my favorite songs
 

■2008.10.31  night  管理人

夕方、玄関のドアが開く音がして長男が声もなく入ってきた。
「お帰り」、
と何気なしに顔を覗くと目が真っ赤に腫れている。
「どうしたの?」と尋ねると、
涙をボロボロ流し始めた。

これは彼女と別れたのでは?、と勘ぐり
再度「どうしたの?」と訪ねた。
涙目で、親しくしていた方の御内儀が不慮の自動車事故で亡くなったと云う。
その方の家で酔いつぶれて時は、何時も御内儀に送っていただいていたとも云う。
人の死に、素直に涙を流せる息子に、私ももらい泣きしてしまった。


実は私も、
つい最近、極々親しくしている方の身内に不幸が有っている。
すぐさま駆けつけ弔い慰めるのが人の”道”なのだが、
そして、一緒に泣けたら私も救われるのだが、
それは泣けないほどの辛いこと。
余りに酷なので、正直私はどうしてよいか分からない。

牧師様とお話し、唯一出来る事が祈ること。
「かの方が苦しみに耐え、安らぎが来ますように」
合掌。



■2008.10.30  night  管理人

「いいかよく聞け、父さんがお前の歳にはな・・・」
「お前さんは六歳でやんちゃ盛り、そこいらを走り回っていたのだ、そういう事だ」
先日、長男坊33才のぞろ目の誕生日を執り行った。
オヤジがどうでもいい説教している間にロウソクは吹き消された。


「御免なさいね、急ブレーキ踏んだものだから」
特注のマロンの誕生ケーキが、妻の運転で歪んで傾いている。
「このずれたケーキにピッタリの音楽はこれだな」

「父さん、これ名前は知ってたけど聴いたの初めてだよ」
「何!、元ヤンキーのお前さんがこれ聴いたことなかったのか」
ボブ・マリーを掛けると、オヤジと次男坊の二人だけで盛り上がることしきり。
家族四人に、もしかすると家族になるかしれない一名プラスの五人の誕生会。

仕事の帰路は二つ先の駅まで足を延ばした。
最近、効果が富に現れてベルトの穴が一つ縮まった。
知らない街路をすり抜けて歩くのも楽しい。
その日のために体力と持久力を付けようと、我ながら殊勝なのだ。

その日の為って?、
そりゃ〜勿論”革命”よ 
(ここの見得は、恥ずかしいから小声で)。



■2008.10.29  night  管理人

吐息の掛かるほど近くで、
得意の方程式を紐解く私の顔のそばで頷いていた”あの子”
そんな距離が気にならない15才だった。
卒業式で交換したサインアルバム、イニシャルの後に記された”一言”

たった、たった、”あの子”の一言で、
二人の距離は数メートルが限界に。
この距離が縮まらない三年間、
バリケードを境に二度と会えない距離に遠ざかりました。

あの夏、あの時、ドアを叩いていれば・・・・・。
不思議なものだ、
かつての興奮に似たものを感ずるほど、
バリケードに置き忘れてきた19の夏を思い出す。

・・・・・秋も深まってきましたね。
オヤジはセンチな事このうえなしです。


■2008.10.27  morning  管理人

朝、ぼ〜っと通勤列車に揺られていてふと思った。
もう、こんな機会は私の人生で二度と訪れないかもしれない、
40年近く黙って生きてきたんだもの、
贅沢もせず質素に生きてきたんだもの、
少しぐらいやりたいようにやってもいいと思った。

「済みません、頼んである一泊二日の日程を三泊四日に変更してください」
職場に着き、近くのツーリストのカウンターへ。
「勿論、行きは始発、帰りは最終で」
「ホテルは御茶ノ水近辺に変えてください」
「それと・・・・・、安いとこでいいですから」

友が、一人だでけでもやると宣言している事がある。
でも、やっぱり一人だと何か有ったときにヤバイと思う。
そう云って私の動機を言い訳したいのだが、
でもやっぱ、40年前あの時と同じ様に触発されてしまった。

時代を上手に整理し、器用に生きてきたあいつ等には
オイラ達の思いは分かるまい。
何時までもお高い所にとまっていやがれ。


■2008.10.26  night  管理人

小説風に書くと、そぼろ降る雨の中。
今日は業界の催しで雨合羽を着こんで屋外に一日立ち放し。
模擬店の湯気の立つ有機栽培コーヒーが嬉しかったのであります。
「お砂糖は?」と可愛いボランティアに聞かれたので、
「ブラックで」とオジサンは目一杯格好を付けてオーダー。

