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■2010.04.27  night  管理人

 
お遊びです、 (上のmusicプレヤーを停止してスタートください)




■2010.04.27  morning  管理人

「だからさ〜・・・・」
「あのね!」
「あれほど言ったじゃないの(怒」
「目立つのは嫌だと、姉御」
今朝、朝刊パラパラとめくり、地方欄見て目が点になった。
目立ってしまったのだ(泣。
(ツイッター風に、悲痛な心の呟きです)

昨日の集会の直前、携帯に着信が有った、「終わったら一杯やろう」というお誘い。
その方とは今まで何度となく連絡は取り合っている、
とある”行動”ではご一緒したが、その方はその行事の責任者だったもので、その時は話す機会が無かった。
集会の解散地、ゲバラ旗をたたんでいると、その方はニコニコ顔で近寄ってきた。
牧師様にも声を掛け、三人で近くの居酒屋へ。

その方が云う、
「今日は**さん(姉御の事)は居ないのですか?」
「**(姉御)さんにも是非お会いしたかった」
私、
「そうですか、姉御は仕事で今日の集会は参加していないのですよ」
「もう仕事が終わる頃だから、連絡入れてみましょうか」
「でもね、多分(来るのは)無理だと思うのですが」

無理というのには明快な理由がある。
姉御は携帯電話というものに出たことはないのだ。
「貴女は何のために携帯を持っているの、単なる飾りなのか」
私は何時もボロクソに謗るのだが、姉御には馬の耳に念仏。
30秒ほどコールしたが、やはり予想通り出ない。

10分ほどヤンヤヤンヤと話に花を咲かせていたら携帯に着信。
見ると姉御ではないか。
応答一番こう云ってやった、「姉御、奇跡だね」
すぐさま出て来いと召集、何時も顎で使われているので意識的に高飛車に言ってやった。
先に酔った方が勝ちなのだ。
30分程して姉御登場。

「男はね、言う事とすることは違うからね」
その方と私、牧師様の三人での「黄昏」話題に姉御が横から突っ込みを入れてくる。
「やかましい、私は決してそんなんじゃない」
「神様に誓ってそんなんじゃないって、牧師様にも言いましたよね」
牧師様、「そう云われてもこまります」という顔をされていた。

その方の帰りの最終列車ギリギリまで大騒ぎをした。
帰り際に、私は牧師様にこう云った、
「どうです、共産党の某地区の現役委員長だけど、私の云った通り面白い方でしょう」
まぎれもない唯心論者と、ゴリの唯物論者の集会でもあった訳だ(笑。



■2010.04.26  morning  管理人

素材は翡翠だそうだ。
講演会の終わり、参加者を見送っているとその中に懐かしい顔が。
「オウッ・・・、帰ってきてたの!」
グァテマラへ出かけると聞いたのが1月末だったから数ヶ月振りの再会。
小さな布袋を手渡してくれた。

グァテマラのお土産はチェ・ゲバラのペンダント。
彼は、私が集会でゲバラ旗を押し立てているのをニコニコ顔で見てくれていた。
かつての”時代”を共に生きた同世代同士、ゲバラが何たるかの意味は話さなくても分かってくれる貴重な友。
これでゲバラの旗とペンダントが揃った訳だ。


講演会の直前、以前沖縄に一緒に行ったNさんからメールが入った。
招聘する講師の身辺警護について。
私は心配ないという意見だったが、Nさんは違った。
国政の争点、現政権の浮沈が掛かった普天間基地問題に深く関わる人物だから、
Nさん、講師の身辺には十分な注意が必要という考え方だった。

空港への出迎え、懇親会、ホテルからの出入り、
ホテルは部屋のドアの前まで、
そして帰路、空港では搭乗口へ消えるまで、
武道のたしなみのあるNさんはず〜っと講師に張り付いていた。
私はNさんの気合の入った”空気”に、少し昔を思い出した訳だ。


■2010.04.25  morning  管理人

「ねえねえ、おじちゃん」
「この中で日本は何処?」
受付ホールに置いてあった植物園パンフレットの園内ガイドを指さして質問攻めにあう。
「ウ〜ン、日本はねえ・・・・・」
答えに窮してしまった。

