管理人日記2006年9月  
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■2006.09.30 night 管理人 wrote

昼からマリーナに、先日の船底のメンテ代金を支払いに行っていた。
二艇が上架作業中、一艇は32フィートと私の艇より一回り大きい。
下から見上げると2フィートの差は大きい。
ペラはホールディングタイプ、ボトムを大きくとってキャビン優先の形状、この排水量だと機関は3GMだろう、
キールバラストは分厚く短くウイング状、これだと喫水が浅く有利。
アメリカズ・カップだとこれらの情報は機密、陸上では幕を張って絶対見せないらしい。

「やあ〜しばらく、何年ぶり?」
オーナーは顔見知り、以前国体でご一緒したお仲間だ。
「最近(海で)全然見かけないね、もう船手放したら・・・・・」
「欲しい奴いくらでも居るよ、何時でも声かけてね!」

散々な云われ様だった。


■2006.09.30 morningU 管理人 wrote



38年目のキュー・サン・マル

 


■2006.09.30 morning 管理人 wrote

ウヌッ・・・、敵は出来る!。
単ゲバには”スルー”が一番と心得ているようだ。
質では端から敵わないので量で行こう。


エメラルドセージ、レモングラス、 (化石の2メガ・ピクセルカメラで)



■2006.09.29 morning 管理人 wrote

ムッッッ、レトロで来たか・・・・・。
新も旧も・・・、(ちょー)悔し〜い。
もはやゲバルトしかないか!?

 無断のコピペになりました、aaghさんお許しを!


明日は38年目の9.30。


■2006.09.28 night 管理人 wrote

手前に写っているのはSONYのHDDハンディカムSR100、パワーポイントのプレゼン動画に使う業務用。
ゆくゆくは、職場のホームページに広報用の動画を組み込む目論見で強引に購入。
偶々、仕事で持ち歩いていた、私物でないものを自慢しても仕方ない(泣
奥に写るのが化石のような2メガ・ピクセルのデジカメ、
夜空のお月様が写らない優れ物(泣×2
その奥が、私の愛器のD70sで紙製だ、更に(泣×3


これは挑戦だな、aaghさん。
昨年12月の日付のカタログだから、欲しい欲しい病の発作がもう10ケ月位続いている訳だ。
このD70s病に続いて、夏からはFlash8病も発症している訳で、薬が無くて困っている。
発作が続いているうちに敵はD80に進化している、これも紙製を持ってるが、惨めだから写さない。
もう少し進化を待つか・・・(泣×4


■2006.09.28 morning 管理人 wrote

夕方の飛行機便に間に合うよう、打ち合わせ相手は5時前にそそくさと帰った。
お陰で定刻前に仕事が終われるかな、と思ったところへ知人の訪問。
マニアックな動画で仲良くなった YouTube のお仲間だ。
折角だから職場は退出し、近くの喫茶店に中年親爺同士でデートすることに。

この歳で、マニアックな話題で盛り上がれる同世代はまず居ない、貴重な知人。
時間を忘れてオタク談義に花が咲く。
「投稿作品に星が付いてね!」と嬉しそう。
全てイングリッシュのページなので、どういう基準なのかお互い分からないのだが、投稿作品のランクのようだ。
最高は5ツ星。

彼と気が合う理由が、オタク魂と別にもう一つ有る。
私の地元で、都市汚染で一度は絶滅したと思われていた”希少種”の生態系が、環境の変化(改善)で何時からか戻ってきている。
彼の住まいと職場はその自然の直ぐ傍、彼はその貴重な環境を守る事を続けている。
彼のこのライフワークの前に、公共工事が立ち塞がっているのだ。
そのスタイルは、目立たず、淡々と、息永く、間違っても声高に”反対”とは叫ばない。

そのスタイルが地元や環境団体の接着剤になり、いまや議会や県知事まで影響を及ぼすようになっている。
私は単ゲバの専門店なもので、その”抑制”が真似できない。
オタク趣味の付き合いだけで、その”運動”はあくまで傍観者のスタンスで日和見。
破壊的な履歴も承知の上で、追及もせず付き合ってくれている彼は、私より数枚上手だ。

 


■2006.09.27 night 管理人 wrote

「貴方、夕食にしましょうよ」
少し遅い帰宅、茶の間に入るや妻の声が。
支度を済まして待ってくれていたようだ。
二人してテーブルにつくと玄関の開く音、長男様の帰宅だ。
「丁度いま始めたところ、久しぶりに一緒の夕飯だな」、私の顔がほころぶ。