会場で、お世話になった元業界の事務局の方を見つける。
彼女のお子さんが達は全員私の高校の後輩。
そんなよしみも有って、会えばお子さんの話に花が咲く。
ただ私と違うのは、お子さん達は超難関の国立大学へ進まれていること。
子供の話だと、話が尽きないオバサンとオジサンなのでありますが、
それが我が子の事のように嬉しいので、更に延々と話が進むのであります。


■2008.10.25  night  管理人

マイクを持つ手が少し震え気味。
云いたい事が沢山あるのだろう、
演説が、だんだんアジテーション調になるのが私には好ましい、
持ち時間を既にオーバーしているはず。
まあ、主義・思想の多少の違いは四捨五入しておいて、
なんでこんな所でと思うが、オヤジは少し目頭が湿ってきた。


とある政党の総決起集会に参じていた。
とあるといっても写真でバレバレなのだが(笑。
差し迫る”決戦”の前の決起集会、
まあ、主義・思想の多少の違いは四捨五入しておいてだ。

もし、
あの時代だったら彼女は”ローザ”だったかもしれない。
そんなに思える若者に会う事がなかったから、
一途な望みをかけたいと思ったから、
可愛いから、裏切られてもいいと思ったから(笑、
そんな風に感じたから、
私は彼女を応援しようと思った訳だ。

この間、ハイで悪乗り気味の私だが、
色々あって、かなり疲れ気味でもある。
何とか気持ちを持ち直し、
夜空を見上げて、闘争勝利なのだ!



■2008.10.24  morning  管理人

HPへのアクセス数が過去最高を示した。
昨年、BS2で日めくりタイムトラベルが放映された直後も、ご祝儀相場でアクセスが跳ね上ったが、今回はそれ以上。
新版・叛逆のバリケードの出版効果だろう。
しかし、何度も云うが、
哀しいかな、個人的に利する事はなにもない。


出勤すると隣のデスクの上にクリスマスローズのポット苗が2つ入った箱が置いてある。
「この苗、高いのよ!」
出勤してきた女子職員、得意げにそう云う。
職場回覧の通販で買ったものらしい。
鼻の穴を拡げて、そこで私がしゃしゃり出たのは当然だ。

来る人、来る人に、お土産替わりにポット苗を差し上げている。
一個や二個とケチな事は云わずに、ドカッと差し上げている。
それでもポット苗はまだ200余り、
生育3年目を迎えて、この秋はそれ相応の7号鉢に移植しなければいけなくなっている。
栽培農家なら農協へ出荷という手もあるだろうが、あくまで個人趣味。
やり過ぎて窮地に立つというのは、40年前から変らぬ性格なのだ。

女子職員には欲しいだけ貰らってもらう事にした。



■2008.10.23  night  管理人

親の就職の世話を断ったといったが、一社だけ面接を受けに行った。
地元に本社のある紙製品のメーカー。
面接は会社の応接室、総務課担当と総務部長と名乗る方が相対した。
一通り雑談して向こうは採用を決めたようだった。

京阪神と首都圏に営業所を構えているといい、最初は多分そちらに出向いてもらうことになると言われた。
せがむ親のために面接に行ったのだが、気乗りはしていなかった。
大人しく帰って、後で親に何とか理由付けて断ってもらおうと思っていた。
窓の外に工場の棟が見え、働く工員さんの姿が見え隠れしていた。

総務部長さんが私にこう云った、
「貴方は大卒だ、あの工員さんたちとはスタート地点が違うからね」
カーキ色の作業服で働く工員さんを指差してそう云った。
大人しく帰るつもりだったが、そこで切れた。

お前は馬鹿だ、そんなの当たり前だろ、
何でそんなとこで切れるのか。
そう謗られても仕方ないが、
ボロボロの身、ギザギザの心は、社会への適応力を根本から欠いていた。
嘆くを親を尻目に、そそくさと実家から桃井へ逃げ帰った。
大学を退いても、私の内なる”敗退戦”はまだ続いていた。



■2008.10.23  morning  管理人

10.22 BBSに通りすがりさんは書きました
>今週、名古屋某所でT高校7名の同窓会です。
現在、生活スタイルは、様々ですが、あの時代を駆け抜けた仲間です。
因みに参加者は、懐かしい党派のオンパレードで、
マル戦派4名
RG派2名
連合赤軍1名
の計7名です。
良くも悪くも、おいら達の活動のおかげをもって、T高東大進学率が、例年の
半分以下になりましたw

ウ〜ン、濃い
濃いのは”関西の独占”と思っていたのですが、東海出身も濃〜い。
東海はシロとか毛さんとかの選択はなかったのかな?
私らより4歳程下と思えますので、'70年頃は高校三年生かな、
これって一番ヤバイ年頃なんですよね、通りすがりさん。

