■2008.06.30 night
管理人 断っておくが、当地は十分なローカル。 諸兄の通勤電車の混雑とは別世界なのだ。 車内の其処此処に”集会”を開くスペースが十分にある。
至るところで座り込み、無届集会が開かれているのである。 たわいもないお喋りや交歓ならいいのだが、 足は投げ出すや、寝転ぶやら、こいつら自分ちの居間と間違えている。
朝と夕方の車内はまるで別物。 余りにうるさいからi-podでこちらも自分の世界に入っていた。 ア〜ア、 これじゃマイカーの個室と同じではないか、先が思いやられる。
■2008.06.29 night
管理人 7月からマイカー通勤を止めると決めていたが、先週後半は飲み会続き。 実質的に既にマイカー通勤は終わっている。
今までと明日は何が違うかというと、 今まではヘベレケで最終便近くだった帰路便が、夕方の便でシラフ。 ここで幾つか懸念されることが。 学生というか生徒というか、とにかく態度が・・・・・・・。
公共の乗り物だということが分かっているのか? 分かってないだろうな。 朝はこちらも余裕があるからいいのだが、神経擦り減った帰路便は、
何時、ブチ切れるか。 30数年、ひたすら個室のマイカーだったので免疫がないのだ。 「うるせえ・・、このクソオヤジ!」 ブッ叩かればこちとら勝ちなのだが、
40年前にへし折られた前歯、ビンボーでその時は保険でプラスティック製に、 少し余裕ができてから、大枚はたいてセラミックの差し歯に。 輸入車のバンパー並に高価なのだ。
しかしだ、若者にマナー説教できるほどの履歴でもないのが、胸に痛くもある(汗。 とにかく色々と懸念というか、楽しみなのだ。
■2008.06.29 morning
管理人 仕事関連の総会、夕刻からは懇親会が。 私の楽しみは、とある方との交流。 私よりは5〜6歳年上でしかないのに、杖をつき、足取りもおぼつかない。
最近会うたびに弱っている、激しいその方の生き様の代償だろうか。 1968年より10年遡る1958年、私が小学4〜5年生の頃。
私の小学校でも、ある日教室から先生がいなくなり、校門でピケを張っていた。 先生がハチマキを巻き座り込んでいた風景が幼い頭の中にかすかにある。
その方は、そのころ高校生だったらしい。 先生が処分されたことに抗議し生徒会でストライキを決議したという。 一つ高校だけでなく近隣の高校にも呼びかけ”生徒会連合会”組織にまで持っていったとも云う。
地方で高校生の運動が特に激しかったのは新潟、和歌山、高知などだったらしい。 ストライキをすれば当然に処分者が出る。 その処分撤回闘争にも明け暮れたという。 しかし、国、県教委、そして警察の徹底した弾圧で、教師の運動は潰されいく。
私が興味を持ったのはサロンの長老から聞いた話。 年頃の高校生は、ある意味大学生より過激。 「高校生が悲惨だったのは、権力に潰されていく過程で、もう一方の教師の組織からも疎遠になっていった事」
潰されていく過程で、渦中の高校生は何を考え、その結果をどう受け止め、そして今までどう思って生きてきたのか。 引くことを知らなかった彼らに、私等の思いがダブる。
その方は、まさにその真っ只中で高校生だった訳だ。 「是非、闘争の記録を残して下さい、公開するならお手伝いします」 その方に以前からお勧めしている。
バリバリの○共さんだが、この際それはいいことにしている。 my favorite
songs The Seekers -
The Carnival Is Over
■2008.06.24 morning
管理人 職場では長らく広報部門にいた。 そのせいもあって、50を過ぎてホームページの更新管理の講習を受けさせられヒドイ目にあったのだが、今はそれが幸いしている。
職場の広報パンフレットやチラシを作ることを長くやってきた。 最初は”ロットリング”というドイツ製の筆、直ぐにインクで詰まる筆先を拭きながら手書きの原稿を書いていた。
カット集からカットを切り抜き、スクリーントーンでアクセントを付けたりもした。 それを製版機で焼付け製版し、オフセット印刷機にかける。 オフセット印刷機は民生用のレックスロータリーというスエーデン製?。
”ベアリング”では北欧製に勝るものはないという売込みで選んだ。 事実、朝から晩まで年中回し続けても、しぶといほど壊れなかった。 油性インクは専用の白色ガソリンでこねる、硬軟の粘度調整がプロの印刷工さんのようで、その気になっていた。
