■2009.02.27 morning
管理人
職場のホームページにデジタル認証サービスを申し込んだ。
その認証サービスの証明書が送られてきた。
運用規定をネットから取り出して読むように書いてある。
プリントアウトすると、小さな字で56ページもあった。
こんなものは間違っても読まない(笑。
ホームページにフォームcgiを組み込み、問合せなどのページを設定してもう2〜3年になる。
年を追うごとに、ネットでの問合せや依頼などが増えて、今ではコンスタントに日に数件は舞い込んでくる。
「ネットなんぞ・・・・」
と馬鹿にしていた同僚も、最近はネットでのやり取りを見直してくれるようになった。
それに並行して、やり取りする情報の「漏洩」という危惧が出てきた訳だ。
まあ、どう漏洩しようが命に別状はないのだが、業務となるとそうはいかない。
業界向けの個人情報漏洩に関わる損害保険をかけてはいるが、
保険での事故の経費救済と、ノン・セキュリティーでの情報のやり取りとはまた別の話。
デジタル証明サービスは年額で6万円から20万円程までランクがあった。
このコストの差が何なのかよく分からないので、取りあえず一番安いサービスを申し込んでいた。
それでだ、
早速テストも兼ねて、フォームページを指定されたSSLの領域に送り込んでみた。
マニュアルには「FTPでSSLのディレクトリにアップすればよい」と書いている。
それ以上も以下も書いていない。
だから、私の理解もそれ以上でもそれ以下でもない。
しかし指示通りにやっても、上手くアップできるフォームページとそうでないページがあるのだ。
だいたいこの業界は、マニアやオタクを標準レベルでガイドマニュアルを作っている。
オタクは若者ばかりとは限らなく、アラカン爺さんも居る事を知らしめなければ。
■2009.02.26 night 管理人
昨日、職場で健康班会があった。
遡ればもう30年も前だろうか、とあるイベントで民医連の方と親しくなった。
勿論、”それ”は”アノ”系統だとは百も承知。
しかし何故か親しくなった。
そのつながりで、我が職場に健康班を設けた。
定期的に保健師さんが訪問してくれて、血圧や体脂肪測定、健康相談に応じてくれる。
当然、民医連の下部組織の会員にもなった訳だ。
それはそれで良かったのだが、それから有り難い事がわが身に降りかかった。
元々暴力学生出身であり、職場の既成の労働組合に組み伏すことをよしとしていなかった。
皆も分かると思うが、'70年当時はあらゆるものに反抗し、社会党でさえ憎々しげに思っていたものだ。
そんな私がその筋の健康班を職場に導きこんだのだから、
当然といえば当然だが、社会党系の労組の方々からありがたいお印を頂いた。
「**はアレだ!」
アレとは一番遠いと思っていた私がアレと決め付けられた。
世の中面白いものだ。
今はその誤解は解けているが、この被選別は4〜5年続いた。
ところで昨日の健康班会だが、
「エッ・・・**さん、過去最高数値ですよ!」
計った体脂肪計を見た保健師さんが声高に云う。
「最近、数値上がりっぱなしですよ、何とかしなければ!」
「痩せてる事と、体脂肪は関係ないからですね!」
私には十分に思い当たる節がある。
バレンタイン前後からのアレだ。
■2009.02.25 night 管理人
「そちら様は、公益的な事業をされている団体なのですね?」
「エッッ、公益的と云いますと・・・・???」
「公安に序する団体でない事だけは確かなのですが・・・・」
「・・・・・・???」
「不特定多数の方々に呼びかけている事は間違いないのですが、公益と云われても・・・」
ローザ姉御から指示が、
県内のNPOを束ねるセンターが定期的に文書配布を行っているからチラシの配布を頼みに行けぇ〜と。
一兵卒、昼休みを利用してテクテクと歩いて出向いた。
その窓口でチラシを差し出すと上の問答が続いた訳だ。
申し訳ないが、当人には”公益事業”をしている認識は全くないもので。
珍問答を挟んだが、チラシはめでたく受領していただいた。
昼休み、ついでにその足で県議会へ。
「アラ、**さん」
廊下で私の名を呼ぶ声、良く見ると共産党の女性議員さんではないか。
私も随分と丸くなったものだ(笑。
チラシを差し上げると、
