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■2008.07.29  night  管理人

還暦オヤジが2名増えて5名の予定になった、還暦娘と合計で12名。
「何かあると直ぐに塊、だから団塊は嫌いだ!」
何処からかソシリが聞こえてきそうだが。
これは立派な同窓会、違った決起集会になりそうだ。

プラス2名の一人は、札幌からわざわざ飛んでくる。
わが友では数少ない北の全共闘残党だ。
もう1名は、我が母校の学力レベルでは奇跡的な存在、有名私大の学長先生様だ。
とにかく、還暦娘7名に対抗するにはかなり負勢だが、今のところはこれで頑張るしかない。

しかし、敵には強力な武器がある。
孫の自慢に、旦那の悪口。
私等をおいそれとは青春のノスタルジーには浸らしてくれない。
だから、悪いけど禁じ手を使うことにした。
19日夜の日記の最後に書いた”ミッちゃん”を呼んでもらおう。
友人Aの目が点になるので、きっと盛り上がるだろう。



■2008.07.28  night  管理人

40年振りに連絡をとった高校の同窓生、
先だっての同窓会で聞いていた住所に電話した。
電話に出た奥さん、友は首都圏近郊に単身赴任しているという。
ならば、上京の際に会えるかもと思い電話をすることにした。

私が日大闘争に没頭していく傍ら、そして全国の大学に火の手が広がっていくなか、彼は我が道を歩んだ。
元々、学業優秀でスポーツ万能、防衛大と航空大を志望に選んでいた。
学科は難なくクリアーしたらしいが身体検査で引っかかったと聞いている。
鼓膜に先天的に小さな穴、ジェットパイロットを目指すには致命的だったらしい。
失意のうちにかどうかは知らないが、東北の国立大学に進んだ、
私が熱っぽく話す闘争のことを、距離を持って聞いていたのが胸に痛く残っている。
そんな経過で、私の方から疎遠になった。

恐る恐る、奥さんに教えてもらった携帯に電話した。
友の最初の言葉は、私の名前を呼び、
「会いたかったよ!」
涙もろいこの団塊オヤジ、それだけで返事は涙声になってしまった。

「たまたま、カミさんと二人でお前さんたちのテレビ観たんだ」
「再放送も、2回観た」
「一生懸命だったんだな」
「あんなんだとは知らなかった」
「イヤ〜・・・・・」と相槌打つだけで返事にならなかった。

友に”首都圏決起集会”の話をすると、何とか仕事の都合をつけて出てくると言う。
19歳を境にした、それ以前の人生とそれ以後の人生、
それ以前、少しだが、取り返せるかも知れないと思うようになった。


■2008.07.28  morning  管理人

「**くん、私達は7人です」
これ以上は可哀そうと言っていた割にはやってくれるではないか。
今度上京する際に、ミヨちゃんが同窓生を動員してくれると言う。
還暦娘が7名に増えたと言ってきた、これはどう評価をすればよいか。

高校生時代、私はクラスの人気者でもなかった。
成績が良かったわけでもない。
スポーツに秀でていたわけでも無い、
間違ってもジャニーズ系でもない、
全てが程々の普通の高校生。
よく言えば当時は屈託の無い、曲がっていな(かった)い性格が取り柄だったのかもしれないが。

この難局に対応するため、
首都圏近郊に単身赴任していると聞いている同窓生に、42年振りに連絡をとった。
勿論、男だ。
前後して、ミヨちゃんからも、
「一人、連絡つけたよ」
これで、順調に行けば還暦オヤジ3名、還暦娘7名、合計10名の首都圏決起集会となる。
残念だが、この7名の中にあの子はいない。


作業ズボンに虫除けの長袖シャツ、
禿げ頭の保護にキャップ。
早朝未明から、蚊取り線香を腰にぶら下げ庭作業。
生け垣の刈り込みは、今年は諦めた。
曲がった手では剪定ハサミが扱えない、
妻が、シルバーさんに頼めばと言うが、伸び放題に伸ばしておく事にした。
滝のように汗が流れる傍ら、
木陰で、クリスマスローズの二年苗が暑さに耐えている。


