■2008.09.30 morning
管理人 今日は40年目と5年目の記念日。 40年前は、浅草の当時の日大講堂で大衆団交を行った日。 5年前は、このホームページを開設した日。
40年も長かったですが、この5年も長かったです。 時系列で書いた当時の思い出はほぼ一週間で書き上げました。 その後、誤字も含めて一切手を入れていません。
一つは、 その時の”思い”で書いたのだから、良し悪しは別としてその時の”思い”を大切にしたいから。 も一つは、 面倒だから・・・・、実はこれがほぼ大半の理由ですが。 しかし私は、何でこんなにしつこいのか、
私の”個人属性”だと思っていましたがどうも違ったようです。 幸運にもこの5年で、同じ様な方々に次から次に再会しました。 比べると、私なんかまだまだ淡い方だと分かり、内心ホットしている次第です。 この5年で得た成果は、
当時、面識が無かった多くの仲間・同士と再会が出来た事、 そして私なんかの後遺症は、まだまだ淡いほうだと分かった事です。 私もかなりですが、仲間の皆さんには、負けます(笑。
■2008.09.29 night
管理人 明日でホームページを開設して丁度5年が丸まります。 途中で何度も自己嫌悪に陥って、もう止めよと思いました。 あ〜あ、云っちゃった、なんて後悔することは始終です。
最近は何で続けているのか、自分でもよく分からなくなっています。 決起せよ、目覚めよ、なんて人様に指図するほど高尚なものでは勿論ありませんし。
まあ、ポンコツ親爺がたまたまネットが弄れたもので、 これ幸いとの世迷い事の連発です。 でも5年続けて最近やっと分かってきました。 私の基本は、”後ろしか見ない”事です。 でも後ろと前ってどうやって決めるんでしょうね。
後ろが前ってこともあるし、 前が後ろってこともあるかもしれないし、 だから、私はコロコロ変わるの嫌だから、 いつも後ろしか見ないことにしている訳です。 そういう事です、
だから後ろ向きに闘争勝利!、なのです。
■2008.09.29 morning
管理人 不思議なもので、秋風が吹く頃になると何故か'68年11月8日の事を思い出す。 昨年の日記にも、9月22〜24日でこの2〜3日と同じ様な事を書いている。
あれは、私のような凡人には稀有な経験だった。 デモや集会で殴られた事は何度もあるが、反対に思いっきり人を殴ったり叩きのめしたりした経験はそうない。
また普通は、人が目の前で打ちのめされ、苦痛にゆがみ瀕死になる光景を見ることもまずないだろう あれは、40年経っても癒えない私にとって深刻なトラウマだ。 昨年より少しの変化は、語る内容に具体的な記述が少し増えた事だ。
昨夜、仲間が資料を送ってくれた。 当夜、芸術学部バリケードに泊り込んでいて応戦した一年生の手記だった。 少しの状況認識の違いが有ったが、大まかな状況はこの一年生の記述とほぼ一致している。 手記には、
応援部隊が校舎内を制圧し右翼・体育系学生を追い出した後、中庭で合い入り乱れて”白兵戦”を行ったと書いている。 其処此処に、打ちのめされ意識不明の右翼・体育系学生が倒れていたとも書いてある。
私には”白兵戦”の記憶はない。 校舎内を5〜6人のグループでゲリラ的に移動していた。 校舎内で局地的な衝突を何度か繰り返し、中庭に出たときには既に”敗者”が其処此処に横たわっていた。
多分、白兵戦は5分か10分程の敗走者との最後の短時間決戦だったと思う。 手記を書いた一年生とは学部も違い、当時も、それからも面識はない。
この11月には、芸闘委の行動隊長や委員長も来るはずだから聞いてみよう。 もし、この一年生が来るようなら紹介していただこうと思っている。 バリケード篭城の応戦組と応援部隊の双方で、当時の状況の検証をしてみたいと思っている。 人は話す事でトラウマを和らげると聞いたことがあるが、
それは単なる回顧でなく、私の治療としてなのだ。 my
favorite songs Dance with me until tomorrow Vicky
■2008.09.28 night
管理人 単なるバリケード破りとの渡り合いなら、ああまでの状況にはならなかったと思っている。 最上階まで逃げる間に、捕らわれた仲間が何をされたかはここに書かない(書けない)が、
それは”非道”で、絶対許せなかった。 私等は馬鹿で暴力的と揶揄されたが、”仁義”は重んじ、”道”は守った。 仲間の皆、それまでに受けた数々の暴力だけでなく、捕らわれた芸闘委の仲間がされた事も加わり、憎悪に煮えたぎっていた。
「殺してやる」と心底思った仲間もいた筈だ。 宮澤君は6月11日経済学部で負った数えきれない傷の痛みと、目のあたりにした惨状に眼は血走り、形相は鬼と化していた。
