■2005.7.30 night 管理人 wrote
午前中は仕事の催しに出席。
午後になるとさすがに昨夜の酒が体に堪える。
温度設定30度でエアコンを入れ、午後寝を取る。
何時も日中はエアコンを使わないのだが、さすがに今日は戒めを解いて使用。
最近のエアコンの性能には驚く、温度設定に寸分も違わぬ緻密な運転をする。
外気温は30度以上ある、この気温だとコンプレッサャーは回っており湿気を取ってくれる。
昼間、安静な状態だとこの温度設定で十分快適。
反対に、夜間は外気温が30度より下がるので温度設定は28度にしている。
昨夜は帰宅すると長男が遅い夕食。
酔い覚ましのウーロン茶を飲みながら息子の仕事の愚痴に耳を傾ける。
此処だけの話だが、妻の愚痴話は聴くに辛抱が要るが、息子のは愚痴でも楽しい。
「良く頑張っているじゃないか」
「いいか、仕事は辛抱だぞ」
「一生懸命頑張れば、見ている人は見ているからな」
ひとしきり聴いてやった後、月並みな励まししかできないが、
それでも息子は頷く。
「人を蹴落してはダメだ」
「たとえ人が見ていなくても、ダメな奴を助けてやれ」
このあたりになる殆どオヤジの宗教になるが。
「云ってる事は、貴方が全部出来なかった事ね・・・」
当然、妻のキツイ突込みが入ったが。
■2005.7.30 morning 管理人 wrote
飲み会明けの朝、早くから目が覚めるが外は霧のような小雨。。
空を見上げると所々に青空が。
昨夜、仕事で杯を交わした方の一人は昭和14年生まれ、元県教祖(日教祖)の委員長。
・・・・という事はバリバリの共産党、
県内の共産党系の(元)最大労組の御仁で、今もその流れを汲む役職に居る。
私の姉は昭和16年生まれ、この御仁とほぼ同世代。
私とほぼ十歳違い、
昭和20年を境に、教育が180度ひっくり返った渦中、もの(食糧)不足の幼少期を過ごした世代と、その10年後の私達の世代とでは随分違う。
昭和10年代後半生まれの世代は、物心ついた頃から徹底した戦後の平和と民主主義の教育を受けてきた事だ。
「戦後の平和と民主主義」に微塵も疑いを持っていないことだ。
教育の大切さ、怖さを知るにはサンプル的な世代だ。
残念だが・・・・・気が合った。
特に憲法問題では意気投合する。
勿論、私がかつて「トロツキスト=暴力学生」とお褒め頂いたことは話さない上でだが。
白髪を湛え、温和な表情を蓄えるこの老人に親しみを持った。
この白髪の老人が言った。
「私はね、終戦の年は小学校一年生でした」
「幼心に大きくなったら兵隊さんになって予科練へ行こうと思っていました」
「たった何ヶ月かの義務教育で、あの時代は多くがそう思うようになっていましたから」
「あの時代が続いていたら、多分少年特攻隊になっていたと思います」
この世代でしか分からぬ思い、経験、
彼が教職に掛けた思いが伝わってきた。
■2005.7.28 morning 管理人 wrote
数年前、いや、もっと前かな。
丁度今の季節、関西圏に居る妹が里帰りしてきていた。
「兄ちゃん、行ってきたぜ!」
ローリングストーンズ大阪ライブに50のオバサンが馳せ参じていたという。
この妹、確か高一の時、ラッキーにもビートルズ武道館講演のチケットが当った。
ビートルズのレコードに付いていた応募券がヒットしたのだ。
当時は、この手のコンサートに行っただけで停学等の処分を食らう時代。
それに妹は厳格な私立進学校。
両親の必死の説得で、決行を諦めさせられた。
馬鹿の付く、ビートルズ、ストーンズファン。
今朝のBGMはジミヘン。
このスト〜ンと落ちる音は何とも云えない。
ステレオサウンドが貴重な時代のミキシング、音が人工的に左右に飛び回る。
サウスポーのフェンダーからブルースが切なく流れる。
詮無い事だが、ジミヘンとジャニスのライブに行きたかった。
今なら何を質に入れても(表現が古いか)、米帝でも大英帝国でも世界の果てでも馳せ参じるのだが。
ジミヘン、1970年9月18日没
ジャニス、1970年10月4日没
吉祥寺 Be-Bop は、壁一面に何十本というコーラル18cmフルレンジスピーカーを埋め込めていた。
壁面からから流れる圧倒的な音量の二人を聴き始めたまさにその時代に、二人は同時に逝った。
■2005.7.27 morning 管理人 wrote
>党派ではなく「管制塔基金」にカンパを集中しよう!
