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■2009.12.25  morning  管理人

「グアテマラにはまって困っている貧乏おじさん↓」から、ブログを知らせてもらいました。
リンクページにも登録したのでお知らせします。
私と違って”真面目”なブログです。






■2009.12.22  morning  管理人

「何故グァテマラなの?」、と聞くと、
「旅の果て、グァテマラに行き着いたから」
だから、グァテマラなのだそうだ。
これは明確な返答で、それ以上突っ込みようが無い(笑。

そのグァテマラには、内戦で夫を戦士として失った未亡人が多く居たという。
当地には産業というものがなく、戦士の未亡人の生活は赤貧洗うがごとくと言う。
これが元闘士の彼の琴線に触れたのだろうと思う。
アフリカでも中東アジアでもバルカンでも同様だと思うのだが、
彼にとって拘ったのは旅の果てに行き着いたグァテマラなのだそうだ。

戦争未亡人が唯一出来る織物を、有りっ丈の金をはたいて買い付けて来る、
日本国内で販売し、その売り上げで更に買い付けを行い、
ささやかだが、それを支援とする”事業”を続けてもう随分になるという。
そんな同い年の彼に、グァテマラでなく沖縄連帯ツアーへの参加を呼びかけていた。

彼は年に2回ほど、資金が溜まったらグァテマラに出向いていると云い、次の渡航は2月の予定との事。
だから、今回は残念だが辞退との返事が入っていた。
そんな彼から昨夜連絡が入った。
当地で彼と一緒にアムネスティ日本支部の活動をしている方が参加希望という。

私らの沖縄”連帯”ツアーの趣旨に共感くださったと受け止めている。
基地突入の”武闘”路線の旗は早々と降ろし、連帯の”友好”路線に変更している。
この”政治的選択”は間違っていなかった。
このツアー、決して公開で呼びかけてはいない。
しかし、サロンの仲間の口伝でどんどん広がっている。

かつての様に”頑”として曲げないやり方も、それはそれで良かったと思うが、
「気」を見て柔軟に路線変更する事も、良いことだと思った訳だ(笑。
しかし・・・・、
当初想定の3倍の人員に。
言いだしっぺの姉御
ここまで旅団が大きくなると、事務方は大変なのだ。






■2009.12.21  morning  管理人

「これが最初で最後のメールです」
先日、管理人アドレスに匿名で送られてきたメールの最後はそう括られていた。
その大まかに綴られたプロフィールと個人史から、
かつて一緒にバリケードで過ごし、スクラムを組み、泣き笑った私と同学部の先輩と思われる。

メールには、
騒がず受け入れた除籍処分。
そして、背中に背負い込んだ”つけ”の重さ。
その後40数年の、人一人分の人生が、
短く、淡々と綴られていた。

闘争に関するビラや資料などは、ある時期全て処分したと書いてある。
でも、それでも消せない思いは薄れることなく残った訳だ、
一人一人の形は違っていても、
一生かけても消せないものがある。
日大闘争とは、消せない人の”生き様”だったと私は思う。

闘争に関するものは全て処分したと書いてあるが、
二つだけ捨てずに残したものがあると云う。
一つは、
闘争末期にある女性と交わした手紙。
そしてもう一つは・・・・・、
「叛逆のバリケード」
メールにはそう書かれていた。

待ってて下さい、先輩。
ゆっくり、返事を書こうと思っていますので。





■2009.12.19  morning  管理人

喫茶店の空調で、寒風に吹かれ凍りついた体が緩んで眠くなる。
年末繁忙の合間を縫ってサロンに。
・・・・と言いたいところだが、実はところは昨晩は妻が忘年会。
真っ直ぐ帰っても家には誰も居ない、晩飯も無いので、これ幸いにサロンに出張った訳だ。

サロンが集う喫茶店、元々はクラッシックを流す正統派の店。
壁に掛けられた100インチ程の液晶テレビにスケーターワルツの聞き慣れたメロディーが流れる。
心地よい空調と音楽、長老が来るまで30分程うたた寝。
やがて牧師様も現れた。

「いや〜、アレなら本当にやりかねませんから」
話が沖縄連帯ツアーに及んだ時、牧師様が大笑いしながら仰った。
当初、このツアーを”沖縄・普天間or嘉手納基地突入ツアー”と呼んでいたが、その呼び名から”連帯ツアー”に名を変えた(日和見った)経過がある。
このツアーの実質的な現地指揮官は牧師の奥様。
昔の経験が、このままツアーに突入すればヤバイ事になることを思い出させた。

