■2009.10.31 morning
管理人 実は・・・・、 余りに可愛いのでカメラ取り出し後ろからパシャリ。 この挙動は完全に”変なオジサン”なので、
これはここだけの秘密にして欲しい(汗。 
長男のおニューな車を借りて、妻と遠出をしようということになった。 昨夜はNAVIちゅうまか複雑な機器の手解きを受けた。
自慢ではないが、この手のハイテク機器はいじった事がない。 このシステム、アメリカ帝国主義のインフラを使っていると聞いている。 インターネットもペンタゴンが開発したものらしいから今更だが、イマイチ気に入らない。 「おい、このうるさい音楽消すのはどうするのだ?」
「何、差し込んだCDは全部自動録音するだと」 「え〜と、自動録音をOFFにするには・・・・」 長男がマニュアルを読み出した。 お互いに、お互いの音楽がうるさい訳だ、趣味ってのはそういうものだ。 朝、車の試運転で近所周りを一周した。
何せ長男の車に乗るのは初めて、訳のわからないものが一杯付いている。 何気に、コンソールボックスを開けると便箋が。 『父さん母さんへ、気をつけて行ってらっしゃい』
金一封が入っていた。 あの野郎、やってくれるじゃねえか。
■2009.10.30 morning
管理人 列車を降りて、職場に向かう通勤路。 道すがら小学校がある。 元気な声が校庭から響いてくる。 前を大きなランドセルに隠れそうな女の子がヒョコヒョコと歩いている。
ストーカーではないが、後について歩調を合わせて歩くと楽しい。 
定刻に職場を出ると綺麗な月が出ている、月齢では上弦の月というそうだ。 通勤のウオーキングが心地良い季節となった。
道すがら、居酒屋の戸をあけてフラリと入りたい気分になる。 目的も無く、連れ合いも無く、馴染みも無い居酒屋に入ろうかなんて気分は初めての事。
勿論、まだ入ったことは無いが。
■2009.10.29 morning
管理人 年を重ねても、感受性は決して衰えていないと思っている、 前にもまして、人への思いやりは細やかになった、 小さきもの、弱きものの痛みは、更に深く胸に刺さるようになった、
大風呂敷を広げれば、これは人類愛に目覚めたのかも(笑、 これは宗教やるしかないと思う昨今(冗談。 昨夜、久し振りに藪さんから電話が有った。
何時もの事だが、お互い話し出すと時間を忘れる。 1時間余り引っ張ってしまったことも何度かある。 電話料金にしてら何千円分にもなるはず、発信元の藪さんに何時も負担をかけてしまって申し訳ない。
其の反省から、時々時計を見ながら話題を進めることにしている。 「メダボ1968買うって話、アレいいですね」 「何回読んでも涙が出てきますよ」
藪さんにそう持ち上げられたが、何時の日記か直ぐに思い当たらない。 恥は書き捨てという事で、書いた日記はなるべく覚えないようにしている。 「メダボ1968を買う・・・・・??」
何時ごろの日記かと思い8月を遡ってみたがそれらしいものは無い。 9月を見てみたがそこにも無い。 もしかしてと今月にチェックを入れてみた。
最長老が私に1968の評価を聞いてきた今月10日の日記だった(汗。 あの時代、私らには立ち止まり、一歩下がる余裕も選択肢も無かった。 あの時代、私らは前に出過ぎてしまったのだろうか?
あの時代、立ち止まり、一歩下がれば、別の何かが見えたのだろうか? あの時代、立ち止まり、一歩下がれば、世界は違っていたのだろうか?
