管理人日記 2005年3月  
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■2005.3.31  night   管理人 wrote

帰宅すると「父さん雨合羽ないかな?」
次男坊が戸棚を探し回っている。
スーパー・カブでの通勤に、雨合羽は必携ということらしい。
母さんに買って貰った細身のスーツ、カブには合わないと思うのだが。

私はジーンズにジャンパーで勤め始めた。
デスクワークになってしまった今も、ネクタイは締めない。
長男はスーツで出勤したのは最初の2〜3日だけ、年中作業服が仕事着。
オヤジと長男、親子二代のブルーカラー。

我が家初のスーツ族に、母さんが目を細める。



■2005.3.31  morning   管理人 wrote

次男坊は明日からお勤め。
数日前から、長男と何やらゴソゴソしていたが。
昨晩帰宅してみると、三河屋さんのバイクが玄関前に。
丈夫そうなフレームに、後部には丁重に鋼製の荷台まで取り付けてある。
完全なプロフェッショナルユースのスーパー・カブ。

息子の職場はオヤジの直ぐ近く。
「毎日つんでいってやるよ」、と言っていたのだが、
オヤジとの同伴出勤は”死んでも嫌”らしい。
乏しい資金で、中古バイクを兄と探していたようだ。

元々、京都御所近くでは原チャリ暴走族まがいの学生生活をしていたようで、
些細な交通違反で、官憲と公務執行妨害スレスレの諍いを繰り返していた履歴もあるらしい。
払えない罰金を、幾度か兄に無心していた未確認情報もある。
その次男坊が、社会人一年生で通勤の足に選択したのが”スーパー・カブ”だ。

車は母のお下がりの”オバチャンカー”。
バイクは業務用の”オッサンバイク”のスーパー・カブ。
自称正統”モッズ”、彼にとってこれがファッション的にピッタリなのだろうか。
私はこういう、いい加減な息子が好きだ。



■2005.3.29  night   管理人 wrote

久しぶりに綺麗な夕陽。
BGMはポール・アンカの「君はわが運命」
続いてはコニー・フランシスの「ボーイ・ハント」
もうバッチリ、言う事無しの帰路。





■2005.3.28  night   管理人 wrote

この土日、少し憂鬱な気分だった。

サラリーマンは人事異動の季節。
零細規模の我が団体でも、春の定期異動なるものがある。
つい最近まで異動される側に居たのだが、
異動命令の権限を持つほど私は偉くはなっていないが、
不満な辞令を受けた者は、私を厳しい目で見る。

朝の通勤、車内BGMは久しぶりにビートルズの Lover Soul。
少しの間、妻のニューカーを通勤に使っている。
カーコンポにセットされていたエルヴィス・プレスリーのバラードCDをビートルズに交換。
そう、妻はエルヴィスとビートルズのファンなの
drive my car 、憂鬱な気分を吹っ飛ばすにはビートルズに限る。



■2005.3.25  morning   管理人 wrote

おやっ!、と気が付くと
クリスマスローズの株元、こぼれ種からかわいい双葉が顔を覗かせている。
鉢植えは早めに花を切り取るが、露地植えはそのままにしている、
我が家に自生のクリスマスローズが咲くのは何年先だろう。

日本の農業は老人で支えられていると以前に講演で聴いたことがある。
それも平均年齢は現在70歳以上とも聴いた。
農水省は、高度成長期以後農業生産は下降線を辿ると踏んでいたらしいが、どっこい最近まで横ばいで推移している。
役所は、就農老人達がここまで頑張るとは思っていなかったらしい。
しかし此処にきて、彼の老人達も寄る年波には勝てず、農業生産は下降線になっているらしい。

役所の農林部門に”担い手支援”なる部署が創設されて数年になる。
このまま行くと、農業の担い手が本当に居なくなる危機的状況らしい。
70を越して尚、踏ん張っている就農老人達の後を引き継ぐのは・・・
「定年帰農、
 団塊世代よ、農に還ろう!」



