my favorite songs
 

■2010.01.31  morning 管理人

「**さん、車の席が空いてますので一緒に行きませんか?」
一昨日の普天間基地撤去、辺野古移設反対のローカル集会場で旧社系平和団体の代表の方に声をかけられた。
週明けに、とある集会がある。
この集会は二度目になるが、実は今回も日和見と思っていた。
週明けの集会場は、車でブッ飛ばしても3時間先の遠方。
しかも7時半受付、8時開会・・・・・、午後ではない午前8時なのだ。

午前7時半着というと、単純に3時間を差し引くと午前4時半出発。
身支度はハゲ頭をなでつけるだけなのだが、出発集合場所は未明の国道をブッ飛ばして20分、それでも起床は午前3時半がリミット。
この集会日程、当然・・・・軟弱な私は日和見を決め込むつもりだった。


「あのヤロー、逃げるかもしれないな・・・・」
先日29日のローカル集会、
前週のサロンのローザ姉御の言動から、”姉御の逃亡”という想定もしていた。
急に代役の挨拶を振られ、しどろもどろするのはみっともないので挨拶原稿も構えた。
胸に挨拶原稿、小脇にゲバラ旗を抱え、30分前に集会場に乗り込んだ。
ところがだ、あれ程抵抗した姉御が既に集会場に着ている、牧師様も一緒。
笑ったが、牧師様も心配だからと挨拶原稿をしたためていた。

「**さん、挨拶原稿作っているのなら、貴方が代わってやってよ」
「ヤカマシイ〜・・、往生際が悪い、つべこべ言わずにやれ!」
最後の最後の抵抗は、もちろん却下。
しかし彼女の挨拶原稿、フォント11〜12の細かな字がびっしり詰まった用紙が2〜3枚。
代わって私の原稿は、老眼用のフォント16でA/4用紙に2/3程。
あらためて、沖縄に対する彼女の思いの深さに脱帽。

気合は十分だった。
あれ程嫌がっていたのに、姉御は集会は最前列に陣取っていた。
セオリー通りの言辞でなく、誇張のない明快な普通の話し言葉は、この手の集会では新鮮。
彼女の挨拶、沖縄報告は、他の誰よりも胸に迫り良かったと思う。
誰よりも拍手が多かったと思う。

デモの終わり、
「多分、(週明けの集会)行きますので・・・・」
「私が4時半の集合に間に合わなかったら、捨ててって行ってください」
直前逃亡の選択肢も残して、平和団体の代表に返事をしたのだが、
代表、
「その時は携帯に電話を入れますから」
ダメだ・・・・・、これは。
逃げれそうにない、今日は早くから寝よう(泣。






■2010.01.28  morning 管理人

旅行記は中休み。

「アタシャ〜嫌よ、貴方がやりなさいよ!」
普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」が日比谷公園で有るそうだが、
当地では同じ主旨の集会が前日の29日、午後六時から行われる。

連携しているのか、別個に立って共に討つなのか知らないが、ともかく同じ様な集会がある。
この集会の呼び掛け(主催)団体に是非との要請を、先般の沖縄連帯ツアーの決行前に受けていた。
当該集会は珍しく旧社会党系と共産党系の平和団体の共催、
ざっくばらんに言えば、仲が微妙な夫婦の子供役のようなものだと受け止めている。
私としては「ゲバラ旗」の出番が有るだけで異議なしなのだが。


恐れ多い既成政党系の平和団体と肩を互して、
会則なし、会費なし、会員名簿なしの当市民グループが並ぶわけだ。
涙がチョチョ切れる状況なのだが、
直前になって姉御が抵抗している。

「やかましぃ〜、当弱小団体、目だって何ぼだろうが!」
「折角、辺野古へ、普天間へ行ったのだろう、云いたいことは山ほど有るだろうが」
「つべこべ云わずに、ヤレ!」
政党筋と並んで挨拶(アジ演説)するのは嫌だという姉御、それを私がドツイているところなのだ。
闘争勝利なのだ!




