my favorite songs
 

■2008.12.30  night  管理人

年末の家事の合間を縫って昨日は昼からはオタクな作業も。
提供していただいた11.23全共闘シンポの映像がどうやらハイビジョン規格らしいことが分かった。
DVDから四苦八苦して何とかMPEG2のファイルまで変換、これに数時間(涙。
しかしこれがほぼ1ギガ程の容量。
手持ちのソフトでWEB用の動画ファイルにエンコードを試みるが、エラー表示ではね付けられる。

日付が変わって今日。
グーグルしてみたらフリーのエンコーダーソフトを見つけたので早速ダウンロード。
http://www.gigafree.net/media/conv/freevideoconverter.html
YouTubeでお馴染みのFLVファイルに変換してみたらほぼ十分に一程の容量になった。
有料で買い求めたソフトがエラーで、無料のフリーソフトがOKとは何ともいやはや。
ここまで来れば当然次の段階を考えるのオタクの常道。
HPへのフラッシュプレヤーの埋め込み。

これもグーグルしてみた。
あるある、ここまでは順調(だった)。
http://www.seo-maniax.com/high-rank/flv-buries.php
>mediaplayer.zipを解凍して出来たplayer.swfとFLVファイル・表示用画像を、タグに記した任意のパスに転送すればOKです。
私は還暦だ、自慢ではないがこれをすんなり理解するほど頭は柔らかくない。
そもそも「タグに記した任意のパスに転送すればOKです」という任意とはどこの事だ?
何がOKだ!

あれやこれやとタグとサイトを弄くりまわしていた。
2時間ほど、年寄りの集中が切れる直前でフラッシュプレヤーがホームページ上で動画再生を始めた。
これは多分何かの間違いだろうと頬をつねったが、夢ではない。
私にとってはノーベル賞ものだ。
云っとくが私は還暦なのだ。

我が家の周明菊

しかし、折角の”技”だが全共闘シンポの動画は公開しない。
私のハゲ頭が映っているためではない。
仮に著作権がクリアーできても、仲間の個人情報があまりにも鮮明にそこにあるから。
お許しを。



■2008.12.29  night  管理人

「大体お前さんはいい加減だ」
友をこうなじったのだが、蛙の面にションベン。
電話したかと詰めると、していないと答える。
五分五分と朝方に書いたのだが、内心は二八でだろうと思っていた。
電話するのが二で、しないのが八だが。

先月だったか結果的には大間違いだったが、私はとある家のチャイムを押した。
心臓がパコパコと波打ち飛び出るかと思ったが、実際はそうでもなかった。
40年前に日和見ったのだから、ここで再度日和見する訳に行かないと心に決めてドアの前に立った。
その時の思いを友に話すのだが、アイツは笑い流すだけ。
「じゃあな・・・」といって出発ゲートへ消えた、
今頃はクシャミしながら北の空を飛んでいるだろう。


■2008.12.29  morning  管理人

酒漬けの一週間が終わり、やっと生活時間が元に戻った。
私の平常とは、夜更かしせず朝は未明に起きる一日。
とは云っても、昨夜は寝込みに携帯の着信音が響いた。
「貴方は聞き上手ね」

眠いので生返事をしていたら、そう云われた。
相手は友人の40年前のガールフレンド。
「私ね、アイツがあんなに変わっていると思わなかったわ」
「昔はね、鋭い目つきが良かったのよ」

「お互い様だよね」
生返事を繰り返していたが、ここだけは返答した。
彼女、笑転げていた。
30分も話しただろうか。

「今からアイツに電話させようか?」
さすがに体も冷えてきた、何とか電話を切り上げたいのでそう云ってやった。
友と昔のロマンス話をするのは得意だが、女性相手は慣れていない。
「そうね、もう少し起きているから」

