■2007.12.31 night
管理人
コイツを着るのは一年ぶり。
全国的には余り良いお天気ではないとの事。
初日の出が拝めるのは、ほんの一部の地域だけだと予報。
まあぁ・・・いいか、キャビンで夜明けのコーヒーだ。
1月6日のBS2チャンネルで日めくりタイムトラベルの総集編があります(とある筋から)。
43年(1968年)は日大全共闘を取り上げてくれるということ、
10月に番組を担当したディレクターさんではなく、別のディレクターさんがハサミを入れる(編集する)そうです(とある筋から)。
このディレクターさん、10月の番組見て、
「JUNさんのファンになった」と風の便り。
勿論、凄腕女性ディレクター(と思う)。
きっと、JUNさん”主役”だわ(笑。
明日は三時起き、悔しいから早々と寝ます。
■2007.12.27 night
管理人
病に伏せた友が病床で言い放った、
「オイラの人生、ハチャメチャだったよ」
「ハッハッハッ・・・・・」
人生に未練がないと云えば嘘になるかも知れないが、
明るく笑い飛ばす声に救われる。
考えてみれば、
皆それぞれに夢が有った筈だ、
ちっぽけな私等なりに。
その夢を自分の手で潰して不器用に生きてきた、
誰のせいでもない、自分の手で潰したから、
笑い飛ばせるのかもしれない。
時代を上手に整理し、器用に生きてきた方々には、
オイラ達の気持ちは分かるまい。
今夜はジャニスを目一杯鳴らしてやる。
■2007.12.26 morning
管理人
ピンク・フロイドのサウンドに湿布薬の匂いが車内で交じる。
朝、起きると異様に肩が硬直している。
昨日、職場に持っていくメガネを忘れた。
焦点距離をパソコン専用に合わせて作った特用メガネ、一般には老眼という。
連休の作業と、終日、目をしかめてディスプレイとにらめっこしていた昨日の後遺症がモロに出た。

昨夜の宴席、
「BSの番組観ました?」
一瞬、ギクッッ・・としたが、そうではなかった。
連休の懐メロフォーク・ロックBS番組の話題。
「やってたんでしょう、バンドを・・・・」
あの手の番組は、団塊オヤジが欠かさず観ているという前提で話しかけてくる。
団塊は皆が皆、長髪で、バンドをやってたという前提で話題を振ってくる。
確かに長髪だったが、オイラはゲバが忙しくて、とは云えないし、
Fコードが上手く握れなくて諦めたとも云えなかった。
盛り上がった頃、新しい携帯にメールが着信。
「迎えに行きましょうか?」
珍しく、妻の迎えで帰宅。
妻の一回の迎えは、以後の数倍のノルマとなる。
これが我が家の等式。
■2007.12.25 morning
管理人
息子からの予期せぬクリスマスプレゼントで妻と二人ウルウルだったが、
当の長男はあれから再び所在不明、どこへ行ったやら。
朝起きると、塀に飾ったイルミネーションが点いたまま、
「クリスマスだから、夜通し通りを照らしていたの」

朝から晩までパソコンは点きっぱなし、
プリンターはギィーギィーと働き通しで、インクカートリッジ2色を使い切った。
自宅での作業所要時間400分は、私の生活リズムではほぼ二日掛かる、
上意のDVD50枚の複製とラベル印刷、
連休はほぼこの作業に投入されたのだ(泣。
■2007.12.22 night
管理人
「今?・・・、阪神高速のうえ」
2〜3日前、しばらく長男坊の気配が無いので電話を入れてみた。
京阪神に営業で出張っているとの事。
今夜、ほぼ一週間ぶりにご帰還。
テーブルに大きな手提げ袋をポンと置く。
「お土産?」
赤い包装紙と、青い包装紙の箱が二つ、綺麗なリボンが掛けてある。
「父さんと母さんにクリスマスプレゼント」
そう云うと2階に上がって行った。
想定外の事態に、妻と二人しばし固まってしまった。
続いて・・・・、
オヤジの涙腺が緩んだのは云うまでもない。
■2007.12.21 night
管理人
初めてパクられたのはハタチの誕生日からほんの10日程だった。
