管理人日記2005年11月  
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■2005.11.30  night   管理人 wrote

今夜は冷え込む。
二人の息子はまだ帰らない。
9時過ぎ長男から電話が入る。
「父さん、今日の晩御飯はいいって母さんに言っといて、鍵閉めてていいよ」

生産ラインのケーブルがネズミにかじられここ数日ストップしているという。
そういえば週明けから長男の顔を見ていない。
連日の対応に、今日は上司も帰り、同僚も帰り息子一人だという。
出来ることなら出掛けて行って手伝ってやりたいのだが。

私の職場は団体職場なもので、就業規則がそれなりに守られている。
それはそれで働き易い職場なのだが、勤務時間の運用には柔軟さがない。
そういう意味では結構息苦しい所もあるのだが、
長男の職場を見ていると就業規則もへったくれも無い、連日の徹夜に近い深夜勤務。

よっぽど、父さんが行って赤旗振ってやろうかと思うくらいだが、
それでも息子は責任感からか弱音を吐かない。
父さんもバリケード逃げ出さなかったぞ!
さすが父さんの子だ!・・・・・、う〜ん、少し違うかな?


■2005.11.30  morning   管理人 wrote

寒いのか朝なかなか起き上がれない。
出社拒否症候群かも知れないが、こんなに働いているので少しはいいだろう。
適当な理由をつけて2時間ほどの時差・社長出勤。
出掛けにCDボックスからランダムにチョイスしたのが Bonnie Reitt。



渋い好みの方で無いとご存知ないだろうが、
ハスキーな歌声と、ギタリストを上回るブルースギターが何ともいえない。
聴きようによってはカントリーとも聴けるが、私はブルースとして聴いている。
1949年生の同世代。

管制塔元被告団から丁重な礼状が届いた。
読んでるとまたまた目頭が熱くなる。
7月17日、ふとしたことから肩入れを始めたのだが、
色んな方々と暖かい交流ができた、何度も云うがお礼を言いたいのはこちらだ。
クリスマス・イブの感謝の会のご案内も入っている、う〜・・・・ん。


■2005.11.26  night   管理人 wrote

仕事は夕方までもつれる、
実は前から準備していた今日予定の会に参加できなくなって少しめげていた、
夜中は私の時間なので、昨夜徹夜で(少し・・・いやかなり寝たが)で頑張った作業のフィニッシュを掛ける。

「死者よ来たりて我が退路を断て」、
ビデオキャプチャーの画集を作成。
この程度だとM子さんは許してくれるかな。
やってしまったのだ、御免!
勝手な振る舞い、先に謝っときます。

写真集のページから入ってください。
PS. 大将、貴方はホント主役だわ!



■2005.11.26  morning   管理人 wrote

昨日メールを頂いた。
「死者よ来たりて我が退路を断て」
芸術学部の仲間の作品と紹介したが、
詳しくはこれから調べてみるが、少なくとも芸術の全共闘メンバーが手掛けた作品ではないとの事。

当然、芸術学部だから映画学科もある訳で、
すっかりそのつもりでいたのだが、
メールを下さった方も「映画学科の先輩か、それに通ずる方々だと思う」とのコメント。
しかし製作権(著作権)者のお名前は確認できた。

今日は3週続きの土曜出勤。
芳しくない業績をどう立て直すかの消耗な会議。
全共闘の頃には、この手の会議には出たくなかった。
消耗な会議から逃げる事、議論よりも情況に体でぶつかり砕け散る事を選んだのかも。
それが良かったかどうか今でも分からないが。



■2005.11.25  morning   管理人 wrote

「死者よ来たりて我が退路を断て」
1969年3月、芸術学部の仲間が作った映画だ。
いわゆる”日大闘争の記録”とは少し違う。
ドキュメンタリーでノンフィクションな”映画”だ。

ビデオで紹介するだけのサイトの容量は無いので、
少しご披露に、掲示板にキャプチャー画像を貼った。
ここの掲示板にしばしば登場する方が、かなりのシーンに映る。
それも殆ど”主役級”だ。

