管理人日記2005年8月  
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■2005.8.31  night   管理人 wrote

さすが、お江戸のトンボ返りは堪える。
高速移動の仕事に慣れた都会の方なら大した事は無いのだろうが、
私の生息地は、もっと時間もスピードもスロー。
正真正銘のスローライフなのだ。

手術入院していた義父、週末に退院の目途が。
三姉妹の長女の妻、欠かさず病院に通いつめた。
そのせいもあり、このところ夕食は毎晩10時を過ぎる。
でも、妻のサポートにとこの数週間せっせと家事に励んだので、いつもより我が家は綺麗だ。

職場ではそのせいもあり、少し疲れ気味、
疲労感が伝わるのか来客は「お忙しそうですね・・・」。
家事で疲れているとは言えないので
、「まあ・・・・・」、
団塊世代、親の介護と看取りのまっ最中だ。


■2005.8.30  night   管理人 wrote

昨日、帰宅すると私宛の封書が届いている。
DMでもなさそうだし、宛名はボールペンの手書き、優しい文字だ。
差出人は東京都東村山市、心当たりが無い。
中には領収書と礼状が。

ア〜ア、分かった、管制塔被告団からのだ。
礼状の最後、「やつらに1億300万円の義憤を叩きつけるまでがんばります」
異議なしだ。
「ともすれば挫けそうになる私たち被告団とその家族を勇気づけ激励してくださり、本当にありがとうございました」
いいや、勇気づけられたのは私の方だ。

本当は匿名でカンパするつもりだったのだが。
郵便局のカウンター嬢に強要された二部複写の振込み用紙。
金額だけを書いて差し出すと、
「住所、氏名を書いてください」
極めて事務的に云われ、条件反射的に書き込んでしまった。


久しぶりの羽田はすっかり変わっていた。
急に決まった出張、昼過ぎ着で、夕刻とんぼ返りのビジネスツアー。
帰り際、山手線の人身事故で渋谷で20分ほど立ち往生。
危なく帰り便に乗り遅れる所、駆け足で土産を買って飛び乗った。


■2005.8.29  night   管理人 wrote



カウント66666。


■2005.8.29  morning   管理人 wrote

土日は二日続けて、伸び放題だった生垣の刈り込み。
私は元来うっそうとした庭が好き、落ち葉も出来るだけそのままにする。
家を建て替えて四年目、ぼちぼち以前の庭の風情(お化け屋敷)が出てきたところだ。
生垣で植えたものでも、育ちが良いものはそのままにして立ち木になっているものが2〜3本ある。



土曜日は、地から熱気が沸いてくるような残暑。
10分も剪定していると、熱気で意識が朦朧としてくる。
「こんな事では、定年帰農は無理だぞ」
言い聞かせながらやるのだが、午前中は1時間も持たなかった。
水をがぶ飲み、扇風機を抱き込みダウン。
これくらいの熱気、海では平気なのだが、虫除けの長袖・長ズポンの装備がダメなのか。

秋に、”930”の集いがあるとご案内を受けた。
どうしようか迷っていた。
ホームページでも明言しているが、私は「一兵卒」。
ここでは内弁慶で吼えているのだが、集いに来るのは当時リーダーシップを持って闘った方が大半。
対の付き合いには少し腰が引ける。

躊躇して返事を出しかねていたら、メールが有った、
是非出てこいとのお誘い。
ラッパの大将さんにも招請状を出していると書かれている。
メールの一行に目が止まった、
「出席者の多くは貴HPの愛読者なので・・・・・」。
何か、胸がジ〜ンとしてきた。


■2005.8.26  morning   管理人 wrote

管制塔占拠被告連帯の集会が9月18日に開かれるようです

報告:鎌田慧(ルポライター)、
元管制塔占拠闘争被告 ほか

日 時:9月18日(日)午後1時半
会 場:文京区民センター3A
     (JR線水道橋駅下車徒歩10分)
     (都営地下鉄三田線・大江戸線春日駅下車すぐ)
     (地下鉄丸ノ内線・南北線後楽園駅下車5分)
     (都バス大塚−錦糸町/大塚−上野公園・春日下車3分)
     (都バス池袋東口−上野公園・春日下車3分)
参加費:700円
主 催:同実行委員会

