■200701.01 afternoon 管理人 wrote
残念ですがFirefoxでは再生できません、IEで視聴ください。
1.18、プレヤーを変更、Firefoxでも見られます、但しオートスタートしてしまいますが。
2009.1.1 フラッシュプレヤーに入れ替えました
■2007.01.31 morning 管理人 wrote
今日から巡業です。
先にネット環境が無ければ更新は少しお休みです。
「BBSの再開を」、というお声を頂いています。
私も寂しい思いは同じです。
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evening 管理人 wrote
久しぶりの弾丸列車(海の向こうではこう呼ぶらしい)で頭がガンガン。
ネット環境はOK!
以前泊まった首都圏の某一流ホテル、ネットはできるがメールもFTPのアップロードもブロック。
セキュリティに関しては某一流ホテルが進んでいるが、
私にはこのレベルのホテルの方がありがたい。
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night 管理人 wrote
my favorite songs、
バエズの朝日のあたる家、。
酔いもあってかボトリ・・・・・。
一号館が、桃井が、グルグル回る。
だめだな・・・・・、
悔しいけど、
どうあがいても、
aaghさんの文体にならねえな!
■2007.01.30 morning 管理人 wrote
暗闇が迫る一瞬、雲が黄金色に染まる。
何事でも一瞬は綺麗なものだ。
ちょっとしたフライングで殆ど休止中の市民運動に引き戻されそうになっている。
トホホッ・・・・の心境。
私らはその経験から、運動が高揚しそうな時には臭いで分かる。
騒動が起きそうなときも何となく臭って来る。
今回は少しそのい臭いをかいだ訳だ。
ついついお喋りになったら、ゲバルト・ローザ姉御にお縄になってしまった。
ジェーンさん、俺を挑発したなッッ・・・!
本当に、トホホッ・・・・の心境。
■2007.01.29 morning 管理人 wrote
ウ〜ン、懐かしいなあ。
米国の反戦集会に34年振りにジェーン・フォンダさんが登場したらしい。
私のHPも34〜5年振りだから、ブランクとしては同じだ(汗。
ベトナム戦争さなかの1972年、
敵国北ベトナムに渡り北ベトナム正規軍の鉄カブトを被ったエピソードを持つ。
ハリウッド・スターからの変身は物議をかもしたが、
ベトナム反戦のシンボルの一つで有ったことは間違いない。
Jane Fonda
イラク戦争が開戦した時、
誰もが疑わず、この戦争のベトナム化は必至だと感じたはずだ。
残念だがその予感は的中し、
多くのイラク国民と米国の青年が毎日毎日傷つき死んでいる。
やるせない気持ちだ。
ほんの数人でささやかに市民運動を始めたのが数年前。
イラク戦争の開戦がその契機だった。
職場環境の激変と繁忙という個人的な事情もあり、ついつい参加はおろそかになりがち。
街頭行動(街宣)も一年以上ご無沙汰だ。
Barbara Lee
そんな時、ジェーン・ホンダさんのニュースは励みになる。
なにせ、単純な性格なもので。
フムフム、ジェーンさんも歳とったな
そういえば、イラク開戦で唯一連邦議会で反対した議員も女性だったな。
我が市民団体の代表もゲバルト・ローザ姉御。
理屈よりも行動、その点で平和運動の顔は”女性”だな。
■2007.01.28 night 管理人 wrote
Lets get together
オリジナル曲がヘイリー・ミルズなもので、ロリコンでないので念の為(汗。
ディズニーのリメイク映画、 有名な子役らしいが。
*ディズニーはイスラエル支援企業の上位に居るとのこと。
■2007.01.28 noon 管理人 wrote
「どれにしましょうか?」
ほんの少しだけ嫁に出す父親の気持ち、
もう何鉢嫁いだろうか、10鉢は越える。
妻の外交の戦略物資になりきっている。
「今度は**さんが欲しいと云ってるけど、いいかしら?」