すでに拳は腫れあがり使い物にならなくなっていた。 一回りも二回りも大柄な相手に、飛び上り肘で一撃を加え続けていた。 「宮澤、もう・・・・・」
私の声にも耳を貸さなかった。 古傷の痛みがない分だけ、私の方が早く正気に戻っていたのだろう。 目の前の光景はとても尋常なものではなかった。 その年の6月11日、宮澤君は数えきれない傷を負って経済学部の床に倒れていた。
放水で水浸しになった床に、浮くように倒れていたという。 病院に担ぎ込まれ、縫い合わされた傷を数えたが、4〜5ケ所で数えるのを止めたと話を聞いている。
少し離れて、ガレキの上に座り込んだ私、目の前のシーンを他人事のように眺め続けていた。 それより少し前、周りがすっかり明るくなると、校舎の塀の外に制服警官の姿がチラホラ目につきだした。
後から聞いた話だが、機動隊は予想外の展開に、ガサ入れに入る間合いをなくし、近くに大部隊で待機していたという。 何時、機動隊に雪崩れ込まれ根こそぎ持って行かれてもおかしくない状況だった。
しかし、不思議なことに皆にはそこから逃げるという気持は一切なかった。 私はただ、疲れ果てて座り込んでいた。 この出入り、 渡り合いには勝ったが、放送室に逃げ込んだ右翼と体育会学生を引っ張り出さないとケリはつかなかった。
外からハンドマイクだったか、それとも放送室のスピーカーからだったか、中に放送した。 「もう既に何人か死んだ」 「だから、出てこないと命の保障はしない」
「出てくれば命だけは助けてやる」 「両手をあげて一人ずつ、順番に出て来い」 記憶がかすんでいるので不確かだが、そんな内容の放送をした記憶がある。 放送スタジオは防音構造で密室、中からは外の様子は全く分からない。
右翼・体育系学生は状況が全く分からず、恐怖に慄いたのだろう。 両手を頭の後ろに回し、一人ずつおとなしく出てき始めた。 私らより一回りも二回りの大柄な、屈強な奴ばかりだった。 ドアの両側にサンドイッチ状に数十人が出迎えの列を作った。
その列の間を両手を挙げて大男が進む。 両側から・・・・・・・、 崩れ込むと誰かが・・・・・・・。 もう一度云う、 単なるバリケード破りの渡り合いなら、
芸闘委の仲間への非道な仕打ちが無ければ、ここまでの状況にはならなかった。 皆は憎悪に煮えたぎっていた。
■2008.09.27 night 管理人
強くない酒をシコタマ飲み過ぎて風邪を引いています。 でも、ミヨちゃん、昨日のミニ同窓会でじゃないからね。 水曜日、出張先の仕事の付き合いで深酒、深夜徘徊とホテルのエアコンで喉を傷めたようです。
そう、私はデリケートなのです。 「もう・・・・、何日もブログを更新してないじゃないの」 心配されているのか、ハッパ掛けれているのか、
電話で話していてよく分からなかったけど。 でも、ミヨちゃんが怒らず読んでくれていることが分かって嬉しい。 「**くん、文系クラスに何人か友達いるから探してあげる」
昨日、ミニ同窓会に同席したクラスメートの女の子(やっぱ還暦だけど)に”あの子”のこと話した。 もうこの際、私には恥も外聞もないのだ。 今ある伝手と可能性なら、何でも使ってやろうと開き直っている。
 それと、ミヨちゃん
この日記は”ブログ”じゃないからね、 どう違うかと云うと、 え〜と、 その〜〜〜〜(汗、 まあ、いいか。
■2008.09.22 morning
管理人 江古田の駅前は朝靄が掛かっていた。 御茶ノ水を出たのが始発便だから、新宿、池袋経由で5時半ぐらいだと思う。 御茶ノ水の駅では4〜50人程度だったのが、途中の駅で何回か合流し、江古田の駅に着いたときには200人位になっていたと思う。
駅を出ると、通りの向こう側に白いヘルメットの集団が居たが、直ぐに居なくなった。 駅前から芸術学部までの道は狭い、隊列は横5人位で組んだ。 真っ暗闇の道を、声を出さずに走った。 最初は前から数列目に居たはずだったが、自然と足は遅くなり、校舎の前に着いた時には後列まで下がっていた。
心臓はパクパクと波打ち、足はすくみ思うように前に出なかったのだ。 ようはビビリ回って居たのだ。 校舎はシ〜ンと静まり返っていたのが記憶に残っている。
「いいか、絶対に一人で行動するな」 「4〜5人単位で動け」 後は何も打ち合わせなし、これが”行動”の前の唯一の確認事項で後はぶっつけ”本番”だった。 この時点でやっとビビリは取れ、やる気になっていた。
最初の遭遇はシャッター越し。 膝下位まで開いたシャッターの向うに、幾つかの足が見えた。 芸闘委は最上階まで追い詰められていると聞いていたので”右翼”に間違いない。