■2010.01.26  night 管理人

三日目の壱

三日目の朝、宿泊所からヌティドウタカラの家に移動。
宿泊所の前の電柱に「軍用地求む」の広告、さすが沖縄と感心。
途中、伊江島キリスト教会に立ち寄る。
牧師の奥様達、午前中は日曜礼拝を予定。
ヌティドウタカラの家に到着後朝食。


「頂きます!」
前夜の夕食時のこと、
ご飯を盛りつけ、さあ食べようということになった。
ふと横を見ると、牧師の奥様がお祈りをしている。
軽く手を合わすお祈りではない、深く頭を垂れる本格的なお祈り。
私としては少し戸惑ったが、横目に見ながら箸を付けた。
昔、食事の前に祖父が箸を指にはさみ頭を垂れるのは見ていたが、本格的なお祈りを見るのは初めてだった。


朝食の写真を見ていただくと分かるのだが、ご飯の盛りが昨晩と随分違う。
昨晩は腹の空いた勢いで茶碗に山盛り。
しかし、おかずの量が多くたいらげるのに苦労した。
朝食も昨晩に負けずにおかずが多い。
前回の半分くらいの盛りに。
因みに箸置きはサンゴ。



■2010.01.26  morning 管理人

二日目の伊江島の夜、宿泊所の2階の窓から5〜6軒隣りに赤提灯が見えた。
「ちょっと一杯どうですか?」
何時もは酒に親しまない長老が珍しく声を掛けてくれた。
宿泊所の通りはシーンと静まり返って人っ子一人居ないが、店の明かりだけが暗闇に灯っている。
早速、地元と親しむ夜間行動隊を募った。

行動を起こした時は既に10時を過ぎていた、
「未だ、やっているかな?」
ドアを開けると店内は満席状態。
牧師の奥様が云うには、
「沖縄の夜は遅いのです、店が賑わいだすのは9時、10時頃からです」
四人で料理を8皿程、生ビールの後は泡盛の水割り、小一時間ほどの小宴。
何度も云うが、旨い、多い、地鶏のピリ辛炒めなんぞは皿に山盛りの状態。
それで、お勘定は四人で4800円也だった。
安い!

因みに、翌日の那覇市の3日目の夜、皆で食事に行った。
皆々疲れた状況で、国際通りまで出張る馬力が無い、ホテルのフロントで近場を紹介してもらった。
泉崎交差点沿い、近くにゆいレールの旭橋駅が見えていた。
沖縄料理の店、いかにも観光客向けの設え。
こちらも小宴会だったが、一人頭5000円近くかかった。
地元の方が行く店と観光客向けの店の違いだろう。


ところで、当旅行記。
普天間、嘉手納基地のレポートが無い、
辺野古のレポートも無い、
名護市長選挙のレポートもない、
沖縄の実情、それの感想、私の決意表明も無い。

そういうことで、
今後もそれは有りません。
これはあくまで私の個人的な旅の備忘録です。
ここでプロパガンダするつもりはありませんので。
この旅行は、
今後の私の生き様に生かすだけです。

闘争勝利です!



■2010.01.25  morning 管理人

二日目の弐

沖の方、白い波が立っているところがリーフ(さんご礁)の縁だという。
1マイル程沖に出ても、海の深さはせいぜい2〜3m、海底のさんご礁が海の青さに入り乱れて見える。
さんご礁の縁の方まで沖に出て、それからキャンプシャワブの浜の方へ舳先を向ける。
波頭に午後からの陸風が当り、船内にしぶきが入ってくる。
二度ほどもろに頭からしぶきが、カメラを濡らさない様に四苦八苦、
タップリ1時間の洋上視察だった。