私の高校時代は、'60年と'70年の狭間の'64年から'67年、
思い出は、卒業旅行で隠れて吸ったタバコ、
体育祭の打ち上げで、皆で隠れて飲んだサントリーレッド、
文化祭の余興で、女の子の制服姿でゴーゴーダンスを踊った事、
それとずぅ〜っと思い続けた”あの子”の事、
極めて平穏無事の時代でした。

>おいらは、卒業拒否をしたのですが、理事長の「おまえは置いておけん!」
の一言で、強制的に卒業させられましたw

東大進学率を云々する時点で、かなりの進学校であったのですね、
私の母校は、かつての”一中”の伝統だけをやたらに吹聴する県立高校。
東大合格者は間違って数年に一人出るか出ないかの学力レベルの”普通”の高校。
それなのに、
貴方達は親の期待を裏切って、余程の悪さをしたのですね(笑。
普通は”除籍・退学”が順当な処分ですので、いい高校だったのですね、感謝しなければ。

私の場合は、
''71年の秋だったと思うけど、出入り禁止になっていた実家に一時立ち戻り高い敷居を跨ぎました。
その年の5月連休明け、卒業証書が実家に郵送で送りつけられており、
卒業試験も受けてなく、卒論も出していないが自分が、
親からの連絡で、初めて卒業させられた事が分かった次第です。

今の若い方々には悪いですが、
高度成長の当時、就職先は贅沢を云わなければ、そして当該履歴を黙ってさえいれば引く手あまた。
企業によっては全共闘歴が分かっても不問にしたところもあったらしいです。
全共闘歴と体育会歴が等価で有り得たほど”時代”は寛容だったのか、それとも労働力を必要としていたのでしょうか。
こんなローカルでも、親には縁故も含め幾つか就職先の思惑があったようでした。

「地元に帰ってきて早く就職しろ」
息子の行状を知る親にとっては、代わりに受け取った卒業証書が唯一の救いだったのでしょう。
除籍、退学になった仲間には悪いですが、私は履歴書に大卒と書くことができました。
ポン大理工卒の学歴でも、ローカルでは十分通用したらしいです。
ばい煙を吐き出す化学系工場、高度成長をひたすら走る製紙系企業など、
それが、親が勧める就職先でした。

勧めは全部断って、落胆する親を背に桃井に帰りましたけど、
それからの桃井の一年余りは、汗と涙の一年でした。


 my favorite songs  Will You Still Love Me Tomorrow  Amy Winehouse


■2008.10.21  morning  管理人

アクセス数のグラフ。
連日、新記録を更新している。
営業的には、叛バリ効果だろうと思う。
しかし、悲しいかな、
個人的には一銭にもならないし、
何故かポケットマネーはグラフに反比例して減る一方なのだ。


しかし、なんでだろう、
貧乏こいて暇無しになったのに、
心は浮き浮き、
やたら楽しいのだ。

”あの子”の事は一時さて置いて
取り合えず、前向きに、
闘争勝利なのだ!



■2008.10.19  night  管理人

クリスマスローズの散髪。
去年の古い葉を落としてやり、新芽によく陽が当たるようにしてやる、
自然の植生であれば、広葉樹が落葉し陽が差し込んでくるこの時期からがこの植物の活動期。
薄めた液肥を週一ほど施肥する。
葉っぱには小さな棘があり、御蔭で腕がヒリヒリと痛い。

午後は昼寝を。
昼過ぎ、メールを開けると頭を抱え込むような難題。
しかし・・・、断れば私等にとっては一番大切な”義理”が廃る。
ハタと困りはてた結果、昼寝することにした。
ひと寝入りすれば何か浮かんでくるかもしれないと考えたからだ。


まともな文章。
これが私にとっては最たる難題なのだ。
ここに書いているのは、起承転結のない箇条書であり文章ではない。
「一晩”別荘”のお世話になって来い」、と言われる方がまだまし。
しかし、事は渡世の義理にかかわる事、寝て考えることにした。

昼寝の起きざま一番、何も考えずにひたすらキィーボードを打った。
目安は20字40行の心づもりが、メモ帳からワードの原稿用紙に貼り付けると80行に。
何とか60行まで縮めて、依頼先にメールで一気に送信。
手直しはしていない。
メール文は親しんでも作文など日頃親しまない私、あれこれ校正をしていると端とは全く別物に変化してしまうから。
だからゲバルトと同じ、一点突破全面展開なのだ。

・・・・・・、意味が少し違うか?



