my favorite songs
 

■2009.01.28  morning  管理人

起き立ちは何故か涙もろい、正常な老化現象だと思っているが。
新聞の投書欄を見て泣くのは日常だ。
最近は派遣村の記事、先日はJさんのブログの写真。
でも、
今朝はそれ以上、特別だった。

妻が起きてくるころには目は腫れ上がっていた。
上を向いても、下を向いても、
右を見ても、左を見ても、
止まらなかった。



■2009.01.27  night  管理人

合掌






■2009.01.26  morning  管理人

結婚したての頃はお金が無かった(今でも同じだが)。
妻が画集を買ってきて、気に入ったページを切り取り何点も壁に貼っていた。
我が家の美術館は(本物の)お金に直すと何百万から何千万にもなるはずだ。
そんなせいで、サブミナル効果(?)というものだろうか、妻の好きな”とある作家”だけには異常反応するのだ(笑。

この土日、業界の催しに動員されていた。
チャリティーの美術展、売上の一部をユニセフに寄付するという。
そのためユニセフ協会の支部事務局長と名刺を交換した。
「今回の寄付は、出来たらガザの子供達に回せませんか?」
恵まれない子供達に区別は無いが、無理だとは思うがそうお願いした。
事務局長は困った顔をしていたが。

会場を回るとサブミナル効果が反応した。
かつての我が家の”壁面美術館”にも飾ってあった”とある作家”のコーナーがあった。
壁に飾っていたものと同じものも数点有った。
妻に買ってあげたいが、価格は・・・・・、
私のポケットマネーではとてもとても手の届くものではない。

その晩、帰ってその事を報告した。
「いいですよ、貴方が半分出してくれれば、私が(家計から)半分出すから」
「私の希望は”赤い”色の作品」
こういう場合、私の企てが勝ったのか、それとも妻が一枚上手だったのか、考えない事にしている。
昨日、展示会場に出向き係りの方に震える声で言った、
「この赤いシャガール下さい!」
云っとくが、赤い”メット”ではないからな。

妻は満悦この上ない。
彼女、この日のために、
私に周到にサブミナル効果を仕込んだに違いないと思った。



■2009.01.25  morning  管理人

「闘争やらなかったら多分バンドやってた」

スリムなジーンズにコート。
ジーンズは多分 EDWIN か BIGJHON
私の場合、コートは茶色のVANだったが。
晩年、そう云っていたからファッションもゲバルトでもその延長だ。
HPのトップページに掲げる写真は宮澤君

格好良い。
私は闘争を理論で語るのは得意でないが、
宮澤君のこのいでたちが私の語れないものを表している。
そういう意味で、宮澤君もラッパさんも文句なしに格好よかった。

私も近くの主婦の友会館のVANコーナーでコートを買った。
宮澤君のファッションの後追いだったが。
彼と違い軟弱・日和見な私、コートに戦歴が染みるまで少し時間がかかったが、
それでも2〜3回の集会とデモでそれなりに仕上がった。
今だと、一生着ていてもあの”風合”は出せないだろう。

宮澤君が生きている間に、この写真を掲げたかった。
合掌。
曲は宮澤君が好きだったRolling Stones

   my favorite songs Rolling Stones - Brown Sugar




■2009.01.24  night  管理人



画面右下が理工学部一号館
映像には屋上を走る人影が、
当日、屋上に居たような、居なかったような?・・・・・、
記憶は途切れている。
誰か憶えている奴いないかなあ。




■2009.01.24  morning  管理人

後悔している。

先週のサロン。
祭壇の十字架の前にスクリーン、
説教の台にプロジェクターをセット。
私はバージンロードの脇で映写技師。

上映を始めるまで少しの間、牧師様と二人でミニコンサート。
曲は勿論マイフェイヴァレイトソングス、教会一杯に響かせた。
ペギーマーチのアイルフォローヒムを牧師様は知らなかった、心外だ(笑。
そんな”美しい”光景を記録に残す事を忘れていた。
ここにその写真を貼れば完璧だったのに。


サロンが取り組んでいるある件の”特番”ビデオの鑑賞会。
牧師様が快く教会を会場にと提供して下さった。
勿論、使用に料金なんてもの無いからこちらからお礼を出した。
一人頭500円。
でも牧師様は珈琲ーとクッキーを出して下さった。
結局、お喋りの間クッキーをボリボリ、珈琲も4杯お代わりしてしまった。