大人の講演会に退屈したのだろう、会場から受付ホールに出てきて遊びだした。
少し時間が経つと、慣れてきたのか受付番の私に盛んに話しかけてくる。
目茶、可愛いのだ。
それに「おじちゃん」、「おじいちゃん」でないのがまたまた嬉しい。
お母さんのダブダブのカーデガンを羽織っている。
おじさん、目尻を下げて昼下がりの”ホールデート”を楽しんだ。

「そうだ!」と思った。
今なら愛機のデジイチでショットしても大丈夫、変なおじさんと間違われない、
取りだしバシャバシャ。
ピントピッタリ、可愛い写真をたくさん撮ったが、
ここで紹介するのは彼女のプライバシーを尊重して、一番映りの悪いもの。
大きい写真は、折角の”美貌”に申し訳ないが目線を入れさせて頂きました。
それにそれに、如何なるタレント事務所等からの当美女の問い合わせにも管理人は応じません(笑。



何時もなら講演会終了後に懇親会なのだがそれは昨夜済ました、講師には外せない重要な集会が今日ある。
終了とともにとんぼ帰りのハードスケジュール。
帰路便までは少し時間があったので、皆で何時もの金曜サロンの店へ。
講演会では聞けないオフタイムのオフレコ会話、主催者の特権なのだ。

「安保は”粉砕”、廃棄ではないですよね!」
「表現の僅かな差が、私等の拘りでしたよね!」
講師の方と、かつての時代の話に花が咲いた。
今回の講師の先生、”あの時代”を心置きなく語れる楽しい方だった。

心配をよそに、会場は大入り満員。
普通の市民の、沖縄への関心の高まりが感じられた講演会だった。
勿論、姉御は会の手応えにご満悦だった。




■2010.04.24  morning  管理人


 懇親会で (上のmusicプレヤーを停止してスタートください)



■2010.04.20  night  管理人

駅前の大通りの交差点、信号待ちで香西かおりさんの「みんな夢の中」をイアーフォンで聞いていた。
この頃は演歌の女性歌手もマイ・フェイヴァレイト・ソングスに加わるようになった。
ボーッと信号変わるのを待っていたら、遠くで私の名を呼ぶ声が聞こえたように感じた。
前方を見ると牧師様が運転席でニコニコ笑っている。
昨日は次男坊に会い、今日は牧師様に会った。
その内、”あの子”にバッタリ会うかもしれないと思った(訳ない)


駅からの夕陽がきれい、いい帰り道だった。




■2010.04.20  morning  管理人

帰路の途中、次男坊の職場の近くの交差点で信号待ちをしていた。
交差点の対角線上の向うに、息子らしき姿を見かけた。
傘を振って合図を送ったが、息子は気づかずコンビニ弁当のビニール袋を携えて職場の方に去っていった。
頑張っているなと思うと同時に、夜な夜な残業に明け暮れていると思うと思わず目頭が熱くなった。
「アイツ、毎夜コンビニ弁当で頑張っているみたいだよ」
帰って妻にそう報告すると、妻も目が潤んでいた、
夫婦共々、幾つになっても子供の事となると涙腺が緩い。


沖縄の取組、期せずして講演と集会のレンチャンの取組みになった。
間近になると、何時もの事だが姉御から指示が飛び回る、ゲバルト・ローザの爆裂だ(笑。
「アタシは**をやるから、貴方は**をお願いね!」
言葉はお願いだが、実質は有無を言わせぬ”指示”。
「俺は(裏方の任務に徹するから)(その任務は)絶対嫌だ、断る」
サロンであれほどはっきり意思表示をしたのに、昨夜、姉御発の任務分担のメールが回状されてきた(涙。