アイツが電話した確率は五分五分。
今から空港へ見送りに行くので問い詰めてみる。

 my favorite songs  He  The Lennon Sisters




■2008.12.27  night  管理人

二日続きの闘争のため、
今日はリカバリー中。
よって今日も日記は足跡だけ。

録音レベルが低いため、ボリュームを少し高めにしてお聴きください

音だけですが公開です。
ページ右上の
 my favorite songs プレヤーを停止してから「画像」をクリックください。
wmaが立ちあがります。





■2008.12.27  morning  管理人

二日続きの日付が変わっての帰宅。
日記の更新は”足跡”だけ。



「大学から借りているので・・・・」
「実行委員会の許可のないビラを配ってはいけない」
ビラ配りは止めろと、詰め寄る糞生意気な学生。





■2008.12.25  morning  管理人

日記の更新を4日程怠っているが、私も人並みに年の瀬は繁忙なのだ。
週のはじめ”実録連合赤軍”を観にいっていた。
公立ホールでの自主上映、郊外にある施設なので車のない私には行くのに辛いものがあった。
終わって、JRで帰宅したのは11時もとうに過ぎていた。
妻は忘年会で帰っておらず、鍵を忘れてきた事に気が付きドアの前でしばし途方に暮れる。

園芸用の脚立を出してきて、二階のベランダによじ登り侵入。
ご近所に泥棒と間違われないかとヒヤヒヤものだった。
ベランダを乗り越える際に満身の力を込めたので肩の筋肉が引きつってしまった。
身の軽いのと逃げ足の速いのは昔から自信があるが、筋力の衰えは情けないものがある。

11月23日、東大駒場際の”実録全共闘シンポ”のDVDが届いた。
私等に終日付き添っていたテレビクルーにおねだりしていた”映像”だ。
駒場祭でのヘルメット姿でのビラまき。
いちゃもん付けてくる糞生意気な駒場祭実行委員の学生さん。
当然だがヘルメット被っていたので私のハゲ頭は映っていない。
JUNさんの赤ヘル姿の格好いいこと、現役時代を彷彿させる。
タイトルも含め特別編集で12分にまとめてくれている。


元赤軍派議長を一括した仲間の発言。
その時は、どれ位の時間の発言か分からなかったがほぼ10分位の堂々たるアジテーションだ。
「そうだ!」
「異議なし!」
発言の合間に掛け声が盛んに掛かる。
個人的には、大袈裟だが”歴史的記録”と吹聴している。

残念だが、ちゃんとしたプロダクションの映像。
公開したいのは山々だが、著作権も含めプロダクションの承諾が必要。
努力はしてみるが、ハードルは高いと思われる。
仲間内での今後の回覧はJUNさんにお願いしている。
ご希望はJUNさんまで。

”実録連合赤軍”の感想は。

特段、「無い」。


■2008.12.21  morning  管理人

'1967年の一年生の夏、休みに帰省した。
役所勤めだった父は転勤で実家は人気がなく、友人に一通り顔を合わすと2〜3日で父母の住む官舎に向かった。
休みの間、昼間は父が世話してくれた近くの製材所でアルバイト、
製材された板を重ねて天日干しする作業が主、毎日スーパーカブで通った。
バイト休みの日は官舎から歩いて10分程の所に日本でも有数の清流があり、時々泳ぎに行った。


ある晩、父に鮎を獲りに行こうと誘われた。
父は近くの川の入魚鑑札を持っており、時々”投網”で漁をしていた。
夜半に父のバイクに二人乗り、背のリュックに投網を詰め、カゴを脇に抱えて5Km程上流に走った。
父が投網を打ち、少し深いところは私が飛び込み網を狭めていく。
月の明かりを頼りの川漁。

川が少し蛇行し水が淀んでいる所に網を投げた。
私の身長より少し深い瀬、飛び込むと投網の中で鮎が月の光にキラキラと光っていた。
潜り、網と岩との間から鮎が逃げないように徐々に狭めていく。
水から顔を出すと、月の光が川面に白く揺らいでいた。

その投網一回だけでバケツ一杯の鮎が獲れた。
余りの漁獲に、父はバイクの荷台にカゴを括りつけ一度官舎に持ち帰った。
川原で半時間ほど、月を眺めて戻ってくる父を待った。
あの時代、父との楽しい思い出はそれが最後だったと思う。
翌年'68年、あのような夏が来るとは思いもしなかった。