連絡先:市民のひろば
    東京都千代田区三崎町3-1-18近江ビル4階
    TEL03−5275−5989
    FAX03−3234−4118

一つ気になったというか、腰が浮いてそわそわしてしまう事が関連のブログに書かれていました。

前略)・・・・そういうわけで、当日「あの感動を思い浮かべる」ようなどんな恰好で参加する事も構わないという「お墨付き」が主催責任者から出たわけです。つまりヘルメット姿もオッケーです。鎌とハンマーのメットに赤ヤッケでも「戦旗」メットでもベトナムの星メットでも茶色メットでも白ヘルに「反戦」でも青ヘルでもモヒカンメットでも構いません。何でもおっけー!当時のゼッケンをお持ちの方はそれで登場してもぜんぜん構わない。ほとんど「コミケ」状態!\(^o^)/ ただ一点「現在の党派運動を誇示する」意志を表示する事だけはおやめください。あくまでも「コスプレ」という事でご了解ください。
(旗旗さんホームページより抜粋転載)

これって楽しそう(不謹慎で済みません)、近くなら行くのに。
モヒカンの理闘委のメットをさっそうと(くたびれ)ハゲ頭に被せ。
1978年組の集会へいざ出陣。
でもジレンマが、
田舎者が大枚はたいてカンパニアに馳せ参じるなら、その分カンパしたほうが良いのだ。
でも死ぬまでに一度でいいから日大全共闘のヘルメット姿みたいなあ。
首都圏の何方か、居ないかなあ

9.18集会


■2005.8.25  morning   管理人 wrote

1968年は、8月に入り帰省した。
ナップサックにヘルメットを詰め、東京から田舎に持ち帰った、
単純に友達に自慢し、見せびらかしたかったから。
それほど私の感性は単純で、屈折が無かった。
それから4年後、Uターンした時とは随分違う。

まだ時間がキラキラ光り、誰彼なく泊り込みやストライキの話をした。
喫茶店で熱っぽく話し続ける自分が、周囲から浮いていることに気が付くのに時間は掛からなかった。
2〜3週間も滞在しただろうか、自分の居場所は此処じゃないと感じ始めた。
1968年7月8日、バリケードストライキに突入して僅か1月足らず、
その一月足らずの間に、私は劇的に変化していたらしい。

8月も20日を過ぎた頃だろうか、私は理工学部一号館のバリケードに発ち返っていた。
薄暗く閑散としたバリ内、
汗で臭うせんべい布団、
ぶら下がったヘルメット、
星空の下の冷たいアスファルト、
そこから、今の私が始まった。


■2005.8.24  morning   管理人 wrote

あれだけカンカン照りの熱帯砂漠のような天気が続いたのに、この一週間は雨季の様な天気。
はるか太平洋上には台風が控えている、夏が終わりかけ、台風シーズンの到来。
曇りで涼しい朝、珍しく起床時間を間違えあわただしく家を飛び出した。
BGMは BON JOVI の夜明けのランナウェイ、
音が粒立ちキラキラ光る小気味良いアメリカンロックだ。


この手のロックは大枚はたいて買うほど好きではないが、
レンタルショップのセコハンセールでワゴンに並べられていた。
悲しい(嬉しい)事に一枚300〜500円程の叩き売り、まとめて数十枚買った折の一枚。
珠に聴くのはいいが、やっぱりロックはもう少しブルージーでないと。

昨日、所用があって役所に出かけた。
少しばかりトラブルがあり(たいしたトラブルではないが)、役所でもいわゆる本課というセクションに言い訳にあがっていた。
入って驚いた、役所の中枢管理部門なのに皆若い。
メインが30歳台、少し老けている職員でもどう見ても40歳台前半。
係り末席の30歳そこそこの方(若僧!)に、少し冷ややかにご指導を頂いた。

私が驚いたのは、役所の中枢部門に私のような50歳台のオッサンの姿が見えない事。
役所と言えば、むつけきオッサン役人が扇子でバタバタというのが私の先入観で有った訳で。
団塊世代、役所のオッサン連中は一体何処へ行ったのだろう。
暇な出先機関に放り出されたのか、
それとも、職場を早々と追いやられたのか。