厳寒期はインクを白熱球で暖め緩くした。 インク入れ替えの時は専用オイルでユニットを洗浄、灯油でも可だった。 その作業を咥えタバコでやっていた、かつて”一升瓶カクテル”の生産に励んだあの時以来の根性だ。
インクに汚れたエプロンに腕カバー、頬に付いたインクに一端の労働者気取りだった。 それから随分後、昭和も終わりの頃に、原稿作りにワープロというものが登場した。
職場に導入をお願いしたが理解が得られず、ならば自費でと18万円程かけてキャノワードという機械を自腹で買った。 当時の給料の相場から今の金額に直すと倍くらい、業務用なのにカミさんには迷惑かけた。
出力はテキストデータがやっとで、罫線は引けても画像の抽入は無理。 ”あちら”陣営の「日本機関紙協会」が発行するカット集もよく使った。
しかし、インクはリボン、これが高かった。 テキストの長さだけリボンを消耗、経費でドンドン使ってやった。 活版か写植でしか出来なかったテキスト原稿が簡単に作れ、チラシ作成の”革命”だった。
 そんな苦労は昔の話。
前売り券の販売をお願いする先に使っていただこうと、 昨夜はエクセルでチョチョイとポスター作成。 湿布1枚分の後遺症が残っている。
my favorite songs Skeeter Davis I
will follow him
■2008.06.23 night
管理人 90度までなんとか上がるようになっていたのに、おかげで約60度まで逆戻りしてしまった。 反省し、湿布を2枚。 けど汗ですぐに剥がれそう。
この間、主夫ならではの悲哀もある。 食事の後片付けは、腕を上げる動作がないのでほとんど支障がない。 風呂洗いは浴槽の中に入ってこするようになった。
洗濯は洗濯機がするので、これも支障がない。 難関は洗濯物干し。 60度しか上がらぬ片腕は使いもにならないので片手だけで干す、これが・・・・・。 掃除も掃除機がするので言うほどの事ではない。
しかし、あまりまめにやると腕に響き脂汗がにじんでくる。 やはり、最悪だったのが日曜の雑巾がけ、 主夫業でも、これだけは当分自粛だ。
この辛さを忘れぬよう、敢えてここに記して置く。
■2008.06.23 morning
管理人 家を建て替えた時、床にワックスを塗るのを断ったので我が家の床は直ぐ汚れる。 特に梅雨時はジメジメベタベタするのでよろしくない、エアコンをかけて雑巾掛けをした。
小学校や中学校、廊下で雑巾掛け競争したのを思い出す。 ついつい気合が入って、今日は肩の痛みがぶり返している。 「アタシャ〜、何でやってるのか時々分からなくなる」
サロンの帰り道、駐車場までご一緒しているとローザ姉御が珍しく嘆く。 この春に定年退職した仲間はめっきり顔を出さなくなった。 サロンを一緒に立ち上げた仲間も色々とゴタゴタが有って殆ど顔を出さない。
姉御に牧師様、長老、私という顔ぶれがここのところの定番となっている。 鉄のローザ姉御も少々疲れ気味なのだ。 「いいじゃない、集まれるメンバーでやってれば」
「何か有ったとき、足場になれる存在と思えば気も楽だし」 「こちとら前衛党とは違うのだし」 そういいながら、自主上映する映画「靖国」の前売り券はしっかりとノルマで各自に配った。
「ほんじゃ・・また」 慰めにもならない言葉でサロンを終わった。
■2008.06.22 night
管理人 農獣医、やっぱゲバ棒欲しかったな・・・・。 先日のサロン、 私らのボックス席から一つ空けたボックス席、30〜40歳ほどの男性が一人背中を見せて座っている。
地味なポロシャツ姿で決して今様の若者姿ではない。 何をするでもない、誰かを待っているのかなと思ったがもう2時間余り。 ローザ姉御が、関わっている裁判について声高に話し始めたとき、気になってメモを彼女にそっと見せた。 この喫茶店でサロンをはじめるようになって数年、その間様々な講演会を開いてきた。
ローザ姉御の実行力は、当地の社共の皆さんにも一目置かれている。 一目置かれているのは革新勢力の皆さんからだけではないかもしれない。 メモをちらっと見て、ローザ姉御が話すのを止めた。
この前の集会の”ゲバラ旗”がよくなかったのかな。 私の思い過ごしならいいのだけれど、 昔の習性はまだ沁み付いている。
■2008.06.21 night
管理人 年が明けてこれでやっと2回目、次男坊が家に立ち寄った。 車を置いて飲みに行くといくので街に送れと云う。
「明日は、父さんのこの車を乗って帰ればいい、父さんマイカー通勤を止めたから」 「ガソリンが値上がりしたから止めるの?」 「そうじゃないんだ」