サロンはイラク戦争開戦を機に2004年に有志で発足、会費、会則、会員名簿の存在しない極めてルーズで緩やかな市民団体、もう六年目になる。
趣旨は”反戦平和”で通してきたが、活動のコンセプトは「目立って何ぼ」(笑)
集会、講演会を繰り返し開催し、周知はしつこいほどマスコミにお願い、かつ自身も街宣を続け、他団体の集会には”ゲバラ旗”、を押したて参加してきた。
その活動の積み上げが、政党や既成団体の目に止まりだしたのがここ数年。
色々な集会にお呼びが掛かりだし、主役が姉御だけではなかなか回らなくなりはじめた訳だ。

これはあくまで私の考えだが、私は最初からはっきりこう言っている。
「裏方に徹し、徹底してフォローするから」
「この運動の拡がりは、貴女が目立つ事」
「貴女が目立つ事なら何でもしよう」
そう云う事だから・・・・・・、
今更このクタビレ親爺が目立っても仕方ないのだ、
頼むよ、姉御!



■2010.04.18  night  管理人

「今日は貴方のカードでね」
以前からつばの大きいレインハットが欲しく、ネットショップで買おうと思ったがサイズがいまいち分からなく躊躇していた。
仕事で街中を走っていて時、ローカルな当地には珍しくアウトドアブランドの店があるのに気が付いた。
週末、妻を誘ってその店に出掛けていた。
レインハットだからと云ってハイキングに行ったりトレッキングしたりするわけではない、
小雨の中の草むしり、雨合羽のうっとおしいフードを被らなくてもいいと思った程度の動機、決してアウトドア志向ではない。

目的の物は直ぐに決まった。
さあ、帰ろうとすると妻がショッピングに夢中になっている。
トレッキングウエアーを色々試着室に大量に持ち込み奮闘している。
待っている間に、ハゲ頭を隠すキャップも購入。
私が誘ったから私が払うのだそうだ、私の何倍もの買い物をしているのに。


金曜日のサロン、何時もより早めに顔を出すと既に牧師様と女性が二人。
お一人は中国残留孤児、もうお一人も命からがら満州から引き揚げて来られた方、私より一回りほど年長。
年上の満州引き揚げの方が、残留孤児の方を色々サポートしている。
お二人が時折サロンに来るようになって数年になる。
ここでお二人の履歴を綴ると何ページにもなるから省くが、その経験談は一聴の価値がある。
牧師様と目が会うと、此処のところの私の動向をしっているのでニヤリと笑う。

「いいですね、貴方がたは」
「私等の青春時代はとにかくお腹が減って減って」
「食べることに精一杯、そんな楽しい思いは無かったのですよ」
牧師様と「黄昏族」の話題に花咲かせていたら、年長の満州引き揚げの方にそう言われた。
命からがら逃げ還ってきて、還ってきたらきたで食糧難、私の極私的な話題に戦後史が絡んできた訳だ。
黄昏に戦後史、この手の話はそうやたらと結び付くものではない、サロンならではと思うのだが・・・・・。

しかしだ、話の展開は此処で終わった。
黄昏ストリーに戦後史が加味され面白い話題になるところだったが、姉御が登場したのだ。
「私は前しか見ない!」
ローザ姉御は日頃そう言ってはばからない訳で、この信念には鬼気迫るものがある。
そう云う訳で、黄昏フラクションは一貫して姉御には無視されている。
沖縄の取り組みが間近に迫ってきていることもあり、その日の姉御は大荒れだった。
まあ、何時ものパターンで、何時もの事だが。




■2010.04.16  morning  管理人

>私は“その子”に会えたこと、彼女が昔の面影を残した“美少女”だったことが嬉しかったです。

昨夜、牧師様からメールを頂いた。
牧師様のメール、本当はもっと披露したいのだが、勝手な行為だから一行だけにした。
しかし・・・・・、目茶、悔しく、羨ましい。
私も一昨年の高校の学年同窓会以来、少なくない高校の同窓生♀に再会した。
何方もそれなりに経年変化をされている。
昔の面影を残している”事例”は滅多に無い、いいや、殆ど皆無に近いからだ(自分の事は棚に上げて)

