管理人日記 2004年12月  
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■2004.12.31  night   管理人 wrote

北の国から友が還ってきた。
我が家で、友と長男坊と3人で酒を飲む。
興が乗って来ると、友は長男坊相手に昔話を始める。
私が話してない事、家族には気恥ずかしい事を次々と話し出す。
長男坊が、このオジサンの話を嬉しそうに聞く。
オイ、ちょっと待て・・・。

帰ってきた妻が途中から話題に入ってくる。
私は目配せして話題を逸らす。
友人は一年遅れの北大全共闘、40年来の付き合いだ。
「おい、もう家まで送るわ」、半ば強引に連れ出した。
彼と次ぎ会うのは来年の年の瀬、それまで元気で居ろよ。

大菩薩峠でパクられた、友の友人の赤軍派だった北大医学生の話を昨日聞いた。
医師をしている今も公安刑事が付いていると言う。
長い拘留の後でボロボロになった心身を癒すため、友がこの医学生を当地に連れて来たことが有る。
猟銃を持って、首相官邸を占拠する事を、何故に彼が選択したのか当時は聞けなかった。
もういいだろうと思う・・・、今度会うことがあれば聞いてみたい。

長男坊は二日続きの朝4時からの仕事明け。
友に付き合いビールを1ダース、焼酎もかなり飲んで早々と床に就いた。
帰り際、友が「いい息子を持ったな!」
そりゃ〜そうだ、妻と手塩にかけて育ててきた息子だ。



■2004.12.31  morning   管理人 wrote

年も押し詰まって、最後の最後にはまってしまった。
ヒップホップのテイスト一色に毒されたファッションに癖々していたオジサンには、一服の涼風だったのだろう(独断)。
白いブラウスに、ラインの柔らかな仕立てのしっかりした黒のスーツのジウさん、
柔らかい、決して急がないハングル、
ルーズでスラングなヒップポップと対照的。

ドラマで憶えたハングル、
ラー、私
サランハンミダ、愛しています
アンニョンハセヨ、こんにちわ
モー、何?
アニ、いいえ

妻は韓国に行きたいと言うが、「もう少ししてから」
何故って聞くと、「今行くと皆に呆れられるから」
妻は一度も日本を出たことが無い、
今の韓国ブームが沸く以前から、気楽に行ける韓国に行こうと二人で話しをしていたのだが。
降って沸いた冬ソナ騒動で、折角の旅行が少し先に延びてしまったようだ。

日本語吹き替えの冬ソナを観たが、あれはダメだ。
冬ソナはハングルであるから美しい。



■2004.12.30  morning   管理人 wrote

政治的な言動と、個人の信条での行動との違いを考えている。
政治とは、利害の相反を調整して、共同体の合意を形成し実現する事。
あるいはその合意を目指して、働きかけを行う行為、と私は規定している。
その合意形成に、日本は議会民主主義を執っている。

政治的でないという事は、合意の形成を前提とせず、あくまで個人のレベルの言動で終始する事。
日大全共闘は、学生という得意な立場ではあったが、個人の利害を超えて形成された緩やかな組織集団。
利害を超えているので、組織を維持するために合意形成は必要ない。
形式的な合意形成のセレモニーが無い分、組織は柔軟で爆発的に拡大した。
私がいまだに拘るのは、この政治的でない組織が政治に鋭い刃を突きつけた事だ。
そして、突きつけた刃は、いとも簡単に折れてしまった事も。

世の中は、全ての動きが巧妙な政治的意図に収斂して行く。
政治的な動きは、議会民主主義というシステムでろ過され骨抜きにされて行く。
人を殺すな、諍いは止めよという根源の訴えは、共同体の利害の調整の中で薄められ廃棄されてゆく。
人を殺すな、諍いは止めよという願いは、宗教の中でしか実現しないのか。
もう一度、いや命の続く限り考えたい。
個人で参加し、政治的でなかった日大闘争を。
目指したのは何だったのか、何が生まれ、何に挫折したのか。



■2004.12.29  night   管理人 wrote

約半日かけて年賀状を作った。
先だって買ったモバイルバイオに年賀状ソフトが付いていたので利用。
住所録を移すのに四苦八苦、2時間ほどを費やした。
まあ何とか仕上がったが、家でも仕事をしている気分。

冬ソナにうつつを抜かしている間に、掲示板には真剣な書き込み。
若い方々から、メールでは時折頂くのだが掲示板では珍しい。
ウ〜ン、とボケた頭をひねっている間に催涙さんが熱い返答を書き込んでくださっている、有り難い。
思いを一方的に吐露するでけで、若い方には申し訳ない思い。