これも・・・・、○ 。
旗旗さんは、
第一にそれが党派のためになる。
第二に、・・・・・・・・中略、「腐ったてめらに一億たたきつけてやる!」という意地を見せてやるためにも、党派への募金ではなく、統一口座に燎原の炎のごとく、自然発生的にカンパが集まったほうがよいと思います。そしてそれはおそらく、この社会全体のためにも良いことだと思うのです。
第三に、略
第四に、略
と色々書いている。
こういうのを「異議なし!」と云うのだ。
でも大変だ、給料は減る一方なのに、
息子にカンパ、これにもカンパ。
私はタバコも飲まないし、酒も滅多に飲まない、
大義と小義のために何を節約したらいいのか (トホホ)。
口座名 「管制塔被告連帯基金」 00130-3-445762 。
郵便局が都合が良い
■2005.7.26 night 管理人 wrote
昼間、バイオのモバイルで職場からアップロード。
この方法で結構更新していたが。
さすがの暑さ、昼休みはウトウトしてしまいがち。
この季節、ウイークディとなると更新が疎かになる。
次男坊は8月1日付けで新しい職場に配属。
「父さん、来月10日頃まで歓送迎会が連日、体(お金?)が持つかなあ?」
今週は木・金と連チャン、来週は既に3回予定が入っているらしい。
自分の課、両隣の課、部、若手同期組みと、たった4ケ月の間に沢山の同僚、上司にかわいがってもらっている。
意固地で偏屈、ツッパリヤンキーだと思っていたのに、随分な変わりようだ。
父さんの予測は見事に外れた。
でも素直に嬉しい。
助手席の彼に、「ほら、当面の軍資金カンパだ」
■2005.7.24 morning 管理人 wrote
>本サイトのご利用について
本サイトは、三里塚空港反対闘争のさなかに決行された3.26管制塔占拠闘争の仲間に(勝手連的に)連帯する目的で作られています。
反対運動やこの闘争にかかわる議論は多々あると思いますが、本サイトは情報交換の場で議論場ではありません。無用の煽りや運営妨害と見なされるコメント・トラックバックは削除することがあります(議論の場として、掲示板を指定させていただくか、新たに作成する予定です。)よろしくご協力の程、お願い申し上げます。
これは、○だ。
掲示板やブログ上の議論には癖々している。
相反する思想や主義は、たかだかなスペースと空間のWeb上で相互理解を得られるなどとは思っていない。
感情の投げ飛ばし、罵倒、中傷が常に横行している。
現時点でのWebサイトの最大利点は「情報交換」。
「Justice On Our Side」
少し言い過ぎと思うのだが・・・・、
仲間に発するメッセージはこれくらいの膨らましは有っても良いと思う。
「議論はとりあえず置いといて、行動しよう!」
これは日大全共闘の最大の思想・・・、
否、キャラクターだったと思っているのだが。
今日はこれから、金曜サロンメンバーの御大が主催する講演会へ参加します。
暗い水の流れに 打たれながら 魚たち のぼってゆく
光ってるのは 傷ついて はがれかけた鱗が 揺れるから
いっそ 水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば 楽なのにね
やせこけて そんなにやせこけて 魚たち のぼってゆく ♪
勝つか負けるか それはわからない それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて あいつは海になりました ♪
ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が 笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながら のぼってゆけ ♪ (ファイト! 作詞・作曲 中島みゆき)
■2005.7.23 night 管理人 wrote
■「正義は管制塔占拠の瞬間も現在も私たちにある」
http://jioos.podzone.net/
■2005.7.23 morning 管理人 wrote
泰山木の下が一等地、
冷気を味わおうと早起きをしたが、もうセミが賑やか。
うだる様な季節も、この朝のひと時だけは爽やか。
小一時間ほど新聞を読む。