そういえば、一昨年の学年同窓会の事。
高校時代、学年のアイドル的存在でお人形さんのように可愛い女の子が文科クラスにいた。
乾杯が終わり、宴席が賑わいだした頃、隣りのテーブルを見ると異様に可愛いドレスを着た女性が目に入った。
顔立ちもスタイルも還暦とはとても思えぬつくり、目茶綺麗なのだ。
直ぐに、かつての文科クラスの可愛いその女の子だった事が判った。

かつての私なら、学年アイドルなんぞは可愛いなあと遠くから眺めているだけだったが、今はどうでもよい恥知らずのレトロ親爺、グラス片手につかつかとその子の隣りに図々しく座った。
「貴女、高校時代物凄く可愛かったですよ」
「僕ら、かつて遠くから眺めているだけだった」
「僕らの中に貴女の熱烈なファンが居たの知ってます?」
「今も全然変わっていませんね」
彼女はニコニコ笑って聞いているだけ、云うだけ云って自席に戻ってきた。

後日、その子の事が同窓生仲間で話題になった。
「あれはな、やはり・・・・・・」
「あそこまで変わらず若作りだと、やはり引くよな」
彼女にその責は全く無いが、団塊親爺達の評価は概して良くない。
歳を経ても変わらぬ美貌、若さはタレントだけでいいのだ。
歳月は流れていくのだ。

ここで牧師様の一言に還る。
「面影を残した・・・・」
青春を振り返る時一番大切なのは「面影」だと思う。
余りに昔のままだと引いてしまう、面影の範囲で充分なのだ(笑。
此処のところを強調するのは、今後”あの子”に会える可能性が1%でもあるから。
その時の心積もりを今から準備しておこうと思うから(笑。

訂正です。
牧師様の高校は男子校。
牧師様の同窓会は中学校のだったそうです。
私の聞き間違いでした。
しかし・・・・、中学校のだったと聞いて、更に羨ましさが増しました。



■2010.04.15  morning  管理人

団塊世代が還暦、リタイヤの時期に突入して数年になります。
そんな時期に合わす様に、私らの身辺では書籍の刊行、雑誌の特集、それにテレビ番組での取上げなどが、幾度となく続いています。
学園闘争が吹き荒れたあの時代を振り返る際、その頂点として闘われた日大闘争と東大闘争が時代の象徴として扱われる事が多いようです。
末席の一兵卒であった身にも関わらず、私もここ数年それら幾つかに関わってきました。

それはそれで別によいのですが、
取上げられ、
取材され、
要は、まな板の鯉として扱われるばかりで、
自分達の声が、納得いくメッセージとして発せられているといえばそうでもありません。

日大闘争では多くの仲間が闘いに加わりました。
その数は数千にも及ぶと思います。
当事者の手で、多くの当事者達の声を、本に出来ればとの議論がここ数年続いてきました。
その議論の到達点として、この春当事者による「日大闘争の記録」発刊の取組がスタートしました。
制作実行委員長は「矢崎薫」さん、日大全共闘であれば、知らぬ人はいない人です。
私も制作委員の末席に加わっています、微力ながら頑張る所存です。



■2010.04.14  morning  管理人

最近、牧師様から時折電話が入る。
この間、とある事で相談を受けており、その打合せの電話。
牧師様から相談をうけるなんぞ大したものだが、勿論、人生相談や信教上の相談ではない。
何のことは無い、WEBの技術的な事。

昨夜もそんな相談で30分ほど話した。
「ところで話題が変わりますが、会うことが出来たのですか?」
電話の最後、牧師様よりここのところの経過について、あり難いヒアリングを受けた。
まあ、言い換えれば電話での告白・懺悔。

日頃、牧師様に人生相談をしている訳ではないが、牧師様は私の日記を読んで下さっている。
「いえいえ、会っていませんよ、電話ですよ」
「会いたいと話したら、会話が途切れてしまって・・・・・」
「でもね、その後、改めて手紙を書いたんですよ」
「もう、いい歳だから、そんなんじゃないし・・・・・」
ある意味、同志を募れぬ孤独な闘いでもあり、聞いてもらえて心が休まる訳だ。