この役所、聞くところによると45歳から早期勧奨退職制度が導入されているという。
冗談抜きに、早々と職場を追い立てられているのだろうか。
「テメエら、オッサンは御用済みってことか!」
誰に云ったらいいか分からない憤りとやるせなさを感じながら、
我が首をなでながら帰ってきた。


■2005.8.23  night   管理人 wrote

今日も妻は仕事を終えると義父の見舞いに。
郊外の総合病院、夕方で混雑な市街地を通り抜けるので、病院までは片道40分ほど掛かる。
迂回の高速道路を利用すると半分程でいけるのだが、如何せん妻は高速は苦手。
父上の見舞いもさることながら、片時も離れず看病する母の看病疲れに気をもんでいる。

昨夜、秋の気配を始めて感じた。
今夜も虫の鳴き声が、一雨ごとに夏が去り秋が近づいてくる。
徹夜のバリケード見張り番、冷えたアスファルトで角材を枕に仰いだ夜空。
あの冷んやりとした感触、何故だか切ない気持ちだけは憶えているが、
その時何を考えていたか記憶が無い。

10月早々、待ち遠しい楽しい事がある、
ラッパの大将さん、逢えたら嬉しいね!


■2005.8.22  afternoon   管理人 wrote

管制塔被告連帯基金のカンパを持って、昼休み郵便局へ出向いた。
今回はダウンロードしたチラシの振り込み用紙で窓口へ。
受付嬢、チラリと振込用紙を覗き込み、何やら不満そう。
「何か?・・・・・・・」

振込用紙を差し戻し、二部複写の振込用紙を差出す。
申し訳なさそうに云う、
「こちらに書いていただけませんか」
「これインターネットから落としたもですが、ダメですか?」
「・・・・・・・・・・。」

ここでもう一押ししようか(切れようか)一瞬迷ったが、止めた。
郵便局は私の職場のビル内、
振込用紙には「管制塔被告連帯基金」と刷り込まれている。
要は”日和見主義”をとった訳、
否、大義の前の小競り合いを避けたと言い訳しておこう。


乏しい小遣い、虎の子の万札とネットで落とした振込用紙を引っ込め、おずおずと脇のカウンターへ。
頂いた立派な二部複写の振込み用紙に書き直した。
多分強く言えば、ネットの振込用紙でも通用したと思うのだが、
郵便局は私の職場のテリトリーの中、
再度、大義の前の小競り合いを避けたと言い訳しておこう。



■2005.8.21  morning   管理人 wrote

私は”センキョ”闘争支援なのだ。

9MBとデカイ、
ブロードバンドでないと辛いかも。
一度ダンロードして、アクロバットで開く方がベター。

リンクの上にマウスポインターを置く
右クリック
「対象をファイルに保存」をクリック
保存場所を決めて「保存」
アクロバットリーダーでダウンロードしたファイルを開く

管制塔連帯基金への呼びかけチラシが開く
郵便局の振込用紙が刷り込まれている。
(会社の?)プリンターで、(大量に?)プリントする。
お金が乏しいオッサンは、連帯を拡げる事でさらに支援する。

管制塔”占拠”被告連帯基金

Acrobat Readerのダウンロードはこちらから
アクロバットが無い方はこちらから、フリーソフト。


■2005.8.19  morning   管理人 wrote

夏休みを頂いていた。
休み明け出勤すると、予定を入れていた打ち合わせが急遽中止に。
相手のSE、航空便が手配できなかったらしい。
繁忙なSE、来るときは何時も直前にチケットを取っている。
この旧盆時期にはそれが通用しなかったという訳だ。

暑い上にドタキャン、今一気合が入らぬので昨日は休暇に。
毎年、夏期休暇は半分も消化していないので、今年からは完全消化を目指す。
中途半端な午前は、新聞を隅から隅まで読む。
2紙購読しているので結構な”読書量”になる、BGMは中山ラビさんの”ラビ:ひらひら”