昨夜の金曜サロン、モーツァルトをリクエストしようと少し早めに行くが、既に仲間が。
元々、ここは正統派クラッシック喫茶。
下駄履きの軽装、どうみても仕事明けの格好ではない。
「今日は夏休みだけど出てきたよ」
「預かっていた東京原発自主上映のチケット代も払わなくてはいけないからね」
自主上映の実行委員長女史が遅れて来る、
上映会の成功ににこりとガッツポーズ。
「ところで委員長、打ち上げはないのですか?」
「自然食原理主義の方々が多いので、居酒屋での打ち上げは無理なのでは?」
「肉・魚、添加物てんこ盛りのメニューだと・・・乱闘になるのでは?」
成功した余裕だ、きつい冗談も出る。
5時半から3時間、時間の経つのは早い。
「安田純平の報告会、会場と日程は決めました」
サロン会長女史の報告、独断・先行が相変わらず小気味良い。
イラクのその後とアチェ、マスコミでは聞けないレポート。
ミーハーの私は、講演会のキャッチコピーに拘る。
Return Back! YASUDA’S Report
自主上映会では、地元の若者のグループとも少しパイプが出来た、
今度こそ老人共闘から脱皮しなければ。
■2005.7.20 afternoon 管理人 wrote
NTTにそそのかされて、職場を光接続に変更していた。
それ以来3週間程、メールが大変調。
受信は問題ないか、発信がランダムに出来たり出来なかったり。
全く不通ならば原因も特定し易いのだが、全く問題なく発信できる時もある。
ランダムな症状には振り回され放し。
「POP before SMTP」も試してみた。
ルーターもハブも疑ってみたし、性能の良いものに変えてもらった。
ブロバイダーにも、NTTのサポートセンターにも何度も問い合わせした。
設定は全て問題ないと何度も確認した。
それでもランダムに不通になる。
メッセージエラーは「メールサーバーが存在しないか、通信回路に異常があります」
全くお手上げ、止む無く元のADSL環境に戻した。
光がダメとは言わないが、家庭で一台か二台接続し、メールアカウントはブロバイダー配給のものを使う範囲。
そこな辺りまでしか検証が出来ていないようだ。
■2005.7.20 morning 管理人 wrote
Another Girl から I Need You に曲が変わる。
フロント左手を見ると、次男坊がこちらを見ている。
私が家を出るときには、まだ起きていないようだったのに。
追いついた彼は、信号が変わるとアクセル全開、スーパーカブは見る間に小さくなった。
昨夜、いつもの様に”おっとせい”さんの日記を見に行く。
18日(月)の日記に、管制塔被告団の統一口座開設の内容が紹介されている。
私とほぼ同時期の告知。
続く二人の息子さんの記述、読んでて何時も顔がほころぶ。
>子供のこういう表情は、ただただ、いいなぁ、と思う。この世界の全てに目的はないのかもしれないが、子供の笑顔や喜ぶ顔を増やす、というのを、目的にするのはアリだと思った。
おっとせいさん1964年生(HPで公開)、1976年の管制塔闘争時は引き算でいうと小6か中1のはず。
私は1948年生、管制塔闘争のころは既に闘争から遠く外れていた。
詳しくは知らないが、当時の闘争はセクト毎に細分され、セクトの闘争の色合いが強かったと聞いている。
私が「義理が無い」といったのは、三里塚闘争自体でなくそういうセクト色の強い闘争についての気持ちの範囲。
極めて私事だが、私は職場の管理責任者として、今期の賃金の大幅な見直しをした。
都市部は景気が上向きといわれているが、ローカルはどん底。
比較的おうような団体が勤め先だが、それでも景気の消えこみは避けて通れない。
管制塔戦士の給与差し押さえ1/4と同等程度の賃金の圧縮を余儀なくされている。
ほぼ二人の子育てが終了し、経済的な余裕が出ると楽しみにしていた矢先。
「これからと思っていたのに、私たちつくづくお金に縁が無いのね!」、妻の一言。
諦めなければいけないことも幾つか出てきた。
・・・・出来る範囲のカンパといったのは、こんな私的な事情。
旗旗さんのつぼを押さえた訴えは、セクトの範囲と世代を少し超える力を持っているようだ。
幅広い取り組みに拡がることを祈念しています。
■2005.7.19 morning 管理人 wrote
