管理人日記2005年6月  
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■2005.6.28  night   管理人 wrote

10年振りにもなるだろうか、在来線の列車のエアコンの効きは良くなく暑い。
クール・ビズのせいなのか。
田舎住まいだと遠出は車か飛行機、列車を利用することはめったに無い、本当に久しぶり。
ローカル特急でもリクライニングシートにテーブル付と豪華、横揺れさえなければそこそこ快適。


私の田舎町から、在来線と新幹線を乗り継いで5時間程。
新幹線に乗り換えようとした矢先、携帯の呼び出し音。
東京原発自主上映の主催者から電話が、
「チラシが要るのですが、刷り置き分があります?」
何でも今日集会があり、持参したいとの事。
出張の最中で申し訳ないことをした。

ネットがつながるかなと思いつつチェックイン。
あるある、私が泊まる安ホテルでも良くしたもの、ちゃんとジャックがのぞいている。
そういう訳で、今日は旅先から。
しかし、こちらもとんと雨が降らないそう。
冗談抜きに、今年は水飢饉だ。



■2005.6.27  night   管理人 wrote

明日から西の方へ久しぶりの出張。
送られてきたレジメで、訪問先のデータ集め。
自治体名を検索するのだが、該当のページが出てこない。
Mapのホームページにも、自治体が無い。

探していた自治体名は3月末で消滅、合併で4月より新しい名称に。
古くから知られた由緒ある地名なのに、部外者には味も素っ気も無い新名称。
しかしJRの駅名は変わらず旧地名、かなりややこしい事になっている。

午後からは職場のインターネット、ADSLから光に変える工事。
午後1時に工事に来て、終わったのは4時半過ぎ。
光ケーブルの引き込み工事ってそんなに掛かるのか?・・・、
何やらテスターを見て、工事のお兄さんタメ息をついている。

「どうしたのと?」と聞くと、
「スピードが規定値にならないのです」
モデム(なのか?)の結線、引き込み工事の屋外配線、電柱の結線、順番にやり直している。
そして又テスターを見てタメ息・・・。
そんな事を3時間近くも。

帰り際に工事の方、
「光はデリケートなので、ケーブルを曲げたり踏んづけたりしないで下さい」
警告を残してお帰りになった。
天下の電電公社(違う今はNTT)さん、しつこく熱心に勧めて下さった割には結構お粗末。
スピード・・・?、
鳴り物入りのプレゼンの割には、ADSLと変わらないと思うのだが。
また騙されたかな。



■2005.6.27  morning   管理人 wrote

先の土曜日も街宣活動を敢行。
先週に続き2回目、又しても脱落者し。
3名の少数先鋭だと悲壮感が出てくるのだ。
終わり際にポリスが2名、巡邏してきた。

会長女史の方に近づいてゆく。
女史の顔、少し強張るのが見て取れた。
配るの止め、そちらを注視する。
ポリス2名、ビラにも女史にも目もくれず通り過ぎる。

「アタシャ〜、ポリスにビラ配ってやろうと思ったんだけど・・・」
やはりそうだった。
この会長女史ならやりかねない。
一抹の不安と期待を持って注視していたのだが。

180円コーヒーショップでの3名の総括集会。
彼女の気炎は上がる一方。
次はハンドマイクで”演説”(アジではない)をしたいと。
会長女史、無視されたのが良かったのか、それとも悔しかったのか。



■2005.6.26  morning   管理人 wrote

1968年8月、親の手前で短い帰省をした。
言い表せぬ緊張感と、お泊り合宿の学園祭の延長の様な気分が同居。
帰省すると緊張感はスッカリ解け、毎日出歩いた。
地元の国立大へも出向いたが、閑散としたキャンパスに合宿中の運動部の声が響くだけ。

同窓生とも会ったが、結局は一人浮いてしまう。
「お前、目つきが変わったな・・・」
1968年8月の段階では、まだまだ「個別日大紛争」の認知度。
幅広く日大闘争が認知されるのは1969年になるまで待たなければいけなかった。
バイトが有るからと親に偽って、一週間足らずでバリケードに戻った。

極数人を除き、ここで高校時代までの友人関係は切れてしまった。
それまでの自分の交友関係を全部「棚卸し整理」し、全共闘の仲間と全て入れ替えたと云ったら良かろうか。
先日、ふとした事で駒*大学で全共闘していたという同窓生に繋がった。
ぶっきらぼうな同報版のメールが届いた、発信は「**犯罪者*盟」。