■2009.10.28 night
管理人 会議が終わったので直帰した。 いつもより2便早い5時ちょっとの帰路列車。 当地のJRは電化されてなくディーゼルカー、だから電車とは云わない、"列車”なのだ。
下校の高校生で車内は溢れていた。 二駅目から母校の高校生が乗ってくる。 同じ高校生でも、後輩に当たる高校生を見ていると自分の高校時代を思い出す。 平穏無事だった高校時代、”あの子”の事以外は特段な出来事は何も無かった三年間。 平穏だが、しかし成績は下がる一方の三年間だった。
一年の時は、それなりに学年のトップクラスに居た(自慢!。 学校に行くのが楽しくて、勉強が楽しかった中三の後半に、勉強の”溜め”が出来た為。 ぜ〜んぶ”あの子”のお陰、 二年の時は、まだまだ一年の成績の”溜め”が僅かに残っていたから、「中の上」から「中の中」レベルに何とか止まっていた。 三年になると成績は急勾配、「下の上」から「下の中」まで下がり続けた。 つまり、”あの子”とうまくいかない時間の累積に比例して成績は下降した。 私は昔から、実に分かり易くシンプな人間なのだ。 そう云う事で、 親の期待は「国立一期校」から「国立二期校」に後退し、 期待は後退に後退を続け、最後は何処でも入ってくれればいいという諦めに変わっていた。 そういう意味では、私は実に物分かりのいい親に恵まれていた訳だ。 大学に入って二年目、 そんな物分かりの良い両親を”ある事”で嘆かせてしまった。 それでもっても、それから一年以上、せっせと仕送りを続けてくれた親。 最後は、云う事を聞かない馬鹿息子への仕送りストップを決断した親。 親としてどれほど辛い手段だったか、今なら分かる。 秋の夜、今更に落ち込んでいる。
■2009.10.28 morning
管理人 「お支払いは500円になります」 レジ前で小銭入れから500円玉を取り出し、差し出した。 レジ嬢がキョトンとしている。
レジ台を見て焦った。 レジ台には私の小銭入れが置かれている。 取り出した500円玉はポケットに戻し、小銭入れを差し出した訳だ。
こういう場合は笑うしかない。 頭をかきながら、本来の所作に修正した。 こういう挙動が日常生活で富に増えた。 頭の中に思い浮かんだ事が、次の瞬間には消失している。
しかしながら負け惜しみではないが、思い付く、気付く、配慮する、という神経の働きは決して衰えていない、 其の点については若い頃より更に細やかで繊細になっていると感じている、
問題はそれを持続し、継続する力の劣化が着実に進んでいる事だ。 かつて無理やり学習させられた革命論でいう経済の”不均等発展”が脳にも当てはまるのだろうか。 もう一つ、不均等に発展しているものがある。
若い時と違うのは、黄昏感を伴っているのだが、特定の事象に過度に感傷的に成る事。 はまってしまうとなかなか抜け出せなくなる。 今が、其の状態なのだ。
老人性の鬱と云ってしまえばそれまでだが。
■2009.10.27 morning
管理人 「時計台の写真出すと、バレますよ」と忠告を頂いた。 時計台のある高校ってのは一杯有るのかと思っていたが、そうでもなさそう。
検索してみて若干焦った。 もう、バレバレなのだ。 まあ、いろんなところで露出してしまっているのだから、今更なのだが。 云われて、検索してみて始めて知った事がある。
そういう事で・・・・・(笑)、昨日、ビデオレンタルショップに出かけていた。 画面には懐かしい”絵”が沢山出てきた。 泣きそうになった。

舞台は3年5ホームだが、ミヨちゃん、私等は7ホームだったよね、
”あの子”は4ホームだった。 ”絵”は私の記憶と違わず忠実に描かれている。 この廊下の向うに”あの子”がいた。 ストーリーが、私の場合と違って”ハッピーエンド”だけが気に入らないが。
■2009.10.26 morning
管理人 「明日は代休貰うからな」、イベント終了時にきっちりと根回しは済ましてある。 金曜、ローカル国道往復7時間の出張、続いて土日のイベント動員。
はたまた疲れ果てて昨夜は午後8時過ぎにはベッドに、 歳が歳だから、幾らでも寝れる訳ではない。 そういう訳で、今朝は3時半起床、夜九時まで起きていたとしても17.5時間もある、長い一日になる(笑。 昨日のイベント会場で知人に会った。
私はイベント責任者の一人、会場を見回っていると顔見知りのお二人が話している。 お一人はイベント参加団体の理事長♀、もうお一人はアムネスティのKさん。
お二人が知り合いだとは知らなかった。 嬉しくなって、私も見回りはそっちのけで歓談の輪に。 「**さん、先日連合組織の専務と飲んだでしょう」
