■2006.10.31 morning 管理人 wrote
10月9日に、YouTubeをgoogleが約16億5,000万ドルで買収と発表されたらしい。
何億人分の一の利用者としてはさしたる影響もないと思っていたが、そうはどっこい。
お気に入り登録の作品が次々と消えていく。
まあ、該当の物件は完全に著作権に抵触しているのだから仕方ないのだが。
特に最近のテレビ番組から起こしたものは管理者側で削除されている。
私のお気に入りのNHKのみんなの歌は完璧に消滅している。
これからマイクロソフトを追い抜き、世界を圧巻しそうなグーグルの勢いはさすがだ。
変なところで感心しているのだが。
そうはいってもレアな音楽物は是非手元に置いておきたいのが人情、方策をgoogleで詮索。
有る有る、YouTubeのダウンロードの方法と専用の再生プレヤー。
早速、Myページに貼ってあるお気に入りをゲットにかかる。
これをファイルとしてmyページにアップすると、完璧に著作権違反の当事者となるのでPC内の私のコレクションの範囲。
投稿作品はYouTubeでフラッシュに変換されており、ダウンロードしたファイルは.flvという形式。
拡張子(ファイル形式の符号)が付かずに落ちてくるので、ファイルは不明な形式で表示される。
これをファイルの名称の変更で「.flv」と書き足す。
ファイルはフラッシュの一形式だが、通常のフラッシュプレヤーでは再生できず。
riva flv playerという専用のflvプレヤーの入手が必要。
YouTubeのダウンロードサイト
riva
flv playerの入手サイト紹介サイト
■2006.10.29 night 管理人 wrote
Jackie DeShannon - Till You
Say You´ll Be Mine
このサウンド、堪らなく好きなんだなぁ!
もう10回リピートしたかな、
ついつい踊っています。
これでも、ツイスト上手なんですよ(笑。
■2006.10.29 morning 管理人 wrote
先日貼り付けた「Free Hugs Campaign」。
今日の時点でView回数: 4,452,778
Comments: 11714
Favorited(お気に入り登録): 31860 times
だそうだ・・・・・・・。
この”作品”は投稿して1ケ月、一日当たり15万回のViewになる。
Most Viewedの作品は6ケ月で3500万回、一日20万回のView。
日米のインターネット回線の通信量の1/6をこのサイトへのアクセスで占めていると云う。
米国の若者二人で始めたこの投稿サイト、グーグルが2000億で買収したとらしい、
いやはや、素直に驚き。
Free Hugs、私らがやると唯の変態オヤジの評価しかないだろうけど。
この歳になるとそっちの気は枯れ気味なので、
若者と違う味わいが出るのでは密かに思っているのだが
(何!、止めといた方がいい・・・やっぱりな)
何よりも嬉しいのは、
銭金感情や興味本位で煽るマスコミでなく、
こういうツールで何百万、何千万の人達の心に響くことが現実となったことだ。
使いたいなあ・・・、このツール。
■2006.10.28 night 管理人 wrote
妻と姉夫婦、四人で法事へ。
田舎の我が家からでも二時間掛かる山間僻地。
途中、サンセット・ヒルズと名前だけはお洒落な喫茶店で一息。
そこから先は、ひたすら山間へ分け入る。
透き通った水、目に沁みるようなコスモス、廃線となった森林鉄道。
  
■2006.10.28 morning 管理人 wrote
妻が嬉しそうに長男坊にビールを注ぐ、
それを目を細めて眺めるのも良いものだ。
「今日は誰が運転?」
「ハイハイ分かりました、いいですよ」

先週、妻が長男坊の誕生日に食事に行こうと言い出した。
息子二人のスケジュール調整は至難の業。
次男は時期的に残業の山、毎晩深夜のご帰宅。
長男は公私を含めて付合い酒の連荘、これもまともなご帰宅は稀。
結局、調整不備で次男を欠いての三人の決行となった
妻のお気に入りのイタリアンレストラン、
店構えは決してオシャレな店とはいい難いが、店主の素朴な趣が気に入っているそうだ。
ビールは瞬く間に飲み干した二人、続きに妻は赤、長男は白、私は相変わらず無色透明。
妻は”欠席裁判”で長男から「次男坊の情報収集」に勤めているが、敵も然る者”口”は堅い。
「今日は少し(オーダーが)多すぎましたね!」、食べ切れなかったビザをお持ち帰り。
アットホームな店、店主の心遣いが温かい。
次は次男坊の日(誕生日)に長男の情報収集を図らねば、
兄弟二人の”守秘義務”の結束を崩すのは至難の業だが、妻のスーパおばさんの突っ込みもいい勝負。
私は目を細めて横で聴いているだけだが。
■2006.10.26 night 管理人 wrote
Jackie DeShannon - When You
Walk In the Room (Shivaree)
