■2008.03.28 morning
管理人 「勿論、全身麻酔はしますので・・・」 「カメラを入れて、一部骨を削ります」 おいおい、冗談だろう・・・・、
膠着状態の症状を訴えたら、真顔で荒療治を勧められた。 
しかし、この手の荒療治をした方をお二人知っているが、 一人は、「全然良くならなかった」 もう一人は妻の同僚、現在、術後で休職中とのことで詳細は不明。
「先生、ワタシャ〜ビビリますわ、もう少し耐えてみます」 こう応えて日和見に徹した。 Myサイトの運営で嬉しいことがあった。 体調不良で日常生活メゲ気味なのだが、
少し元気が出てきたのだ。
■2008.03.27 night
管理人 遥々と運送便で2日かかって今夜我が家に届いた。 「メカの設定は事前に全てしておくから、後は撮るだけでいい」 そう説得されて、無謀にもチャレンジ。
ある方をこのDVCAMで撮る予定。
■2008.03.22 morning
管理人 「こりゃ〜イカンわ!」 ある事を契機に、それまで進めていたプロジェクトに豆腐屋のラッパが鳴り響いた。 昨夜もWEBに、有線アナログに、交信と指令が飛び交う。
のんびり構えていたレトロオヤジも煽られる事しきり。 私が本格的に全共闘になったのは忘れもしない1968年7月8日。 この日が私の日大全共闘の一日目に当たる。
それ以前は小奇麗でお利口な”一般学生”、それ以後は垢まみれでお馬鹿な”全共闘”。 正確には、”以前”と”以後”はこの日を境にしている。 私の全共闘一日目は、平均的日大全共闘の履歴からは数ケ月遅れている。
特に、「日大930の会」に集う仲間内では最後発組みに当たる。 常識人から見れば瞬間湯沸かし器に見えるのだろうが、日大全共闘のそれでは”熟慮”かつ”慎重”な一派になる。
笑ってもらっては困るのだ。 数日前に、そんな私の頭上に豆腐屋のラッパが鳴り響いた。 決起を求める進軍ラッパ、 連帯があっても無くても、ワタシャ〜一人でもやる、
勝手に一人でも突っ込むというメッセージ、 これが日大全共闘スピリッツ。 かつて、このラッパで、何人が人生を間違ったのだろうか(笑。
1968年7月8日、このラッパが私の頭の中でも鳴り響いていたことになる。 そんな訳で、昨日は拒否していた(怖い)注射を受け入れた。 体のガタを少しでも矯正しプロジェクトに耐えなければ、
私にすれば必死の思いなのだ。 ■2008.03.21 night
管理人 「どうです、堪えられますか?」 「手術しますか・・・、楽になりますよ」 長引く”情況”の膠着状態に、微笑みながら悪魔(医者)が誘う。
いかんいかん騙されては!、この微笑みに。 注射で妥協した。 ヒアルロン酸という潤滑液を直接注入するらしい。 潤滑効果と消炎の効能もあるという。
痛む所に直接ブスリ、 クリニックを出る頃、心なしか肩が軽くなった。 この日記やBBSの後ろで、頻繁に”指令”が飛び交っている(笑。
私は万年一兵卒なもので、指令を受ける側(泣。 ある事のために、直接行動に出ようという目論見。 40年前と同じで論ずるより行動、よき伝統は守られているが
正確に言うと、相変わらず進歩は無い! 腹にマイトを巻く”和製”アルカイダでないから、その点はご懸念無く。 極めて穏便な、団塊オヤジの「総括集会」へ向けての取り組みの一つ。
思わせぶりな表現になって申し訳ないが、近いうちにご披露できる時期がくると思う。 今日の my favorite songs はご本家の The
Paris Sisters。 昨夜、Laura と Claudine Longet 、オペラ座の怪人のサントラ盤と後三つ見っけ。 当分シリーズを続ける、ユウツベは無尽蔵に近いのだ。
■2008.03.20 night
管理人 色々と・・・書きたいことはあるのだが、こういうときはオタクネタで。 昨日までのmy favorite songsは、Maureen
Evan の I Love How You Love Me。 勿論、YouTube からの賜り物。 この曲は、中学生の頃だったか The Paris