■2008.12.20  night  管理人

「ウ〜ン、まあまあか・・・・」
先ほど産経ニュースHP
「さらば革命的世代」を見に行ったら第三部(2)が4時13分にアップされていた。
記者への逆取材記事を上げるかどうか微妙なところだが、
秋田さんの写真がよく撮れているので許してやろう(笑。
けっして記事ではない、写真が良いからだ。


 インター合唱の輪の後ろで、何方かが写真を撮っている

しかし、
参加したのは東大、早稲田だけじゃないぞ、
あえてここには列記しないけど、もっともっと来ていたぞ(怒。

  my favorite songs  I'll Love That Man  Kathy Young





■2008.12.19  morning  管理人

今のご時勢が1968年に似ていると加藤周一さんが番組で語っていた。
似ていると云われても、当時世間様を騒がせた私等は困るのだが。
その時代の”主役”であった自負だけはあるが、
それを持って今何かを為すべきといわれても、今更主役を担う体力もないし、ましてその立場でもない。
主役には、その時代時代にふさわしい層がいる。

かつては全学連であり
全共闘であり、
連赤であり、
暴走族であった。
今は、
ロストジェネレーションなのか、
派遣社員なのか。

私の経験値の範囲で言えることは、
時代を担う層には何時も”アナーキー”な側面があった。
秩序を保ち整然とした”理屈”からは、時代を変えうる力は出てこない。

産経HPの「さらば革命的世代」シリーズ第三部(1)は先日紹介した。
この第三部(2)が近々にアップされる予定だと仲間から情報が入っている。
(2)のネタは11月22日に開催した日大930の会・拡大同窓会。
余りひどい扱いだと、私が記者の逆取材記事を上げる。
ネットが普及し、アクセス数は別としても今はそういう時代だ。
それに、こちらは彼の動画もスチールも持ち合わせているしね(笑。

 my favorite songs Tomorrow Is Another Day  Maureen Evans




■2008.12.18  morning  管理人

「ハイハイ」と受けてマンパカの写真を載せるところがマニアなのだが。
綺麗なお姉さんの写真なら一見の価値もあると思うのだが、
汚いマンパカではねえ・・・・、
でも、Jさんのリクエストだから。

ついでに私のマンパカの由緒も。
そういって、雑誌を納戸から掘り出してくるところがこれまた”マニア”
アウトドア雑誌のBE-PALの創刊号。
昭和56年7月とあるから指折り数えて、
ウ〜ン、長男が6歳のころだから27年前だな。

 

創刊号78ページ
ノースフェイス、シェラデザイン、LLビーン、モンベル、ダンロップなどなどのマンパカの紹介。
良く分からなかったから、ブランドの響きのいいノースフェイスを選んで山屋さんへ。
取り扱っていないと断られたが、なら取り寄せてくれと強引にねじ込む。
待つこと1月き余り、太平洋を超してくる船便ほど待った。

雑誌では30000円と紹介されているが、山屋さんには3万数千円程払った記憶が。
以上の履歴から、正確には27年前の購入となる。
マンパカも雑誌も、私は物持ちが良いのだ。


 my favorite songs Washington Square  The Village Stompers





■2008.12.17  morning  管理人

そうです、Jさん。
この曲には思い入れがあるのです。
宵闇迫る校庭で、
校舎屋上の時計台の下で、
遠い遠い昔、この曲が流れていました。


でもそれ以上は書きません。
先日、それは書かないと、
当分書かないと書いたばかりだから、書かないのです。
本当は書きたいのだけれど。

そうそう、もう一曲、
ワシントン・スクエアーって曲も有りましたっけ。





■2008.12.15  night  管理人

産経ニュースHPの「さらば革命的世代」シリーズ2008.12.13、先月の東大駒場全共闘シンポの取材記事が載った。
ページを飾るシンポ風景写真、手前に映るハゲ頭は・・・・・もしかしたら私かも。
この筆者が私の後方の席に居たのを確認している。

もし私ならもう少しウエーブのかかったヘアーだが、ハゲ具合や白髪の混じり具合がよく似ている。
そうであればこの最悪のアングルは全く失礼な話、新聞社に抗議しなければ(笑。

