■2005.2.28 morning 管理人 wrote
春うららの暖かい朝。
6年に一度の船舶定期検査で”整備不良”、
年齢18歳のマイシップが”不合格”の憂き目。
マスト灯が切れていることは確信犯で受験したが、
船首、船尾灯まで切れていて、言うこと無し。

「検査証はお預かりします」
「整備が済んだら、証拠物件を揃え取りに来てください」
「・・・・・・、分かりました」
18歳なのでアッセンブリーの交換に成るだろう、
マスト、船首、船尾、合わせて3〜4万の出費。
■2005.2.27 night 管理人 wrote
何故、、郷里へ帰ったのか。
仲間を残し、何故桃井を去ったのか。
このまま何時までも居られたらと本当に思っていた。
でも、ある日荷物を黙々とまとめている自分が居た。
何故、郷里へ帰ったのか。
今でも自分を納得させる理由が分からない。
理由ではない衝動だった。
敢えて言えば、このままでは自分が潰れるかも知れないと思ったのか。
何年も何年もうなされ、仲間の顔が枕元に現れた。
人の居ない所で、桃井へ還りたい、還りたい、と声を上げて泣いた。
言葉が出てこなくなり、人と話が出来なくなった。
独りで居る事が、自分を支える術だった。
■2005.2.25 morning 管理人 wrote
朝靄のかかる峠のトンネルを抜けると郊外の住宅地が見下ろせる。
靄の中に、お月様のようにぼんやり出ていたお日様が差し込んでくる。
変わらぬ一日の始まりだ。

■2005.2.24 afternoon 管理人 wrote
昨日の夕日はスモーキーピンク、
今日は変わって肌寒い小雨。
この時期は、息子二人の受験や入進学で気忙しい時期だったが、
昨年からポッカリ穴が空いた様。

昨晩は、次男坊がスーツをぶら下げて帰宅、
先日、妻に付き添われ買い求めたスーツ。
嫌な顔をして出かけた割には、嬉しそうに持って帰ってきた。
細身の仕立て、これが今時のヤングスーツなのか。
でも、これって私の時代のVANスーツと同じでは。
私はジーンズにジャンパーのまま職場に飛び込んだ、
スーツは冠婚葬祭だけ。
何方かが言ったが、10年後の東大と日大は天と地の違い。
言われるまでも無く、そんな事は分かっている。
地べたに這い蹲ることで、全共闘のプライドを守った。
そんな親から育った息子だ、這い蹲るブルーカラーの思いはキチンと伝えてある。
■2005.2.22 night 管理人 wrote
降参、まいった、許してください。
・・・・・堪りません。
卑猥なメールに、一攫千金のメール。
堪忍袋の緒がプツン。
一時、ホームページへの管理人のメルアドの公開止めます。
■2005.2.22 morning 管理人 wrote
今日は青空、遠出だ。
■2005.2.21 afternoon 管理人 wrote
早速、職場のPCにSkypeをインスト。
職場のパソコンはダイナブック、やはりマイクは外付けが必要。
私のパソコンを含め、手近の3台にインスト。
こういうものは実演をしなければ納得していただけない、
職場の感想は、「ウッ・・・・?!?!」。
二つ分かった点。
1、インストすると、ソフトは立ち上げなくても常駐しており、
コールを受けると自動的にSkypeが起動する事。
2、此方のPCを立ち上げると、スカイプ名を登録している相手のPCに”サイン・イン”のメッセージが自動的に送られる事。
・・・便利だが、こちらの動きを全て悟られる事は良い事か、さてはて。
千円也のマイク
■2005.2.20 evening -U 管理人 wrote
友人はSkypeをバイオのモバイルPCにインストールしていった。
これは普段使っていないので至極不便、先程ベースPC(Win2000)にインスト。
「既にスカイパ名を持っている」でインストールすると、どのPCにも同じスカイパ名で設定が可能である事を確認。
パソコン使用中は何時もSkypeを起動しておくと、何時でも受話スタンバイって事だ。
相変わらず、マイクはヘッドホーンを使用。
早速、明日職場のPCにも設定してやれ(内緒)。
先程、友人に電話(・・・と言って良いのか?)。
さすが私に勧めただけあって、チャントSkypeを起動していた。
通話良好、波静か。
誰かのように、何時までも話していたいカワイイ?・・・娘が居れば良いのだが。
■2005.2.20 evening 管理人 wrote
Skype(スカイプ)、
スカイプは、スウェーデンのニクラス・センストロム、ジャナス・フリースの両氏が開発した高音質P2P(*1)ソフトフォンです。Window