やわら、仲間がシャターの下からゲバ棒を突っ込んだ。 中から「この野郎、来てみな!」というような挑発の声が響いた。 シャッターをこじ開け中に突入した。
相手は思いの他たった一人だった。 メッタメッタに袋叩きして一丁挙がり。 脇の教室にも数人が居たが、此方を見ると逃げ出した。 それを追い詰めて叩きのめした。
そうやって階を上がって行った。 右翼はこの時点で、最上階に追い詰められた芸闘委と、追い上げる私達に挟み撃ちになった形になった。 私のゲバ棒は最初の一撃で真っ二つに折れた。
周りを見回すとアルミサッシの枠が転がっていた。 このサッシの棒を拾い、それで渡り合った。 渡り合ったといってもサシではない、一対五か、せいぜい二対五の勝負である。
他大学の屈強な体育会の学生を相手でも勝てたのは、”根性”の違いもあるがそれ以上に数の違いがある。 はっきり云うが、あいつ等は間抜けである。
日大全共闘は自身で馬鹿だと自認しているが、あいつらは馬鹿+間抜けである。 固まって闘えば対等以上に渡り合え、悠悠と逃げ出せたものを、 所詮、日当でかき集められた寄せ集め集団、全くまとまりがなかった。
校舎内の至る所に分散して、少人数で立ち回っていた。 私等はそれを各所で撃破し捕らえ、薄日が射してくる頃には、ほぼ勝敗は決まっていた。 追い詰められて投げつけてきたもので笑えるものがある。
最初はスチール器具とか机、椅子がブンブンと飛んできたが、 投げるものが無くなったのだろう、写真機材や現像液、フィルムも飛んできた。 最終的に、逃げ込む時だけはまとまって講堂だったか放送室だったか(?)立て篭もった。
この篭城組みのなかには、今のスポーツ界の重鎮や、頂点を極めた功労者もいるときている。 余談だが、 御茶ノ水始発の国電に乗り込んだ際、ガラガラの向かいの席に三上治さんが座っていた。
私らのバリケードに泊まっていたか、向かいの中大に居たのかは定かでないが、電車はご一緒だった。 新宿で「頑張ってください」と電車を下りた。 後日の話では、私等のバリケードに投宿していたとも聞いている。
もしそうだとしたら一宿一飯の義理で、ご一緒できていたかもしれない。 内ゲバではなく、外ゲバの絶好の機会を彼は逃した事になる。 私が”論客”と云われる方々を信用しないのは、このささやかな経験も一つの要素となっている。
も〜一つ余談、 私等は突っ込む前に、相手の人数を知らなかったし、知らされていなかった。 こちらは約200名、私等は数で負勢とは思っていなかった。
江古田の駅前に居た白ヘルの集団は、最初は中核派の応援だと思った。 講堂に立て篭もった右翼も極少人数だと思った。 しかし、 相手の数は総勢400名程と後で知った。
江古田の駅前の白ヘル集団は200名ほどで、到着した私等に恐れをなして逃げ出したらしい。 白いヘルメットは支給されたもので、ゼンガクレンはダメという意味で、テープで×印が付いていたらしい。
体育会系の猛者が四百人も集まったのだから、それに指揮官は本物の”筋”の方、 向うは相当な自信だったろうと思う。 それが高じて、ヘナチョコ全共闘なんか応援に来るはずがないと高をくくっていた節がある。
それに制圧した後は、間髪を入れずに機動隊が入るシナリオが出来ていた(言い切るのだ)。 チョロイもんよと遊山気分だったのかも知れない、 そこに突入したのだから、向うも焦ったのだろう。
そこの根性が私等とは違っていたと言う事だ。 講堂に立て篭もった右翼を「命だけは助けてやる」と引っ張り出して、皆が驚いた。 私等の数とほぼ同数だった。
■2008.09.21 night
管理人 8月3日の日記に綴った高校時代の友が、週末に当地に里帰りしてくる。 両親は既に没し、もう此方に実家は無いそうだ。
3泊4日、ホテルに滞在すると連絡をくれた。 この8月初め、品川でのミニ同窓会で40年振りに再会をしている。 「この秋、そちらに家族で帰るから、その時また会おうよ」
品川でそう云って約束していた。 実は、この友に是非とも会いたいという女の子(60才だがこれで通す)がいるのだ。 6月の同窓会以降、「**君との”再 会”を段取りせよ」と厳しい注文を承っている。
私同様に、団塊世代は男女を問わずシツコイのだ。 しかし、この彼女を含む彼女達には、喫茶店で旦那と孫の話に延々と半日付き合わされたトラウマがある。
ここのセッティングが思案のしどころ、 やはり、この最強な方々に対抗するにはアレしかないと考えた。 そう云う事で手近な喫茶店は外し、ホテルの和室での昼食会をセット。
敵は女の子(しつこいようだが全員60才)三人、こちらは友と男二人+アルコールでバランスを取る。 首都圏のミヨちゃん、そう云う事だ。 笑うなよ!