今年は、その名の通りクリスマスにクリスマスローズが咲いた。
数ある中でも原種に近い品種のクリスマスローズ。
ハイブリッド(交配種)の様に、余り綺麗な花ではないが、クリスマスに咲くかわいい花だ。
年が明けると、ハイブリッドの紅、ピンク、イエロー、黒、白、斑入りと色んな花が、こぼれんばかりに咲き始める。

 

妻は珍しくお街へ飲み会に、次男坊は友人と海へ夜釣りに。
珍しく長男が準備してくれた夕食を二人で食べる。
彼は明朝4時に会社へ出勤との事、そそくさと部屋に上がった。
さあ、これから冬ソナの鑑賞だ。



■2004.12.29  morning   管理人 wrote

胸の中に仕舞ってある美しい思いでは、大概スローモーションで再生される。
このドラマの動き、セリフは、思い出の再生速度と同調する、
主人公の二人の柔らかなセリフ回しも。
昨晩は明日から休暇、録画ではなくテレビで15話と16話をゆっくり鑑賞。

「貴方が”はまる”とはねえ・・・」
並んで観ている妻が、馬鹿にしながらも嬉しそうに話しかける。
2時間余りも、妻と並んでソファーに腰掛けるのは何十年ぶりだろう。
もっとも彼女は、何度も何度も繰り返し観たドラマ、殆ど横でスヤスヤ・・・、
仕事疲れも伴い、幸せな夢見状態。

大袈裟に言うと、韓国は日本の文化のツールだなあと思った。
かの国の激しい反日感情は、意図的に経済発展を目指し反日教育を施してきた国家政策ゆえではないか、
韓国の方々は、元来極めて温和な国民性をお持ちではないかと思うようになった。
このドラマは対立を演出しない、憎悪の敵を作り、善を際立たせることをよしとしていない。
対立者もまた善なのだ。

ドラマは後2晩4話、DVDのHDDには私のジウ様がせっせと貯まっている。
正直に言おう、私はハングルが余り好きではなかった。
でも、ジウさんの口から出る吹き替えではないハングルは限りなく柔らかく美しい。
かつての日本人は、かの国の文化を憧れ、尊敬し、受け入れてきたはず。
おばさま族に、私も負けていないのだ。



■2004.12.27  noon   管理人 wrote

年末の繁忙のピークは先週末で過ぎ、仕事納めまでもう一日。
冬ソナ収録も折り返し点を過ぎ、後半分となった。
昨日の日曜日、次男坊は珍しく朝早くから出掛けた。
妻がしきりに行き先を聞くが「チョット」としか返事をしない。

次男坊、いつもは何処へ何用で出掛けると答えるのに・・・、
「貴方、デートかもしれないかも?」と妻が嬉しそうに勘ぐっている。
二人の息子から、とんと彼女の話は聞かないし、私も妻も敢えて聞かないが。
そそくさと出掛けた次男坊の動向を探るため、長男に探りを入れるが「俺は知らない」の返事。

どうやら二人の息子は”共闘しているよう、返答が余りにも素っ気無い。
妻が「あの子達、何時かわいい彼女を連れて来るのかしら?」
二人の息子は、揃っていい歳、
私は、次男坊の歳には既に結婚1年目、長男の歳には2歳の走り回る長男坊がいたのだ。


■2004.12.27  morning   管理人 wrote

今度も代表と担ぐMさん、彼女は会の名称にどうも納得してないようだったが。
年寄り組みが数の力で何とか押し切った。
サロン派といえば、ボルシャビッキに激しく攻撃されたメンシェビッキ。
ローザや***ビッキと言われても、若い方には分かるまいが、
分かる方には分かるのでそれで良い。

米軍ジェットヘリ墜落抗議写真パネル展の会場使用を申し込んだ後、公園を抜けた。
改めて発足の”金曜サロン”代表のMさん、「私はここ(公園)で話し合いが持てる様な事がしたい!」
どうやらハイドパークの市民演説のように、此処でイラク戦争、平和について”生”で多くの方に訴えたい・・・らしい。
この公園、私は1969年夏、短い帰省中にギターを引っさげ一人でデビューした。
署名活動をしていた民青と、掴み合いの口論をした場所でもあるが、往時の根性は今の私には無い、
やっぱ彼女、ゲバルト・ローザだ。

