■2007.04.26 morning 管理人 wrote
矢印のこの方もヨン・ニッパーに参加するそうです。
>1968年10月28日夜、全学連・社学同の約2000人の同士と共に・・・・・
写真の説明がこう書かれていますが、私の記憶では1968年10月21日の夜だったと思うのですが。
理工学部一号館からも同志社の赤ヘル部隊が出撃して行きました。
■2007.04.25 night 管理人 wrote
短い出張から帰宅。
昨夜はホテルで、ローザ姐御から頼まれていた課題を片付けるつもりでしたが、
出張仲間とのアルコールがついつい進み、WEB向けの神経はプッツン。
早々と床につき今朝未明に起床,朝飯前に一仕事励んでいました。
最近は当地のローカルなホテルでも館内LANが装備されています。
しかし、メールやブログには不自由が無いのですがHPの更新が出来ないのです。
多分LANのセキュリティ設定が、FTPでの交信をブロックしているのでしょう、
以前、宿泊したホテルでもそうでした。
ビデオカメラで撮ったMP2の映像ファイルをwmvに変換。
最初の作品は圧縮が低すぎて60MBの容量になりトホホで廃棄。
気を取り直し、1000KB/secを600KB/secまで、画質をレベル90から70までダウン、
これでファイル容量は30MBまでスケールダウン。
ブログを開き、この映像ファイルをアップロード。
管理者の投稿欄で、アップしたファイルの在り処(URL)にリンクを張る。
再生画面の貼り付けhtmlタグは以下の通り(ニフティのココログの場合)
</p><embed width="320"
vspace="10" hspace="10" height="260" loop="false"
autostart="false" src="http://*****.cocolog-nifty.com/blog/files/******.wmv"></embed><p><span
style="color: #ffffff;"><a href="http://*****.cocolog-nifty.com/blog/files/******.wmv"></a></span>
</p>
映像ファイルの拡張子がwmvの場合はウインドウズ・メディア・プレヤー(WMP)が、ビデオカメラや携帯電話のmp2やmp4の場合はクイック・タイム・プレヤーがページに貼り付けできます。
rmの場合はWMPが何故か立ち上がります。
このhtmlタグはブログでもhtmlのホームページどちらでも働いてくれます。
マニアックになりました(汗。
■2007.04.23 morning 管理人 wrote
トホホ・・・・・からやっと「ト」が取れました。
此処のところ、御方のディテールが一周りも二周り大きく見えたのは、挟んだ新聞紙のせいだそうです。
私は「朝日ジャーナル」が一番役立ったけど、あれは動きにくかったな。
やっと初夏の”園芸”に戻れそうです。
「ヨンニッパー」期待していますよ。
■2007.04.21 morning 管理人 wrote
岬を回ると海の色が一変した。
2〜3Kmに一台位しか車と行き交わない。
波打ち際から沿海、沖にいくにつれてアクアブルーからマリンブルーに海の色が鮮やかに変わる。
波の砕ける白と混じり気のないアクアブルー、
何十年振りだろう、景色を観ていて涙ぐむなんて。
ムービーフレームの遠くに望む街、
私んちからは片道4時間ほどかかる。
ジェット機であれば、我が家からお江戸へ行って戻ってこれる時間距離。
今後の事情によればリタイア後のテントとシュラフの住処に。
コルトレーンと波の音、人の声。
Firefoxプラウザ使用の方は音がごちゃ混ぜになりますが、
それも善いかとおもいまして・・・・・、
済みません。
■2007.04.20 night 管理人 wrote
とある日、とある事務所の防犯訓練。
”さらし”もいいが、やはりこちらが・・・・・、
備えあれば憂いなし!
あの時代は、こんなの有ったのかな?、
でも私等には高くて買えなかっただろうな。
こういう世界には戻りたくないのです(本音なのだ)
後、二日です。
■2007.04.19 night 管理人 wrote
UA
■2007.04.19 morning 管理人 wrote
頭の切り替えが追いつかない。
次から次へ、後から後へ厄介な事柄が湧いてくる。
運動ではない、仕事の方なのだが。
もう、能力の限界なのかなあ・・・。