■2008.10.16  morning  管理人

先日、マニアックにアクセス・ログを辿っていると、とあるホ−ムページに行き着いた。
「フム、なになに・・・・・・」
ページ内を巡回しているとMyページへのリンクが。
当該ページを読んでいたらムカムカしてくる。
全共闘を滅茶メッチャ揶揄するような文面。

大人の分別ならここでグッと堪え流すのだが、何せ単ゲバのスピリットはまだ捨てていない。
ネットの世界では、ドア蹴破って押し込むわけにもいかないので、
嫌みたっぷりで馬鹿丁寧なメールを送って差し上げた。
返事はまず来ない、事はこれで終わりだろうとタカを括っていた。

来たのだ。
書き出しからして敬語、
内容は極めて友好的、
ホームページに綴られているのとはまるで180度違う。
筆者は阿佐ヶ谷に住んでいて、阿佐ヶ谷つながりで私のホームページを訪れたと記されていた。
「私のページはかなりバイアスをかけており、本意ではない」との言い訳も付されていた。

「友好的な返事が来るのは、正直想定外でした」
「11月22日から写真展を日本教育会館で催します」
「なんなら、一度お会いして阿佐ヶ谷のお話でもしましょうか?」
「私は23日は会場に居ますので」
というようなお誘い・・・・、どちらかというと脅しの返事を差し上げた(笑。

またまた想定外、
「来る」
という返事が来たのだ。
文面は同じように極めて友好的、
当初、ヘルメットに角材用意して待ち構えようかと思ったが、
平服でお待ちすることにした。

阿佐ヶ谷フリークには阿佐ヶ谷誘覧は一見の値打ちあり。
クリエーターの作品なのでここではコピペはしない。
(なら、BGMもダメだろう)
(いや、これはYouTubeのリンクだから(汗。)



ラッパさん、
筆者からは十分な謝意を頂いているので、
殴り込みかけないでね、
貴方のは強烈だから。




■2008.10.15  morning  管理人

朝起きて一筆、二筆、
昼休みに一筆、二筆、
夕食前に一筆、二筆、
夜中に一筆、二筆・・・・・・。

「貴方、最近いつみてもパソコンにかじり付きっぱなしね」
妻は何でそんなにパソコンに用があるのか、いぶかっている。
「いいや、貴方が外出している日中は、御日様の下で庭木や草花を手入れしているよ」
そう妻に反論したいのだが、
原則、妻には反論しない事にしている。

とにかく、目まぐるしくメールを打ちまわっている。
この呆けた頭が一杯一杯。
でも、脳味噌を絞らなければ文章は打てないので
老化防止にはいいかも。

何何、絞ってももうその脳味噌からは何も出てこないって!
悪かったな。


■2008.10.14  morning  管理人

「三一書房が最近出版した、新版・叛逆のバリードという本置いてありますか?」
「何、置いてない、それは残念だ、10冊ほどまとめて買おうと思ったのに、残念!」
「何々、すぐ取り寄せるって」
「いいです、別で当ってみますので」
「でもね、都会では何処でも置いてあると聞いていたのにねぇ・・・」

これって”詐欺”になるのかなあと思ったが。
危なかった!
私の地元の主だった書店に、それとなく、
危うく実行する寸前だった(冗談。

訂正です 

昨夜の書店への配本情報は嘘ではありませんが、経緯で大きな間違いが。
昨夜の内容は、9月段階で個別書店から三一書房さんに直接配本の予約があった内容との事です。
10月に入って業界ルートを通じて全国の書店に配本がされているそうです。
業界ちゅうと、書籍の流通を仕切る「取次」(トーハン、日販、大阪屋、栗田、など)と言うことです。
私の地元の書店にも配本されているとのことです(汗。         



■2008.10.13  night  管理人

思わずつんのめって仕舞った。
今日現在、新版・叛逆のバリケードが書店に並んでいるのが47のうちの15都道府県。
四国は皆無、九州は2県、東北は1県のみという範囲なのだ、
これを”格差”と云わずして何と云う、

これが泣けずにいられるかというところなのだ。

昔、バリケード内の学部長室でソファーにふんぞり返り、座興にホワイトハウスからクレムリンに電話を掛けまくっている奴がいた。
まあ、日大理工のレベルだから英語はカタコトでも、ロシア語はとてもとても無理だったと思うのだが。
まあ、度胸試しに近いものだ。
当時はニクソン、ブルジネフ。
呼び出しが出来たかどうかまでは聞いていないが、多分交換口でガチャンだったろうと思う。

何、電話代?
バリケードの校舎賃貸料200日分も、米露への電話代も、
ついでに器具備品の破損料も、
理事の使い込み15億円(当時)の相殺でも百分の一にも相当しないと思っているから、
知らない!

