■2009.09.30 morning
管理人
ラッパさん、激動の一週間お疲れ様。
結局、激動の一週間で”本番”は何なんでしたのでしょうか?
私の推測するところ、元安田講堂防衛隊長との講堂再最突入だったようですね(笑。
記念写真があれば公開して欲しいものです。
しかし・・・・・、
あの塩見議長を一括した体育会系の水すましさんを引き回すのは良いとしても、
病み上がりのaaghさんを引き回しては可哀そうだと思うのですが。
aaghさん、勝手に日大全共闘を代表してお詫び申し上げます。
私の方も不始末のお詫びが、
歳のせいか忘れ物が多くなって、ホテルの引き出しに名刺ホルダーを置き忘れてきました(汗。
昨日ホテルに連絡を取って送り戻してもらう事にしていますが、第三者に個人情報が流失した可能性があります。
以下の方々に此処でお詫び申し上げます。
朝日新聞のK記者さん。
三一書房のK書記長さん。
ユニオンのI執行委員さん。
私の名刺は勤め先の肩書きでのみで、
決して「元日大全共闘」などとは振っていませんので、
その事で、累が及ぶ懸念は無いと思いますが。
申し訳ありませんでした。
■2009.09.29 night 管理人
不覚にも、しかしある意味当然にも熟睡していた。 昼休み、昼食をとり応接ソファーでうとうとしていたら本格的に寝込んでいた。 気がつくと昼休みをはるかにオーバー。 照れ笑いしながらデスクに戻った。土曜の講演会、講演中ず〜っと会場入口に張り付いていた。 私としては勝手に会場防衛の責任者の自覚が有ったもので、受付を離れて会場で講演を聴く訳に行かなかったのだ。 これは、あくまで私の”自覚”であり、請われた任務ではなかったが。 不謹慎だが、私としては一度ぐらいは押し問答のドタバタがあったもいいと思っていたし、 今回の講演会は、その趣旨からいっても最も期待が持てると思っていたのだが。 期待に反して、会は終始平穏無事だった。 そう云えば、ラッパの大将。 日曜日は、それまでに至る首都圏での連続闘争で疲労困憊していたようだった。 何時ものあの大声にイマイチ精彩がなかったこと。 クラクラに行こうと云っていたのに、二次会でスッキリ終了こと。 ダメだよラッパさん、 本番前に馬力使い果たしちゃ。 この私は、土曜からの連続闘争、首都圏遠征の反動のピークが明日あたりきそう。 でもここ2〜3日は休めないのだ。 窓際の勤め人は辛いのだ。
■2009.09.28 night
at Home 管理人
連続闘争二日目。 予定より早く会場に着いたので、時間つぶしに散歩へ。 構内を散策すると、記憶は限りなく薄れているが其処此処にバトルの思い出が薄っすらよみがえる。
三四郎池に下りてみた。 池に下りる途中、和弓を携えた袴姿の女学生の一団とすれ違う。 池の向こう側は確かグランドだったと思う、遠くからサッカーを応援する声が響いてくる。
こういうのをまさしく”学園”というのだと今更に思った。 日大のそれは会社のビル、否、殺伐とした工場の様だったから。 今回の会で、今年初めて参加したという農獣医学部の女性が居た。
もしかして、フラッシュムービーで紹介しているヘルメット姿の女学生ではないかと尋ねたが人違い。
女性といえば、 今同窓会で、'68.11.12でパクられた芸闘委の先輩に始めてお会いした。 パクられたといっても、11.12の芸術の場合は成り行きでパクられたのではない。 11.8芸術学部バリへの右翼体育会やくざの襲撃についてはこの日記にも何度も何度も書いているが、11.8は基本的に予期せぬ出来事だった。
しかしながら11.12は、11.8乱闘事件の現場検証と称して機動隊がガサ入れ(つまりバリケード破壊)で導入されることを芸闘委は事前に正確な情報として把握していた。
そこでパクられたということは予期せぬ出来事でなく”覚悟の上の結果”であり、”決意の当然の帰結”であった訳だ。 個別、私の場合も'68.9.4に理工学部一号館に篭城し、徹底抗戦を決意した経過はあるが、