■2005.3.24  night   管理人 wrote

携帯で自分撮りを試みる。
この携帯を使ってほぼ二年、
今頃やっと、折りたたむと、自分が撮れるのが分かった。
カメラスイッチも側面に有ったのだ。

どの角度だと、薄くなった頭頂ハゲが写らないか幾度もスナップを試みる。
情けない頭頂と比べて、周囲はまだまだ充分残存。
このスナップは、微妙な角度からの、我ながら巧みなショット。
頭髪の事情、修正はしていないが、余り真実でもない。


机の横に壁掛けの姿見を備えている。
自分の顔をしげしげと眺めてみる。
元々痩せ型で”貧相”な面構え。
でも黙っていれば結構”味”が出てきたのでは、と自分を慰める。
ウ〜ン56歳、やっぱ貧相だな。



■2005.3.24  afternoon   管理人 wrote

支払いのバンキングが終わってほっと一息。
明日は退任する役員の送別会、宴席は出来るだけ避けたい性分だが、
永年お世話になった役員さんには義理がある。
でも一次会までにしておく。

妻が腰痛で職場を早退したと携帯が。
彼女、この日曜、お彼岸だと異様に気合を入れて一人墓掃除に出張っていた。
草木と悪戦苦闘の格闘をしたらしい。
この後から腰を引きずっていたようだ。

我が家の墓所は山の中。
バリアフリーとは程遠い、息を切らして登ってゆく難所。
数ヶ月も放り置くと、直ぐに山が降りてくる。
山が降りてくる・・・?、
草木に墓所が飲み込まれてしまう事。
こういう表現は、本当の田舎でないと分からないだろうな。

この墓所から、街が一望できる。
この街は、私が東京から逃げ帰った街。
この街で、妻と暮らし始め、
この街で、息子達は生まれ育った。



■2005.3.23  morning   管理人 wrote

久しぶり。
一日テレビを見ないと有意義な日を過ごせたと感じる。
情報の洪水は、枝葉末梢な興味をそそることに腐心し、実は肝心なことを伝えてないらしい。
情報の大半を生活から除いても、日常生活には全く支障がないのでは。
商業主義に毒されたマスメディアの堕落と云われて久しい。
そう云っている内に、インターネットにつながらない一日が有意義だったという時代がそこまでやって来ている。

商業主義といえば、かつては社会正義に反する風潮として評されていたが、
今や、世の中の価値を決める基準にすらなっている。
貧困への畏怖の裏返し、富めることへの利己的・排他的な追及が商業主義としてはびこっている。

初老の憂鬱。
最大多数の最大幸福を実現する、手段としての”社会主義”の実験が歴史的な失敗に行き着き、その崇高な理念までもが商業主義に土足で踏みつけられている。
社会正義を実現すると信じた”社会主義”が、陳腐で前時代的遺物として軽んじられ、人より富めることが最大目的で、憚りなく横行する社会。
寂しい思い。


■2005.3.17  morning   管理人 wrote

駐車場に狭しと3台の車が並んだ。
家を建て替えたとき、敷地の2ケ所に4台分の駐車スペースを構えた。
狭い道路に面した我が家、来客に気軽に車を止めていただこうと余分に構えた。
3台分の駐車スペースは、時には真ん中、斜めと、妻が気ままに使っていたのだが。

やがて長男が戻り、今度は次男坊が戻ってきた。
大学に送り出したときには、息子達はもう戻ってこないだろうと妻と話していたのだが。
長男が戻ると車は3台に、今度の次男で4台に。
余裕を持っていたはずの駐車スペースが全て埋まってしまった。



相変わらず、次男坊は兄ちゃんのアッシー君。
夜半、酔客を迎えに出動。
これ幸いと、ますます長男の車の外泊が増える。
4台が揃って並んでいるのは土日、ウィクーディーは珠。



■2005.3.16  morning   管理人 wrote

中村君墓参会

2月27日
場所;千葉県 八千代市 八千代霊園
最寄駅;京葉高速鉄道 八千代中央 徒歩8分
    京成線 八千代台 バス又はタクシー


(プライバシーのため写真は縮小しています)