■2008.09.20 morning
管理人 昨夜2回、干し終わったのは普段なら寝ている時間帯。 今朝は今、最後の3回目が回っている。 たった三人の所帯で、何でそんなに”課題”が多いのかいぶかるかもしれないが。
私には極めていい加減な性格と、極めて几帳面な性格とが同居しているのだ。 今は、いい加減な性格が勝っているが。 しかし、全共闘を患うまでは、几帳面な性格が勝っていた。
今でも、洗濯というタスクには極めて几帳面な性格が反映している。 そう云う事で、一週間分を用途別、繊維別、色柄別等々、私の厳しい選別基準で分けて洗う。
洗剤も石鹸、合洗、ウール用等々、こまめに使い分ける。 ここいらあたりは、ネットのオタク度とほぼ似通っている。 11.22集会の詳細が固まりました。
今日・明日にも案内ページを設ける予定です。 会の具体的な内容は非公開です、その点はご理解ください。 日大全共闘にご理解を頂いている方々、
共に闘った他大学の方々、 物心両面、御支援いただいた方々、 ご縁の有った文化人、ジャーナリストの方々、 今回は、40周年を記念して多くの方々に参加を呼び掛けています。 会の詳細な内容は公開いたしませんので、
会の詳細は当ホームページのメルアド 又は、期間限定で連絡用の私書箱を設けております。
連絡用私書箱 〒160−0022 東京都新宿区新宿1−15−8 ANビル6F 「日大930の会」
■2008.09.19 night
管理人 「随分と溜まってしまいましたね」 何気なしの妻の一言。
秋雨から台風に続く天候、なかなかまとまった晴天が続かない。 お陰で、洗濯物の山が出来ている。 台風一過の週末は、この課題解決に緊急に取り組まなければならない。
一回目は時間調整やらで緊張する。 二回目は、初回の反省を込めて時間調整する。 三回目は、一通りつつがなく終わる。 巡回の会議、毎日毎日同じ事を喋っている。
今日で四回目、後三回有る、 週末を迎えて、重なる疲労でグッタリ。 ’69年2月、バリケードを追い出されて、行き場がなくなってしまった。
来る日も来る日も、集会を繰り返し、デモを繰り返した。 バリケードでは感じなかった倦怠感がだんだんと溜まってきた。 ある時期から、集会もデモも、もういいやと思うようになってきた。
まだ、1970年を迎えていない頃。 元々が性根の座った主義者ではない、バイトに明け暮れ集会やデモから遠ざかるようになっていった。 1970年も押し詰まった頃か、それとも1971年の初頭だったか、桃井に引っ越した。
桃井は、ボロボロになった魂の溜まり場だった。 桃井のコンミューンはそんな魂の救い場だったような気がする。 週末、余りに疲れが溜まると、そんな桃井を懐かしく想い出す。
■2008.09.18 night 管理人 妻が、 「ねえ、何で証券会社が倒産するの?」 「ウッ・・・・・・・・、?」
「そんな事、私に分かるわけないだろ」 「そんな事、経済学部をまともに卒業した奴に聞いてくれ」 「俺は理工学部だから」 という事で、
妻は、私が経済がからきし分からないという事は理解したようだ。 意味不明な私をさて置いて、ネットの世界はおお賑わいだ。 「世界恐慌が来る」、とか
「資本主義は破綻した」、とか 「マルクス・エンゲルスが復活した」、とか いやはや、それはそれは賑わっている。 私に分かる範囲は、
「糞ったれ、皆が皆、銭儲けにかまけて、トチ狂っているのさ」 私の願いは、 「狂え、狂え、銭にとり憑かれて皆狂ってしまえ」 そういう事だ。
そうすれば、 世界同時革命なのだ。 相変わらず、 闘争勝利! なのだ。 しかし・・・、オイラほんと馬鹿だわ。
■2008.09.16 night 管理人 職場を少し出遅れた。 「何時もの便には間に合わないな、少し散歩して次の便にしよう」
ぶつぶつ呟きながら職場を出た。 何時もは一つ先の駅まで足を伸ばしているのだが、今夕は我が家に近いほうの一つ手前の駅を目指した。 実は、
いつもの駅から10分ほど足を延ばしたところに、かつて”あの子”の家が有った。 一つ手前の駅までの道中に、あの子のかつての家があるのだ、 通勤バッグを肩にかけ、雨傘を小脇に、勿論i-podのBGM付きのウオーキング。
20分ほど歩くと、あの子の家が近づいてくる。 BGMはノラ・ジョーンズの Sleepless Night Why
did you go Why did you go don't you know don't you know I need
you ♪ 切なくさせる曲だ。 微かに残る記憶の場所には大きな家が。 足を止めて確かめた表札は、違う姓。
あれは・・・40年も前だもの。 切ないストーカー。  一つ手前の駅、ホームを秋風が吹き抜けていく。
■2008.09.15 night 管理人
モヤモヤ解消にハタと思いついた。 私はゴルフに行ったりパチンコに行ったりしない。 ディンギーは、肩が固まっているからマストが立てられない、
それに台風も来てるらしいから。 そう云う事で「冬のソナタ」なのだ。 I
never told him about that. I never told anyone that. Joon-sang gave me
a tape. What ? ハングルが分からないので、YouTubeで入手の秘蔵完全オリジナル版の英語字幕から。
ウルウル涙なのだ。 もうこのシーン、何回観たことか。 モヤモヤはウルウル涙と一緒に流れ去るのだ。 取り合えず、闘争勝利!