増えすぎた鉢の世話に手を焼いていることもあって、昨年つい「ハイハイ!」。
ご町内は5〜6鉢、遠くに行ったのも4〜5鉢。
今頃は蕾が膨らみ、次々と開花し始めているはず。
昨年初夏に蒔いていた種が、苗ポットから溢れるばかりに双葉を覗かせている。
「まあ・・いいか、2〜3年もすればこの子達が花を咲かすようになるさ」
歯抜けになった鉢花壇を眺めながら自分に言い聞かす。
妻のクリスマス・ローズ外交はまだまだ続くようだ
■2007.01.27 night 管理人 wrote
更衣室に子供の歓声が聞こえてくる。
「参ったなあ、来る時間を間違ったか」
先週のプール通いの殆ど貸切状態が嬉しくて、今回はもっと空いているだろうと思う昼時を狙った。
あらためて鏡の全身像に落ち込みながらプールサイドへ。
居る居る、20〜30人の子供達。
3本分のコースロープを外し、ジュニア水球チームの練習だ。
子供達、罵声にも近いコーチの指導にも平気の笑顔。
言わない言葉は「テメエ・・!、ぶっ殺すぞ」ぐらい、
スポーツコーチの口があんなに悪いとは、聞いてみて想像以上。
成人はウオーキングが1人、スイミングコースは私の一人、狙ったとおりの貸切だ。
前回は腰が重い後遺症がほぼ一週間続いた。
25mを20本、インターバルを取りもう10本で距離にして750m。
最低1kmでないと物足りないのだが、今の体力を考えセーブ。
まだ黙々とウオーキングを続けるご老人を脇き目に、入水からジャスト25分で切り上げ。
もう数回通えば、週2〜3回のペースに持ち込めるかも。
シャワーの後、明るい更衣室でまざまざと頭を見るが、
想像以上に・・・・・薄い。
これは”カルキ”の影響だと自分に言い聞かせる。
■2007.01.22 morning 管理人 wrote
起床すると腰の軸の部分が少し痛い。
プールは30分程ゆっくり流すように泳いだ。
4年のブランクがあって少し心配もあったが、以前と同じように水は心地よかった。
以前の半分程の時間と距離で切り上げたのだが、やはり鈍った体にはきつかったようだ。
更衣室の鏡に映った己の全身像に落ち込みながらプールに。
午後一番、公営の温水プールは私を含め三名でほぼ貸切状態。
プールは8コースに区切られ、其のうち2コースはウオーキング用に仕切ってある。
残り6コースに私ともう一人、館内は物音も無く水面もほぼフラット。
これで太陽が燦燦と射していればもう殆どリゾートなのだが。
スイミングはある意味孤独なスポーツだ。
泳いでいるときにお喋りや声掛けはできない。
クラブに入っていなければレースをすることも無い。
淡々と着替え、泳ぎ、そして終わる。
以前、頻繁に通っていたプールで一度だけあった。
息を整えるためインターバルをとっていたら隣のご婦人が話しかけてきた。
ゴーグルを外してよく見ると私の母親のような御歳。
愛想を打っていたがご婦人は話止めない、それでは泳ぐことにならない。
帰って妻に報告したら、「貴方、もてるのね!」
腹を抱えて笑われた。
防寒機能が年々増している妻がその対策に、
「今度は私も連れてってくださいね」
スイミングは煩わしくなくて善かったのだが。
■2007.01.20 night 管理人 wrote
たかがパンツで一万近い値段も気になり、よくよく手にとりあらため見直した。
”women”の表示が。
危うくレジカウンターの一歩手前でそのタグに気が付いた。
そうか、俺は女性物売り場でたむろしていたのか。
小さくなってなって商品を返しに戻った。
このホームページを開始する'03年の春先まで、ほぼ10数年ほどプールに定期的に通っていた。
ヨットレースで上位に上がりたいという叶わぬ願いも泳ぎ始めた発端ではあったが。
'03年の春先から秋口まで酷い50肩でプール通いを止めてそれっきり。
この間、仕事の殆どはデスクワークに変わり、体力はヘタレるだけヘタった。
垂れた臀部の肉を引き上げる強化バンドのような繊維が入り、
緩んだ腹の肉を締め付けるような伸縮のゴムが入り、