若い頃は胃がキリキリ痛んで寝られない夜があったのだが、
近頃はそれがトンと無い。
其処の辺りが”老人力”なのか、それとも呆けなのか。
まあ、老人力としておこう。
有り難い忠告を頂いている、
ある方は”さらし”を腹に巻いたほうがよいと。
かつて私は頭部にヘルメット、手には軍手、腹や背には週刊誌や新聞を入れたのですが。
さらしとこの装備の違いは対・殺傷と対・打撲の違い。
さらしは”健さん”と偉い方の装備だと認識しています。
私は一兵卒だったので、基本的には打撲の世界しか経験がないのです。
書いてる日記もかなりハチャメチャですね。
■2007.04.18 morning 管理人 wrote
どうも最近、奥歯に物が挟まったような物言いを続けていたので、
昨夜、表では書けない管理人の近況の裏情報を一斉にメールで配信した。
そういう事なのだ・・・・・・・。
実にトホホなのだ・・・・・・・。
励まし以上の突っ込みや、
遥か南の離党・・・・間違った離島だ、からも予期せぬ激励が届いている。
意外だったのは、ご自分のHPではあれほど過激な物言いをされるお方が、
裏メールでは実に優しくしなやかな物言い、
何れも読んでいても何時の様にポンコツ親爺の涙腺が緩んでくるのだ。
皆さん、有難う・・(涙、涙、涙。
■2007.04.17 morning 管理人 wrote
年度初めの繁忙期なのに面倒な事が次から次に入ってくる。
それも元・暴力学生にぴったりな市民団体のミッション。
****団とか、****隊とか心躍る任務なのだが、
体を張る気持ちに遅れは無いのだが・・・・、
かつてのように即・行動という訳にはいかない。
有体に言えば”日和見”的傾向。
私の内なる全共闘魂を裏切らないように振る舞いたいのだが・・・・、
私の地域情報が分かる方は”アレ”だとお分かりになるはず。
トホホなのだ。
人々の平和で平穏な暮らしを祈る牧師様も”アレ”には大層気を病んでいられる。
昨夜も教会でその話になった。
「私には何ができるのか?」
「どうすればいいのか?」
畏れ多くも、私のほうが牧師様の問いに答える話の流れに。
さて、どうしたものか。
■2007.04.15 night 管理人 wrote
YouTubeを観ていて微かに思い出してきた。
**科の一個先輩と三里塚に行った。
何故行ったのか理由は思い出せないが、
多分バイト休みの日曜日の記憶があるので'71年2月21日だった(と思う)。
其の頃は留年も決まり、バイトに明け暮れる日々だったが何故か三里塚だった。
ヘルメットは無地の赤、後ろには「杉並」。
学内でヘルメットを被ることはもう殆ど無くなっていたし、まして学外で理闘委のモヒカンを被ることは無かった。
「杉並」には特段の意味はない、杉並に住んでいたから。
先輩と一緒に一学生として参加した。
個人参加で寄るべき組織が在る訳でないので、種種雑多なヘルメットが交じる部隊の後ろについた。
一番前はモンペ姿の農民のオバサン達、スクラム組んで座り込んでいたのを憶えている。
その後の記憶は無い。
日帰りの予定だったはずだが、何故か其の晩は現地のテントに泊まった。
シュラフだったのかせんべい布団だったのかこれも記憶が無い。
朝未明、
周りのテントがバタバタ倒れ、怒号が飛び交って起きた。
機動隊が、夜明け前にテントの一群を蹴散らして通りぬけって行ったのだった。
テントも何もかも泥まみれになった記憶が微かに残る。
その後は記憶が無い。
記憶が蘇るのはかなり後、
隣に組む隊列は赤に白のモヒカンヘルメット、短い樫の棒の先に赤い布切れを付けていた。
他の部隊とはかなり違う雰囲気が漂う。
”指揮官”の号令できびきび動く、一言でいえば”軍隊”だった。
ビビル私達を尻目に整然と突撃していったシーンが脳裏に焼き付いている。
■2007.04.15 morning 管理人 wrote
仲間は、「今、電話代わるからね」
そう突然云われても・・・・・・、
”うららさん”の評どおりヲタクなキャラは即体制が整わない。
「今度来たら是非寄ってくださいね」
「ハイ!、今度行く時は寄りますから・・・・」
折角のママさんとの電話が畏まった会話に、ヒジョ〜に残念、
しかし・・・・・、悔しいが完全に貫禄負け(泣。
先日、掲示板のjunkoさんの件で電話で仲間とやりとりした。
その時は周りに人がいて詳細を話すのが憚られたらしい、
改めて気の許せる「飛翔」から電話をくれた訳だ。
しかし、何時もながらこの仲間の話し方は優しい、
永い苦難の人生がこの優しさを生むのだろうか。