「**さん、DVDお願いね!」
帰り際にローザ姉御からお声が掛かった。
この場合、「お願いね」と云うのは”司令”に等しい。
私はDVD増産”工場”なのだそうだ。
工場はそれから一週間、操業し続けているのだ。

   my favorite songs Skeeter Davis  I will follow him 


■2009.01.23  night  管理人

終点が近づくころには何時も私一人。
雨の日はローカルな電鉄会社の電車に揺られる帰路。
前方の時計は21:21を表示、
私の貸切電車。


11月〜12月、色々な事が有った。
静かなローカルに暮らす私には何年分の刺激だった(笑。
セオリー通りに反動。
冬の雨もいいものだ。


■2009.01.20  morning  管理人

アノ画像がサムネイルに出てきているのは偶然なのです。
決して最初から意図していなかったので、神様の御意志です。

両者の、お勉強の出きる出来ないは如何様にも否定しがたい事実です。
この両者、不器用な生き様に徹している方も居れば、器用に世渡りしてきたと思わざるを得ないような方も知っています、お勉強の出来る出来ないは関係有りません。
しかし、この番組での両者の違いは鮮明だったと思います。
総じてT大の”陰”に対してN大は”陽”。
T大の”頑な個”に対してN大は”素直な連”
この違いは良い悪いの比較ではなく、運命的なものでもあります。

どうしてなのか、馬鹿な頭で考えています。

   my favorite songs  Skeeter Davis - Now I Lay Me Down To Weep




■2009.01.15  morning  管理人

昨夜10時過ぎから異常な事が。
ほぼ30分程でアクセスカウンターが500余りカウントしていた。
ド・マイナーな我がホームページがだ。
BBSで80年代さんに告知していただいていた”アレ”だなと直感。



一昨年2007年6月のBS-hiの「全共闘」の放映後は、プラスαのささやかな影響(笑。
やはりBSハイビジョンは敷居が高い。
同年の10月のBS-2「日めくりタイムトラベル」の放映後はアクセスが倍増、影響は数日続いた。
今回の日テレのアレは、放映後直後から秒針が刻む如くのアクセス、昨日は普段とアクセス数が一桁違った。
番組の評価は別として、民報の、それもゴールデンタイムの影響は恐るべし。
しかし曰くの番組、皆さんの評価は”ボロ糞”。
DVDに落としてあるが、無視して永久封印だな。

中村克己君の墓参会を2月15日に予定、
今年は12時半集合、13時から13時半まで、例年より1時間予定が早まっています。
農闘委・「墓参会」告知ページ

   my favorite songs  Right Or Wrong  Wanda Jackson  1961




■2009.01.14  morning  管理人

仲間の皆さんには既にお知らせしたが、実はYouTubeにもう一本動画をアップしている。
元旦にフラッシュプレヤーで公開したものにBGMを付け、一部手直し。



この動画、最後尾に二つ付け加えたものがある、
一つは、某学部行動隊長の40年前と今。
もう一つは、新版・叛バリの宣伝。
いずれにも共通することは40年後の”今”を伝えていること。
最後が大事だから、そう云う事で最後まで観てほしい。

2009年は、旧年にも増して”オタク”の道を邁進することになりそうだ。
マイ・フェイヴァレイト・ソングスは、40年の2倍 つまり80年前のヒットソングス(笑。

   my favorite songs  kimikoishi  teiichi futamura  1929





■2009.01.13  morning  管理人



既にこのサイト(管理人日記)で昨年12月に公開済みですが、静止画を付けてYouTubeで公開しました。






■2009.01.12  night  管理人

朝から庭仕事。
妻の呼声で気がついたらお昼ご飯。
周りが薄暗くなるまで脚立に上がったり、地面を這ったり。
私の土日、天気の良い日は何時もこんなもの。


午後のおやつは頂いたケーキにローズティー。
おやつの後は刈り込んだ生垣の枝葉の始末。
軽四トラック1車分も、ほぼ1年肩が動かず伸び放題になっていた。
ツル薔薇の支柱立ても1年振り。
分厚いセーム革の手袋で防御していたのだが、それでも薔薇のトゲで湯が染みる。

   my favorite songs  Who's Sorry Now Connie Francis






■2009.01.11  night  管理人

17日は80年代さんの提供情報で確定、早速に録画予約を二つ入れた。
一つは地デジ、もう一つはアナログ。
地デジ録画は、事後の映像の取り扱いに難渋するので、画質は落ちてもアナログは外せない。
その心は・・・・「議長とあの人の映像」の抽出。
それにしても80年代さん、10日も前にどうやって情報を手に入れたのだろうね?

ある筋からの情報によれば、東大6名、日大2名の”出演”となるらしい。
このバランスは安田講堂がネタだから、悔しいが納得しよう。
東大はKさんに島さん、後4名の名前はそこそこ分かったが面識がないのでここでは紹介しない。
日大は議長は当然として、もう一人はほらほら・・・・”あの人”だ。
いつもの過激な発言で、結果数日に及んだ収録の殆どが編集カットの憂き目にあったらしい。

相手は天下の国営放送だから、
放送禁止用語を連発したら・・・・・、
相変わらず40年前から”学習”がない。
でもね、そこが”あの人”の良いところだけど(精一杯のフォロー)

ディレクターが大半カットの詫びに、こういうような内容の一言を付け加えたそうだ。
「収録で一番面白かったのは貴方だ」
あの人なら、、
「なら、私らだけの特番を作ったらいいだろう」
きっと、このような事を切り返したはず。
違うかな?




