■2008.01.28 noon
管理人 理工学部・機械科闘争委員会、二闘の行動隊長。 「悪魔(モルヒネ)がささやいているけど・・」 そう云って、最後まで生きようとし
二日前まで、投与を拒んだそうです。 
「生きてて良かった、皆に来てもらって幸せだった」 「葬儀はしないで欲しい」 「骨は屋久島の海にまいて欲しい・・・・」
親族から伝えられた遺言です。 昨日6時、宮澤くんが亡くなりました。
かつて、桃井で一緒に暮らした家族として、会長さん共々、 宮澤君に寄せられた多くの仲間の御厚情に、厚く厚く心よりお礼を申し上げます。
■2008.01.28 morning 管理人 朝起きると、頭が鉛のように重い。
起き出してからもコタツに伏せ込んでいた。 仕事を休もうかとスケジュール表を認めるが、欠かせないアポが幾つか。 妻が起きてきて、 「貴方、大丈夫?」
「・・・・・・・・、」
庭のみかんを収穫、手が届く範囲だけだが 仲間のサイトに”出版業界”から取材の要請が入っている。
最初の”さわり”で、相手は致命的なミスを犯している。 取材要請文に「秋田明大」を「秋田明広」と綴ってきやがった。 何度も云うが、これは出版業界としては致命的なミスだ。 私を含め、仲間の有志は”露出”を拒んではいない。
もう既に露出もしている。 露出することで、伝えることが出来ればと老醜を晒している。 その障壁をさておいて・・・・・、 許せる事と、許せないことが有る。
三回云うが、「明広」は致命的なミスだ。 「テメエラ、業界だろうが」 「人にもの頼むとき、間違っていい事と、いけない事ぐらい分かるだろう」
「キーボード少し叩けば、日大全共闘議長は”秋田明大”って幾らでも出てくるだろう」 「シロウトさんじゃないだろう」 その昔、経済の仲間が運動部の先輩に動員されたという。
「経済学部に明治大学の全学連が潜入しているから排除する」 結果的に明大の全学連なんかは何処にも居なかった。 自治会、秋田執行部のことだったらしい(笑。
このおバカな間違いは、”純情”なポン大生だから許せる。 それでも、大勢の流れは取材協力で動いているが、 このミスを発端に、仲間内では取材の是非について一部に議論が起きている(笑。
誤解されたらいけないので断っておくが、 これは、露出の是非についてではなく、取材する側の”姿勢”について信頼を問う議論である 。
■2008.01.27 morning
管理人 越冬で鉢植えを室内に取り込む際に、アメリカン・ブルーも試しに室内に。 寒風で殆ど枯れかけていたが、少しずつ緑色が蘇ってきた。
ふと気が付くと、僅かだが花をつけている。 さすがに目に染むようなブルーではなく、淡い色。 冬の間は、アメリカン・ブルーではなくアジアン・ブルーと名付けておこう(笑。
 
藪さんの影響で、ピンク・フロイドの”オタク”に、 年末からレンタルしてきたアルバムが13枚目に。 通勤・ドライフのBGMは勿論、休みの日はじっくり聴きこんでいる。
”クレイジー・ダイヤモンド”なんか、もう最高。 「貴方、これ・・・ 何?」 妻がレンタルショップのレシートをみていぶかっている。
「狂気」、「欝」、「おせっかい」、「対」、「啓示」・・・・・・、 アルバムの日本語表題なのだが、 レコード会社も、力一杯日本語に意訳したのだろう。 昨夕、携帯電話が鳴った。
新宿で道に迷ったらしい。 「新宿御苑の方に真っ直ぐ進んで、大木土門を曲がって・・・」 遥か離れたド田舎から新宿の道案内をする羽目に。
akikoさんの天然ボケに心が温まる。
■2008.01.26 morning
管理人 「まめに来ている人も、最近音沙汰ない人も、何方も来ませんか」 年末にサロンの新年会へのご案内を頂いた、私は後者だが(汗。