この筆者、シンポ前日の22日の私等の同窓会にも出席、
私も含め仲間の多くを取材している。
記事に書かれている赤や白の模様の入ったヘルメットというには私等が会場に持ち込んだものだ。
日大全共闘の元闘士という初老の男性がアジテーション”というのは、以前からたびたび書いている仲間の発言。
これについてはその日終日私等に従軍してきたテレビクルーがしっかり収録している。
そのうちにこの映像が手に入ったら、あくまでも予定だが音声だけでも披露しようと思っている。



しかしこの産経の記者、22日の同窓会の初めから終わりまで6時間余り居た、
そしてその間私も含め日大全共闘をひたすら取材していた、大した執念である。
余談だが、会の最後、インター合唱の場面、涙を流して歌う私等の輪の外側で、不思議そうに眺めている彼の姿が私のビデオカメラに映っている。
取材する方がしっかり収録されているのである(笑。

私等自身はその時代の”全共闘”の正統を自負してやまないが、
40年経過した現実は、日大全共闘はマスコミも含め世間様が理解しがたい”異質でかつ特異”な存在。
その思いがシンポ会場での仲間の叫び、「全学連と全共闘、セクトの話をごちゃ混ぜにしないでほしい」につながっている。
余り私等に深入りすると、この記者、訳が分からなくなるのではとも心配している。

私等の従軍テレビカメラとは別に、同じくこの全共闘シンポを取材していたNHKのカメラクルーが居た。
その映像が昨日のNHK教育の番組に編集されていた。
「加藤周一、1968年を語る」
余談だが、シンポ会場風景でこのNHKのカメラにドアップで映し出されていたのは私等の仲間。
Kさん、髪も黒々と格好良く映っていたよ。
この番組、私はちゃんとビデオに収めたからね。





■2008.12.14  night  管理人

「父さん、これ腰に来るわ」
「若いお前さんが、そんなこと云っていてどうする」
夏タイヤからスタッドレスタイヤに、私の指南で交換。
一本一本ジャッキアップし四本全部交換するのに1時間余り、滅多にない息子との楽しい作業だった。

タイヤの交換と誕生祝いで次男坊が帰ってきていた。
年末の休みを利用し、職場の同僚と車で信州八方尾根へスキーに行くという、
彼は小学一年生の時、グラススキー場で練習を重ねた。
ちびっ子だから滑り降りるのは楽しいが、上がるのは嫌がるので、私が背に負って何度も何度もゲレンデを上がった。
私の労力でボーゲンを習得したと云ってもいい。

初めてのスノーゲレンデデビューは小学校二年生の冬、確か八方尾根だったと思う。
リフトは最初怖がったのでひざに抱えて乗った。
その翌年の小学校三年の冬、板は兄ちゃんからのお下がりのアトミックのブルーのジュニアレーサー、
緩斜面での直滑降の親子の競争、もう既に追いつけなくなっていた。
彼は、あれから八方へは足を向けていないのでほぼ20年振りだろう。


「大きいのが2本で20歳、小さいのプラス9本で29歳だ」
「来年は大きいの3本でいいよな」
少し遅れの次男坊29歳の誕生日。
家族四人で祝った。

  my favorite songs  Midnight In Moscow  Kenny Ball And His Jazzmen





■2008.12.12  morning  管理人

マイカー通勤しているときはコートなんぞ、ついぞご縁が無かった。
自宅の玄関から職場まで直行。
吹きすさぶ寒風に当たることも無ければ、夜の繁華街を歩く事も無かった。
そんな生活を永く続けてきた。

寒さが厳しくなるにつれて、朝夕の通勤の背中が寒い。
定年までのカウントダウンを開始しているので、ビジネスコートを求めるのも二の足を踏む。
「そうだ、あれが!」
そういうことで昨日、押入れのコンテナから掘り出してきた。

長男が小学校低学年の頃から山歩きを始めた。
登山と云うほどの大したものではない、息子と一緒の山歩きが楽しかった。
季節のいい時期に、日帰りからはじめ山小屋や山荘での一泊登山まで。
息子が付き合ってくれなくなる中学校までには、近辺の山は殆ど登りつくした。