『機動隊のな・・・、一人や二人殺す覚悟でやらなきゃ〜な・・・・・』
まさに退路を断つセリフ、これが演技でもヤラセでもない。
言った方も当然(決死の)覚悟が要るのだ。
タイトルに偽りなしとはこの事だ。

映画作品としての著作権に、キャプチャー画像の公開は触れるのだろうか?。
触れるだろうな。
でもキャラクターで何億円といういう値のつく商業的な肖像とは少し違う。
チェ・ゲバラの肖像と思えば皆も納得してくれるだろう。

でもいいか、作ったのも芸術の仲間だし。
主役級も気の知れた「全共闘各位へ、1995年10月21日 」の同士。
もう少ししたら、たくさんのキャプター画像をアップするから、
た・の・し・み・に・!



■2005.11.23  noon   管理人 wrote




人間催涙銃 by ラッパの大将 1969.1.18 (?





■2005.11.23  early morning   管理人 wrote

今日は午前4時起きだ。
先程息子のご帰宅で目が覚めた。
こんな時とばかり、昔の懐かしいビデオをDVDのHDに移す作業。
朝刊のバイクの音が近づいてくる。

先週、金曜サロンに活動の一時休止を伝えた。
少しは頼りにされているのだが、如何せん約束が守れない。
残業が続き、出張が重なる、
やらなければいけないことが山積みされている、
不肖、この歳になるとタイトなスケジュールがキツイ。
昔なら「テメ〜、甘えた事云うんじゃねえゾー」って総括ものだが。

確か昨日だったよな、
安田講堂前に凱旋したのは。
赤ヘルも青ヘルも、白も緑もモヒカンも、
角材、鉄パイプを打ち鳴らす音が今でも響く。


■2005.11.22  morning   管理人 wrote

出張の際立ち寄ったレコード・ショップ。
私のローカルとは違ってさすがの品揃え、しばらく眺めて楽しむ。
おっと!、岡林が有るではないか。
カウンターでお金を取り出していると、店員さんが困っている。

ジャケットには税込み2500円也の定価表示なのに、レジは2548円。
何度もレジをチェックしているが、しばらくして納得の表情で事情説明を。
「お客様、このCDは消費税3%の定価表示なもので・・・」
私は一昔前の在庫品をチョイスしたようだ。



そう云う訳で今日の通勤BGMはレトロなNEWレコード「私を断罪せよ」
岡林は一度だけライブを聴いた事がある。
何時だったか忘れたが日比谷の野音、前座はアリスだったような。
ヘルメット被って聴いたかどうかは定かでないが、それなりにコアな聴衆ばかりだった。

「手紙」
”差別”を真正面から唄った歌だ。
異議な〜し!、ではなく、やり場のない悲しみが込上げてくる異議有りの歌。
世の中を真正面から見据え歌った歌が聴けなくなって久しい。
歌の力が骨抜きにされて久しい。

もしも差別がなかったら
好きな人とお店がもてた
部落に生れたそのことの
どこが悪い なにがちがう
暗い手紙になりました
だけど私は書きたかった
 (作詞:岡林信康)

若者よ、どうかゲリラしてください。



■2005.11.20  morning   管理人 wrote

巡業からやっと帰ってきました。
仕事の他にも、たくさんの方と会いました。

帰って休む間もなく、今日は収穫の応援で山奥に入ります。
蜜柑を獲り搾汁し柑橘酢を造ります。
一升瓶で数百本、結構な労働ですが、
親戚の皆が集まり無事を確かめながら年中行事です。
私の生まれたルーツでもあります。



■2005.11.17  morning   管理人 wrote

また巡業出張に出掛けます。
ホテルの説明には館内LANは無いとの事。
日記は暫くお休みです。

少し書かないと
「オ〜イ、死んだのかい?」
って、嬉しいメールを頂きますので。



■2005.11.16  morning   管理人 wrote

寒風を突き抜けて次男坊がスーパーカブでご帰宅。
長男は相変わらず何時終わるとも知れぬ残業。
いつものパターンで、兄弟のどちらかが欠けた三人で食卓を囲む。
もうすぐ12月、次男坊には始めてのボーナスが来る。