2000 / XPのほかに、Linux, Mac OS X, Pocket PC 2003に対応しています。スカイプには、2者間の無料通話以外にも次のような機能があります。
会議通話(複数人同時通話) 、 テキストチャット 、 ファイル転送 、固定/携帯電話への発信(SkypeOut)。
スカイプは、P2P技術でユーザ同士を結びつけるので、通話には、サーバを一切必要としません。集中サーバを必要としないので、ユーザのプライバシーは侵害されません。高度暗号情報化技術AES128ビットで両者間の通話の内容も保護されます。多くのインターネット電話ソフトが単独ではできなかったファイアウォールやNAT(*2)の内側からの通話も、最新のP2P応用技術により簡単に行うことができます。(ライブドアホームページより)
突然、友人が用があるから来ると言う、やって来るとPCを立ち上げろと言う。
あれよあれよと言う間にSkype(スカイプ)をインストール。
友人は家に帰り私に通信するという。
PCからリリーンと電話の呼び出しベル音。
受話器アイコンをクリックすると「モシモ〜シ」の友人の声。
友人、「あれ、聞えていないかな?」
私のパソコンにはマイク機能があるかどうか不明、さて困った。
そうだヘッドポーンだ、
確かヘッドホーンはマイクと逆、ヘッドホーンをマイク端子に指し込み話し掛けると開通。
マイクが無くてもこれで十分役目を果たす事を実証。
これで地球の裏側でもワールドワイドで、無制限で、通話通信がOK!
つまり全てタダ、無料、ブロードバンド環境であれば、一円も費用が掛からない。
相手のスカイプ名を登録していると、相手がSkypeを起動した事をPCが認識しメッセージしてくれる親切さ。
英語の本家サイトもあるが、ジャパニーズの今話題のライブドアーのページから入手可。
インストールした方、メールでスカイプ名を交換しませんか。
私のスカイプ名の公開は当分差し控えますが。
友人は、フリージャーナリストの安田純平さんとしばし通信通話を楽しんだそうです。
いやはや、驚きで、付いていくのがやっとだが。
■2005.2.20 early morning 管理人 wrote
ゴム長、ゴム手袋、早朝から気合を入れて出かけたが誰も来ていない。
今日は月一の清掃日、ご町内の川底浚え。
先月は所用で出れなかったので、今日は!と勇んでいたのだが。
川辺には人影が見えない、厳寒期なのでお休みなのか。
 川底用に"出世”したマリンブーツ(YAMAHAなのだ)
この川底、夏場は川藻や水草が生い茂る。
こんな田舎だが、生活廃水の下水が整備されており結構清い。
ご町内にとっては、直ぐ近くの一級河川に山からの鉄砲水を導き流す防災上の大切な川。
少し問題が生じている。
暖かくなるとこの水草に、水辺の小動物が棲息するらしい。
上流のご町内から、ホタルの幼虫のため水草を刈らないで欲しいとご要請が町内会長にあっている。
三十年も前、未曾有の大雨が降りご町内が浸水した事を年配者(私も)は憶えている。
そう簡単に”ホタル”と言われても、下流の町内は譲れないのだ。
防災と環境、難しい問題だ。
■2005.2.19 night 管理人 wrote
政府ご用達・・・否、間違った。
自民党ご用達のフジテレビの乗っ取り劇に、常軌を逸したあわてぶり。
政府や財界までもがドタバタ出てきて、御用プロパガンダを証明しているようなもの。
もっとやれ、飛び散る覚悟でもっとやれ、ホリエモン。
ホームページのお仲間のBlogや日記を見に行くのが楽しい日課。
取り分けヘビーライターのBlogは一味違う。
薀蓄たれず書かれている、ありのままの私を読むのは楽しい。
文章の一節一節から滲み出る思い、ペーソスが味わい深い。
夕方、西の空に青空が少し。
明日はいい天気のよう。
 
■2005.2.18 morning 管理人 wrote
今日は交渉先への直行出勤、少し余裕のある朝。
胸糞が悪いと言った書き物類は、それでも当時は結構真剣に読んだ。
自分達のしている事を”肯定的”に評してくれているように思ったから。
でも、どれを読んでも何を言っているのか良く分からない(分かっている素振りはしたが)。
とにかく”論”が意味不明、理解不能、やっぱ日大の頭では無理なのかと自虐。
そんな事言ってるよりスクラム組め、石を拾え、嫌なら嫌でそれで良い。
日大全共闘は実に分かりやすかった。
訳の分からない呪文を唱え、説教垂らしている書き物には改めて胸糞悪い。