「アラ、このチラシもう貰っていますわ!」
どうも最近サロンに加わったアチラ系の方が既に精力的に動いているようだ。
単純な性格なもので、競争意識がムクムクと湧いてきた。
「**さん、余計な事は云わなくていいの!」
NPOセンターでの顛末を報告すると、長老に厳しく指導されてしまったが、
でもね・・・・、
”公益”的事業と云われても、私も困惑するのだ。
■2009.02.24 night 管理人
「それは卑怯だわ」
「オイラを馬鹿にしているのか!」
もともと堪忍袋の尾が擦り切れているアラカンだから、
聞いた途端に突沸した。
給付金のドタバタが聞こえてきているが、
給付の窓口となる自治体の準備は急速に進んでいるよう。
定かでないが、噂が私の町内から聞こえてきた。
「給付金は、世帯分まとめて住民票の世帯主に給付(振込み)となります」
「私はあらゆる面でカミさんより地位は下だが、住民票ではとりあえず世帯主だわ」
「オイラが受け取り拒否したら、関係ないカミさんの分は・・・・・」
「長男の分は・・・・・」
「次男の分は・・・・・」
更に情報を取ると、
ローカルでのどかな我が町、受け取り拒否などという想定はしていないそうだ。
拒否すると、ローカルな行政の窓口が混乱に陥るとも。
年金は申請しなければ給付されないが、これは拒否しても給付以外の選択を用意していないらしい。
堪忍袋の尾を切ってくださいといわんばかりの、ややこしいアラカン向けの絶好の政策ではないか。
それに加え、人質を取るにも等しい現場窓口の手法、
姑息・卑怯千万に尽きる。
突沸しているとカミさんにたしなめられた。
「貴方、受け取っておいて、自分の分はそのままお返しして役所に寄付すればいいのよ」
「そうすれば我が家も丸く収まりますよ」
自治体のやり方は千差万別らしい、
皆のところはどうなっているのかな?
■2009.02.24 morning
管理人
よく見に行くブログでアラカン(還)という言葉を見つけた。
団塊という表現も嫌味がこもっているが、アラカンもネェ・・・・。
経年劣化で堪忍袋の尾が切れやすくなっている。
涙腺が緩くなっている。
唯我独尊、見境無く薀蓄を垂れる・・・・等々、
特性を上げればきりがないそうだ。
確かに、私に関して云えばほぼ合っているところがまたまた悔しいのだ。
先日のサロン、ミニ老人決起集会の様を呈していた。
集会といってもほんの4〜5人だが、
勝手気ままにやっていくのにはこれ位の人数が丁度かもしれない。
勝手気ままといっても、何でも有りで”無軌道”に逸れるのをお互いの永い人生経験がそれなりに補正し合う。
爺さん、婆さん・・・・じゃなかった、
爺さん・オバサン共闘で、
生き永らえれる間は、嫌われても世間様に一石を投じ続けられればそれで良し。
しかし・・・・
今でも、私はモノホンの”石”を投げたいのだがね。
■2009.02.19 morning
管理人
相変わらず何時もの事だが、突然「来月*日!」だと電話が入った。
ローザ姉御、以前からパレスチナの状況に心を痛めていた。
それに昨年末からガザがあのような状況。
彼女、もう居ても立ってもおれない状態だった。
The
Palestina Chronicle
「もういい、私はやる」
年が明けて今まで、独りでいろんな団体に協力をお願いして回っていたそうだ。
しかし一向に埒の明かない状況に、何時ものようにブチ切れた訳だ。
「集会開催は来月*日、会場は今数箇所を当たっているから諸般の準備をよろしく」
「準備たって・・・・、一ケ月も無いのでは・・・」
事の根回しは十分やり、関係団体に呼びかけ、協賛、協力etc、取り付けれるものは何でも取り付ける。
ついついそんな仕事の発想の延長で、今更に根回し、協賛(団体)を取り付ける助言を彼女に。
電話では素直に私の助言に首を振っていたが、その晩に届いたメールには。
「協力の呼びかけに労は惜しまないが、やっぱり、主催はサロン単独でやる」
「色んな層の方々に来て欲しいから」
やられた、と思った。
その通りだ、と思った。
我ながら、殊勝な返信を彼女に出した。
『協賛団体の件、
ローザ姉御の考え方が正しいと思います。
つい仕事のプロモートの延長で、協賛団体を図る助言しましたが、