今年は”つるバラ”が良く伸びる。
塀を伝わしていたのだが、塀を乗り越えうっそうと生え茂っている。
ぶ厚いセーム皮の手袋をして剪定、経験からだが刈り込んでやったほうが良く花が付く。
生垣の木も伸び放題だが、これの剪定は半日では無理なので、後日に回す。
午後からは、看病で大騒動している妻のサポートの家事一式。

有事、気合充分で無頓着に台所洗剤をたっぷりつけて食器を洗っていた。
ほんの一週間程だが、先日から指の間に湿疹のようなものが、
これが掻くと潰れじつに痒い。
どうも洗剤と皮膚のせめぎ合いで負けたよう。
止む無くゴム手袋をする。

ラベルをよく読むと「手袋をして使用ください」。
生れてこのかた、毎日毎日使って何とも無い石鹸とは違い、この洗剤は物騒な代物だ。
”植物から生れた”などとソフトイメージを表示しているが、中身は石油生成のハードコア。
被害者になって、やっと洗剤の怖さが分かった次第。


■2005.8.17  night   管理人 wrote


禁じ手、直リンク


■2005.8.16  night   管理人 wrote

おっと・・・この写真は!。
私が三里塚へ出張ったのは大学も三年か四年或いは五年の頃、数回。
記憶がズタズタだから、時系列の正確さは極めていい加減ですが。
1971年3月16日に発行された毎日新聞のエコノミスト表紙に、私が座り込んだ隊列が映っていた、これだけは正確。
大事に30数年とってあった。

1971年3月16日号

一年半前2004.2.17の管理人日記に、懐古趣味的に載せた写真だ。
内緒だが・・?、その被写体の時は千葉*庁に採用が内定していた仲の良い先輩と一緒に出かけていた。
三里塚には余り縁が無かった日大全共闘が馳せ参じたのだから、多分全都動員・・・か、全国動員だったのだろう。
これ以上書くとその先輩に迷惑が掛かるからその詳しい話題は止めるが。
とにかく、後ろに杉並と書いた赤ヘルをナップサックに隠して出かけたのだ。

旗旗さんのブログに紹介されている「抵抗の大地」というDVDのカバー写真。
この座り込みの後ろに私が居る。
この後、短い樫の棒を持ったML派の部隊が機動隊に突っ込んでいった。
私とその先輩といえば、泥だらけの野原を逃げ回った記憶しかない。
何度も云うが、一緒の先輩は千葉*庁に採用が決まっていたのだ。

抵抗の大地

>1971年1月、千葉県成田三里塚の地に、突如として万余の警察機動隊が押し寄せた。空港建設に反対する農民から、土地を強制収用するためだった。農民に一言の相談もなく、有力政治家達の都合だけで土地を取り上げようとする政府の態度に怒った農民は、捨て身の抵抗でこれを迎え撃つ!
(DVD紹介記事より)

http://jioos.podzone.net/
僅かでもいい、出来る範囲のカンパを !



■2005.8.15  night   管理人 wrote

義父の看病と仕事に忙しい妻のサポートに、夏休みを家事に励む。
元々、掃除洗濯は嫌いなほうでない。
自分のペースで、少しずつ済ましてゆく。
フローリングはワックスが嫌いなので、硬く絞った雑巾で小まめに拭く。
吹き出るような汗の後、軽くエアコンを掛けるとサラサラ感が心地良い。

今朝は4時50分起床。
周りはほんのり薄暗く、朝刊も未だ届いていない。
さすがにこの時間帯だと、庭はひんやりと涼しい。
コーヒーを点て、ベンチに座って朝日を待つ、やがて新聞が届く。
バイクの次男、車の長男、自転車通勤の妻を順に見送る。
あと数年、毎日が夏休みのこの朝のような生活になるのか。

正午、一分間の黙祷。



■2005.8.12  morning   管理人 wrote

おそらく今が一年中で一番暑い時期だろう。
最高気温が40度近くを記録した日もあるという。
ついつい枕詞の”異常気象”を使いたくなるのだが、夏が暑いのは当たり前。
人間の方が軟弱になり、暑さ寒さに弱くなっているだけと思うのだが。