職場近くまで迫った小山の木々から、セミの声が賑やかに響く。
夏本番、到来。
例年なら、昨週の土・日はヨットハーバーの海開きに参加しているのだが。
今年は自主上映の方にまわり、海開きは欠席。
私のヨットクラブは、この海開きには毎年協力・協賛。
ディンギーを出して、マリンスポーツ体験イベントを開く。
海水浴に来た水着のきれいなお嬢さん方が多数参加するので、当方にも楽しいイベント。
毎年、長男と一緒に参加していた。
クルーザーが整備不良で船舶検査機構に船検証を取り上げられていた。
バウとスターン、それにマストトップの航海灯が切れていたのだ。
「航海灯を取り替えて整備してください、それまでは証書をお預かりします」
二月より整備不良船舶と相成っていた。
交換するのに数ヶ月経ってしまった。
取りに行くのが面倒なのでそのまま打っちゃっておいた。
その間、検査機構から携帯に一度督促の電話も入っている。
それでも、今度乗るまでいいやと、放り置き。
先日、帰宅すると妻が意気まいている。
「失礼ね、着払いで500円請求されたのよ」
見ると船舶検査機構の封筒。
業を煮やしたのだろう、着払いで検査証書を送りつけてきた。
失礼だったのは私の方なのだが。
■2005.7.18 morning 管理人 wrote
早朝、庭で新聞を読む。
コーヒーを点て、蚊取り線香を焚き、ベンチに腰掛ける。
セミの抜け殻が庭木のあちこちにぶら下がりだす、
私は梅雨明けのこの時期が、一番夏らしく好きだ。
新聞の地元ローカル記事が掲載されている紙面、
昨日開かれた「障害者自立支援法案」の、障害者の定率負担に反対する集会の記事。
法案は自立支援ではなく障害者の自立破壊だと訴えている。
政府の進める「福祉切捨て政策」の一環だろう。
集会後のデモ行進の写真が掲載されていた。
良く見ると、一昨日上映会でご一緒した女性が先頭にいる。
黒い作務衣のような服で、点字の資料を作っていた女性だ。
聴覚障害の方に、トランスミッター付きのヘッドフォンも配っていた。
無造作に髪を束ねた、質素な身なり。
上映の合間は、ひどく疲れた様子でソファーに沈み込んでいたのが印象に残っている。
自主上映について、四十数団体の協賛・後援を頂き、平和団体、労組、環境・暮らしを見直す団体、医療・福祉も数多く、その中に障害者を支援する方々もいた訳だ。
構えなくてもいい、
とにかく集会に出てみることだ。
そこには、一銭にも為らないのにひたすら頑張っている方々がいる。
銭金では無いネットワークがある。
■2005.7.17 night 管理人 wrote
旗旗さんの、すべての「元活動家」への提起
は結構マジに受止めた。
一九七八年三月二十六日の管制塔占拠闘争は報道で知る範囲、当時長男坊は二歳で子育てに無我夢中だった。
>さんざんに彼らを持ち上げてきた私たちが、今、ここで、彼らにかけられている攻撃と報復につき、見てみぬふりをし、口をぬぐって生きていくことは、なんというか、活動家や左翼以前に、人間として最低の唾棄すべき生き方のように思うのです。
私はこういう表現に弱いのだ。
>それが8年にもおよぶ獄中生活を、私たちにかわり強いられ、さらに今生活まで破壊されようしてしている戦士たちに対する、文字通り最低限度の人間として「仁義」だと思います。
茶化しているつもりは無い。
かつて、世間様に異議申し立てをし、闘った仲間の多くが語らない。
「少しでも良い、出来る事からまたやらないか・・・」
「・・・・・今更」
こんな反応を何度か受けた。
私も寂しい思いをず〜っと感じている。
管制塔被告団の統一口座が開設されたという。
口座名 「管制塔被告連帯基金」 00130-3-445762
。
振り込め詐欺ではないから、その点は安心を。
私には義理は無いし、知った事全てに関われるほど余裕も無いが、それでも出来る範囲のカンパはしようと思う。
■2005.7.17 morning 管理人 wrote
うまく表現できないが、更紗を頭に巻きつけつけたアジアンテイスト風情の若い女性。
ロビーのソファーに座り、何やら点字の文章を作っている方々。
とにかく様々なスタッフ、私の知る限りの”集会”とは景色が違う。
自主上映の委員長女史、四十数団体の協賛・後援を集めてきた。
私はハレ・クリシナ風は苦手なのだ。
ハレ・クリシナ?