「やると云ったらやるのでしょう、今更何云ってんのよ(怒」
バリケードで何度も救対(救援班)の先輩(♀)にとっちめられたことがある。
彼女らは、言葉だけ勇ましく、行動が伴わない輩(男達)を鋭い嗅覚でかぎ分ける。
これは私が日大闘争で学習した貴重な経験であり、かつ時代を越した事実だ。
そんなトラウマがあるのに、このセオリーをすっかり忘れて冗談に興じていた。
そうなのだ、真面目な牧師の奥様には冗談が通じない事を忘れていた。

「背中にゲバ棒背負わされて、基地ゲートへ後ろから尻に蹴り入れられますよ」
「アレ(奥様)なら本当にヤリかねませんから、ハッハッハッ」
「それに、もひとつ云ってましたよ」
ツアー一向は、道中で沖縄の教会に立ち寄る計画を立てている。
奥様は敬虔な信者だから当然だが、礼拝に私を強引に引っ張りこむと言っているらしい。
基地に蹴り込まれるよりは、こちらが100倍ましだが、

ゴリの無神論者のローザ姉御はどうするのだろうか?






■2009.12.17  morning  管理人

今年一番観られたYouTubeってのがYahooトピックに上がっていた.
一番は文句なしにスーザン・ボイルさんだが、三番目に上がっていたこれが実に面白い。
目ざとく見つけた著作権者が広告を貼り付け、著作権のBGM音楽が売れに売れたそう。
商業的意図がないものが商業的にバカ受けする。
世の中、”仕掛け”でなく動くのが面白い。


上のミュージックプレヤーを停止しておいてスタート

間に年末年始を挟んでいるので、随分先の日程感覚なのだが、
沖縄連帯ツアーが迫ってきている。
一度、年内に結団式をやろうという提案も上がっている。
この時期だと、結団式というより”大忘年会”になりそうなのだが。

難しい事は書かないし、能力的に難しい事は書けないのだが。
戦後60数年、
ここまで粘ったのは初めてではないかと思う。
優柔不断といわれようが、
決断力に欠けているといわれようが、
何と言われようが、
騒いでいるのはマスコミも含め奴等の手先、ポチ共だ、
とにかく粘れ。





■2009.12.13  morning  管理人

ニャンだ!
我孫子のニャンより可愛いだろう(笑。
とは云っても、我が家のニャンは野良だが。
ベランダで、飼い猫に負けないほど寛いでいる、
どうも此方の弱気を見抜いているようだ。


ベランダだけではない、
陽の当たるふかふか落ち葉の特等席、
風の当たらぬ車庫隅も指定席のようだ。
土日・休日以外、我が家はどうもニャン様の天下のようだ。

ご主人様がリタイヤしたら、
ニャン様と如何に共存を図るか、
これは”日米同盟”にも勝る深刻な課題なのだ。





■2009.12.10  night  管理人

電車の中で吐き気を催したが何とか堪えた。
小脇に抱えた景品のカップ麺ダンボ−ルがわずらわしい。
電車を降りて千鳥足で歩いていると、公園の前で二度目の吐き気が。
トイレで無理してもどそうと思うが、ゲロが出てこない。
お陰で胃が捻転したような状態になり、痛くて痛くて、闇夜の公園のベンチにしばしうずくまった。
簡単にゲロしない根性は褒めてあげたいが、食べたものは出さないのは単に欲張りになっただけかも。



私は所属する業界団体で、その又上の業界団体の役員を仰せつかっている。
例えれば天下りではなく、天上がりのようなものなのだが、
違うところは名ばかりで、役員手当ては一銭も無い。
唯一あるのは年に4〜5回の役員会や総会に出た際に、旅費手当てが一律2000円支給される。
年額一万円弱の手当てを頂いている訳だ。

その「上の上」の業界団体の合同忘年会が昨晩あった。
出たくも無い付き合いなのに会費が・・・・・(涙。
有り難くいただいた手当がそれでキレイに帳消しになる。
こういうクソ面白くない宴会は必ずと云っていいほど悪酔いする。
昨夜がその典型だった。

沖縄連帯ツアーの準備を進めているが、
参加メンバーをじっくり見ると、ある事に気が付いた。
このメンバーだとほぼ酒抜きツアーになりそう。
私は、甘くまろやかな黒糖焼酎を楽しみにしているのだが、誰か付き合ってくれるのだろか。