junkoさんに連絡用に使っていただくように案内したのですが、
「掲示板の一番下のメールって・・・?」
仲間もこの意味が理解できなかったらしい。
スクロールバーを一番下まで引っ張って、
掲示板のページの一番下まで行くと「管理者へメール」ボタンが座っています。
クリックすると私への送信画面が開きます。
そういう訳です。
■2007.04.14 morning 管理人 wrote
6/8拍子(?)だからワルツか、 (笑い。
負けに負けが込んできた頃からだろうか、
イベント後の”総括”にこれを聴くようになった。
昂ぶり、そして落ち込んだ自分をなだめるには”これ”が一番だった。

新宿、中野、高円寺、吉祥寺・・・・・、
'69年を過ぎると御茶ノ水からだんだん遠ざかっていった。
お皿一枚、40分程が私一人の総括集会。
アルバム3曲目、11分を超えるSummertimeは優しいアジテーション
「総括なんて・・・・・」と叫んでいる。
my favorite songs 入れ替えました
これを最後まで聴けるあなたは立派なオヤジだ!
■2007.04.12 morning 管理人 wrote
かつての始まりは”私”であり、
其の中で、”我々”という言葉の響きや、皆とつながっている何とも云えない”充足感”に何度も何度も浸った。
でも、終わりはやっぱり”私”。
私の場合、人が云う「裏切られた」とか「失望した」とかとは違う。
少しではあるがズレが出てきている。
運動に対する”覚悟”の違いなのか、それとも思想・信条の違いなのか。
”私達”とか”我々”とかいう人称に拘ると必ず出てくる奴だ。
私は”私”で参加しているからそれ以上でも以下でもない。
ま・・・・、そういう事だ。
my favorite songs 入れ替えました
このページの曲です
■2007.04.10 morning 管理人 wrote
「私の信じるものは何だろう」、って思うと出てこない。
「生きるのは何のためですか」、に答えられないと同じように。
そんなふうにふと考えるだけでも、教会に行った甲斐があったのかな、
それとも、寄る年波で弱気になったのか。
BGMも変われば変わるものだ、今日のはカラヤン指揮の「魔笛」、
ソナタやコンチェルトも良いのだが、カーステレオでは繊細なピアニシモが全く聞こえない。
音圧の高い賑やかな交響曲や歌曲なら車内でも聞けるのだ。
オヤジは隣の兄ちゃんのズン・ドドのラップにも負けねえぞ。
■2007.04.09 night 管理人 wrote
少しの憂いと悲哀、
何故生きているのかと問われると答えに窮する凡人。
信じたい気持ちは山ほどあるが、
素直な気持ちに、雑な人生経験が交差する。
陽が長くなりました
昨日教会の帰路、桜吹雪の中をほんわか気持ちで歩いた、
お調子者だから、周りの景色が皆々優しく見える。
骨身に染み付いた単ゲバ志向の不届き者だが、
暖かいもてなしで足取りも軽かった。
信じている人の気持ちに少し近づけたような気がした。
牧師様は「内田光子」さんの大フャンだという。
貸していただいたCDで当分はモーツァルト漬けだ。
でも・・・・・、実はまだ観残しているPANTAがあるのだ。
当分、私の短い夜に交互にモーツァルトを聴きPANTAを観るつもり。
■2007.04.08 night 管理人 wrote
「神様のお恵みでこんないいお日和で・・・・」
牧師様のお話を遮って坊やの泣き声が響く、
前の席の女の子は一生懸命塗り絵をしている。
途中に何度も賛美歌を挟み、ファミリーでアットホームな”復活祭”が続いた。
子供は煩いから外へ、この教会にそんな雰囲気は微塵も無い。
牧師様も、泣き声が遮ろうが子供が走り回ってもお構いない。
泣き疲れ潤んだ子供の瞳、無心に絵を書く眼差し、
賛美歌や牧師様のお話とそれらが入り混じる。
私には信心が無いので敢えてこう呼ぶが、この教会・宗派の”アイデンティティー”はこの情景にあり、それがイラク戦争に反対し、憲法9条を守る声明、教育基本法改悪反対に通じているのではと思った。

勧められて礼拝後の愛餐会にも呼ばれた。
礼拝堂が、イスを移動して皆が向かい合う食堂に変わる、
信者の皆さんが持ち寄られた手作りの昼食。
マイクを向けられ一言というので、
「私は子供が好きなので、泣いても騒いでも全然嫌な気持ちはありません、イースターにお招きいただき有難うございました」
気の効いた事はいえなかったが、思った事が素直に言えた。
牧師様より「クラッシック止めたのですか?」
と、苦情を頂いたのでmy favorite songsを急遽入れ替え。
お好きなモーツァルトを。
■2007.04.06 morning 管理人 wrote
取引先の新採職員の歓迎会へ、ピッカピッカの職員が13名。
女性も男性も白のシャツに黒のスーツ、胸には真新しいネームプレート。
一通りの挨拶のあと歓迎の宴。
皆、バリバリの大卒かと思い話していると、前の坊や(失礼!)は20歳という。
「2年間とちょっと、就職予備校に通いやっと入れました」
思わず、「ボク、よく頑張ったね・・・・・」
不覚にも、次男坊とダブり半分涙声になりそうになった。