正月休み、メタボ予防の約二時間の徒歩で、金曜サロンの新年会に顔を出した。 お顔は知ってるが、親しく話したことの無い方の隣に座った。 それぞれ濃い面子、酒も入れば武勇伝も出る。
対面に座ったMさん、'70年前後は既に社会人、ご当地のメインストリートをデモってパクられた履歴をお持ち。 パクられただけでは武勇伝には成らないが、社会人をして当時の逮捕一号という名誉がある。
「学生は何をしていたのだ!」、と私は云いたいのだが。 そのデモの様子や、留置所での話に熱が入っていた。 「私も2〜3ケ月お世話になりました、ヨン・ニッパーで」
隣の方が突然話に入ってきた。 この方、国際的人権団体の当地の支部で活動されており、随分以前に講演会でご一緒しただけ。 「こいつ、○共じゃないかな?」
何となくそんな風に思っていた。 「ヨン・ニッパーと云いますと、東京で?」 「そうです、上京組みで」 「どこから上京したのですか?」
「広島大からです」 「広大、ひょっとして○中さん?」 話は思わぬ展開に入った。 あちら側と思い込んでいた方が、突然こちら側に回ってきたのだから。
「うちは”それ”以外なかったので、とりあえず”その”尻尾についていったのですが、とりあえず”それ”ではありません」 「そうですか・・・・、とりあえず”それ”ではないけど、”それ”なんですよね・・・・」
その話を聞いた途端、溢れんばかりの親愛の情が沸いてきた(笑。 「初めてですよ、このサロンやってて同い歳の当時の仲間にお会いするのは」 頂いた名刺の肩書きは「コデアルテコを支援する会」、裏にはこう記してあった
「コデアルテコ(codearteco)」とは 中米グアテマラの西部高原地域キチェ県にある小都市・コツァルの戦争未亡人等30名で作った民芸織物製品の製作販売プロジェクトで、Comite
Desarrllo Artesanal Cotzalenzeの略。 コツァルは1960年から96年まで36年続いたグアテマラ内戦中最も弾圧の激しかった地域の一つで、その被害者も多く、特に、未亡人や子供の生活は今も困窮を極めている。女性たちが身に付けている唯一の技術が織物である。
 一月程の現地滞在で7〜10万円位の費用、支援のため年に何度もコツァルに出向いているという。
この方も、まだまだへたっていない。 私も名刺代わりに、後日、あの2作品のDVDを送ったのは云うまでも無い(笑。
■2008.01.25 morning
管理人 昨日綴った経闘委四闘のGさん、 初めての出会いは、2000年6月の全共闘世代2000年紀集会の夜の部。 この数年後、日大930の会での再会から楽しいお付き合いとなる。
最も二闘にとっては、四闘は神様のような存在、 これが厳しい掟なのだ。 G先輩とは日めくりタイムトラベルの収録から、その後の打ち上げで楽しい時間を共にした。
「俺はな、早稲田の文学部に合格していたのだけれど・・・」 「親が、家業に文学部なんぞいらねえ、」 「でもな、早稲田ももったいなくて入学手続き、一時は二重学籍だったんだ、ハッハッハッ・・」
今の偏差値社会では考えられないような無茶苦茶な話。 伝説の経済・社研、前列にG先輩と秋田さん(BS2キャプチャー)
先輩の、石橋湛山への入れ込みようは半端ではない、 日めくりタイムトラベルのスタジオ収録、収録も終盤に差し掛かった頃、
先輩はパッと挙手し、持論を述べだした。 「ヤベエな・・・、湛山の話が始まるぞ」 隣にいた私は冷や汗が滲んできた。 「現役の日大生諸君、石橋湛山を知ってるか?」 周りの話の流れ、雰囲気は我関せず、先輩の話がトウトウトと続く。
ヤバイと思い、裾を引っ張り、静止しようとした矢先、 松本アナウンサーの手が上がり、話に割って入り半ば強引に静止した。 さすがはプロのアナウンサー。 当然だが・・・・、