Sisters ちゅうグループので聴いた覚えがある。 そんな訳でユウツベを探したら、いくつか見つかった。 今日入れ替えたのは Bobby
Vinton が歌ったやつ。 音程(レコードの回転?)がズレまわっているのは愛嬌で。 Sandy Posey のも見つけた。 勿論、The
Paris Sisters のも。 フィフティーズからシックスティースのレアもの集めてCDにしてみた。 電波からカセットに録り、個人で楽しむのは広く認知されているのだから、
WEBからサーバーに録り、個人で楽しむのも同じだと思うのだが(汗。 この理屈には無理があるだろうか・・・・、 有るだろうな。
■2008.03.18 morning
管理人 庭の沈丁花が香っている。 
「貴方、行ってきますね」、 日曜日、妻一人道具一式抱えて出かけて行った。 お彼岸、恒例の墓掃除。 ご先祖様のお世話は一貫して私のノルマだったのだが、
利かぬ腕を摩り、一人寂しい思い。 腕が利かなくなってほぼ2ケ月経過、 此処の日記の更新が鈍っているのは当然だが、
職場の業務HPの更新も遅滞気味。 更新は、画像処理などで職人技の微妙なマウス操作が要求される。 ”職人”には言い訳が利かず、これが悲しいのだ。
■2008.03.15 night
管理人 節々の痛みも忘れて、 ラッパさんと一緒に人様の所に出入りしているもので、 此方に帰ってくると痛みがぶり返し、筆勢がチト落ちておりますが。 私等に立塞がったものがそれはそれはゴリの右翼だったもので、
右翼に相対したから左翼って単純なものでもありませんでした。 中には自民党青年部もいましたし、天皇陛下万歳、日の丸鉢巻も結構いましたし、 我が学科の幹事は最強のゲバリスタにして「天皇陛下万歳!」です。
彼には昨年秋に久々に電話連絡を取りましたが、いまだに一貫してそうであることを確認しています(笑。 こんなことをアチラで書いたら困惑するだろうから書きませんが、
「日大全共闘ってのは気の遠くなるような多様性ですよ」 演壇に座った作家先生、テレビではいいこと云ってます。 my
favorite songs 明大全共闘さん、「夢は夜ひらく」別バージョン、 三上節です。
■2008.03.12 night
管理人 ここだけの話なのだが・・・・・、 来週月曜発行の週刊ポストに、秋田さんの取材記事が載るそうだ。 4ページ構成で、
週刊にありがちな皮肉な嫌みのある記事ではないそうだ。 ちなみにJUNさん撮影の、2月17日の中村克己君墓参会の写真も載るそうだ。 正面から写っているのは某大手新聞社の記者だけだから、関係者はご安心をとの事。
あくまでここだけの話なので内緒だぞ。 それと〜 昨日綴った「ハッパ掛けられた」内容を書いた大木さん以外のブログを見つけたので
黙々と-part2
13日AM6:30、追記 真夜中、深夜にポスト誌より連絡が入っていたとの事、 紙面スペースの制約で写真の採用はボツ、変わりにポスト側が用意したものを使うそうだ。
いずれにしても来週が楽しみだ。 ■2008.03.11 night
管理人 終業定刻に道路に出ると、真正面に沈む夕日がまぶしい。 沈む直前、一面あかね色に染まる空、 どこいらのイベントで、日大全共闘がえらくパッパを掛けられたと便りが届いている、
私(等)の残り僅かな黄昏人生を、あかね色に染めろと煽られているのだろうか。 「いいでしょう〜、腹にダイナマイト巻きつければ」
 それはさて置き、
西の空一杯に沈む太陽を私は撮りたいのだけど、 見た目はバレーボール位が、撮ってみると小豆大の”点” ポターブル・ミニnikonでは見た目と同じものが撮れないのだ(泣。 ハゲに効く内服薬が出たそうだ、
進行を止める効能は治験で90%オーバーの結果、 情況の改善は70%オーバーの薬効が実証されているそうだ。 医師の処方箋で、全額自己負担で月1万円程だそうだ。
何とか40数年振りの”会”までに結果を出したいのだが、効能は早くて3ケ月、平均で半年程を要するという。 間に合わない!!