■2005.2.17 morning 管理人 wrote
>その後の学園闘争に一番影響を与えたと自負している。
つい言ってしまう、・・・こういう発言が異世代に嫌われるんだろうな。
目を閉じると、非難轟々の声が頭を通り抜ける。
「あんたら好き勝手なことして、後がどれだけ迷惑したか分かってるのか!!」
全共闘とその後の世代に、深い、不快な断絶があることは身に沁みている。
昨日全共闘運動論でページ検索を掛けた、長谷川さんが3番目に出てくる。
フムフムと近くのページを散策。
とあるページの全共闘論(1982)に「全共闘運動とレーニン主義党」の一項。
全共闘−その意義と限界
今、全共闘運動をどう受けとめるか
帝国主義本国階級闘争の特殊な性格と全共闘運動
全共闘運動の意義と限界
全共闘とその後の大衆運動の腐敗
全共闘の地平をどの様に受け継ぎ、発展させるべきか
−全共闘運動とレーニン主義党−
読んでいて、”胸糞”が悪くなった。
・・・・その一言だけ。
この私の持った嫌悪感が、そのまま私達に向けられていると自戒した。
■2005.2.16 morning 管理人 wrote
石川セリといえばヤッパ井上陽水でしょう、今日の車中BGMは”GOLDEN BEST”
若い方から結構メールを頂く。
妻に自慢もこめて「どうしてこんなオッサンを相手にしてくれるのか?」、と聞くと、
「そりゃ〜、貴方が日大だからでしょう」、
「・・・・・?」、
「相手が構えないのよ、日大だから」。
褒められたのかけなされたのはよく分からないのだが、
日大だと敷居が低いという意味らしい。
その後にまだ追い討ちが続く。
「これが東大で理路整然とした事を言っていたら、誰も近寄らないでしょう、説教は誰も聞きたくないの!」、
納得してしまう自分が少し惨め。
69年の安田講堂はまさにこの正反対の事例だったのでは。
篭城した当の東大生が極僅かで、外人部隊の他大学生(一部労働者)が大半だったのだが。
東大だから、象徴だから、カンパニアとして充分すぎるほどの値打ちがあったから挙って集まったのだろう。
私が徹底抗戦で篭った68年9月4日、理工学部一号館バリケードは日大純潔種だった。
議論になっている東大と日大の篭城では、かなり意味がちがうのだろう。
でも歴史は面白い。
日大生だけで(一部未確認の自発的応援部隊もいたが)闘った学内民主化闘争が、その後の学園闘争に一番影響を与えたと自負している。
日大闘争は、右翼や機動隊が相手だったから論争なんか通用しなかった、体張るより他守る術がなかった。
ポン大生だからとにかく数が多かった、数が多いから怖くなかった、単純だからしつこかった、諦めなかった、妥協しなかった、。
結構こんないい加減なファクターが、意図的かつ計画的な闘争より広範な影響力をもつ稀な事例だろう。
■2005.2.15 管理人 wrote
昼からぶっ通しの会議を終え、デスクに戻った。
残り僅かな時間、少し感傷をしたためる。
1999年3月、兄が急逝して丸6年、もうすぐ7回忌を迎える。
兄より1年長生きした訳だ。
7回忌と云っても法事はない。
義姉の信念で、葬儀は無宗教で執り行った。
既に成人していた子供達もそれに従っている。
葬儀のときに義姉に頼んでお骨を分けてもらった。
お骨は持ち帰り、両親の傍に納めた。
仏壇で微笑んでいる兄の写真が位牌代わりだ。
もう2年生き長らえれば、娘や孫達と東北の杜の都で過ごす生活が待っていたのに。
働いて、働いて、働き過ぎて6年前逝ってしまった。
good
song make me sentimental
小学校4回、中学校は学年毎3回、父の仕事のため転校した。
幼い頃の記憶はズタズタ。
幼馴染の友は皆無。
寂しい性格はこの頃できたのだろう。
一瞬だったがバリケードには私の全てがあった。
ほんとに一瞬だが。
その時から、こんなに長い時が続くとは思いもしなかった。
■2005.2.15 morning 管理人 wrote
今日の車中BGMは石川セリの”八月の濡れた砂”、
夏、海、ヨットというシーンが歌詞で歌われている。
ブレッド&バターも好きでよく聴いていたが、彼らも湘南、海、ヨット、マリーナという情景がよく出てくる。
感傷的な歌にはこの手の情景が多い。
歌詞に対抗するのだが、これでも一様14フィートのディンギィーと30フィートのセイルクルーザーのオーナー。
ヨットクラブに所属し、マリーナにも登録している、ヨット暦20年なのだ。