後日、放映は其の部分は見事に全部カットされていた。 「俺は確信犯でやったんだけどな〜」 「松本アナが一枚上手、仕切られて仕舞ったわ、ハッハッハッ・・」
(注、先輩の発言は全て要約です、文責・管理人)
■2008.01.24 morning
管理人 「ネコといっしょにくらすには」 私がネコを飼う決心をしたのではない。 JUNさんが親切に贈ってくださった。
子猫達はあれから姿を見かけない、内心ホットしているのが正直なところ。 しかしだ・・・、 この本を読むと、更にネコを飼うのをためらう様になったのだが(笑。
蒸し返す話だが・・・・、 2000年の5月だったか、全国紙で「全共闘世代2000年紀集会」という小さな告知記事を目ざとく見つけた。 九州の仲間に連絡すると、彼も見たという。
全共闘と唄っているから、我が日大も有力メンバーで関わっているだろうとの結論になった。 「で・・・・、行くべえか?」 「そうだな、久し振りだから行くべえ!」
気心の知れた仲間、電話一本で即決・決行となった。 「もしもし、其処に座り込んではだめです、ここは通路ですので移動してください」
30数年前の馬力は残っていなかったので、姑息に少し移動して、見えないところで又座り込んだ 前日まで仕事が押していたので、生まれて初めての高速夜行バス。
新宿西口に朝の6時着、三列シートで快適と唄われていたが、着いた時には体はバラバラ。 私にとっては”広場”の新宿西口地下にしばし座り込んだ訳だ。 仲間と、期待を膨らませて会場に向かった。
「誰が来てるかな」 「委員長は来てるかな」 「日大なら100名は下らないだろう、理闘委同窓会でも100名以上くるもんな」 駅から同方向に向かう人達が、皆仲間に見えてきた。 会場は閑散としていた。
少し早かったので受付にも人気がない。 「其のうち集まってくるだろ」 館内の喫茶店で時間待ちをすることに。 通りにタクシーが止まり、リネンのスーツをラフに羽織った方が喫茶店に入ってきた。
近くに居た中年の女性のグループが黄色い声を上げた、 「筑紫哲也さ〜ん、サインしてください」 少し置いて草臥れた身なり方が、何処かで見た方だが分からない。
後で分かったが、立松和平さん。 役者は続々揃ってくるが、肝心の全共闘が・・・・・・・、 会場は殆ど空席、 この時点でもまだ楽観していた、「其のうち、それなりに集まって来るだろ」 司会が開会の挨拶をするが、会場内は殆ど空席。
それにもまして日大勢が見当たらない。 「こりゃ〜来るとこ、間違ったな!」 そう思ったのだが、後の祭りだった。 そうは云っても仲間は九州から馳せ参じている。
「折角だから、夜の懇親会に顔を出して日大勢を探すか」 仲間がせがむので、立松和平や鳩山由紀夫との2ショットの写真を撮ってやっていると、会場中央でエライ元気な大声を上げている方が居た。
この集会でやっと初めて会った日大全共闘のGさん、 経闘委四闘で、秋田執行部の中執メンバーだった秋田さんの盟友。 今は”石橋湛山”を奉ずると云えば、何方もお分かりだろう。 もう一人、懇親会の隅っこで、一人淡々と飲んでいる日大勢も発見。
淡水会というHNで時折BBSに登場する、農闘委一闘のSさん。 結局、この”全国集会”での仲間探しは2名に終わった。 このお二人とは、数年後の「日大930の会」で再会することになる。 集会関係者のHPには”大成功”と書いてある、
実際、そこに馳せ参じた私と九州の仲間は、 「そうでしたか、大成功でしたか・・・・」 「色々、主催者は大変だったろうなぁ・・・・」 率直な感想です。
■2008.01.23 night
管理人 黒い実の生る樹、名前は失念した。 赤い花はさざんか、 黄色い果実は八朔、 ポットで育つクリスマス・ローズの一年苗。
   