これなら私の下半身に”活”を入れてくれるとのチョイスだったのだが。
選んだ水着が、何と女性物だった訳。
一念発起、スイミング再開を目指し訪れたスポーツ店、何時の間にか女性物売り場に迷い込む”不祥事”。
プールサイドでの軟弱で貧弱な体型なら誰にも負けない。
泳ぐ距離ではそこら辺りの”筋肉マン”にも引けは取らない。
オジサンはヘタった体を鍛えなおすのだ。
間違いない男物のセミロングの競泳用パンツと度付きゴーグルを購入。
■2007.01.20 morning 管理人 wrote
桃井コンミューンの開祖はMくんと私と同姓のYくんだ。
二人同居の桃井のアパートに'70年の春だったか私が押しかけ居候となった。
それまでの阿佐ヶ谷北のアパート、色々有って居続けるのが辛くて離れた。
そんな私を二人は暖かく迎えてくれた。
Yくん、普段は殆ど喋らない、
物静かを通り過ぎた失語症と間違うような寡黙な性格。
Mくんのような”超”ゲバルト派ではなかったが、気が付くとゲバ棒を持って隊列の何処かに必ず居た。
それが、一度酒が入るとガラリと変わる。
”飛んで”しまうのだ。
書棚とトイレを間違え、”洪水”となったフトンの前で”反省”するYくん
'71年頃からの彼の放浪の旅を私はよく知らないが、我が家に立ち寄った後も彼は何処となく流れていった。
生活を何処かに置いて流れる人と、生活全部を背負って流れる人と有るらしいが、彼は後者でなかったかと思う。
行く先で糧を稼ぎそこからまた流れる、その繰り返し。
バリケードはもう無かった、
帰る場所の無い放浪を続けていたのだと私は思う。
今でも”桃井”の夢を見る。
■2007.01.19 night 管理人 wrote
先日紹介したMくんだったか、それとも同じ桃井の同居人のY君だったか、
ふらりと放浪の旅の途中に私の家に立ち寄った。
そうだ・・・、Y君だった。
桃井コンミューンを'71年に私が離れた後、Yくんはふと行方不明になったらしい。
最初に連絡が入ったのは数ヶ月後、北陸の地方都市からだった。
その後また何ヶ月後に北海道に居るとの消息だったらしい。
もはや、桃井コンミュ−ンの仲間を繋ぎとめる何かが崩れていた。
皆、それぞれに”煮詰まった”状態になっていた。
そんなYくんが私の家に立ち寄ったのが'74年。
白いコロナのバン、後ろの荷室にせんべいフトンを敷き、
まだ君の放浪は続いていた訳だ。
ある日前触れも無くフラリと我が家に現れた。
それから1週間だったか2週間だったか我が家に滞在した。
'74 Yくん
私は定職に就いていたが、彼は昼間はどこかにフラリと出かけ夜は一緒に酒を飲んだ、
そうあの桃井コンミューンのように。
休日は私と妻と彼、三人で喫茶店や公園、海に出かけた。
一緒に立ち寄ったジャズ喫茶にあったレコード店、君と一緒に中島みゆきのファーストアルバム買ったよな。
「Yくん、我が家を立つ時衣類の入った行李を預かったけど、あれもうどっかへ行っちゃたよ」
「それと夜中に寝ぼけた君に”小水”掛けられた”広辞苑”、今でも書棚に有るよ」
■2007.01.19 morning 管理人 wrote
FireFoxのプラウザを使っている方、御免なさい。
ウインドウズ・メディア・プレヤーがどうしても自動スタートしてしまいます。
IEなら問題ないのですが。
きちんと手動スタート設定のHTMLタグを記述しているのですが。
ページを開くとにぎやかに複数のプレヤーが一度に再生を始めてしまいます(汗。
管理が十分で無かった私の至らなさから、止む無くの処置ですが1968掲示板を閉鎖(休止)しています。
物理的・技術的対処の方法も無かった訳ではないですが、
結果的に”休止”という対応を選択しました。
かつて、
日大闘争を一緒に闘った仲間は、
誰一人として例外なく私にとって大切な仲間です。
綺麗事と言われようが、
どう謗られようが、
その思いが私の”コア”です。
■2007.01.18 night 管理人 wrote
1.19
music remove
こういう時は、
こういう音楽が善い。
■2007.01.17 night 管理人 wrote