正確な表現ではないが、70年当時、ヒッピーとは一味違う黄色い袈裟をまとい蓮華太鼓を打ち鳴らす集団がいた。
いろんな集会に登場するのだが、如何せん我らの理解が及ばない。
平和を訴えているのは分かるのだが。
Indian
Gods Krishna
更紗を頭に巻きつけた風体には、この70年ごろのトラウマがある。
理解できなかった弱みとも云い換えれるが。
とにかく単ゲバ派の私は最初に拒否反応が出る。
何やら本よ読んでいるので脇から覗き込むと、自然食の”洗脳本”の様。
チケット・モギリ役のスタッフで、アジアンテイスト風情女性の隣は、
もう一年くらい会っていないNPOの仲間が。
見間違えるほどにスリムになっている。
最大限の表現で「痩せたね、見間違えるほど綺麗になったよ!」
当然、満面の笑みが返ってくる。
聞けば自然食レストランに勤めており、この一年程で20Kg程スリム化成功という。
そう云えば協賛団体で自然食の団体がいた。
隣の私の苦手なタイプの女性も仲間だと云う。
「そうか、やはり自然食・原理主義の宗教にかぶれたか!」
「違うよ、宗教じゃないのよ」
「でも宗教でもいいじゃん、それくらい綺麗になれたのだから」
「違うってば、宗教じゃなくて、ちゃんとした自然食だから!!」
スタッフの昼は、この自然食レストラン仕出しの弁当。
肉食派の私には辛い、肉、魚無しの赤いお米のベジタリアン弁当。
量も少なめで750円は高いと思うが、素材にこだわっているのだろう。
でも、結構旨かった。
■2005.7.17 morning 管理人 wrote
もう二十年ぶり位だろうか、白い顎鬚を蓄え聖人の風体。
1969年4月28日、彼は地元国立大より全国動員で東京新橋にいた。
それから地元に戻るのに半年以上かかったと聞いている。
付き合いこそ極稀だが、親愛の情を感じる数少ない仲間だ。
私の作った自主上映のチケットを握り、受付にやってきた。
彼が職場で販売したくれた代金も持参して来ている。
肩を叩き「よう、元気か!」、にこっと笑う彼の笑顔。
深く刻まれた皺、白い顎鬚に、彼のこれまでの苦難の人生が浮かぶ。
彼は幾つか職を変えた後、40才近くにして一念発起し高等看護学校に入った。
役所に願書を貰いに行くと、高校の進路指導の教員と間違われたという。
若い女性にポツンと混じり看護師の資格を取った。
それから十数年、今は大きな医療施設の看護師長になっている。
私の自主上映のスタッフとしての役割は「会場警護」。
少し冗談も込めて、「私の得意領域は騒動、もめごと、小競り合い、会場防衛隊が適任です」とメールしておいたら、本当にその任を仰せつかった。
で・・・・、結果、それなりの仕事は無かった訳だが。
自主上映は500人収容の公共のホールを一日借り切った。
採算ラインは300名。
地元の新聞は450名参加と報じてくれているので、まずまずの成功だろう。
高校の一つ後輩の実行委員長女史、彼女は実に頑張った。
(善意の方から、看護士は誤りで看護師であるとの指摘を受けました、お詫びして訂正します)
■2005.7.15 morning 管理人 wrote
今朝はサンタナを息子と聴きながら出勤。
これで今週は月水金の3日間、助手席に次男坊がいる訳だ。
「犯罪暦のある者は、インターネットなどで実名を公開しても良いのか?」
隣の息子に尋ねてみた。
息子は大学でジャーナリズム専攻、
浅野健一さんの講座も受けていると聞いていた。
「ウン、新聞や報道でも構わずやっているよ、浅野先生は問題だと主張していたけど」
サンタナの甘酸っぱいギブソンが唸る。
昨夜、天野屋さんから訃報が入っている。
名前に覚えが無い。