意気は盛んで十分、2泊3日完黙を通した。
年齢をゲロした憶えは無いのに、地裁から署に帰って私物を戻してもらうときポリに言われた。
「良かったな、お前ハタチで」
「も少し早ければ、少年鑑別所行きだったぞ」
脅しかどうか定かでないが、
周りの後輩で鑑別所に送られたという話は聞いたことがないので、
多分・・・・、脅しだったのだろう。
「ハタチになれば一人で歩く・・・・」、
「ジュウクのうちに・・・・」
BGMを聴いていて、ジュウクとハタチの真ん中を思い出した。
■2007.12.21 morning
管理人
上意によりDVDの複製にせっせと励んでいる。
最近はこれで二度目。
一度目は経闘委の大先輩からの要請、
今回はローザ姉御。
「50枚ほど・・・・・、できれば100枚あれば・・・・」
つぅ・・・・たって、
「DVDの費用は出しますので」
でも、ラベル印刷もできればとの所望。
”格上”の姉御からの要請だから断れない。
更に追い討ちを掛けて、メールが入ってきた、
「前半40分をカットして、30分に縮める編集を」
編集って云われても・・・・・。
DVDレコーダーのHDDにある映像なら、容易に編集はできるが、ロムの映像の編集などしたことはない。
思いつかないから、ロムからMPEG2ファイルを取り出し、ソフトでカット編集。
これに2時間費やした。
このMPEG2ファイルを単純にロムに焼き付けても、家庭用のDVDプレヤーでは再生してくれない。
ハタと困って、思いついたのがハンディカムのDVD作成機能。
ハンディカムの映像保存ホルダーに無理やりMPEG2ファイルをコピペし作成実行。
出来上り試聴してみるがどうも変、映像に音声がコンマ何秒か遅れている。
工程に複数のソフトを使うと出る症状だと聞いたことがあるが、
映像が”芸術作品”の類ではないので、その辺は許してもらうことに。
こやって複製の元版がやっと出来上がった。
「え・・・と、30分なので約8分」
「50枚だと400分、100枚だと800分・・・・」
私のDVDドライブは4倍速なのだ。
所要時間を電卓で計算して、目の前がクラクラしてきた。
■2007.12.19 morning
管理人
私は本読みでないので、ネットの世界の範囲だが、
全共闘のその後を評論したり批評したりしているものに興味がありよく読む。
企業戦士やモーレツ社員、体制側といったネガチーブな非難が多いことに気付く。
根拠は無いが、難関な国公立大や有名私大を出た方々を想定しているように思う。
色々辿っていてネットの世界では、ポン大と言われた日大全共闘のその後を綴ったものが無いことに気付いた。
全共闘運動をやっていて、企業のトップや重役、役所の重責、法曹界で名を成している方々は、確かにやっかむ対象であるのだろうが、
そう成り様もない、そう成れなかった私らのその後は、評論や批評、非難にも値しないのだろうか。
私らは成ろうと思って全共闘になった訳ではない、
今日から全共闘を止めようと思って止めた訳でもない。
その後、思いを曲げないと生きられないような、人に妬まれる恵みを授かった覚えもない。
あの時の全共闘の思いを胸に秘めたまま、ず〜っと暮らしてきた。
「落とし前」と言われて、足りない頭で結構真面目に考えている。
私の場合の落とし前とは、私の人生そのものだ。
自己満足だといわれればそれまでだが、
さて、メッセージとアクションを出そうと言われると、
さあ、困った。
■2007.12.18 night
管理人
私の携帯電話も換えたので、妻と私、仕事用と三台が新型の同一機種となった。
同じで訳がわからなくなるのでカラーは3色、着信音もそれぞれ別に設定。
画面の絵の付いたキィーを押して電話をすると、そのままテレビ電話が出来る。
カメラを付けて、スカイプで通話すると同じ。
スカイプは何時間、誰と話しても無料だが、
こちとらの電話会社のサービスは、付加料金が加算されるセコイ仕掛け、
請求書を見てアッと驚くと聞いた。
やっぱ、セコイ!