「父さん、定年までの一年、高校生の頃通ったバスや電車、JRにも一度乗ってみようと思ってね」 「ちょっとした心変わりさ」 「だからもう車は要らない、母さんの車も有るし」 最近は仕事で酒の席が重なる。
事前に分かっている日はバスや電車で通勤するようにしている。 車中で話しかけられたり、知り合いに会ったりもする。 以前はそんな事がうっとおしいと感じたし、
マイカーで一人が一番気ままと思っていたが、今は少し感覚が違ってきた。 30数年、ローカルゆえ車べったりの生活してきた、せめて最後の一年通勤だけでも開放されようという思いも少しある。 決して、帰り道に居酒屋でちょっと一杯が目的ではないで、念のため。
my favorite songs は Skeeter
Davis の I Will
■2008.06.20 night
管理人 我が家からJR、私鉄電車、バスのいずれの駅にも5分ほど。 JRから職場までは20分、電車・バスからは2〜3分、ここが思案のしどころ。
費用は、電車・バスはほぼ同じ、JRはその1/2程度だが、これは通勤費が支給されるから判断材料からは除外。 JRから職場までの20分のウオーキングは、体には良いが何時も晴天とは限らない。
バスと電車の二者選択となったが、所要時間の短いバスに決める事にした。 人間様の世界は、この惑星で未来永劫、永遠に続いていくだろうと信じ、そうあるべきと思うが常識だが。
私はへそ曲がりだからそうは思わない。 人間様の活動のため、何時かはこの地上から人間様がいなることも感覚的には受け入れられるし、 その時はその時でこの地球には別の住人が出てきて良いとも思う。
 定年に一年足らずになって今更だが、30数年続けてきたマイカー通勤を止める事にした。
決して世間様のエコな取組に協調したわけではない。 単に定年を迎え、気変わりしただけ。 思想でも主義でも、生き方でも、原理主義的な行いは、私の”素直”な性格にはなじまない。
今の通勤路は、かつての高校への通学路と全く同じ、 も一度、一年くらいはあの頃に戻ってみようという郷愁。
■2008.06.20 morning
管理人 「ウヌッッ・・・・、4人?!」 「謀られたか・・」 待ち合わせの時間、指定の居酒屋に入ると、4人がニコニコ顔で待っていた。
取引先の損保会社の支店長とその部下2人、代理店の社長。 「まあまあまあ・・・、奥へ奥へ」 一瞬固まっていると、空かさず店の奥に誘い込まれた。
支店長に付き添ってきた、日頃仕事で付き合いのある支店長代理が一言。 「今日は、日頃私等には怖い支店長が、先輩の**さんにペコペコ頭を下げるのを楽しみに付いて来たんですよ」
空かさず支店長が「先輩、とりあえず一杯」 それ程の取引は無いはずなのだが、完全に営業ペースなのだ。 最近、支店長代理が新保険商品の売り込みに来ている。
しかし、僅かな取引高、接待を受けるほどのものではない。 支店長が私と話したかったのか、それとも取引の接待なのか、判断しかねているうちに杯はすすみこちとら酩酊状態。
こうなってくるとお互い言いたい事を云う様になる。 「先輩、この支店長代理は文一なのですよ」 「文一、という事はあの文一?」 5歳下の日大法学部出の支店長に、10歳下の東大法学部出のその代理。
非常に好ましい組み合わせだった。 「ヘェ〜・・、代理はそうだったんですか、そんな事一言も言ってくれませんでしたね」 まあ、取引先に自分から名乗れば鼻つまみものだが。
もう一言付け加えた、 「その節は、貴大学を大変お世話しました」(笑。 しかしだ、 居酒屋では一貫して"先輩!先輩!"と呼ばれ続けた、
私も凡人だから、決して悪い気はしなかったのだ。
■2008.06.19 morning
管理人 職務で職場の議案書を作っている。 行間を読み取ってもらうとか、「・・・・・」に余韻を込めるとかいうここの文体は通用しない。
正確に意味を読み取ってもらおうとすると、みなさんもご承知の役所の文体になる。 「文章がしつこいと、もっと簡潔に!」 議案審議の場では、”てにおは”の一つ一つに難癖の山。
「やかまし〜、文句があるならテメエが書け・・・」 こう啖呵を切りたいのグッとこらえ、落ち込むこの頃。 「お前さんのページ見なけりゃ、多分一生会う事も無かったし・・・」
「日大闘争についてはあれ以来人に話した事はないよ」 38年ぶりに再会した仲間も同じ様な事を言っていた。 私もこの30数年、かつての履歴を伏せて暮らしてきた。
