■2006.03.29 morning 管理人 wrote
ラッパの大将さんの吼え方は強烈だ。
「やくざか共産党か?・・・・」という相手の認識、
全共闘、とりわけ日大全共闘を知らない御仁の精一杯の認識なのだろう。
喜んでいいのか、いまいちリアクションに困るのだろうが。
もし、その御仁に闘争の記録ムービーの観ていただくことが出来たら、
「やっぱりそうだ!、共産党のやくざだ」と言い切るかもしれない。
そりゃ〜そうだと私も同感。
恥は棚に上げて云うが、何か思想を持って全共闘をやった訳ではない。
私らにとって全共闘はその時の全てだったから。
体と頭を分けて説明する事は全く無意味。
だから何時でも言っているように、
「馬鹿」だ、「単純だ」、「後先考えてない」、などと謗られるのは的を得ている、
悔しいが反応しない。
今朝は車に乗って、数百メートル、
妙に普段と具合が違う。
バックミラーを見てはたと気がついた。
顔面にメガネが無い。
還暦に向かい、ますます老人力が付いてきた。
■2006.03.26 night 管理人 wrote
昨晩は妻のお祝い会。
長男は土曜出勤から5時かっきり。
次男坊はテニスから5時半帰還。
土曜日の夕方、久しぶりに家族4人が揃った。
長男が運転席、次男が助手席。
ご夫妻は後部座席、
自分の運転でないと納得しない親爺根性、
「おい、そんなに飛ばすな」と言いたいのを後ろでじっと我慢。
ここまで来るのに(観念するのに)30年掛かった。
珠に行くイタリアンレストランをチョイス。
仕切りは次男、資金は長男のはずだが、
結局長男の仕切りで終始。
親子三人が、長男に「ご馳走様!」

最後に、「コーヒー飲む人・・・」
長男のオーダーに、妻は「私はもっとワインを・・・」
余程嬉しかったのだろう、
三人がエスプレッソコーヒーを飲んでいるのに妻はワインを飲みつづけていた。
■2006.03.25 morning 管理人 wrote
基本的には、アップしたムービーのコメントは付けない。
半端なコメントは、映像のオリジナルを損なう気遣いがある。
どの映像も、私の生半可な思いではコメントし尽くせない凄みがある。
撮る側と、撮られる側に切り裂かれている今のメディア。
この映像は違う。
今日カメラ撮っていた者が、明日は戦列の最前列、
カメラを持っていた手は敷石の塊を握り締めていた。
とは云いつつ、今日アップのムービーは一つだけコメントを挟む。
芸術学部闘争委員会の仲間の素顔が克明に映る記録だ。
タイマーカウント5秒から34秒の間。
群れて尚且つ「孤狼」の如き眼光を放つ同志。
何度かこのホームページを訪問いただいている方はお分かりに成る筈だ。
■2006.03.24 morning 管理人 wrote
忙しいを言い訳にしているが、一度筆が止まるとなかなか進まぬものだ。
今週は日記の更新が滞りがち。
私事だが(と言っても綴る内容は全て私事だが)、妻が管理職に昇進した。
素直に嬉しい。
彼女が勤め始めたのは私と同時期。
女性の特性か、休まず真面目にこつこつ、
愚痴は私だけに言い、もう30数年にもなる。
身内ひいきになるが、遅いくらいの昇進だ。
彼女は仕事に裏がない。
駆け引きしない。
何時も直球一本だ。
でもきちんとやるべき事はこなしている。
排他的に、利己的に、利権を囲い込む男共とは一線を画している、と私は思っている。
息子二人に指示を飛ばす、
「三人で母さんのお祝会をするから、お前たち金と段取りを」
長男曰く、
「いいよ、段取りはあいつ(次男坊)に、お金は僕が全部出すよ」、
「どうせあいつは金無いだろうから」。
■2006.03.22 night 管理人 wrote
八月の濡れた砂
■2006.03.21 morning 管理人 wrote
志田さんの書き込みで不遜ながら気付いた事。
私らが1969年2月、バリケードから撤退した頃。
周りでは多くの大学で全共闘が萌芽し始めていた。
私らが運動の高揚期を経、明らかな衰退期に入ると入れ違い。
東大と日大は数少ない全共闘で無我夢中で突っ走った。
でも、本当の意味で(あくまで日大全共闘のような)の全共闘と共闘した憶えはない。