有体に言えば、当日泊り込んでいて、バリケードを捨てて自分だけ逃げ出るとは言い出せなかっただけ、 どう見ても”成り行き”なのだ。 事前に、冷静な状態でその情報を持っていたとしたら、果たして篭城、徹底抗戦する覚悟を決められたかどうか怪しいものだ。 それ故に当該女性の芸闘委の先輩も含め、11.12の芸闘委の徹底抗戦は凄ざましいものだった。
屋上に追い詰められ、袋のネズミとなっても、それでもなおかつ角材を振り回し、拳を握り、最後まで抗戦した。 当時、セクトの機関紙で鼓舞される徹底抗戦は、最後は肩を組んでインターを歌い、おめおめとお縄になるのがオチだが、芸闘委のそれは言葉通りの”徹底抗戦”であった訳だ。
その様の証拠写真は報道写真にも残っている。
  
「、分かってる?、私はね・・・、30年間・・・、何にも話せなかったのよ」 先輩は私らにそう訴えた、 仲間の一人が曰く、
「**さん、そりゃ〜仲間は誰しも皆同じだよ」 「でもね、もう我慢しないで、かつて何があったか」 「どう思い、どう行動したか、外に向かってもっともっと話そうよ」
そういう結論に達した。
■2009.09.28 morning at Hotel 管理人
連続闘争だったもので、 終わって品川のホテルで寛いでいます。 「お土産はバッグか和菓子がいいな(記号)」 今しがた妻から指令メールが入ったところです。
こういうときだけ普段使わない記号が文末に付いてきます、私は記号を使う習慣が無いもので表示できませんが。 お土産希望のいずれに力点が置かれているかは、永い永い付き合いですのでよくわかります。
闘争初日は講演会。
何時もどおり予想はめでたく外れました。
動員実績はローザ姉御の予想の凡そ3倍、私の予想の倍と大きく外れるものでした。
事前に捌けた前売り券から推定すれば、姉御の予想は当然過ぎるのですが、何時もながら結果オーライのバクチのような取り組みでした。
またしても姉御は、”悲観論”で煽動した罪により有罪。
私のノー天気な楽観論が勝利しました(笑。
  
1.受付設営、サロン以外の方にもお手伝いいただきました
2.会場は満杯、一時立ち見(聞き)も
3.打ち上げ懇親会
翌日早朝の上京を控え、打ち上げ懇親会は欠席するつもりにしていましたが、余りの”大入り”に気をよくして少しだけ参加することに。
講演会もさることながら、打ち上げ懇親会で嬉しいことが幾つかありました。 講演会に招いた講師と、かつて政治的立場を全く逆にする方が同席し親しく交流したこと。
我がサロンに集う長老のお一人、かつて当地の共産党の重責を担い、今は党と一線を置き批判的な立場をとる先輩と、現役の熱烈な共産党支持の方が同じく席を一緒にしたこと。
翌日に上京のため、懇親会半ばで席を外しましたが、楽しい闘争初日でした。
■2009.09.26 morning
管理人
仕事が終わると、妻と待ち合わせて食事に。 久しぶりに行くイタリアンレストラン、夕食には少し早い時間帯だったので貸切状態。 「獲れたての海老のトマトソースパスタがお勧めですが」
空いていたせいもあってか、いろいろとお勧めメニューを紹介いただいた。 私は素直だから、店のお勧めどおりオーダー。 デジカメ忘れてたのでメニューの貴重な記録は撮れなかった(笑。
私はビール。 妻は何時もどおりビールが終わるとグラスワイン。 この酒量の違いは仕事のストレスの違いだろう、勿論妻のストレス>私のそれ。
私はビール一杯で充分満足なのだ。 今日は以前から準備していたサロンの講演会。 私等の会場は当日入場OKで催す、ジョイントで明日開催するもう一つの会場は、前売り券のみの入場受付、券持参の無い当日来場はオフリミットするらしい。
予期せぬ参加者に講演を妨害されることを未然に防ぐためという。 「当日は、割れてもかまわないメガネしていきますから」 「受付でゴタゴタして、私がぶっ叩かれたら此方の勝ちですから」
「取材のマスコミも来るはずだから、話題になって面白いではないですか」 ついつい、昔のノリで皆にこうメールした。 決してサロンの仲間を煽っているのではない(笑。 そういう事で、