■2008.03.08 morning
管理人 未明に目が醒めた。 こんな時間に起床とは、いくら何でもと思う時間帯なのだが、 痛む節々のため、床に伏せ、横になっているのが辛くもあるのだ。
昨晩、帰宅すると高校の同期の同窓会の案内状が届いていた。 「貴方、是非行ったら」 この手の案内は今まで一貫して無視していたのだが、妻はそういう。
今の現状に不満があるわけではない、 自分の人生を悔い恥じている訳でもない、 私の場合、19の夏を境に人生が分断されている。 高校の思い出は”それ以前”であり、それ以後が私の全てのように今まで人生してきた。 しかし・・・・・、
少しというか、否、かなり心が揺れている。 体調を崩している事も有るのだろうが、 きっと、Jさんに観せてもらった青春物のDVDのせいだと思う。
”それ以前”の、40数年会っていないもう一人の”あの子”に会えるかも知れないと思った。
この日記で格好をつけても仕方ない、恥ずかしくも内心の本当の事を書いているのだ(笑。 とりあえず、”それ以前”のまともに卒業した高校の卒業アルバムを開いてみた。
勿論、あの子のクラスのページを最初に見る。 いいでしょう・・・・、もう還暦なのだから、 ”以前”も”以後”も卒業しても。
■2008.03.05 morningU 管理人
掲示板で'70年以降の活動について色々と語られている。 時代的に、私等は一番先頭を走っていたので、後退戦も一番早かった。 '69年の初頭、安田講堂の頃には、学内では既に後退戦の真っ只中だった訳だ。
全国に火が付いたのはこの後だった聞いている。 全戦全敗の後退を続ける'69年の春に”ゼロ闘”は桜の門をくぐっている。 白山通りを埋め尽くすあの学友の群れとシュピレヒコール、
追い詰め、逃げ散るジュラルミンの盾、 焚き火の夜空に降る星、 食材を買出しにいった築地の市場。 どよめく歓声と鳴り響く角材の音に迎えられた11月の安田講堂、
歓声を上げて滑り降りた一号館前の12月の雪、 そんな事を何一つ知らず、君は桜の門をくぐった訳だ。 済まん・・。 宮澤君の病床の傍で私にこう言った。
「僕ら、本当に辛かったですよ、先輩達に美味しいところ全部取られて」 そのせいでかどうか、35歳まで赤ヘル被り続けていたという。 単純計算で言うと、ゼロ闘Tくんは'69年春から’73年春まで在学した可能性があり(あくまで可能性で現実は違うと思うが)、
証言によればその後'85年まで「現役」を続けていたことになる。 隠れた歴史を明かす”生き証人”ということになる、のではないのだろうか。 機会があればそこいら辺を一度聞いてみたいと思っている。
■2008.03.05 morning
管理人 1968年当時、私は2年生なので二闘。 二闘とは二年闘争委員会という意味。 いまだに40年近く経っても、同窓会ではその学年で呼び合う。
私等の間では1968年は紀元元年に等しい。 其の為、1968年に在学していなかった'69年入学組を”居なかった”という意味で「ゼロ闘」と呼ぶ、
随分と失礼な、差別的呼称なのだが、そうなっているから仕方ないのだ。 私の知る限りのゼロ闘は、宮澤君に付きっ切りで看病してくれたTくん、 私の学部・学科の後輩に当る。 「知ってたけど、まだ(記憶が)生々しくて・・・・」
「そうか・・・、オイラも体調不良で出られなかったんだ」 昨晩、珍しくそのゼロ闘のTくんから電話が入った。 宮澤君を偲ぶ会が先日有った事を告げると、先の返答が帰ってきた。 「11月、山荘に見舞ったときに宮澤君のビデオ撮ったんだ」
「もう少し先に、それをテキストに起こそうと思っている」 「そのうちそちらに行くからさ、その時ゆっくり話そうよ」 電話の後、メールでゼロ闘にこう書き送った。 今だから言えるけど、昨年11月山荘に見舞ったとき、会うのはこれが最後だと思った。
壁際の暖炉のそばに、マキをくべる振りをしてそっとビデオカメラをセットした。 楽しそうに喋り続ける宮澤君を1時間ほど撮った。 それから年が明けると、宮澤君はカメラの類にかなり敏感になっていたと聞いていた。
だから、多分これが最後の映像(遺影)だろうと思う。
■2008.03.04 night
管理人 ラッパさん、 此方も咲いてるぜ。    
   
   
秘蔵の黒紫などはこれから、 ムッヒィヒィヒィ・・・・・なのだ。 この花は下向きに可憐に咲く花なのだが、 庭の片隅、木立の下にひっそり咲いているのだが・・・・
オイラが下から無理やりアップで撮ると、 何つぅ〜か、かなりケバケバしくなる(泣。
■2008.03.03 morning
管理人 夕刻、妻が身の丈以上ある桜の大枝を担いで戻ってきた。 春のイベントに駆りだされていて、買い求めてきたという。 帰路の道中、かなり人目を引き憚ったらしい。
玄関脇の大亀鉢に生け花と成った。 
早朝、ゴミ出しに出ると我が家の駐車場の前に制服警官が。 ウ〜ン、あの”違法行為”かな、 それとも、あの”違叛行為”かな、 思えば、団塊オヤジなもので違法行為は日常茶飯なのだ。
先日、横断歩道を赤信号で渡ったからかな、 すねに傷はあるが、今現在は身に覚えの”本件”は無いハズなのだが。 ゴミ出し場に行くと婦警も、
空き地の影にはパトカーも、 大捜査線にしては、ここは住宅街の小路。 そうか、年度末の国庫金の”しのぎ”、 可哀想に、次から次へカモが飛び込んできていた。 午前中はJさんに頂いた作品を鑑賞。
Jさんお勧めの青春もの。 午後からは藪さんに頂いたお皿を鑑賞。 ジミヘンのウッドストックでの収録盤、 ライブ盤なもので、礼儀正しくスタンディングで鑑賞。 aaghさんが同盟から逃亡・離脱を図っている。
情況を共にする同志であったのだが、 当初からの右派的傾向が更に強まったようだ。 「連帯を求めて孤立を恐れず・・・」が現在的心境だ。 今日はめげて就労を拒否、
篭城を決め込んでいる。 |