墓石には「日大全共闘戦士 中村克己」と刻まれている。
写真提供 天野屋殿


■2005.3.15  morning   管理人 wrote

心にポッと灯がついて、目頭が・・・。
おっとせいさんの闘病記。
体を病んで、心が豊かになる。
久々に、何度も何度も読み返した。
おっとせい日記 2005/03/13 [日]



■2005.3.15  morning   管理人 wrote

まず第一点、社会主義を奉じ崇めていなかった事。
第二点、真面目で頭のいい奴ばかりでなかった事。
第三点、勧誘やオルグが無かった事。
第四点、入るも出るも自由で、何ら制約を受けなかった事。

日大全共闘と、他大学の全共闘ないしはセクトの諸君との違い。
徒然に相違点を少しデフォルメしてみた。

第一点は言うまでも無いが、中には過程でそれに走った仲間の居るが。
第二点、他大学の全共闘は”真面目”で”頭のいい奴”が概して多い。
日大は当時公称10万人、大学のレベルも決して高くない(自嘲。
偏差値 fifty の頭で考え、難しい理屈を言う前に行動する、だから単純明快で面白い。

第三点、言い換えれば皆が自主的、自発的参加。
それ故、第四点に行き着く。
(皆の非難が聞えてきそう)



■2005.3.14  night   管理人 wrote

陽が少しずつ長くなってくる。
帰路、お日様の水平撃ち。
かつて仲間で、至近距離でガス銃の水平撃ちを食った御仁がいる。
私はそんな恐ろしい目に遭った事はないが。
I follow the sun


朝は車の窓ガラスが霜で真っ白。
昼間は車のエアコンが冷房に切り替わる。
この温度差に体がついて行くのがやっと。
こんな日は、日向ぼっこをするのが最高の贅沢だが。



■2005.3.11  morning   管理人 wrote

業務のシステムエラーが発生し、週半ばから繁忙極まる。
日記の更新もママならず3日経過。
サーバーのキーボートのキーが押され続けられていた状態、つまり何かが被さっていたため。
エラーの原因、何とも情けない原因でサーバー障害が起きた次第。
システム復旧と、データーのリカバリーに忙殺される。

午前中は”イラク写真展”の準備のお手伝い。
この写真展には、私らの「沖縄米軍ジェットヘリ墜落写真」も協賛展示していただいている。
当初、協賛ということで写真パネルを提供したのだが、
案内チラシには、共同主催者で名が連なっている。


本来の主催者は、当地でも長い歴史と伝統を誇る平和団体。
急ごしらえの新参の私らが、共同主催者に奉られているのは嬉恥ずかしの心境。
会長ともども準備作業の応援に馳せ参じた次第。
会場は公共の図書館、朝から結構な来館者がある。

明日は妻の新車が届けられる。
ディラーの営業のヤングマン、
「納車は大安が良いですよね」
「!・・・、大安?」
妻も私もそういう発想は無かったもので。
彼女が長年乗り親しんだ廃車寸前の”おばちゃんカー”は、有り難く次男坊が賜る。



■2005.3.8  afternoon   管理人 wrote

私等の闘争の、セクトのそれとの最も大きな相違点は、
集会やデモに参加した何気ない一般学生、これが過激。
そのうち写真でも紹介するが、
七三にきちんと髪を分け、スラックスに革靴、ワイシャツ姿の正真正銘の一般学生が平気でヘルメットを被る。

そこにはセクトで云われているような思想性とか、
強要される「決意と主体性」とかは無関係。
「それっておかしいじゃん」、
この素朴な問いかけと”異議申し立て”が思想ではない共通項。
バイトの途中でフラリとバリケードに顔を出し、
偶々のデモを、最前列で暴れる。
強要されたわけではないから、ゲバルトも渾身で頑張る。

思想性が無いから、潰れる思想は無い。
潰れる時は”全人格”だ。
そんな訳で、潰れる前に嫌に成ったらトンズラする。
捨てるものが少ないポン大生だからだったと自嘲している。