いいもん、私にゃ愛しの60sがあるから今宵も聴くのだ(泣。
■2006.10.26 morning 管理人 wrote
共和国の核や共謀罪など物騒な世相に、懐古な思い出だけ書いているのも少しは憚っているのですが。
何せ議論が不得意で嫌いな訳で、そっち方面は苦手です。
思い出してみれば、バリケードの中でも人様の議論は聞く事はあっても、自分から議論したことはまずありません。
これは今も変わりません。
議論の上手な奴にかかれば、直ぐに言い負かされてしまうのですが、
こういう奴に限って、
「うわ〜右翼だ」って時とか、
「今日は絶対に突っ込むぞ!」って時には、
例外なく、いつの間にか居なくなっているんですから、
今の時代にそういうフィルターは無理でしょうけど、
極私的には、幸運にもそんなのを幾つか体験してきたもので。
スクラム組んだ仲間は、みんな良い奴ばかりでした。
議論した仲間は数えるほどしか居ませんが、
寝食、生死を共にした仲間は一杯居ます。
aaghさん、其のうち”殴り込み”で決着付けますから(笑。
■2006.10.25 night 管理人 wrote
"I Can't Help Myself"
Four Tops
映像の1965年は高校二年生。
アンポのゼンガクレンも、興味なし。
次々出てくるビートルズの新曲と女の子、学校の成績だけが関心事。
アメリカは憧れだった。
■2006.10.25 morning 管理人 wrote
Free Hugs Campaign. Inspiring
Story! (music by sick puppies)
aaghさんの掲示板、ffさんのパクリ。
焚き火のように温まります。
■2006.10.24 night 管理人 wrote
丁度焚き火を始めたのはこの頃からだと思う。
佐藤(首相)の発言が出てから、体育会・右翼の皆さんが勢いづいたのは云うまでも無い。
それまで2人程度だったバリケードの寝ずの番が3〜4名に増えた。
未明から明け方は冷え込む、歩道の敷石やコンクリートの道路の上で焚き火し暖をとった。
教室の周りの壁は高さ1m位まで板が張ってあった。
誰が始めたか憶えていないが、その板を剥いで焚き火の材料に使い出した。
理工学部一号館は由緒ある古い建物、多分高価な無垢材だったと思うのだが。
これが良く燃え、火持ちも良かった。
バリケード唯一の出入り口の北門、この前で焚き火したよな!
写真は「日本大学理工学部1号館の記録」より借用
理工学部一号館は、周りは歯学部校舎、中大校舎、日大本部、YWCAと夜間人口ゼロの建物ばかり。
焚き火で迷惑を掛ける民家の心配が無い、そういう意味では恵まれた環境だった(今もそうだが)。
朝まで何を話したか全く記憶に無いが、尽きることなく話したのは憶えている。
残念なのは、この寝ずの番は危険なゆえ、焚き火の囲みに”ゲバルト・ローザ”が一度もいた憶えがないことだ。
夜明けのコーヒー一緒に飲みたかったなぁ・・・・・。
■2006.10.24 morning 管理人 wrote
すぐお隣さんが明治と中央、駿河台を下ると電気大や共立、神田川を越えれば医科歯科や順天堂、少し離れて東洋大や東大があった。
何かのカンパニア集会の前後、当時この御茶ノ水一帯は実に賑やかだった。
中大や明大は、そこを根城にするセクトが全国動員をかけるのか、いろんな大学から動員組みがわんさと集まってくる。
お茶の水一帯は全国の学生運動の中心といっても過言ではなかった。
地方の大学から全国動員でやってくる学生は当然貧乏、何処かの学館や友人宅に泊まるのが常。
其の点'68年当時、御茶ノ水には大規模な無料宿舎があった、日大のバリケードだ。
調度今くらいの時期、理工学部一号館にも見知らぬ集団がしばしば泊り込んでいた。
隣の中大や明大の動員組みだったろうか、赤ヘルが多かったような記憶。
5〜10人位のグループで各学科のフトンにもぐりこんで来た。
フトンは度重なるガサ入れの度に、機動隊が何故か親切に窓から放り投げていってくれる。
道路や地階のドライエリアに落ちたものを回収してくるので汚れ朝露で湿っている。
でもそんな事はお構いなしで、センベイ状になったフトンにかじり付いて寝た。
寝姿は昼間のそのまま、やばい時は靴も履いたまま。
角材は教室の入り口に立てかけ、マイヘルメットは大事にフトンのそばに置く。
ヘルメットの中には3点セットのタオルと軍手、
バリケード内は、ヤクザの出入り状態といった状態。
こういう中で、何度かお泊めした遠征組みの方々は実に屈託無くよく寝る。
長旅や集会の疲れもあっての事だろうが、”右翼の襲撃”という危機感と緊張感を共有していない気楽さなのだろう。
それとも、ワイヤーや鉄パイプで組み上げられたバリケードに万感の信頼を置いていたのだろうか。
夜半から未明にかけては、私らは一度として気を抜いた事は無かったのだが。
理工学部一号館地階、”食対”食堂は此処(黄色箇所)だったけ?