「専務がよろしくと言ってましたよ」 理事長♀さんは連合組織の会で(青ヘル)専務と一緒になり、先日の私らの”集会”の報告を受けたという。 「Kさんもしかりで、悪い奴等は何処かで繋がっているのですね」
この場合、”悪い”という修飾は、私の最大級の褒め言葉。 時代に対し”いい子”であってはならない、これが今もって私の信条なのだ。
母校のアルバムからパクリ、昼休み、時計台の下でフォークダンスの練習
ちなみに、私と同い年の理事長♀さん、
かつて高校時代には学校一のアイドルだったと知人から聞いたことがある。 小柄で目がクリッとしており、若いときの美貌がまだまだ充分に残っていてチャーミングだ。
同い年で狭いローカルだから、学校一のアイドルなら当時も知っていてもよさそうなのだが。 彼女の高校は当地でも有数の私立の進学校、 返して私は、どうでもいい歴史と伝統だけは一番の公立校。
この二校の間には厳しい線引きと格差が有ったのだ(泣。 でも、かつて学校一のアイドルというが、 私には”あの子”の方が上だ。 きっときっと、この理事長のようにチャーミングで、いい歳をとっていると信じよう。
■2009.10.24 night 管理人
「悪いなあ、ずっと運転させて」 取り合えず愛想で声を掛けるが、同僚は全く平気だと云う。 ひたすら7時間程、私は助手席なのだが疲れ果てた。
疲れ果てて昨日は終わった。 卒業アルバムを眺めていた。 中学と高校のアルバム。 小学6年の三学期、2月1日に転校した、最悪だった。 だから、小学校は卒業アルバムもクラス写真もない。 大学の卒業アルバムは、別の訳が有ってない(笑。 もともと、大学に卒業アルバムちゅうもんがあるかどうか知らないが。
母校のアルバムからパクリです
その2つしかないアルバムの両方に”あの子”は写っている。 そういう意味では中高一貫だ(笑。 出来れば大学まで一貫したかった。 中学三年生と、高校三年生の”あの子”を食い入るようにず〜っと眺めている。 そうやって秋の夜が更けていく。
■2009.10.23 morning
管理人
今朝は出張だが、出かけるまでに少しだけ時間に余裕がある。 職場に出勤せずに、自宅近くで同僚に拾ってもらう予定。 今日の会議は2時間ほどだが、会議後4時半から出張先の市長さんとの協議も予定している。 それが1時間ほどの予定だから、帰宅は5時半+3時間半+α(飯時間)頃となる予定(泣。
疲れる出張だが、一つだけ幸いなことが有る。 同行する同僚が熱狂的なカーマニアであること。 彼は何よりも車が好き、運転も大好き、当然何時間運転しても苦にならない種族。 これは私に幸いなこと。 代わりに私は彼の食事、コーヒータイム代金の面倒を見させてもらう。 こういうすみ分けは何より有難い。
■2009.10.22 night 管理人
明日はローカル国道で片道3時間半、往復で7時間要する地まで出張。 目的は2時間の会議だが、正規の就業時間の殆どが移動で終わることになる。 明けて土曜日はイベント準備で半日拘束。 日曜日はイベント本番で終日拘束。 ニャロ〜、月曜日は代休で絶対休むのだ!
11月半ばの、品川で開かれる高校関東同期会から招待を受けている。 出欠で迷っていら、札幌の悪友から電話が入った。 「俺(悪友)は、お前(私)が行くという前提で、行くことにしているが、どうなのだ?」 「俺(私)は決めかねている、此処のところ立て続けに上京しているからな」 「俺(悪友)は昨年やり残した宿題があるから、行かねばと思っているのだが・・・・」 「お前さん(悪友)は”課題”が有っていいけど、俺(私)には特段に行く理由がないからな」 お互い結論の出ないやり取りに終始した。 昨年夏、首都圏の高校同窓生がセットしてくれたミニ同窓会が品川であった。 その同窓会で、悪友に、悪友の”あの子”との再会を悪戯心でセットしてやった。 40数年振りに顔を合した二人は、一瞬顔色が変わったが、その後はお互い素知らぬ振りに終始した。 御蔭で、私は悪友の”あの子”のお相手に大きく時間を割いてしまった。 悪友の”あの子”以外にも、40数年振りに会う女の子達(還暦だが)が居たがゆっくり話せなかった。 そう云う事で、 悪友の”あの子”が今回も同期会に出席するのかどうか、ミヨちゃんに調べて貰った。 「**くん、**さんは用が有って今回は欠席すると云ってるよ」 昨日、ミヨちゃんから返事のメールが届いた。 ザマァ〜見ろだ! 人の幸せは面白くないのだ(笑。 17〜8才の思春期の頃、女の子は好きだが、内気で純情で苦手だった。 でも、この40年で面の皮は厚くなり、心臓に毛が生えたのだろう。 同期の彼女ら(還暦+1だが)多勢を相手に、一人で何の躊躇もないほど進化している。 そう云う事で、悪友の”あの子”が出席するなら、悪戯心で出席するのも面白いかなと思っていたが。 悪友の宿題=ドタバタが見れないなら・・・・、参加意欲が大きく萎えている。