ホームページというツールが無ければ、多分棺桶まで語らず暮らしただろう。 日大闘争だけが別に特別だったわけではないが、 大方は思想も主義もないスッピンが、突然にゼンガクレンやセクトの連中の前に躍り出た如くの状況。
仲間内の攻防に明け暮れていた皆さんとは違い、相手にするのはモロ本番の右翼や機動隊。 ぶっ叩かれ、しょっ引かれ、次から次に別荘に放り込まれた。
総括が無いって謗られても、んなもの総括できる訳が無い。 皆が学園を追われ、それぞれが自分の胸に仕舞いこんだ訳だ。 別に格好付けて黙り続けていた訳ではない。
私に限っていえば、 きれいに整理するほどの能力もなく、黙り続けるしかなかったのが真相だ。
■2008.06.18 morning
管理人 4月のはじめ、昨秋の番組の再放送があったらしい。 多分其の数日後だろう、職場に取引先の損保代理店の社長が訪れた。
我が職場はそれなりに静か。 事務所中に響き渡る声で話しかけてきた。 「観ましたよ、**さん、日大全共闘だったんですね!」 社長、縄文の遺物を発見したかのように興奮気味。 定年間際の私、事務所に同席する同僚職員は我が子の世代。
”ゼンキョートー”といっても何の事だが分からないからいいのだが・・・・・。 とっさに人差し指を口にかざし「シィィ・・・・」 苦笑いしながら社長を応接コーナーに引っ張り込んだ。 それから2ケ月程、ほとぼりも冷めたと思っていた一昨日、
代理店社長が損保会社の当地の支店長を引き連れ再び訪れた。 「いや〜、会社で話していたら支店長が日大出で、ぜひ話を聴きたいというので」 聞くと、法学部出身で5歳下との事。
そこでだ、5歳下と聞いて、笑いながら一言差し上げた。 「我母校、他校に増して先輩後輩の序列が厳しい事は分かっていますよね」 しかし、職場ではなんだから後日居酒屋で一杯やろうという話になった。
断っておくがワリカンで、この支店長と業務上の利害関係は無い。
■2008.06.17 morning
管理人 出張の妻へのお土産はいつもの店で。 鶴見の駅で待ち合わせした友が車でその店の前まで乗り付けてくれた。 友とは38年ぶりの再会。
私には似合わぬ洒落た店、周りを気にしながら少ないポケットマネーで何にするか迷った。 今回は少し大き目の財布を。 「私ね、バッグが欲しいのよ」
回を重ねるうちに相方から要望も出るようになったが、何せ予算が。 本命はもう少し後に棚上げさせてもらって、我が財政事情に相応の品に落ち着いた。
買い物のあいだ友は店の外で待っててくれた。 上京した際にこの店にくるようになったのはふとしたきっかけ。 随分前だが、甥っ子の結婚式に招かれ泊まった宿がこの店の近く。
義姉が、私が喜ぶだろうと横浜の”バンドホテル”という古い老舗のホテルを予約してくれていた。
公園と商店街の入り口にあり地の利は最高だが、私としてはもう少し綺麗なホテルに泊まりたかったとその時は思った。 音楽好きな私を知ってのチョイスだったのだろう。
近くに商店街、立ち寄った店で買い物をした。 しかし、 小銭入れからはじまり、カードケース、メガネケース、財布も何点か。 状況は相方の要望する難物に近づきつつある。
当方としては遅くともこの秋には再度の上京を控えている、 今後、早急にそれに相応する財務を確立しなければ。
■2008.06.16 morning
管理人 出張帰り明けの一日、大半をパソコンの設定に費やした。 ソフトのインストール、機器の接続設定、手馴れてはいるが時間だけはやたらとかかる。
マカフィーを削除し、使い勝手のよいNOD32と入れ替える。 WEBカメラ付のディスプレー、添付のソフトを入れ起動すると画面に私が映る、マイクもついている。 自分を見ているだけなら鏡と同じ、多分これを相手に送信するのだろう。
スカイプに役立ちそうだが・・・・、 私はスカイプ仲間の顔をいまさら見ても仕方ないし、 多分、相手もそうだと思う。 ということで、何か別の用途を勉強しなくては。 先日の高校の同窓会、
幹事の想定以上の参加者だったらしい。 「オ〜イ、早く撮ってよ、年寄りもう我慢の限界だぞ・・・」 記念写真の撮影の段になって、なかなか皆がカメラのフレームの中に納まりきらない。
カメラが後ろに下がること数度、ヤジを浴びながら最後は会場の壁まで張り付いてやっと皆が納まった。 前列の赤い衣をまとった男女、 当初の準備では全員がこれをまとい記念写真を撮る予定だったと幹事から説明があった。