「貴方、いろんな方から届くのですね?」
帰宅すると、妻が怪訝な顔で封筒を差し出す。
ここ(掲示板)にもよく登場する方からまたまた嬉しいプレゼントだ。
my favorite songs 入れ替えました
危ない曲です(笑。
■2007.04.04 night 管理人 wrote
そういう訳で一昨日ブチ切れてから、果たし状をせっせと作っている。
どうせ勝てないとは分かっているが、そんな勝負なら昔経験しているので構わない。
果たし状といっても、取り合えずいい年こいた社会人な訳で、
慇懃にネチネチと回りくどく書いている。
昔のようなアジびらでは通用しないのだ。
しかしだ、昔のアジびら・・・・・、今読んでみるとそれはそれはヒドイ。
よくもまああんな無内容な文章が書けたものだ。
下の世代に言われると腹が立つから当人がキッパリ云う。
アジびらや新聞よりは、壁に書いた”落書き”のほうが万倍ましだと思うのは私だけだろうか。

遺言状 43.9.4 AM4:00
お父さん、お母さん、お許し下さい。
僕は 今日 逮捕されるでしょう。
僕はテッテイ的に戦います。死ぬ
かもしれぬ、又、おおケガをするかも
しれません生前の不幸をお許し
下さい。経3斗争
(経済学部壁書き)
安田講堂の格調高い落書きもあるが、私はこれが好きだ。
■2007.04.03 morning 管理人 wrote
>マイベストは、“弦楽三重奏のためのディヴェルティメント変ホ長調
K.563”。中でも、その第一楽章アレグロ。
牧師様のブログを拝見すると「私はモーツァルティアン」と告白されている。
私もモーツァルトは好きだが、取分けての”モーツァルト教徒”というほどではない。
バッハ、ショパン、ベートーヴェン・・・何でも善い雑食派。
そういう訳でクラッシックを続けているのだが、
先月末はモーツァルトだったが、1日はドビュッシーの「レントより遅く」、
今のはチョ〜有名(汗)なグリークの歌劇ペールギュントより「ソルヴェイグの歌」
何方も耳されたことのある曲だと思う。

届いたイースター・カード
礼拝の後は昼食会、お土産にはゆで卵があるという。
私にもシックスティーズの青春がやっと巡って来た(涙。
・・・・・ウ〜ン、少し違うか?
■2007.04.02 morning 管理人 wrote
先日、駐車場に車を置いて職場に向かっていると後ろから声が。
業界の会でよく顔を合わす女性、
何でもこの四月からわたしの職場の入っている建物に異動になるという。
「これから通勤大変ですね」
「これからよろしく」と声を交わし階段で別れた。
システムの不調にず〜っと悩まされている。
此処のところかなり長い期間、私の手間の何分の一かはそれに費やされている。
春の陽気のせいも有るのだが、ついにブチ切れた・・・・・。
導入して3年も経つのに次から次と断続的にバグが発生する。
「テ・メ・エ・ラ〜いい加減にしろ!」
やってしまったのだ。
少し気持ちを静める曲を、
my favorite songs 入れ替えました
■2007.04.01 night 管理人 wrote
"I Only Want To Be With You"
お昼に一度部屋に上がり掲示板をチェック。
午後からは草木の手入れに代わり、予てからの課題の土木工事、
砂利を剥ぎ、ステップ代わりの石を敷き詰める。
漬物石(と言っても分からないか)程の大きさの物から拳程のものまで、
亡き父が、河川の石の採取が禁止されていない頃集めた川石。
高さを揃えつまずかない様に敷く。
一日中、空は今にも泣きそうだった。
■2007.04.01 morning 管理人 wrote
・・・・・そういう事で、Classicが続きます。
my favorite songsは受難節に因んだ一曲。
音楽の薀蓄の方は自信が有るのだが、あちらは不信心で在ったもので、
ただ曲名がレント(受難節)を含むという極めて単純な選択肢。

何時ものように未明から洗濯機をブンブン回していた。
一日中、庭の草木にまみれて過ごしたいため諸事は先に済ます”ライフスタイル”。
何やら雲行きは怪しいが、
今日は人力での”土木工事”
つる薔薇に花芽がたくさん付きはじめました。
|