■2008.07.26  morning  管理人

週末、洗濯物の山が積みあがっている。
平和に関する懸念も課題だが、私にとってはこの洗濯物の山も緊急な解決課題なのだ。
未明から、もう何回洗濯機を回しただろう。
しかし、この課題、簡単に解決するから心地よい。

中学校から同じ高校に進んだ好きだった子。
こちらの意識過剰で距離の縮まぬ3年間、
進学して、それっきりになってしまった。
先だっての同窓会で42年ぶりに会えるかなと期待に胸ふくらませていたが。

上京してそれっきりという経過だが、実は一度だけ手紙を出した。
1968年の丁度夏の盛り、一号館バリケードで生活していた頃だ。
お茶の水駅前の大きな喫茶店、”丘”だったか”田園”だったか、名前は忘れた。
冷房の効いた座席で、何度も何度も書き直した。
バリケードに帰って、また何度も何度も書き直した。
差し出すまで一週間ほど迷った。
駿河台のポストの前でもまだ迷った。

思慕を綴ったのではない、
闘争の事、
バリケード生活のこと、
デモの事、
私のその時置かれていた様を切々と綴った。
その事が、その子に私の思いを伝えることができると信じて綴った。
最後に、「日大闘争勝利」と綴ったかどうかは憶えていない。

返事を一週間待った。
一月待った。
一年待った。

あれから40数回の夏が過ぎたが、まだ待っている。
あの時と同じように、蝉がうるさく鳴いている、
男なんて・・・・、無様なものだ。


■2008.07.25  night  管理人

「エッッ・・・・2500円、堪えてよ」
「私も遠慮しとくよ、この芸人あまり趣味じゃないから」
「私も・・・・・・」
私とサロンの長老二人の返答も同じ、ローザ姉御の差し出す前売り券を断った。
「私もどうかと思うけど、頼まれたから」
ローザ姉御も渋々券を引っ込めた。

サロンでは、仲間の持ち込む前売り券は余程のことが無い限り断らない。
催しがどれだけ大変なのかは、私らが一番知っている。
義理も含めて自腹で何枚か引き受けたりもする。
しかしだ、この社○党の催しだけは頂けない。

「落語の芸人で人を集めて、何かするんでしょう」
「いや、落語を聞くだけらしい」
「ほかに何もしないの」
「それだけ、落語だけらしいよ」
「何故、わざわざ社○党ともあろうものが、落語だけなの」

以前、地元国立大学の学園祭にローザ姉御と出張ったことがある。
2004年10月31日の日記
「ゴミになりますのでお断りします」
フリージャーナリストの講演会のチラシを学園祭で配らして欲しいと実行委員長の女学生に頼んだ。
帰ってきた返答がこれだった。

学園祭のメインイベントはお笑い芸人のショー、
構内は模擬店ばかり、
他に何も無いのだ、
イラク戦争が勃発したこの時期に、お笑い芸人のショーと模擬店以外、本当に他に何も無かったのだ。

今の若者は・・・・、
今の学生は・・・・、
あの時は、そう嘆いたのだが、
今夜は、
いい年こいたオッサン集団が・・・・、
他にする事ないのか ぁ ぁ ぁ 。
福島親分、何とかせ ぇ ぇ ぇ!!!!!!!!



■2008.07.25  morning  管理人

私は、人と人の距離は人口密度に比例していると思っている。
勿論、他人との距離だが。
通勤の車内、座席の間隔が実に微妙なのだ。
都会だと3人は座る幅に2人、時には4人分に2人。
結構混んできても、この人と人の間隔は保たれている。

昨日も帰路は一駅先まで足を伸ばして乗車。
夏季補習だろうか、それとも部活帰りだろうか多くの高校生が乗っている。
携帯電話をいじっていた女子高生がそのうち船をこぎだした。
結構可愛い子だ。
部活の疲れか、昨夜の夜更かしか、左右のローリングがだんだん大きくなる。
ローカル線の座席には少しばかりのローリングは吸収できる余裕がある。
隣には、真っ白いワイシャツを第一ボタンまでキチンと留めた男子高校生、いかにも真面目そうな子だ。

