政治的主張をもっている学生集団が主導する全共闘と一線を画すものでした。」
■2004.11.27 night 管理人 wrote
出張前に、自分の携帯電話を職場へ忘れて早4日になる。
休日に職場までわざわざ取りに行くのも億劫なので、エイままよとそのままにしている。
かなり着信が溜まっているだろうな、と思うけど(電話した人すみません)。
携帯を持たない気ままさも又良いものだ。
出張明けだが、今日も昼から仕事のイベントのため出掛ける。
帰路、ホームセンターに立ち寄り買い物を。
昨年末からクリスマスのイルミネーションを始めたのだ。
今年は更にパワーアップを計る。
昨年、ご近所のお年寄りのご夫婦に「楽しませていただいてます」、というお言葉を頂戴した。
イルミネーションには結構なお金が掛かる。
この投資は全て私のお小遣いからの出費、かなり堪えるが。
クラブ帰りの中学生が「アア・・、綺麗!」と言って通り過ぎると、嬉しくてたまらないオジサンだ。
今年は妻が「貴方何時始めるの?」、と催促する。
三軒向こうのお隣さんも、歳の瀬が詰まった頃から競うように飾り始めた。
私は出遅れまいと、明日にはデコレーションするつもり。
こんな他愛もないことが楽しいのだ。
或の日 湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬 細い手でかざす
それをしばらくみつめた後で きれいねと云った後でかじる
指のすきまから蒼い空にカナリア色の風が舞う
♪
喰べかけの檸檬 聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
川面に波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
捨て去る時には こうして出来るだけ
遠くへ投げ上げるものよ
♪
さだまさしの「檸檬」の曲は、私の風景画にある。
私の檸檬は”LEMON”。
LEMONの5階から眺める神田川は、私の切ない青春。
収録したカセットテープを失くして久しい。
また聴きたくなって先程CDを注文した。
■2004.11.27 morning 管理人 wrote
最近まで、スタンドアローンで仕事する事が多かった。
システム構築のユーザー側の窓口、打ち合わせ以外は自分のペースで仕事を進める。
こんなものだと思い込んでいたが、最近数ヶ月、公私共々に人と密着して行動する事が増えてきた。
昨日までの3日間の県内出張も”ペア”での仕事だった。
相手の性格が性急だと、とにかく疲れる。
この歳になると他人のペースに自分を合わせるのが容易ではない。
特にセッカチな性格の方が相方になると尚更だ。
かつて、職種によっては55歳頃が定年退職もあったが、体の健康とは別に”精神の柔軟性”はこの年頃が限界かも知れない。
セッカチな性格の方は概して自己主張が強い。
集団に居ると得てして自己のペースを主張し、集団を自分のペースで強引に引っ張ろうとする。
集団で合意を形成していても、更にその先へ先へと速く進むことを画策する。
嘗て過激と呼ばれ跡形もなく崩壊した集団も、難しい理屈は別にして、セッカチさの競い合い。
結構こんな単純な事が原因だったのでは、と思うようになった。
しかし、こんな初老の集団が結構上手くいく。
それは誰も自分のペースを譲らずマイペースでやるからだ。
中にはセッカチに引っ張ろうとするものもいるが、
勝手にどうぞ・・・という糊しろがある、年の功だ。
自分が納得の範囲でしかやらない、嫌なら止める。
かなり我がままだが、これって”全共闘”だ。
■2004.11.23 night 管理人 wrote
ここ2〜3日の携帯カメラの映像。
摩天楼のようにそびえるビル、
御茶ノ水を流れる神田川、
私の親戚の山奥の集落、
自然生の柑橘木に実る蜜柑。
    
この蜜柑を収穫し、木製の搾汁器で搾り、蜜柑酢を造る。
山間の集落に住む叔母の蜜柑畑が収穫を迎えた。
先日は終日この蜜柑を収穫と搾汁に馳せ参じた。
収穫と搾汁は人手の要る作業、親戚一同が集まる。
私の両親は私が四十に満たない頃、病で相次いでなくなった。
それから今までに、叔父、年長の従兄弟、それに実兄も亡くなった。