できれば、もう少し若い頃から始めミーハー的にアピールしたかったのだが、残念かな40近くまで気持ちもお金も余裕が無かった。
マリーナに立つときにはマリンブランドのヤマハやヘリーハンセンで身を固めているのだが、如何せん頭頂が薄い。
この黄昏たオッサンがマリーナに立っていても、何の風情も無い。
先日、春一番の風を受けてかっ飛ぶスプリングレースのエントリー招待状が届いている。
エントリーシートをしばし眺めていると、オープンクラスのセイルクルーザーのレースもあると書いてある。
クルーザーだと少しは考えるが、さてクルーが集まるかどうか。
春一番の突風の怖さは骨身に沁みて知っている、クルーザーを危なく岸壁にぶつけそうになったこともある、ビギナーなクルーでは怖いし。
クルーザーの6年毎の定期検査が間近に成っている。
国土交通省の定年天下りの検査官が来て、主に安全装備を5分くらいチラッと見て検査手数料24300円也、取り替える紅炎信号管も4〜5000円、車の車検からみればかなりの割高だ。
ここだけの話だがマスト灯も切れている、誰かがマストに上がり取り替えなければ検査が通らないが、何とか誤魔化せないものか。
■2005.2.14 morning 管理人 wrote
丁度この時期、峠のトンネルを抜けると太陽が真正面、水平に射してくる。
この30数年変わらず、朝日に向かい出勤し、夕日に向かい帰宅した。
その間、バイパスが通り、高速道路が開通し道路は一変している。
辺りは凍てついているのに朝日は強烈に差し込んでくる。
長谷川さんの卒論をアップロードして3日目。
昨夜グーグルでページ検索を掛けてみると、彼の名前と卒論で3番目に出てくる。
ロボットはアップした11日に、既にページを検索・認識している。
以前はアップしても2〜3週間は検索に引っ掛からなかったのに、インターネットのスピードアップは恐ろしいものがある。
実名の公開は承諾を得ているが、ネットでの属人情報の配慮が欠かせないのを身をもって感じたところだ。
今日の車内のBGMは、上述の感傷的な内容とは正反対の”ベンチャーズ”。
これでもかと言うようなボルームで、乾いたエレキが車内で炸裂。
高二の時、発表会の演壇でこの曲をバックにツイスト(ダンス)を踊ったことが思い出される。
出来れば、好きな女の子と踊りたかったのだが。
■2005.2.13 afternoon 管理人 wrote
昨日親戚の見舞いの途中、久しぶりにマリーナにチラッと立ち寄った。
昼時、ハーバーに戻り皆のんびり寛いでいる。
殆ど見かけない顔ばかり、社会人は居ないかと覗き込んだが知った顔が居ない。
夏から随分ご無沙汰しているので殆ど門外漢。
もうすぐ春一番が吹き出すとシーズン開始。
朝から庭掃除、お日様が照り気温が上がり心地良い。
鉢物の植え替えもほぼ終わり、日向ぼっこにしばしベンチに座る。
庭先を通る方からみれば、ひなびたオジサンが呆けて日向ぼっこの風情だろうな。
昼から次男坊が実に嫌そうな顔をして妻と外出、何でもスーツを買いに行くと言う。
自分で稼ぎ出せばこんな事も最後になるだろう、辛抱して母さんに付き合え。
岡林信康の世界(LP)
ひっそりした我が家、久しぶりに音楽鑑賞。
納戸からゴソゴソとレコードを引っ張りだしてきた。
プチプチというノイズも結構良いものだ。
アマゾンにレコードジャケットを探しに行ったが岡林とリリィは、無い。
そんなに古いのかなあ・・・、スキャナーとデジカメで作成。

石川セリ(CD)、リリィ(LP)
■2005.2.12 night 管理人 wrote
午前は親戚のお見舞い、午後はクリスマスローズの植え替え。
今が生育期のクリスマスローズ、本来植え替え時期は10月頃なのだが、根詰まりを起こしているので根を痛めない様に慎重に植え替える。
ウイークデーは小雨や曇天続きだったのに、昨日から爽やかな青空。
真面目に仕事に精を出したご褒美か。

妻が「無料で出来るDVDバックアップ」という本を職場で借りてきた。
私に”読め!”と言うのである。
どうもご法度の”抜荷”のマニュアル本のようだ。
このホームページのためなら一晩 all night も苦ではないのだが、”抜荷の技”習得には意欲が沸いてこない。
元々そういう方面のマニアでないのだ。
周さんが東京ステーションギャラリーで2/5〜3/21に開催されている無言館の「遺された絵画展」の事をブログに書いています。
私も行きたい!、行きたい!、行きたい!、でも遠いのだ・・・。
周さんの涙顔が目に浮かんできます。