女の子、ローリングが余裕幅をオーバーし、となりの男の子の肩に触れそうな位置までくると、ハッと姿勢を正す。
無意識だろうが、実に絶妙な位置で”復帰”する。
オジサン嬉しくなり、秘かにエールを送る。
「エ〜イ、そのまま肩に・・・・・・」
夏の恋が生まれるかもしれないのだ。

確か”冬のソナタ”の出会いシーンはこんなだったと思う。
蛇足だが、
オジサンがこれをやるとみっともないし、
痴漢と間違われるので、心しなければ。




■2008.07.24  morning  管理人

黒の裾の広がったパンツに真っ白なブラウス。
先っぽがドーナッツ状になった本格的な”ブツ”を手に、私の傍らに。
見かけはビジネス街で見かける、颯爽とした働く女性。
しかし、よく見ると”違い”が分かる。
肩が張り出し、いかついのだ。
こういうお姉さんなら、投げ飛ばされてもいいかも(冗談。


主催者側にはハンディタイプの簡単な”ブツ”が事前に渡された、かざすとピーピーとうるさい。
彼女等は、こちら側が構えたセキュリティーラインの更に後ろに立っている。
要は、こちらを信用していないのだ。
見知った方をパスして通すと"主任格”が飛んできて私に厳しく言う。
「そんなじゃ、当方は責任をもてません」
言い方は善良な市民(笑)相手だから丁寧口調だが、態度は高飛車。

朝の打ち合わせ、
主任格と思しき方、私に詰め寄る。
「それで、どんなラインでやるつもりですか」
「女性のスタッフは揃っていますか」
「手荷物の検査済み証は構えていますか」
適当な準備しかしていない主催者側に矢継ぎ早に質問が刺さる。
結局、セキュリーティラインはお上の指導の下に構成。
バリケード守備隊の経験は全く役に立たなかった(泣。

耳にイヤホン、胸や腰に無線機を携帯した”筋”のにらみが行き渡る会館ホール。
最初で最後であってほしい”官民協働”の催しをやってしまった。



■2008.07.23  night  管理人

朝、起きると既に妻は出勤していた。
そう云えば昨夜早出だと言っていた。
帰ると寝室から冷気が、
余程疲れたのだろう、クーラーを使う習慣の無い彼女が、掛けて寝ている。

起きるまで台所の洗い物、
未だ起きてこないので居間の掃除、
起きてくるかな〜と期待したがそれでも起きてこない、
我慢できずにビールを一杯やっていたら起きてきた。
私は基本的に、寝ている者は起こさない主義者なのだ。
遅い夕飯だった。

帰りは一駅先まで足を延ばした。
途中、50数年前に通った由緒正しき女子大付属幼稚園跡のそばを通る。
その通りを抜けると40数年前に通った高校のそばを通る。
野球部の部員が木陰で給水している。

やがて、かつてのドブ川に出る。
1950年台から1970年代まではコールタールのような水が流れていた川だ。
水面に夕日が反射している。
清流というには程遠いが、まあ普通の街中を流れる川。


メタンガスがポコリポコリと水面に泡を作り、
コールタール色の水が流れていたことを憶えているのは私らより上の世代になった。
一駅先までの道程は、少々臭い私のセンチメンタル通りなのだ。


■2008.07.23  morning  管理人

三連休と休み明けのマイカー通勤を挟み、通勤環境は一変していた。
向かいの席にあの子の姿が見えない。
車内は空き空き。
通勤路沿いの小学校の校庭から子供達の声が聞こえてこない。
夏休みに入ったのだ。


時折、話題は大学生の頃にも及んだ。
ミヨちゃんは、
「私はね、姉と同じ様に短大しか行かせてもらえなかったのよ」
「いいよね**くんは、行かせてもらってどうだった?」
そんなふうな事を言って、憤慨しているようだった。
私にそう言われても困るのだが。