物は試しと、 無骨なデザインの、ニコンのコンパクト・デジカメで庭の草木を撮ってみた。 クリスマス・ローズは花芽が覗きはじめている。
もうすぐ、一気に咲き始める。 世の中、色々と騒がしいが、 我が家の庭は平穏だ。
■2008.01.21 night
管理人 「Sくん、めげてないかしら?」 「大丈夫だよ、仕方ない事だから」 「オイラも連絡とってフォローしとくから」
「御免ね、折角来てくれたのに」 電話でお互いにフォローし合うやりとりが続いた。 はるばる九州から出向いたS君が、面会を謝絶されたらしいとの一報が先週末に入っていた。
本人か看護士の判断かは定かでないが、 Mくんは四十度前後の高熱が続いた直後、容態が悪かったらしい。 病室のドアの前で引き返さなければいけなかったS君。
見舞われる方も、見舞う方も、辛い気持ちの展開だったに違いない。 理闘委救対だったKさんから夕方電話が入った。 両者に気遣うKさん、
オイラ達は40年経っても救対の世話になっている訳だ。
■2008.01.21 morning
管理人 CDプレヤーが思わく安く手に入ったので、予算が少し余った。 デジカメが壊れて、長らく携帯電話のカメラで済ましていたので、
この際と思ったが、憎っくきニコンの一眼デジには一桁予算が及ばない。 価格ドットCOMでニコンを見ていたら、手持ちの予算で足る奴が目に付いた。
レンズ交換が出来ないだけで、機能・操作は基本的には一眼デジとほぼ同じとの説明。 コンパクトデジカメの人気No3にも入っている。 当面は取り合えずこれでと決めて、2GBのカードセットで注文のボタンを押した。
今後のニコン一眼デジの練習になるのでは、とも思った訳だ・・・負け惜しみだが(泣。 昨日、そいつが届いた。 
自動露出モード以外に4つの露出モードがあると取説に書いてある プログラムオート、シャッター優先、絞り優先、マニュアル露出。 シャッタースピードは8秒まである。
個人的には、オヤジ向けの無骨なデザインも気に入った お月様が撮れそうだ。
■2008.01.20 night
管理人 友に電話を入れた。 「今、何処?」 「紀州」 寒くなったら南に移動すると言ってた。 2〜3日して電話を入れると、
「今、玄界灘」 「これから九州を南下する」 暖かくなるまで南に居るそうだ。 30数年前、後席にフトンを敷いたコロナのバンでフラリと我が家を訪れた。
そこそこの家財道具を積んでいた。 我が家に一週間程滞在して、また何処となく流れていった。 彼の生き方は30数年経っても変わっていない。 「気が向いたら其のうち、ここにもフラリと来るよ」
「30数年前と同じようにね」 電話を切って、妻に伝えた。 バリケードを出てから、帰るところを見失ったのだろうか、 そう想うのは、私の想い過ぎだろうか。
■2008.01.20 morning
管理人 障子戸を開けると、ガラス戸越しに目が合った。 飛び逃げる様子もない。 そ〜っと障子を閉め、デジカメを持ってきた。
ストロボをオフにして、ガラス戸越しにカシャリ。 
昨日、黒い方が我が家の駐車場から出てきて、通りを渡るのを目にした。 やはり、怯える様子もなく、のんびりと通りを渡っていく。 子猫だから、余り虐められてないのだろうか。
それに野良なのに、肉付きも良い。 私、「きっと、誰かが餌をやっているんだ」 妻、「それって・・・・」 妻、「でも、良かった・・・」
以前に言っていた事と違う妻の反応だが、素直な感情だろう。
■2008.01.19 morning
管理人 オーディオを聴き比べるにはシンフォニーが一番。 低い音から高い音、ささやくような音量からどよめくような音量、 このギャップが大きい音楽ほど、機器の性能が分かり易い。