当地でも「九条の会」とやらが、つい最近発足したらしい。
代表は、組織動員に明け暮れ、市民にそっぽを向かれた守旧勢力の親分。
幅広く市民に呼びかけるそうだが、やっぱり手法は組織動員の範囲を出ていないのでは、と私は批判的に見ている。
個人参加を呼びかけるのであれば、何故守旧勢力の親分を担ぐのだろう。

私は、この名も無いゲバルト・ローザを担ぐ。



■2004.12.26  night   管理人 wrote

ヤバイ!、
冬ソナが11話までDVDレコーダーのHDに貯まった。
このドラマ、時間設定が実にややこしい。
一話が69分、二話が72分30秒と全てこんな調子の時間設定。
DVDのフォーマットは標準で120分。

標準のモードではどう工夫しても、1枚のDVDのお皿に収まらない。
マニュアル録画でDVD−Rを設定すると、最長8時間まで収まるが、高速ダビングが出来ない。
等速ダビング、つまりドラマと同じ時間がダビングに必要。
これについ付き合っていると、ドラマに見入っている自分にハット気が付いた。

そうすると次の話を見たくなる、
ヨン・ウイルスではなく、ジウ・ウイルスに感染してしまったようだ。
どうやら、このウイルスはおじさんも感染するようだ。
妻に聞くと、このジウ・ウイルスに感染したおじさんの発症が多数確認されているらしい。
バカ妻に、バカ旦那、云う事なし。



■2004.12.25  afternoon  管理人 wrote

安田さんを招く会の解散式は、昼食会。
何故昼食会かというと、メンバーに酔狂が約1名と、断酒会に関与する方もいる為。
酔狂の御仁は、会の打ち上げで安田さんの手を握って離さなかった方。
その為、真昼間の酒抜きの昼食会ということになった訳だ。

この間、米軍ジェットヘリ墜落抗議写真パネル展をこのメンバーで開催した。
安田さんの講演会に比べれば、写真パネル展は楽だったが。
メンバーの誰もが、この6名の”緩やかな結びつき”は続けたいと思っている。
この緩やかさは維持しながら、どんな形で続けるかランチを取りながら話した。

先ずは名から入ろう、名称は”金曜サロン”。
過激な代表Mさん以外は、この”サロン”という呼称に異議はなし。
元々、障害者支援のNPO団体が運営する喫茶店で、金曜日に集っていたサロン派。
このかなり過激なMさんに引っ張られる形で、久々に走った訳だ。

多数決では圧倒的勝利、金曜サロンに決定。
反戦とか、平和とか、護憲とか、如何にもその集団と思われる呼称は私も嫌だ。
この名称で、緩やかな結びつきのイメージが決まった。
何か事を起こす時はサブタイトルを冠すればよい。

正月早々、市中央の公園内にあるギャラリーで、先の写真パネル展を再度開催することを決めた。
このギャラリーは市中央部の繁華街にある市民公園内にある。
かなり使用料は割高だが、多数の方が行き交う絶好の場所。
早速、主催者名は”平和を考える市民の集い”「金曜サロン」と銘打って会場使用を申し込んだ。

長男が有馬を当てたと、部屋で雄叫びを挙げている。
ギャンブル無縁の私には良く分からないが、何でも500円が12〜3万円になるらしい。



■2004.12.24  night   管理人 wrote

「父さん、髪を刈ってよ」
珍しい事に、次男坊がボサボサ頭を掻きながら居間に下りてきた。
「ああ、いいぞ!」
「でもな、父さんが刈ると”坊ちゃん刈り”になるけどいいのか?」
「別に、どんなんでも良いよ」
12年ぶり、25才の次男坊の散髪。

ゼロ歳の綿毛から、にきび盛んな中ニまで13年間、ひたすら私が刈った髪。
中二になって理髪店へ行くと言い出した、初めての散髪屋さんはバリバリに緊張したと言う。
その翌年には見事な”茶髪”、ヤンキー路線を突っ走った次男坊。
仕舞ってあったプロ用の理容鋏を出し、25才の息子の頭に挑む。
12年前までは、如何に揃えて摘むか苦労したが、今は如何に不揃い摘むかに苦心する。

先週買ってきたDVDレコーダー、冬ソナ録画だけでは勿体ない。
家族を撮った8ミリビデオを出してきてDVDに”焼く”。
17年前のテープ、小学二年の次男坊の髪を摘むシーンを見つけた、
画面の中で、まだ終わらないかと愚図っている、晩年の父母の姿も映っている。
DVDなら長期の保存も可能で、ダビングも至極簡便、冬ソナからの意外な"波及効果”。
ダビング中、妻と二人で、眼を赤くしてしばらく見入った。