何故、電話の事を思い出したかというと、
演歌の歌手の地廻り、売り込みではないが、全国の書店に片っぱしから電話をかけてやろうかと思った。
「テメエ、日大全共闘を舐めるんじゃねえぞ、テメエの店、叛バリはどうなってんだよ・・・・」
「何、置いてない、殴り込むぞ!!!」
これって恐喝で捕まるかもしれないので、その時は皆さん差し入れを頼んます。

冗談はさて置いて、
焦ってもだめだが、何か策を弄さねば・・・・・。
ゲバルトかな、
どこか目立つ所を襲うか、
どうもおつむが単純で、考えることが短絡的。
芸闘委さん、どうすんべ。



■2008.10.13  morning  管理人

「貴方、これショッパン?」
珈琲をすすりながら聴いていると妻が問う。
「判るの?、」
妻は音楽には無頓着、しかし横で何度も聞かされ音に馴染みができたのだろう。
「そうだよ、ショパンの典型的な旋律だよね」
朝一番はモーツァルトが定番だが、今朝は甘く物悲しいショパンのバラード。
妻は職場の運動会だと、先ほど颯爽と出かけた。

嬉しくて涙が出てきそう、
仲間が誉められると、我が事のように嬉しい。
反対にけなされると、自分がけなされたようにムカつくのだが。
良くも悪くも同志の絆だ。


そら見てみろ、群れたがる団塊の特性だと揶揄されるかもしれないが、
でもな、何度も言うけどオイラ達は団塊世代の代表じゃないから。
オイラ達は団塊世代の鬼っ子、極々少数派。
しかし、オイラ達も一緒くたにされて、次の世代に嫌われている事だけはよく分かる。



■2008.10.11  night  管理人

最近、ご縁ができた方からメールを頂いた。
そのメールは次の言葉で括られていた。

>この話をしないと、なぜ私が日大闘争を闘い、その経験に向き合って、その後を生きている皆さんの生き方やことばに惹かれるのかを理解していただけないような気がずっとしていました。
それ以上はプライバシーに触れるから書けないが、読む私の胸が痛くなるようなものだった。
私だったら潰れてしまいそうな辛い経験。
私等が語る経験が、それほど重い生き様と共鳴しているとは思いもしなかった。
何なんだろうと考えながら今日は車を運転していた。

利口に立ち回れなく、
上手に整理できず、
不器用に生きてきたこと、
そんな生き様が、もしかしたら共鳴したのかなと思った。



前を走っていたツーリングバイク、
路肩を歩いて旅している人にその都度手を振っている。
前方からくるツーリングバイクにピースサインを出して交差していく。
信号で止まった時にワンショットと思いデジカメを取り出した。
バックミラーで気が付いたのだろう、さりげなく後ろの私のピースサインを。
信号が変わると、轟音と共に走り去った。
地味な服装だったが、こういうのを私は格好良いと思うのだ。

少し回り道をして、ディンギーを置いてあるヨットハーバーへ。
昨年夏から乗っていないので一年以上放置してあることになる。
トレーラーのタイヤは両方とも見事にパンク。
放置の”刑”で、アンカーにきつく縛りつけられていた。


■2008.10.11  morning  管理人

妻と休みの車の都合がぶつかった。
次男坊から有難く譲ってもらったおばちゃん軽四カーで、これから走らなければいけない。
年代物のカセットプレヤーや壊れているし、運転席側のウインドは時々動かなくなる。
高速はタイヤがどっかへ飛んで行きそうで、怖くて走れない、
下の道だと片道2時間半の道程(泣。

過疎のローカル、
1時間も走ればFM放送は入らなくなる。
この有難い車の一番の難点は、まともに走らないことではない、
音楽のない苦痛の時間帯を強いられること。
何がなくても音楽があればしのげる(酒ではない)私にとっては最大の苦痛なのだ。

これから行ってくる。


■2008.10.10  morning  管理人

「貴方、この頃楽しそうね、何か有るの?」
「そりゃ〜在るさ、もう直ぐ沢山の仲間に会えるし」
「それに叛バリの写真展も有るし」
「それに・・・・・・」

妻には守秘義務が通用しないので白状したが、
仔細をここで書いたら、仲間の皆から半殺しに合うし、色んなところに迷惑を掛けるので書かない。
しかし、キャパが少ない”云いたいオヤジ”の胸の内は、
もう殆ど「王様の耳はロバの耳」状態。

 クリックするとほぼ原寸大(ファイルも重量も重いぞ!)