辺野古の浜とキャンプシュワブを隔てる鉄条網、この境界線は常に監視カメラで見張っているという。
鉄条網の形状、通常見るものと違い鋭利な楔形のトゲになっている。
アフガンなどで米軍が使っているものと聞く、このトゲの形状、引っかかると肉が引き裂かれる。
これだけ見ても普通ではない。


11時に到着し、昼食を挟みボートでの洋上視察。
15時に辺野古を出発。
329号線で島を横断し、途中名護市を通り抜け449号線を本部港を目指して走る。
辺野古から本部港まで所用時間を1時間程と見込むんでいたが、港には15:40に到着。
時間が余ったので瀬底島と本島を結ぶ瀬底大橋の袂のレストランでフェリー待ちの休憩。
夏場は観光客向けの民宿も兼ねており、店内はシックスティーズのインテリア。
米軍基地の視察に赴いて云うのも憚るが、シックスティーズのBGMを聞くと運転の疲れが一気に取れる。


フェリーは17:00出航。
船は、先に休息をとった瀬底橋をくぐり抜け、所要時間30分で伊江島へ。
伊江島での宿泊、ヌティドウタカラの家の「わびあいの里」につく頃には宵闇が。
宿泊所は離れてあり、ヌティドウタカラの家で夕食をとる。
宿泊所といっても一般の宿とは趣が異なり、食堂は寄宿舎や寮のそれのよう。
用意された食事、各自でご飯をよそおい、後片付けや食器洗いも自分達で。
食器洗いは別にルールではなく、メンバーが自発的に。


食事の後、謝花悦子さんを囲む夕べ。
謝花さんの話の後にそれぞれが自己紹介。
謝花さんが仰る、
「正直、皆さんがどういう方々なのかよく分からなかったから戸惑った」
「自己紹介を聞かせていただいて、やっと安心しました」
10人ほどの集団で、名称はサロンだから一体何者なのかと訝ったのは当然。


宿泊所に移動。
修学旅行生を主な対象とする平和学習の宿泊施設だから、テレビは無い、シャワーはあるが風呂は無い。
基本的に宿泊者の自主管理。
この宿泊所での飲酒は憚るので、メンバーを募って近くの居酒屋に。
料理は量が多くて旨い、その上安いの三拍子、控えめの泡盛とドライブ疲れのお陰で朝まで熟睡。





■2010.01.20  night 管理人

二日目の壱

二日目出発は二班に分かれた。
一班は八時にホテルを出て首里城見学を経て辺野古へ向かう。
もう一斑は九時にホテルを出て辺野古に向かう。
私は辺野古直行の班のハンドルを握った。


途中、伊芸SAで休息。
SAで今度デビューする歌手に出会いCDにサインしてもらう。
その音楽をBGMに宜野座ICを降りる。
辺野古に到着すると、自由法曹団の一行が丁度帰るところ。
「沖縄に連帯する**市民ツアー」
弁護士さんのご一行、車に貼った私等の横断幕をしげしげと眺めて帰っていった。

テント前でアイランダーさんを探す。
藪さんが事前に連絡を取ってくださり、座り込みテントで落ち合う事になっていた。
ジュゴンに似た方と聞いていたので外見で直ぐに分かった(笑。
大潮でどんどん潮が引き、砂浜が広がっていく。

 辺野古の浜で拾ったサンゴと貝殻

名護市議とサロン代表の挨拶交換。
その後のアイランダーさんの経過報告、これが熱がこもっていた。
それが炎天下で延々と続く、延々と・・・・・。
お陰で、翌日私の顔は火脹れ状態だった。
事前に頼んでいた弁当で、テントで昼食。

実はこの時から気になっていたのだが、やけに高そうなカメラで私等の模様を撮っている方がいた。
それもデジタルではなくフィルムカメラ。
時折レンズを交換して撮り続けている。
この後、ボートにも乗り込んできて、私らやキャンプシュワブなどを更に撮り続けていた。