■2004.12.22  morning   管理人 wrote

ヨン様とのお付き合いもこれで2晩目。
妻の冬ソナ完全収録の目論みに強引に引っ張り込まれ、先日曜にDVDレコーダーを購入に。
そもそも、DVDレコーダーなるものを私も妻も殆ど理解していない。
ホームページは作成できても、DVDはまた別世界なのだ。

店員さんに、BSチュナー内蔵型のDVD商品の説明を求めるが歯切れが悪い。
BSチュナー内蔵の方が面倒くさくないと思ったのだが。
「アナログBS放送はもう一年で終了です、内蔵アナログチュナーは使えなくなりますが・・・」
「こちらのデジタル対応の高性能機でしたら無駄になりませんが」
「えっ・・・、それじゃ我が家のBSテレビも同じなの?」

BSは全てデジタルに変わり、多チャンネル化と様々なツールで膨大な情報メディアになるという。
時代は私の知らないところでドンドン進んでいる。
そんなに情報が必要なのか、誰にとってそんなに情報が必要なのか?
本当に知らなければいけないことは隠蔽され、コマーシャリズムな情報が氾濫する。
テレビでコメンテーターが「これからの時代は、出来ることをしない、ということが大切」と云った、妙にこの言葉に納得する。
いい加減にしてくれと思うのは、私の加齢症状なのか。

しかし、とにかく、完全収録の目的は絶対なので、BSチューナー無しのモデルを選択。
これが実に面倒くさい。
電波はBSテレビから供給を受けなければいけないので、録画の際テレビを付けていなければいけない。
この繁忙な歳末に、それも毎晩午後10時から。
後、8晩も収録使命がある。

世の中、ヨン・ウイルスが蔓延しています、
婦女子の皆様、感染せぬようお体にお気をつけを。



■2004.12.17  morning   管理人 wrote

ポンコツ車は修理・養生中。
NHK朝の連ドラでバックミュージックにマル・ウォルドロンのレフト・アローンが流れていた。
ビリー・ボリデーに伴いピアノを弾いていたピアニスト、亡きビリーを偲んだ名曲だ。
バーのカウンターを挟み、主人公が家族の話をするシーン。
私はこの曲を、デモの帰り、阿佐ヶ谷の吐夢で初めて聴いた。
一緒に行った熊本大生のリクエスト、疲れた体に染み込んできたのを憶えている。


ビリー・ホリデーを教えてもらったのもこの熊本大生。
1970年、一年間熊本大を休学して上京し、水俣病支援闘争で裁判や患者支援で頑張っていた。
薬学の仲間を通じ知り合った。
勉学を放り、熊本を遠く離れ、バイトを続けながら東京の地で支援闘争を続けていた。

時代だろうなあ・・・、
体育会・右翼と競り合い、機動隊と激しくぶつかり合う日大全共闘と、地道に粘り強く”地味”に支援闘争を続ける学生が、お互いに共感し合った時代。
公害被害に苦しむ患者を見て、放っておけなかったその気持は”社会正義”、
日大全共闘の、私のそれと共通する。
しかし、彼女、私等より地道で粘り強かった。

立川自衛隊官舎ビラ入れ不当逮捕の事件は「無罪」を勝ち取った。
無茶苦茶な逮捕と、それに続く長い拘留。
時の政権が仕掛けた、国の政策に逆らう者へ、法を無視した「見せしめの弾圧」と言っても過言ではない。
ビラ一枚、官舎アパートに入れて”家宅侵入罪”、令状逮捕と家宅検索。
何ヶ月にも及ぶ拘留に、6ケ月の求刑・・・・・ふざけた事を云うな!