アーノンクールのモーツアルト40番をチョイス、'83年デジタル録音盤。 妻、「ウ〜ン、余り差は無いけど・・・」 私、「中低音がふくよかで、ホールの響きが伝わってくるよ・・・・」
私、「それと、聴いてて疲れないな」 今のと価格差が数十倍のCDプレヤーが木曜日に届いた。 今週の月曜にネットショップに注文を入れ、中2日挟んで3日目に届いた訳だ。
安い!、早い!、取り合えず上出来、これに安心が加われば完璧なのだが。 取り合えず、次からはネットショップが私のチョイスに加わった。 一年程前、使っていたCDプレヤーがプツンと途切れた。
音楽CDがレコードに取って代わり始めた頃に買った随分昔の物。 清水の舞台から飛び降りる心境で、大枚はたいて買った当時のハイエンド機。 困って思いついたのが、レンタルショップで4980円也で買っていたDVDプレヤー。
取説を見ればCD再生も出来ると書いている、 聴いてみれば情けないことにそれほど差はない、一年ほどご厄介になっていたわけだ。 だから、価格差数十倍というのは誇張ではない。 私が良いと思って満足すればそれで十分なのだが・・・・、
価格差数十倍なのだから、もう少し強烈なインパクトがあって欲しいのだが。 オーディオでも何でも、官能世界は分からない方には分からないのだ、 だから、妻の感想は無視する(泣。
■2008.01.16 night
管理人 一昨日から、近場だが泊まりの出張に出掛けていた。 業務用のパソコンの設定変更作業を4ケ所で。 順調にいけば短時間で済むが、手こずると1ケ所で半日ほどかかる。
門前小僧で中途半端なオタクの延長だが、上手に煽てられて職場のパソコン関係を一手に引き受けている。 マニュアル通りに運ばなければ、サポートとやり取りする。
携帯電話は予備の単三バッテリーチャージャーを持参、装備は完璧。 やり取りしていると相手のサポート担当も分かるのだろう、こちらが”団塊”のオッサンということが、
そこでよく突っ込まれるのが、 「御社のサーバーの管理者はどなたですか」 それきたとばかり答える、 「(悪いけど)私ですが・・・・・」
 ここだけの話だが、
以前トラブって、かつて公社だった電話会社のサポート技術者に何度かお出ましを頂いたことがある。 問題を解決できず担当者が次々入れ替わる。 担当者の殆どは私と同じ団塊世代、付け焼刃でWEB技術を習得しているのが良く分かる。
リストラ逃れの研修を受けらされたのだろうか、 密かにこう思った、「これならオタクのオイラの方がまだマシだわ」 泊まった宿は全室インターネット対応。
ネットをつないでみたが、ホームページサーバーへのアクセスがブロックされる。 FTPソフトでのホームページが更新できないのだ。 ツールは**ンテックのセキュリティシステム、我が職場で採用しているものと同種だった。
このシステムは外部からには完璧だが、内部からは意外と・・・・なのだ。 ホテルのルーターに入り込んでみた。 ブロックの外し方(設定変更)は知っているが、これをやると”器物破損”になるというのが私の理解。
昔、その行状は十分やり切ったので、昨夜はHPの更新を諦めた。 BGMは先月からのシリーズ、
還暦が”侘び”と”寂び”でなければならない事は無いだろう。 曲は、球威は別として、直球、ど真ん中、ストライク。 ジュウロクの頃を思い出そう。
■2008.01.15 morning
管理人 土岐さんの「デジタル家電購入奮闘記」を読んで、私も価格ドットCOMを覗いた。 ネットでのショッピングはCDか書籍の範囲、家電や高額商品の購入は経験がない。
実は、還暦祝いのご祝儀が手元にある。 「折角だから、記念に残るものを買ったら」 妻のアドバイスも踏まえて、有り難い頂戴物、堅実な買い物を目指した訳だ。
しかし・・・、それにしても・・・、これほどの価格差が有るとは。 土岐さんの指摘どおり。 桁が違うハイエンド機の購入を目論んでいるのではない、庶民のささやかな楽しみのレベル。