三人で食事を始めると、また玄関で物音が、次男様のご帰宅だ。
嬉しいことに最近希な家族揃っての夕食になった・・・・のだがふと気が付いた事がある。
次男坊の頭が異様に短い、それも明治のザンギリ頭。
「お前、その頭どうしたの?」
「まあ、ちょっとね・・・・・」

「父さん、昨晩自分ではここまでしか出来なかった、済まないけど後でバリカン当ててよ・・・・・」
どうやら二度目の敢行らしい。
「もう二度目だから、父さんは驚かないよ!」
長男は冷たく無視、兄弟は冷たいのだ。
妻は呆れ顔で「又なの!」

仕事の”ケジメ”らしいのだが、
「お前な、あんまり何度もやると、当て付けになるぞ!」、と私の忠告。
「その無茶苦茶な頭、それ結構かわいいからそのままがいいと思うよ」と、父と母の評価。
という事で、今回はバリカンの介添えをご辞退した。
こんな息子が大好きだ。

 


■2006.09.27 morning 管理人 wrote

フロントガラスの向こう、薄い茜色の夕焼けに白い三日月が映える、
たったそれだけの風情なのに目頭が熱くなりそうなのは、黄昏た性根のせいなのだろうか。
家に帰り着き、コーヒーを携え庭に。

鉢物に水遣りをすましベンチに腰掛ける。
昨日は見逃したお月様があまりに綺麗なのでしばし眺める。
三日月が西の夜空に没するころ「ご飯ですよ!」、
一時間はゆうに過ぎていたらしい、独りのいい月見だった。


■2006.09.26 morning 管理人 wrote

月曜日の特徴は大学や役所が多いこと。
職場の特性なのだろうか、週の初めは時間に余裕が有るのだろうか?
大学や役所のサーバーからのアクセスが目立つ。
大学は国公立、私学を問わず、役所は市町村、県、省庁、はては参議、衆議まで有る。
いいのかな、私のようなページを閲覧してても?

名だたる大企業のサーバーからのアクセスも見られるが、これは基本的に間違い訪問。
その根拠は、閲覧ページが1〜2ページで滞在時間も秒単位の極短時間。
田舎者なもので、珠に大出版社のサーバーを見つけると「やった〜!」と舞い上がるのだが、これも極まれ。
それに比べ大学や役所の閲覧は結構な数とボリューム、丹念にページを巡回している。
かようなページに興味があるのか、それとも日中のそれ(閲覧)を許容するゆる〜い職場環境なのか。
私は後者だと思っている。

しかし、
「ワレワレは〜・・・・・」
「ド〜ン、ガシャ〜ン・・・バリバリ・・」ちゅう音声が、
PCから勤務時間中に職場に鳴り響いたらどうするんだろう。
私のほうが心配するのだが。


■2006.09.25 night 管理人 wrote

夕焼け空に線のような三日月。
余りに美しいので携帯カメラでパチリ。
家に帰ってデジカメでもパチリ。
しかしダメだこりゃ〜、何にも写っていない。
悔しいからネットから今日のお月様をぱくってきた。
ちなみにこの写真、ニコンのD70とかいう奴らしい、
益々悔しくなった。


食事の後、も一度ゆっくりお月様を眺めようと庭に。
ベンチに寝転がり夜空を眺めるが、もう何処にもいなかった。

 


■2006.09.25 morning 管理人 wrote

'71年の夏、京都への放浪で私の全共闘は終わっている。
実家に還って2年程だったか、何とかバイトを見つけて働いた。
家とバイト先の往復、それ以外は殆ど家から出ることは無く引きこもった。
希望が見えないとか、世の中に失望するとかそんなんではなくて、ただただ周りが霞んで放心状態、腑抜けと云ったほうが的確だろう。

30数年振りの”つま恋コンサート”に団塊世代が集まったとのニュース。
そのレトロ世代は私らの世代ではない。
断じて云う、つま恋の皆さんは私らとは関係ない。
私らのフォークは新宿西口で、日比谷野音で潰えた。

奴らの歌は私らのはるか後ろを遅れて付いてきた。
私の潰れた心は、共感したりする余裕は持ち合わせていなかった。


■2006.09.24 night 管理人 wrote

日の出の頃と夕闇迫る頃、こいつの定位置。
玄関脇、木立の掛かる雨どいの隙間に何時も鎮座している彼。
蜜柑の樹の下、木陰をすいすいと飛ぶ羽黒トンボも友達だ。
休みの日に外出しなくなって数年になる。