「初めてのボーナス、母さん何か買って欲しいな」、
妻が切り出すが次男坊は冴えない顔つき。
「おい、新採さんにはボーナス無いのか、それとももう何か買い物でも使かったの?」
何やら言いたげなので突っ込むと、
「そう云うんじゃないけど・・・」言葉を濁す。

「隣の課の新採の同期に聞いたんだ」
「課の先輩から、『初めてのボーナスは課の皆に奢らないといけない』と言われたけど、ホントって?」
「えっ・・・・、そんな事、俺の課では聞かないぞ」
どうやら技術畑の同僚が多い息子の課だけの風習らしい。

「そりゃ〜しゃないな、人生の授業料だと諦めるんだな」
「足らなければ父さんがカンパしてやるよ」
次男坊はどうやらコアな体育会系の職場に居るようだ。



■2005.11.15  night   管理人 wrote

今日お昼休み、管制塔サイトに投稿しました

秋も深まり見渡す景色は山吹色に染まっています。
四季は、私の内ではあれからず〜っと1968年の夏、1968年の秋、1968年の冬、そして1969年の春をひたすら繰り返しています。
三里塚を戦われた方々も同じではないかと思います。

おめでとうございます1968年日大組です。
今回の書き込みからHN・1968年組に日大の二文字を付け加えました。
11.11の勝利集会には我が同士が代理で参加してくれました、ご配慮いただき挨拶の時間をとっていただいたようで有難うございました。
このサイトの関係者の方から、「日大全共闘って皆あのような感じの方ですか?」という便りを頂いています。
「彼はどちらかというと右翼キャラがつよい方で、当時も日の丸鉢巻で催涙銃の水平撃ちへ突っ込んだ猛者です」と正直に解説しております。
多分納得していただけたと思います。

私(達)はかつて「道理が通らず、おかしい?」と言っただけで殴られ血を流す学友をつぶさに見ました。
見て見ぬ振りが出来ず、多くの学友が立ち上がったのが日大闘争です。
紛れもないズブズブの大衆運動だったと思っています。
1968年夏はアスファルトに転び夜空を眺めて過ごしました。
秋は、機動隊ばかりか右翼や関東軍を相手に熾烈なゲバルトに明け暮れました。
越冬貫徹をスローガンに篭った年末・年始、安田講堂への進撃を止められ地団駄踏んだ1月。
桜の咲くころにはバリケードを追われていました。
あの四季を一度として忘れたことはありません、日大の仲間であれば皆そうだと思っています。

7月17日、旗旗さんのブログを見たとき、かつて血を流す学友を目の前でみた時の感情が沸き上がってきました。
理屈とか主義とかではありません。
一度として忘れた事のないあの時の感情、「人として見捨てて置けない」。
それからは無我夢中でした。
あっという間の5ケ月足らず。
関係者の方を尻目に申し訳ないですが、涙に塗れるいい思いをさせていただきました。

この運動を担われた関係者の方々に、心からの労いとお礼を申し上げます。
ご苦労さまでした、有難うございました。



■2005.11.14  morning   管理人 wrote

しかし・・・・・・・・、
安田砦の防衛隊長・今井さんの最後の時計台放送はついぞ聞くことが無かった。
後の記録の文章なら見た覚えがあるのだが。
あれから人は殆ど進歩しないのに、メディアツールは激変した。

今回の一億三百万円の叩き返しは、ほぼリアルタイムで画像がアップされた。
その後も刻々と更新されている。
今日に至っては15分にも及ぶ実況中継ビデオのアップ。
完璧に近いまでの我ら人民側の映像だ。
公安刑事の顔まで全国に晒されている。

この運営の影の労力がどれほどのものか、WEBを少しはたしなむ私にはよく分かる。
それにこの迅速さ、並大抵のものではない。
僅かな手勢のはず、昼夜無しの献身的な苦労の賜物だ。
多くの方の善意を傷つけまいとするサイトの管理もしかり。