今朝の新聞、各紙一面トップで報じている。
逮捕された時、報道しなかった地元の地方紙も一面トップ記事の扱い。
全国紙が社説にまで扱い、表現の自由の深刻な侵害ではないかと問いかけた今回の逮捕。
私の地元の地方紙に、何故に逮捕の記事を載せないかと問い合わせると「共同から配信がないので」と応えた。
今回の一面トップの扱い、正直少し複雑な気持ち。

ネットメディアは総じて、この記事は無視。
今朝のトピックスとして扱っているところはヤフーをはじめ、私の見るところでは皆無。
トピックスはセンセーショナルな3面記事の内容で占められている。
メジャーなネットメディアのあからさまな右傾化傾向を示しているようだ。
これはIT関連メディアが、国の業界振興政策と深く結びついてるためと勘ぐりたくなる。



■2004.12.16  night   管理人 wrote

耐用期限間際のポンコツ車がエンストである。
現場の応援に繰り出した初日、朝一番にエンスト。
腰に違和感が走った、「来たな!」と思ったが。
10分後には立ち往生。

同僚に代替を頼み整形外科医院へ、腰に注射2本で激痛は取れたが。
立ち仕事は無理と、おめおめと帰宅。
夕刻、鎮痛の注射が切れるとまた時折激痛が走る。
この繁忙期に申し訳ない思いで、シュン太郎。

妻が帰宅すると「貴方、来春からスポーツジムに通いましょうよ」
彼女は週一回、テニスと筋トレにマメに通っている。
筋トレなんてと、プライドだけ高いヨットマンは馬鹿にしていたが。
妻の指揮下に入る事も考えなくては、と真面目に受止め。

昨日、ヨット仲間が”初日の出セーリング”を誘いに来ていた。
仲間は準備にマスト灯の取替えや、ビルジポンプの不調を整備してくれている。
二年続きで真面目に大晦日を過ごしていたので、久しぶりと思うが体力に自信がなかった。
出るか出ないか言葉を濁していたが、この腰はかなり鍛えなおさないと他のクルーに迷惑掛けそう。
冬の海は、陸上と違いかなり過酷、予想以上に体力を消耗する。


他のクルーザーのヨット仲間は、大晦日からの酒盛りから始まる。
日の出までは殆ど徹夜で飲み、海に繰り出す。
ユラリユラリ、波に揺られてキャビンで飲む酒は格別である。
年によっては、夜露が甲板で凍り付いている事もある、それにまともに当たる風、生半可な寒さではない。
暖房?、クルーザーにはそんなものは無い、ひたすらホッカイロと厚着で切り抜ける。
やっぱり、今年もコタツで除夜の鐘だな。



■2004.12.14  morning   管理人 wrote

山茶花がぼつぼつ咲き始めた。
こぼれんばかりに咲き誇っている頃より、ボツリボツリと咲いているこの頃のほうが趣がある。
そろそろ年末の繁忙期に突入する。
事務畑の私も、根こそぎ現場に応援にでる。
明日から御用納めまではオチオチ机に向かう時間は無くなりそう。


関西で歌声喫茶がシニア世代でブ〜ムになっているとの新聞記事。
歌声喫茶は私たちの”あの時代”には、既に下火だった。
”書を捨て、街に出よ”というコピーが巷に氾濫した時代。
歌声喫茶で暢気に歌っているのは民青ぐらい、と決め付けていたような風潮。

この記事が云うシニアというのは、60歳を越した方を主に指しているようだ。
65〜66歳前後の方は、安保真っ只中の世代、歌声喫茶でロシア民謡を歌っているのが目に浮かぶ。
中には、涙を流して歌っているシニアの方も居ると記事に書かれている。
敷石が飛び交い、火炎瓶が燃え上がる68〜70年の情景、国会通用門で万余の学生・労働者が棍棒で打ちのめされ血が滴る60年の情景、10年を挟んでも同じなのだろう。

それより遡る皇居前の血のメーデー、
そして60年安保の国民的な平和への高揚、樺美智子さんの犠牲、
我等の68〜70年代の全共闘運動も、
憶えているのは50歳以上のシニア世代になってしまった。
復活した歌声喫茶で、懐かしい歌を涙を流して歌うように、私はここで天に向かって吼える。



■2004.12.12  night   管理人 wrote

約束の時間30分遅れ。
ご町内のトラブルの仲裁に出向いたのはいいが、大幅に出遅れる。
今日の沖縄国際大学ジェットヘリ墜落事故・抗議パネル展、肝心のパネルを持っているのは私。
皆、ヤキモキしているのではと恐縮。

別に誰も来なくてもいいや、と思っていったのでプレッシャーは無かった。
パネルを展示する、う〜ん、我ながらの出来栄え。
夜なべをして作った自信作だ。
まずは昼の腹ごしらえ。

ポツリ、ポツリと、それでも参加者が来る。
思っていたより多くの参加者。
でも、そんなに多くはないが。
世話人代表Mさんが、フリートークの司会を始める。
自己紹介も含め、3時間ほど真面目なトークが続いた。