私の姓を名乗る親戚の男性で、悲しい事だが私が最年長になっている。
年に一回、蜜柑の香りに満ちた里に、親戚一同が集まる。
山間の里までは車で片道2時間、4時間の往復は出張帰りの体にはきつかったが。
■2004.11.23 morning 管理人 wrote
薄緑の若葉が顔を覗かせている、我が家の庭はこれからが楽しい。
クリスマスの頃から花が咲き始めるので”クリスマスローズ”、
凍て付く冬から早春まで咲き続ける可憐な花。
夢中になって3回目の冬を迎える。
急な出張で僅かな時間だったが、国分寺の夜は楽しかった。
音楽を交えた楽しいひとときなんて実に久しぶり。
ほんやら洞の店内は、かつての荻窪・教会通りのシルクロードとそっくり、
入り口がカウンター席で6〜7人と、壁側に10数人も入れば一杯の座席、
奥には4人分の隠れ家の様な席もある。
ここなら”武装蜂起”の密談も出来そうだ、35年前に帰った様。
それまで。お名前は知っていたがラビさんの曲は聴いた事がなかった(御免なさい)。
音楽よりも、1970年代に岡林信康さんや高田渡さんたちと、同志社学館や京大西部講堂で伝説のライブをやったというエピソードは聞いた事があるが。
ラビさんの別名”アングラの女王”。
「ラビさんの曲を掛けてくれませんか」とリクエストを。
「あ!、それなら私がプレゼントします」、
Yさんがカウンター奥から新品のCDを買い求め、封を開きプレーヤーへ。
申し訳ない気持ちと嬉しい気持ち、遠慮せず素直に喜んだ。
CDタイトルは「ラビひらひら」、ライナーノーツにサインまでしていただいた。

途中からCDが変わり、耳慣れた曲が流れる。
ラビさんに「このこの曲いいですね」と聞くと、「これはリリースしていない曲なの」。
美空ひばりの「真っ赤な太陽」、カバー曲でギンギンのブルースに仕上げている。
アーティストを目の前に、此処だけでしか聞けない曲。
この私が遠路遥々行ったのだ、日大全共闘理闘委中央沿線一派は是非行ってみるといい。
帰路、渋谷タワーレコードで、棚にあるラビさんのCD全部買い占めた。
感謝の気持ちを込めて、ゆっくり聴かなくちゃ。
ホームページでラビさんの歌が聴けます(要
RealOne Player)
一曲だけ直リンクを張らせていただきます、「私の中央線」、HP管理人さんごめんなさい。
ラビさん、「50人集まればライブに行くよ」・・・・・。
■2004.11.20 night 管理人 wrote
「この方、日大全共闘の**さんです」
かなりな紹介のされかた、私は少し度惑ってしまったが、相手はにこりと微笑んでくれた。
あ!ラビさん、この方空気が共有できる。
「隅っこではなく、こっちへ出ておいでよ」
国分寺、ほんやら洞の隅っこで三人で話に興じていたら、カウンターの中山ラビさんから声が掛かった。
7時に国分寺駅で「東京幻想旅行記」のYさんと待ち合わせた。
急な駆け足の出張の僅かな合間、以前から是非お会いしたいと願っていた方。
想像していたように優しそうな方、私は瞳をみれば分かる。
Yさんが、もう一人ホームページを見て是非私に逢いたい女性が居るという、光栄の限り。
ほんやら洞に行くと、既に待っていてくれた、「私、日大農獣医で10年後輩です」
当然日大生だったので日大全共闘は知っていたらしいのだが、ホームページを見て、それまで持っていた全共闘のイメージとすっかり変わったと言う。
私のホームページ、「憶えていない」「ごめん忘れた」という下りが実に良いと褒めてくれる。
私としては、受けを狙った訳ではなく素直に書いたつもりなのだが、受けたようだ。
カウンターの中の中山ラビさんを交え、終電間際まで楽しい夜は続く。

■2004.11.15 morning 管理人 wrote
1968年、11月に入ると結構色んな事が起きた。
9月30日の両国講堂での大衆団交を境に、状況は微妙に変化していった。
それまでの押せ押せムードから、ジワリジワリと追い詰められていく雰囲気と言ったらよいだろうか。
それでも皆は血気盛んで、行動隊も激しいの9月の実戦を経験し、過激なセクトの連中以上に逞しくなっていた。
そんな中、丁度今の季節、11月7日か8日だったか(年表を見れば分かるが)、江古田の芸術学部バリケードへの体育会系学生の襲撃事件が発生している。