昨日に続き再度言う。
今回の運動の核心を担われた方々に、私は最大限の敬意を表します。



■2005.11.13  night   管理人 wrote

「貴方、アイクスクーム買いに行きましょうか」
夕方、人が帰宅を急ぐ時間帯から妻と買い物に出掛ける。
買い物の最後、いつも行きつけの店でバニラのアイスクリームを買う。
買い物は、休日一日中家に引き篭もる私を連れ出す妻の口実。
何を買うわけでもないのだが、二人でブラリブラリと店を覗く。

「そういえば炬燵が欲しいな」
炬燵の無い生活が4〜5年続いていたのだが、
炬燵でうたた寝のスタイルが実は一番の省エネ。
炬燵にフトン、マット、親切に店員さんが車まで運んで下さった。

帰って組み立てフトンを掛けてセットアップ完了。
今年の冬はこれでうたた寝三昧だ。



■2005.11.13  morning   管理人 wrote

>【和多田さんの「敗北宣言」??】 by まっぺんさん

元被告の真打として発言の中で〜
(正確な発言は、追って報告されます。打ち上げの発言もごっちゃになってます。汗)
『俺は、今度という今度は、柘植に負けた!』と、【満面の笑顔】でうれしそうに語った。
『請求が来たとき、俺は自分の金は全部出して、「3党派を恫喝してでも」、1億円をかき集める方針を出した。
病気のくせに柘植は、「全国の人々に呼びかけてカンパを集めよう」というズブズブの大衆運動路線を出してきた。
俺は、「今の時代に、そんなこと出来るわけないだろ」と一蹴した。
柘植は、年甲斐もなく、それをインターネットでやるという???
すると・・・、あれよあれよという間に・・・、3ヶ月で1億円が実現した。
完全に、完璧に柘植に負けた。
明日から、パソコンに触ってみようと思う・・・』

(レッドモール掲示板同窓会二次会より引用)

この内容は今日の管制塔サイトの被告団の発言の紹介にも出ていますが、今回の運動を端的に言い表したものと思います。
初老の手習い、脳味噌フリーズ、白髪逆立ちでインターネットを憶えた私としては、その力の大きさを薄々感じていました。
インターネットの怖さと言えば、挙げれば限がありませんが、良くも悪くも、インターネットは大きな存在で、無視できないものになってきました。
このカンパの運動は、今後の色んな運動に影響を及ぼすと思っています。

掲示板に登場する”エデンの東”さんが「○共は大衆運動をやらなくなった」と言われたのを憶えています。
大衆運動は基本的には党利党略から組織されますが、それ自体を広めていくのは人の思いです。
党利党略だけでは決して大衆運動は大きなものにはなりません。
私(達)はその一部始終を日大闘争(大衆運動と思っています)で経験しました。
○共は大衆運動をやらなくなったのではないのです。
人の心を理解せず、党利のみに活動を純化し、自分たちだけで固まるのが精一杯で、大衆運動が出来なくなったのです。

カンパをズブズブの大衆運動でやると決断されたこと。
最後まで大衆を信じたこと。
他を批判することなく、運動の大義から決して外れなかったこと。

今回の運動の核心を担われた方々に、私は最大限の敬意を表します。

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我孫子aaghさんが3回読んで4回(?)涙し、「これはある種の”詩”だ」と評した声明文(12日掲載)。
妻にも読んでもらおうとプリントした。
ふと見るとプリンタの後ろにトンボが、
ハグロトンボが綺麗な標本状態で鎮座していた。



■2005.11.12  night   管理人 wrote

ジャスト24:00、妻が私を起こしに来る。
先程から電話が鳴っているが怖くて出れないとの事。
我が家はナンバー表示の電話、知らない番号からだという。
寝呆けていると又鳴る、
「アッ・・・、この局番は」、受話器を取った。

「もしも〜し、天野屋です」
勝利集会から今帰り着いたところらしい。
「本当にいい集会だったよ、セクト違うのに皆んな一つになって」
「Jさんが居て『何で来たのだ?』って云うから」
「『皆を代表して来たんだ』、って云ったら、Jさん泣いちゃって」

私は寝呆け頭で「ウンウン」って相槌を打つ。
少し遅れのリアルタイム、管制塔サイトの勝利集会のレポートを頭に浮かべながら相槌を打つ。
「『1968の管理人さんか?』、って一杯声を掛けられたよ」
行きたかったな!