天野屋さんは「連赤」に繋がる情報をお持ち。
もしやと思いその方面を検索したが・・・、どうも違うよう。
今日も青空、このまま梅雨が明けるのかな。
■2005.7.14 morning 管理人 wrote
久しぶりに青空が覗いている。
次男坊は昨夜も未明のご帰還、既に兄を越している。
職場にカブを置いてくる日は、かなりの飲みよう。
私の助手席で、二日酔い運転の心配が無いからなのか。
鹿砦社・松岡さんの話題で昨夜は盛り上がろうと思っていたのだが。
朝、寝ぼけている息子に昨日の朝刊を渡す。
「オイ、先輩が殊勲賞だぞ」
息子、「・・・・・・・・?!」
私らの世界では、こういう事態を”殊勲”という。
気力は問題ないが、寄る年波の体力が少し心配。
全学闘の支援ネットワークを期待。
掲示板では既に獄中記を期待する声が。
■2005.7.13 morning 管理人 wrote
早朝、階下から妻の呼び声。
「貴方、朝日を見て」
朝日3面トップぶち抜き、地元のローカル紙にも。
鹿砦社の松岡さんが昨日逮補された。
> 毎朝(7時半までには来てますよ。働きもんですたい)、出社すると、「管理人日
> 記」を開くのが日課となってしまいましたが、更新されてないとガッカリします。逆
> に、ここ数日のように「全開」「フルパワー」だと、こちらも嬉しくなります。
こんなメールも下さっていた。
私の励みの素となっている。
きっと大丈夫・・・、絶対大丈夫!。
あの独立社学同、全学闘を闘った松岡さんだもの。
■2005.7.12 morning 管理人 wrote
イラク人の犠牲は仕方ないけど、
欧米人なら許せない・・・・。
マスコミからは、これだけしか読み取れません。
■2005.7.11 morning 管理人 wrote
次男坊は今日飲み会と云う。
「父さん、カブは置いとくからつんでって」
最近は用意が良い、朝から飲み会対応だ。
昨日妻が借りてきたクラッシックCDの中に、何故かチャーリー・パーカーが。
朝の通勤のBGMにと車に持ち込んだ。
輸入版かあまり見かけないジャケット、バックにストリングスが入っている。
何曲目かに「サマー・タイム」
「父さん、これバードだよね」
「バードって、お前チャーリー・パーカー知ってるのか?」
モーニング・ミュージックには少し重過ぎるが、
息子と二人でバードを聴きながら出勤。
もう直ぐ梅雨も明けるだろう。
■2005.7.10 night 管理人 wrote
妻が先日コンサートに出かけていた。
曲目は、モーツァルト・ピア協奏曲17番だったそうだ。
私はモーツアルトのピアノ協奏曲なら何番でもさわりを聴けば分かる。
「俺が行きたかった!」
そのせいか、妻が友人のCDをごっそり借りてきた。
モーツァルトが7〜8枚、ブーニンとN響のは私も持っているのに。
ショパンにラヴェルも数枚。
イージリスニングなジョージ・ウィンストン、JAZZにも通じるテイスト。
このほかの数枚の中に一枚だけ気を引くCDがあった。
私はミーハー、キャッチコピーでその気になる
帯に、「世界でいちばん美しい歌がある」
アヴェ・マリア、サラ・ブライトマン・クラッシックス。
澄みきった張りのある歌声だ。
サラ・ブライトマンを聞いていたら、ゴスペルを聴きたくなった。
■2005.7.7 morning 管理人 wrote
1970年を迎える冬に、阿佐ヶ谷に仲間が引っ越してきた。
引っ越してきたというより家出の方が正確。
親と衝突し、着の身着のままで都下から逃げてきた。
私はその時、既に駅前から阿佐ヶ谷北4丁目に引っ越していた。
彼は南、私は北と阿佐ヶ谷駅を挟んだ住人。