「でもね、オイラは親の期待を裏切ってしまって」
「大学の後半は、親子の縁を切られたも同然の状態」
「好き放題やったように思われるけど、これでも結構苦労したんだぞ」
「まあ、自業自得と言えばそれまでだけど」
自分勝手に一方的に返答。

その時は旦那様もご一緒だったので、
その方面の詳細な内容は、殆ど云い及ばなかったが、
先日メールの返信に少し書き綴った。

あの時代、
大学は違ったが、同じ様な生き様をした高校の同窓生が数は少ないがいる。
「今更、それを云っても仕方ないし、俺は喋らない」
その友人達が異口同音に私にそう云う。

私もそう思って喋らず30数年生きてきた。
しかし、その縛りがここ数年プッツン切れている。
私は喋りたいのだ。
これは個別、私の特性だろうか、
それとも日大闘争、日大全共闘の特性だろうか。


■2008.07.22  night  管理人

今日は所用があってマイカーで出勤。
当然だが冷房はガンガン効かせて走る。
妻 →次男坊 →私 とお下がりしてきたこのミニカーにはエコドライブなんぞ関係ない。
職場に着き、デスクに座っても汗一つかいていない、
当然、帰路も汗をかかない。
やはり、これは体にいいわけないと思うようになったから、これは進歩だ。

「アッ・・・見ましたよ」、若い女性職員が横でクスッと笑う
JRの通勤は、駅から職場までかなりの早足で15分ほど。
扇風機を全開にしても、体中の汗腺が開き放っし。
先日は、あまりの火照りぶりに、ズボンを膝まで捲り上げ扇風機に当たっていた。
目ざとく、恥知らずなオジサンの生態を見られてしまったのだ。

「今のところ4人ぐらい動員掛けたけど、何ならもっと集めようか?!」
ミヨちゃんからそういうような連絡が入ってきた。
「でもね、**くん、この前かなり引いてたものね」
「五人がかりでも相当なものよ、これ以上は可哀相かも」
・・・・・私もそう思う。

先日、ミヨちゃん+2名の還暦娘のお相手をした。
三人が途切れなく替わり番こ機関銃の如く喋る、
ミヨちゃんに会えるとノコノコ出て行ったのに、還暦娘が三人だった。
元々、この全共闘敗残兵は寡黙で物静かなのだ(汗。

それにさ・・・・、
此処だけの話、
私がハイスクール時代の仲良しに求めるのは、青春の”ノスタルジー”だから。
機関銃のようなお喋りではないのだ。
オジサン族はそういう意味ではロマンチスト、昔を引きずるのだ。

今度の上京は恐ろしいことになりそうなのだ。

 
  my favorite songs
 
Somewhere Over the Rainbow  Eva Cassidy


■2008.07.21  morning  管理人

朝の八時から夜九時まで、会館ホールにほぼ缶詰状態。
出入り口は開けっ放しなので、館外の熱気が流入しエアコンは殆ど効かない。
労組団体と共催の催し、場内整理の任を我がサロンが担った。
責任者はサロンの長老、私は補佐。

ローザ姉御が催しの前に嘆く事しきり、
「ア〜ア、これで全部・・・・・・・・」
あるハプニングがあり、催しの運営にお上のその”筋”が全面的に入ってきたので。
お上の介入を断れば催し自体を中止せざるを得ない状況、実行委員会は止む無く受け入れを判断した。

何とか無事終了、サロンの総括集会を持った、
総括集会といっても単なる茶話会なのだが。
「俺は、『やり方が手ぬるい、そんな事では当方は責任が持てない』と何度も叱咤された」
『別に、あんたらに責任持ってもらわなくてもいい』
「そう言い返したかったけど、言い返せなかってクヤジィ〜」