他大学の仲間とでスクラム組んだ憶えもあるが、その殆どがヘルメットの横には明らかなセクト名が記されたいた。
私らのようなノンセクト連合が登場したのは、私らがバリケードを去ってからだ。
■2006.03.20 morning 管理人 wrote
週末からダウン。
天野屋さんから幾度か電話が有ったらしいが、出られなくて申し訳ない。
昨日やっとリカバリー。
以前から予定していたご先祖様への墓参りに出かけることが叶った。
途中で姉を出迎え、妻と三人。
父の実家で親戚と合流、墓所は小高い丘の桜の木の下。
はしゃぐ従兄弟の孫が可愛い。
幼い頃、兄を追いかけこの丘を駆け巡った記憶が蘇る。

従兄弟が言うに、今年は何時になく桜が早い。
標準木よりは早めに咲く品種だが、もう五分咲き。
「兄ちゃん、変わらないね!」
50を過ぎた従兄弟から「兄ちゃん」と云われても戸惑うが、
父も兄も、叔父も、年長の従兄弟も皆亡くなり、男は私が親戚で最年長だ。
■2006.03.15 morning 管理人 wrote
このサイトにはかなりの写真を載せている。
どれも貴重な写真ばかりだが、私と確証できるものが一点もない。
理工学部の白地に赤のモヒカンヘルメットはいたるところに出てきる。
これは私かな?、とおぼしきものは幾つも有るのだが。
その中で一番私らしい者が写っているのがこの一点。
間違ってもマイク握ってアジっている格好良い方ではない。
この方は高名な法闘委・委員長Sさん。
私は、その他大勢だ。

集会前列で写っている範囲、青解さんやMLさんのヘルメットが大勢いる中で、全共闘のオフィシャルヘルメットをつけているのは法闘委・委員長の白ヘルと理闘委のモヒカンヘル3名。
場所的には、明大学館広場ではないかと思う。
このうなだれとくたびれ様、ボロボロに負けた後の総括集会ではないかとも思う。
モヒカンで横を向いてる一名。
ヘルメットからはみ出た、不精な後ろ髪。
無粋な作業ジャンパー。
見るからの胴長体型。
これが私と裏付けできそうな少ない映像情報。
この時期は、親不孝な行状が克明に親に知れるところなり、極めて有効な「経済制裁」を受けていた。
お陰で、生活はルンペン学生の極み。
バリケードに置き忘れられていた(と私は理解した)土木学科?の作業ジャンパーを人民調達してきた。
カーキ色の土木学科のオフィシャルジャンパーが戦う衣となった訳だ。
この写真は限りなくそのスタイルに近い。
もし、このような状況だと仮定すると、
この日は私のマドンナと相棒がパクられ、この後川崎のアパートまで証拠隠滅に駆けつけた経過になるのだが。
しかし、以上を持っても私と確定できるものではない。
一番重要な私の記憶が一切ないことが致命的なのだ。
寂しいので、取り合えず、違うという反論が有るまでは私としておきたいのだ。
■2006.03.14 night 管理人 wrote
Billie Holiday
■2006.03.14 morning 管理人 wrote
起きると車のルーフに薄っすら雪が。
咲き誇ったクリスマスローズの上にも白い花が咲いたよう。
昨夜、Myページを開くとカウントは99993、この朝は100080。
時折めげそうにもなるが、仲間の思いが支えになって続けてこれた。
日大の仲間をはじめ皆さん、本当にありがとう。
ページを続けている思いの一つは、私らより若い世代に日大全共闘を、あの時代を、そしてあの事実を知って頂きたい事。
許せないことへの異議申し立てに、このような事実もあった事を知ってほしい。
若者が代議制で去勢された時代に、かつてこのような実力行使があった事を知ってほしい。
為政者の都合で語られる「暴力」と、大衆の「抵抗」を混同しないで欲しい。
まさに、「暴力」とは強権で有る事実を知って欲しい。
昨日は色々と紆余曲折あって37歳の若者にご訪問いただいている。
天野屋さんの何時もの「跳ね上がり」で悶着騒動になりかけたが。
手のつけられない跳ね上がり分子も目立たぬほど日大全共闘は懐が深かったといえば聞こえが良いのだが。
極限が続くと、人が何をしていようが構っちゃいられなかったというのが当時の実情。
強面の天野屋さんが、私が毛嫌いする民青と共闘したように