■2009.01.10  night  管理人

「今週はお客様が来ますから」
サロンのお誘いメールにそう記されていた。
年末と年始を外したのでほぼ1月振り、定刻で仕事を終えサロンに向う。
入口で最近顔を出すようになった銀行マンの方と一緒に、二人して一番乗り。
「この手の集いで銀行マンの方は珍しいですよね」
「お歳は?」
「ご出身は?」
皆が来るまで履歴調査も含め(笑)、初めてゆっくりお話をした。

常連メンバーがほぼ揃ったところでローザ姉御からお客様の”前説”が。
九条関連の講演の協力依頼ということらしい。
その”筋”の方であるのとの補足も。
私等のサロンの活動は全方位でやっているし、その”筋”の勢力にも少なからず参加協力していただいている。
この業界にもいわゆる”義理”ちゅうもんがある訳だ。
そんなこんなを話していると年配のご夫婦が現れた。

いかにもその”筋”の方々が好まれそうなジャーナリストの講演。
出来る範囲でご協力しましょうという美しい話の流れに。
まあ、その本題はさて置いて、
お互い簡単な自己紹介を交わした際、女性の方が私と同い年だと分かった。
そうなるとこの突っ込みは避けるわけにはいかない。
「失礼ですが、高校は何処でした?」

高校名を聞いた途端わずかに動揺が走った。
「クラスは、文科、理科?」
「文科クラスですが・・・?」
クラス名を聞いて更に動揺。
隣の牧師様が、私の顔を見てニタニタ笑っていらっしゃる。

その後は当然の「行方不明者」の調査、
成果は・・・・、無かったが(泣。
現金なもので、その”筋”の方である事はすっかり忘れ打ちとけて話が弾んだ。
おまけに前売り券を二枚も買ってしまった。
党派を超えて、私の情報ネットワークは拡がっているのだ。





■2009.01.07  night  管理人

考えてみれば変なものだ、何で私が話を聞かなければいけないのか。
先だって友の昔の彼女と電話で長話をした。
その人と私をつないでいる電話線の長さは1000Kmを超しているはず。
「貴方は聞き上手ね」、というお世辞に乗せられたのかも。

高校時代、その人は私等の間では注目の的だった。
少し憂いを秘めた眼差しは、ノー天気な悪がき共の注意を引きつけてやまなかった。
誰もがアタックしようとしたが、皆がけん制しあい実現しなかった。
・・・・・と、思っていたが。

「彼女と別れた」と友から聞いたのは'70年も過ぎたころだったろうか、
私がジリ貧の敗退戦を闘っている頃、友はその人と密かに交際していたことになる。
別れた理由はと聞くと、「闘争勝利」だと云う。
「お前は本当に馬鹿な奴だ」と云ってやった。
この際、私の事はさて置いてだが。

その人はあの頃の生い立ちの事も話してくれた。
憂いを秘めていたその人のあの頃が少しは理解できたような気がした。
今の生活の事も話してくれた。
友に云ってやった。
「お前が話し相手になってやらないなら俺がなるからな」

でもね、
私には、
やっぱり、
”その人”では代わりにならない(のだ)

  my favorite songs 歌謡曲シリーズ3本目




■2009.01.06  night  管理人

NHKアーカイブスの議長への取材攻勢は半端なものでなかった、と仲間からレポートを貰っている。
東京ではラッパさんらの警護隊がガッチリとガードしていたので、彼等としては十分な取材が出来なかったのだろう。
取材クルーははるばる議長宅へ出向き連日に渡り日参したらしい。
同窓会で議長に対面した諸氏にはお分かりだろう、今の議長は物静かで律儀、物腰は柔らかく謙虚。
それを分かって議長を攻め続けたあつかましい取材クルー、忌々しく思うのは私だけだろうか。

元旦にアップした写真展のフラッシュムービー。
あつかましいNHKアーカイブスの取材クルーに応じる芸闘委ヘルメットを被った”オヤジ”が映っている。
この芸闘委さん、40年前の鬼気迫るご自分の写真の前でそのギャップを楽しむかのように取材を受けていた。
この他にもハンドマイクを持つ姿の”注文”にも応じていた。
その取材を後から私が”取材”していたわけだ。
1/17(土)10:05〜11:25 NHK総合(教育)、いろんな意味で楽しみだ。

80年代さん、BBSに情報を有難う。

  my favorite songs 歌謡曲シリーズ2本目




■2009.01.05  morning  管理人

1969年は転げ落ちるような敗退戦に変わった。
バリケードは解かれ、一号館は鉄格子の塀で取り囲まれた。
授業再開阻止とバリケード再封鎖を叫びイタチごっこの繰り返し。
集会をすればまわりは機動隊がビッシリ、大学とそれとの連携は完璧だった。

そんな頃に流行った歌謡曲にこんな曲があった。
時代はまさに全国の学園にバリケードが野火の様に拡がっていく頃だが。
歌は私等と同じ様に時代を先取りしていたのだろうか。





■2009.01.01  morningU  管理人


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■2009.01.01  morning  管理人


2008年11月22日、叛逆のバリケード新版発売記念写真展 於)日本教育会館
画面写真は三一書房さん提供


皆さまが良き一年でありますように。


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