「来るものは拒まず」 我が方の講演会は予定通り当日参加OKでやることにした。 しかし、 「講演を妨害する方のご入場はお断りします」
しっかりと会場入り口に貼るメッセージも用意した
■2009.09.24 morning
管理人
連休初日は親戚の法事、家族揃って出かけ一日掛かりだった。 二日、三日、四日目までは、家から一歩も出ず生け垣、庭木・草花の手入れ。
日の出と共に始め、昼食をゆっくりとり、日没まで作業を続ける。 お陰で、鼻の先が赤く焼けた。 連休五日目は妻の買い物のお供。
店はお洒落な秋冬物で溢れているが、私は眺めるだけ。 考えてみればここ当分は仕事用の着る物しか買っていない。 選ぶ基準は職場に着ていけるかどうか。
当然、私の今のファッション(と言える程のものではないが)は黒や紺、ドブネズミ色が主流となっている。 「そう云えば、来年から仕事着は要らないんだ」
「来年からはこんなの着たいよな・・・・」 妻ご用達のスポーツショップ、アウトドアウェアーのコーナーを、独り言をブツブツ言いながら見て回る。
「貴方、欲しそうね、買ったら?」 コーナーに飾られているスポーツ用の自転車を眺めていたら、妻から有り難い言葉を頂いた。 次のシルバーウイークは2015年だそうだ。
その頃は、無期限の連休状態か、そうでなければ永遠の連休状態(墓の中)だろうと思うので関係ない。 この歳だから、六年も先の事は想定できないが、いずれかである事はまず間違いない。 「来年も、健康で、生き延びていて、この自転車買って、きっと乗れますように!」
これが今の私のささやかな願いだ。 胸の内でそう祈った。
my
favorite songs Eva Cassidy My Love Is Like A Red Red Rose
■2009.09.17 night 管理人
ヘタリ気味に帰りの駅に辿り着いた。 とにかく座りたくて、プラットホームのベンチ向かった。 「ボク、この荷物いいかな?」 二つ椅子のベンチの一つにバッグを置いて座っている子供がいる。 バツが悪そうに荷物を除けてくれたので、ため息ついてそこに座り込んだ。しばらくして、お年寄りが近づいてきてベンチの横に立った。 「ここに座ってください、どうぞどうぞ、いいですから」 子供の手前、私が年寄りを立たせて座っている訳にはいかない、席を譲ってベンチの横に立った。 そしたら、子供が席を外してすぐ横の地べたに座り込んだ。 一つ椅子が空いた。 「ここ、小父さん座らせて貰っていいのか?、座らせてもらうよ」 子供は顔を上げバツが悪そうに頷いた。 恥ずかしくて言えなかったのだろうが、子供なりに席を私に譲ったのだろう。 私は小父さんと思っているが、彼の目には、私も白髪のりっぱな老人なのだろう(泣。 「ボク、何年生?」 「中一」 「**中学校?」 「ウン」 「**中は坊主刈(が校則)なの?」 「違うけど、お母さんがこれが良いからって刈ってくれるの」 「母さんが刈ってくれるの、いいなあ・・・・」 「ボク、お小遣いは幾らなの?」 「毎月1000円、、お母さんから貰うの」 「ふ〜ん、1000円で足るの?」 「ホントはね、おばあちゃんが別に5000円」 「でもね、それは貯金している」 「貯金したら何を買うの」 「・・・・・・?」 いがぐり頭の中一のボクとそんな話をしているうちに列車が入ってきた。 「席、譲ってくれて有難うね!」 イガグリ頭を撫でお礼を言って帰りの列車に乗った。 かつての我が息子達と同じほど可愛いかった。 一日の疲れを忘れ、帰りの車中、ず〜っとニコニコ顔だった事は云うまでもない
■2009.09.15 morning
管理人
あの子の事を尋ねられた先週末のサロン。 グァテマラから帰国しているKさんの話を、食事をしながら聞こうという集まり、云うところの”帰朝報告会”だった。
Kさんは私と同い年、55歳の時リタイアしそれから”地球”を歩き回っている。 コスタリカを経て行き着いたところが地球の裏側のグァテマラ。 年に数ヶ月から半年ほど、資金が貯まると出かけているという。
Kさんの事は昨年1月の日記にも少し書いている。