法務省・国土交通省に対する声明

                          三・ニ六管制塔元被告団

 二十七年前の管制塔占拠闘争に対する損害賠償請求は、今年七月時効
を迎えようとしていた。
その直前の四月、突然一億三百万円の強制執行を始めた法務省・国土交
通省殿、あなた方が、給与の四分の一や全てを満額に達するまで納め続け
よとした全額がここにある。
これは、お金ではない。
これは、十六人の私達被告を今度こそ本当に人民の懐に奪い返そうという、
全国の人々の暖かい思いの涙の結晶であり、正義と道義を愛する熱い魂
である。これは、私たち十六人の管制塔被告の生存を奪い去ろうとしたあな
た方の仕打ちに対する、人々の憤怒であり、一億三百万の怒りの炎である。
あなた方は、失敗した。
国の非道を正すために戦った私達は、万余の人々によって守られ、壊され
ることのない勇気と信頼、人々との繋がりは以前にも増して深かまった。
それだけではない。
職場を奪い、家庭を破壊し、生存を脅して私達被告を苦難に陥れようと十年
間も密かに準備し、時効直前に強制執行の暴挙に出たあなた方の策略は、
全国の人々の心に、怒りの炎を燃え立たせ、憤激は大河となった。普通に
生活している私達の同僚、友人達を、みんな敵にまわしてしまった。二十数
年連絡もしないでいた人たちが、深いところで繋がっていることをみんなが
知った。離れ離れになっていた被告が一つになった。被告団は十数年ぶり
に団結した。
感動的な再会があった。
胸の熱くなるメッセージが寄せられた。生活を削って多額のカンパが津波の
ように寄せられた。少ない年金の中からの基金も頂いた。それは四ヶ月で
一億円をはるかに突破した。お国に逆らった者に対する見せしめにしようと
する狙いは覆された。
献身的に戦うものは必ず救われる。
一億円の基金を四ヶ月で集めるといういまだかってない事業が、全国の驚く
ほどの人々の熱い協力によって見事に成し遂げられた。三里塚闘争の三十
七年は、この国の民主主義の問題において、農業問題において、地球環境
の問題において、多くの原則的な事柄を、全国の人々にさらにはフランスの
ラルザックなどを通して全世界の人々に提起し続けてきた。今ここに、不合理
と戦うものは必ず救われる、必ず報いられるという原則がそこに付け加えられた。
見事に実現されたこの原則と約束は、今後のあらゆる戦いの場で貴重な財
産となり、大きな力となって、権力の不条理に立ちはだかるであろう。三里塚
で、畑を耕し、家畜を育て、大地に根をはるようにして暮らしている数戸の農
家の屋根を擦るようにしてジャンボ機を飛ばそうとしている非人間的な仕打ち
を許さない巨大な石垣となるであろう。
さあ、国の非道を許さぬ人々の真実と正義を愛する心の結晶を受け取れ。
私たちを深く包み、解放してくれた全国の人々の熱い心を受け取れ。
我々一六人の被告は、全国の人々に涙ながらの感謝の気持ちを表明しなが
ら、限りない怒りをもって一億三百万の熱い魂を、あなた方、法務省と国土交
通省に叩きつける。

二〇〇五年十一月十一日



■2005.11.11  morning   管理人 wrote

夜9時前、残業中に次男坊からの携帯がなる。
「父さんもう仕事終わったの?」
飲み会が早く終わったので乗せて帰れという催促。
かなりヘトヘトになっていたので残業を切り上げ息子を乗せて帰路に。