■2006.10.23 night 管理人 wrote
The Shangri-Las - Right Now And Not Later
■2006.10.21 morning 管理人 wrote
大変だろうなとは思っていたが、思っていたとおり。
リンク切れや幾つかの設定変更が見つかったので少しずつ”修復”しています。
まだ同期が完全に取れていないので、今後突然ページが消えたりする事も有りなのですが(汗。
サーバー容量が無料で大幅に増えたので、以前から作っていたのですが上げるのを差し控えていたものを昨夜アップしました。
お気づきの方はまだ殆ど居ないようですが。
お叱りを受けるようでしたら撤去するつもりです。
先週、妻に買い物へ連れ出されました。
「貴方も少しは着る物買ったら!」
何時もはお供で付き合うだけなのですが、妙に勧める。
後で聞いたら、私の余りの着たきりスズメ振りに哀れになったと云う。
そんな訳で久しぶり(十数年振り?)にカジュアルウエアーを買い求めました。
綿素材のジャケット、店の鏡に立つのが恥ずかしい。
「貴方、それならパンツとベルトも買わなくちゃね」
「どうだ、メンズファッションに出てくる熟年モデルの様だろう?」
「髪の薄毛だけはね、モデルと同じよ!」

白と相場の決まっている秋明菊に赤い花がポツリと混じって咲きました。
Tシャツにジャケットを羽織っていても肌寒い早朝
仕事関係の催しで今日は準備作業でもう直ぐ出勤、明日は本番で出勤(泣。
催しなので、久しぶりに買い求めた熟年薄毛ファッションで決めるのだ!
■2006.10.20 morning 管理人 wrote
「何が面白かった、俺はちっとも面白くなかったぞ!」
「辛い、苦しい事ばかり・・・・・」ちゅう意味なのだろうけど、
ねえ天野屋さん、素直になろうよ。
でなきゃぁあんなに笑み満面で、世を徹しての”昔話”に花が咲かないよ。
仲間の肩車で見渡した白山通り、
日大生で駿河台下まで埋め尽くされたいたっけ、
食対で買出しに行った築地の市場、
レポで乗ったカローラの助手席、使命感で溢れていたっけ、
見張りで朝まで話し込んだ御茶ノ水の朝陽。
「ねえ、おごってやるから行こうよ」と喫茶店へ誘ってくれたシンパの女学生
ポケットをはたいても一文無し、薄汚れたシャツと貧乏が勲章だった。
格子窓の部屋で万引き学生に活を入れてやったあの訳の分からない”勢い”、
辛い苦しいことより、楽しかった思い出のほうが私は多いよ。
■2006.10.19 night 管理人 wrote
「甘い誘いに乗らずに、やんなきゃ良かった」
何度やってもつながらないMyページに途方に暮れていた。
メッセージ通りの手順で設定したつもり、何度も何度もマニュアルを読み返すが、抜かった手順は無いのだ。
途方に暮れるのと、切れそうなのと、何とも情けない。
3回目に受けたサポートメールで「ドメインの設定が出来ていません」
ニャロウ!、そんな事マニュアルの何処にも書いてないじゃないか、
スーパーオタクには常識でも、こちとらには非常識なのだ。
ブチ切れ寸前。
新サーバーはマルチドメイン対応(だとさ、知るかそんな事)
つまりだ、一つのレンタルサーバーの契約で、幾つもドメイン(URL)が使えるちゅう事らしい。
1個のレンタル契約で、www.z930.comとwww.abc.jpとかつまり”二重人格”や”三重人格”が出来るのだ。
そのためには、今使っているドメイン(z.930.com)も追加設定しなければサイトが設定できないって訳らしい
・・・・・ウ〜ン、オヤジには難しすぎる。
旧サーバーはマルチドメンに対応してなかったので、改めてz930.comの設定とかは無かったのだ。
それならそれとマニュアルにちゃんと書いとけ(-_-メ;)テメ・・・

それで、分かった事が一つ有る、
それはオタクのテクニックじゃなくて
このMyページがもはや私には無くてはならないものという事。
お陰で、会議は”我そこに在らず”
■2006.10.19 morning 管理人 wrote
やっと復活
「そんな事は俺は聞いて無いぞ!」
サーバー会社のサポートとやり取りすること、メールで3回。
指示を頂くが、分からないことが分からないので手の打ちようがない。
3回目でやっとこのレトロ頭が反応した。
スーパーオタクを相手にしているサポート担当には”常識以前”の事項。
貰ったメールで設定を加えると復活。
早速、サイトを明けるとこのメッセージ、
「お客様のドメインが設定されました、アップロードのディレクトリは以下の通りです・・・」
「えっっっ・・・・・!!!」
一昨夜、夜を徹してやった作業はパ〜ぁぁぁ・・・・なのだ。
あのウイルスワクチンソフトの遮断との戦いを再度やらなければならない羽目に。
取り合えずメインのページと管理人日記だけアップロードしとくことに、