彼の大学時代、そしてこの30数年、何があったか私は知らないが、
気持ちが、心が、かたくなに固まってしまったような文面。
おおらかでオープンな元気オバサン達と付き合っている昨今、単ゲバ派の私にはこの手のメッセージは生理的に受け付けかねる。
彼の云う団体名で検索を掛けると早稲田がどうのこうのというページが幾つか。
同じ全共闘でも、私のそれ、そして今とは随分違う。


早朝の庭は避暑地のように爽やか。
もうすぐセミが鳴き出すだろう、
あれから37回目の夏がやってきた。



■2005.6.21  night   管理人 wrote

昨夜は職場の経理を見ていただいている税理士先生のご接待。
先生の税務署長時代の話に花が咲く、独演の講演会といっても良いほど面白い。
キャリアでは無い、現場たたき上げの元税務署長。
査察の話も実話、お金を払って聞いてでも値打ちのある話。

夕方6時から10時近くまで、興に乗り先生の一人舞台。
何せ田舎町の我が古里、10時を過ぎると公共輸送機関は全て終了。
職場の経費でタクシー使うのはよしとしないのだ、この時とばかり次男坊を呼び出す。
「いい息子さんですねえ!・・」と税理士先生に言われると、父さんまんざらでもないのだ。

20分程待っていると、オバチャン軽四カーがお出迎え。
乗り込むと次男坊「兄ちゃんからもコールが掛かっている、眠い眠い」
どうも昨夜ギリシャ戦を見て寝不足のよう。
兄の職場は私の職場と反対方向、私を迎えに来ると結構な走行距離になる。

私を降して更に走らなければ為らない。
「アイツ(兄の事)、迎えのコール無視したらイジケルからな」
自宅前、降り際に、
「気をつけてな!、ほらタクシー代」
にこっと笑って受け取りやがった。



■2005.6.20  morning   管理人 wrote

「何を今頃ひがんでやんの!」
「お前なあ、東大生がポン大生、マジで相手にする訳なかろうが・・・・」
そしりが聞こえてきそう。
「けどねえ・・、あの万余の拍手と歓迎、忘れられないのよ」

あの日まで、東大紛争(悔しくて闘争とは言わない!)も、東大全共闘も遠い存在、気にする心の余裕も無かった。
でもあの日を境に、東大全共闘に特別な親近感を持つようになった。
やんちゃで暴れ者の弟が、賢い兄を慕うように。

共に最前線で戦っている連帯感を感じた、少なくとも私(達)の方は。
考える余裕すらなく防衛に明け暮れる毎日だったが、
思慮深く賢い兄貴分と、やんちゃで暴れ者の弟分が、兄弟杯を交わしたものと思っていたのだが。
あいつ等、正統左派のセクトと契りを結びやがった。



■2005.6.19  night   管理人 wrote

AKIKOさんが、「東大全共闘は連帯する相手を間違ったのかも知れない」と綴っている。
私は日大全共闘と東大全共闘は互角だったなどと、大それた事は思っていません。
私の思いは、やんちゃな手の付けられない弟が、賢い兄を恋う、といえば言い過ぎだろうか。
AKIKOさんが、今そう綴られるのは、当時も、今までも、私達を連帯する相手と見ていなかったと言い換えられないこともない。

ガスの漂う安田講堂のてっぺんで、
「どこの大学?」
「ここの文学部です」、と笑顔を見せてくれた女の子が記憶に焼きついている。

あのてっぺんから、私は這い蹲る人生を歩んできた。
あの子と、二度と同じ情景を見ることは無いだろう。
今日は朝から気持ちがねじれ沈んでいます。



■2005.6.19  morning   管理人 wrote

私は基本的にミーハーです。
先日、テレビで「最近の書籍の売れ行きは帯のキャッチコピーで決まる」というセリフ聞きました。
ミーハーの私は大納得しました。



私が買い求めた画文集の帯です、
いつか行きたいと思っています。

新聞を見ました、
キーボードを打っている間にも涙が出てきます。
辛いです・・・・・。



■2005.6.18  night   管理人 wrote

繁華街で一時間ほど配ったろうか、金曜サロン一派はへたっている。
サロン会長女史も午前中は勤務、私も勤務でぶっ通しの連絡会議の上がり。
もう止めようか、という暗黙の目配せでベンチに腰を下ろすが、
主催者の彼女は一向にビラを配るのを止める気配が無い。


配る前に、主催者の彼女に「30〜40歳台の男性はまず受け取らないよ!」とレクチャ。
しかしレクチャした私がムッと来るほどこの年代層は完璧な無視。
こいつら、例外なく100パーセント無視してくれる。
ビラに目をやったり、視線を合わす事すらしない。
「いいですよ、遠慮します」と言うような表情でもしてくれれば、少しは気持ちも救いようがあるのだが。
昨年に続き、全く同じ様にシカトされ続けた。