息子は助手席でダウン、BGMのオールマン・ブラザーズ・バンドのボリュームを少し絞ってやる。
ヘトヘトの親父と、グテングテンの息子二人、これはあまり絵にならない。
学生時代はサークルも入らずコンパも行かず、ギターばかり弾いていたというが、
サラリーマンになって連日の飲みよう、随分の変り様だ。

昨夜から、管制塔カンパ関連のメールや書き込みが頻繁。
最後の最後、大詰めの局面で緊張感が走る。
10月29日の共同の記事で、大御所の朝日やNHKが動き始めたという。
”社会現象”としてニュースバリューが出てきたということか。

それにしても、連帯サイトにもある門真市の戸田さんの事が気になる。
以前から戸田さんのホームページはちょくちょく拝見していたが、今回の管制塔連帯サイトでグッ〜と身近に感じ始めたから不思議なものだ。
しかし、今日の叩き返しの行動と勝利集会は、とりまく「公安」で溢れかえるだろうな。
1968年日大組(世を忍ぶ別名)の皆、ゲバルト集会ではないので無茶はしないでね。

追記
先程、管制塔サイト訪ねたら、早速リアルタイム(少しズレ有り)ページが出来ている。
ドキドキだ。
今日は仕事どころじゃないな。



■2005.11.9  morning   管理人 wrote

11日が間近に迫るほどに、私の腰は浮き上がってくる。
もう殆ど中腰状態に。
諸般の事情(極めて単純な理由だが)で結集を断念しているのだが、
こんな気持ちは久しぶり。

ローカルは不景気風が強まる一方。
不景気風が強まると、桶屋の如く私は忙しくなる。
瞬く間に週末は業務のスケジュールで一杯に。
更に運命は皮肉だ、来週後半に首都圏への出張が入ってきた。
もう一週間早ければ・・・、
こんな悔しい事も久しぶり。

「終われなかった事が反省点としてあります・・・・」
管制塔サイトでつながった方から、かつての運動についてこんな事をお聞きした。
「どう引き続いていくか、という課題もありますが、
カンパの運動も、管制塔サイトも期日を切ってきちんと終わります」、というようなメールを頂いている。

潔いと思うのだが、これはダメ親父の発想ではない。
そうは言っても人生は続く、
女々しい私は寂しいのだ。



■2005.11.6  night   管理人 wrote

本棚でふと目に付いた本、フォークゲリラの本。
ページをめくっていて、アッ・・この写真。

1969.6、新宿西口

多分この子だ。



■2005.11.4  morning   管理人 wrote

少し前に、NHK・BSの番組で阿佐ヶ谷パール街の紹介をしていた。
懐かしかった。
当時も今も活気に溢れている。
当時、七夕祭りのイベントは無かったので、私の都落ち以後だろう。
でも私(達)が徘徊したのは未明の2〜3時、商店街はシャッターを下ろしてからの時間帯。
暗い商店街の中に、ポツンと終夜営業のサテンがあった。
70歳くらいのおば様がカウンターに居た。
確か店の名は「祇園」、フーテン風情の私(達)がいっても嫌な顔はしなかった。
あのおば様の生活時間はどうなっていたのか?

阿佐ヶ谷パール街は途切れず年中の賑わいだ。
比べて私の街は年中寂れている。
時たま思い出したように地域おこしのイベント。
都会は面だが、ローカルは点の賑わい。

昨日は、友がご夫妻で遠路はるばる訪ねてきてくれた。
名所旧跡、ショッピング抜きで延々と昔話に花が咲いた。
友の傍らで、笑みを絶やさずもの静かに私達の話を聞く伴侶。
彼はこの伴侶に30数年守られてきたのがよく分かる。
「奥さんを大切にな」、帰り際にこの言葉で見送った。
良い一日だった。



■2005.11.3  night   管理人 wrote


「管制塔被告連帯基金」は10月29日に目標を達成いたしました!

よっっし!