■2005.3.8  morning   管理人 wrote

「全力投球」・・・、いい言葉ですね、思い付きませんでした。
思い出すに、1968年9月30日を境に私等の戦いは徐々に変わりました。
迎えた1968年の10.21国際反戦デー。
ヒンシュクを買うかもしれませんが、「何だそれは?」くらいの捉えよう。
三派(八派?)全学連が異様に盛り上がっていましたが。

理工学部は勿論組織的に参加せず。
経済学部では、全共闘の旗やヘルメットでの参加はまかりならぬ、との沙汰が下りていたようですが。
私はバリケードの警護で、はやる野次馬根性を抑え自粛、テレビで伝わる都内の状況を興奮してみていました。
しかし、抜け駆けする者多数のようでした。

他大学の集会に理闘委として、全共闘としてはじめて参加したのは11月8日の東大です。
これが、私個人では個別日大民主化闘争から、初めて学外にでた集会だった訳です。
この時の感激は未だに忘れていません。
ポン大生が東大生に歓迎されたのです。
明治の文明開化以来、後にも先にもこの時だけでしょう。

御茶ノ水の大通りで結構ドンパチやりました。
別に市街戦をやりたくてやった訳では有りません。
不条理にもバリケードを追い出された訳ですから、取り返しに行くわけです。
其のときの出撃拠点が神田駿河台の理工学部、ここに全学部が終結しました。
隣の水道橋の白山通りまで押し掛けて進むのですが、
理工学部を出た御茶ノ水通りで、何重もの阻止線が張られているのです。

御茶ノ水通りのドンパチと云えば、赤や、赤のモヒカン(理闘委の逆)のヘルメットの方々がよくやっていました。
ある日突然前ぶれも無く、御茶ノ水の大通りに机で阻止線を張るのです。
当然、やっこらしょと機動隊が登場します。
何でも赤ヘル諸氏の狙いは、「機動隊を登場さす」ことだと後で伝え聞きましたが、私には屁理屈のようでよく解りませんでした。

でもこの時のヘルメット諸君、チョコチョコと石を投げ、そそくさと学館へ逃げ込んで終わり。
私らはやんやの喝采で見ていましたが(参加はしていません)。
至近距離まで近づき、全力投球フォームで”全存在を賭けて”投げるようなお馬鹿さんは見た憶えはありません。
私の経験の範囲の話です。



■2005.3.7  noon   管理人 wrote

最近はとんとテレビを見ていない。
田舎者だからNHKの7時のニュースくらい。
それもその時間帯が食事の時ぐらいで時折だ。
土日にいたっては殆ど見ない。

インターネットに向かっている時間のほうが圧倒的に多くなった。
自分のページを更新する、
お気に入りのホームページやBlogを見に行く。
殆ど時事ボケの状態になっているが。

既存メディアの露骨な情報操作についてはよく語られる。
チョムスキーの書物でも声高々に説いている。
この傾向は右も左も関係なく横行しているらしい。
真実なんて相対で、絶対値は無いようだ。

独占メディアが”真実の追究”なんて云う事自体がおかしい。
組織自体が本音と建前の虚構から成り立っているのに。
そういう意味で建前を言わない「ホリエモン」は特異だ。
インターネットは良くも悪くも本音のメディア。
信長のように陽の目を見ず潰えるのか。


■2005.3.7  morning   管理人 wrote

どうだ、格好良いだろう。
ヘルメットからあふれる長髪(今はロン毛と言うらしいが)。
ロングコートにスラックスで、既成の秩序に振り上げる腕。
さすが、芸術(学部)だ。

土曜から、写真の追加アップに励んだ。
表紙の写真の一枚も更新。
秋田さんのアジ演説も捨て難いが、このショットは芸術だ。
これを機会に表紙のショットは時折差し替える。

写真の説明。
日時は不詳だが、私の推測では1969年4月12日。
法・経奪還闘争を御茶ノ水でドンパチやった時だと思うのだが。
この日は、私の(と勝手に思っているだけだが)マドンナが機動隊に持っていかれた哀しい日だ。