■2008.09.15 morning 管理人 昨日読んだ「1968年の後遺症」の後遺症に悩まされている。
朝起きて、妙に頭がすっきりしない。 再検査もクリアーしているし、まだ前期高齢者の兆しは少し早いと思う。 どうも、昨日の”念仏”が頭の中で絡みあっているようだ。
読書は行の論旨を理解しながら、自然と次の行頭の活字に視線が移動していくのが普通だ。 この手の文章が何にも増して辛いのは、次の行に視線が移動する際。
次の次の行頭に視線が飛んでしまうことがしばしば、時には前の行に戻っていることもある。 普段耳慣れない単語が羅列していていい加減に訳が分からないのに、次の行に”物理的”にスムーズに飛ばないので我が脳髄はパニックになる。 ハタチの頃は若さの勢いで読んだ(と錯覚した)。
それに偉い論客だから、きっと御利益のある事を書いているはずだと信じた。 でもね・・・、あれから後の事を考えると。 まあ・・・・・、今更いいか。 しかし、このモヤモヤ、何とかしなくては。
my
favorite songs If I Could Hold You In My Arms Kathy Linden
■2008.09.14 night 管理人 長崎浩さんの「1968年の後遺症」を斜め読みした。 全共闘だったと思っている私は、
全共闘を語るものは珠に読むことはあるが、 全共闘を論ずるものは基本的に読まない。 とうとうと世界情勢を紐解き、引用と持論んで、世の中全てを解き明かすかの様な論文には興味がない。
私を壊した(小見出し) ・・・・、自己疎外論はこれを労働の化体であり、あるべき主体にあらずとみなしたにすぎない。しかし主体自己とはそもそも他人との関係や間柄のうちでしか定義されえないし、形成できない。もともと私なるは存在しない。私は家族や友人仲間との関係で私であるのだし、さらに世間の匿名の他人との関係で私は社会的対他的存在である。私とは「社会的関係の総体」である。とすれば、生活の手段であれ他の何であれ、協業としての労働がなお枢要な活動である社会では、労働において社会的に対他存在であることが主体私の意味になる。・・・・・ 長崎さんの論文を少し引用した、
パソコンの文節変換でまともに変換してくれない。 単語変換でも出てこない。 一字ずつ変換してやっと文章が打てた。 フッッ・・・・。 昔、こういう文章をよく読んだ。
今も同じだが、私には何を書いているのかよく理解できなかった。 しかし、難しい単語がたくさんあるのできっと御利益が有ると信じて読んだ。 持っているともっと御利益有るのではとナップサックに忍ばせた。
でも、結果的には何の御利益も無かったのだけど。 私の感想は 「だからさぁ〜、何を言いたいの?」 「もっと素直に、簡単に言ったらいいのに!」
でもって・・・・、長崎さんはこう云い返してくるかもしんないな。 「馬鹿め!、お前ごとき一兵卒に分かるはずがないだろうが」 御免な、ゼロ闘委君。
永く党派活動を経験した貴方には”刺激的”だったかも知れないが、 長崎さんには何の恨みもないのだが、 私にはかつて読んだ偉い学者先生の”念仏”と同じだったので。
貴方に喧嘩売ってるのではないので、許してな。
■2008.09.12 morning
管理人 「胃潰瘍の疑いがあります・・ちゅうたって、医者は普通モロに”癌”の疑いがありますとは云わないからね」 職場の同僚に再三に脅された。
思い出すに、人生で後にも先にも不退転の”覚悟”を決めたのは1968年9月4日未明、機動隊とそれに連なる右翼・体育会のバリケード破壊に抗し、篭城を決めたときぐらい。
この時きゃぁ〜、殺されるとまでは思わなかったが、メタメタに殴られ大怪我し、逮捕され、長期拘留され、大学は除籍・・・・、 嘆く親の顔、頭の中をいろんな事が回ったが、とにかく事実経過は寸分のところで逃げ出さず、不退転の決意だった事だけは間違いない。
経済学部壁書き
人生で”語れる”決意はその時ぐらい。 それ以降は色々とハデにその筋にもお世話になったが殆ど成り行き。 事実経過はそれなりだったが、ワタクシは履歴に見合う程に胆の座った人間でない。
同僚に、”癌”というフレーズを聞かされるとブレるのだ。 そういう事で再検査拒否の初志を覆し、オメオメと再検査に出かけていた。 「年の初めからキツイ鎮痛剤を飲み続けていたもので・・・・」
「でも・・・、我が家は癌家系で・・・・」 再検査拒否の勢いは何処へやら、医師に面と向かうと”弱気”の塊。 その昔、東京地裁で見た判事が神様のようだったが、今回の医師もそれと同じ。
善良な市民は、其の前では神妙になるのだ。 「それで貴方、どうだったの?」 帰ると妻の鋭い突っ込み。 「どうだったて云われても・・・・・」 要は何もなかったのだ。
結果的に何もないのに医師の前で懺悔し、 採血され、胃カメラを飲み、エコー検査を受けたことになる。 「だから、云ったでしょう、大丈夫だって」