ギガに近いムービー類はぼちぼち暇をみてとしておく。
■2006.10.17 morning 管理人 wrote
昨日は職場を定刻で退出、宵闇が迫ってきてすっかり秋だ。
昨夜申し込んだサーバーの移転の決着を付けるため気合が入っていた。
「新サーバーのCPUは今の3倍オーバーのスピード、容量は1.5倍増、一月の目安転送量は30GBから60GBに緩和、しかも同一料金!」
勿論、サーバーの移転には結構なオタクの技量が要求されるのだが、このアナウンスが私の背中を最終的に押した。
数ギガの容量なら、迫り来るムービーの時代にも何とか対応できる。
考えれば、この春までは僅か数十MBで運営していたのだから、百倍近い増量になるのだ。
いざ移転となると、棚上げしてきた宿題が幾つかある。
私のパソコンの中味と、今のサーバーの中味が同一ではないのだ。
単純に私のパソコンの今の中味を移転先に書き込むと、インターネット上では既に削除したページが復活したり、リンクが切れたり色々と不都合が生じるのだ。
日頃から整理し、パソコンとサーバーの”同期”をキチンと取っていれば良かったのだが。
移転以前の前段階(蜂起ではない)作業にかなりの時間を費やした。
本番の移転作業は難渋した。
ホームサイト(私のパソコンの中)のデータをリモートサイト(レンタルサーバーの私の領域)に転送(書き込み)する作業。
書き込み(アップロード)速度がMaxで80KB/秒がやっと、データ量から言うと単純に2〜3時間を要する。
この作業中、ウイルスワクチンソフトが断続的に書き込みを遮断する。
其の度に手動で遮断を解除、その場を離れるわけには行かなく作業は日付が変わるまで続いた。
「無償移転サービス受付完了しました」
朝、メールを開くとサーバー会社からアナウンスが入っている。
寝不足の眼を擦りながらガッツポーズ、
60近いオヤジでも出来たのだ。
■2006.10.15 night 管理人 wrote
我が家の秋明菊です。
本当は花よりムービーの貼り付けが出来たことが自慢なのですが。
映像は先程庭で撮ってきました。
ボタンは自作、BGMはリトル・ペギー・マーチ。
ムービーはwmvで2min27sec、容量は元のMPEG2では約100MBを11MBに圧縮。
ストリーミングのスプリクトの書き方はこちらのページで習得。
ページを開いた時点で画面が真っ黒が気に入らないのですが、これは今後の課題としています。
この手のオタク・テクは、一度できれば後はタグの”コピーペースト”で如何様にもなるのです。
レンタルサーバーの容量が同じ料金で1.5倍になるとのサービスのアナウンスが入りました。
早速移行の申し込みをしたところです。
そ〜だ、容量に余裕ができるのなら課題のウインドウズ・メディア・ムービーのストリーミングにチャレンジしてみようと昼からオタクに専念していました。
この方法で「日大闘争の記録」を公開すると、視聴は非常に簡便になるのですが、
映像ファイルの無制限な流失を防げませんので止めときます。
その方法は、HTMLに少し詳しい方なら簡単だからです。
取り敢えずは花とか自然とか、ファイルが流失して差し障りの無いもので楽しむ予定です。
出来たぜ、ベィヴぃぃぃ〜。
■2006.10.14 morning 管理人 wrote
ここ2〜3日、反省の心で一杯です。
aaghさんとの”抗争”ではありません。
つい筆の勢いで、仲間の履歴を吹聴気味に書いてしまいました。
其の方の性分は、それを良しとしないこと、
私らの絆はそんなんではない事を十分承知の上でやってしまいました。
ここでお詫びを申し上げます。
先日の集いで、芸術学部の仲間が撮り保存していた写真を見せていただきました。
其の中の1枚に懐かしい顔を見つけ出したのです、
ページ本文に記載のMくんです。
この後、彼は校舎の中の水溜りで発見されたと聞いています、貴重な'68年6月11日の1枚です。
会の好意で提供いただきましたので紹介します。
copyright reserved 「N-Archives」
■2006.10.13 morning 管理人 wrote
談合する総会屋・・・・・・、違った農獣医学部闘争委員会の面々。
顔はマスキングさせていただいているが、スッピンはそれと見紛う。
初対面の方なら一瞬引いてしまう面構えの方々だ。
中央に位置する数珠らしきものを首に巻くは、知る人ぞしる日和見経の教祖様。
写真はJUNさんから提供いただきました
つわぶきの花が咲き出した。
ここにスナップを載せようと思ったが、上の写真とはどうもマッチングしないので後日に(汗。
私らの集う会は、そうすんなりと事が運んでいるわけではない。
私のように集まる目的を「レトロな同窓会」とシンプルに発想する者には何の問題も無いのだが。
人が集まるのには何らかの”目的と軸”が要る、人様々なのだ。