人のかつての・・・・、大昔の恋路でも、胸がキュンとなる、 それなりにそこだけは、今でも純情なのだ。
my
favorite songsは、天才デュオと云われたチュウインガム
■2009.10.20 night 管理人
バリケード籠城中、理闘委に青ヘルさんがいた記憶はない。 二大勢力は白ヘルとモヒカン、'69年バリケードを無くしてからは赤ヘルが登場した。 そういう事で、日大内での青ヘルの友人は皆無。 '70以降、阿佐ヶ谷から桃井のコンミューン時代、多くの他大学の知り合いができた。今更に思いだして見ると、 青学、桃井コンミューンに頻繁に出入りいしていた。 上智、どういう関係だったかいまいち思い出せない 東女、可愛〜いかった。 何故か皆が青ヘルさんだった。
 
先日の専務さんの証言通りの写真が見つかったので貼っておく。 日付も証言通り。 鉄と樫の違いはあるが背中に結わえたゲバ棒が証拠物として、機動隊員がしっかり確保している。 ヘルメットには「反帝学評」 但し、唯一違うのがツラ、 専務さんに比べて男前すぎるのだ。 と・・・・・云う事でこれも本人ではない。
■2009.10.20 morning
管理人 薬膳料理の居酒屋の入り口に近づくと、後輩の大きな笑い声が鳴り響いてくる。 店は初めてだったが、その声で”集会場所”がそこだと直ぐに分かった。
私の方は九時過ぎスタートだが、夕方からの敵はもうとっくに出来上がっている。 でも、相手が元・トロだと分かっているので、私も負けずに初っ端から”全開”で行ける訳だ(笑。
「先輩は何処のセクトでしたか?」 「ベランメエ、日大での王道はノンセクトよ」 「専務さんは?」 「俺は青ヘル、正真正銘の同盟員だった」
「同盟員????」 話の中に”一般人”の後輩が入っているので、いたる所で注釈を挟まないと話題が進まない。 「同盟とわな・・・・」
「要は・・・・、仲間が何かされたら、何をしてでも仕返しをしてやる」 「もし殺されたら、何が何でも仇をとってやる」 「何か有ったら、命掛けても助けてやる」
「そういう約束が出来た集団だってことさ」 神妙に専務の注釈を聞いていた後輩が言った。 「要するに、それってヤクザと同じですよね」
専務、 「ヤクザ?・・・・、ちょっと違うな」 「正確に云うと、任侠だな」 専務の注釈は話の”筋”が少し違うとは思うのだけれど、その筋については私の認識でも間違いないと思う。
かつて、宮澤君もそれと同じ様な事を云っていたから。 尚、同盟に関しての上記専務の注釈について、 異議、抗議、内容の訂正については受け付けませんのでよろしく。
■2009.10.18 night 管理人 AISC、私の理解するところでは アンチ・インペリアリズム・スチューデント・カウンシル
つまり、反・帝国主義・学生・評議会。 別名を”青解”ともいう。 場所は安田講堂前。 藪さんによれば・・・・、 >解放派の人が小次郎スタイルで背負ってたブツ。 あれはハンマーや鍬などで使用された柄です。 樫で作った奴は生半可なパイプよか強かったです。 ジェラルミンとケンカしても負けないくらいに(^^)

先に貼った写真は、藪さんの指摘通り樫の棒。 こちらの写真奥は、鉄パイプのようにも見えるが、やっぱ樫かな? 立看には1.9か8の字、隊列は紛れもなく青ヘル。 メットにはAISCや東Cと、当時の業界ではトン・シーと読む(笑。 多分、この時期は大学入り乱れての混成部隊だろう、 これはひょっとすると本人かも(笑。
■2009.10.18 morning
管理人
昨夜は、夜も更けたので寝ようと思っているところに電話が。 夜が更けたといっても9時前だが(笑。 電話の主が、「**さんの友人と飲んでるから出て来い」と云う。 休日の夜、この手の電話が掛かってくることは年に一度有るか無いか。 かつてとは違い、私の今の生活は”平穏”をモットーとしているから。電話の主は高校の一つ後輩、彼とはいわゆる全共闘関係でも、市民運動関係でもない。 仕事を通じ知り合った。 彼との関係は高校の先輩後輩だけなのだが、私の業務上の経験から、色々と彼の事業にアドバイスをして差し上げた。 私のアドバイスが功を奏したのか、彼の事業はあれよあれよ云う間に急成長。 後輩とは仕事の上で利害関係がないので、関係はそれ以上でも以下でもない。 事業の急成長で、ローカル地域から全国に事業エリアを拡大。 ある時、得意先の全国組織を仕切る専務理事を私に紹介してくれた。 専務理事は同い年、大学も東京都内だったという。 それなりの節操をもって懇親していたが、ふとした会話の中で専務が”トロ”だったと云う履歴が分かった(笑。 そうなればもう話題は”全開”。 その出会いが7〜8年前。 当地に来るたびに「出て来い」とお呼び出しが掛かる訳だ。 正確に言えば、彼は都内の某大学の元・反帝学生評議会の同盟員で、某大では親分格だったという。