2003年の早春から半年程、ひどい50肩に見まわれた。
息をしても肩に響くほどの痛み、激痛が走ると身動き出来なくうずくまった。
夜は硬直して同じ姿勢、一時間おきに目が醒める。
休みの日に、庭のベンチに腰掛けじっとしているのが一番楽だった。

夏のお盆の時期、気が付くと肩の痛みを感じなくなっていた。
その時から始まった習慣と症状がある、
このホームぺージと土日・休日の引き篭もり。
ホームページは淡々と続けているが、この引き篭もりはますます症状が進んでいるようだ。

涼しい風がそよぐ庭のベンチでボ〜ッと座る、
私の体内時計ではほんのひと時なのだが、
家の柱時計は何倍もの速度で時間を刻んでいるらしい。

こんなFlashも有るんですね。



■2006.09.23 morning 管理人 wrote

朝陽に庭の蜜柑が映えている。
そよぐ風はもうすっかり秋の肌触り。
お陰で寝冷えなのか、喉と鼻腔が腫れティッシュ・ボックスが離せない。
毎日毎日、朝から晩まで終日の会議が続き疲れもピーク、やっと週末まで辿り着きました。


先日、インターネット仲間の知人に「You Tube」を紹介しました。
彼は早速会員登録し、街の風情や史跡などをビデオカメラで撮影し多くの作品を投稿。
もう11作品も上げ、ご自分のブログにもリンクし貼り付けています。
「自分がストリーミングサーバーをレンタルしてるが如く使えるよ!」とヒントを話したら、もう実践。
パチパチパチ!、表彰状ものです。

彼は私より数才歳下、狭義の定義では団塊後世代なのですが、
50歳代後半に変わりは無く何故か気が合います。
「You Tube」を教えて差し上げたら間髪を入れずに我が物に。
歳に似合わぬデジタルな反応に、ますます仲良しに。

是非紹介したいのですが、彼の作品は地域に密着した投稿映像。
私の匿名の個人情報が殆ど露呈してしまうので残念ですが差し控えます。
私のプロフィールをお知りの方は「You Tube」を訪問し、都道府県名を検索用語に入力してみてください。
結構な数が出てきますが、彼のような50歳台後半のプロフィールの投稿者はそんなにいませんので。


■2006.09.18 night 管理人 wrote

懐かしい方も歌っています。


森山良子            ちあきなおみ         加藤登紀子


■2006.09.18 afternoon 管理人 wrote

伊丹の・・・じゃないか、今は大阪空港と云わねば、に着いた時はもうヘトヘト。
夕方の手荷物検査のゲートはまるで新宿駅のラッシュアワーのよう。
相棒と顔を見合わせ「少しゲートインをずらすか」
コーヒーの香りに誘導されて、しばし時間潰しを。
しかしだ、
シャーベット状のコーヒーにキャラメルとホイップクリームのった今風な奴。
生まれて初めて味わうメニューで喉が潤い一息ついたときハタと気付いた。
マズイ、しまった・・・・・、我がローカルではめったに見掛けぬ店なもので、
私が入店したのは”スターバックス”だった。
出張も終盤、ついつい気が緩んでいた。
(しかし・・・・・、田舎者には美味しかったな)


Sylvie Vartan - La Plus Belle Pour Aller Danser


■2006.09.17 morning 管理人 wrote

ある会で使うBGMのCD作りを頼まれた。
出張からボロボロになって帰ってきたのですが、そういう使命には突然元気が出るのだ。
'60年代の洋楽ポップス中心で60分ものを2枚、1枚は少し賑やかなもの、もう1枚はしっとりしたものの構成で。
共に2枚のCDの最後にはアメージング・グレイスを選曲。
ジュディ・コリンズと白鳥英美子(トワエモア)さんの伴奏なしのアカペラ、何時もの私のこだわりです(笑。

「貴方、これ何の曲?」
「ヘェ・・・、映画の好きな貴女がこれ知らないの」
2枚目の初っ端はスクリーンテーマ曲の「太陽がいっぱい」。
「これって貴方の世代じゃないでしょう、アラン・ドロンは確か60年安保世代の曲よ!」
「いいの、大枠で'60年代なら」


アメリカン・ポップスが主なものでCDラベルデザインはこれに

一度は試聴しておかねばと居間に降りて愛器の”ステレオ”を鳴らしていると、妻がソファーの横に座った。
テレビを付けずに一緒に聴いている。
彼女は私と数才違いで音楽の履歴もほぼ同じなのだろう、珍しく60分最後まで聴いていた。
「ブルー・ベェルヴェット」、「オンリー・ユー」、「マイ・ガール」、「アンチェイン・メロディー」・・・・・、洋楽ファンでなくても耳に親しいんだメロディーが続く。
最後のアメージング・グレースでは少し目が潤んでいたように見えた。