サロンは今まで何れにも偏らず一市民の立場で続けてきた活動です。
そうであったからこそ、各層の参加を実現してきたのだと思います。
偏らない、軽いフットワーク、突然にも対応できる柔軟性、
それをもう一度思い出させてくれました。
実現に向けて頑張りましょう。
パレスチナに平和を!』
フッッッ・・・・・、また一時忙しくなりそう。
■2009.02.16 morning
管理人
実際のところ、バリケードストライキ突入当初その言葉を知らなかった。
世界史でその宣言は習ってはいたが。
戦後日本の枠組みを規定した宣言らしい、
それによって「お仕着せの戦後民主主義」が仕上がったともいう。
闘争を始めるのに、多数決で民主的にスト権確立を行う。
その継続・解除を決めるのも民主的な多数決。
それは、何をするにも民主的な多数決の”手順”を踏む。
私ら日大にそういう”ポツダム自治会”は最初から無かった。
つまりそういう事で、
幸いにも、私らには美しくも徒労な”ポツダム民主主義”という恩恵は無かった訳だ。
昨年、東大全共闘だった方とゆっくり語らう機会があった。
色々話を聞かせていただいている間に、私等とは根本的に違っていた何かを感じた。
失礼は承知の上でこう思った。
「この方(達)は、何故そんな”手順”に執着していたのだろう」
「この方(達)は、殆ど全ての精力をそんな”手順”に注いでいたのか」
理工学部闘争委員会は、最初のスト突入こそポツダム自治会的な学生総会での議決を経たが、
それは後にも先にそれ一回だった。
定かでないが、私にはそれ以後闘争について学友の総意を問う手順を踏んだ記憶はない。
バリケードの中ではそもそも、”民主的”という言葉ですら”欺瞞”に満ちた響きを持っていた。
日大の場合、誰がどう云おうと闘いを続けるか否かは自分の問題だった。
その、個の決意が全共闘を形づくっていたのであって、民主的な総意ではない。
それは最初からそうであり、それは最後までそうだった。
そして、それは強くもあり、脆くもあった。
東大全共闘はその闘いの最終局面でそれに行き着いたらしいが、
私等には、それは最初からそうであり、それは最後までそうだった。
歳を経て、形式を整える事には長けてきたが、
今でも、その感性は体に沁みついている。
■2009.02.15 night 管理人
小学校低学年の頃は一日5円のお小遣い、兄ちゃんの尻に付いて行った駄菓子屋で飴が何個か買えた。
兄ちゃんはもっぱらベー駒やビン玉、勝負に勝つと私にもお裾分けがあった。
高学年になると300〜500円だったと思うが正確に憶えていない。
中学校になっても、それほどの値上げは無かったように思う。
ニキビ噴き出す頃、好きな洋楽ポップスは宝物のパナソニックのトランジスタラジオで。
お小遣いで中学生の頃にレコードを買った憶えはない。
どうもバレンタインのチョコの代替えらしい
そんな訳で、中学生の頃はポップスの洋盤シングルレコードにはとても手が届かなかった。
買っても、それをかける電蓄(蓄音器)も無かった。
好きなペギーマーチやロネッツの洋盤シングルのコレクションを自慢できるのは私等団塊より上の世代だ。
時代は高度成長の1960年代、我が家にビクターのステレオが鎮座した。
高校生になった頃にやっと月1000円程の小遣いになった。
2ケ月の小遣い貯めて初めて買ったLPレコードはビートルズでもベンチャーズでもない。
洋楽のオムニバス盤、この曲が高校生の純情に響いたから。
その暗〜い好み(性癖)が今も続いている(笑。
米国では1959年にヒット
日本ではザ・ピーナッツが歌っていた、どうも最初から好みが年相応ではない。
my favorite songs Petite
Fleur - Chris Barber's Jazz Band
■2009.02.11 morning 管理人
今日は2月11日だが、
まあその話はさて置いて、この菓子は美味。
妻のネットでの”お取り寄せ”、止まるところをしらない。
次から次に、全国の銘菓が届く。
これでは毎夜の私のウォーキングも台無しに。

昨夜、札幌の友から所用のメールが。
時候の挨拶の次に
「”あの子”の事の踏ん切りはついたか?」
「余りひきずるのは良くない・・・」、云々!