それでも贅沢品のオーディオ製品、リアルなショップではそれなりの掛け値、値入をしているのだろう。 買い物籠に商品を放り込むのにそう時間は掛からなかった。 しかし・・・、
団塊の特徴だろうか、それとも私の性根だろうか。 最低価格のショップは外した、 最低価格から3番目のショップをチョイス、 気持ちとして、
「一番!」とか、「最も!」とかいうのは、染付いた抵抗があるのだ。
■2008.01.14 morning
管理人 窓ガラス越しにそ〜っと撮った。 昨年末から、我が家の庭を運動場代わりにじゃれ合っていた。 その時は三匹だったのだが、眠っているのは二匹。
少しやせた灰色が今日は見えない。 「貴方、絶対餌をやってはダメよ!」 きつくきつく仰せつかっていたのだが、 禁を破って、一度だけ年末に残飯をスチロール皿に入れて通りの影に置いた。
30分程たって見に行くと、皿にはキレイに何も残っていなかった。 人気の無い昼間、我が家のベランダに日光浴に来ているのだろう。 
「気持ちよさそうに寝ているぞ、そ〜っと見てごらん」 「私はダメです、見ると可哀想になるから」 「貴方、いいですね、餌をやると言うことは”責任を持たねばいけない”ということですよ!」
世間の厳しい”ルール”を改めて、きつく仰せつかった。 可哀想だが、我が家には動物を飼うという習慣がない。 小さい子供でもいれば、それをせがむかも知れないが。
犬ならまだしも、子猫三匹は・・・・・。 寝ていながらも警戒しているのだろうか、小さな耳が時折ピリピクリと動いている。 そ〜っと障子戸を閉めた。
■2008.01.11 morning
管理人 我がローカルにもやっと光が入ってくる。 都会と違って、待っていても光サービスが勝手に入ってくるような恵まれた地域ではない、
地元自治体が誘致に奔走してくださったらしい。 昨夜、その”住民説明会”があった。 テキストにまとめた質問事項を持参し、開会30分前に出向いた。
質問事項は三点 ・屋内への引き込み方法(現在の外線の引き込み略図) ・家庭内(有線)LANへの対応 ・他サーバーのメールドメインの使用可否
(smtpの設定) 係りの方が、光のメリットや料金体系、IP電話について説明しようとするので、 「ワタシャ〜妻からもオタクと云われているので、説明を聞くのは省きます」
「折角、皆さんが誘致にご尽力くださったのですから」 「私は光にしますので、これだけに答えてください」 ほぼ30分、申込書に記入・捺印し終わった頃、説明会が始まった。 そういう訳で、今月末にブロバイダーのメールアドレスが変わります。
スパムに悩まされていたので、今後は新しいブロバイダーのメルアドの公開は避けます。 来月からはホームページのサーバー発行のメルアドのみ使用しますのでよろしく。
info930アットマークz930.com
■2008.01.09 morning 管理人 年が替る頃から、Mくんの所在を尋ねる連絡がよく入ってくる。
昨年11月に見舞って以来、忙しさもありMくんとは連絡を取っていない。
「何か変わったことがあれば、何時でも良いから連絡を」 別れ際、看病する会長さんとゼロ闘委にはお願いしている。 その連絡が無いことは、病状がそれなりに安定していると受け止めている。
「お前さん、見舞いは如何した?」 昨日、もう直ぐ九州から上京する仲間がこう尋ねてきた。 「見舞っていったてな・・・・花や果物持って行っても仕方ないし」
「色々考えたが、オイラは”カンパ”にしたよ」 「アイツ、ハチャメチャな人生だろう、先の事なんか何にも考えてこなかった奴だから」 「カンパが一番と思った」