無事、盛況に催しが終了した達成感と、
お上にいい様にこき使われた悔しさ、
両方が入り混じった。


■2008.07.19  night  管理人

我が家にお誘いしたのは訳がある。
ミヨちゃんの旦那様、実家に帰った際にご先祖様の写真をご本家より一時借りてきたという。
ご自分のルーツを、ご自分用に残したいのでデジカメで撮って残すと話してくれた。
「写真をデジカメで撮って残す・・????」
「それなら、スキャナーで撮り込まないと」
「スキャナーで取り込む・・????」
「ウ〜ン・・・分かった、説明は省く、写真を全部持って明日我が家に来てください」

データベースとして残すインデックスの打ち合わせの後、お昼までに約30枚程、
写真の裏には達筆な毛筆で、撮影日時やコメントが、
日付は明治、大正、昭和の終戦頃まで。
帝国海軍の高級将校だったという先祖様の歴史が写る。

三人で作業に集中していると、妻から水入り、
「四人で昼食に行きましょうよ」
食事中、旦那様と妻を両側にもう一度ボケを、
「僕はね、ミヨちゃんと仲が良かったんだよ」
期待した突込みは何れからもなし、一番きついリアクションの”シカト”だった(泣。

午後、作業再開、結局終了したのは午後4時ごろ。
スキャニング写真枚数99枚、スキャニング回数は表裏含めて200回余り。
「画像の圧縮は出来るだけ低く、プリントしたときのきめ細かさを大事にファイル保存をしていますから」
「・・・・????」
云っている事が理解されたかどうかは定かでないが、取り敢えず私のオタク技術が旦那様の信頼を買ったことだけは間違いない(と思う)。

正副2枚のCDロムが完成。
ボケはしっかりシカトされたが作業中のお喋りで重大な事実が。
友人Aが恋焦がれていたミッちゃんの所在がミヨちゃんの口から判明したのだ。
これは重大事件だ。
Aには、この情報はいい値で売れる(笑。

しかしだ、それはさて置いて、
ミヨちゃん、42年の二人の友情の空白、これで埋めれたよね。




■2008.07.19  morning  管理人

招かれたある団体の宴席を出たのが午後8時過ぎ、相変わらず既にヘベレケに近い状態。
酒は強くないので、ちゃんと付き合うともう目一杯になる。
いつものJRの駅まで千鳥足で歩くのは面倒なので、自販機でお茶を買って通りの市内電車に飛び乗った。
クーラーが効いてて気持ちよい、これは一寝入り出来ると席に着いた。

瞼が下がりかかってきたその時、「**くん」と呼ぶ声が。
寝ぼけ眼でほとんど霞がかかった車内から私を呼ぶ声が聞こえる。
目を擦って観るとミヨちゃんではないか。
後から帰省して来た旦那さんと仲良く前の席に座っている。

結局、直線では我が家に帰りつかず、ミヨちゃんの実家の在る駅で途中下車。
駅前の居酒屋にミヨちゃんと私、それに仕方なく旦那さんも(笑。
「私とミヨちゃんはね、仲が良かったのですよ」
旦那さんをからかい、酒の勢いで時折ボケを入れてみたが
「そうですか、お世話になりました、ワッハッハ」、動じてくれなかった。

結局、終電車には間に合わない時間まで歓談。
明日、ご夫婦で我が家に来る話をまとめてお別れした。
不景気なようでタクシーは直ぐに捉まった。



■2008.07.18  morning  管理人

オジサンは(お爺さんだが)、あまりに可愛いのでカメラをいじる振りして盗撮したのだ。
決して、変質者で無いので其の点はご懸念なく。
昨日は本を読んでいた。
背表紙にラベルが付いているので、きっと図書室で借りてきたのだろう。
母さんの手作りだろう、黄色の手提げ袋が可愛い。
この後、大きなあくびをして、水筒のお茶をゴックン。


「四人の子供を育て、そのうえ8人の孫なのよ」
「私は一人だけだけど、隣にいるのよ」
「ほんと、川柳じゃないけど、『来て嬉し、帰って嬉し、孫の世話』、って心境よ」
還暦三人娘は、皆、孫の話しに花が咲くのだ。
私一人蚊帳の外、皆、いいよなぁ〜・・・・。