友にこう返信した
『去年の11月17日、
数十年前、ある席で偶然にも席を隣にした同窓生の女性から、
「その方だったら**洋子さん、確か**高校の西側辺りに住んでいるはず」というガセネタを信じて、
ふとしたことで分かったその宅の呼び鈴を押した。
呼び鈴を押すに至るまでの躊躇、決断は私にとって「人生ここ一番」ほどのもの。』
『1968年8月、彼女の自宅のドアを叩けなかった事が未だに一生の後悔で引きずっていたから。
しかし結果は大外れ、同じ高校、同じ学年、同じクラスだったが”洋子”違い、
まあここまでデータが相似していればその同窓生が間違ったのも責められないが。
そう云う事で結果は伴わなかったが、40年前、日和見ったことの後悔は、大半は払しょくできた訳だ。
しかし・・・40数年も引っ張って、彼女の今の姓も、誕生日も、その他の事も全く知らないとは情けない。
今更どうのこうの云うのではないが、例えお互い老いさらばえていても、もう一度会ってみたという思いは変わっていない』
友の親切心はアダになる。
改めてそういわれると、微かな残り火にまたまた勢いがつきそうになるではないか。
my favorite songs Maria
Takeuchi - where the boys are

■2009.02.09 morning 管理人
お調子者だから、職場のホームページにフラッシュムービーを組み込んだ。
業務上のとある企画の広報ムービー。
勿論、IDとパスワードで員外は見れないように会員制に制限。
当サイトの映像のように怖い方の登場や乱闘シーンは無いが、機微なる個人情報と僅かばかりの著作権があるため。
私個人のホームページの話に変わるが、
10MBだった開設当初の容量から、100倍の容量の1GBレンタルサーバーに乗り換えたのが2006年の1月。
その後、新サーバーに移転すると「料金が同じで2GBに増量」というサービスを目ざとく見つけ、サーバーの移転にチャレンジ。
スッタモンダの末に、頭はモーロー、目は充血、老体には過酷な作業でボロボロになりながら移転完了。
あの時の苦悶は未だにトラウマに成っている。
またまたその後、何も知らないうちに容量の増量サービスで現在は勝手に5GBに成っている。
この数年で容量は500倍になったことに。
頑張ってムービーやらビラなどをどんどんアップしているが、それでも使用領域は現在1.5GB程。
このギガの感覚が自然と付いていたため、職場のサーバーに無頓着にムービーを2個ほど上げた。
験しにサーバーの容量をチェックしたら、
もともとビジネス契約、開設当初は300MBの容量で十分と思っていたのだが、
ムービー様2個のお陰で、あと数十MBしか残量がない。
そういう事で、
サーバーの会社のHPを初めて見に行った。
驚愕の事実が。
次回の契約更新時10日間以内に同社の新サーバーに移転すると・・・・・、
ほぼ同じサービスと料金で、現在の300MBから60GBになるという。
エッ〜・・・と、60000÷300は、容量は今の200倍になる、
何度も云うが同じ料金、同じサービスでだ。
「これはおかしいではないか、一体どういう事だ」
そういう事なのだ。
独りで舞い上がって、独りで納得した。
個人的な経験が役立った訳だ。
しかし、サーバー移転はあのスッタモンダ、あの苦悩のトラウマが・・・・。
更にしかしだ、
順調に行けば次回のサーバー契約更新は、私の円満定年退職後なのだ。
■2009.02.08 night 管理人
「お前らはやりっ放し、次の世代に何もバトンタッチしなかった!」
私等全共闘(世代ではない)はそう謗られ続けてきている。
個別、日大闘争は
「悪い事を悪いと云って、引き下がらなかっただけ」
事は極めて単純明快、
何度も云っているが、あとの世代へ引き継ぐとか、そういうレベルの問題ではない。
この土日、晴天に恵まれ陽の落ちるまで庭の隅にしゃがみ込み農作業。