人それぞれには固有のスタイル(キャラ)があるので、
そういうのも含めて全共闘だった訳で、
少なくとも”こちら側”の方で、気に食わないときは無視が一番、
「曲者」呼ばわりはよろしくないと思うのですが・・・・、
それが一つ気掛かりです。
100000、ジャストミーツは、ログの記録では大阪・北の方か茨城(利根川共闘一派?)ではと推測できます。
■2006.03.13 morning 管理人 wrote
実はここだけの話なのだが・・・・(笑、
JUN同志から、トップページを飾る女学生の素顔の映る写真を頂いている。
知的な美しい方だ(37年前だが・・・)。
「凛とした」とい表現は、有体に云えば引きつっているとも云えるが。
これから臨むであろう過酷な状況から逃げず、自分の意志で突き進んでいく者の表情は美しく「凛」としている。
集会の終わり、これからデモンストレーションに繰り出す直前のショットだろう。
日大全共闘の場合、いわゆるスケジュール消化型のカンパニア集会は少なく、極めて実戦的なそれの連続だった。
その最たるが、1968年9月の一ケ月にも及ぶバリケード奪還闘争であり、連日百人単位で逮捕者が続出した。
誤解を恐れずに云えば、毎日が佐世保の闘争であり、羽田の闘争であった訳だ。
集会の終わりが近づくと、異様な緊張感が高まる。
根性の有る奴は、煮えたぎる闘争心に燃え盛る。、
私と云えば、尿意を催すような恐怖感で体が強張り、「今日は日和って、逃げ出そう」という本能と、ここで逃げ出せば「お前はダメな奴に成り下がる」という心の葛藤、これの繰り返しだった。
でも不思議なものだ、タオルを被り、軍手をはめ、ヘルメットの紐をキュと締めれば、体の恐怖感は飛んだ。
彼女のスナップ。
タオルでなくハンカチーフというのが良い。
胸元のネックレスも、周りとアンバランスなバランスが良い。
胸の中で、自分に言い聞かせている言葉が聞こえてきそうだ。
彼女の素顔、何もなければ目線を入れアップするのだが。
幾つかの事情があり「公開は控えてください」とのコメントが付いていた。
残念だがそれに従う。
■2006.03.12 noon 管理人 wrote
一つの写真で、出来事が偶然2つ重なったようです。
ページのトップを飾る写真は、クリック毎のランダム表示に設定しています。
(このテクは、おっとせいさんのページを真似た)
正確な枚数は34枚。
其のうちの一枚が、珍しい女学生のショット。
むつけき野郎供の中に、可憐に咲いた一輪とでも云ったらいいでしょうか。

事件1)は、
この写真が他のBBSに勝手に使用されたと天野屋さんが怒っている件。
指摘のBBSを読ませていただいたが、何故この写真を掲載したか前後関係も含めよく分かりません。
謗られているようでもないし、何故だか分からないから、この写真にそれだけ魅力があると勝手に納得しましょうよ。
いつの世でも、女性の凛々しい姿は良いものです。
ここは、J同志の「さらっとスルーでいいのじゃないかと思います」で一件落着にしようよ、天野屋さん。
事件2)は、
JUN同志からのメールで、この女性と連絡が取れたという報告。
『女性(以前 彼女は**学科の同級生だとお知らせしましたが)の消息が分かり 電話で話をすることが出来ました。 「叛バリ」で使われていることは知っていたし、写した人(芸術学部)も知っていたとのことですが、サイトで表紙に登場していることは知らずとても驚いていました。 「あの時はけっこう覚悟を決めていたのよねー」と懐かしそうに話していました。』
天野屋さんの悶着と、全く偶然に時期が重なったのだ。
私のホームページが、仲間とつながるきっかけになれるのはこのうえない喜びです。
今後何らかの機会に、この(元)女学生と逢える可能性が出てきたのも嬉しいのです。
JUN同志はこの報告と一緒に、2月19日の中村君の墓参りの写真を送ってくださいました。
「いつか花で囲まれた中村君の墓石を撮りたい」と云っていた願い、やっと叶ったね。
農闘委写真集にアップ。
JUNさんのショット(当然制服警官ではないよ)
■2006.03.11 night 管理人 wrote