いわゆる”青ヘル”、私等はもっと略して単に”青”とも呼んでいた。 安田講堂防衛隊長の島泰三さんをよく知っているらしい、当時面識もあったそうだ。
「でもな、俺はな、安田講堂に籠りたかったけど、出来なかったんだよな〜」 「1.18〜19は知らないんだよな・・・・」 昨夜、昔話をしていてその専務はそう云う。 その落ちは・・・・・、 安田講堂攻防の直前、闘争収拾を図る7学部集会に殴り込みをかけ、お縄になったそうだ。 そう云う事で1.18〜19は当然堀の中。 殴り込み時の井手達↓を聞いて大笑いした。 佐々木小次郎の刀の様に背中に鉄パイプを背負い、両手と両ポケットに石。 完全にやる気、否、やる前から逝っていたのである(字が違うか?)。 もし事前の逮捕が無ければ、彼は一点の曇りもなく100パーセント”籠城”を選んだそうだ。

ちょっとした手違いと偶然で、 安田講堂に籠った、籠れなかったが、その後の人生を大きく違えたようだ。
薬膳料理でお銚子3本程、帰宅したら日付が変わっていた。 当時の井手達の写真を探し、適当なものを貼っておきます。 当人ではありませんので、念のため。
■2009.10.17 morning
管理人
早朝、タップリと湯を張ったバスタブに浸る。 一日の終いに入る湯と違い、朝湯は何か得をしたような気分。 今、その残り湯で洗濯機が三回目の仕事をしてくれている。 リッチとエコな生活の両立なのだ。昨夜のサロン、珍しく若者♂が来ていた。 私は初対面、姉御の伝手で初めて訪れたと云う。 ネクタイにスーツ、年寄りを前に少し緊張している様子。 そうしている内にもう一人お仲間が、 ゴリな共産党支持者のMさんがやってきた。 この後のサロンの展開に、初対面の若者が戸惑わないように少し説明を加えた。 「ぶっちゃけて云うと、こちらのMさんは熱心な共産党の支持者」 「返して、私は旧社会党の支持者」 「時々というか、殆ど何時もですが・・・・、険悪な雰囲気になる事があります(笑」 「いつもの事ですので、気にしないでくださいね」
「まあ・・・、これもこのサロンの特徴ですから」 「考え方は違っても、一緒に出来る事があれば一緒にやろう、というのがここの主旨ですから」 私としてはMさんに、 『今日はお客さんがいるから、大人しくね!』 という意味の先制パンチを送ったつもりで、若者に言い聞かせた。

サロンのため、昨夜よりかなり遅い帰宅となった。 児童公園、変わらず金木犀の芳香。 昨夜と同じようにベンチでしばし金木犀の香りに包まれた。
ところで昨日の日記の訂正。 エデンの東さんから、 『木犀(もくせい)ではないかい。木蓮は春先 こぶしが咲く頃から蕾を膨らませる花のよう』 汗・・・・・・・・・。 趣味がガーデニングで園芸家を自認している私だが、ついついボロが出た。 「キ・ン・モ・ク・セ・イ」の間違いでした。 それとMさん、 やっぱり、期待に反さず、強烈な民主党批判をブチ上げてくれました。 私は、引っかけの議論は、一貫して無視です。 初登場の若者は、 聞いていて、聞いていないような素振りで知らん振り。 事前の補足説明が功を奏しました(笑。
■2009.10.16 morning
管理人 くたびれ親爺が家路をトボトボ歩いていると、何処からか木蓮の香りが漂ってくる。 夜の児童公園、ベンチでしばし木蓮浴。
息子達が泥んこになってあそんだ砂場。 もっともっととせがまれ漕いでやったブランコ。 暗闇、余り長居をすると不審者と間違われるので腰を上げた。
 別段、弱気になっているわけではないが、近頃フッと思うことがある。
このままプツッと寿命が尽きるなら、それはそれでいいと思うようになった。 強烈に、強欲に、もっともっと生き続けたいとは思わなくなった。 そりゃ〜孫の顔も見てみたい。
きっときっと、息子達より、もっともっと、可愛いと思う。 息子達にせがまれブランコ漕いだように、孫達のブランコ漕ぐ事が出来たら。 妻とささやかな旅行が楽しめたら。
それに〜・・・(内緒だが)、”あの子”に再会することが出来たら(笑。 でも、その前に寿命が尽きるなら、それはそれでいいと思うようになった。 「お前な、遣り残した事は山ほど有るんじゃないか?」
「偉そうに吼えた落とし前、どうつけるんだよ!」 「一人で、勝手に、完結していていいのかよ?」 そう謗られるかもしれないし、 また、そう謗られたら嬉しくもあるが。
近頃のこの”感覚”、私なりに、人生での”進化”と受け止めている。 決して”病気”ではないからな!