「今更集まっても・・・・・仕方ない」、
「過去は振り返らない、未来志向で行く」、
「放っといてくれ・・・」
全て其のとおり、其のとおりだと認めます。
でもね、集まってる皆の笑顔は本物だよ、
多分、普段は見せない屈託の無い本物の笑顔だよ。
私はそれが観られるだけで十分だと思う。
■2006.10.12 morning 管理人 wrote
出張りの仕事の途中、海辺のレストランで一息付きました。
外が気持ち良さそうなのでテラスに席を取り一時寛ぎました。
ざぁざぁ〜ざぁざぁ〜と寄せては返す波の音、
しばし、ぼぉ〜としていましたが初秋のきつい日差しに追い立てられ直ぐに室内に逃げ込みましたが。

昨日、JやJNさんが物静かで口数少ないと紹介しましたが、お二人は仲間内でも稀なタイプ。
私ら日大全共闘の標準は、吼える、怒鳴る、アジる、舞い上がる、そして極一部がゲバる(怖。
その標準仕様が、私が会場を後にしてから絶頂を迎えたらしいです。
天野屋さんは日和見経の集団に保護(実際は拉致?)されたと掲示板に書き込みが有り、
ラッパの大将さんは「喉が潰れた」とメールを頂きました。
どうも日付を挟んで違う世界を呈した様です、立ち会えなくて残念です。
・・・・・でも、私は言うほどに残念とは思っていません、
かつてのバリケードは日常が何時もそうでありましたから。
寝てる奴の隣で吼える奴、
壁に向かって何やら怒鳴っている奴、
独り、何やら分からず涙を流している奴、
いつ終わるとも分からない議論を延々と続ける奴、
それはそれは色んな奴がいましたから。
嘘だと思うならビデオムービーを是非ご覧になってください。
■2006.10.11 morning 管理人 wrote
ホテルのチェックインに間に合わすため日付けの変わる前に先輩の店を出た。
同じ2闘のJさんとJNさんと新宿までは三人一緒、駅で次の再会を期して東西と南に解散。
JさんとJNさん、二人とも控えめでもの静か、低い声でボソリボソリと喋る。
この二人が、私と比べ物にならない激しい闘争を経てきたこと、その温和な表情から余人には計り知れない。

三次会で隣にいた先輩の奥さんがポツリと云った。
「JNはねとてもいい奴、私は好きだよ」
「物静かで、難しいことは言わないし・・・・、」
「知ってる?、JNはね**高校出てるんだけど、そ〜んなこと一切自慢しないんだよ」
私は改めてJNさんの顔をまざまざと見た。
「いやね、**大も受かっていたけど、山登りがしたくてね・・・・・」、日大の選択が”登山”だったと恥じらいながら話す。
「オイオイ、そりゃ〜・・・・ちょっと待ってよ!」、豆鉄砲食らった鳩のような私のリアクション。
校名は田舎者の私でも知っているもの、T大合格者数No.1と書けば多分誰もが思い浮かべる”それ”で合っている。
仲間の”それ”を聞いただけで自分も偉くなったような錯覚は、凡人の私の素直?な気持ち。
偏差値で細かく輪切りにされた今の世代には絶対理解しがたい仰天の選択だが(私もだが) 、
その彼が、その次にした選択が”全共闘”だった訳だ。
私が何処かに置いてきたものと同じものを彼もまた置いてきている、
もっとも、彼の方が比べようもなく大きいのだが。
昨日、早速にJNさんからメールが入ってきた。
「会の動画ファイル送るので、エンコード(ファイル変換)頼みます」
物静かな”山や”さんとオタクのコラボで楽しい作業になりそう。
■2006.10.10 morningU 管理人 wrote
今回お会い出来た方の中には、写真集に主役級で登場する方が何名かいらっしゃった。
其のうちのお一人には三次会で話を聞かせていただいた。
そのご本人が映る写真が、仲間内では有名なショット。
「うちの学生会(いわゆるカイライの自治会)はね、殆ど自民党青年部」
「その学生会が全共闘やっちゃったものだから、分かるでしょ、こん時も使い分けが大変だったんだから」(一部管理人の要約表現です)。
周りをグルリと機動隊に取り囲まれガナる(アジ演説する)秋田明大さん、その横でハンドマイクを肩に担ぐ御仁だ。

もうお一人、今にも走り出しそうな今でも羨ましいスリム体型。
'69年も夏に向かう時期と思われるショット。
物々しいデモ本隊とはアンバランスないでたち。
スリムなコットンパンツにスニーカー、ノンヘルメットにサングラスは湘南のビーチにピッタリなファッション。
旗は「農獣医」「水産」と読み取れる、場所は今は無き明治大学本館前。
「これ(ファッション)はな、何かあったら大衆の海に紛れ込むとき一番なのだ!」
これは多分ご本人が仰るだろう想定答弁。
勇猛果敢で鳴らした”旗持”は、決して謗ってはいけないのだ。
手持ちがないので此処では紹介できないのだが、
かの最初のドンパチの6月11日、
経済学部校舎内で日本刀で切り付けられ、放水の水溜りに浮いていたMくん。
その直前の姿が映る写真も見せていただいた。