周さんも言っていますが、首都圏に居られる方は是非見てください、私は画集しか見られなくて悔し〜いけど。
私もその内きっと信州上田の無言館に行きます、行ってみせます。
周さんのブログより借用
■2005.2.11 night 管理人 wrote
午後からはダウン、先程うたた寝から覚めた。
久しぶりにリキが入り昨夜は all night 。
結構仕事も詰まっていて今週は疲れ気味、しかし疲れた勢いというか何故か気合が入っていた。
労作をキチンとホームページに上げなければという気負いからか。
今日の当初の予定はクリスマスローズの植え替えだったのだが。
一年苗を買い求め7号鉢で育てていたが、3年目になり根詰まりを起こしている。
先週に9号鉢と10号鉢を買い求めてきている。
鉢は素焼きか陶器に拘っているので、これが結構な費用になる。
でも4〜5年生のクリスマスローズは本当にリッパ、こぼれんばかりに蕾を付けている。
昨日は知人で仲の良い団体専務が尋ねてきていた。
職業安定所に求人に行く途中だという、求人はドライバー兼地区担当の職種で取り合えず準職員でアルバイトしての採用。
協同組合なので決して職員を使い捨てにするあこぎな職場でない。
しかし職種をドライバーで募集すると、面接にくる若者の全部と言っていい程皆に意欲が見られないそうだ。
素振りでもいいから、3Kの仕事に挑み頑張ってやろうという様なアピールをする若者が皆無と言う。
良い若者がいたら紹介して欲しいという頼みを残して職安に行った。
複雑な心境。
■2005.2.11 noon 管理人 wrote
早大4年、長谷川さんの卒論「全共闘運動論」を13日にアップロードする予定でお話していた。
何人かの方が、アップロードを楽しみにしていますとメールを下さっている。
当初、この3連休に混み込んで作業し13日に間に合わそうと思っていたが、期待の声が多いので昨晩気持ちを奮い立たせ徹夜で作業することに。
長谷川さん御本人からは「2月にはいれば何時でもいいです」との返事はいただいていたので、作業が済み次第アップロードさせていただこうと昨夜から頑張った訳だ。
FTPソフトでHTMLページを作るのは手馴れているのだが、ワードから直接WEBページに変換しFTPソフトで開くと、思ったようなページ構成にならない。
プラウザの横幅に文章幅がシンクロしてしまう。
何度か試みたが最後は諦めた。
一画面一ページ構成だとあまりにもページ長が長すぎるので、2ページに分割した。
併せて章毎に6つに分割したPDFファイルを作りアップロードした。
プリントして読んでいただくにはこちらが便利(アクロバットリーダーが必要)。
どういう風にお願いしてよいか分からないが、彼の創作である、著作権への配慮は欠かさないで欲しい。
デビューする息子を見守る気分です。
長谷川さんのメルアド(ホットメールだが)も張っている、ただ彼は今旅行中だと思う。
■2005.2.10 night 管理人 wrote
so
tired this week !
■2005.2.8 night 管理人 wrote
そぼろ降る小雨、カラカラに乾く2月の厳寒期にはいいものだ。
ウインドの水滴に、ブレーキランプの赤が拡散している。
赤いヘルメット、赤いブレーキランプ、赤は良い。
シェリル・クロウのサウンド、アコーステックとデジタルが微妙にミックスされて心地良い。
■2005.2.7 morning 管理人 wrote
日大闘争は、それまでに至る長い前史があったことは後で知った。
目の前に見えてからの事態の展開はとにかく急激だった。
気がついたらヘルメットにゲバ棒かついでデモをし、バリケードに泊り込みしていた。
全学連が、大学自治会が何十年経てきた過程をほんの数ヶ月でやってしまったのだから。
やった後どう成ったかと云うと、先へ走り抜いてしまい前に誰もいなくなった。
1968年7月8日のスト批准学部集会で、民*は賛成に回ったかどうか私は知らない。
しかし、当時私は”敵対勢力”とは受け止めていなかった。
正直云うと、民*という集団のことには全く知識が無かった。
7月、バリケードで毎晩開かれる全体集会で難しい顔をして、皆にやり込められているグループがいたのを憶えているが、今思い出すとあれが理工学部民*班だったのだろう。
直接議論はしていないので憶測だが、彼らは「バリケードストライキは止めよう」と言いに来ていたのではないかと思う。
やがてその7月も末には、彼らは一切姿を見せなくなった。
彼らと再会するのはそれからほぼ一年後、バリケード封鎖が解除され、授業再会に至る過程で”敵対勢力”として表立ってきた時だ。