サロン一派でベンチに腰掛け、日和見主義的に雑談を30分ぐらいしていたろうか。
さすがの彼女も疲れて引き上げてきて、「お茶でも飲みに行きましょう」
オバ様2人とオジさん一人の奇妙な組み合わせで喫茶店にご入店。
30分くらいのお喋りのすえ、今日の街宣行動は盛り上がりに欠け終了した。



■2005.6.18  morning   管理人 wrote

午後6時を10分ほど過ぎていつもの喫茶店に入った、指定の席には未だ誰も来ていない。
壁面の液晶大画面にはクラッシックの演奏が映し出されている。
この喫茶店、今では珍しいクラッシックを流す店。
昔と違うのは液晶大スクリーンにDVDを流している、かつてのお皿とは違う。


水曜日、メールで「金曜日サロン」開催の通知が会長女史から入っていた。
メールには「土曜日の街宣行動やりますか?」との案内も。
直後に「映画 東京原発」上映会主催者の女史からも、「皆さん是非お願いします、私は一人でもやります!」とのメール。
私はこういう”ゲバルト・ローザ”は好きだ!。
私が一人にはさせません。

しばし綺麗なお姉さまの演奏するバイオリン曲(曲名不明)を聴いて(見ている)いると会長女史が現われ一言。
「今日は皆用事で来れない見たい・・・・」
ウ・・・ム、これでは金曜日の熟年デートになってしまう。
二人で他のメンバーの悪口に花を咲かせていると、上述の”ゲバルト・ローザ”さんがやっと登場。
明日の街宣行動について結集時刻や場所を確認。
寂しいが3〜4名の大量動員になりそう。

最後に白髪の60歳台の御大が登場。
結局昨日のサロンは4名、いつものように隣のボックス席を解体・再編することも無く4人席でジャスト。
しかし4人でも熟年パワーは衰えていない、気が付くと9時間近まで。
明日の予定を確認し解散。



■2005.6.14  afternoon   管理人 wrote

しかし、これでセミの鳴き声でも聞こえていたら夏到来なのだが。
入梅したと思ったら、晴天続き。
先日、鹿砦社の松岡さんから「紙の爆弾」2005/7号を贈っていただいている。
この本に冠するタイトルは
”死滅したジャーナリズムの彼方から、<ペンのテロリスト>として、愚直にすべての巨悪とタブーに挑む!”

この7月号には日大に関する特集が組まれている。
「日本大学の魑魅魍魎」
見出しを披露すると
頓挫した瀬在幸安への追及
瀬在幸安の「メスさばき」
強行した「法学部長解任」
無選挙当選へ「規則」を改定
「主婦の友社跡地」取得の背景
絶対的権力は絶対に腐敗する

松岡さん、お礼が遅くなりました。
それにしても、我が母校はちっとも変わっていないのですね。
変わるどころかますます金まみれ、魑魅魍魎。



■2005.6.12  night   管理人 wrot

妻から次男坊へお下がりの10年物、オバチャン軽Carでヘアピンを攻める。
攻める気持ちなったのは、一個目のヘアピンで曲がり切れず、Backで切り返しを余儀なくされたため。
免許暦35年のプライドに痛く傷がついてしまった。
幾つかヘアピンをこなすうちに勘が戻ってきた(と思った?)。

アウトぎりぎり(先は谷底)まで寄せて、ヘアピンの内側にタイアが乗り上げる位に切り込む。
何とか山側に擦り付けるギリギリでカーブをクリアしていく。
このヘアピンが何十個あったろうか、距離にして僅か10Km足らずなのだが。
一気に山頂まで上り詰めるというのはこの閑道の事を云うのだろう。


金曜日、知り合った女性がやっている秘境?の棚田を見学に出かけた。
もともと私の居宅も田舎、山奥といっても居宅から10数キロ、時間にして30分チョット。
閑道から眼下に私の街が一望できる。
峠を越して数キロ下った所に棚田はあった。

日曜日のお昼、田には誰も居ない、
周り一面あじさいの彩りが綺麗、
山岳ゲリラにはチト街に近すぎる。
”宗教集団”は居ないか、福ちゃん荘(分かる方は分かる!)は無いか・・・・・少し散策してみたが、どうも今日の武装蜂起集会は無いようだ。
還りも同じところで曲がり切れずBack、私の腕前はゲリラの移動には無理なようだ。