牧師様の出身高校は、関西では一二を競う共学の進学校。
最近、その母校の同窓会に出られたそうだ。
かつて好意を寄せていた同級生(♀)に再会できたと話してくれた。
牧師様はその話を本当に嬉しそうに話してくださった。
聖職者でも凡人でも思いは同じなのだと安心した経緯がある。
そんな訳で、私は牧師様もサロンの黄昏流星族クラブの仲間と勝手に決めている。

帰路の黄昏、コンパクトデジカメで 帰路の黄昏、コンデジで

くだんの手紙だが、
前回は、校正すればするほど限りなく「事務連絡文」に近づいた。
今回はそれが反対、
校正すればするほど”思い”が文間からこぼれ落ちてしまう。
なので、校正をすることは止めた。

いい歳こいているから「事務連絡文」でいいのだ。
”思い”は隠せば隠すほど伝わる、ビリー・ホリデーの「サマータイム」の様に。



■2010.04.12  morning  管理人

日曜の朝、今にも泣き出しそうな曇天。
空と睨めっこしていた妻が、「やっぱり行くわ」とテニスに出かけた。
日々の衣類は前日洗濯し尽くしたので、シーツ類を剥ぎ取り洗濯。
私の休日の朝は洗濯からでないと始まらない(笑。

以前から気になっていたLEDランプ。
調光器を少し絞り込む事でチラつきは何とか収まっているが、絶望的な白さ、寒々とした明るさ。
今までミニクリプトン電球を使っていたので、その雰囲気の違いは尚更。
結局、またまた出費が重なった。

電球色のLEDランプを3球購し白色球と交換。
3800円×3=11,400円也の出費。
しかし不思議なものだ、
電球色球は白色球の7割程度の光量しかないのに、白色より明るく感じる。
それになにより光が柔らかく温かい。


その昔、狩猟の時代。
夜、焚き火で暖と灯りをとり、猛獣から身を守った人類のDNAだと思う。
炎の色に通じる色合いは、より人間の感覚に優しいのだ今更に実感した。


■2010.04.11  night  管理人

「じゃ・・お嬢さんお会いすれば、貴女の27歳の頃が見られる訳ですよね」
残念でした!、娘は主人似なんですよ
でも、最近私に似てきたといわれる事も・・・」
屈託のない会話が続いた。

その勢いで、
「一度会いたいね」
「出てこれませんか?」
何回か切りだしたが其のつど、
・・・・・・・・・・、
会話がそこで途切れてしまう。

43年振り、まともな会話の無かった高校3年間を入れると46年振り、
いきなり「出て来い」というのもかなり強引だったと反省。
でも中三の頃のような屈託のない会話の延長だったから、私としては自然な展開と思うのだが。
43年待ってたのだから、
今後、生きてるうちにもう一度会える可能性が1%でも出来たのだから、
一日経って、しみじみそう思っている。

長老、色々助けて頂いて有難うございました、
これで、サロン「黄昏流星族」クラブも勢いづきます、
シネマクラブにも、学芸クラブにも負けません、
黄昏族は私に続け (何のこっちゃ?)

心底、感謝しています。





■2010.04.11  morning  管理人

夕方、大きなビニールを抱えて妻が戻ってきた。
テニス仲間から山菜採りに誘われていたらしい。
私は昼過ぎに所用があり家に残った。
それに山菜採るより、庭の雑草採るほうが私には近々の課題、
雨と晴天の繰り返しで、庭中雑草だらけになりかけている。


「貴方、欲しいもの有る?」
帰ってきた妻に、近くのショッピングモールへ行かないかと誘われた。
「そうだな・・・・・・、」
「今は別に欲しいものはないしな」
「そう、私もそうだから、じゃあ止めときましょうか」
完全に年寄り夫婦の会話だ。
何時もならこの時期、仕事用の夏着を少し買い揃える、妻もそのパターンで誘ってくれた訳だ。
草臥れたワイシャツ、型の崩れかかったジャケットなどのリセット。

夜、少し考えた。
もう今年の夏から仕事用の衣服は必要ない。
仕事以外で持ってる物っていうと、数少ないが時折買い求めたマリン系のウエアーだけ。
どれも耐風、耐水性能抜群だが、マリン系は蛍光カラーでとにかくド派手、もう似合わなくなって久しい。
いわゆるお洒落な街着ちゅうものを私は持っていない。

仕事着の基本は黒、ダークグレイ、紺、それに白。
スーツ、ジャケット、シャツ、スラックスもこの色に限ってきた。
職場で目立たず、無難な選択、数十年のこの根性が染み付いてしまっている。
私はこの先何を選び、何を着たらいいのだろうか?
このハゲ頭に見合う服ちゅうもんはあるのだろうか?