こちらの写真は其のうち公開される運びと云う、乞うご期待。
-----------------------------------------------------------
■2006.10.10 morning 管理人 wrote
ボールがコロコロとベンチに転がってきた。
可愛いホッペの男の子が駆け寄る。
栗色の髪の毛が風に揺れ秋陽に光る。
父親の方に駆け去る後姿、眺めていると目頭が熱くなる。

帰り際に先輩の店に立ち寄ったのだが、昨夜(今朝まで)の騒動のせいだろうか閉まっている。
少し時間が有ったので、近くの御苑を散策した。
うららかな小春日和、幼子を連れた家族連れをそこ此処に見かける。
我が子の下が1歳、上が5歳の頃、目に入れても痛くなかった。
其の頃を思い出すと今でも涙が出てくる。
ホテルの朝は体中に浸み込んだタバコの臭いで目が覚めた。
紫煙で向こうが霞むような先輩の店内、三次会はいつ終わるとも無く延々と続いた。
これだけよく喋ることが有るのかと呆れるほど、途切れることなく延々と続いた。
私の喋りに突然合いの手が入る、
「俺、そいつ知ってるぜ、ぶん殴った事があるぞ!」

「そいつは国士じゃない、拓*の青のはずだよ?」
「赤軍が日比谷野音に突入してきた時、俺は(心情的に)赤軍に味方して奴らを助けてやったんだ、その時その青ぶん殴ったんだ」
「え〜そうかな、確か国士と聞いたのだけど」
私はメモ帳を取り出し、当人に携帯した。
「やあ〜久しぶり、ところで大学は何処だったの?」
「俺か?、俺は拓*だよ・・・・・・」
「少し待ってよ、今、貴方をぶん殴った奴と電話代わるよ」
「いや〜お久しぶり、その節はどうも・・・・・」
4〜5年前だろうか、取引を始めた経過で知り合った、その団体の押しも押されもしないトップ。
宴席で話しているとその”筋”の臭いがする。
少し話題を仕掛けると乗ってくる。
話題はドンドン進展し、お決まりの”斬った張った”に行き着く、
同類だった。
この日午前中、とあるところに朝駆けをかけた。
呼べど叩けど反応は無し、おかしいな〜部屋の灯は付いたままなのに。
昔ならハンマーでドア叩き壊したのだが(1回だけ実務経験あり、汗!)
またの機会と諦めた。
■2006.10.07 morning 管理人 wrote
近頃は「かわゆぃ〜い」というのが全ての価値判断の基準らしいので、
私も負けていない。
玄関脇にお迎え役としておいていたらアイビーが迫ってきている。
ドアを開けて迎えるのが爺さんなので、このアンバランスを楽しんでいただく。

「かわゆぃ〜い」とともに圧巻するのが小文字らしい。
私の徒然でも文法外れの小文字を多用している(汗、
そういう意味では若いお嬢様方に負けていないのだが。
事の真相は、機微なる表現力と教養の備蓄がチト少ない凡人が、微妙な表現に”記号”を重宝に使っているのだと思う。
特定の相手しかメッセージが伝わらない文章ってのは、音楽表現に近いとも思うのだが。
■2006.10.06 morningU 管理人 wrote
こんな懐かしいのも、こんなんまで、いいのかなあ。
The Hollies - Bus Stop Norah
Jones - Cold, Cold Heart
----------------------------------------------
■2006.10.06 morning 管理人 wrote
>D70sでもいじりながら。
・・・・・ここだけ、何〜んか引っかかるなあ。
銃撃戦・・・違った、絵文字の撃ち合いでもしますかaaghさん。(^τ^)
(^τ^):中高年用の絵文字解説、えもじらんどより
挑発系で「ベェ・・・」だそうです。
庭の秋明菊が咲き始めました。
この夏は何度か水遣りを怠り、瀕死の状態にさせたのですが持ち堪えてくれました。
昨夜はラッパさんと携帯メールの”撃ち合い”。
私の老眼には、豆粒大のキーは殆ど苦行に近いものがありますが。
便利なのは認めざるを得ません。
ラッパの大将さんによき物を頂きましたので、何とか工夫してアップできないものかとオタク魂が沸きまして。
「そうだ、パスワード制限のページ公開が有る!」
早速ネットでHTMLタグを検索。
有る有る、いくらでも公開されている、代表的なスクリプト(命令文かな)をパクッってきました。
まあ、その筋のプロの手にかかれば、PASSは直ぐ解かれるのは承知の上ですが、
取りあえず不特定への無制限な公開は制限できますので。
作品第一号です。
■2006.10.05 night 管理人 wrote
Jさん、何でも有るもんですねえ。
ところで・・・・・、天野屋さんが”ブレイク”しそうです
Eagles "Hotel California"
■2006.10.05 afternoon 管理人 wrote