■2005.6.11  night   管理人 wrote

「会費は幾らですか」、サイフを取り出そうとする。
今日の午後、「映画 日本国憲法」の鑑賞会。
このDVDは個人観賞用、お金を頂く訳には行かない。
上映会ではなく鑑賞会、著作権者に対するケジメだ。

そのため、呼びかけにチラシも作らず、投書もせず。
ひたすらごく身近なお誘いだけに止めた、これもケジメ。
それでも17名の方が鑑賞会に参加。
私はこの映画を観て、真面目に憲法の事を考える様になった。
「お前、その歳になって遅いぞ!」、誹りを受けそうだが。

金曜サロンで会場費を全額負担、
その上、会長女史は缶飲料とおにぎりを買い込んできた。
軽食、飲み物付きで無料の鑑賞会。
それでも前回の講演会の余禄がまだ十分ある。

鑑賞会の後は、サロンお得意のお喋りタイム。
”労組出身の年金生活者”と自己紹介された方、さすが歳の重み、話す内容に説得力がある。
憲法に拘る方は、多少とも戦争を体験しているか、体験者の生の話を伝え聞いた年代。
この方々がだんだん少なくなり、殆どが戦争を知らない世代に変わっていく。



■2005.6.11  morning   管理人 wrote

チラシ1000枚とポスター100枚、小脇に抱えると結構重い。
入梅間近の夕暮れを汗をかきながら歩いて会場に向かった。
NPO団体が入居するビルの2階、会議室は未だ電気がついていない。
室に入り照明のスイッチを入れようとすると、部屋の片隅で若い女性が椅子を並べてスヤスヤ寝ている。
・・・・・バリケードの片隅で、椅子を並べて寝ていた頃を思い出す。

少しそっとしておいてやろうと、階下ホールのコーヒー自販機前で一息の時間潰し。
やがて仲間が来たので一緒に上がっていくと、照明も点き彼女も起きている。
少し目つきの怖い、宗教団体でよく見かけ(失礼!)るような知的な風情の若い女性だ。
質素な衣服、今時の若い方とはかなり雰囲気が違う。

昨日は金曜サロンが「映画 東京原発」実行委員会に合流した。
この実行委員会、夜の部の他に昼の部もあるらしい。
昼の部は主に家庭の主婦が中心、夜は私らのような真面目な”勤労成年”がメインという。
しかし、昨日の夜の部は私らの金曜サロン一派に、この若い女性と勤労青年、少し遅れて参加の女子大生の三人を加えただけ。

日頃、若者と接していないサロン一派、
当然この若者達を餌食にと思ったが、開会一番に強烈なパンチが若い女性から。
入梅前の蒸し暑い夕暮れ、私は室に入るや抵抗なく会議室のエアコンをONに。
部屋にはそよそよと涼しい風が充満してきていた。

「私、発言の前にお願いがあります・・・」
「こういう会でエアコンをつけるのはどうでしょうか?」
「私、個人的にもエアコンは嫌いだし、体調も悪くなります」
やられた!、と思った。

初老世代の金曜サロン一派、エアコンのガンガン効いた喫茶店で何時も集っている。
サロン共通テーマの反戦平和と、エコロジカルな地球環境は表裏一体なのだが。
初老・団塊世代の身勝手さを手痛く指摘された気分。
オジサン達は素直に反省。


実行委員会は経過報告と、当日のサポート要員の確認を最初に。
後半は、講演・上映会に向けて若者たちが学習(?)してきたプレゼンテーションタイム、真面目だ。
久々に若い方の話をゆっくり聴かせて頂いた。
サロン仲間の一人が持ち込んだパソコン、プレゼン中のカチカチというキーボードの風情の無い雑音が音が少し耳についたが。

終了後、階下のホールで”宗教風情系”の女性と雑談。
「学生さんですか?」と聞くと
「まだ、学生気分で暮らしています」と応えてくれる。
私は今時の女性は苦手だが、こういうタイプの方は苦手ではない。

このタイプだと私の守備範囲。
全共闘の時代はこんなもんじゃなかった(笑い、
超ハードなお姉さま方と向き合ったのだから。
だから話題を繋げるのは結構得意、雑談しているとだんだん彼女の表情も緩み笑顔が出てくる。
学生時代の仲間達と山奥の棚田を開墾し、無農薬・有機農業を目指しているという。

場所を聞くと、私の地元の山奥。
耕運機を買おうかどうかで皆でもめているという、”もめてる”という一言で親近感が沸いてきた。
雨が降らなければ土日は何時も耕しているというので、今度”視察”で行ってみよう。

今日午後は「映画 日本国憲法」の鑑賞会。

 

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