これが全共闘理闘委中央沿線派のはしり。
当時の阿佐ヶ谷駅周辺は貧乏人学生で溢れていた。
ポエムはそんな学生のサロンであり、その中にくたびれオッサンの永島慎二さんも居たわけだ。
中央沿線派のスタイルは、御茶ノ水バリケードと阿佐ヶ谷のそれが微妙に融合したもの。
まさしく永島慎二さんのそれ。
よれよれのダッフルコート、ゲバ棒の摺り傷が入っていれば最高。
銀縁のメガネ、褐色やグレイのスモークが入っていればなお良い。
背中は丸め、タバコはパイプ、酒はレッドかハイニッカ。
南の友は、コートのポケットに啄木の詩集を入れて持ち歩いていた。
夜中に訪ねてきて、スナック「エプロン」や喫茶「祇園」で夜明けまでたむろする。
涙を流して詠んだ「ココアの一匙」、
僕らはヒンジさんと同じ時代を過ごした。
■2005.7.6 morning 管理人 wrote
桜上水から阿佐ヶ谷に引っ越したのは1969年。
北口を出て線路沿いに2〜3分歩いたガード下の安アパートに落ち着きました。
畑が続きひばりが鳴く桜上水と比べると阿佐ヶ谷はお街でした。
田舎出の私は中央沿線なら何処でも良く、中野から順に安いアパートを探して歩いたのです。
アパートに落ち着き余裕が出ると、アパートから一番近い喫茶店に通うようになりました。
妙にアットホームで、店内は小学校の教室のような風情、店名をポエムといいました。
インテリアも気に入りましたが、それよりもボーイッシュカットのウエイトレスが可愛かったのです。
バリケードを追い出され、心はすさぎ気味の時期。
マスターはサラーリマン風情の40過ぎ、山之内さんと憶えています。
髭面に黒丸鼻サングラス、小太りのオッサン客をカウンターで珠に見かけました。
少しして、この客が漫画家「永島慎二」さんだとマスターが教えてくれました。
私はマスターに「今日は貧二(ヒンジ)さん来てないね」とか云った事を憶えています。
荻窪、桃井に引っ越した後も歩いて足しげく通いました、東京を去るまでは。
ヒンジさんが6月10日に天に召されていたと報道がありました。
黒丸鼻メガネ、よれよれのダッフルコートにチューリップハット、背中を丸めてパイプタバコを吸うヒンジさんを思い出しました。
彼のファッションスタイルは、その後の私に大きな影響を与えています。
フーテンのヒンジさん、安らかに。
■2005.7.4 night 管理人 wrote
帰路、いきなりロックロール・ミュージックから始まる。
ここんとこ通勤のBGMは、フォー・セールとラヴァー・ソウル。
根っからのビートルズ世代、曲の終わりの3秒前で次の曲のフレーズが出て来る。
憶えているとかそういうのじゃなくて、体からフレーズが染み出てくる。
少なくとも、四人が仲が良かった時期の全てのアルバムでそうなのだ。
最初にビートルズと遭遇したのは1963年か4年、中三の二学期だ。
弁当箱ぐらいのパナソニックのトランジスタラジオ、「シー〜ラヴズ〜ユー〜」と聴こえてきた。
「ウヌ・・・、こりゃ〜何だ」
ビジュアルも何も無い、音だけでのビートルズとの初めての出会い。
「おい、ヒットチャートに変な曲が登場したぞ!」、次の日の休み時間、すぐさま話題になった。
ビートルズが流れる朝の通勤、助手席は確率5割で次男坊。
二日連続同伴通勤というのも珍しくない、いやはや予想外。
その時は少しビートルズを絞る。
フォー・セールは私にとってビートルズが一番ビートルズらしかった時期の一枚。
ウィズ・ビートルズも好きな一枚。
妹と小遣いを出し合って欠かさず買ったレコードは、
嫁入り道具だといって、一枚残らず持って行かれてしまった。
ノォー・リプライで家に着いた。
|