10月郡山工学部バリウケードに続く、400名以上の集団の襲撃だった。
仲間は皆逞しくなっており、全国の学園に「日大全共闘ここにあり」とその名は知れわたっていた。
この時期、既に朝日、毎日、読売、サンケイ、何処の新聞も好意的には書いてくれなくなっていた。
佐藤栄作首相の力は偉大だ、一瞬にして新聞の論調が変わったのだから。
暴力団まがい、殺伐とした学園、良識のない行動・・・・・、等々。
マスコミの何たるや、自らの経験で知る事になる。
やってる事を変えたつもりは無い。
暴力を振られたから自衛しただけ、
真実を公表せよ、間違っていることを正せ、約束したことを守れ、と主張しただけ。
最初と変わった事を言ったわけではない、なのにあれだけ好意的だったマスコミはガラリと態度を変えた。
どんなにマスコミが難癖つけて非難キャンペーンを張っても、私たちの1968年の戦いは、全国の学園に燎火のように拡がっていく。
マスコミをあざ笑うかのように、高校、大学、専門学校、ありとあらゆる学園に拡がっていく。
■2004.11.12 morning 管理人 wrote
昨夜、妻は最近珍しく飲み会。
これも珍しく、定刻に退社した長男が、次男坊をあごで使って夕食の支度をしてくれた。
長男は、妻が予め用意したメニューでは充分でない様で、インスタント食品をプラスして食べている。
よく食べる兄を見て弟が感心している、「俺はお前と違ってブルーカラーだからな、動きが違うの!」
沖縄の方らかメールが入った。
辺野古で頑張っておられる方だ。
琉球朝日放送のホームページに、
>名護市辺野古沖へのヘリ基地建設計画で国がきょうにもボーリング調査のためのやぐらを設置する動きがあり反対派の住民が警戒を強めています。
「海上ヘリ基地建設に反対する市民団体や住民らは国によるやぐらの設置をからだを張って阻止する構えです」
市民団体のメンバー「(国が)これからやろうとしているのは本当に海底に穴を開けるという海を壊すことですからそれだけは絶対にやらせたくないと思っています」
東京での取り組みも活発だ。
この運動の情報発信が出来たらと思う。
来週からは公私に掛けてスケジュールがタイトになりそう。
沖縄国際大学の米軍ジェットヘリ墜落の写真、プリンターが悲鳴を挙げて働いている。
安くないインクのカートリッジもこれで殆ど2セット使い切り、もうインク切れのランプが点滅している。
プリントはそちらでして下さい、と仰った提供者の言葉の意味が良く分かった。
金はある!(力が入っている)、今日はインクを買いに行かなくては。
■2004.11.10 noon 管理人 wrote
憶えていますか、1970年より少し前、夜間、深夜、新宿駅を燃料タンク車が人目をはばかる様に通過していたのを。
タンク車は、一千万都民が眠る街を突っ切って東西へ走る。
燃料は在日米軍がベトナム戦争に供用する軍需品。
人はこの米軍燃料タンク列車を「米タン」と呼んだ。
ベトナム反戦を叫ぶ、学生、労働者、市民は、この米タンを阻止する行動に出た。
いわゆる「米タン阻止闘争」だ。
高まるベトナム反戦のうねりを受けて、日本国政府と日本国有鉄道は人目に晒される新宿駅周辺の線路を鉄板で囲った。
ベトナム反戦運動を行う集団が、このベルリンの壁のような鉄板にペインティングした。
「この向こうはベトナムだ!」
この新宿東口の鉄板壁を思い出して欲しい。
私たちの通勤・通学、日常の生活の直ぐそばで、軍需物資が運ばれており、
人事では無いと受け止め、声を上げたあの時代を。
ファルージャは遠いアラブの人事なのか。
■2004.11.10 morning 管理人 wrote
相変わらず、写真を撮っていない。
録ってやろうという気はあったが、当日デジカメは家にすっかり忘れている
これだけ便利になっても撮れない、撮らないということは、何時になっても撮らない性格なのだろう。
世話人のNさんが撮ったものを(無断)拝借して載せている。
開演10分前
世話人Nさん撮影より拝借
世話人代表Mさん挨拶
参加費を無料にするのか有料にするのか、かなり話し合った。
結果的に1000円(高校生以下無料)に決めた。
基礎的な実費を賄うため、事前に世話人で一定額の資金を出し合った。