昨日は珍しく、この後車内が混み、大人三人に取り囲まれていた。
本をたたみ、手提げ袋を膝の上に。
母さんにちゃんと躾けられているようだ。

大丈夫、独りじゃないよ、
一杯の目が、君の事守っているからね。




■2008.07.17  night  管理人

仲良しだったミヨちゃん、
人気者だったヨッちゃん、
頑張りやだったエミちゃん、
嫁のグチ、旦那の悪口、孫の話・・・・、三プラス一の談笑は延々と続いたのだ。

「男同士ではまず出ない話題だよ」
「男同士では、昔好きだった子の話がメインでさ・・・・」
「女は昔を振り返らないのよ!」
しかし、三人は機関銃のように喋る。
私は、42年ぶりに会ったミヨちゃんとゆっくり話したかったのに。

「俺さぁ・・、学生時代いろいろあって、今まで高校の同級生とはほとんど付き合いなかったけどさ」
「今日、久しぶりに会えて楽しかったよ」
「ミヨちゃん、昔とぜんぜん変わって無かったよ」
「今度、東京でゆっくり会えたらいいね」
帰りの電車の中で、ついさっき教えてもらったミヨちゃんの携帯にメールをした。

仲良しだったミヨちゃんが、法事で7月に帰ってくると先の同窓会で聞いていた。
今日の昼過ぎ、冒頭のエミちゃんに呼び出された。
42年ぶりのミヨちゃん+2との再会は4時間余りに及んだ。
しかし・・・・・・、
何度も言うが、私はミヨちゃんと話したかったのだ。

  
   my favorite songs
  Songbird - Eva Cassidy





■2008.07.15  morning  管理人

朝の通勤のJRは私の乗車駅が始発。
10分程前に乗車すれば必ず座れる。
この半月、この便を利用していて分かった事は、皆、座る位置が決まっている事。
当然、たった半月だが私の位置もほぼ固定化されてきた。

私の定位置の向かいのボックス席、何時も座席を占領している子がいる。
帳面を出し漢字の書き方練習、時には塗り絵もしている。
耳や額が隠れる長髪、ホッペはふっくら。
カバンや手提げ袋の其処此処に名前が書かれている。
”涼”くん。
”二年生”の名札も見える。

じぃっ・・と見ていると怪訝そうな目で見返してくる。
にこっと微笑むと下を向く。
「知らない人と話してはダメ」、母さんにそう言われているのかも。
私立の小学校に一人で通っているようだ。
乗客も常連ばかり、少し車内が混んでも彼のお勉強タイムの領域は侵さない、
ローカルだから許される朝の車内事情。

額に被さる柔らかい髪、ふっくらホッペを見ていると長男坊の幼い頃を思い出す。
親バカだが、可愛かった。
仕事から帰ると抱き上げ頬ずり。
夜は毎晩二人の息子を両脇に本を読むのが楽しみだった。

私の下車する2つ手前の駅でその子は降りる。
車窓から、元気よくホームの階段を駆け上がる姿を見送る。
過疎の田舎もいいものですよ。



■2008.07.14  night  管理人

「こんな上司の職場では働けない」
「今まではサービスでいたしておりましたが、今後は為替手数料は相応の費用負担を」
「こんな事業計画は、私ら出来ません」
一番目はとある職場の職員一同からの直訴、
二番目は永年取引しているメインバンクの支店長
三番目は営業関係の職員。

ブチ切れ寸前である。
テメエラ、何だと思ってやがるんだ。
定年一年を切って、降って掛かる難題の山。
何でだ・・・。
今までの先輩はこんな苦労してきたの。
書けば永遠に終わらない程のグチがあるので、10行程書かせてもらった。

でも、世の中楽しい、
任期の限りはとことん、やってやろうじゃないか。
闘争勝利!!!