一番最初にお会いした時は、当地のアムネスティ支部で活動しているという紹介を頂いた。
私は人と関わった時、ある基準で人を人別しようとする。 そもそもその方が何をしているのか、何をしようとしているのかではなく、 その方が何者なのか、その方の過去から現在までの履歴はどうなのか。
ほぼ全ての関心がそちらの方に向いてしまう。 私の場合、人別は実にシンプルで四タイプ五分類、それによって付き合い方が分かれる。
何せかつての時代の経験がシンプルかつ明解だった訳で、強引に「無関心ノンポリ」、「右翼」、「ミン」、「トロ」の四タイプ、それに「トロ」には「エセ(偽り)」が加わり五つに分類している。
実際はこの四タイプの複合タイプが加わるから、もう少し分類は多くなるが、例えば「右翼=トロ」タイプとか、「エセなトロ」分類とかだ(笑。 しかしながら・・・・・、実際のところこの「エセなトロ」分類は結構多いのだ。
そういう事で、 Kさんの場合、人権団体やっているのだから一番目と二番目ではないと思った。 しかし、不躾に「貴方はトロか、それともミンなの?」と聞くわけにもいかない。
「これはミンだな!」 私の勘で取り敢えずの結論、以後はそういうタイプ・分類に基づいて付き合っていた。 しかし、それが昨年1月に明快な間違いだったと判明した、
それ以来、反省も込めてKさんと仲が良いのは言うまでも無い。
■2009.09.14 night
管理人
「**さん、”あの子”はどうなっているの?」 「メゲて挨拶回りもせず塞ぎ込んでいると聞いたけど」 「**さん支援者でしょう、何か知らないか?」 先週末、サロンの懇親会に顔を出したら、初対面の方にそう聞かれた。 「私は勝手連的な応援団、関係者じゃないからそこのところはよく分からないんですよ」 あの子のその後については何も情報を持ち合わせていないので、そう答えるしかなかった。今朝、とある官庁の駐車場で、その”あの子”にバッタリ出くわした。 旧社系の懇意な地方議員二人と三人連れ。 「お久しぶり、どう?」 あの子の顔はさすがにやつれていた。 「頑張ったね、貴女はよくやったよ!」 笑顔が返ってきたが、その表情はこころなしか弱弱しかった。 これからどうするの?、 そう聞きたかったけど、その顔を見たら聞けなかった。 「お世話になった方々の所をまわっているとこです」 それじゃ・・・、と言って後ろを向いた背中が限りなく可哀そうだった。 本当は手を握り肩を叩き、 「この次も、その又次も、絶対応援するからね」と云いたかったけど。 立ち去る背中に「頑張ってね!」の一言だけしか言えなかった。。 このオヤジ、セオリー通りに眼が熱くなった。
闘争勝利! 最後の最後まで、最後の最後まで闘うぞ!
■2009.09.11 morning
管理人
春から進めていた職場のホームページの若手への引継ぎもほぼ完了。 部分手直しを進めてくれているので中味は随分と変わった。 至る所に私の分からない”技”を入れ込んでいる。
サーバーに色々とプログラムをアップし、見掛けは変わらないが色んな機能が付加されている。 悔しいが、この団塊オヤジでは出来なかった事ばかりだ。
お気に入りを見るとアイコンが付いている。 ウ〜ン、やるものだと感心していたらつけ方を教えてくれた。 若手に言わせると、唸るほどの技ではないという。
フリーソフトを落としてきてアイコンをつくりアップ。 今朝は、昨日作ったものが気に入らないので作り直して再アップ。 (faviconというそうだ)
インターネットエクスプローラ(IE)だとすんなりと表示してくれない。 キャッシュの有効期限が切れるまでは表示しないようだ。 その点ファイヤーフォックスだと直ぐ表示される。 「先輩の作ったHPは基本の設計がしっかりしているから、作り変えるの大変です」
WEBの技では足元にも及ばない若手だが、こう云ってくれた。 私はこの評価をあくまで良い方に受け止めているが、 ものには色々と解釈の仕方があり、
「先輩の作ったHPは思い込みで、ガチガチで、手の入れようが無い」 というような解釈も出来る訳で。 え〜と・・・・、 今日は何の日だっけ?