「ひょっとして桑原さんではないですか?」
サロンの長老がボートを降りる際に尋ねた。
長老は40年ほど前に、当時水俣の写真で新進気鋭の写真家を大学に招いた事があるそうだ。
その写真家ではないかと直感的に思ったそうだ。
長老の直感は見事に当っていた。

偶然にも20年ほど前に購入した桑原さんの写真集を持っていた

「写真が出来上がったらお送りしますよ」
桑原史成さんはそういって長老に、そして私にも名刺を下さった。
そのような一流の写真家と分かっていたなら、もっともっと強引にファインダーの前に出しゃばっていたのに。
後悔、先に立たずだった。
でもこの桑原先生とは、翌日の伊江島の城山頂上で、そして翌々日の沖縄県平和祈念資料館で二度もお会いする事になる。



■2010.01.20  morningU  管理人

一日目

那覇空港へは3ケ所の空港から飛び立ち、佐喜眞美術館で集合。
丸木俊さんの「沖縄戦の図」前で佐喜眞館長のギャラリートーク、
「高校生向きのレベルで話させてもらいます」
との館長の前置きではじまった。

 「沖縄戦の図」、館内は撮影禁止でしたのでマスキング(後で分かって反省、汗)

屋上に出て普天間基地を見下ろす。
美術館は基地から返還された土地、基地に食い込むような立地、
廻りをフェンスが取り囲んでいる。
館長夫人からお話を聞く。

美術館から嘉数台まで案内してくださった方はサロンの牧師様の友人。
沖縄キリスト教会の最高位にあたる方らしい。
嘉数台展望台に上がる途中、山腹に掘られた防空壕を案内してくださった。
展望台からは夕日に染まる普天間基地を眺望。

58号線を南下し那覇市内へ。
夕食は市内の山羊さしの店「さかえ」へ。
山羊さしも含め、食べるものは始めてのものばかり。
それにしても一品一品の料理のボリュウムが凄い。
明日からの日程も考慮し、泡盛は控えめに。
さかえ地図








■2010.01.20  morning  管理人

沖縄、
書きたいことは一杯有るけど・・・・・、
心の奥は、今は書けない状態です。
咀嚼するというより、時間をかけて整理すると言ったほうがよいかもしれません。

取りあえず、
上滑りになりますが、備忘録の”旅行記”から少しずつ書き止めて行こうと思っています。
沖縄に行かれた方なら、お分かりいただけると思います。




■2010.01.19  night  管理人

一日目
 
佐喜眞美術館


嘉数高台展望台、普天間基地


二日目 


辺野古、アイランダーさん達と昼食


ボートで洋上から

伊江島へ、「やすらぎの家」泊、謝花悦子さんを囲む夕べ

三日目
 

ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館


城山写真家桑原史成さん


団結道場


読谷村座喜味城跡公園へ、知花昌一(読谷村議)さんガイド、



シムクガマ                 チビチリガマ


彫刻家金城実さんアトリエ訪問
日没後嘉手納基地へ

四日目


沖縄県平和祈念資料館
ひめゆり平和祈念資料館


喜屋武岬








■2010.01.09  morning  管理人

新年早々、日記も一週間のご無沙汰となっている。
これにはそれなりの理由がある。
このクタビレ親爺が何も流行の最先端を切ることはないと思うのだが、ものの見事にやられたのだ。
それは年の瀬だったから、年並みに振り込め詐欺にかかったのだろうと思うだろうが、どっこい私には急に振り込める程の金は持ち合わせていない。
それよりも、問答無用で強引な奴だ。
ガンブラー。

御用納めの日、取引先のホームページを何気に見に行った。
ポップアップを許可しますか?、
ウヌ・・・と思ったが、其処も何気なく許可したらバチンと出やがった。
「ウイルスを検出し隔離しました」
「ホッホー・・・・、そういう事か!、」
「ワクチンさん、お利口、お利口!」
余裕をこいて、ためらわずにワクチンの指示通り削除。
隔離、削除はしたが、そうはいっても心配だから仕事を終える前に用心にディスクのウイルススキャンを掛けた。
結果は何も検出されない。
それで旧年は目出度く御用納めとなった、
そこから苦難の日々が始まった。