一人の台所。
洗濯とか掃除の家事分担は得意なのだが、料理だけは苦手。
滅多な事では台所に立たないのだが、
今日は一人なので仕方なく鍋を探す。
戸棚を空けると瓶が目に付く。
パレスチナ・・・・?、
ウッ、何だと手にとる。
妻が加入している生協から購入した物の様。
ラベルは「パレスチナ手摘みオリーブオイル」と書いてある。
 「この商品はパレスチナとのフェアトレード商品です」と表示
先日呼んで頂いたベトナム帰還兵ネルソンさんの講演会。
講演会を催したのもこの生協。
ここの副理事長はある会議で知り合った同い年の女性だ。
大学時代、神奈川で青いヘルメットに混じっていたそうだ。
当然、意気投合する訳だ。
このオリーブオイル、
彼女、やるじゃないか!。
■2006.03.11 afternoon 管理人 wrote
長男は昨日から出張、相変わらずいつ帰るとも聞いていない。
妻は日帰りのスキーツアー、起きたのは3時半だ。
次男坊は昼前に起き出し、テニスラケットを抱えて出て行った。
久しぶりに一人。
午前中、ガイドページを作成。
思いつくままにサウンドファイルや映像ファイルをページに載せてきた。
基本が無いから、少し憶えたらそのままアップ。
サウンドや映像を再生するソフトがいくつも有ると知ったのつい最近。
訳が分からず、手当たり次第にやってきたというのが実情。
ガイドページを作ることで、自分の頭も含めて整理できればと意図した訳。
トップページのBGMのアメージンググレイスを、クイックタイムプレヤーで再生していると理解したのはつい先月、ページを作って2年も過ぎているのだが。
それまではメディアプレヤーで再生しているものと思い込んでいた。
分からないと云うのは強いのだ。
何故それが分かったかは簡単。
仕事で新調したパソコン、昼休みMyページへアクセスすれど、アメージンググレイスが流れない。
新品だから、クイックタイムがインストールされていないのだ。
クイックタイムプレヤーを入手するとアメイジングが流れ出した、それで分かった次第。
著作権の関わりは特に気を使う。
BGMに使っている曲はいわゆる「著作権消滅曲」、誰が何に使おうが自由。
それ以外は、オリジナルの曲であろうが、勝手に奏でるものであろうが例外なく著作権がある。
ストリーミングサーバーへのリンクはかなり裏技に近いが、厳密な著作権の解釈ではどうなるのだろうか。
私なりの解釈は日記に述べている。
■2006.03.10 night 管理人 wrote
昨日、夜も深けて、といっても若者には宵の口なのだが長男から電話。
「父さん今夜も仕事で遅くなりそう、シャツにアイロン掛けといて」
聞くと、営業で明朝から出張が入っているとの事。
息子達、アイロンがけは私の方が上手と理解しているのだ。
今晩、妻は早朝未明出発の日帰りスキーと張り切っている。
回数券は、残すと「もったいない」と滑り過ぎる。
一日券は、多く滑らないと「損」と滑り過ぎる。
いい歳こいているのだから、
「もったいないとか損とか思わず優雅に滑れ」と云い聞かせる。
お陰で明朝は、4時起きのアッシー君だ。
事故を起こすといけないのでもう止めようと思う最後の走行ムービー。
ジャニス・イアンで帰宅した。
■2006.03.09 night 管理人 wrote
朝、起きたら首に痛みが。
どうも筋を痛めたよう。
座っているのはいいのだが、振り向けない。
経年劣化でよく故障を起こす首。
この間、躊躇していたムービーをアップ。
言葉の意味通りの”白兵戦”を演じた11月の記憶を蘇らす映像。
画面に登場する”あちら側”の方々、今どういう生き様をしているのだろうか。
日当貰って、何も考えずにお越し頂いたのだろうが、
それは大変な目に遭われている。
映像に残る芸闘委バリケードの壁書き(ソファー書きも)
1968.11.12
朝2時
心まで 冷たくなる朝だ
こ わ い
し か し
や る
あ す
の 日 大
を お れ
は つ く
る
勇気だ、力だ・・・、だれにもまけないそのいきだ
人間が最後に海へ流されてしまうまで
見て見ぬふりをする事は
何回位できるのか
我々は一体、何年この世に生きられるのか
友よ!!