■2009.09.10 morning 管理人
あの当時、日大理工学部は御茶ノ水の火薬庫と云われていたそうだ。 当時の御茶ノ水トライアングルは中大、明大、日大。 その中でも工学系、理学系を抱えるのは日大だけ。
理工系に実験は必須であり、そのため電気・機械系には機材、化学・薬学系には薬剤が色々と豊富に揃っていたのだ。 利用したのは高性能の無線機だけではない、悪い連中が保管庫をぶっ壊して、色々と利用していたらしい。
今般の連立協議で社民党の阿部さんが頻繁にTVに登場している、 私と同じ1948年生まれ。 阿部さんといえば、今春TVの回顧番組に出ていた。
'69年の1.18〜19の時は、東大駒場でせっせと握り飯を握っていたと語っていた。 勿論、その御握りは全共闘用。 あの当時、後方の握り飯・補給部隊にいたその阿部さんが、政権与党として組むだろう連立協議の最前線にいる訳だ。 戦いは前線だけで成り立っているわけでないので、後方部隊を謗るつもりはないが、
志の高さ、決意の度合いを論ずれば、おのずと最前線に突き出た諸氏が勝ると私は思うが、私の思い込みは間違っているのだろうか。 かつて安田講堂の院生守備隊長として最前線を闘った今井澄さんは国政に出たが、残念にも病に倒れている。
同じく学部生守備隊長で戦った島泰三さんは学者の道を歩み、政治とは頑固に一線を画している。 山本義隆さんにしても、各位ご承知の通りだ。 私がどうしても残念でならないのは、
全共闘に敵対した右派勢力や代々木の方々は町村をはじめとして此処其処(政治の世界)に幾らでも居るのに、 私の知る限りでは、 あの時代、私等の側で最前線に立った同志が、今の政治の舞台で余りにも少ない事。
私が云うのも何だが、あの時代、最前線に突き出た者が背負ったものはそれほどまでに重いのだろうか。
■2009.09.09 night
管理人
夕方、西側の明かりとりの窓が茜色に染まっている、もう秋の風情。 先週後半の薩摩出張の疲れが取れなくて、今日は自主休業。 ことことと洗濯機を回し、台所を片付け、長い昼寝を。 つくづく体力や持久力が失せたと実感、立派なヘタレ親爺。どうしてもしっくりこない昨今。 一度村山政権で間違いは有ったがそれは除外して、 自分の考えをそれなりに持った頃からず〜っと政権は自民党だったもので、 一度として体制側についたことがないもので、 頼みの社民党も政権参加するそうで、 今後どういう立ち振る舞いをしていけばいいものか。 利益誘導にしがみついてきた自民党支持者も困惑しているだろうと思うけど、 頭でっかちで、体制に組伏すことを由としない、ゴリな旧社の私も戸惑っているのだ。
my favorite songs The
Brothers Four Jamaica Farewell
■2009.09.07 morning
管理人
写真を見つけたので、最近の思い出話。 全共闘2000年紀があったのは2000年の6月10日、土曜日だった。 2000年といえば私はまだまだ働き盛り、今のような窓際でなかったので前日から休みを取り出かけることは無理だった。
調べたら、朝の6時に新宿駅に着く夜行の高速バスがある。 体力勝負を覚悟で高速バスを利用。 S君は前日から上京していたので、朝7時に新宿西口交番前で落ち合った。
二人で胸膨らませて会場に向かったが、実情は昨夜綴った通り。 夜の打ち上げパーティーでのS君のツーショットは作家の立松和平さん。 僅か200メガピクセルのデジカメでも私が撮るとピンシャリだろう。
  
「信州へ行って温泉つかって、枝に実る真っ赤な林檎見たいよな〜」 赤貧を洗った'70年前後の頃、荻窪のアパートでS君ともやしラーメンを啜りながらよく話したものだ。