1.18
music remove
厳密には歌詞の内容とは違うが、
歌の憂いと私の憂鬱がシンクロしている。
■2007.01.15 night 管理人 wrote
"Let's Get Together"Hayley
Mills
ヘタレだろうがレトロだろうが、
いいって事。
やっと見つけた。
2006.2.5
■2007.01.14 night 管理人 wrote
やっと当時のブラザーズ・フォーを探し当てた。
音は悪いが我慢だ。
マイク某が日本のフォークの元祖なんぞと言われているのが、私には胸糞が悪い。
500 Miles - The Brothers Four
'67年の秋から月3000円で、週2回の家庭教師を始めた。
一回2時間で月8回、時給に直すと180円余りだが結構いいアルバイトだった。
当時はタバコや喫茶店が70〜80円程度、その金額で確かラーメンも注文できた。
このバイトでヤマハのフォークギターを購入。
学生の身分で新宿の丸井のクレジット、誰を保証人にしたのか忘れたが。
FG-150という品番で、3000円の5回払いで15000円。
18000円のFG-180という物が欲しかったが3000円の差で手が出なかった。
(でもね、今の物価に直すと少なくとも10万円オーバーだぞ)
ネットで拾ったFG150
初めて自分で働いて買った買い物がこのフォークギター。
桜上水の3畳下宿部屋、都会の寂しさを癒すツール、
Five Hundred Miles、Dona Dona、Where Have All The Flowers Gone、Seven Daffodils・・・。
ブラザーズ・フォー、PPM、ジョーン・バエズ・・・。
C・Am・F・G7、それにGと幾つかのコードが弾ければほぼ完璧、
とギターに対する私の考え方は安易だったが。
私には致命的な欠陥が、Fコードが上手く押さえられない(泣。
ネックの細いフォークGならと思ったのが甘かった。
ギターの才能の無さに見切りを付けたのとローンが終わるのが同時期だった(泣。
このFG-150、次男坊がネックのソリを補修し今でも彼の部屋に鎮座している。
■2007.01.13 night 管理人 wrote
実はこの管理人日記、あるホームページと時折一方的に連動している。
お分かりの方はお分かりだろう。
「どこからどこへ」
「ゴドーを待ちながらの街で」
私はパソコンを開くとまずその二つを訪ねる。
斜に構えず、肩を強張らせない素直な物言い、
二つの個性は私に無いもの、及ばないもの。
珠には”挑発”に乗り、無視したりもする(笑。
頬がゆるんだり、希に目頭が熱くなることもある。
40年近い時空を越え出会った、
これからもこの空気感と間合いを大切にしていきたい。
■2007.01.12 morning 管理人 wrote
先日のスノードライブ+温泉以後、咳に悩ませされている。
別に発熱は無いのだが、昼夜を問わず咳が続く。
激しい咳をするとき腰の筋肉が連動するのか軽い腰痛状態も併発。
諸々で昨日はついにダウンで休業。
James Brown - It's a man's world
痛い腰を炬燵に横たえ、咳の発作に耐えながら録り貯めていたDVDを鑑賞。
「ホテル・ルワンダ」と「パッチギ」、ウ〜ン少し泣けたかな。
柔な体に活を入れるため、
ジェームス・ブラウンのCD、追悼も込め大音響で家中に響かせる。
マンズ・マンズ・ワールドは泣ける。
■2007.01.09 night 管理人 wrote
桃井コンミューン、
アパートの壁に響いた
Blowin'in the wind、
僕らのオハコだった。
皆、憶えているだろう、
”西口”で何回も何回も歌った奴さ。
これなら今でも弾けるかも。
■2007.01.08 night 管理人 wrote
二階のベランダに灯がともっている。
シャッ・・・・、ガリガリ、刃物を研ぐ音。
サンドペーパーでエッジを立てている。
息子め、どうやらスキーに出張るようだ。
分かってるな、お前さんのスキーは父さんが仕込んだぞ!