■2004.12.10  night   管理人 wrote

「私は街頭に出たい!」、
今日の打ち合わせは、煽られ放っし。
世話人代表のMさん、400名集めたイラク現地報告会は、取り組みの序章・プロローグらしい。
「私は皆に街に出て、声を出してもらいたい」、この”皆”とは報告会に参加いただいた方々。
このご婦人Mさんは、止まる事を知らない。

思い出した!、その昔、バリケードで本当に過激なのは”肝っ玉”の据わった女性だった事を。
べらんめえ口調で、トロトロしているゲバ学生に活を入れる。
そう云えば、居たなあ、そんなゲバルト・ローザが。
明大学館の知る人ぞ知るローザは、本当に飛んで行ってしまった。

初老のオジサン世話人、報告会がやっと終わってヤレヤレが偽らざる心境。
だけど彼女はここがスタート地点という。
このご時世、不特定の色の付かない市民を、400名も集めるのはそれなりのインパクトらしい。
彼女、○×党から、もうお誘いが有ったらしい。
さて・・・、どうするか。



■2004.12.10  afternoon   管理人 wrote

2004年12月10日(金) われわれの内なる<1970年代> 10

私はその当時、京都の同志社大学の学生自治会『学友会』の中央委員長だった」──
 これは、伝説の同志社大学学友会委員長、矢谷暢一郎さんの著書『アメリカを訴えた日本人──自由社会の裂け目に落ちて』(毎日新聞社刊、1992年)の一節である。


70年代半ば以降、御堂筋でデモらしいデモを見た覚えはない。矢谷さんらが、何度も御堂筋を占拠した時代は、美しい叛乱の時代だった。

松岡さん、渾身のシリーズ10、本日アップロード
ご一読あれ!

70年に『同志社学生新聞』に書いた論文から20年余り経った著書では、社会変革に対する矢谷さんの考え方は次のように変わっていた。──
「ソ連と東ヨーロッパで、内部の変革を求める人々の大きなうねりが起こっている時、それにつけこもうとする一方の陣営に手を貸すのではなく、冷戦を内側で終わらせる同質の運動が求められている。<六〇年代>に自ら発して答えられなかった問いに、この二十年、私たちは充分答えられるだけの成長をしたのだろうか。少なくとも、<六〇年代>に私たちが批判した政府に、答えさせてはならないと思う」(「あとがき」から)



■2004.12.9  night   管理人 wrote

朝方、かつてのイタリア共産党の事を少し書いたが。
昼休み、電卓を押してみた。
東京と近郊の県を含めると、ほぼイタリアの人口になる。
かつてのイタリア共産党の党員数は132万人
これを日本に当てはめてみると、
首都圏の全党員を動員すると、100万人を超える動員となる。

ウッ・・・・、これはエライこっちゃ!
首都に100万人動員したら、革命が起こせる。
イタリア共産党は、何が解党を促したのか。
日本の共産党の”党勢拡大”路線が虚しくなる。

何処かのホームページに、共産党の公称の党員数は40万人。
実勢は28万人なのに、代々木中央の党勢拡大目標は60万らしい。
末端の党員は、この拡大路線に”どっチラけ”という。
仮に目標を達成したとしても、解党時の伊共産党の1/4(人口比)。
代々木は伊共産党の解党をどう思っているのかな。
本音は絶対聞えて来ないのだろうけど。



■2004.12.9  morning   管理人 wrote

次男坊が還ってきてから、夕食は4人になった。
「貴方だけなら簡単で済むのに・・・」、いつも妻がぼやいている。
そういいながら、昨晩も思いついた様に夕食にピザを焼いている。
曰く「このオーブンは小さ過ぎる、もっと大きいものを・・」、
いつまでも息子達が居る訳でないのに。

食卓を囲み、4人でよく時事の話をする。
妻は朝日新聞そのもの、単純な私を冷ややかになじる。
長男は極めて世間一般の考え、というよりスポーツ紙の世界。
問題は次男坊だ、
彼の論調は、まあサンケイか読売の2面記事といったらよいのか。
同じ血液型のテンデばらばらの4人。

昨日はかなりコアな話題で、北朝鮮の話題から進み、「日本共産党は軍事の組織だ」という私の主張に行き着いた。
これを食卓囲んで、食事の話題とするのだから、かなり変わった家族。
私がかつてのイタリア共産党との比較の話をする。
イタリアの人口は5700万人、ほぼ日本の半分。
党員132万人といえば、日本の人口に換算すると264万人。
日本共産党は党員28万人(公表ではなく実勢、こういう組織の水増しは常識)、イタリアの1/10の党勢ということになる。