Jさん、シカゴではなくイーグルスのホテル・カルフォルニアではないでしょうか?。
今現在、You Tubeはすったもんだしているようで表示できません。
有れば引張ってきますが、1970年以降の結構メジャーなものは管理者も気をつけているようで、音声、映像のしっかりした出物はなかなか有りません。
代わりにといっては何ですがアマゾンの試聴版(約30秒程)をここへ貼っておきます。
ホテル・カルフォルニア
(MP3で貼り付けてもよいのですが、もろ著作権侵害になりますので)
■2006.10.05 morning 管理人 wrote
思えば悲しいものだ。
二年前、国家資格を有する専門職種の彼女は役所の機構改革とやらで移籍を強要されている。
かつてサッチャー首相が進めた公的サービスの民間への移管政策の日本版。
其の日から彼女の激務が始まった。
この2年で2〜3回顔を合わせただろうか。
「ここんとこず〜と帰宅は11時を過ぎるの・・・・」
「主人に申し訳なくて・・・・」
泣きそうな顔をして私に会うたびに訴えていたのだ。
彼女の組織での地位は非常に高い。
昨日こっぴどく叱られた相手も、組織でいえば彼女よりず〜と下だ、そういう意味で私はへこまない。
管理者として有能で周りからも信頼されている。
昔の仲間のよしみだろう、そんな彼女が私には泣きそうな顔をして訴える。
30数年前の彼女の澄みきった瞳を思いだす。
昨夜、帰宅して妻に事の始終を報告した。
妻にとっても彼女はかつての姉貴分、旦那は親分格に当たる。
「あの野郎(旦那)締め上げてやる、辛い仕事してるのに冷たくしやがって可愛そうだ!」
「止めときなさいよ、貴方がどうこう言ってどうなるものでもないでしょう」
ピシャリと言い切られてしまった。
其のとおりだから言い返せない(泣。
■2006.10.04 night 管理人 wrote
ニャロメ!、あいつテロってやる。
帰路のBGMは All My Loving から Don't Bother Me に変わる。
腹がたって力の入った右足がアクセルペタルを踏み込む。
おばちゃん軽四は70Kオーバー、並の車の100Kオーバーの如く景色がかっ飛ぶ。
所用で呼びつけられた見上げるようなビル、事務所でタップリ絞られペコペコ頭を下げた。
相手も云いたい事を云ったら腹の虫が収まったよう、何時もの事だから別に苦にはならない。
事務所を出ようとすると、旧知の友人の顔が見えた。
書類キャビネットに向かい、難しい顔をして探し物をしているよう。
「お疲れのようだね?」近づき声を掛けた。
こちらを振り向きニコリ、いつもの表情に戻った。
彼女とは年に一度くらいしか顔を合わせないが30数年来の”友”だ。
「**さ〜ん久しぶり、でもどうして分かったの?」
「そう、私もう疲れたから・・・・・、来年3月で仕事辞めるつもり」
彼女との出会いは大学3〜4年の時。
地元の国立大学でも2年程遅れで闘争に火がついた'70年頃だ。
帰省した際、冷やかし半分で首を突っ込んだ地元のフラクション、其の中に気になる女子大生が居た。
全共闘と云っても実質的には白ヘルさんが牛耳る集団だったが、彼らは私には一目置いていてくれた。
気にはなっていたがそれ以上でも以下でもない間柄。
それから1〜2年後、朽ちてボロボロで帰省した時、彼女はフラクションのキャップ格の友人の傍に納まっていた(泣。
「で・・・、旦那は如何するの?」
旦那とはかつてのそのキャップ格、今は役所で偉いご身分になっている。
「私が辞めるというと、それなら俺も辞めるって言っている」
そこまでは羨ましい話と聞いていたのだが。
「二人で旅行三昧でもするの?」
「・・・・・、それは無し、主人とは一緒に行きたくない」
「私が今の職場で忙しくなってからはスレ違い、上手く行ってないの」、・・・・(涙。
「どうして?、一生懸命頑張っているのにアイツ助けてくれないの」
あの野郎!、百歩譲って彼女にチョッカイ出さなかったのに、ぞんざいに扱いやがって。
他人様の夫婦に口出すのは最大の野暮とは分かっていても腹が立つ。
いや待て・・・・、彼女も私もアイツも元同志の間柄だ、締め〜上げてやる(怒・怒・怒。
■2006.10.04 morning 管理人 wrote
久しぶりに早起きした。
出掛ける際に何か忘れ物をしているようで気にはなったが、そのままエンジンキーをまわす。
走り出して2〜3分、はたと気が付いた。
この車、今日点検に引き上げに来てもらう予定だった。
交差点(といっても田舎道だが)で急遽Uターン、家にとって帰る。
この妻の車はT社製で自宅まで引き上げに来てくれ点検してくれる、私の愛車のS社製と違いサービスが格段によろしい。
妻に気づかれぬようにそ〜っと次男坊'S軽四おばちゃんカーに乗り換える。
キーを回すと流れだしたBGMはビートルズの「ノー・リプライ」、