とりあえず、全員漏れなく”還暦”なのだ。 しかし用意していたのは100人分、当日の参加者はその倍。 そういうことで、当日誕生日だった男女一組だけが代表で羽織った。 近々、とある学部で集いがあるとの情報を得た。
”集い”はバリケードストライキ40周年記念。 決行日はストライキ突入日で、学部の正門前で有志で記念写真を撮る予定だそうだ。 しかし、ただ撮るのは面白くない・・・・、
そういうことで皆が学部闘争委員会のヘルメットを着用することを”決議”したらしい。 もちろん白手ぬぐいも着用、手ぬぐいは薄汚れていることが必須。 「しかし、それやると”凶器準備集合罪”になりかねないからな」
「あの法律って、今でも生きてるのだろう」 私の提案した”角材”を持っての集合は、笑って辞退された。 ヘルメットの色を云うと、どこの学部か事前に情報が漏洩するので書かないが、ヒントは今日の日記にある(笑。 こんな楽しい事をするのはどこの学部闘争委員会のおバカさん達か、分かる方は分かるだろう。
■2008.06.15 night
管理人 出張から帰ってくると、テーブルに紙包みが置いてある。 長男坊からの父の日のプレゼントだそうだ。
「ウヌ・・・、何だ?」 真っ赤なポロシャツが出てきた。 そうか、還暦の父の日か(笑。 「さすがにハデですね・・・」
「私が着ようかしら」 若干、引き気味になっていたら妻に横取りされそうになった。 「いいよ、真っ赤でも私が着るから」 これは私のだからあげない。 数ヶ月ぶりの同輩、
20年ぶりの先輩、 38年ぶりの同輩、 わずかの時間だったけれど、いずれも楽しい再会だった。
出張の間に届いていたものが二つ。 高校の同窓会の”公式記念写真”、 それとDellのパソコン。 一日設定に明け暮れた。
■2008.06.14 morning
管理人 「もう滅茶苦茶でさ、大変だったんだ」 日大闘争の事ではない、桃井コンミューンの思い出だ。 桃井コンミューンの時代、三闘(三年闘争委員会)の先輩は既に就職していた、先輩は宮澤君の学科の先輩になる。
週末になると赤貧洗うが如くの後輩の巣窟に食料品や酒を携えて来てくれた。 バリケードの名残がそこには未だ残っていたのだろう。 先輩の語る桃井コンミューンは、そこの住人であった私とまた違う視点、時の過ぎるのを忘れて夜更けまで話は続いた。 宮澤君の偲ぶ会が開かれたのは3月1日。
航空券もホテルも予約をとり、万全の体制を整えていたが、唯一体の調子だけが整わなかった。 「たくさん来てくれて、他学部のしらない仲間も居たよ」
先輩が切り盛りする中央沿線の居酒屋を会場に仲間が集い宮澤君を偲んだ。 昨夜やっと会議から開放され、その店に先輩を訪ねていた。 
「今日は帰らないから、一緒に行く?」 先輩の店を出た後、一緒に行った経済の仲間はこれからゴールデン街に行くと言う。 私の方は二日続きの缶詰会議でもう体力は残っていない、ホテルに戻ることにした。
「この小路の奥にアジトが有ってさ、米軍の大きなザッグにヘルメット何十個も詰めてここから出撃したんだ」 日付が変わった大通りを二人で散歩しながらホテルに戻った。 今朝は残ったアルコールのせいか、
キーボードが二重に見えながらホテルで書いている。
■2008.06.11 morning
管理人 週後半は業界の会議で出張。 経費節約の折、地の利を優先するとホテルのランクは下の方になる。 ホテルの選択の際、ネット環境は必須条件。
高級ホテルになるとLANの環境に高度なセキュリテーをかけているところが多い。 そのため、ホテルのランクはそこそこの方が私には都合がよい、これは負け惜しみではない。 そんなに頻繁に利用はしていないのだが、私の利用するホテルはいつもアジア系の客で溢れている。
以前は一目でそれと分かったのだが、近頃は近くで会話を耳にしないと分からない。 朝の食事時は、どこかアジアの異国にいるような雰囲気になる、私のような田舎者には異国情緒が味わえて楽しいのだ。 一度は御茶ノ水の「山の上ホテル」で泊まって見たいと何時も思うのだが、私の利用するホテルの倍以上の費用になる。
地理的条件も含め、これでは職場の出張決済が下りないのだ(泣。
■2008.06.10 night
管理人 職場に電話が掛かってきた、**と名乗る女性だという。。 名前に聞き覚えは無いし、また、先物投資の電話勧誘かなといぶかりながら受話器を取った。
この歳になるといかがわしい電話の相手よりも、受けるこちらの方がしたたかになる。 相手をもてあそぶ位の応対を平気で出来るようになった。 ハイハイと言いながら受話器を耳に。 「**君、私よ私、(旧姓)**よ」