■2009.10.15 morning
管理人 昨年末、厚労省のドまん前、日比谷公園にテント村が突如現れた。 厚労省の官僚がこう云ったそうです。 「厚労省の前で餓死者が、凍死者が出たら政権が吹っ飛ぶ」
それほどインパクトのある救援事業、世直し事業だった訳だ。 私が購買している地元紙と朝日新聞の朝刊に、湯浅誠さんが「国家戦略室」のスタッフ(参与)として請われているとの報道がされた。
もし・・・・・今年も年越しで、昨年のようなテント村が各地に登場したら・・・・・、 国民は政権の無策をなじるだろうし、それはまさしく無策そのもの。
政権としてはキィーマンを取り込み、今からその対策に取り掛かりたいのだろうと思う。 「労働組合に招かれ講演する時は必ず言うのですが」、という前置きで。
湯浅さんは懇親会でこう話してくれた。 「日比谷公園の年越し派遣村は、私達の市民運動に労働組合の方々が社会運動として協力してくれた取り組みでした」
「労働組合の皆さんは本当によくやってくれました」 彼は既成の(正規)労働組合を、特権階級となじり、とやかく言うのでなく、取り込み連携しようしている。
大したもの、 彼なら、政権、権力、菅のタヌキ親爺に取り込まれ、骨抜きにされることは無いと思うし、そう信じている。
■2009.10.14 morning
管理人 昨日の****の マスコミ報道
(地元の記者さん、折角なのにスクープしなきゃ駄目じゃん) JUNさん、情報有難う!
■2009.10.13 morningU 管理人
実は、湯浅誠さんを囲む懇親会の開会時間が違っていた。 少し早目にと、予定の10分程前に懇親会会場に着いた。 既に場が賑わっている。
もう、宴席の料理は殆ど残っていない、ビールも2杯目、3杯目をやっているところだった。 「**さん、懇親会が30分きり上がって、携帯に連絡したのだけど・・・・」
それは無理だ、休日に仕事の携帯は持ち歩いていない。 空いてる席に座したのが、その位置が”その党派”勢力のド真ん中だった訳だ。 開始前なら、慎重にかつて私の属していた党派の皆さんの位置を選ぶのだが。 近くに居た当地の連合の会長に、遅れた侘びを入れるとこう云われた。
「貴方はいいけど、サロンの**さん(ローザ姉御)は未だなの?」 上の発言の後に隠れている伏字を正確に表しますと、 「貴方は遅れてもどうでもいいけど、サロンの代表の**さんはどうなっているの?」
「私は**さんを待っているのだ」 という事だ。 このローザ姉御コールは、その後も続いた。 宴もたけなわで、自己紹介タイムがあった。
出席している皆さんは、それぞれの業界を背負うツワモノばかり。 司会者が「皆さんにお願いすると終わらなくなりますので、何人かご指名させていただきます」
結局、四名の方に自己紹介の指名があった。 連合、全労連、並居る賛助団体をさて置いて、サロンに自己紹介のご指名があった訳だ。 代表をさて置いて私が出しゃばって挨拶する訳には行かない、嫌がるローザ姉御の尻を叩いた。
姉御の自己紹介が終わると、近くの民商の方が寄ってくる。 「お宅等のあの旗、インパクトありましたね」 「旗というと・・・・・・」 「反貧困キャラバンで、お宅らが掲げたゲバラの旗ですよ」
突然、ゲバラの旗の話題が出てくるとは思わなかった。 ローザ姉御にしみじみと話した。 「座興と思って掲げたゲバラ旗だけど、私等の思う以上にインパクト有ったみたいだね」
「見ている人は観てるんだわぁ」 「云ったとおりだろう、姉御」 「吹けば飛ぶような老人共闘、目だって何ぼだって」
■2009.10.13 morning 管理人 「最後に一言お願いします」
懇親会の終わり、司会者が湯浅誠さんに話を振った。 「実は未だ決めかねて公表してないのですが、*******という状況です」 今後の身辺のことを語ってくれた。
ウン、これはいいネタだと思った。 「すみませ〜ん、これ未だオフレコですか?」 すかさず私が質問すると、 「取り合えず、オフレコでお願いします」 同席し歓談していた地元紙の記者に、
「残念だね、これはスクープ記事なのに」 「明日は休刊日だから、どちらにしても書けないから同じだよ」、 と場内から突込みが入る。 「新聞は(明日)書けないけど、ネットなら(明日)書けるかも」
と私は思った訳だ。 だけど、仁義があるから*****なのだ。 しかし、昨夜の講演会の懇親会。 私の横は自治労連の若者、民青の副委員長、民商の専従、党専従・・・・・、