「・・・・・・・」 返す言葉なし。 やはり、1968年9月4日は、私の”素”以上の行動だった事をあらためて理解した。 軟弱な私が、我が身を投げ出す覚悟をしたのは、”時代”だったのだろうか。
my favorite
songs Softly My Love Annette Funicello
■2008.09.11 morning
管理人 昨日、11.22集会へのエアー・チケット確保に難儀していると書いたが、 10月に別途に上京する予定が舞い込んできた。
今度は取引先が費用を丸抱え、自腹ではない(笑。 チケットも平日なので実にスンナリと取れた。 「エッ・・、費用を持ってくれるの」
「なら、ホテルは良いとこにしよう」 そう云う訳で、 ホテルは皇居の真ん前、かの最高級ホテルをチョイス。 何時もの定宿とは随分の”格差”なのだが。
でも、エアーチケットとの包括料金だから、云うほど高くはないのだ。 「経済誌にユーザーのインタビュー記事を載せたいので御社にご協力いただけませんでしょうか?」
「インタビューは、できたら東京までお越しいただきたい」 「費用は当方が持ちますので、是非お願いできませんでしょうか」 保険商品に関わるあるサービスで、大手保険会社からユーザーである我が職場に白羽の矢が当たったのだ。
まあ、宝くじに当たったか、交通事故に遭ったと思えばよい(笑。 「簡単なインタビュアーと写真に収まっていただければ、もうそれで・・・・・」
経済誌のインタビュー記事と言ってもシナリオが有り、殆ど出来合いレースのようなものらしい。 雑談していれば、あとは”ゴーストライター”がいるのだろう。
「う〜ん、インタビューはチョットとね」と腰が引けていると、そう云ってフォローされた。 ちなみに、インタビューアーはイチロー選手のお嫁さんのお姉さんという(説明がややこしいが)。
しかし、心配なのは後ろから我がハゲ頭を映されることだ。 これだけは絶対避けたいのだ。 いろいろ言っても、こちらは”お客様”だから、
ここはタレント並みに、映す”角度”に注文を入れされていただこうと思っている。
■2008.09.10 morning
管理人 「え〜と、もうヤバイかも知れませんよ、何せ行楽シーズン中の三連休ですから」 11・22、根こそぎ動員の全国総決起集会(名称未定なもので取り合えずこう呼んでおく)に向けて、チケット等の手配に掛かった。
私もそう(ヤバイ)思ったから3ケ月も前から手配に掛かったのだが。 「頼むよ、何が何でも、料金はどうだっていいから」 身分不相応な発言だが、深夜ぶっ千切り高速バスだけは勘弁して欲しいので。
それに・・・・、これに参加できなければ、 今まで40年、何で生きてきたか。 (う〜ん、これは少し言い過ぎか) 「この日の手配はもう無理です」
三連休最終日の帰路便はキッパリとこういわれた。 かつては東京駅23:30発の鈍行列車に乗り、翌々日に実家に辿り着くこともしばしば。 あの当時の体力と気力が懐かしい。
■2008.09.09 morning 管理人 「そうか、昨日の特急は特別だったんだ!!」
何時もの定位置に座ると、目の前に白い帽子、何やら一所懸命ノートに書いている。 「ウン、そうでなくちゃ!」 思わずにっこり、うなづいた。
駅舎の前、朝露に路傍の朝顔がしっとり咲いている。 
昨夜、理工ゼロ闘から電話が。 「内容は”ボロ糞”じゃなくて、”刺激的”というほうが適切だからさ」 長崎浩さん寄稿、「1968年の後遺症」という標題。
鬼っ子の私等の事を論じているのか、世の中一般を論じているのか定かでないが、 仮に前者なら、さしずめ、私等は後遺症に病む老いさらばえた”患者”という事になるのだろうか。
後日、コピーを送ってくれるというので、楽しみだ。
■2008.09.08 night 管理人
今までずーっと車窓から眺めていたツワイライトタイム。 駅からテクテク歩いていたら買い物に行く妻と行き違う。 茜色の空に、彼女の後姿が映る。
この時間帯が一番好きだ。 ツワイライト、私の人生のようだ。 my
favorite songs Smile Skeeter Davis
■2008.09.08 morning
管理人 何時もより少し早く駅に着くと、改札口でチラっと白い帽子が見えた。 夏休み前まで、何時も前の席に居たあの子だ。
帽子からのぞく長い髪の毛、ふっくらほっぺが愛らしい。 何時もの3番線ホームでなく、1便早い特急列車が止まる1番線ホームに進んでいく。
今は通学通勤定期で特急券を求めると特急列車に乗れるそうだ、私の学生時代は定期では特急は乗れなかったのだが。 そうか、新学期から特急列車に変えたのか、だから姿が見えなかったのだ。
でもね、僅か8分の乗車で別に820円の特急料金、 あの子の母さん、少し過保護じゃないのかな。 
鹿砦社の松岡さんから雑誌を送っていただいた。 編集発行人が早川義輝さん、 ウッ・・・・、何処かで聞いたようなお名前だ。
表紙裏には「カフェ・テラッツァ」の全面広告、 重信メイさんのインタビュー記事もある。 どうやら、松岡さんが関与する”アブナイ”雑誌のようだ(笑。