何!・・・・、
リタイアしたら、レゲエ親父はジャージ一着で事足りるって、
悪かったな!!


■2010.04.10  night  管理人

正確に言うと14時42分。
洗濯、掃除は午前中に済ましていた。
昼過ぎに予定の入っていた所用も済み、ネットでもと机に座った瞬間電話のベルが鳴った。
**です、++さんのお宅ですか
「**さん・・・・、????」
一呼吸置いて、
「アッアッアッ・・・・、**さん!!

お久しぶりです
少し病気したけど、今は元気
27歳の娘が未だ独身で同居していてね、何かと便利に使っているのよ
私の住所、よく分かりましたね
電話の声は明るく張りがある。
少しの”事務連絡”のあと、色々と近況を話しあった。

高校を出てから43年、まともに会話できなかった高校3年間を入れると46年振り。
極私的だが、半世紀近い時間を隔ててのこの電話、私にとって歴史的「事件」とも言える。
あの頃”、1963年の中三の秋に戻ったような楽しい会話が続いた。
きっと電話という媒体が良かったのだろう。
そして、”事務連絡”で一貫した行動方針は間違っていなかった。
42年前の反省は生かされたのだ。
同窓生の事、家族の事、エトセトラ。

でも、受話器を持ちながら少し焦っていた。
何とか次のアポイントメントを取らなくては、
「一度会いたいね」
「四十数年振りだもの、是非会いたいな」
話の間で、これを幾度か繰り返したが、
返事は「ウ〜ン・・・・・・・・・

実は、
幾つかの筋から、”あの子”は数年前に結構深刻な病気をしたとの情報を入手していた。
それ以後人前に出なくなったとも聞いていた。
それは分かったうえで、敢えて”事務連絡”を取った。
そっとしておこうという気持ち、
もう一度だけ会いたいという気持ち、
それが交互に入れ替わるこの一年間だった。
最後は後者がまさった。

「教えてもらった事調べたら、又貴女に電話してもいいかな?」
はい、いいです
何時も家に居ますから、何時でもいいですよ
取りあえず、次へつなげた(涙、涙。
事務連絡の返事は、前回同様42年でも待つ覚悟だったから、
これは世界同時革命に匹敵する革命的展開なのだ!

生きてるうちで良かった。





■2010.04.09  morning  管理人

朝の通勤列車内、ピカピカの一年生を其処此処に見かける。
小一、中一、高一、いずれもフレッシュで可愛い。
列車を降りて、ヒョコヒョコと歩く小一のひよこさん達、
後ろについて歩いていると、なんだか楽しくなる。

「ヤバイですよ、**さん」
「間違ってもカメラなんか取り出さないでくださいね、カメラ持ち歩いてると聞いてますから」
「それって絶対、変なおじさんに間違われるから」
朝の通勤の話をすると、同僚からそう釘を刺された。

年度が替わり、私の職場の周辺もフレッシュマンで溢れている。
昼間の構内食堂は長蛇の列になる。
少し遅れると、売店の弁当は売り切れ。
こんな年度初めを数十年繰り返してきた。

団体職場だから、私の任期は夏の総会まで。
満60歳からほぼ2年程、薄くなった頭とくたびれた体で職責を担ってきたが、
正直に云えば、職務に対する積極性は減退する一方、よく言えば手堅い守りに徹する事が多くなった。
古きよき時代ならそれでも通用しただろうが、ここいら当たりが限度かなと思う。