周り中が、それだった(汗。 でも、最近の私はめげない、進化している。 「貴方達、”トロ”っていう言葉知ってる」 「”トロ”っていうのはね、トロッツキストという言葉の略称」
「それでね、トロは暴力学生、破壊分子と呼ばれたのですよ」 27歳の自治労連の若者、神妙な顔をして聞いている。 名刺を差し出し、
「これ私のサイト、面白いから見てね」 「掲示板もあるから、良かったら書き込んでくださいね」 決して、挑発しているのではない。 この若者にして、トロとの遭遇は「未知との遭遇」に等しいはずだ。
息子よりも年下の若者に、生きた”化石”として、友好的かつ親切に教えを説いているのだ(笑。 湯浅さんの今後の****は、 その内新聞で報道されるはず、
お楽しみに。 私は「異議な〜〜〜し!」だ。
■2009.10.10 morning
管理人 朝一番、洗濯機を回していて、昨夜のサロンの最長老の一言を思い出し涙が出てきた。 最長老は私より一回り以上年上。
かつて当地の共産党の重責を担い、今はその古巣に批判的な立場をとっている。 「今晩は体調が良くないので早々と失礼するが、**さんに聞いておきたいことがある」
「エッ・・・・、私に聞くことがある?」 「長老にそんな事言われると、何か怖いですね(笑」 先の参院選挙、サロンの有志は9条ネットを支持した。
特定政党を支持したのはあくまでサロンに集う有志、サロンという団体が支持したのでないので断っておくが。 最長老は不自由な体で率先してビラを貼り、候補者の講演の手助けをしてくれた。 そんな最長老だが、私としては近寄りがたい気持ちもあった。
サロンで興に乗って私が学生時代の、日大闘争の話をすることがあるが、 そんな折、最長老は私の話をどんな気持ちで聞いているか、 私等の経験をどう思っているのか、
イマイチ、最長老の反応が掴めなかった。 有体に、 悪く言えば、 「フン、この甘っちょろい学生が・・・・」 「ガキ供の学生運動が何ぼのものだ・・・・」
長老の顔に刻まれた永い永い労働運動の皺を見ると、そんな風に受け止められているのではとも、思うことも有った。 最長老は新聞記事の切抜きを私の前に差し出した。
「この本を買おうと思っているのだけど、その前、貴方の評価を聞いてからにしようと思って」 差し出された新聞記事は、小熊英二著「1968」の書評だった。
「こんな高い本、本当に買うのですか?」 長老は 「もし貴方がいい本だと薦めてくれるなら、読まないといけないと思っている」 「・・・・・・?」
私には最長老のいう意味がわからなかった。 「色々と私等の仲間内では評価は分かれますが・・・」 「少なくても、私等の日大闘争の章は、それなりに詳しく事実経過が書かれていますよ」
「読んでいただけたら、嬉しいですね」 「そうか、それなら買うことにしよう」 最長老が席を立つ際に云った一言を思い出し、今更涙している。
「私らはあの時代、貴方たちを見殺しにしたから」
my favorite
songs Noriko Shintani 明日も逢おうよ
■2009.10.09 morning
管理人 著者は'47年生まれ、明大卒業だから。 内容は基本的にそういう方向なのだ、著者が当事者だから当然なのだ。 根が極めて単純な私は、読んでいて涙チョチョ切れ。
ある方の好意で、この本が手に入った。
通勤2往復で読みきった。 初日の往路は、読書に集中し過ぎ、危うく乗り越しそうになって慌てて飛び降りた。 復路は、駅の待合で一便遅らせ読み込んだ。
ローカルだから待ち時間はタップリあるのだ。 実は、喫茶店に立ち寄り珈琲すすりながら読もうと思ったが、珈琲代が勿体ないので待合で。 今の身分、私にとって倹約は大事なことなのだ。 '67.10.8の羽田・弁天橋、'68.1.17の佐世保、
駅の待合で、目が潤んでいた。 1968年6月より以前のこと、私は全く関係なかったのだが、 私の1968のアクションルーツがそこにあることは、理屈でなく分かる。
■2009.10.08 morning 管理人 JUNさんが見つけてくれました。
加藤登紀子さん、「1968」
■2009.10.08 morning 管理人 「今回は貯まったマイルで帰省したのよ」
「航空便を利用しているのなら、マイルカード作ったら!」 以前、帰省していたミヨちゃんとお茶した際、そんな事をいわれた覚えがある。 「フ〜ン・・・・・、マイルねえ!」