■2009.12.08  morning  管理人

「何時も買い抜かるから、貴方お願い」
お正月に福袋というものがあるそうだ。
正月早々、私も妻も買い物に行く根性も習慣も無い、
妻は、息子達が買ってきた福袋を横目で羨ましそうに眺めているだけだった。

それが、今年からは事情が一変した。
先週、ネットで福袋を注文することになった。
既に人気のあるものは売り切れ続出している。
慣れないサイトで四苦八苦して、目当ての福袋を注文で一件落着。
それで終わったらと思ったら大間違い。
週末、通っているスポーツクラブから、福袋のネット予約をどっさり取ってきた。
「AさんはFILAね、Bさんはellesseね、それにCさんはNIKEね」
ええ〜ぃ、私はネットの便利屋ではないちゅう〜に。
それに決済は私のカードだぞ、妻には各自からキチンと現金決済をお願いしている。


先日、バッグの通販サイトからクリスマス企画の案内メールが届いていた。
手頃な値段で可愛いバッグが。
長男の彼女にと注文し、それが届く予定になっていた。
しかし運悪く、当日は急な飲み会が入り、妻に携帯でこうメールした。
「今晩、バッグ屋さんから宅急便が届くけど、それは息子達へのクリスマスプレゼント。貴方へのものではないので開けないように」

すると返信がこう来た。
「私の分はないのですか」
文末に「怒」の絵文字が付いていた。
さあ困った、どうしよう。





■2009.12.03  night  管理人

昨夜、お付き合いの宴席に行く途中、繁華街にある公園から綺麗な歌声が聞こえてくる。
近づくと黒山の人だかり。
制服の高校生の混声合唱、指揮をしているのは先生らしい。
しばし立ち止まってライブ鑑賞。
夜空に抜けていく歌声、良いものだった。


宴席、ちょっとお付き合いのつもりが最終電車ギリギリまで話し込んだ。
相手は昭和17年生まれというから、私より6歳年上。
勤評(勤務評定)闘争真っ只中の時代、高校生活をおくったという。
勤務評定を拒み免職になった先生を支援して、他の高校の生徒会と連合組織を作り、その最先端で活動した経験を話してくれた。
高校生の生徒会の連合組織は、略して「高生連」と云ったらしい。
この組織、全国でも珍しく、2〜3の県に出来ただけだという。
相手の話す高校は、私の母校だった。

「いや〜、その結末は悲惨なものでした」
「弾圧されボロボロになって、最後は個に戻っていくだけでした」
「何せ高校生でしょう、組織や、守ってくれるところが何処にも無い」
「その当時の仲間で、今でも連絡がつくのは3人だけです」

私がその高校に入学した頃は、運動の欠片も残っていなかった。
生徒会は他高との付き合いは禁じられ、
新聞部や部落研は骨抜きにされ、
かつての”県立第一中学校”の幻の栄光を鼓舞し、進学競争にムチが入れられ始めた頃、
この先輩達の活躍の反面教師が、私等への徹底した管理教育と、進学競争を煽ることだった訳だ。





■2009.12.02  morning  管理人

沖縄・辺野古連帯ツアーが当初想定の倍以上の規模になってきた。
当初は普天間or嘉手納基地突入ツアーと銘打っていたが、
余り冗談言ってると、ある方に本当に突っ込まされるから、今後は言わないことにする。
連帯ツアーならケツ蹴飛ばされはしないだろうから。

しかし・・・・・、
旅団のメンバーが”濃い”
どう”濃い”かって云えば、
ツアーがすんなり済むかどうか危ぶまれる濃さなのだ。
何か有ったら、姉御のせいだからね!

今から、
「ゴ・ク・イ・リ・イ・ミ・オ・オ・イ」をしっかり覚えておかなければ。
確かそうだったよね、ラッパさん。





■2009.12.01  morning  管理人

辺野古訪問、普天間or嘉手納基地突入(笑)ツアーの概要がほぼ決まった。
当旅団には、現地で牧師の奥様も合流する予定。
牧師の奥様は既に10回以上の現地に赴いて、地域の方々と交流しているという。
我が旅団には強力なアナログ製のナビが付いているということだ。
そういう事で、現地のことは任せて、我々はチケットの手配や諸事の準備にのみ勤しめばいいわけだ。

しかし、困った事が一つある。
大学教員をされているこの牧師の奥様、冗談が通じないのだ。
あのラッパの大将がタジタジになるほどの人物。
”突入”などと法螺を吹いていると、
背中に鉄パイプ背負わされて、ケツを蹴飛ばされかねない。
今後、法螺や冗談は自粛しておこう。

今日から師走。
勤め人最後の師走になりますように。




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