好奇心が強いので、一回位はものは試しとテレビ電話。
「貴方、止めてください・・・・・」
笑い転げている妻が写し出された、
画面の隅っこ、モニターには送信している私の顔も、
夫婦だから今更いいのだが、お互い、情けない顔と云うほかない。
結論は、
アット驚く料金以前に、
クタビレ親爺の映像は電波に乗せる代物でないと自覚。
もし掛けられる方がいらっしゃるなら、音声電話かメールで事前の通告を。
赤ヘルに顔面タオルで受けさせていただきます。
■2007.12.16 morning
管理人
「回顧でなく、落とし前を付けよう」
こういわれても、私は根が単純だから、
健さんが抜き身もって乗り込む場面か、
腹に爆弾巻いて突入する情景しか浮かんでこない(笑。
次男坊の誕生月は師走
かつて、こんなやり方も有ったんだと、
許されなくても、こんなんもアリだと、
そう思って、天に向かって声を上げてきたのだが、
世間様を騒がせた”落とし前”って何だろう。
■2007.12.15 night
管理人
斬られ与三郎の額が、包帯・絆創膏からカットバンに。
人に聞かれると、
「イヤ〜、カミさんと一戦交えてね!」
ホントは、何も貼らず傷口を乾燥さすのが良いと思うのだが、
ムズムズしてつい手が行く。
一週間の進化だ。
かつて、”青服”さんに前歯をへし折られた19の夏、
お金が無かったので、お笑い系の間抜け面が長く続いた。
そこで考えたのが、欠けた前歯に間にタバコを挟む術。
喋っていても、タバコは常に口にある訳だ。
名誉の負傷と相まって、バリケードでは受けた。
額のお陰で、年末を控えて床屋へ行くのが延びている。
洗髪もままならない。
伸びた薄毛はまめに洗髪しないと、ますますハゲが目立ち物悲しい。
今夜はカットバンを三重に貼る。
洗髪を決行しフワフワの髪にするのだ。
「私たちのかけがえのない体験と蓄積を後の世界に還元することで、かつて世の中を騒がせたことに、落とし前をつけ、ささやかな恩返しをすること」
”落とし前”という下りは日大全共闘の感性で専売特許と思っていたのだが、
思わぬ方からこの言葉を頂いた。
インテリでもこんな”啖呵”を使うんだと驚いた。
でも「異議な〜し」
ラッパの大将さんと一緒で、ローカルに在住。
首都圏にいないと出来ないことがママあり悔しい。
でも、託せる仲間が沢山いるから、
そう云って自分に言い聞かせている。
BGMは初々しいころのjyunkoちゃんです。
■2007.12.13 night
管理人
今日、嬉しいメールを頂きました、
ありがとうございました。
BGMは私の大好きな Little Peggy March
YouTubeからの取り出しです。
音程がズレまわるのは電蓄のせい?
愛嬌で聴こうね
■2007.12.11 night
管理人
手に血がべっとり付いてきた。
眼鏡は吹っ飛び、余りの痛さにしゃがみこむ。
車のリア・ハッチバックドアに気づかず額が激突。
ギックリ、大風邪に続く三度目の災難。
額は斬られ与三郎になってしまった。
仲間のサイトの呟きが気になる。
そういう云われ方をされて、私は仲間のように心穏やかではいられない。
そりゃ〜私らは唯の一兵卒でしたよ、
皆、同じじゃなかったの?
それが”日大全共闘”じゃなかったの?
ハッハッハッ・・・と笑って飛ばすほど私は人格者ではない。
真面目に仕事を終えて、ビール一杯入って、
凡人の私は、額をさすりながら無性に悲しい。
■2007.12.09 morning
管理人
来年2008年は、1968年からいって40年目の年になる。
日大闘争で言えば、
40年目の6.11、
40年目の9.4、
40年目の9.30、
40年目の11.7、
40年目の11.22、
これを云っていればきりがない(笑。
「2018年、50周年を節目にもう一度多くの仲間が集えるかな?」
「50周年じゃ〜まず無理だろうな」
こんなやり取りが、先だっての「日大930の会」同窓会総会に出席した仲間の一部から出た。
これから11年先じゃ、私も生きてるか・・・?、
生きてても、元気で馳せ参じれるか自信がない。
「そうだな、メモリアル・イベントは来年の40周年だな」
話に加わった有志の皆が納得した訳だ。
その時、有志の誰とはなく言い出した事がある。
「日大だけでなく、もっと輪を広げたいな」
「あそこと一緒に出来たなら」
「日大全共闘の熱心な呼びかけなら、きっと応じてくれるのでは」
平均60歳のオッサン連の夢は拡がっている。
皆さん、昨日はご苦労様でした!