「やったぜベイヴィー、成功だ!」


■2006.09.16 night 管理人 wrote

窓から拡がる景色は携帯電話のカメラでは勿体無いくらいの眺め。
所用の仕事で近江の国まで出張っていました。
遠くのほうでセールクルザーのレースが、二日目はすぐ近くでディンギーの練習が見えました。
フラットな水面でヨットを走らせた事が無いので、どんなフィールだろうと想像。


かの有名な煙を頻繁に吐くという”ボンバル機”も初めて体験しました。
最近はジェット機ばかりでプロペラ機は久しぶり、昔は名機YS11に随分お世話になったのですが。
「携帯電話の電源はお切りください」との要請に真面目に応えているので、ボンバル機の勇姿を撮り損ねました。
相変わらずボロボロになって帰宅。
メールが数百通溜まっていました。


■2006.09.12 night 管理人 wrote

相変わらず仕事はバタバタ、ほころびが出始めた職場というものはこんなものか。
出てくる問題を潰したかと思うと、こんどは別のところから・・・、息つく暇が無い。
もっと前抜きの仕事をしたいのに、
定年を残して辞めて行く人の気持ちが痛いほど分かる。

そぞろに雨が降る。
昼休み、応接ソファーでうとうとしていたら寒くて鳥肌が立っていた。


The Seekers - The Carnival Is Over


■2006.09.10 night 管理人 wrote

起きると足腰が痛い、それでも朝からの作業に起動。
昨日交換したマストトップの航海灯が点灯しない、船内の配線を点検。
上架し地に着いているので細かな作業も楽だ。
海の上で細かな作業をやると、慣れない者は直ぐにひどい船酔いに見舞われる。

マストが船体に入ったところのコネクターを分解すると、中は塩まみれ。
ここには潮水が入るはずが無いのだが、塩分で配線が完全に食われている。
一年余り、乗らずに海に浮かんでいたのだから塩分が付着したのだろう。
結局パーツがなくて完全修復は後日に。
昼からは仲間が交代してくれ、泊地までの回航を任せて引き上げてくる。
少し疲れた。


 陸上でしか撮れないアングル、気に入っている




■2006.09.09 night 管理人 wrote

マリーナから帰りへたっていると、何時の間にか柔らかい雨が降っている。
庭に出ると、これから色づく始めるであろう緑がしっとりと艶やか。
携帯電話のカメラでなく、3メガピクセルのデジタルムービーで静止画を撮って見る。
こいつでこれだけ撮れるのだから、俺に10メガオーバーの一眼が有れば ぁ ぁ ぁ・・・・。



■2006.09.09 afternoon 管理人 wrote

デッキに降りて来ると脚がワナワナと振るえて止まらない、ビビッているのではない。
マストトップにいたのは40分近く、航海灯の交換に手を焼いた。
用心のためメイン・ハリヤードとジブ・ハリヤードの二本立てでマリーナの職人さんにマストトップまで吊るし上げてもらった。
時折の風で体がマストから離れようとする、マストに絡ませた足に力が入る。


前回マストに登頂したのは2年前、つくづくと体力の衰えを実感。
筋肉痙攣で震えが止まらない、喉はカラカラ。
船底は思ったほどの惨状ではなかったが、ドライブシャフトの防食亜鉛は溶けて影も形もなし。
「お客さん、この船よっぽど走ってないのだね!」
帆走すれば自然に剥がれ落ちる船底塗料が、この船の走行履歴を如実に語っているのだろう。

仲間の皆は忙しいらしくて、独りぽっちの作業が少し寂しいのだが、
最年長のハーバー・マスターの任と責だけは果たさなくてはと、早朝から昼過ぎまで。
塗料塗りとペラのメンテのメイン作業は職人さんに任せて、体と足を引きずりながら帰ってきた。


■2006.09.08 night 管理人 wrote


bob marley

気の滅入る一週間だった。
景気の回復の兆しがいっこうに見えないローカル、都市部との格差をひしひしと感じる。
私の職場は私企業ではないが、身を切らざるを得ない経営は私企業のそれと変わらない。
良い人でいられない自分、ストレスで押し潰されそうな立場が辛い。

忙しいの言い訳もあるのだが、ハーバー・マスターの不精でクルーザーは沈船寸前。
ヨット仲間が見かねて有り難い事にメンテの段取りを組んでくれた。
明朝はマリーナに回航して陸揚・上架し船底と機関の手入れ決行、前回のメンテから1年半経っている(泣。
船舶検査の時にイエローカードを出されているバウとスターン、それにマストトップの航海灯のアッセンブリー交換も課題。