云った様に、事態の展開が余りにも急でダイナミックであった為、民*諸君の華麗な変化振りをこの目で見てしまったのが私のトラウマだ。
・・・・・否、変化してしまったのは私等の方かも知れない。
事態の変化にもブレが無く、一貫して変化しなかった(出来なかった)のは民*諸君の方だろう。
その一点において、しかし私にはそれが全ての意味において、あいつら嫌いだ。
また、轟々の非難を食らうだろうな。
■2005.2.6 morning 管理人 wrote
昨日からの民*との出入りの話は、興に乗って書いた訳ではない。
出来れば1968年の話だけで、1969年以降のことは書きたくないのが本音なのだが。
ともすれば”正義の味方”的な筋書きに陥る過去履歴で、私も道理が通り難い事をしている。
その事も正直に話しておこうと思ったから。
時代に責任転嫁するつもりは無いが、相手が民*である限り罪悪感は無いが。
ロックアウトされ、正常化路線が強引に推し進められる中で、全共闘残党は行き場の無い所に追い込まれて行った。
授業が次々と再開され、それまでシンパだった学友が伏目がちに授業に入ってゆく。
アウシュビッツの様な鉄格子の中に入っていく学友の背中に、悲痛な呼びかけを何度したことか。
鉄格子の間から院生や助手、教授の胸倉を掴み、涙を流して抗議した。
しかし、私達全共闘メンバーもやがて彼らの列に入って教室に戻った。
仲間にはセクトに入るものが出始め、セクトからの勧誘もあからさまに行われるようになった。
そんな中で、私の学科の仲間がとある弱小セクトの学部キャップ的な存在になっていた。
その仲間の誘いで、私も何度かセクトと行動を共にしていた。
彼等の行動(闘争)の主だったものはセクト内の分派闘争であり、主導権争いだった訳だ。
先に述べた、民*の全国集会への強襲は、弱小セクトの存在アピールであり、カンパニア闘争以外の何者でもなかったと思う。
しかし、私は対象が民*の全国集会である、との一点だけで十分動機を満たすものであった。
ただ、私はここに述べた民*相手の”外ゲバ”には参加したが、彼らの内ゲバには唯の一度も参加していない。
彼らセクトの行動は私には納得できる代物ではなかった。
何故、同志を襲う事によって自らの存在を主張するのか、日大全共闘とは似ても似つかぬ集団だった。
掲示板に書かれた、私達より少し後の世代がゲバルトといえば”内ゲバ”しか経験した事が無いというのは、まさにこの頃から始まってしまったのだろうか。
私達全共闘の運動が結果としてこういう事態を招いたのか、それとも横を走っていたセクト自らの自壊現象だったのか。
其処の所が未だに整理がつかない。
■2005.2.5 night 管理人 wrote
「父さん、晩飯どうする?」
「そうだな、スーパーで寿司でも買ってきてくれるか」
晩飯は次男坊に調達を頼んだ。
掃除・洗濯は厭わないが、食事の段取りだけは不調法。
妻が居ないときは外食か、弁当でも買ってきて済ましてしまう。
安田講堂前を埋め尽くした民*の集会は何時だったか、先程までネットで調べてみたが探し当てられない。
あれだけの規模の集会だから直ぐ分かると思ったのだが。
私が弱小セクトと何回か一緒に行動したのは’69〜’70年、その頃だろうが。
最後に弱小セクトと縁を切ったのは、明大生田キャンパスへ**派狩りに行くと言われた時。
私は**派には何の借りも貸しも無かった、私には参加する理由が何も無かったから。
セクトには入りこそしなかったが、中途半端な距離でセクトの負の面を経験してしまった。
ボロボロになって東大正門前から地下鉄に向かった。
仲間を欠き、皆形相が変わり殺気だっていた。
動員・上京組の民*が地下鉄方面から列をなして後から後からやってくる。
私達とすれ違わずには東大に行けない。
先頭のリーダーらしき学生が、集団を庇うように歩道の脇に寄せる。
私等は歩道の脇に張り付くように寄った学生に角材を振る下ろす。
彼らの持っている旗やバッグを取り上げ車道に投げ捨てる、田舎っぽい女子学生の顔が記憶に焼きついている。
地方の民*にはこれが話しに聞いた暴力学生と深く心に刻んだろう。
歌声集会に参加する良識あふれる学生と、暴力学生の差を実感していただいたはずだ。
電車が入ってくる、電車の中には集会参加の民*の学生集団が。
電車のドアに立ちはざかり、降りてくる学生を角材で押し返す、窓から角材で突付く。
地下鉄ホームでも乱暴狼藉は続いた。
■2005.2.5 morning 管理人 wrote