その頃買い求めたものが、幾つか。
ナイロン製のキャラバンシューズ、ハイカラなトレッキングシューズもあったがこれにこだわった。
お揃いの息子のはちっちゃくて可愛かった。
登山用の雨合羽、ゴアテックス製は出始めでウン万円、欲しかったが高くて手が出なかった。
それにこのマウンテンパーカー。


当時刊行されたビーパルという雑誌に紹介されていたのものを、山屋さんの専門店で取り寄せてもらった。
NORTH FACE社のマウンテンパーカー。
当時、私の収入の割には数少ない高額な買い物だった。
という事でほぼ1/4世紀前の購入品。
私は物持ちが良いのだ。
(単にビンボー症とも云うらしいが)

山用から通勤用に転用。
このマウンテンパーカーには、色んな思い出が染み付いている。





■2008.12.11  night  管理人

二日連続の飲み会。
私は元々酒飲みではない。
コップ一杯のビールがあればそれで十分仕上がる。
桃井コンミューンでは一貫して皆を介抱する役回りだった。
私の適切な介抱で、浪人生のI川君なんぞは2回ほど窒息を免れ命を取り止めている。

落ち込んでいるのに、酒でテンションを上げるとどうなるか。
笑いながら泣いている状況だ。
そんな時、心を落ち着けるものがある。
嘘だと思うなら「これ」を見て見るがいい、きっと心が落ち着く。
あの頃は、めげそうになる時、何時もこの人に勇気付けられた。
今でもそうだ。





■2008.12.10  night  管理人

「こんな”泣き節”見つけてきたのは誰だ」
「俺だ!」

自分で云うのもなんだが、この Timi Yuro は落ち込む。
落ち込みながら、何度も何度も繰り返して聴いている。
いい泣き節なのだ、
himをherに換えると、
辛いのだ・・・・。

笑うな!

Just say I love him I love him from the start
And tell him how I' yearning to say what's in my heart
Just say I need him as roses need the rain
And tell him how' I lonely too see him one's again

If you should chance to meet him anytime anyplace anywhere
oh~Say I was a fool to leave him
And Tell him how much a fool can care
And if he tells you he's lonely now and then
Won't you just say I love him
And want him back again

And if he tells you yes~ he's lonely now and then
oh~Won't you just say I love him
and I want him back again






■2008.12.09  night  管理人

今、辛い事が幾つか有る。
もうこの歳だから、誰でも幾つか有るのは当然だが。
その内の一つは、親しい仲間の皆さんも知っている事。
それとは別に幾つか有る。
その内の一つが、最近筆を止めていること。

確か先月22日には、藪さんにも話した”あの事”だ。
40年は余りにも長過ぎた。
もうほんの数年早ければよかった。
時間は元に戻せない、
だから、もう”あの事”は今後書かないと思う。

自分に言い聞かせるのに半月程かかった。
だから、
多分・・・・、書かないと思う。
取り合えず当分、書かないと思う。

涙声で、
闘争勝利なのだ!

  my favorite songs   Just say I love him Timi Yuro





■2008.12.09  morning  管理人

何方から苦情が来たわけではないが、自分で自分の日記を読んでいて気が付いた。
比喩がまことに適切でない。
”味噌も糞も”という表現、
文章の流れでは、学園民主化闘争が味噌で、革命闘争が糞ということになる。
これは私の本意ではない。

削除、訂正するのはHPのため極めて簡単だが、
それでは、いくら日記だといっても公開しているもの、文章に責任がなくなる。
ここで閲覧している方にお詫びする。

合わせて、BBSで指摘いただいた米田さんの経歴、
立花ゼミのHPには「元・明治大学全共闘」との紹介。
どこにも”議長”とは書いていなかった。
私の思い込みでの履歴の記述となっている。
これも反省。
正確な情報を寄せていただいた明大全共闘さんに感謝。
この点も合わせてお詫びする。

    管理人




■2008.12.08  morning  管理人

全共闘シンポの演壇に並ぶゲスト
助手共闘だった最首悟は全共闘としては何とか○だろう。
明大の米田さん、後には明大全共闘の議長だが'68〜'69年安田講堂に立て篭もった時は社学同の幹部だから全共闘としては?
三人目のゲスト、ノンセクトで東大法学部闘争委員会の片桐さんの最初の一言が最高だった、
「私は一雑兵だから、このような高い所には・・・・」