ガラガラ・ゴトゴトと車内の経年劣化のサウンド(騒音)とミックスされて実に良い、
次男坊なかなかやるではないか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
昨日は朝起きるが出勤する意欲が湧かない、年齢相応の”出社拒否症候群”。
先週末から降って湧いた人事の難題、解決の目途が付かず持ち越したまま。
最近殆ど休みをとっていないので自主休業・エスケープと決め込んだ。
午前中は夏物の洗濯や扇風機の仕舞いこみと主夫業、夏の”総括”に小まめに動く。
昼風呂に入り、昼からしばしネット散策。
時折訪れる「幻泉館」さんで一時間ほど立ち読み。
こちらのブログ、私と違い教養に富みセンスが良い。
私と余りにもレベルが違うのでコメントしづらく、狸(ネット用語ではロムるというらしい)していたのだが、
ついつい勢いでコメントを書き込んでしまった。
今見たら、返事と合わせて新たな記事を書いて紹介してくれている。
過去の記事の内容から「間違いない方」だとは思っていたが、大変嬉しい限り。
しつこく訪問すると迷惑でしょうからここでお礼を申し上げます。
「幻泉館」さん紹介有難うございます。
と、いい一日だったのだが・・・・・・、
陽が落ちかけた頃、呼び出しが。
結局、遅くまですったもんだが続いた。
■2006.10.02 night 管理人 wrote
今日はもうヘトヘトです。
Peggy March - Mit 17 hat man noch Tra"ume
■2006.10.01 morning 管理人 wrote
船底のメンテ作業料は、マリーナの使用料も含めて10万円弱。
年に一度は欠かせない作業なので、車の車検費用程度と思えば分かりやすい。
ペラ(スクリュー)の塗料にいい物を使ったので前回より1万円ほど割高だった。
支払を済まし、(ヨット)業界のよもやま話にしばし花が咲く。
作業中の艇のオーナーとは、国体ヨット競技(今はセーリング競技という)の運営で何度かご一緒している。
彼は”運行部”、私は”救助部”。
運行部はレース海面と、陸上の競技本部との間の運行に関わる全てを取り仕切る。
人間、機材、弁当、報道、レース結果などを運行する訳で、目立たぬ地味な部門。
一方、救助部はその名のとおり”レスキュー”。
レース海面を走り回り、いったん荒天候になれば、レース海面の主役となる。
単ゲバの性格にはピッタリと思い、レース運営の分担を決める連盟会議で自ら立候補した訳だ。
誰よりも早く出航しレーサーや審判を待ち、全ての艇が帰港してから引き上げる、レース海面での滞在時間は誰よりも長い、そういうところも意気に感じるのだ。
実は、レース最中に何度か荒天候に見まわれた事がある。
朝からのうねりが徐々に高くなり、風は5mオーバーで波頭が砕け白くなる、
こういう状態を私等は「ウサギが跳び始める」と称する、青い海原に白い兎が飛び跳ねるという風情のある表現だが、
当然風はオーバーパワー、軟弱なヨットマンは顔が引き攣るのである。
うねりの底に入ると一瞬周りが全て波の壁になる。
バッタバッタとレース艇が沈を始める。
レスキューが追いつかなくなり、流される艇が出始める。
こうなるとレスキュー艇内もパニック、かつての修羅場の経験が生きると思っていたのだがそれは違った。
一番役に立ったのは、補佐役で駆り出した長男坊。
ジェットコースターのように上下左右に揺れる船上で、冷静沈着にレスキューの優先順序の情報を整理してくれた。
この状態で下を見て、メモを書いたり読んだりしていると普通はゲロの海となる。
親爺殿は熱く舞い上がり無線機で大声を上げるだけ。
単ゲバ親爺が息子に追い抜かれたと自覚した瞬間だった。
--------------------------------------------------
9月のアクセスログの解析で気になった点が一つ。
闘争の記録のビデオムービーを公開しているのですが、どのムービーの閲覧が多いかという点。
一番閲覧が多いのは先頭にある「■1968.4〜6月、5m03s /20.0MB」で、まず一番目からという自然な選択で順当なのですが、
2番目以降は”東大全共闘”や、”東京大学”と題目で表しているものが上位を占めており、個人的にはムッとしています(悔。
(観るなら順番だろうが(怒!)
このホームページの閲覧(アクセス)で、国別ですと日本が一番なのは順当ですが、
二位の豪州は日本に迫る勢い、三位の米国を足すと日本の倍に近い閲覧(アクセス)になっています、これはアクセス解析をし始めてから変わらぬ傾向です。
日本語変換機能の無い豪州・米国のパソコンがこのページをどう表示するかは知りませんが、世界で通用するのは”東京”を冠する名称なのでしょうか。
それとも日本の方々の根強い東京大学への劣情なのでしょうか。
(案外、東大出のかたの閲覧が多かったりして?)
|