この土日を挟み、まとまった夏休みを頂く予定だった。
父母がいなくなってからは、兄弟の恒例のお盆帰省も途絶えた。
子供達も大きくなり、家族で何処かに出かけるという事も無くなった。
さあ、どうやって過ごそうかなあ、と思い巡らしていた矢先、
妻の実家から連絡が入った。

80歳を迎える義父が、手術のため入院になる。
妻は三姉妹の長女、名実とも実家のリーダー。
二人の妹、高齢の母に指示を飛ばしている。
「貴方、その折はお願いね、私は掛かりっきりになりそうだから」

その”折”が私の夏休みと完全にシンクロしてしまった。
月曜日は入院のサポート。
火曜日は手術の待機。
水曜日は術後の・・・・・・・・。

今の病院はホテル並みの施設、快適な空調で、コンビニまである。
我が家より居心地が良いのは保障付き。
しかし、有事になると家族の結束が強くなるなあ・・・。


■2005.8.10  morning   管理人 wrote

TBS系のプロダクションから掲示板に書き込みがあっている。
1965年当時、それも京都の学生運動の状況を知りたいらしい。
40年も経てば、時代劇並みの考証が必要ということなのか。
それとも、学生運動は極めて特異な分野で、常人の知るところではないという事なのか。
掲示板にも書いたが、1965年といえば高校二年生。
ビートルズと実力テスト、片思いで精一杯の人並みの青春、学生運動なんぞには全く縁が無かった。
「エデンの東」さんなら詳しいのではと振ったが、早速書き込みを頂いている。
さすがだ、ありがとうございます。

日大全共闘、私の周りの仲間には評論家はいなかった。
頭から騒動に入る程の余裕が無かったのが実情。
時が進むにつれて、色んな大学や運動をしている方々と知り合いになった。
そして時が進むにつれて、私の仲間たちと、日大以外の方々のタイプの違いに気付くようになった。

私らは余り議論をしたことが無い。
勧善懲悪ではないが、正義は単純に私達のほうにあると思っていた。
議論ではなく、”やるかやらないか”の意思確認であった。
そして、”やる事”の難しい説明を必要としなかった。
誰が見ても単純明快に理解できたと思う、
要は自分の決意が全てだった。

敵対してくる右翼・体育会系の方々でさえ”全共闘は間違っていない”と思っていたのでは。
それが証拠に、方々はへっぴり腰で根性が無かった。
確信右翼に見られるような信念は感じられなかった。
マージャンとバイト、ナンパに明け暮れていた(一部異論はあると思いますが)いわゆるポン大生が、右翼・体育会系学生に勝ち抜いたのだから。


■2005.8.9  morning   管理人 wrote

「この個別特殊性を持った闘争に、私はねえ・・・、普遍性が有るのではと拘っているのです」
この女性、膝に手を揃え、真面目に聴いてくださる。
隣の女子大生が席を移動したので、その隣の妙齢の女性と会話を交わす。
何故、こんな席にくだびれたオッサンが自主上映に関わって居るのか不思議なのだろう、又しても向こうから話し掛けてきたのだ。

東京原発自主上映の打ち上げ会、半分以上が女性。
昨年、市民運動に関わりだしてから”節操”が飛んだ。
少し会話が進めば、すぐ斬った張ったの話になる、打ち上げ会もしかり。
まあ、それなりの意識を持って集まった方々だから、居酒屋でくだを巻くよりはましなのだが。
「ゲバ棒・・・、なんですかそれ?」
「トロ ・・・・・・・・???」
話は途中で寸断されるが。

でも、
私が市民運動に関わりだしたのは、この日大闘争を伝えたかったこともある。
個別・特殊な学園民主化闘争であったが、
あの地から湧き上がるようなパワー、
あの共生感、
何かの萌芽がありかけ、潰えた試み。
理屈ではなく、私の感性で伝えたいのだ。


この土日、次男坊はほとんど部屋にこもったきり。
「おい、どうしているんだ」、夕方部屋を覗き声を掛けると
「少し勉強」
机に条例や法令集を積み上げている。

次男坊の新しい部署は管理部門という。
この新人君の机にも、現場や出先から色んな稟議が回付され積み上げられるらしい。
決済について意見を述べると、
”昨日今日の新人に何が分かるか・・・”、という上司の対応だったらしい。