年が明けて御用始の日、パソコンを立ち上げると、これがまともに動かない。
何事かとウイルススキャンを掛けると、後から後えと出てきやがる。
年末にかからなかったものが見事に掛かる、ウイルスのオンパレード。
ワクチンも事の重大さに、年末年始の間に”進化”したのだろう。
逐一削除を掛けて再起動を掛けると、起動時にもウイルスを検出する。

私は純情だから、パソコンなるものはご主人様の忠実な僕と思っている。
命令は絶対、指示通り、どんな苦労も厭わず黙々と忠実に命令を実行する。
パソコンなるものはそういうものだと信じて疑わない。
それがこの様、
「このクソPC、ハンマーで叩き壊し、ゴミ箱にぶち捨てる」
職場で思わずそう怒鳴った。

「まあまあ、そう云わず先輩、私にお任せを」
この事態に、職場の若い者が救いの手を差し伸べてくれた。
「先輩、ワクチンには引っかからないけど、このジャバスプリクトの最後の3行が怪しいですよ」
ものの1時間程、クソPCと睨めっこをしていて彼がそういう。
「どうなってもいいから何とかしてくれ、何とかならなければこのPCは叩き壊す」
これが私の返答。
ご時世、PCの値打ちは昔の電卓に毛が生えた程度のもの、騒いで奉る程の道具ではない。

結果、ウイルススキャンでは何も引っかからなくなった。
起動も問題ない、
しかし、インターネットエクスプローラだけは時間とともにまともに動かなくなる。
ホームページの閲覧が、昔のISDNのスピードレベルに成り下がった。
デジタル的に理解する脳力は持ち合わせていないので、これはどういうことかアナログ的によくよく考えた。

早々に、私にリタイアしなさいとの啓示ではないか?、
それで、私の道具にロックを掛けてきたのだと思う。
これは神がかりの事象なのだ。
そう思うことにした。
それであれば、該当のPCは神棚に祭らなければ。





■2010.01.02  night  管理人

「続編はあるのですか?」
「絶対、続編書いてくださいね!」
「いあや〜、その〜・・・・・」
新年早々、偶々会った方にそう尋ねられ、お願いされた。
妻が傍にいたから、返答は適当にお茶を濁した(汗。

職場の広報誌新年号にエッセーを頼まれたのは昨年11月末。
単ゲバ関連だったら描き切れないほどネタは持っているのだが、職場となるとその方面はご法度。
いろいろ思案して”あの”ネタを思いついた。
あの子との自虐史」を薄めてオブラートをかけると万人向けになるのでは?、と。
金妻ならぬ、金曜のオジさん・オバさんの枯れた青春物なら受けるのでは?、と。

エッセーは2008.8.8と2009.11.3の二つの日記を元ネタに書き起こした。
タイトルは「青春パートU・還暦版」
まんまに描くとヤバイから、かなり、相当に、”原作”がバレないように薄めた。
当然だが、私はひきょう者だから自分の”あの子”ネタは使わない。
類が及ばないよう、悪友と女の子(還暦だが)の他人ネタ。

広報誌は新年号だから、御用納めの日に配られた。
それが、どうだ!、
元旦早速に反応があった訳だ。
my favorite songsのBGMなしで受けたのだ。
昨夜は”作家”になった初夢を見た(嘘)






■2010.01.01  morning  管理人

欲張りですが、新年のお祈りです。

世界中が平和になりますように、
世界中の子供たちが幸せでありますように、
世界中から貧困が無くなりますように。


my favorite songs
はaaghさんとこからのパクリです。
thanks aagh
!




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