その答えは風の中に吹かれている
■2006.03.07 night 管理人 wrote
何の変哲も無い帰り道。
呆け気味の頭に、ジャニスの叫びを染み込ます。
私の疲れた頭には優美な音楽より、強烈なサウンドやシャウトの方が合う。
街並を外れ、道が空いてきた所でふと思いついた。
信号で携帯を取り出し、ムービーをセット。
ハンドルの上に固定しスイッチを押す。
やがて信号が変わり動き出す。
2分程度、ムービーカメラで車を流す。
トンネルを抜けると私の街だ、正真正銘の田舎だろう。
携帯電話には、カメラ、録音機能、電子手帳、それにムービーカメラの機能まで付いている。
説明書を読むと、ミニSDメモリーも付けられるあった。
先日パソコンショップで128MBの手頃な値段のものを購入したばかり。
帰って、パソコンにムービーを取り出すと、おう!これはMPEG-4のムービーファイルではないか!
という訳で何の変哲も無い、くたびれて退屈な帰路のムービー。
バックは私のジャニスだ。
ストリーミング設定でないので、ダウンロードし再生までに少し時間がかかるかも。
■2006.03.05 night 管理人 wrote
アクセス解析を眺めていて面白いのは、何処から私のホームページへ訪問頂いたかが分かること。
aaghさんや、大木晴子さんのページから結構な数がお越しに成っていることは以前も書きましたが。
解析は、1968全共闘へのリンクを貼っているホームページやブログから訪問いただくと、その訪問元ページが分かる仕組みに成っています。
ブログのトラックバック機能に近いと思えば分かり易いかも。
ヤフーやグーグルなど、サーチエンジンからのお越しは、打ち込まれたキーワードを1日の日記に紹介しています。
そんな訳でいくつかの訪問元ページへお邪魔していました。
その一つ、「日大医学部・高等看護学院運動史」のページへのリンクを貼っていたブログ。
私としては複雑な気持ち・・・・。
徹頭徹尾、日本共産党を揶揄し攻撃するブログです。
私のページを材料に、揶揄し、中傷をしています。
余り宜しくないのでURL等の紹介は控えますが。
私は一度も日本共産党の組織に関わっていませんし、それ故に除名や追放などという名誉な処置にも浴していません。
私はホームページで、日本共産党を”嫌い”と明言していますが、感情のレベルです。
その感情だけは未だに一貫していますが。
訪問元の方のようにホームページやブログを立ち上げ、プロパガンダするほどの筋者でもありません。
日大全共闘の多くは、日本共産党・民青同盟には余り関心を示さないはずです。
私の様に「嫌い」という分子は多く居ますが、それ以上ではありません。
日大闘争では民青同盟は大した役割を演じなかったというのがその大きな要因でしょう。
私達の側からはそう云えるのですが、はたと気が付いたことがあります。
日本共産党の中枢の方々には、日大はたかだか「ポン大」で相手にする値打ちがないと思ったのでしょう。
日大が、東大と並ぶ全国学園闘争の総本山となるとは夢想だにしていなかったのでしょう。
日本共産党にかつても今も巣くう、露骨な「学歴序列」なのでしょう。
今日は蜜蜂と日向ぼっこ(携帯でムービー)。
■2006.03.04 afternoon 管理人 wrote
本当は一番最初にアップしなければいけないムービーを今朝方アップ。
私にとっては日大闘争の序章、1968年4月頃からの映像の記録。
”私にとって”と断ったのは、日大にはこれ以前から長い弾圧の歴史が存在し、多くの先輩、学友が人知れず学園を去っているからです。
私が日大の学園問題を知ることと成ったのはこの時期からです。
田舎者の私は、日大がどういう類の大学か入学前に知る由はありませんでした。
入学式直後から、世田谷のキャンパスを詰襟の応援団服、いわゆる長ランをまとった学生が闊歩し違和感はありましたが。
元々、性格温和なノンポリ田舎者、キャンパスはそんなものかという範囲。
それが入学した1967年の秋頃からですが、キャンパス内で日増しにこの長ランの集団が目に付くようになり、はては中学・高校ではあるまいに彼等が校門で目を光らすように成っていったのです。
時は羽田での三派全学連の騒動、それでも私は特段それらに関心は湧かなかった。
アップしているムービーはどれも貴重な映像記録です。
今朝方アップしたムービーは、日大闘争が私に、そして世に知れることと成った一番最初の頃のものです。