'69年1月20日だったか、安田講堂陥落の翌朝に誰よりも早く講堂を駆け上がった。
講堂のてっぺんから身を乗り出し学科の黒色旗をひたすら振った(写真左側)、何にもならなかったけど・・・・・(悔。
あそこにはもう一日早く辿り着きたかったのだ。
親からの仕送りがストップし”経済封鎖”された折は丸の内でビルの窓拭きアルバイト、高所では引けを取らない。
一兵卒の小者なのだが、高いところが好きなのだ。

そんな訳で、マストトップの交換はいつも軽量な私の役目。
赤ん坊の背負子のようなものを身に付け、メインセールのワイヤーシートでマストトップまで吊り上げてもらう。
これを海の上でやると更に楽しい、波に揺られてマストは揺り篭のように揺れる。
メンテが済んだら、其の内に気晴らしのサンセット・クルージングに出るぞ。


■2006.09.07 morning 管理人 wrote

9月に入り、今週は忙しいスタート。
息つく暇がないといえば言い過ぎだが、結構それに近い状態。
夜半に帰り定刻出勤、若ければ苦にならないのだろうが60近い身には堪える。
「定年間際は窓際の閑職に回されるんですわ、ハッハッハッ・・・・・」
こう曰く、かつて公社だった日本最大の会社に勤める市民サロンの仲間、
こちらは零細団体のひがみもあり、その弁が子憎たらしい。

'68年のこの時期は激動の真っ只中だった。
9月4日に法経学部に機動隊が入りバリケード破壊、それに続く奪還闘争が始まった調度その時期。
私が格子付の”宿舎”に初めてお世話になったのもこの一週間の内だった。
あれから調度38年経過した。
柔らかい雨が降っている、少し早いがこういうのを秋雨というのか。


■2006.09.03 night 管理人 wrote

夜九時以降も秋です。
米国から英国へと進んだので、次はやっぱ共和国(北ではない)でしょう。


Edith Piaf - La Vie En Rose - 1954


■2006.09.03 morning 管理人 wrote

蛙くんは何時もの定位置で唯我独尊、空気が冷やりと気持ちいい朝。
起きざまにシーツを引っ剥がし洗濯機に、
陽の出に白いシーツが映える。
午前7時まではもう秋だ。


こんな青春も夢見たのだが・・・・・、
実際は文化祭のクラスの出し物、ステージでバックバンドもどきのようなものを勤めた。
借りた無名のブランド(グレコ?)でベンチャーズのリズムを刻んだ、
勿論、聴くに堪えないシロモノだったが。
ヤマハのエレクトリックは高くて小遣いでは手が出なかった(泣。

自前のヤマハのエレクトリックを買ったのは44歳になってから、
次男坊に召し上げられるのに時間は掛からなかったのだが。
もう指が固まって昔のようにコードを押さえられなくなっていた(泣。
私の青春では、ついぞ女の子とツイストを踊る機会には恵まれなかったのだ。


■2006.09.02 night 管理人 wrote


"Because" The Dave Clark Five, 1965

今思えばこのレコード、
聴くのでなく、リボンを付けてあの子に届ければ良かった。
41年後の後悔・・・・・(泣。


■2006.09.02 morning 管理人 wrote


The Teddy Bears - To Know Him Is To Love Him

三つ子の魂 百まで、と言われますが、
同じ意味で「イチゴ(15)の魂 百まで」。
8月26日に下馬家さんが掲示板に書いてくださった説通りだと感じます。
この曲の思い出は、切ない思いで涙を流した多感な”苺”の時代。

それは女の子を意識し始める”思春期”。
”12”の時に意識するから好きに変わりまして、”15”までに三人ぐらい変わったかな(笑。
三人目は同じクラス、二学期に席が同じくなりました。
毎晩、弁当箱位のトランジスタラジオで聴いてたのがアメリカンポップス、ビートルズの登場以前です。
今でも夢に出てきます。


■2006.09.01 morning 管理人 wrote


コニーの泣き節を聴きながら出勤。
最近、職場によく訪問客がある。
職種が変わり、街の中心部の職場になったせいもあるのだろう、
仕事ではない付き合いの色んな方々だ。

永く自然保護活動をされている方、
地域の振興に粘り強く取り組んでいる方、
何れの方々も、その地道な活動に頭が下がる思い。
仕事の合間、その方々としばし談笑するのが最近の私の楽しみ。

 

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