昨年六月だったか、私はBS-hiの番組で初めて片桐さんを観た。
戸井十月のインタビューに答える片桐さん、
「こんな事でダメになる自分ならダメになってもいいと思った」
番組の中で、安田講堂に立て篭もった時の思いを質問されてこう答えていた。
私はこの一言に参った。
安田講堂に立て篭もったこともそうだが、人前に出てきて今そう云える東大の方は稀有だ。
東大生としては極めて珍しい方だ。

「そんなことはないぞーーー 」
”雑兵”のこの一言に、私は演壇に向けて会場から一言放った。
『片桐さん、貴方は雑兵でも立派な戦士だった、貴方はかつても今も最高だ!』
という意味を野次の一言に込めて放った。
私なりの親愛のエールだった。

ゲストの最首、米田、片桐さん

「塩見さん、貴方全共闘じゃないだろう・・・・」
当日、かつての赤軍派の議長を仲間が一喝した。
現役全学連の委員長と塩見さんがサブゲストとして発言をした直後。
あくまで私の感想だが、会場は一瞬静まり返った。

近くこの映像の記録が手に入る(予定)。
全学連もセクトも全共闘も、学園民主化闘争も革命闘争も、味噌も糞も一緒くたに進行する流れ。
これに苛立つ仲間の叫び。
(立花教授の講演は私には糞面白くないから上げないが)
映像は取り除いて、音声ファイルで仲間の”一喝”のみ披露します。





■2008.12.07  night  管理人

ポーカーの手の内を見せるように名刺を一枚一枚出してゆく。
新聞を読んでいた次男坊が横目でフンフンと眺めている。
「これは天下のA新聞、S経も有るぞ、そうそう関西のAS放送もだ!」
「どうだ、これは日の丸放送だ、参ったか!」
もうオヤジは自慢の絶頂なのだ。

長男の誕生日以来だから2ケ月振り、飲み会の夜中に帰ってきて起きてきたのは昼過ぎ。
先月、同窓会から帰ってきた折、その”戦果”を誇るのだが妻は関心を示さない。
言いたくて仕方ない私だが、当地では戦果を聞いてもらえる相手が居ない。
珠に帰ってきた次男坊がいい”カモ”になった訳だ。

11.24写真展会場で、佐々木みちこさんと談笑 (三一さん撮影)

彼は中坊から高校にかけて一時期ヤンキーに走った。
茶髪に染めても、
喫煙で停学くらっても、
夜間徘徊でお上に補導されても、
出席日数が足らず留年の瀬戸際に行っても、
最後まで付き合ってあげた。
辛抱強く付き合ってあげた。
私は彼が悪い子だとは一度も思わなかった。

そんな彼との”絆”があるから、
更生し(笑)、大人になった彼は私の酔狂に付き合ってくれる。
嫌な顔はせず、適当に距離を置き、フンフンと相槌を打ってくれる、
そこが愛想のない妻や長男とは違うところだ。
今夜は戦果を聞いてもらえて満悦なのだ。

   my favorite songs When You Walk In The Room  Agnetha Faltskog






■2008.12.06  morning  管理人

笑われてしまうか、それともヒンシュクを買うか?
それでもオヤジ連は真剣だったのだ。
東大駒場でのビラ撒きはこのいで立ち。
結果は、祭りで浮かれる構内、一連のコスプレパフォーマンス以上のなにものでもなかったが。


11.22写真展会場で、駒場ではタオルは外した・・・(皆で笑ってしまいましょう!)

当人達はイザコザも辞さない、かつての”その気”になっていたのだ。
相手がもう少し強引な対応だったら、JUNさんのスイッチが入っていたはずだ(笑。
そういう意味では、東大生の”規制”はソツなくソフト。
日大なら、四人とも袋叩きあって満身創痍で構外に放り出されていただろう。
そこが日大と東大の闘争の差だ(大笑。

同年代のオヤジが一人だけ絡んできた。
東大生の父兄なのか、それともイベントのギャラリーなのか定かでなかったが。
私を相手に今の学生はどうのこうの、かつては凄かったんだ、などと説教を始める。
それを私に話したって仕方ないと思ったが、配りながら聞いてあげた。