万規模の民*集会に突っ込んだ話を書いたが、何故?って所は結構適当な理由。
日大全共闘の心情、行動パターンを理解していただくには一つヒントがある。
私の独断だが、それは高邁な社会変革の志でも、革命への熱情でもない。
高倉健さんが演じた任侠の世界、これがヒントだろう。
お前は負けるの解って、何故に万余の集会に突っ込んだのか。
多分ヒンシュクを買うだろうが正直に言う、
1、右翼・体育会系を相手にしていたので別段怖くなかった(本当に怖ければやっていない)。
2、個別日大闘争で、彼等民*は道理を外れ義理を欠いていた。
3、そんな党中央のロボットで、真面目で、お利口で、小生意気で、邪魔くさい民*諸君を、白昼思いっ切りぶっ叩きたかった。
4、高倉健の影響で、圧倒的劣勢の対戦構図にヒーロー意識を感じた。
東大正門から少し進撃すると安田講堂が目に入ってくる。
講堂前は全国から動員された民*でビッシリ、近づくと集会参加者が一斉にこちらを振り返る。
演壇では「暴力学生の挑発には乗らないように!」と言う様な事をしきりに言っていたような記憶。
帰れ!帰れ!の合唱が浴びせられる。
これを浴びると益々気持ちが高揚したような記憶。
キャップの「突っ込め・・・」の合図で、角材を振り回しながら集会に突っ込んだ。
私の志願した部隊、今考えればこの”闘争?”は弱小セクトの存在アピール=跳ね上がり、多分不意打ち行動だったのだろう。
屈強な夜民*や、地区民*のゲバルト部隊は居なく、大半が動員・上京組のお利口そうな学生。
突っ込んで気が付くと周りは民*ばかり、僅か100名足らずが万の集会に飲み込まれた状態になっていた。
キャップもいい加減なもので”退路”も考えていない行動。
ウ・・・、でも良く考えると退路を保つような行動はした覚えが無いな、みんなこんな調子だったかも。
この時、進撃より撤退が難しいという事を身をもって体験してしまった。
この一件については今でも罪悪感は無し、反省はもっと過激にやっとけば良かったと思っている。
■2005.2.4 afternoon 管理人 wrote
「貴方、今日は早く帰ってきて送って下さいね」
妻は今晩から車中2泊の”強襲”スキーツアーに出掛ける。
私もお誘いを受けたのだが、ご辞退した。
昨晩は、「手袋が無い、バッグが良くない」と大騒ぎ、私は彼女の後ろでオロオロ。
夜討ち朝駆けの”強襲”と言えば、30数年前の話を思い出す。
夜も更けて、都内某所に集結して待機。
日付が変わる頃から、ホロ付きトラックの荷台に乗り込み移動。
荷台で未明までじっと待ち、アパートを”強襲”。
見張りと、通信の遮断は抜かりなくやる。
断っておくが、これは私の経験ではない、セクトに行った友の話だ。
私もその友に誘われ、民*の集会への強襲部隊に志願した。
その内一度は、安田講堂前で行われていた民*の全国集会。
神田川沿いの医大に集まり、御茶ノ水橋から地下鉄に乗り、本郷前で降り立った。
手勢は100名も居たろうか、東大正門の鉄のゲートから安田講堂前の万余の民*の集会を強襲した。
万余に100の対戦、結果は当然見るも無残な敗退、ボロボロ・ズタズタで東大正門まで遁走。
今でも、負けると解っていてよくまあやったと思う、それでも突き動かす何かが当時はあったのだろう。
その頃私達はバリケードから追い出されロックアウト、民*が禿げ鷹の如く学内で暗躍し正常化路線を推し進めていた。
赤ヘル諸氏にはそれなりの理由付けが有ったのだろうが、私には日大でなくても彼等の集会を襲うのに特段の理由は必要なかった、強いて言えばヤクザのお礼参りだ。
強襲部隊はJ医大のキャップが率いる赤ヘル部隊、間違っても日大全共闘の部隊ではこんな事はしない。
ボロボロになった部隊を何とかまとめ正門前で点呼すると、逃げ遅れ拉致された者が数名。
正門前にたむろしている間も、地下鉄を降りて列を作った民*の集団が、歌声をあげながら次々と横を通り過ぎていく。
負けた腹いせに、その列を角材で突付く、殴るの乱暴狼藉は本郷の地下鉄のホームまで延々と続いた。
全国動員の地方の民*さんに、暴力学生のお手本を見せた事になるだろう。
その夜は、中大キャンパスで拉致された仲間との捕虜交換要員を”確保”した記憶がある。
スキーツアーから話が随分脱線してしまった。
■2005.2.3 morning 管理人 wrote
早大4年生、長谷川さん(実名)からメールが届いた。
卒業も決まり、来週から旅に出るとの便り。
先のメールで、彼の卒業論文を何時ホームページに上げてよいのか尋ねていた。