よく聞けば先日の同窓会で42年ぶりに会ったクラスメートの女の子(やはりこれで通す)。 渡した名刺で職場に電話してきたという。 「ミヨちゃんが帰ってくるって連絡が入ったの」
「**君、会いたいと言っていたでしょう」 断っておくが、日記でつらつら綴っている”あの子”の事ではない。 単に仲良しだったクラスメートの女の子(それでもこれで通す)の事。 「それでね、ミヨちゃん**日なら空いてて時間が取れると云うの」
「12時から3時まで時間取れる?」 件の指摘の日はバリバリの平日なのだ。 いくら定年間際といっても、平日に休みは簡単には取れない。
しばし返事に窮したが、相手の勢いの方が私より勝っていた。 「いいよ・・・、しかし懐かしいね」 これがあの子なら、仕事を辞してでも行くのだが、
オイラにはキューピッドは居ないようだ。
■2008.06.10 morning
管理人 三つ子の魂・・・というが、私の場合はイチゴ(15)の魂。 中三の頃、耳に馴染んだ曲が私の好みの原点。 そう云う事で、ペギー・マーチの日本語バージョンを
my favorite songs に。 勿論、YouTubeで頂いたもの。 頭の部分、音程がズレるがEP盤の回転ムラだろう、 CDではありえない事だから、これはアナログのご愛嬌。
 遅い夕食が済むと、妻はテレビの前に陣取る。
見事にテレビは点いているが、彼女はほとんどいつもソファーでうたた寝している。 私は居室のパソコンの前に、最近の楽しみはYouTubeの散歩。
数ケ月前にパソコンがクラッシュして、せっせと集めた1000曲程の my favorite songs
がお釈迦となってしまったので集めなおしている。 YouTubeをGoogleが買収してから管理が非常に厳しくなっている、小まめにチェックしていないと直ぐに削除になる。
私の場合は検索タグに曲名やアーティスト名を入れて検索を掛ける。 好みの物があると、先ずそのアカウントを訪ねる、それからそのアカウントのお気に入りをチェックする。
お気に入りのアカウントへ更に進み次から次へ入り込む、そうやって私の好みのジャンヌの範囲でサーフィンしてゆく。 私にとって貴重な
favorite songs はせいぜい1週間以内にアップされたもの、著作権がからむものの寿命はそれが限度。
一日に何十、何百万とアップされてくるので、Googleも即日削除は無理なのだろう。 爺様なのに、我ながらよくやる。 それで、やっと300曲程コレクション、先は永いのだ。
■2008.06.09 morning
管理人 長男坊に有り難く譲ってもらったパソコンがクラッシュして早数ヶ月。 高速CPUで、動画の加工やスカイプ通信と重宝していたので不便このうえない。
今、日常使っているのはWin2000、2003年製の東芝サテライト機。 CPUは980MB、メモリーは512MBで購入当時は何の不満も無かったのだが、この6年の進化はきつい。
何よりDVDや動画の処理が追いつかない。 Dellのサイトをウインドショッピングしていたら目に付いた. 「Win−XPの生産は6月9日の受注で打ち切り」
以前からXPは生産終了と聞いていたが、まさか数日後とは。 業務用では今後もVistaからXPへのダウングレードがあると書いているが、個人用では本当に本当らしい。
ウインドショッピングから急遽リアルショッピングに切り替えた。 焦る理由は唯一つ。 ホームページのサイト製作・更新をしているFTPソフトはバージョンが古くてWin98準拠。
Win2000は全く問題なく、かつXPでも動く事も確認済みだが、Vista では確認していない。 多分、99%無理だと思っている。 私は別にVista
がどうのこうのとは思わないが、98とVista ではソフトの互換性が無いと思うのが常識的だろう。 そう云う訳で、お蔵入り寸前のWin2000機からXP機に乗り換える事が急務となっていた。 驚いた事に事業所用だと本体36990円からある。
職場で頻繁に購入しているので、成りすましで個人で購入しようかとおもったが気が引けるのでグット堪える。 個人用サイトのスペック重視派のジャンヌでオーダー。
今のサテライト機と比べるとどれを選んでも高性能だが、 CPUは Core2DuoE8300、メモリーはマックスの4GBをチョイス。 ほぼ2週間後に納品になるとの事。
■2008.06.08 nightU 管理人 中坊は一貫してヘイリー・ミルズの大ファン。