松岡さん、ありがとう。
■2008.09.07 night 管理人 理工ゼロ闘から一報が。
何でも”ナガサキ”さんとやらがボロ糞に書いてあるそうだ、 しかし、我がローカルではこのシロモノは手に入らぬ(泣。 アマゾンで送料払ってまでも買う気力もない。

どなたか、したためた方は感想を。
■2008.09.07 morning 管理人 実は、叛逆のバリケードの新版を紹介してからページへのアクセスが急増しています。
三一書房さんがHPで紹介リンクを貼ってくれ、 仲間のサイトで紹介リンクを貼ってくれているためだろうと思います。 アクセス解析の訪問元を見ても、その事が分かります。
僭越ながら、日大全共闘ネットオタクを代表してお礼を申し上げます。 このHPは開設して丸5年経ちます。 トップページは若干の手直しはしてきましたが、ほぼ開設当初のままです。
これを機会に全面リニュアールしようと思ったのですが、 オタクも、寄る年並みに勝てず、一部の改修に止まりました。 「ホームページには行き着いたのですが、中はどうしたら見れるんですか?」
ある方にこのホームページを紹介させていただいたら、こういう問いが返ってきました。 「え〜と、あの、その〜、四角い奴をクリックすると・・・」
「四角い奴って、どれですか?」 汗のでるやり取りがあっています。 そういうことで、 今回は、ページのインデックスに直接リンクを貼りました。
インデックスはテキストでなくgif画像、その分ページが重い。 ISDNだと、ページが開くのに少し負担があるかもしれないので、そちらの方には御免なさい。
ブロードバンドだと全く問題ない、この程度の重さでも大丈夫だと思います。 トップページ一部リニュアール、 団塊オタク、僅かだがこの5年間の進歩なのだ。
my favorite
songs Will you still love me tomorrow Brenda Lee
■2008.09.06 night 管理人
出張の会議中のさなか、仕事の携帯が振動する。 amano**さんだが、出られない。 間髪入れずに、今度は私用の方の携帯が振動、 出られないチュウのに、しつこい(ハッキリ書くのだ)。
少し経つとまたまた振動。 ほんとにしつこいチュウの、amano**さん。 やっと会議が終わって返信すると、 「もう用事は済んだの」
ブチィィ・・・で、テメエ、上級生をナメてるのかァァ・・・。 でも、次の一言でハグらかされた。 「俺さぁ・・、ディンギー買ったんだよ」 「何、ディンギー・・・・・?」
「キャットリグ?、それともスループ艇?」 ヨット業界には、こちとらちょっと詳しいのだ。 「で、何処の海で乗るの?」 「海じゃなくて・・・・・」
そんなこんなで10数分程。 私んちに来たら、シゴいてやるのに、 それにロープワークと風の読み方、ついでに携帯マナーも教えてやるのに(怒。
■2008.09.05 night 管理人 
出張から帰着、 強行軍、きつかった・・・・。 明朝は、○主党のビラ入れ応援、 若干、動機に問題もあるが、
あの子のためにもやるのだ。 しかし、相変わらずドブ板(泣。
私の辞書に”上昇志向”という言葉はない、 万年、分相応の”一兵卒”、”一行動隊”の心意気だだだぁーー
■2008.09.03 night 管理人
ミヨちゃんたちは、明日から北の国へ海外ツアーだそうです、 私はドサ巡りの出張へ出ます。 この”格差”は涙です。 しかし、いいもんね、
私ももう少しすれば毎日が日曜日だ、もんね。 そういうことです。 my
favorite songs Will U Still Love Me Tomorrow THE SHIRELLES
■2008.09.03 morning
管理人 心配していたが、キィーを回すとなんとか一発で掛かった。 ディスクに錆が回っているのだろう、ブレーキの効きが異常に強い。
エッ〜と、前に乗ったのは何時だっただろう。 所用が有ってマイカーで出勤、当然エアコンはガンガン効かして。 10年落ちの、妻 → 次男坊 → オヤジ のお下がり軽四、殆どの車が追い越してゆく。
 「新版・叛逆のバリケード」の告知ページを上げたら、早速反応が。
仲間の一人は30冊も一括購入するという。 藪さんも、早々とBBSで購入宣言。 事前予約特価の期限は9月30日までというから、よろしく。 まだ未確定だが、出版記念に都内で写真展の企画も進んでいるそうだ。
何せ、芸術学部写真学科や映画学科の猛者連を擁する日大全共闘、未公開の貴重な”ブツ”は幾らでもあるそうだ。 ラッパの大将さん、たしか写真学科だったと聞いているが・・・・・、
プッツンいって石の代わりに大事な”教材”の高価な写真機を投げたとか投げないとか。 歴史的”映像”にも証拠が残っているが、名うてのゲバルト至上主義らしかったので、
この方の作品はまず残っていないと思って間違いない(笑。 取り合えず、闘争勝利!