被写体の被るは、勇猛を馳せた芸闘委の黒ヘル。
これは間違いない。
昨年5月24日に、仲間が提供してくれてヘルメット写真と合致する。





■2005.3.6 night    管理人 wrote

精力的に写真をアップ。



■2005.3.5  midnight    管理人 wrote

夕刻から思いついて写真集のページをリニアール。
少し見やすいように”改善”した。
時々、色んなページで私の(ではないか・・)ページの写真を借用しているのを見掛ける。
ある意味、少し嬉しい。

出版業界に関わっている先輩より、写真の著作権には注意しなければと忠告を受けている。
プロはその一枚に生活を掛けて撮っている、言われる意味は十分理解している。
私の掲載写真集は、主に日大全共闘発行のそれ、
自分達が撮り留めた記録だ。
リアルな写真は、百篇の能書きよりメッセージ力がある。

カウントのぞろ目に出くわした



■2005.3.4  noon  管理人 wrote

平和を考える市民の集い「金曜サロン」
”安田純平さんを招く会”を発展的に市民組織にした。
その後、個別私はあまり真面目に顔を出していない。
イベント・カンパニアのない日常活動はどうも苦手。

会の代表のご婦人は相変わらず活動的。
今世紀の平和運動を担う主役は女性である、と私は思う。
その代表が、また何やら仕入れてきている。
彼女の友人の、これまたご婦人が”東京原発”上映会を目論んでいると言う。
それも動員目標500名。

「東京原発?、何だそれは」、私の正直な感想。
だが、彼女は実に真面目にヤル気。
この調子だと、またまた巻き込まれそう。
決行は7月らしい。


■2005.3.4  morning   管理人 wrote

周さんの回顧録はハードコアだ。
私なんぞの数日間の留置暦とはケタが違う。
1月19日安田講堂で御用になって、出てきたのは8月21日。
ブログであっさり回顧されているのにも恐れ入る。
その後、別件でまたまた御用の身となり、
其の年は”真面目”に学生運動が出来なかったと残念がっている。
私なら、完全に潰れて即行でUターンしていたと思う。
ノンポリの私より筋金の入り方が違う。

私も留置暦を吹聴して披露しようと思っていたが、
恐れ入って止めます。
でも、僅か数日間でも凡人の私には充分すぎるほどの体験でした。
この件は二人の息子には正確にしっかり伝えてある。




■2005.3.3  afternoon   管理人 wrote

今日は桃の節句。
トンジョの子は2年生、私は4年生だった。
大学では青いヘルメットを被っていると話してくれた。
赤坂でのバイトはベルトコンベアーの流れ作業、先に勤めていた私は職場の先輩格。
彼女、大学ではバリバリに黄色い怒号を発していただろうが、
バイト先では、いつも沈んで何かに悩んでいるような暗い顔をしていた。

こちとらは未だバリバリの日大全共闘、彼女は尊敬の眼差しで見てくれる。
一月も経たないうちに打ち解け、いろいろ相談を受けた。
休憩時間はゲバルトの指南。
そういう訳だからステディーな関係ではなく、兄のように慕ってくれた(これは少し、いやかなり残念だったが)。
・・・・・そりゃ〜嘘でしょう、って聞えて来そうだが嘘ではない。
その代り、彼女に手を出してくる輩はすっかり排除してやった。

アトミの子は、ミニスカートにアイ・シャドウ、長い睫毛のきつい狸化粧。
当時はこの手の化粧が流行っていた、山本リンダのそれと思えばよい。
ノーテンキでパッパラな子と思って、半分馬鹿にして接していたが。
ある日の帰り道、乃木坂の喫茶店へご一緒する機会があった。

話してみると外見とは全く違う。
真面目に自分のこと、社会の事を考えている。
見かけで決め付けていた自分を痛く反省した。
私らとはステージが違うだけで、生きる真剣さは同じだった。




■2005.3.2  afternoon   管理人 wrote

1968年の事は本当につぶさに憶えているのに、
1969年以降のことは記憶がズタズタ。
数え切れないくらいの集会やデモに参加し、鉄格子で囲まれた校舎に何度も何度も突入した。
都内を走り回り、三里塚の野原を駆け巡った、
けど、これらのことについては時系列がグチャグチャ。