私(達)はどうのこうのと理屈つけるのは得意ではない、
思ったら即行動の単ゲバ。
次は皆さん一緒にやりましょう、考えたら動けなくなりますよ(笑。

唯一の救いは東大生ではなく慶大生の Rosso neri さんの感想。
まあ、一人でもいいか。





■2008.12.05  morning  管理人

三連荘で体が重い、体だけならまだしも頭も重い。
例え3日連続で寝ずの闘争でも頭はシャッキとしていたあの頃、単に若かったのかそれとも気合が違っていたのか。
不思議なもので酒の日が続くと、だんだんとキィーボード叩くのが億劫になってくる。
要は頭が回っていないのだ。


 11.23東大駒場、立花ゼミ全共闘シンポ

三一さんから、写真展会場での単ゲバヘルメット四人組の記念写真を送っていただいた。
テレビカメラが近くで回っていたので、もしかすると来春の1.18〜19関連の番組でどこかの画面を汚す事になるかもしれない。
タオル着用で人別不能なので、どう晒されようと構わないと開き直っている。
しかし、同窓会会場以外では至る所でテレビカメラが回っていたが、あの一連の映像はどう使われるのか気になる。

何が気になるかと云えば、
どうでも好きにしてくれという開き直りの片隅にある懸念、
私のハゲ頭が画面を汚しやしないかという一点のみ。






■2008.12.02  night  管理人

aaghさん、音声ファイルに留めたのは私の優しさだよ。
此方には証拠の”映像”ファイルもあるんだから、
何なら出そうか。

しかしだ・・・、
記録映像は仲間の了解がなければ公開できない、
折角の証拠も宝の持ち腐れなのだ、
悔しい!

しっかり見てるから、
今宵もしこたま酔ってるから、
12月にきても突っ込みは続くのだ。





■2008.12.02  morning  管理人

二週間経って速達便が受取人不在で戻ってきた。
東大駒場・立花ゼミ生のSくんに送っていた資料や映像記録。
先月23日の全共闘シンポで司会進行を担ったシンポの中心学生だ。
送っていたものは、全共闘を、そして日大全共闘を理解していただく資料類。
資料を見てもらっていれば、当日のシンポ進行がもう少し違っていたかもしれない、残念。



駒場祭に私らが押しかけた際、構内でシンポのビラを配っていた慶大生。
それを強引に取り上げ、ヘルメット姿で私らが配ったのだが。
(その際は御免な、君には迷惑掛けた)
自らのブログで呟いている。

>「デモ」についてどう思うか。
答えられなかった。
理由は簡単。
「デモ」をしていないどころか、見てもいないからだ。
反体制主義ロマン派学生の呟き。より

ビラ配りは爺さん達とクリアーしたから、次はデモだな。

今週は4日酒の席が入っている、
休肝日は木曜だけ、
サロンの金曜日も入っている。
闘争勝利!




■2008.12.01  morning  管理人

当然だが朝から洗濯に勤しむ。
昼前まで草木の手入れ、庭が落ち葉でフカフカになっている。
遅れ気味になっていた鉢物を部屋に取り込む。
レモングラスは刈り取り、縛って部屋に干す。
昨年干しておいたものを2〜3cmにカットしてハーブティーに、
我が家のおもてなしの大事な一品。

昼過ぎ、太陽でフカフカになった布団で小一時間ほど昼寝。
一週間ぶりの休息。
午後からはムービーファイルの取り込み。
4.7ギガのDVDロム5枚分になった。
一部編集を始める。

佐々木みちこさんの写真を一部預かっている。
教育会館で行った写真展は全共闘記録班のものだが、佐々木さんはそれとは別に一写真家として日大全共闘を記録している。
先日、その一部をお預かりした。
今後開催される写真展や、ご本人が強く希望している「写真集」の出版の一助に使用させていただくつもり。

当HPのトップページに掲げているのもがそれだ。
ネットは流失を前提としなければ公開できない。
縮小し版権表示を行った。
先ずは、来年4月のベルグでの写真展告示から。

  
my favorite songs Now I Lay Me Down To Weep  Skeeter Davis




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