予想外の参加者で、収が支を上回っている。
昨日の反省会では、この浄財をどうするかも話あった。
世話人の誰からも、事前に供出した資金を返せという申し出は無かった。
この資金も含め、次のアクションプランを話し合った訳だ。
「沖縄国際大学・米軍ジェットヘリ墜落」写真パネル展、これで行こう!。
今度は入場料は取れない、支出のみの覚悟で、この浄財を生かすのだ。
会場でのアンケートの回収率が非常に高い。
意見・感想欄にビッシリと書き込んでいるもの多数。
さすが1000円を負担してまでも参加した方々だ。
無料の集会ではこうはいかないだろう。
■2004.11.9 morning 管理人 wrote
「エッ、父さんこんなの読んでるの」
次男坊が私の呼んでいるチョムスキーを見て驚いている。
夕食時、時折語り聞かせた無茶苦茶なゲバルト話で、オヤジは生粋の単ゲバ派と刷り込んでいる。
読書する父親、それ以上にチョムスキーなるものを読む父親が意外らしい。
「父さん、その本(チョムスキー世界を語る)は余り宜しくないよ、インタビュー形式なので話が総花過ぎるよ」
どうやら、オヤジに難解なこの学者の書物類も既に読破しているようだ。
「チョムスキーの装丁本は高すぎるよ、僕はペーパーバックを読んだけど」
そういえば、書店の書棚にはペーパーバックもあったが、見栄が先にたち高価な装丁本をチョイスした。
米国で今もっとも過激な論客として名を馳せるている(著者紹介より)この学者、次男坊は言語学の学問として読んだらしい。
オヤジは自己の言動の正当性が欲しくて読んでいる。
読むスタンスが親子でこれほど違う。
でも、この学者の世界観の評価はかろうじて同じ。
国家、民族、宗教で分断された民衆の運動をインターナショナルで結びつけるのは、世界を圧巻し続けるグローバリズムに抗する戦いである。
ウ〜ン、コミュニズムではないようだ、久しぶりのアジテート。
■2004.11.8 night 管理人 wrote
学生のワークショップを聴いて、其のU
ワークショップなるものを初めて聴いた。
各自が自分の意見を順番に発言していく。
討論形式ではないようだ。
考え方をぶつけ合い、仕舞いには掴み合いの激論になる私達のそれとは少し違うようだ。
総じて男子学生の意見はおとなしい、というより少し子供っぽい。
高校のクラス会の発言のような幼さが感じられる。
それに比べ女子学生の意見は、それより激で社会性がある。
・・・と言うより感情的で尚且つ理屈っぽいと言う方があっているのかな。
「アメリカに好き勝手されて、それって悔しくはないですか・・・」
そうなのだ、それでなくては!。
時代が時代なら、この子(娘)は鉢巻なんぞじゃなく、直ぐにヘルメットを被るはずだ。
怒れる若者、異議を唱える若者は何時の世にも居るのに、
私(達)は、何故きちんと伝えてこなかったのだろう。
■2004.11.8 morning 管理人 wrote
久しぶりに職場のデスク。
週末を利用しての講演会だったのに、随分ながい時間が経った様な感覚。
心地よい虚脱感、やはり歳は否めない。
講演会の後の、大学生のワークショップでの一話。
この男子学生はイラク自衛隊派兵に肯定的な意見だった。
日本と米国は良好な友好関係にある・・・イラクに派兵しないと友好関係に支障がでる・・・経済関係が上手く行かなくなる・・・経済的なダメージが発生する・・・失業が増える・・・失業が増え自殺者が出る・・・云々カンヌン。
これには百の反論が出来るが、私はメンバーでないので静かに拝聴していた。
面白かったのはこの後の発言。
「・・・だけど今日の安田さんの話を聞いて・・・」(発言の前後関係は意味不明)。
「今までは鉢巻巻いてデモをしている人達を見ると怖かったが、これからは・・・」
思わず、世話人代表のMさんと顔を見合し「ウッッ・・??」
「鉢巻まいてデモしている人が怖い??・・・」
聞こえない小声で「違うだろう怖いのは、ヘルメット被って火炎瓶もって来る奴だろう」
当世の学生達の発想は”鉢巻”止まりらしい。
これは、きちんと伝えてこなかった私たち世代の重大な責任だ。
今度、スタイルだけでも伝授するデモンストレーションを企画しなければ。
学生はよく働いてくれた、ありがとう!