日大カザルスホールに保存されている一号館正門(経闘委より提供)

そんな中でも、桃井に居付いた頃の1970年の事はそれなりに思い出すことが出来る。
皆で赤坂へバイトに出かけ、帰りに食料や酒を買い求め毎夜食事した。
バイト休みの小春日和、誰かがギターを弾き歌い、耳を傾ける。
ディランや岡林、ビートルの曲が多かった。

バイト先では女子大生の”友人”ができた。
憶えているのは「トンジョ」「ケイセン」「アトミ」 皆、可愛かった。
殺伐とした履歴の中で、唯一薄日が射した時期。
丸の内ピカデリーへ「ある愛の歌」を観に行ったウルウルの記憶も残っているのだ。
吉祥寺のビ・バップにも行った。

アマゾンでやっとこさ見つけた「ある愛の歌」

しかし、その桃井の終結を迎えることなく1971年の末に私は去った。
その事の経緯をよく思い出せない。
別に仲違いした訳ではない、何時までもそこに居られたらと思っていたことも憶えている。
私の中で、何かが変わっていったのは確かだ。
仲間で篭る事によって、静かに煮詰まっていく自分が居た。
皆と一緒に居たいのに、去らなければ、独りにならなければ・・・、もう一人の自分が居た。



■2005.3.1  night   管理人 wrote

職場のホームページのリニアールに”全力投球”。
終日パソコンとにらめっこ。
随分永い間”放置状態”だったので、自分で作ったサイトがブラックボックス状態。
困った事に、この一年間でホームページのセキュリティーが強化されており、殆どのCGIが使えなくなっている。

使えなくなっているばかりか、CGIを組み込んだメールフォームやアンケートフォーム機能が削除されている。
そういえば、サーバー会社から「旧CGIの停止と削除」という連絡が頻繁に入っていたが。
私には訳が分からない、無頓着に放っておいた。
各種フォームが使えなくなっていることで、手痛く理解した次第。

旧CGIからの乗り換え手順という親切なページも既に閉じられており、
やっとこさサポートページを探し出し、悪戦苦闘。
取り合えず理工系だから、何故と納得しないと先へ進まないのが最大の障壁。
アンケートフォームの修復だけで半日費やした。

パソコン技術者でもなんでもないのに。
皆が嫌がるので、ならと後先考えない全共闘スピリッツで、地獄の80時間講習を受けた。
卑怯者は皆逃げてしまい、私とパソコンが残された訳。
でも見てみろ、パソコン棄民にならずに済んだぞ。



■2005.3.1  morning   管理人 wrote

UAのデジタルサウンドが心地よい。
デジタルの打ち込みサウンドは余り好きでないのだが。
UAの音は何故か心地よい。
9曲目の「リンゴ追分」はオジサン好み、車中でうなって出勤。

Skypeを使い出して幾つか分かった事。
インストールのデフォルト状態では常駐設定。
これが意外というか随分なメモリーを食う。
私のPCはウイルスワクチンも常駐状態なので、インターネットの立ち上がりや何やら、パソコンが一段と遅くなった。
メモリーが256MB未満だと、フリーズする恐れ有り(私のは512MB)。
エクセル・ワードの重たいソフト使用中だと、ほぼフリーズする。

昨日はSlovenia(スロベニア?)のJoze Straziscarといスカイプ名からコールが有った。
不気味なので日和って受話しなかった。
先程からも3回続けてコールがある。
言語:Chinese
国:China
都道府県:黒龍江省(龍の字は手書きパッドでも出てこない)
性別:女性
氏名:鶴?(IMEには無い漢字)

一回目のコールは、受話すると中国語らしき言葉が5秒ほど聞こえて受話がカチャンと切れた。
3回目は、私が「ハロー、ハロー」
友好的に「イクスキューズミー フー アーユー」と返答したらガチャン。
国際化も至難です。

ああ、今日から3月だったんだ。

 

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