■2007.12.07 night
管理人
長時間、高速バスに乗りつづけヘロヘロになっています。
おまけに風邪気味。
ギックリに続き、ここのところ体調不良が続いています。
BGMは、YouTubeから落とし、画像と音を分離したものです。
余り良い音では有りませんが。
JUNさんから習ったオタクのテクです。
皆さん、明日は頑張ってください!
■2007.12.06 night
管理人
お詫びです。
今日、午後5時過ぎに「930の会」に参加希望のメールを下さった、元・経済学部の仲間の方へ。
職場から「930の会」へメールの転送を掛けて退社したのですが、誤ってHTMLメールで送信して、撥ね付けられていました。
「930の会」はテキストメールしか受け付けない事をうっかり失念していました。
自宅に戻って気が付いた次第です。
明朝より出張のため、貴方の宛先が来週月曜まで分からない羽目になってしまいました。
来週まで返事が出せなくなりました。
返事が遅れる失礼をお許しください。
「930の会」は、かつて一緒に闘った仲間なら、何もバリアーはありません。
「930の会」に集えば、40年前の貴方と私です。
月曜日には必ず返事を差し上げますので。
(もし、よければ、もう一度ご連絡ください)
■2007.12.05 night
管理人
まっ更の新しい業務用の携帯が届いた、妻のそれと同一機種。
妻のが白なので、間違わないように黒をチョイス。
電話会社への登録費用が一台で2千円なにがし掛かるというのは聞いていなかったが、それ以外は費用ゼロ。
不思議なものだ、仕事の道具ということならマニュアルを読むのが苦痛でない。
「フムフム・・、オオッッ・・・、ナニ!、ミュージックプレヤーの機能が」
この項目だけは殊更まめに精読した。
「そうか、iTunesと同じと思えば簡単だ」
先日、SD-Jukeboxをパソコンにインストール。
これが手こずった、こいつ素直にインストールを実行してくれないのだ。
マイ・コンピューターからホルダーを開き、強引にexeファイルをダブルクロック。
手こずる奴は一発ぶん殴る手法は、昔の杵柄だ。
ここまで進んだが、この後の工程を更に進む”道具”が無いのでその日はそこで一旦中断。
パソコンと携帯をつなく専用のUSBコード、メモリーカード、それにイヤホーン。
「それなら、コード単体よりソフト付きのものがお安いですよ!」
店員さんが親切に教えてくださる。
世の中不思議なものだ、コード単体が1680円也でぶら下がっている、
携帯管理ソフトにコードがパッケージされたものが1470円でぶら下がっている。
当然ソフト付を買い求めた。
携帯の端子に合うイヤホーンは1280円也の白色。
「今の携帯は128MBのメモリーだけど・・・、256MB位は欲しいな」
棚を眺めていると、以前買った128MBの値段程で1ギガの物がぶら下がっている
1cm四方にも満たないものが1ギガ、隣には2ギガも並んでいる。
小父さんはただただあっけに取られる。
「よっしゃ〜、それなら2ギガだ」
携帯の音楽ファイル形式AAC(MPEG2)だと、CD1枚で約30MB程の容量になった。
単純計算で行くと、2ギガでCD60枚程録音できる。
「エ〜ト、あのアルバムは外せないし、あれもこれも・・・・」
こうやって、同機種の妻の携帯をミュージックプレヤーに変身させた。
私の業務用ではない、どこかの役所のように公私混同はしないのだ。
クゥゥ・・・、これでやっと私のi-podが取り返せる(涙。
しかし、
色々考え、手当てをしていたが、
一つ致命的な事が抜かっているのに気がついた。
音楽プレヤーとして酷使すると、直ぐにバッテリーが上がるのだ。
電源対策が今後の最重要課題なのだ。
■2007.12.02 morning
管理人