親に似て・・・何処でも直滑降小僧 (笑、
見てはおれないので”青”ヘルメットを被せた。
1984年 9才の頃。
■2007.01.07 night 管理人 wrote
夜半から雪がチラチラ、未明から日の出前までは結構降った。
前の晩から明日はスノードライブと決め込んでいた。
ヘタれ体力でスキーに行かなくなったが、アイスバーンは恋しい。
三桁国道を小一時間程走ると公営の温泉がある。
スタッドレスが融けかかって緩んだ雪を噛む。
私が欲しいのはガチガチのアイスバーンか轍のない新雪なのだが。
温泉の帰路、渓谷に掛かった橋の手前で車を止めた。
坊やと父さんが雪だるまに興じていた。
隣の妻が、
「孫が居たら、あの光景は貴方でしょう・・・・・」
■2007.01.06 night 管理人 wrote
同姓のY君がギターを爪弾く。
M君が歌う、
私は聞き役。
レパートリーはビートルズ。
珠にはジョーンバエズも。
桃井のアパート、希な平穏な夜。
震災が来たら、
四面通りの楽器店、
ショーウンインドウのマーチンを頂こうと決めてた。
■2007.01.04 night 管理人 wrote
Jさんからよくメールを頂く。
今日は昨日綴ったMくんの事について短いメールを頂いた。
ブログを訪問するともう少し詳しく書いている。
そうだなあ・・Jさん、貴方とMくんは似ているかも。
強い人は強い人なりに、
弱い人は弱い人なりに、
いろんなものを背負い込み、言い訳せずに、正直に生きている人が好きだ、
二人は似ているかも。
Jさんに返信メール書いていて、
一昨日のMくんの電話を思い出し、
思わず目頭が熱くなっていた。
「いいよ何書いても、実名でも俺はいいよ」
電話口でそう云ったMくん、
でもね、俺はやっぱ書けないよ・・・・・。
■2007.01.03 noon 管理人 wrote
妻と話をしていて、何気なくふとその名が出た。
地元で少し前まで付き合っていた4〜5才年下の友人の名。
彼は昨年の初頭、自分のブログで
>35年前は大昔と全共闘の連中は懐古趣味で年金額を計算しながらのたまわっていますが・・・
と全共闘を一派一絡げで揶揄するような記事をアップした。
目ざとくその記事を見つけた私は頭に血が舞い上がった。
当然、厳しい抗議をして記事を削除させた。
妻には大人気ないと謗られたが。
その後、
私のホームページの写真を勝手にブログに張り、その注釈に次の内容を綴った。
>(写真のような極左集団も衰退いたしましたし。)
彼は私が全共闘で有った事も熟知しているし、それまで一緒に市民活動もしてきた。
ヘンに物知りで、私らの時代のセクトのことや学生運動のことも評論家のように知っている。
それなりの信頼はあったのだが、ネットでのその軽薄な物言いが我慢できなかった。
リアルな会話であれば許しもしたろうが、
公共のツールでもあるブログに軽い気持ちでそれを書くという行為は絶対に許せなかった。
それ以後、彼とは付き合いを止めた。
何故、今頃こんなことを蒸し返すのか・・・・、
Mくんの壮絶な人生、計り知れない背負っているもの、
私は友の歩んできた人生の百分の一も知らないが、
その百分の一に足らないものを知っているだけでも、絶対その様な揶揄は許せないのだ。
■2007.01.03 morning 管理人 wrote
私の就寝は早い。
夕餉をとった後は迷いなく床に付く。
で、目覚めるのは何時も未明、当然だが大晦日の”紅白”も久しく観ていない。
常人より生活リズムが2〜3時間早いだけなのだが。
目が醒め床の中でしばらくMくんの事を思っていた。
バリケードで始めて知り合った頃、