これらの映像を記録し、長い間保管し、そして編集・作成した仲間に最大限の敬意を表します。
貴重な記録を残して頂いて本当にありがとうございます。
上から机、椅子、消火器、手当たり次第に投げつけられ、血を噴出す学友。
木刀で殴られ、日本刀で切り付けられ、救急車で運ばれる学友。
駆けつけた制服警官は、血を流している学友を検挙し、木刀の学生を裏口から逃がした。
私が本当の世の中を見た、これが最初です。
ムービーカウント35秒目のところで、
今は亡き田村書記長が学生服姿で登場します。
35秒目〜50秒目位までバックで流れているアジ演説は、秋田議長の声のようです。
田村先輩はその後北海道に渡り、北海道知事選を勝手連代表で担いだエピソードもあります。
■2006.03.02 night 管理人 wrote
-- Mr.Nelson,Did you kill the people --
ベトナム帰還兵ネルソンさんの講演を聞く機会がありました。
昨年後半から仕事が押し詰まり、このような講演会に足を運ぶのが遠ざかっていましたが、
「Please help me ! 、人が集まらないの・・・・ 」
知人の女性の悲痛な勧誘があり出かけた訳です。
私(達)の世代には”ベトナム”という四文字は特別な意味があります。
今のイラクもそうですが、当時の私(達)には、ベトナム侵略戦争は、向き合う自分を問う重要な問題でした。
そんな訳で、講演の最初から私には”リキ”が入っていました。
冒頭からネルソンさんは、アメリカの有り様を激しく糾弾します。
「アメリカこそがテロを生み、他国にテロを仕掛けるテロ国家だ」
危うく演壇ににじり寄り「意義なし!」と叫びそうに成るのを何度も堪えました。
周りは若い女性、母親、子供が大半でしたので。
呼び掛けてくださったのは生活協同組合の副理事長をされている知人の女性です。
「俺の挙動・言動は場違いだ」、会場では自分に言い聞かせ続けました。
聴衆の大半がむつけき男供だったら、最前列で「意義なし」のエールを送りつづけていたでしょう。
講演の最後に、ネルソンさんと聴衆と話し合う時間がもたれました。
女性の、母親ならではの感想や質問が続きました。
私も一つ聞きたい質問が浮かびましたが、やはり周りからは”浮いて”しまいそうで、
聞かせていただく側に徹した次第です。
ネルソンさんは1947年、ブルックリンのスラム生まれ。
貧困から抜け出す限られた、いや唯一の選択肢で海兵隊に18歳で入隊。
沖縄キャンプでの実戦訓練の後ベトナムに。
米国の、日本の、恵まれた側の若者の「反戦運動」が彼の目にどう映ったのか。
いつか機会があれば、聞いてみたいです。
■2006.03.01 morning 管理人 wrote
2006年2月、検索エンジン(ヤフー、グーグル、MSN他)に入力されこのホームページにヒットしてきた「キーワード」。
まんまのものや、的外れも含めて、全部で298。
私のコメントは省略し紹介します。
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民青同 、シアンクレール、叛旗派 、同志よ固く結べ 、デモ 集会 写真 全共闘 、
三里塚闘争 写真集 、阿佐ヶ谷 、ジャニス ジョップリン 、農闘委 、ポベトモダンの左旋回 、
第七旅団の歌 、鑑別所 取調べ 、同志社大学学友会 、ロック アルテック 、
阿佐ヶ谷 吐夢、ポエム 、70年 バリケード、喫茶、日大付属試験 、
自己否定 全共闘 、80040241 、日大解放区 、芸闘委、京都 シアンクレール 、
郡山 暴力団 、倉田令二蕨、秋田明大 倉橋島 、ジュラルミン 足場 、
あかつき印刷 共産党、機動隊 ヘルメット、1968年全共闘 、鶴が丘高校、医学連、
嵐 曲 、ロック喫茶 、日大全共闘 930 、歌詞集 、出身者、東大安田講堂 写真 、
右翼学生運動 、シアンクレール 、yhot 、ジャニスジョップリン サマータイム 歌詞 、
出発の日は雨が良い、安田講堂 機動隊、長谷川至洋 、荻窪 シルクロード、
サモア 自衛隊 pko、ディンギー、機動隊 街宣車 、拓大応援団事件、
北大全共闘 、jblパラゴン、全共斗 、全学共闘会議 藤本敏夫 、同志は倒れぬ 、
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