「見ましたよ」
「何を・・・・?」
隣の席に会釈して座ると声を掛けられた。
小春日和の屋外のテント、
会館ではなく自宅で執り行う葬儀への参列は久しぶりだ。
知人の父上の葬儀。
焼香を済ませ参列者の席に目をやると見覚えのある顔が。
地元国立大学のかつての”※全闘委”の方。(※全学闘争委員会)
私らの全共闘よりほぼ2年遅れで闘争を組んでいる、
数少ない”残党”で、わたしより数歳年下だ。
闘争後、会社勤めは選ばず、数人で零細な共同購入会を始めたと聞いている。
20年ぐらい前に、その活動の延長線上で、全国の共同購入会や生活協同組合に地元の無農薬や有機栽培の農産物を供給する団体を自ら設立したらしい。
私の地元はローカル、農産物の供給県でもある。
今は結構な規模の事業になり、その代表者を勤めている。
そんな生き様に、私は好感を持っている。
「あんなBS2のマイナーな番組、よく見ましたね」
「『見たよ』と声を掛けられたのは、貴方でやっと3人目ですが」(笑。
「私だけでなく、全闘委の他の連中も見てるはずですよ、話題になりましたから」
うれしい言葉が続いた。
「ところでBS-hiは見ましたか?」
「そんなの有ったんですか?」
「よければ、DVDを貸しましょうか」
「うれしいな、今度借りに行きますから!」
葬儀の席、ニコニコ笑って話す訳にもいかず、くそ真面目な顔、抑揚を抑えた声。
こんなやりとりで旧交を温めることになった。
■2007.12.01 morning
管理人
日大全共闘として発刊した書籍が幾つかある。
その元祖は文理学部闘争委員会書記局発行の「叛逆のバリケード」だろう。
発刊は1968年10月20日、まさに闘争の渦中に発刊されている。
その発刊日付からして、そこに綴られているいるものは1968年の春から夏の時期、つまり日大闘争の勃発から夏休みまでのものが主になる。
無知で無関心だった学生が、初々しく闘争の渦中に入り込んでいく様が飾らず、たどたどしく綴られている。
「私はね、日大闘争の文献で、読んで一番面白いのはこの時期のものだと思う」
「文章やボキャは平易だし、何よりも素の自分を飾らなく、素直に書いている」
先日、この編集・発刊を実質的に担った文闘委の先輩からこう聞いた。
私もそうだと思う。
これ以降の発刊物には、いわゆる”アジテーション”が至る所にはいってくる。
このホームページを作ったとき、この本の中の”手記”部分をホームページに上げようと目論んだ。
その前に、一様前述の先輩に相談した。
「販売権が出版社にあるから、それはチト・・・・・・」
先輩の返事が濁った。
止む無く、その時点では自主規制。

先日、その販売権を持つ出版社の社長と編集者にお会いする機会に恵まれた。
もちろん、その文闘委の先輩も同席。
「アメリカでは、書籍のダイジェストや一部分をWEBに公開することで、結果的に販売の促進になっているそうですよ」
私は業界のプロフェッショナルを相手に、恐る恐る、俄かかじりのWEB2.0の理屈と、グーグルの考え方を話した。
「日本でも、すでに音楽業界はそれを実践していますし」
要は、叛バリの”手記”の幾つかをホームページで公開させて欲しいと、販売権を持つ出版社の社長にせがんだのだ。
「そうですね、今後のこともあるので、ごく部分的ならそういう手法も・・・・」
「貴方のホームページで、今後この企画をバックアップして欲しいですので」
苦笑いをしながら出版社の社長様は返事を下さった。
この経緯は、文闘委の先輩も確認している。
ごく一部というのを、どう解釈するかは詰めていないが。
取りあえず承諾を得たとして、
今後は私なりの節操を持って解釈をしようと思う。
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