隣かその隣の学科の部屋に、主のように何時も居た事。
'68.11.7、腫れあがった拳と血走った目。
その後、四人で桃井のアパートで一緒に暮らした。
'91年だったか、最後に会った同窓会での別人のように変わっていた鋭い目つき。
色んなことが頭の中に浮かんでくる。
電話での話を色々と書きたいのだが、
思いが溢れてきて・・・、
でも南の離島で、
地元の漁師さんと交じり、
淡々と生き続けていることだけは報告しておこう。
■2007.01.02 afternoon 管理人 wrote
「俺の人生、アレで決まったのだからさ・・・」
受話器で友は何度も何度もその言葉を発した。
そう云えば、いつかの全共闘仲間の会で、某学部闘争委員長からも同じ言葉を聞いた。
「俺の人生、アレで決まっちゃたようなものだから・・・・・」
私のホームページに主役級で登場する友から初めて電話が入ってきた。
記述した内容に誤りが有るという”嬉しい”クレームだ。
受話器を取っての開口一番は「オッッ、生きてたか・・・・!!」
もう20年振り、声がうわずる。
ページの至る所に登場する理工学部2闘の行動隊長を頻繁に担った”M”くんだ。
何時でも何処でもデモの先頭に立ち、誰よりも先に突っ込んでいった最過激分子。
桃井コンミューンの四人組の一人。
「俺はな、パソコンとかインターネットとはとんと縁が無かったので、お前さんのページ見たのはつい最近」
「よく出来ていると思うけど、俺のことで間違っている個所がある」
「事実は事実でちゃんとしないとな」
受話器を持つ私の手が嬉しくて震える。
Mくん
>6月の経済学部のデモの時、体育会の学生と衝突があった。
その時彼は放水で水浸しになった経済学部の教室で、背中を日本刀で切りつけられ気を失って水に浮くように倒れていたらしい 。
(ページ本文”Mくん ”の部分)
この個所が事実と違うという、
本人が云うのだから間違いない。
『’68年6月11日、経済学部に出かけていった。
見ているだけでは我慢できなくなり、二度目の校舎突入の時に破れた窓から校舎に突っ込んだ。
周りはワッ・・という怒号が響き、後ろに学友が引き続いていると疑わず校舎に立ち入ったのだが。
しかし、その怒号は待ち構えていた右翼・体育会系の学生のものが校舎に響き渡っていたのであって、
後ろを振り向くと一緒に入った経済の学生と二人だけだった。
前も後ろも・・・、つまり周り中を奴らに取り囲まれた
奴等がどれ位居たかは憶えていないが、とにかく周り中だった。
小競り合いしていたが後ろから一撃で意識がかすれた、その後は殆ど記憶が無い。
朦朧とした意識の中に、自分が水の中に浮かんでいる居るような記憶がかすかにある。
意識が戻ったのは病院、何箇所も骨折し、縫い合わされた傷口は7針まで数えたが後は数えるのを止めた。
一緒に袋叩きにあった経済の学生のその後は知らない。 』
電話口で聞いた内容を要約したが、
事実と違うのは獲物が”日本刀”でないという事のようだ。
これは訂正するが、理工学部で伝え聞いていたMくんの武勇伝より本人の証言のほうが余程”凄まじい”ではないか。
それと彼が強調した点がもう一点ある。
『奴等(右翼・体育会)は根性がなかった。
相手は圧倒的に多数、こちらは私と経済の学生のたった二人だけなのに正面から殴りかかってきた奴は一人も居なかった。
結局後ろからの一撃でやられたが、正面切って襲ってくる奴は一人もいなかったて事だ。 』
(彼は奴等の根性をその時見て取ったて事だ)
私は友のこの言葉に日大闘争、そして日大全共闘の全てが込められていると思った。