新版・叛逆のバリケード、昨日から都内の書店にボツボツ出始めたそうです。
何せ大きいので目立つはずです。
でも三一書房さんの弁によると、
「目立つので売れると書店に好印象が強くでますが、売れないと目だって疎まれやすいので」
メリットとデメリットが有るそうです。

日大全共闘もその数の多さで最強を誇りましたが、
その数の多さで、権力から徹底的に潰しに掛けられました。
さあ、どうなるでしょうね?



■2008.10.09  morning  管理人

経済にはとんと疎い訳で、相場が、ドルが、金融が、と言われても全くピンとこない。
株や信託に投資でもしていれば、目の色も変わるのだろうが、そんなことには金も興味も無かった。
でも、株にも信託にも手を出さなかった私にも、分不相応に過大に投資したものが一つだけある。
二人の息子への教育。
しかし、この投資はハイリスクでリターンが全く無い(笑。
そういう意味では先物投資と大して変わらない。

勉強していない私だが、昔セクトの機関紙を斜め読みした記憶がある。
「行き詰り世界恐慌に向かう資本主義」、
「破滅に突き進む資本主義・・・・」、これは40年前のとある機関紙。
だから、
「機は熟した、帝国主義者に引導を、世界革命戦争へ」、ちゅうこの結論はさて置いて。
ウ〜ン、それなりに間違ってはいなかった訳だ。
40年+αほど早過ぎただけだが。
しかし、この性悪はどっこい踏ん張り、更に生き延びる可能性もあるわけだし、
40年前のように、決して結論を急いで決起してはいけない訳だ。

この連休に「930の会」の謀議やるから、スカイプ参加の準備をしておけと指示が入った。
世間様では、レトロな全共闘残党なんぞどうせアナログ親爺のクダ巻きと見下しているだろが、
どっこい、使うツールに限っては若者に負けていない「デジタルツール」なのだ。
どうだ!、これだけでも参っただろうが。


ところで、私のスカイプのユーザーアイコンは”Hayley Mills”
中学生の頃、彼女の出たディズニーの映画に夢中になった。
彼女の写真を切り抜き手帳に何時も入れていた。
勿論、中三では健全な成長をとげ、Hayley Mills よりも隣りの席の”あの子”に夢中になったのだが。

そう云えば、”あの子”の鼻もちょっと上向いてて可愛かったのだ。



■2008.10.08  morning  管理人

仕事の都合もあり駅前のホテルに泊まった。
眼下に東京駅のプラットフォームが見下ろせる。
普段はまず利用しない料金の高いホテル、
しかしステーションホテルなので、豪華な待合やレストランといったものはない、簡素なロビー。
利便性では云う事ないのだが、料金程ではないホテルだった。


9.11の日記にも書いたのだが、あるサービスのファーストユーザーで取引先にお招きを受けた。
まあ、宝くじに当たるか交通事故に遭った様なもの。
其の事に一日費やし、翌日午後の便で帰ってきた。
朝、ホテルをチェックアウトし隣の丸善書店へ寄る、店内を見渡してみたがまだ”ブツ”は店頭に並んでいなかった。

午前中、少しの時間を利用して新宿と高円寺の先輩の店を訪る。
新宿の店では新版・叛逆のバリケードを3冊購入、
発売前だし、出来れば10冊程手に入れたかったのだが、とにかく重いので。
何でも三一書房さんが、ここは日大全共闘残党の溜まり場だから売れるだろうと、発売前にゴッソリ持ってきたそうだ。
帰る道のりを考え3冊に留めたが、高円寺の先輩のところで一冊売れたので2冊持ち帰った。

少し早めに羽田の出発ゲートへ、待合の椅子でうとうとしていると携帯が鳴る。
仲間が保安口Cの所に来ているという。
出発まで1時間程を残していたので、到着口から出て喫茶店で少し情報交換、元気そうで良かった。
11.22の再会を約束して再度保安口へ。
帰りの便はJALの都合で大幅な遅れ、明るいうちに帰り着くはずが、降り立つと宵闇が迫っていた。



■2008.10.06  morning  管理人

秋明菊が咲き始めた。
昨年の日記では10月2日に2〜3輪、一昨年は10月6日の同日に一輪。
毎年ほぼ今頃に咲き始める。
腕前は今更だが、違うのは毎年写すデジカメの性能が上がっていること。

しかし、
昨年の携帯カメラのは別として
一昨年の200万画素のカメラと、今年の1200万画素のカメラ、
写りが違わないのは何故だろう。
やっぱ、一眼ニコンでないとダメなのか(泣。