以前読んだ有田芳生さんのホームページの受け売りだが。
イタリア共産党は91年2月に「左翼民主党」に姿を変え、それに反対する勢力は「共産主義再建党」を結成。「左翼民主党」は96年には「オリーブの木」の中心となり与党に成長。
イタリア共産党が「消滅」した。132万人の党員に支えられる野党第一党であり、資本主義国では最大の共産党が「共産党」の看板を下ろし、新たな姿に生まれ変わった。なぜ彼らは「変身の道」を選んだのか、彼らの選択に日本は何を学ぶべきか。
「最後の」大会、会場いっぱいに流れ出したのはジョン・レノンの「ギブ・ピース・ア・チャンス」だ。スクリーンにはオノ・ヨーコやショーン・レノン、それにこの歌を歌うジョン・レノンの生前の姿も。
有田芳生さんホームページ、「今夜もほろ酔い」より引用


次男坊曰く「僕の読んだ不破哲三さんの本には、組織的には確かにそうだが内実はかわった(軍事組織ではない)と書いていたよ」
ムッムッ・・、こいつは不破の本を読んでいる。
私はかつても今も、共産党関係者の著作物なんぞは読んだ事がない。
やっぱり、斬った張ったの話題でしか、オヤジの威厳が保てそうにないようだ。



■2004.12.8  night   管理人 wrote

いまは
なにもいらない
雨の日は
こうして ふたり
こうして ふたり
カサさして
こうして ふたり
こうして ふたり
肩よせて 歩いてく  

いまは
なにもいらない
花びら ひろい
こうして ふたり
こうして ふたり
夜ふけの町を
こうして ふたり
こうして ふたり
空みあげ 星をかぞえたりする 

いまは
なにもいらない
向かいあい
こうして ふたり
こうして ふたり
目をとじて
こうして ふたり
こうして ふたり
抱きあい 限りなく 

こうしてふたり中山ラビ作詞・作曲 1974

素晴らしい曲・・・、
きっと 死ぬまで聴き続けるだろな。
そうだ・・・、何時か来るだろ息子たちの”祝い”の席できっとかけてやる。

仕事から帰ってくると、たかし・Y さんからCD届いている
”黒葛原りつ”、はじめてのシンガー、
CDジャケットの裏、
Special Thanks TAKASHI・Y の記載が、
ありがとう、ゆっくり聴かせていただきます。

黒葛原りつ



■2004.12.7  morning   管理人 wrote

先日メールを頂いた早稲田の学生さんから、あらためて便りが届いた。
卒論もひと段落し、メールをしたためているという。
ある出版社に採用が内定しているとも報告してくれた、嬉しい限り。
僕はとある出版社から内定をもらっているのですが、そこの総務局長も日大全共闘だったそうです。入社したらじっくり全共闘のことを聞こうと思っています」、これも嬉しい報告が書かれていた。

卒論テーマに”全共闘”を選んだせいだろう、面接でその事の質問があったのだろう。
彼曰く「就職活動でいくつかの企業で面接を受けましたが、面接官が元全共闘というケースが少なくありませんでした。そしてそんな面接はたいてい通過したものです
でも複雑ですね。全共闘の学生だった人が企業の採用試験で面接官をしているというのは。
結局全共闘は時代を裏切れなかったのかなあとという気がします
」とも書いている
幾つか出版社を受けたらしいが、若い面接担当者は全くといっていいほど卒論テーマには興味を示さなかった、とも言っている。

お父上も早大卒ということ、大学を選んだのも、全共闘に興味を持ったのも、父親の影響があったことは確かとも書いている。
私が父親ならこの上ない喜びだ、「この親孝行者め!」。
今の早稲田のキャンパス状況を嘆く事もかいてある。
全文を紹介したいが、私信ということで一部に控える。

公安の探りのメールではないかと日記に書いていたら、
「大学のサーバーから送ります」と早稲田の学内サーバー waseda.jp からメールしてきた。
早稲田大学文学部社会学科の君、
偶然にも、我が次男坊もD大文学部社会学科卒、来春から君と同様の社会人だ、
頑張れ!、君の未来に栄光あれ!
応援団なら此処で太鼓が ド〜ン、ド〜ン
全共闘なら、シュピレフコ〜ル・・・・・・。