ポイントとかプレミヤとか、そういう事にトント疎い私は感心した訳だ。 そういう事で、素直にミヨちゃんの教えに従い、 遅きに失しているが、この夏、この歳になって初めて、航空会社のマイル会員に登録した。
此処数ヶ月で首都圏往復3回、伊丹経由の鹿児島往復と合計4回の搭乗。 マイルカードは持ち歩かないので、事後にネットでマイル請求。 結果、私としてはマイルが結構貯まった(と思った)。
 年金受給の手続きについてレクチャ受けたのも高校同期の♀だし、
マイルについてのレクチャも高校同期の♀だし、 彼女等には、色々と実生活についての教えを教授いただいた。 へそ曲がりの私も、何故か高校同期の彼女等の云う事には素直に従う。
感謝なのだ。 そういう事で、 貯まったマイルで、ご招待を受けている高校の関東同期会に結集できないかと、昨晩調べてみた。 結果は・・・・・、「まだまだ首都圏往復までは遥か、遠く及ばない」
せめて、2〜3年前にカード作っていたら貯まっていたのに、後悔の山また山。 現状で、そこまで到達するにはかなりの期間が必要と判明、現実はそう甘くないのだ。 彼女等がマイル金持ちの訳には理由が有る。
年数回のロシア、ヨーロッパ、中近東と飛び回っている海外旅行、、グループで頻繁に行く国内旅行、カードで買い物のマイル積算等々、 私と高校同期の彼女等とは、マイル積算のレベルが違う。
否、生活のレベルが違うのかも。
■2009.10.04 morning
管理人 ここ数年、10月の2日あたりから数日の間で同じ写真を上げている。 我が家の花暦、秋明菊、暦の誤差はプラマイ数日。
夜明け前、庭にコーヒーカップを持ち出す。 シャツ一枚では肌寒い。 日の出を待って庭仕事。 ハ時からは町内の児童公園の一斉清掃に。 終わる頃には真夏の日差しに。 戻ってツル薔薇と生垣の剪定。 先の連休でしっかり刈り込んでいたのに、生垣はもう茂っている。 この時期の庭木は気をつけなくてはいけない。 長袖の作業着と作業手袋。 首にはタオルを巻きつけ帽子を被る。 しかし、つい油断してしまった。
 
切り落とした枝葉を集めるのに、つい素手で掴んでしまった。 ビリッっと手に痛みが走り、やられた。 右手の親指が腫れあがっている。 トホホな日曜日の朝なのだ。
my
favorite songs The Ventures Lets Twist Again
■2009.10.01 morning
管理人 戸籍謄本に世帯全員の住民票、 年金振込み用の預金通帳、 40年前に貰った雇用保険加入証書、 配偶者の所得証明書(源泉徴収票)、
それと〜、 事前に調べたのは妻の年金基礎番号。 これで準備は完璧のはず。 「なに、**くん、年金の手続き未だしていないの」
「駄目だよ、早くしなくちゃ」 今年の6月、東京でミニ同窓会を開いて貰った折に、Yさん(♀)から厳しくご指導頂いた。
意を決して社会保険事務所のドアを開けた。 一頃年金問題が燃え上がっていた頃の事務所のイメージを持っていたので拍子抜け。 所内はガラガラ、待ち時間ゼロで一年遅れの年金請求手続きが始まった。 「済みませんねえ、今の所得では退職されるまで支給はありません」
「???、確か、月額で48万円以内の所得なら、減額されても一部支給があるとつい最近の朝日新聞の記事に載っていたんですが・・・」 「そうですか、支給ゼロですか・・・・・・・・」
「そうですか・・・・・・・・・・」 制度はそうそう甘くありませんでした。 取りあえず、指導を頂いた年金受給の請求手続きは済ましましたからね、Yさん。 肩を落として自宅に帰るとポストに葉書が。
【**高校・関東同期会のご案内】 昨年から、上京した際に高校の同期生達と密会を続けていた成果だろうと思う、ついに在郷の身分の私が関東同期会からご招待を受けるまでになった訳だ。
ご招待はご招待で、嬉しく、有り難く、勿体無いのだが、 6月、8月、それについ先日と此処のところ数ヶ月で3回上京しており、我が懐はそれ故に少々疲弊しているのだ。
所在不明の”あの子”を絡めた闘争と思えば、経済破綻も辞せずて断固上京を決意できるのだが。 夜、札幌の悪友から電話が入った。 彼にもご招待が来たそうだ。
彼は昨年やり残した”宿題”があるから行こうと思っているそうだ。
どうしようか悩みの種だ。 闘争勝利!、なのだ。
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