■2008.07.13  night  管理人

五歳のとき、一年だけ幼稚園に通った。
小学校低学年の頃の記憶はほとんど無いのに、幼稚園の頃の記憶は断片的だが残っている。
ひな祭りの行事、節分の豆まき、背丈ほどもある積み木で遊んだこと、遠足でバナナが食べられた事。
歩いて10分程の距離を通園した記憶も残っている。
独りだったか、母親が傍に居たかの記憶は無いが。

川沿いの道を歩いて幅一間程の木の橋を渡る、
防空壕がある城山の縁の涼しい木陰を通る、
お姉さんたちと一緒に門をくぐると、構内に幼稚園があった。
由緒正しき公立女子大付属幼稚園だった(笑。

通園路沿いの川は真っ黒な水が流れていた。
特有の、コールタールのような臭い。
少し上流の製紙会社が、原料を晒す濃いアルカリ溶液などを市中の川に垂れ流していたのだ。
川辺には石で積んだ階段があり、黒い川水の傍まで降りていけた。

ネズミ捕り器を知っているだろうか。
中に餌をぶら下げ、ネズミがはいると入り口が閉まり御用。
川にこの捕りカゴがよく浸けられていた。
真水ではなかなか窒息死しないネズミが、この川水に浸けるとイチコロだと聞いた。
幼心に鮮烈だったのかよく憶えている。

それから十数年後、昭和40年代になり世間に公害という言葉が出回り始めた頃、
流域の住民が製紙会社に廃液をタレ流すなと要求したら、社の責任者はこういうふうな返答したらしい、
「法に基づき、基準はクリアーしている」
県当局もこの見解を追認したらしい。

今夜、NHKの番組「 激流中国 告発せよ 摘発せよ〜環境破壊との闘い〜」を観ていたら、
中国の工場主も全く同じような事を言っていた。
私の街では40年程前の話。
いずこの時代も、いずこの国でも、資本家が慎み深いと思ったら大間違いだ。


■2008.07.12  morning  管理人

一回目が洗い終わるまでは台所の片付けをし、
干し終わったのは未だ世間様が寝ている時間帯。
二回目の洗濯機のスイッチを入れてから、コーヒーを点てた。
お気に入りの内田光子さんのCDを掛けてしばしウトウト。
玄関で物音がしたような気がして、眠気眼で表に出てみた。


玄関の取っ手にビニール袋がぶら下がっている。
枝のついた枝豆、この時期、よく届く。
季節の胡瓜、南瓜、トマト、茄子、時には西瓜も。
近くに住む妻の職場の何人かの先輩、退職後の家庭菜園で採れた季節の届け物。
もちろん先輩の旦那様の汗の結晶だと思う。

残念だが、私には身近にこういう人間関係が以前も今も無い。
荷物を背負って暮らしてきた気負いが、こういうさりげない人間関係を遠ざけてきたのだろう。
そのまんまだったら、何とも寂しい晩年を過ごしたと思うのだが、
ここ数年は少し違う展開になってきている。

本当に少しずつだが人間関係が拡がってきた。
か細いネット上の付き合い、酒を酌み交わす濃い付き合い、
いずれも私にとっては大切な繋がりだ。
大事に大事にしていきたいと思う。

いかし、季節の届け物を頂くのは妻のキャラだけでなく、
旦那の丹精込めたクリスマス・ローズのギフト作戦のお陰も大いにあると信じている。
きっとそうだ。



■2008.07.11  night  管理人

JRの駅から早足で15分程、始業の5分前に職場に着く。
途中の道沿いに小学校、中学校、県警本部のビル、おまけに共産党県委員会の古びたビルもある。
5歳の頃、幼稚園へ通った橋も渡る。
当時の橋は木製、川の水は工場の排水で真っ黒、そこ此処にメタンガスが沸いていたのに、今は鯉が泳いでいる。
そんな事、皆忘れたのか・・・・
隣の国のこと、悪く言える程の国ではないと思う。