言われて当然だが、「カチンときた!」
此処からが真面目一辺倒の新人と、元ヤンキー上がりの違いが。
「2ケ月で、誰にも遅れを取らないエキスパートになってやる」
職場から資料をかき集めガリ勉を始めたようだ。

このパターンは高三でも発揮されている。
ヤンキーのツッパリ、進学指導の先生にも見放され相手にされなかったらしい。
「それじゃ〜、やってやろうじゃないか」
二学期からは学校を(真面目に)ふけて、誰も居ない自宅で集中学習。
幾つかの合格通知を聞いた先生が(親も)耳を疑った。

昨夜、喜々として報告があった。
「父さん、決済を回付すると、解釈について予想通りの質問が上司からあったよ」
「それでどうなった」
「決済の根拠を説明すると、黙ったよ」
「お前新人だろう、職場で嫌われるなよな」

私には無いDNA。
多分爺様のが隔世遺伝したのだろう。



■2005.8.8  night   管理人 wrote

そらが泣いたら 雨になる
 山が泣くときゃ 水が出る
 俺が泣いても なんにも出ない
 意地が涙を... 泣いて 泣いてたまるかヨ 
 通せんぼ  

海は涙の 貯金箱
 川は涙の 通り道
 栓をしたとて 誰かがこぼす
 ぐちとため息... 泣いて 泣いてたまるかヨ
 骨にしむ 

上を向いたら キリがない
 下をむいたら アトがない
 さじをなげるは まだまだ早い
 五分の魂... 泣いて 泣いてたまるかヨ
 夢がある 


1966.4.17〜1968.3.31までテレビで放映されたドラマ。
私は1967年から、世田谷桜上水の学生アパートで欠かさず観た。
今宵出かけたライブの二曲目で歌われた。
「この歌知っている方は拍手を」と云われ拍手したが、
会場で、私の他二人しか居なかった。

全共闘以前の懐かしい歌。



■2005.8.8  afternoon   管理人 wrote

No More KOIZUMI
No More JIMIN

(取り急ぎのスローガン、熱中症で皆さんくたばるのでは?)



■2005.8.7  afternoon   管理人 wrote

妻は短大生の頃、広島の平和集会へ行ったという。
昨日のは平和式典、小学生の朗読もあれば、官僚の原稿を淡々と読む総理も出てくる。
式典と集会、同じ8.6(ハッテンロクと読んで欲しい)のカンパニアでもかなり違う。
彼女のスクラムは、平和式典では決して歓迎されない集団だったのだろう。

気が付いたら機動隊に追いかけられていたという。
民青に毛が生えたくらいの田舎の集団、逃げ頃が分からなかったのだろう。
一緒に来た仲間とはぐれ右往左往。
もうダメだ、機動隊に追い付かれたと感じた時、
機動隊は彼女を無視して追い抜いて行ったという・・・・・?!。

「怖かった・・・、恐ろしかった・・・」と妻は私に訴えるのだが。
私には返答のしようが無い。
「そりゃ〜良かったね、でもそれってシカトされたんだよね」
余りコメントを挟むと、馬鹿にしているのが分かるからこれ以上は言わない。

私の知っているゲバルト・ローザとはかなり違うが、
長く付き合うのはこれ位が良いと思う、30数年仲良くやってこれたのだから。
No More HIROSHIMA
No More NAGASAKI



■2005.8.7  morning   管理人 wrote

今朝、日の出と共に墓掃除に出かけた。
自宅から歩いて10分ほど、それから5分ほど息を切らせて登った小山に在る。
ス〜っと風が通り抜け、街が見渡せる。
母方のご先祖と父母、5年前からは兄が眠る。
父が17年前、母がそれから半年後、二人は仲良く同じ病で旅立った。

昨日8月6日、8時15分は申し訳ないが庭で草木に水遣りをしていた。
部屋に戻ると、小学生二人の朗読が聞えて来た。
しばし、テレビの前に立ち止まり聴く。
何だろう、目頭が熱くなる、
子供らは、通り一遍の事しか言っていないのに。
ふと横の妻を見ると、彼女の顔にも涙が、
日本人のアイデンティティーなのか。