「それに、オイラは何もしてやれないから」 九州の仲間は、電話の向こうで私の話を黙って聞いていた。 そして一言だけ、 「分かった」と返事をしてくれた。
仲間にも、Mくんの不器用さは痛いほど分かっているのだろう。
■2008.01.04 morning
管理人 昨年の9月30日、39年目の”キューサンマル”同窓会に出た。 田村書記長のビデオを皆で鑑賞、 かつての闘争記録でなく、その後の在りし日々を観るのは初めて。
日大闘争を背負った多くの仲間、其の内の一人の生き様を記録をみせていただいた。 今年2008年は、1968年から数えて40周年目に当る。 この40年目に辿り着くことなく、既に逝った仲間も少なくない、
自然の摂理で年を追う毎にその数は増えてくるだろうし、人事ではない思いがひしひしと迫る。
農闘委HPから拝借 「次の世代にメッセージを」と云われても、私個人は困り果てるだけだ。
先日も嘯いたが、 私はある日、決意を持って全共闘をはじめ、 ある日、総括して全共闘を止めた訳ではない。 全共闘は私の営みであり、あの時代から今まで何も変わっていない。 時代を整理し、棚に閉ってきた方々には、
40年後の今、メッセージをまとめる事は容易かもしれないが、 あの時代も今も、変わり様のない私は、 「次の世代にメッセージを・・・・・」なんて云われたら、
開き直ってこう云うしかない。 「知るか・・、そんな事」 「オイラは、あの時代を回顧し、その後の生き様を、天に向かって綴っていくだけ」
「次の世代は世代で、勝手に自分で考えろ」
■2008.01.03 morning
管理人 四国の遍路道を巡っている友が送ってくれました。 室戸から望む初日の出。
■2008.01.02 morning
管理人 「ボチャン・・・・・」 真っ暗闇、携帯電話の明かりでドアを開錠しキャビンに降りた。 マリンブーツに、一瞬、浮力が働く。
底板が海水で一部浮き上がっている。 「おかしいな、先日入ったときは何も無かったのに」 同乗したクルーがいぶかる。 「取りあえず機関回して、排水と原因確認を」
日の出は待ってくれないので、時間との勝負になった。 ビルジ(船底に溜まった水)ポンプのスイッチを入れるが反応がない、ポンプの電気系統にも不具合が。
手動ポンプとバケツの二組に分かれて排水作業、これにあれこれ30分。 エンジン系統、トイレ系統、キッチンユニット系統の給排水、キール周りをチュエックするが漏水の兆候は確認できない。
「まあぁ・・・いいか、面子も居るし、いざとなりゃバケツだ」 日の出を迎えるベストポイントまでは湾内を機走して1時間はかかる、気は焦せるばかり。
潮は小潮、満潮時にやっと出航となった。 
この後、もう一つトラブルが。 船足を急ぐ仲間が航路をショートカットした。 突然、「ゴォ・・・」という音で船が停止、 つまり・・・座礁なのだ。
普段は通らない進路、周りは真っ暗闇。 潮位が上がってくる時間帯なら、コーヒーでも入れてゆっくり待てば離脱可能だが、潮はその反対。 全員が船尾の片側に移動、舵を当てて機関を後進、エンジンが悲鳴を上げながら船体がゆっくり回転。
直角三角形は斜辺が一番長い、船を傾ければ傾けるほど海底は遠くなる、ゲストの体重を利用させていただいた。 この作業に5分程。 ”待てば海路の日和あり”
この一年、こんなんかな?・・・・・・ 湾外にやっと出た頃、水平線が茜色に染まりかけていた。
■2008.01.01 afternoon 管理人
Firefoxだと自動スタートでうっとおしいので、14日にフォトに差し替え
時間が無いので 編集なし、 BGMなし、 オリジナルサウンド(波の音、一部音声)有り、 雲の合間にチラリと拝めただけ(泣。
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