■2008.09.02 morning
管理人 これほど短時間でページを作ったことはない。
還暦オヤジでも、やれば出来るのである。 出来の良い悪いは別としてだが。 朝一番、仲間からのメールで〔新版・叛逆のバリケード〕の情報が入った。
「HP他で事前宣伝を出来ましたらよろしくお願いいたします」
目ざとく出版社のこの一節を見つけ、我が闘争本能に火が点いたわけだ(笑。 最後の誤字のチェックを終わりアップロードしたら出勤まで10分とない。
朝の”お手入れ”もそこそこに家を飛び出た。 涼しくなった朝風になびくロマンスグレーが私の売り物なのに、 今朝はなびかない。 勿論、朝飯抜きとなったが、
それよりも重要な薄毛の手入れ、違った、朝シャンが出来なかった。 今日一日、重たくバーコードのように頭皮に乗っている(泣。 割安な事前予約の注文書がここからダウンロードできる。
440円安い上に、送料もサービスということだ。 三一さん、太っ腹だ!
■2008.09.01 night 管理人
今日から学校が始まる。 ということは、列車が混むのだ。 今朝は久しぶりに小二のあの子に会えるかなと期待していたが、姿が見えず。
母さんが車で送ったのか、それとも小学校はもう少し始業式が先なのか。 混むのが嫌なので、帰路便は空いてる一列車遅い便に。 時間がゆっくりあるので少し別の経路で駅へ。
辻を一つ下がると、私の母校がある。 ゆったりした並木道沿い、我ながら風格のある学び舎だと一人悦に入っている。 デジカメを取り出しワンショット、
女高校生が来たので、思わずデジカメを隠した。 通学路でカメラを持った”おっさん”、 間違われるパターンの最たるものだ。
バッグに仕舞う際に押したのだろう、帰ってみると道路が映っている。 しかも、しっかりとピントも合っているではないか。 意図的に撮ったワンショットはピンが甘い・・・。
メカニカルは随分な進歩だが、 カメラめ、失礼な奴だ。
■2008.09.01 morning
管理人 固まってしまった肩のリハビリを兼ねて、生垣の手入れ。 ストレッチなどというものは、私の好みに合わない。 生産性を伴う労働だと、ついつい痛い肩も伸ばしている。
貧乏性なのか、それとも古い人間なのか。 例年なら春から既に2回程刈り込みを入れているはずの生垣。 梅雨の恵みと、夏の太陽の恵みをいっぱい受けて伸び放題に伸びている。
シーズン前にまで戻すのはとても無理なので、出来る範囲で。 緑でエコな環境をなんて生易しいものではない、我が家の敷地全体が緑の塊になりかけている。 刈り込むだけなら事は至極簡単だが、
事の後の枝葉の始末。 燃やせたり投棄できればよいのだが、田舎といっても一様住宅街ななもので、 ゴミ収集に出せるよう細かく裁断、それにも数時間かかる。
ウヌ、おかげで腕が少し伸びるようになった。 
何故か我が家にある幼児用の可愛い腰掛。 枝葉の裁断用の腰掛に重宝している。
秋田さんから「闘う記録隊」DVDの礼状が仲間に、届いたそうだ。
礼状には、 「つい最近我が家のパソコンでDVDを見ることができると知った」 「恐る恐る見た」 とあったという。 恐る恐るというのが、秋田さんらしい(笑。
その他に嬉しい約束も書いてあったが、ここには書かない。 my
favorite songs I Only Want To Be With You Nicolette Larson
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