だから、翌日は30年振りにその夢を実現するため二人で信州へ。 経路は中央線で小淵沢、小海線に乗り換え小諸まで。 小諸で車を調達し高峰温泉に泊。
眼前に迫る浅間山は色々と感慨深いものがあった。 翌日は長野市まで足を延ばし善光寺参り、新幹線で東京、羽田から帰路へ。 時期的に真っ赤な林檎は見れなかったが、温泉にはゆっくりつかった。
リタイヤしたら、ゆっくり車で時間をかけて、妻と二人で再び訪れようと思っている。
■2009.09.06 night
管理人 薩摩から帰宅。 疲れで、予定もあったが週末は家から一歩も出る気力がなかった。 庭木の手入れと、旧パソコンのバックアップを整理していた。
撮り貯めたデジカメフォトとビデオムービーの整理。 デジカメフォトは2000年からほぼ十年分。 2000年6月の整理ホルダーで面白い写真を見つけた。 別に自慢する訳ではないので先に断っておく。 2000年の初め、朝日新聞で全共闘2000年紀開催の告知記事を目ざとく見つけた。 九州のS君と連絡を取り合い行こうという事になった。
  
さぞかし日大の仲間が大勢来ているだろうと二人で胸ふくらませて行ったが、全くの期待外れだった。 まあ、その事は今更いいのだが、 会の終了後に打ち上げパーティーがあるという、 二人ともはるばるローカルから大枚叩いて出てきているのだから最後まで付き合おうという事にした。 知り合いが誰もいない関係者の打ち上げパーティーにのこのこと顔を出した。 S君と所在なさげに突っ立ていると、やけに威勢のいい御人が話しかけてきた。 仲間なら皆も知る経闘委四年のG先輩だった。 先輩とは数年後に930の会で再会となる。 例の調子で二人して先輩の説教を聞いて(聞かされて)いたら、来賓の挨拶が始まった。 当時の宮城の浅野知事の後に鳩山さんが登場した。 参議院議員だった今井澄さんの伝手だろうと思う。 「この様な場所に私が来てもいいものかどうか分かりませんが・・・・・・」 「皆さん、襲わないでくださいよ」 正確に憶えていないがこんな内容の挨拶した。 鳩山さんの話を聞いていたら・・・・、G先輩が挨拶に行こうと云う。 先輩の尻について、のこのこと鳩山さんに近づいた。 「オイ、お前デジカメ持ってるな」 「俺と鳩山のツーショットを撮れ」 こういう指示を頂いた。 言っとくが、日大では先輩の云う事は絶対だ。 全共闘でもその伝統は生きている。 写真の後ろに日大930の会の旗が見えている。 他の写真をよくよく見たら、演壇での集合写真には水中の水すましさん、高橋ハムさんも映っている。 演壇に立つのはお元気だった今井さんだと思う。 でも、当時は930の会も水すましさんも、プロジェクト猪もハムさんも、私は知らなかった。
「よしよし、ではお前の分は俺が撮ってやる」 そうやって、200メガピクセルの重たいデジカメで撮って、かつ撮られたのがこれである。 写真の出来は私の撮った方が数段いいのは当然だし、 約10年前、私の頭がフサフサなのも当然なのだ。 私の場合はツーショットではなくフォーショットが悔しいが、ハゲてない私の貴重な記録でもある。
■2009.09.06 morning
管理人
>東レ経営研究所が4日、民主党政権の「子ども手当」の家計への影響について試算し、最も得をするのは「共働きで年収300万円、中学生2人と小学6年以下の1人の子供がいる世帯」で、年79・2万円のプラスになった。逆に、「妻が専業主婦で年収1500万円、高校生(または大学生)3人の子供がいる世帯」は最も負担が増え、年41・5万円のマイナスで、約120万円もの差が出た。(産経新聞)共働きで年収300万円ちゅうのは、片方が時給800円のパートで月収7万円程、片方がボーナス無しで月収18万円、控除分を差し引くと多くても15万円程に、 月の手取りは多くても夫婦で20万円チョイだ、その家計に中学生二人と小学生がぶら下がる。 この年収だと多分借家、収入のほぼ全部が家賃と食費に費やされるだろう。 この子供達三人は果たして楽しい”修学旅行”に行けるのだろうか。