加齢のためか動作が鈍になっている。
猫の額ほどの庭だが、ゴソゴソ、モゾモゾ、這いつくばっていると直ぐに時間が経ってしまう。
鉢植えのクリスマスローズが一輪、また一輪と咲き始めてきた。
クレマチスも緑の葉がチラホラ。
しかしクリスマスローズ、例年に比べると花芽が少なく、花弁も小ぶり。
鉢に根が回りきってしまっているよう、そろそろ株分けが必要。
今年は、花が終わり梅雨までの間にその作業をせねば。
しかし、円錐形のものは鉢替えが容易だが、
アールのついた鉢はどうしよう?、それが課題。
梅雨までの期間といえば、順調にいけば私は”円満”定年退職後だが。
我がハゲの進み具合と、職場から消え去る時期はここいら辺りがジャストタイムとも思っている。
現役はロマンスグレーの間と秘かにも決めていたのだ。
既に同世代の同僚は、早々と早期退職優遇制度で職場から消えていった。
ありていに言えばトロトロしている間に逃げ遅れた訳だ。
歪な年齢構成で、私の次の世代は一回り下。
全共闘の経験とは異な話だが、仕事を引き継ぐ相手がいない。
放り投げるわけにもいかず、消え去るべき老兵はここに来て困り果てているのだ。
my favorite songs Rolling
Stones -Last Time 
■2009.02.06 morning 管理人
数日ぐずついた天気で、帰路は安直なバス。
何故安直かというと、職場からバス停まで2〜3分。
これではマイカー通勤を止めた意味が無い。
そういう事で、久し振りの晴天の昨夜は3つ先のJRの駅まで歩いた。
歩き始めて20分程、暑くなってコートを脱いだ。
結局、所要時間50分程のウオーキング。
 
歳のせいか、私は黄昏時が好きだ。
茜色に染まる空。
降りてくる宵闇。
辿り着いた駅には人気がない。
今度は、
オーバー1時間で、四つ先の駅までを目指そうと思っている。
■2009.02.02 night 管理人
その人は私よりかなり年長、紹介される前にローザ姉御より○共の方だと聞いていた。
でも私等のサロンを頼って来た訳で、拒否はしなかった。
取り合えず自己紹介の時、その方にアピールだけはさせていただいた。
云っとくが、反○共という程の意味合いではなく、
あくまで私は○共系ではないというさりげないアピール。
それから2〜3回程席を同じくした。
その方は気を許したのか、少しずつ地が出てきたように思う。
何気ない会話で、○共系でない労組を「あれはダメだ、当局側の御用組合だ」と決めつけるようにいう。
更にかつての反戦青年委員会を、「そいつらはトロツキストの集団」と吐き捨てるようにいう。
かつてのようにこのローカルの地で、○共、反○共と角突き合わすつもりはない。
時代は変わったし、私も歳をとった。
○共の方と席を同じくすることが多々あるが、決して揶揄するような事は云わない。
一緒に出来る事があれば、それもやぶさかではない。
その方もそのつもりで私等を頼ってきたと信じている。
「私にそう云われる自覚はないが、」
「私もかつてトロツキスト・暴力学生と呼ばれたのですが、それが何か?」
こういう捨てゼリフを吐いてしまわないように自分に言い聞かせているが
ローザ姉御が招いたこの御人だが、さすがに私も我慢の限界に近づいている。
■2009.02.01 管理人
宮澤君の姉上にメールを差し上げた。
「オイラは逃げ隠れもしない」
「お前さんになら実名で何を書かれてもいい」
生前、宮澤君は電話で私にそう云う風に云ってくれた。
それを拠り所に、亡き後、写真を掲げ実名で書き及ぶこと多々。
やっと御親族へ、その非礼を詫びる事が出来た。
「弟は幸せ者です」
頂いた返信の表題。
「どうぞ貴HPで弟を生き続けさせて下さい。」
この一文で、緩くなった涙腺がまた切れた。
my favorite songs The
Water Is Wide - Eva Cassidy
|