今朝からまた出張へ。



■2008.10.05  night  管理人

既に三一書房さんのHPでも告知されていますが、新版・叛逆のバリケード発売記念の写真展が開催されます。
時期は少し遅くなりますが、拡大同窓会が開かれる11月22日から27日迄、千代田区一ツ橋の日本教育会館です。
案内ページを早速開設しました。
場所は地下鉄神保町のすぐ近く、
かつて逃足の速かった方は、この会館の脇をぶっ飛ばして逃げた経験も御有りだと思います。

それで・・・・、
手前味噌で云いにくいのですが・・・・、
サブタイトルで何かお気づきではないでしょうか?
そうなんです。

私の写真展と間違われては困るのですが、
基本的に私のHPの写真は”パクリ”ばかりですので。
この写真展は、正真正銘のオリジナルばかり、
全共闘書記局記録班のものや、仲間の撮りだめたものと聞いています、
本邦未公開・初公開の写真も多数出展される予定だそうです。

22日の拡大同窓会にはどうしても都合が合わない方、
全共闘はおっかなくてちょっと、という方、
怖いもの見たさの方、
連休を挟む6日間の開催ですので是非お出でください、
私も23日は半日”警護隊”で座る予定をしています、思わぬ方に出会うかもしれませんよ。
ワタクシ何時まだ経っても一兵卒、一行動隊ですので。

日大全共闘は芸術学部を擁しています、
”アッチ”の写真展には負けませんぞ。



■2008.10.03  night  管理人

ゴメンナ、ラッパさん。
何気なく開けたら、アレだもの、
ビっくらこいた訳だ。
しかし迫力あるな・・・。

昨夜、
「来た、来た、来た〜〜〜〜ぁぁぁ」
というラッパさんのメール貰って、
ホントのこといじけていた。
「どうして、オイラには来ないのだろう?」と。

今日、やっと床から這い上がり三日振りに出勤したら、
机の上に小包が鎮座していた。
差出人は三一さんだわ、
「ゴメンナ、三一さん、ひがんで」

しかし、怨念がほとばしり出ているというか、横文字でいえばスピリィチャル、いやソウルフル・・・、
最初に開いたページがコレというのも、
まあ、何と云うか・・・・・、地の底から聞こえてきそう。
やっぱラッパさんとはご縁が深いようだ。
しかし、隣のページに秋田さんも田村さんもいるから、今回はまあ善しとしよう。

ところで皆さん、新版・叛バリ138ページに限っては飛ばして見ない方が身のためです。
とり憑かれても、私は責任が持てませんので。
God Bless the Rappa、アーメン



■2008.10.03  noon  管理人

しかし・・・・・・、
今も昔も、おっかない顔だわぁぁ。





書店には10月10日頃から出回るようです。





■2008.10.02  nightU 管理人

'68年11月8日、バリケードに籠って応戦した芸闘委の手記

仲間が寄せてくれた資料です、書籍からの抜粋で掲載の許可は頂いていませんが、商業的意図のない全共闘仲間ということで勝手に引用させていただきます。問題があれば「御免なさい」です。

「単ゲバ」のこころ 芸闘委一年

 そして11月8日未明、芸術学部に右翼が大挙して襲ってきた。へやで眠っていると、突然、「右翼だ!」という声と、笛の音が聞こえてきた。こんなことは以前からも幾度かあったので、そのまま寝ていたが、今回はなかなかおさまらない。「ひょっとすとー」と思って廊下の窓から外をみると、スタジオから投石してくる。直ぐに武装して応戦。正面からの敵は投石で一様撃退した。「裏にもいるぞ!」という声がしたので、新校舎の方を見ると、そこにも、かなりの右翼ファシスト集団がいる。しばらく窓から応戦していた。
 学友が来て、「バリケードを強化するから来てくれ」というので、二階で作業をしていた。そうすると、廊下の方から二人の白ヘルメットが走ってくる。「手伝いかな」と思っていたら、急にわれわれに向かって投石を始めた。彼らは右翼だった。すぐに廊下のシャッターを下ろして三階と四階を行ったり来たりして外の敵と交戦。二階は完全に占拠された。
 二時間も闘っただろうか。味方は男女合わせて五十名足らず、敵は四百名以上はいたようだ。そろそろ危なくなってきた。「こうなったら、入院覚悟だ!」と学友と話しながら闘っていた。遠くでピッピッという笛の音とともに、デモの掛け声が聞こえた。全共闘の応援部隊が来たのである。
 それから、我々は攻勢に出た。外の右翼は応援部隊が追い散らし、われわれは校舎に侵入した右翼とゲバルトを始めた。
東の空がしらじらとしてきた頃、中庭で敵味方入り乱れて、角材と角材によるゲバルトが始まった。あれほどのゲバルトはいまだかつてなかっただろう。動揺した右翼は弱かった。我々は彼らをたちまち粉砕した。新校舎の方へ行くと、そこも同じ状態だった。
 夜が明けて、また驚いた。倒れている連中は、われわれの倍も三倍もあるような体格の奴ばかりだった。「こんなのを相手に戦っていたのか」と思うと、改めて恐怖感がわいてきた。
 まだ放送学科のスタジオに一部の右翼が立てこもっている。彼らも降伏して出てきた。「関東軍」という印の入った作業服を着たものがかなりいた。「なぜ芸術を襲ったのか?」という問いに対し、「芸術を襲えばハクがつく」と答えた者もいたそうである。芸闘委も有名になったものだ。