■2005.11.2  night   管理人 wrote

今日は公私共々色々ありました。
少しめげ込む事も有りましたが何とか気を取り直そうと、コーヒーを(酒ではないです)がぶ飲みしていました。
でも、仕事で嬉しいことも有りました。
仕事の仲間が生き生きと頑張ってくれたからです。

私の部下に障害を持った方が居ます。
職業訓練校で電算技術を習得し、障害者の枠で採用した方です。
つい最近、その方と同じセクションになりました。
松葉杖を離さず何時もおずおずとして、職場の片隅に縮み込むような存在が気になっていました。

ふとした事で、その方にある文章を作成するようにお願いしました。
出来上がった文章は、様式も起承転結も完璧で、職場の誰よりも素晴らしい出来上がりでした。
「この子(かなり年下ですので)は能力がある、皆が引き出せてないだけだ」、そう思いました。
それから意識的にその子に仕事をお願いするようにしていました。

先週より、事務所の誰もが出来ないアクセスというデータベースソフトで台帳を操作するかなり難しい仕事を任せました。
皆は「出来るのかしら?」と怪訝な顔を露にしていました。
私の職場にはエクセルは使えても、アクセスを使えるのはその子以外に居ません。
その仕事の期限が今日でした。
データベースを検索しソートして必要なデータを取り出しレイアウトし、きちんと整理された数千人分の通知帳票を出力したのです。
それも全くのノーミスでやり遂げました。
その子の顔が、嬉しい私の今日の出来事です。



■2005.11.2  morning   管理人 wrote

一昨日、天野屋さんから携帯が鳴る。
「昨日滑り込みでカンパに行ったよ、理工も我孫子もするって言ってたよ」
31日ギリギリでのカンパに成った。
先日会った時もカンパの事はぜんぜん話題に上がっていなかったので意外な気持ち。
天野屋さんのいう理工とは私の事ではない。
天野屋さんが勝手に称する利根川共闘という有志団体、理工学部習志野闘争委員会の後輩。
我孫子さんも同じく利根川共闘の元・明大黒ヘル。
かつて明大赤ヘルと一線(?、を交えた恩讐を乗り越えてのカンパとなる。

今日、お昼に又しても天野屋さんから携帯が。
「理工OBは11日に来るのか?」
利根川共闘は馳せ参ずるがどうするかとの催促。
私は貧乏で行けないのだと嘆く。

当日はゼッケンを付けて私の代理としても行くという、涙が出るではないか。
羨ましいのと妬みも混じり、忠告を一つ。
「”元・日大全共闘”名のゼッケンは止めといたほうが良いよ」
「かつて日大全共闘は政治闘争には組織的に参加しないという伝統だから」
「あくまで個人参加、ゼッケン名は”1968年日大組、これなら先輩諸氏も怒らないよ」

カンパと集会参加の発意は、「よ〜し、個人の任侠道」。
利根川共闘と任侠道、なんかしっくり来るなあ!



■2005.11.1  night   管理人 wrote

そうだ、そうだ、とただただ納得。
先日、掲示板に書き込みを頂いた菊地原博さんが10月2日の時点で、管制塔サイト掲示板に以下の事を書いている。

>労働組合活動をやりながら、地域の大規模開発の反対運動をやっているK君とは「昔のカンパ運動は大抵、うまく行かなかった。今回はどうしてうまくいっているのだろう」ということで、少しやり取りをした。そこでは、「キーワードは『個人』『心−正義や人間の良心』『インターネット』ではないか」と書いた。

 つまり、組織やグループの指令や割り当てでなく、自発的に動き出した個人の声が大きかったこと。国家権力の非道さに対して、許さないという明確でストレートな声を上げたこと。そして、それをインターネットで肉声として、速やかに伝えることができたこと。この3つではないかと考えている。

ウ〜ン、理路整然が苦手な私には、この文章は救いだ。
若造がすぐ人の文を引用すると責められているが、年寄りだから許して欲しいのだ。
私が言いたかったのはこういう事なのだ。
これだと皆もよく分かるだろう。
インターネットを除けば日大闘争と同じなのだ!  

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