職場に着きタイムカードを押して席に着くと汗が噴出してくる。
今は誰も使わなくなった扇風機を倉庫から出してきて傍に置き全開。
エアコンが入る9時までは体の火照りが収まらない。
マイカー通勤を止めて半月程、
この間、宴席での悪酔いは数度に及ぶが、チョイと帰りに一杯はまだ無い。

映画「靖国」の前売り券、売れ行きは順調。
上映にはちょっとしたハプニングが発生、
期せずして、お上のその筋と”連携”しなければいけない事態に。
”制服”はご辞退したが、”私服”は止む無し。
しかし・・・・、共催するロウグミの皆さん盛り上がっている。
当然、私も・・・・盛り上がっている。

  my favorite songs  We Had Words - Kathy Linden


■2008.07.07  night  管理人

「額に汗して働く者が報われる社会、それが当たり前の社会ですよね」
「ネエ、そうでしょう、そうですよね」
「働く者が汗して創り出した社会の富、その富を操作し利ざやを稼ぐ者が社会の勝ち組なんて私は絶対許せない!」
今夜のとある業界の宴席、この単純オヤジは相当ボルテージが上がっていた。

「この国は老人がも一度決起しないと、どうにもならなくなってしまったのですか?」

酒が相当入って、周りをはばからず、声高に宴席で言いたい事を云っていた。
「ア〜ア、また余計なこと言ってしまった」
帰りのJRの車内で一人ボソボソ・・・・・、
何時もながら反省しきり。




■2008.07.06  night  管理人

人生よありがとう

この番組を作った方、

みんな知ってるよね。
ほら、あの・・・・・・・

明日からまた一週間が始まります。


人生よありがとう

 
  my favorite songs  Gracias a la vida - Violeta parra



■2008.07.06  morning  管理人

「人は皆、幼いときは純なものです、それが年をとると何故か不純になる」
「でもね、更に年をとると不思議に純に戻る」(筆者要約)
中の様子を覗おうと開けたブ厚いドアから、講演者の話と聴衆の笑い声が漏れてきた。
講演の主旨とは全く関係ないたとえ話だが、
私も深く納得、そうだと思った。

講演会が近づいてくると、ローザ姐御の心配は頂点に達していた。
いつも”鉄の意志”の彼女が、先日のサロンでは珍しく弱音。
講演決行日の数日前、彼女からの悲痛な救援要請のメールも入ってきた。
自分なりに動員ではそこそこのところを回っていたので、
忙しさにかまけ、当日は出る予定にしていなかった講演会の助っ人に出張っていた。

嬉しかったのは・・・・・、
回った○共関連の職場でお願いした、その筋の方の顔が有ったこと。
それと、私のゲバラの旗をにらみつけた○共の長老さんのお顔も有ったこと。
そういう意味では、最近の活動は私の日頃の言動とは不一致になっている(笑。

もひとつ、嬉しかったのは、
次の国政に向けて頑張っている若い彼女が来ていた事。
質疑ではちゃっかり質問して、しっかり自分のアピールしていた。
「頑張れよ、応援しているからね」
私として、彼女の政党は色々有ってもろ手を上げてと云う訳には行かないが、
オジサンなもので、帰り際ついついエールをおくってしまうのである。

更にもうひとつ、嬉しいのは
鉄の意志のローザ姉御と、
弱音を吐いて嘆くローザ姐御、
その両方を私は知っている事なのだ。

「信じて胸に念じれば救われるのです」
「アッ・・・、**さん笑いましたね!」
受付の準備を一緒にしているとき、牧師様が私に言った下さった通り、
保守系を除く各政党筋の方々、各労働団体の方々、もちろんローザファンの市民の皆さん。
ローザ姐御の心配をよそに、会場は満杯だった。

 my favorite songs  So In Love  Kathy Linden




■2008.07.04  night  管理人

やっと、週末までたどり着きました。
フッッッ・・・・・・・・

 
my favorite songs  Ain't No Sunshine  Eva Cassidy






■2008.07.02  night  管理人




忙殺されています (泣。



 
my favorite songs "The Water is Wide" (traditional song)
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