 右翼の負傷したものは病院に送り、残りの部分は自己批判させてすぐに釈放した。それでもなお出動した機動隊は夕方までバリケードの周りを去らなかった。
 ところで、後で知ったのだが、右翼のヘルメットは白地に赤のテープを周りに張り、正面に×しるしが付いていた。「赤はダメ」という意味だそうである。
 僕は翌日、金が残り少なくなったのと、疲労とで家に帰った。




■2008.10.02  night  管理人

私は本は読まないし勉強は嫌いだから、フクダさんのように自分の事を客観的に見ることができない。
だから自分の考えではないが、以前BSの番組で学者さんが言っていたことでうなづく話があった。
「'70年の運動は社会主義の運動なんてとんでもない、あれはありていに言えば”反米ナショナリズム”ですよ」
う〜ん、しっくり来る、
そう!、そうなのだ!

保守の方々に”愛国”という言葉を専売特許のように使われているのが悔しくてならんし、
其のうえ、その勢力の殆どが親米というのが、ますます悔しい。
対等ならまだしも、属国、植民地、占領地、番犬、ポチ、どう表現しても哀れな此の国。
しかし・・・・私の場合、反米を軸とした愛国主義を標榜する割には、音楽は極めて親米なのだが、
それとこれとは別なのだ。


「病院に行ったら?」
妻に再三言われているのだが、市販の薬を飲み続けている。
私は特定の薬に過敏体質で、医者に掛かると必ず言われることがある。
「う〜ん、貴方には炎症に一番効くお薬が処方できないからね」
「漢方の**を出しときますから」
これが実に効かないのだ。
そう云う訳で私は何時もそれなりに効く市販薬のお世話になっている。

しかし、この薬には副作用がある、
愛国主義が時として異様に嵩じるのだ。
薬が切れると、それなりに収まるのでいいのだが。






■2008.10.01  morning  管理人

昨夜、この10月の日記ページの下準備をしていたのですが、とにかく体がダルイ。
先週痛めた喉が鼻に来て、更に目と脳まで来たようです。
風邪薬を飲み早々フトンにもぐり込。
結局、今朝は起床時間に起きられず、今日は自主休日です。

ミヨちゃんは、この日記をブログと間違っているようですので若干の補足を。
まあ、見かけは手を抜いたブログ風日記ですが仕組みが違います。
これは普通のホームページで”既製品”ではありません。
由緒正しきHTML言語で作るホームページなのです(そんなに力まなくても)
ほらね、ミヨちゃん、ブログとは違うシンプルな”気品”がページに感じられるでしょう(自己満足なのだ)

簡便で無節操に広がる”ファーストフード”のブログとは違います、
地味で手作り、シコシコ・ガリ版のHTML正統派、そういう意味では我こそは有機栽培、無農薬。
出来合い具沢山のブログとは違うのだ(何をそんなに力んでいるのか?)
でも・・・・悔しいけど、マックの照り焼きハンバーガーとコーラのセットは美味しいし、
Jさんも怒ってきそうです。

11.22の拡大同窓会。
皆がそれぞれ作業を分担し、少しずつ準備を進めています。
私等”ネットオタク派”は、930の会の”長老・アナログ派”から電脳共闘と呼ばれています。
これは多分に羨望の意味もこもっていると勝手に解釈していますが。
嬉しいことに、その”電脳共闘”関係筋への呼びかけが私に任されました。
勿論、電脳共闘関係ですから日大以外の方、世代を超えた方々も含みます。

誰ですか、「”電脳狂党”ではないか」、などと言っているのは?
取り合えず「反米愛国」で闘争勝利!


  
my favorite songs   God Bless the Child   Eva Cassidy




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