春のお彼岸は、用事があり墓所に行けなかった。
妻に掃除をお願いしたが、見事に墓の後ろは山が降りてきている。
雑草は簡単だが、笹竹は手ごわい。
造園墓地ならこういう苦労は無いだろうが、私は団地より自然の方が良い。

結局3時間ほど掛かってしまった。
落ち葉を笹箒で綺麗にかき集めて仕上げ。
ソファーでグロッキーに為っていると、
「貴方、御花にお線香をお供えに行って来ます」、と妻が出かけていった。
これが、何時もの役割分担なのだ。



■2005.8.6  afternoon   管理人 wrote

オッサンには似合わぬお洒落なレストラン。
金曜の夕方、仕事の延長のくたびれサラリーマンスタイルが店の雰囲気にそぐわぬのだが。
東京原発自主上映の打ち上げ会に参加。
若者も居るではないか。


私の隣は若い女性、地元国立大の人文系の学生で3年生という、
申し訳ないが、見た目はもう数歳上、女子大生というよりはOLという風情。
「お仕事は何をされているんですか?」
身なりも上品、色々と話しかけてくれる。

これでは私の得意ネタ、斬った張ったのオハコが出せないではないか。
途中で、この綺麗なお姉さん風女子大生に取り合うのは止めた。
矢張り私の得意分野は、”ボロ”はまっとても心は錦の原理主義者。
残念な事に”自然食”原理主義の方々は参加してなかった。

自主上映の収支の報告が有りました。
必要な経費を全て賄っても、結構なお金が残りそうだとの報告。
「このお金を何に役立てましょうか?」
実行委員長の女史から皆に問いかけが。

ボランティアの皆さんから無償提供いただいた労力は半端なものじゃない。
労賃を計算に入れない収支だから、お金が残る訳。
そんな思いも有って、
「パッと、皆で飲んじゃいましょう!」
皆の冷たい視線で針ムシロ。
私は少しばかりのネットワークが出来ただけで十分、後はどうでも良いのだが。

明日は母の16回目の命日。



■2005.8.4  morning   管理人 wrote

明け方、中学校の同級生の夢を見た。
父の仕事の関係で、小学校は4回、中学校は一年、二年、三年と3回転校した。
中三の転校のとき、初めて自分の意思を出した。
「もうこれ以上学校を変るのは嫌だ」

兄姉、妹は中高一貫の私立進学校、居住地による転校は無い。
出来の悪い私は公立中学校でママならない。
父も困っただろう。
「変るんなら、中一の元の学校、元の級友のところに戻りたい!」
強引に戻してもらったが、家族には大きな負担を掛けてしまった。

でも中三は楽しかった。
自分の意思を出したことが、結果的に良かった。
その楽しかったクラスの仲間の夢を見た。
40年前のイチゴの春、級長(今は云わないか?)だった私はクラス代表で卒業証書をもらった。
同窓会を段取るのは私の役目だな。



■2005.8.3  morning   管理人 wrote

私の勤め先のビルは、定刻8時半まではエアコンが入らない。
昨夜、通り雨が有ったのかとにかく蒸す。
仕事前に更新しようと早々と出勤していたのだが、風も無く余りの不快さに始業までソファーに沈み込みウチワでバタバタ。
始業のチャイムまでいつの間にかウトウトしていた。

4〜5年前から、仕事が総務・管理畑に移った。
この職場に入って数十年、企画・営業を続けてきたので当初は辛いものが有った。
仕事が辛いというより、身なり格好のほうが急変した。
ラフな格好から、それなりの格好へ、ワイシャツにスラックスになった訳だ。

素材の良いチノパンは、どんなに暑くて蒸しても、不思議なことに不快感が無い。
綿素材のシャツは、汗でベトベトになっても少しも気にならない。
ところが、今のスタイルはダメなのだ。
汗がまとわり付く、エアコンが効いていないと我慢できない。

「おい、クールビズなのにネクタイか?」
「今日は辞令交付、気持ちだよ!」
1日の月曜日、次男坊は長袖カッターにネクタイを締めて颯爽と出勤した。
さぞかし暑いと思うのだが、父さんとは気合が違うようだ。


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