高一からはそれにもう一人追加した。 YouTubeを散歩していたら、2週間程まえにアップされた当時のサントラを見つけた。 成長に合わせて、ヘイリーより少しセクシャル、
同世代の女の子に遅れをとりながらも色気付き始めた頃だ。
カトリーヌのツイストはヤンキーとは違う色気が有ったのだ。
■2008.06.08 night 管理人 バランスを失って塀から飛び降りた。
梅雨の合間、僅かに青空が覗いたので、延び過ぎた生垣の枝を剪定。 パチンと切った瞬間、オットット。 身の軽さは生来自信があるし、塀を飛び越え逃げた経験は数知れずある。
着地した瞬間、右腕を地面に着いた。 脳天を激痛が突き抜け、その場にうずくまりこみ声も出せない。 湿布薬を2枚、それに控えていた鎮痛剤も。
叱られるので妻には内緒。 せっかく快方に向かっていたのに、反省しきり。 
もし、中大理工学部に進学していたら「叛旗」になっていたかもとBBSで言われましたが、 私の場合、多分それはなかったと思います。
多分、赤ヘルを横目にノンポリで大学を通過し、運が良ければ教職に就き数学か物理の教師になっていたと思うのです。 それは入学した時からの私の目的でありました。
日大闘争はそんな利己的な私でさえ巻き込んだ”一揆”であり、他の大学とは一線を画する日大全共闘の個別性、特殊性でもあります。 中には信念を持って、学園民主化闘争の限界を破り政治党派に突き進んだ仲間もいました。
でも、私の場合は軟弱でした。 学園民主化が私の最大の範囲であり、闘争の敗北を自分の問題として捉えるのがやっとでした。 それ以上のステージは、元来政治的な事には疎い私には無理でした。
曲げずに異議申し立てをし続けてきた自分に対する”落とし前”は、その後の自分の生き様でしか返せないと思い生きてきた訳です。 元々、信条があって始めた闘争ではありませんし、政治闘争に耐えれるほど強い私ではありませんでしたので。
”一揆”の凄さでもあり、弱さでもあります。 「今の世の中、如何するんだよ〜、テメエらのせいじゃねえのか」 そう啖呵を切られても、
「いまなりに曲げずに異議申し立てをして下さい」 そう云うしかないし、それ以上は私は困る訳です。
■2008.06.07 night
管理人 クラス毎に撮った写真が届いた。 参加者全員で撮った”公式写真”も申し込んでいるのだが、それはまだ届いていない。
前列中央にかつての担任の恩師(?)が写る。 「**くん、理工学部ならそりゃ〜日大だよ」 入学金を払い込む先を迷って相談したら、この恩師が迷わずそう勧めてくれた。
同窓会の前夜、皆で盛り上がった時、
「俺は明日、担任に42年ぶりに言いたいことが有る」 「先生は、日大があのような超〜右翼の大学とは一言も言ってくれなかった」 「もう一個受かっていた中大を勧めてくれたら、こんなに・・・・」
そう言って吼えていた。 随分と酒が入ってから、先生達のテーブルに向かった。 「先生、42年振りお懐かしいです」 「誰だったかな?」
そう言って名札を覗き込む。 「ああ、私のクラスか!」 先生に一人一人覚えておいて下さいと言ってもそれは無理な話、 毎年毎年、何十年と続いて教え子が生まれる訳だから。
「先生、その節はお世話になりました」 「先生のお蔭で、酷い目に会いました」 前夜は洒落も込めてこう言うつもりにしていた。 でも、とっさ口から出てきたのは、
「先生のお蔭でいい人生がおくれてこれました」 「ありがとうございました」 先生はニコニコしながら、私の注いだ酒を飲んだ。
■2008.06.06 night 管理人 カミさんの指摘は正しかった、さすがよく見ている。
この一週間ため息の連続、宴の後の落ち込みが続いている。 かつて、逃げ帰ってきて一年程自宅に篭ったのと比べると遥かに軽症なのだが。 浮かれ舞い上がるのは得意なのだが、上手に収拾出来ないのは相変わらずだ。
同窓会に出席していたクラスの女の子(60だけどこの際これで通す)から今日職場に電話があった。 お盆の時期にもう一度、クラス単位で同窓会をやり直せというのだ。
それでもって私にその段取りをせよとせがむ。 何故?と詰めると、どうやら彼女も好きだった同じクラスの”彼氏”に会えなかったようだ。 何十年も引っ張るのは”男”の特性だと思っていたのだが、どうやらアチラも同じ様だ。
其の彼氏は東北在住。 東京組みからその消息を聞いて、彼女に教えていたら”火”が付いたのだ。 私は還暦組のキューピッドをするつもりは無いが、
人事だと面白いのだ。 疲れるのだ。 闘争勝利!