方や専業主婦で年収1500万円、ボーナスを含め月収は125万円、税控除他を差し引いても手取りは月100万円を超すだろう。 今回の民主党のマニュフェストの子供手当。 実施すれば上のシュミレーションでは共働きが年収379.2万円、専業主婦側が年収1458.5万円、 子供達の年齢構成からすれば5〜6歳違いのほぼ同世代の世帯だ。 産経新聞がどういう意図でこの記事を書いたか知らないが、「最も得をする」という表現には怒りを感じる。 私は「得する」とは思わない、この「是正」は当然だと思う。 全ての子供達はあらゆる意味で平等でなければと思っているし、スタートラインが同じでない社会は不公平と思っている。
このような是正をするのなら、税金を使ってもいい。 波及する我が家の減収について、我が家の財務大臣は理解を示している。 是正の仕方(政策)には色々議論が有ってもいいのだが、 私はもっともっと是正してもいいとも思っている、その痛みなら一市民として甘受する。 そういう事だ。
■2009.09.04 morning
管理人 この時期は鹿児島市の方に向かって風が吹くのだろう、 桜島は火山灰でかすみ、市内は何もかも白いベールで包まれたよう。
停まっている車の屋根には、全て分け隔てなく白い粉がのっている。 しかし、空港から鹿児島市内までがこれほど遠いとは知らなかった。 「ウヌ・・・・、これは?」
初日の懇親会、乾杯が終わりビール2〜3杯の後にセオリー通りにお銚子がでてきた。 まあまあ一杯、と注がれ口元に運んで気が付いた。 日本酒でなくて焼酎の香りするのだ。
薩摩ではビールの後は焼酎、これが宴会のセオリーなのだそうだ。 下戸な私だが、本場で飲む焼酎は結構旨かった。  
伊丹までのジェット、あの子に似た可愛い乗務員さんが。 勿論、40年前のあの子似だ。 機内では寝ようと思っていたが、その乗務員さんに頼んで新聞を持ってきてもらった(チョッカイではない)。
そういう事で、瞬く間に伊丹に着いてしまった(笑。 乗り継ぎ便を見ると隣りのゲート、移動する手間が省けた。 待合で50分ほどうたた寝。
機に乗り込み、うたた寝の延長をと目を閉じていたが、離陸間際に同僚が私を突く。 「見て下さいよ、これ前の便と同じ機ですよ」 偶然だがよくある事らしい。 あの子に似た乗務員さんと50分を置いて再会を果たした訳だ。
当然だが、 またまた、離陸から着陸までしっかりと起きていた。 珠には良き事もあるものだ。 という事で、 私は根が単純で素直だから、これからも、有るかもしれない偶然を信じて生きようと思った訳だ。
■2009.09.01 morning 管理人 明日から会議出張、薩摩の国へ。
色々思案をしてみたが伊丹空港での乗り継ぎが一番スムースで速い。 この時期、南方への出張は台風で足止めされることが多いので気を遣うが、 台風は間髪の差で去ってくれて一安心。
「貴方、それって桜島を車窓から見てくるだけですね」 鹿児島空港に着くのが会議開始の2時間前。 夜は懇親会で殆ど拘束状態。 会議終了の2時間後に鹿児島空港を飛び立つ。 「お土産はさつま揚げですね」
私は”さつま揚げ”ってのがどんなものか知らないが、まあ行ってみれば分かるだろう。 自分用には当然”焼酎”だろう、 当然、自棄酒となるだろうが(泣。 |