■2004.11.7 night 管理人 wrote
当地では安田純平さんの講演会の前日に、イラクで亡くなられた橋田さんの奥様の講演会があっている。
講演会は地元公立短大(夜間制)の自治会が学園祭の一環として夕方から開いた。
世話人代表のMさんも参加したらしく、300人は入る講堂から聴衆がはみ出していたらしい。
あちらは無料、こちらは1000円の有料のバリアー。
プレッシャーでMさん、押し潰されそうになっていた。
更にその数日前には、憲法集会の催しとしてイラクで同じく人質となった郡山さんが招かれている。
こちらは政党色の強い催しで参加費500円、事前の組織動員数も正確に読めているようだ。
この集会で、私達の講演会のビラを配布もしていただいたが。
期せずして一週間の内に、イラクに関する御三人の講演が続いた訳だ。
この三人の講演会のいずれも取材した国立放送局の記者、取材でこう言ってくれた。
「今日の講演会に来ている方は、年齢的にも幅広く普段この手の集会では余り見かけない方が多いですね、組織動員でない事が伺えますね」
事前に協力をお願いした労組や団体の方はチラホラ、お願いしたチケットの割には少なかったように思う。
その代り、当日チケット無しでこられた方が半数以上、高校生も結構居た。
殆どぶっつけ本番、これでは予測が出来ないはずだ。
考えれば、かなり無謀なプロジェクトだった。
50才から63才まで六名の、初老、老人共闘。
鹿砦社・松岡さんには「老人行動隊」と称して頂いているが。
無謀だから、しんどかったが楽しかった。
Nさん、ジャージスタイルで街頭行動は一回も休まず黙々とチラシを配った。
組織動員でなく今の世、誰がこんな事をする。
彼が「俺は戦争を止める事に何にも力になれてない、貴方は死んだらダメだ、絶対死んだらダメだぞ・・・」と涙を流し、安田純平さんの手を握り続けた気持ち痛いほど分かる。
朝は世話人の一人が空港まで送って行った。
今日も近畿で講演があるという、それも11時開演。
心配し尋ねると「まあ、何とかなるでしょう」との返事、渡世人だ。
「昨日はかなりNさんに手を握られました」と言い残し、空の人となった。
この若者には今後も出来る限り”現地の情報”を発信して欲しい・・・・・、
でも死なないで欲しい。
■2004.11.6 midnight 管理人 wrote
不安は増幅していた。
会場がガラガラだったらどうしよう、安田さんが万一来れなかったらどうしよう。
飛行場の迎えゲートで待っていた世話人代表Mさん、乗客の出てくるのが途絶えてもゲートに現れない安田さんに、胸が裂けそうなくらい不安になったという。
人が途絶えて暫くして、ポツンと一人降りてきたらしい。
最後の最後まで心配させる御仁だ。
開演30分前、会場の1/4程しか埋まっていない。
こちらも気が気ではない。
実は先日、世話人で動員予想をし合った。
弱気な予測から、少し強気な予測まで、その差は3倍ほど開いた。
掴み所の無い手応えに、概して皆弱気になっていた。
開演10分前ぐらいになると、急に次から次に人が来だした。
半分はチケット無しの方々、金庫が見る間に参加費で埋まっていく。
開演時間には、後ろの空間に立ち見する方が増え始めた。
会場も、11月なのに人息で蒸し暑い。
受付に居た世話人のNさん、Hさんと思わず握手して「やったぞ!」
会場では世話人代表のMさんの挨拶が始まる。
緊張して少し強張った声。
たどたどしく話すMさん、慣れて滑らかな挨拶よりハルかに訴えかける”心”がある。
Mさん、貴女は立派だ。
先程まで居酒屋で安田さんと飲んでいた、彼は酒が強い。
世話人のNさん、安田さんの手を握って離さない。
「死んだらダメだぞ、絶対に死んだらダメだぞ!」、そう言って安田さんの手を握り続けている。
Nさんにとっては自分の息子の様な歳だ。
彼は眼に涙を溜めて安田さんの手を握り続けていた。
講演会終了後、安田さんを囲んでの大学生のワークショップ
■2004.11.5 morning 管理人 wrote
チョムスキー流に云うと、極めて政治的な課題においての情報は、あらゆる過程で国家や、持てる者の都合の良いよう操作されている。
その手法は歴史のあらゆる過程で実践されてきており、アメリカ国民の大多数が反対していた第二次世界大戦のヨーロッパ戦線への参戦の時もこの手法が駆使されている。