私のお願いしていた2月13日で構わないとの返答。
実名も公開して差し支えないとも書いている。
「連絡先は管理人経由にしますか?」、と尋ねていたら、
「ホットメールのアドレスのほうでなら」、との事。
ホームページにメールアドレスを貼り付けると、迷惑メールやウイルスメールがわんさか来るようになるのだが・・・、ホットメールならまあ良いか。
でも、長谷川さん、PCのウイルス対策にはくれぐれも気を付けてください。
何せA/4で61ページにもなる、そのままPDFファイルで上げると・・・重い!。
章ごとに6分割させていただくことにしている。
HTMLページは丸ごと一頁でワードからWEBページに変換、インデックスページを設けリンクを張り、読みやすく。
先のメールは、私の住所・電話と実名を添えて送っていたが、今回のメールには彼も住所・電話を添えている。
キチンと礼儀をわきまえた若者だ。
彼の住所、かつて私が住んでいたところに近い、それだけで親近感が沸いてくる。
心に残る、楽しい旅でありますように。
■2005.2.2 morning 管理人 wrote
寒い夜は早く寝るに限る。
早く寝ると早くから目が覚める、幾らでも寝られるのは若者の特権のようだ。
真っ暗な庭、所々白く、クリスマスローズの鉢がカチカチに凍て付いていてオロオロするばかり。
日の出はまだずっと先、そんな訳でコーヒーを立て、パソコンに向かっている。
妻は一昨日、パスポートの申請用紙を手に入れ、一日で必要書類、写真全て揃え、用紙も記入を済ましている・・・、ヤル気になっているのだ。
昨日は代理申請で、午後から私が役所に出向いていた。
書類をしたためていた係官が、不意に「申請人の生年月日を仰ってください」。
月日はすぐ出てくるが、生年がすぐ出てこない。
指を折って確認して西暦で言うと、「和暦で言ってください」
又、私の生年に指で足して計算。
パスポートの外事窓口って、結構厳しいのだ。
つい最近韓国に行った友人に尋ねると、
「ハングルの表示は訳が分からないからパニックになる」、との事。
考えてみればあれだけ近くて、文化の影響を受けている国なのに、ハングルは全くと言ってよいほど日本に入っていない。
日本は漢字とアルファベットの国だったのだ。
■2005.2.1 afternoon 管理人 wrote
先月末受けた監査で、厳しいご指摘を受けた。
「ホームページが最近殆ど更新されていない、一体どうなっているのか!?」
私のこのホームページの事ではない、私が更新管理をしている会社のホームページ。
新しい電算業務システムに忙殺され、何時ぞやから更新していない。
「私以外に出来る者はいないのか」、との指摘。
残念だが員数の少ない職場、三年前に私と一緒にWEB講習を受けた同僚は、ものの見事にデザイン系に進化してしまっている。
イラストレーターとフォトショップの達人、WEBは許してくれと尻込みする。
結局、私以外に更新管理する者がいないのが現状。
そんな訳で昨日から大胆なリニュアール。
ページを強化するのでなく、更新しなくても目立たなくするようなページ展開に改・・・悪。
背水の陣をしき、ほぼ1日と半で、見掛けだけは格好がつくページにリニュアールできた。
ボタンや画像、GIF類は全て従来のものを転用、これが手抜きで最大の効率を上げる。
見栄えを良くするためにもう一日ぐらい掛けると、監事さんも何も言わなくなるだろう。
ホームページは”看板”位の理解しかないようだし、ホームページの何たるや多分お分かりではないだろうから。
少々心が痛むが、これで堪えて下さい。
帰ってきたら、クリスマスローズに被さった雪が氷になっている、大丈夫かな。
■2005.2.1 morning 管理人 wrote
今年一番の寒波。
朝早くから、子供の元気な声が空き地から聞えてくる。
昨晩の予報で、度々寒波の襲来を予報していたが、さすがにドンピシャリ。
窓を開けると、久しぶりの銀世界。

運の悪い(?)事に、今日は山間部へ出張る仕事が入っている。
通勤とは反対方向、渋滞に巻き込まれずに済みそうだが、久々のスノードライブになりそう。
近くの学校の職員駐車場も車が僅か。
いつもはこの時間帯、先生の車で一杯なのに、通勤道路は渋滞のようだ。
私はアイスバーン大好き男、久々に腕が鳴る。
でも使う車は職場のバン、足回りは軟弱そのものなので、ゆっくり走ろう。
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