ご免、メールの内容うら覚えで、かなり出たら目な引用文を載せた。
夕方、内容を一部訂正いたしました。



■2004.12.5  night   管理人 wrote

山茶花が一つ花を付けた、クリスマスローズにも蕾が。
強い雨と風がヤット止み、お日様が顔を出してきた。
こんな低気圧が通り過ぎた後の吹き込みは強烈。
ヨット、空を飛ぶ如く波を切ってカッ飛ぶ。
根性で練習に出たヨット部が、遭難するのもこんな日。
私・・・?、とてもとても鈍った体は、そんな根性も体力も持ち合わせてはいない。


夜なべして、米軍ジェットヘリ墜落写真をパネルに貼っていた。
スチレンボードに4枚ずつ貼っていく。
パネル展当日に作業しようと話し合っていたが、とてもとても短時間で出来る作業ではなさそう。
本来は、こういう作業を皆でやるのが楽しいのだが。

作業の読みが甘かったよう、
当日までに粗方仕上げて持ち込む事に、独断で勝手に変更。
しかし、相変わらず世話人代表Mさんは無茶だ。
この忙しい師走に、パネル展を強行するのだから。



■2004.12.4  noon   管理人 wrote

以前から欲しいと思っていたモバイルパソコンをやっとの思いで手に入れた。
SONYのVAIO、
「貴方、子供みたいね!」、妻がいつものように呆れている。
そういう妻も、初めてではないだろうか、デジタル機器を買いたいと言い出した。

私の興味のない分野の、DVDレコーダー。
どうやら冬ソナの完全収録を目論んでいるらしい。
我が家のPCはDVD再生だけ、妻のDVDへの録画の執拗な要請は無視していたが。
二人そろってバカ夫婦。

モバイルVAIO、小さいということは素晴らしい事、
何処にでも持ち出せる、
しかし、欲しいに舞い上がり、当たり前のことに配慮が抜けていた。
小さいと言うことは、字も小さい。
普通に入力してもフォントは10ポイント程、自然に顔をしかめ、目を細めている。
メールやHTMLのフォントなんぞは8ポイント以下、これは辛い。

これで出張先、旅行先、出掛けた先からホームページのメンテが出来る。
この日記はバイオからアップロード。




■2004.12.2  morning   管理人 wrote

歌詞2番

君はスクランブル交差点斜めに渡り乍ら
不意に涙ぐんで
まるでこの街は
青春達の姥捨山みたいだという
ねェほらそこにもここにもかつて
使い棄てられた
愛が落ちている
時の流れという名の鳩が
舞い降りてそれをついばんでいる
 喰べかけの夢を聖橋から放る
 各駅停車の檸檬色がそれをかみくだく
二人の波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
消え去る時には こうしてあっけなく
静かに堕ちてゆくものよ


さだまさしの「檸檬」が収録されているCDが届いた、
1978年リリースのアルバム。

まるでこの街は、青春達の姥捨山みたい・・・・・
この下り、私(達)の私小説、
皆分かるだろう!

少し前、東京の国立大を卒業したという若い方からメールが入っていた。
返事を差し出していた。
彼は思うところがあると書いており、最近上京した折り、立川でデモに参加したという。
東北の地で、これから地道にやっていきたいと書いている。

ファイト!   闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!   冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

中島みゆき「ファイト」



■2004.12.1  morning   管理人 wrote

「ひらひら」はいい。
Yさんが、国分寺「ほんやら洞」に案内してくれた訳が良く分かった。
ここのところ毎日、朝夕の通勤で中山ラビさんのCDをとっかえひっかえ聴いている。
渋谷タワーレコードで買い占めたCDだ。

最初は”おんな拓郎”の様で”山崎ハコ”の様でもあり、耳に馴染んだシンガーに緋も付けて聴いていたが。
聴き込むほどに中山ラビが浮かび上がってきた。
私に(私だけ!)とって重要なのは、聴くと1968年がフィードバックしてくること。
この点、ラビさんは120点だ。

妻に「貴方はすぐ染まるから」と呆れられているが。
今朝は「ラビひらひら」、ほんやら洞でYさんにプレゼントして頂だいたCDを聴いた。
5曲目の「こうして二人」優しいバラード、とてもよい。
8曲目の「ひらひら」もいい。

聖橋を渡り、桜が舞う湯島天神を二人で歩いた。
不忍池まで足を伸ばし、また聖橋まで。
ただ歩くだけ、それだけでほんのり幸せだった。
その子がバリケードに出で来なくなったのはそれからすぐ。

バラード「こうして二人」を聴いてて、そんな情景を思い出してしまった。


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