■2008.06.04 morning
管理人 同窓会前夜祭、二年のクラスで盛り上がった。 東京組みの学長先生がなかなか来ないので電話した。 東京組みと文系クラスで、あちらも前夜祭を行っているとの事。
ならば・・・・、こういう場合の意思決定は早い。 夜の繁華街の路上、二つのグループが合流。 「**、昔と全然変わっていないな!」
学長先生が私の事を呼び捨てにするので、 「**、お前こそ変わっていないな!」 私の方も呼び捨て、これで42年前の17〜8歳に完全に戻った。 文系クラスの皆さん、お顔も名前も全然記憶が無い。
14クラス有ったので、文系と理系では当時も今も全く交流がない。 おっと、さすが文系、アチラには女の子(笑)がいる。 2倍に膨れ上がった集団で二次会へとなだれ込んだ。 文系の女の子に、そ〜と”あの子”の消息を尋ねた。
「どういう関係?」 当然、突込みが来る。 「いや〜中学からの同級生でね、好きだったんだ」 酒の席もあり、正直に告白したのだ。 そうすると、隣の隣の野郎が、
「俺は**さんが好きだったんだ」 すると、その隣の野郎も同じ様な事を言う。 女の子を挟んで、60のオヤジの女々しい未練話に花が咲いた。 「よし、それじゃ〜明日は”告白タイム”のスペシャルメニュー企画をやろう」
斜め前で聞いていた学長先生が乗ってきた、東京組の幹事をしており、同窓会本番の式進行係りだという。 「それはいい、それはいい・・・」 「そうだよな、もう42年だもの、何言っても差し障り無いよな」
私も今更、あの”時代”の話を友にする気はさらさら無いが、その告白ならいいかもと思った。 町田市在住という隣の席の女の子は笑いこけていた。 当然、当日は酒の席の話で”企画”は却下。
私はバリに篭城した時と同じぐらいの決意で”覚悟”を決めていたのに。 私としては大いに異議ありなのだ。 闘争勝利!
■2008.06.02 night 管理人 突然、膝をポンと叩かれた。
ぐてんぐてんになって帰りの電車に乗っていた。 うとうとしていたら向かいの席から話し掛けてくる。 「俺、土方やってんだ」
「時給900円で月17〜8万円」 唐突に話し掛けられ困惑していると、 「アンタ、大学の先生だろう」 少しウエーブの掛かった白髪の長髪、ワイシャツに黒のジャケットがその風情をかもし出していたのだろうか。
誰かと話したかったのだろう。 作業服姿で歳は30〜40程、あちらも少し酔っているようだが人懐こい表情。 「先生よ、寝て、起きて、仕事して、又寝て・・・・人生って辛いよな」
「でもな、帰ったらバアちゃんが待ってんだ」 「俺、バアちゃんが大好きなんだ」 自然と顔がほころび、頷きながら彼の話を聞いてやった。 「私は先生ではないけどね」
「バアちゃんて母さんの事?」 「違うよ、婆ちゃんだよ、98歳」 「母さんは死んじゃった、バアちゃんと二人で暮らしている」 「帰ると、ジャガ芋のおかず作って待っててくれるんだ」
「毎月バアちゃんに10万円渡し、俺は7万円で生活している」 「世話してくれたバアちゃんへの恩返しだよ」 そうするうちに降りる駅が近づいてきた。
「大切にする家族が居るって幸せな事だよ」 「バアちゃん、大事にしてね」 そう云って席を立った。 その報告に妻が涙したのは云うまでもない。
■2008.06.02 morning
管理人 「貴方、大丈夫?」 「落ち込んで鬱にならないでね」 朝、ベッドに座り込んでいたらそう声を掛けられた。
同窓会前夜の午後六時から、本番終了の午後六時まで24時間。 その間会場を変えること5回、延べ12時間飲んで騒いでいたのだから。 寝不足と二日酔いで立ち上がれないだけなのだが、
あれだけはしゃいでいたので、落差のある状態に心配したのだろう。 「俺な、学生の頃ちょっとやり過ぎてな、人生逸れてしまってよ」 42年ぶりに会った同窓生にそうボツリと云われた。
「ええッ、それって俺の決めセリフなのに」 心の中でそう云って、苦笑いしながら 「そうか、大変だったんだな、まあ飲もうや」 友は校歌斉唱で、涙ぐんでいた。 最後の5次会、同窓生が生業う酒店に集まった。
皆へべれけ。 「俺はな、**さんが好きだったんだ」 「ヘエ、あんな生意気なおかっぱの子が好きだったんだ」 「この野郎、**さんけなすとは許さん」
取っ組み合いながらじゃれあっている。 告白も、それもオイラの予定行動だったのに、先んじられた。 吼えまわっている友のあの子も、私のあの子も会場には現れなかった。
多分、もう一生会う事は無いだろう。 ”未練”は、人生の味付けに必要だという事だ。
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