これによって、アメリカの資本はそれ以後巨大な富を得ている事は歴史が証明している。
何もイラク戦争開戦の今回だけではないらしい。
このプロパガンダ(政治宣伝工作)に対応しうるのは、民衆の知りたいと気持ちであり、テレビ、新聞などのメデイアで伝えられる事に疑問を持つ心だと。
ウ〜ン、私(達)のしている事に、チョムスキーさんが”及第”の判を押してくれたような気持ち。
皺の少ない脳が、早速洗脳されかかっているが。
世話人会は僅かな手勢。
挨拶、司会進行、マスコミ対策は世話人代表のMさんと年長格のGさん、NさんはPAと記録と事後のインターネットへの報告作成、Hさんと学生は受付と書籍の販売、Mさんは渉外担当。
私は・・・・・、完全な裏方、会場設営全般と金庫番。
手作りの看板、受付の準備、PC・プロジェクター・スクリーンの手配と搬入、販売用の書籍の搬入、事務用品、参加費や書籍のつり銭、電源コード、それに案内用のポスターも。
昨夜は仕事を終え、Nさんと二人でパソコンで会場案内用ポスターと、書籍販売の値札ポスターなどを作っていた。
学生時代を思い出す作業だ。
違う所は、作業は全てパソコン、印刷物はレーザープリンターから白黒でもカラーでも出てくる。
二人でつくづく「便利になったなあ!」と感心する事しきり。
でも演壇の横断幕の看板は私の手書き、ポスターカラーで往時の立看文字にならないように意識して書いた。
先日の世話人会の帰り、エレベーターの中で最年長(63才?)のHさんがポツリと一言。
「俺、集会なんて何年ぶりかな、20年は過ぎているな・・・」
若いモンに任せておけるか!、
この爺さん達、ちょっと過激でしつこいぞ。
■2004.11.3 morning 管理人 wrote
昨夜は講演会の最後の打ち合わせ。
当の安田さんは何度連絡をとっても具体的なスケジュールがはっきりしない。
行動予定について何時着の何時出立などの予定を言ってくれない。
代表世話人のMさんが不安がる事しきり。
私達も、何故だろうと戸惑っていた。
「貴方、安田さんて公安が付いているのではないの?」
妻の一言で「そうか!」と気が付いた。
彼はイラクで解放された時も、帰国したときも警察の取調べに協力していない。
その毅然とした態度に、私(達)は感服したのだが。
いま日本でイラクの実情を伝えれる人が何人居るだろう。
何を知るにも、米軍を通じてしか情報は入らないし、その情報にも振り回されている。
真実を知った方は、時の権力者には一番邪魔だという事は”時代劇”でもしかりだ。
今の日本で数少ない”真実”を伝えれる方で、その勇気をお持ちの方なのだ。
警察は、公安は、彼を懐柔しようと試み失敗している。
凡々たる市民社会の感覚で、文化人を招く延長線上での感覚だったが。
彼は、全ての日常を”革命的警戒心”をもって行動しているのでは?
信頼できる相手にしか行動予定を明かさないのでは。
私(達)は、彼にとっては面識の無い相手で、たとえ信頼したとしても何処で情報が漏れるかも知れない。
私達は日常を営み、彼は非日常に居る、私達がバリケードであった様に。
そう思うと、安田さんの対応も納得だ。
迎えは要らない、会場には30分前に入ります、宿泊は未定、出立も未定の何とも掴み所の無い”予定”が納得できた。
講演会、公安が来るだろうな・・・・。
■2004.11.2 morning 管理人 wrote
先日の大学構内の出来事を、学生に年齢が一番近い次男坊に切々と訴えた。
次男坊「そりゃ〜そうだ!」、と私に同調してくれるつもりだったが。
「父さん、そりゃ〜学生さんにはうっとおしかったな」
どうやら、やり合った学園祭実行委員長さんの方に味方している。
我が息子も、このオヤジの言動は”うっとおしい”と受け止めているようだ。
「父さん、そりゃ〜相談すれば”ダメ”と言われるに決まっている」
「色んな業者・団体が入ってくれば収拾がつかなるなるよ、僕の大学でもそうだったよ」
「それに、建前はりっぱでも胡散臭い団体(宗教団体など)が結構多かったし」
でも、此処からの見解はかろうじて一致した。
「相談なんかせず、勝手に配ればよかったのに」
「そうか、無届の実力行使の方が良かったのか」
明らかな戦術ミスだった。
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