辞め際に、殊更に思い出すのは1968年9月3日夜から4日未明に掛けての事。
元々ノンポリ、思想があってバリケードに入ったわけではない。
バリケードの中でも思想に染まる事は無かったが、
強いて云えば”バリケード”に染まってしまった。
バリケードこそが私の”思想”だったと思う。
馬鹿で単純だから、それ以外のややこしい思想はクソ食らえだった。

1968年9月4日未明、
ビビッたが踏ん張った。
その後、成り行きで色んなことが数々あったが、
私の生き様のルーツは1968年9月4日未明、
ビビッても踏ん張った。
”バリケード”は後にも先にも私の唯一の思想だった。

バリケードは私の内にまだ生きている、
だから、私はもうこれ以上踏ん張らない。




■2010.04.04  morning  管理人

イエスは言われた
わたしは復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる』」
(新約聖書 ヨハネによる福音書11章25節)

今日は復活祭。
今から勇んで、
過激な牧師様の教会へ出掛けるのだ。

神様、お願い!
神様、助けて!
なのだ。




■2010.04.03  night  管理人

つくづく進歩が無い、
添削を重ねる事一週間、
当ホームページを立ち上げるより難渋した。

それから、出すのにもかれこれ一週間迷った。
これも42年前と変わらない。
前回は、出すのに一週間迷って、返事は42年も待っている訳だか、
今回は、これから42年待つと私は百歳を超えてしまう。

歳月を重ねると、
頭髪と記憶は薄くなるが、思いは濃くなる、
これは一般的法則だ。
しかし、濃くなった思いで書く文は、
なぜ、限りなく”事務連絡文”調になるのだろうか。
これも一般的法則だろうか?


Do you know ?
Do you know how much I love you ?
Do you know ?
How much I care ?

This is how,this is how you make me feel inside
Now you know my story, I have nothing to hide

In your arms life is beautiful in every way
In your arms that's where I always want to stay

In your arms life is beautiful in every way
In your arms that's where I always want to stay

Now you're heard my story, I have nothing to hide
Now you know my story, I have nothing to hide





■2010.04.02  morning  管理人

1968年は確か
10月20日の事だったと覚えています。
「隣りの中大へ全国の赤ヘルが集結しているみたい」
「あいつら明日防衛庁へ突っ込むと云ってるぞ」
「ホント、あいつらキチガイだわ!」
自分らの事は棚に上げて、バリケードの学科の部屋で、学友とワイワイガヤガヤ雑談していました。


教室の隅で、センベイ布団に包まって寝ていた見知らぬ学生、ムクっと起き上がってきて名刺を差し出した。
「私ら、キチガイではおまへんで」(関西弁にデフォルメしています(笑))
名刺には同志社大学工学部と記してある、
市ヶ谷自衛隊突入部隊で、はるばる上京してきた関西ブントのお兄さん。
私らは名刺を掲げひれ伏した訳です。

時折見ている面白いブログです。
高須基仁の"百花繚乱”独り言
何でも鹿砦社の松岡さん(同志社全学闘)のお友達らしく、お友達のお友達になるわけです。
上記の話題の翌日、10月21日に中大中庭から丸太棒を抱えて出陣した一人だそうで、
入り口ゲートに最先端で突入したとプロフィールに書いてあります。
松岡さんのお友達ですので多分本当でしょう。
私のHPとはかなり趣向が違うのでリンクは貼っていませんが(笑。

WEB産経ニュースへ

以前、お世話になった産経の河居記者さんも頑張っています。





■2010.04.01  morning  管理人

車で通勤している頃、雨天はうっとおしかった。
JRで通勤し始めた頃も、それ以上にうっとおしかった。
でも、最近は違う。
大きめの傘と、レインパーカー、しとしとと降る雨もいいものだ。

昨日は年度末、普段は作業着の隣りの職場の方がスーツを着込んでいる。
昨年は同い歳、今年は一歳年下の方々の定年退職を2年続けて見送った。
見送ったといっても同僚ではなく、同じ建物内の他所の職場の方々だが、永年顔を突き合わせているので同僚みたいなものだ。

本来なら私は昨年の今頃定年退職だったのだが、職務の都合で残留している。
まあ強いて云えば、死にぞこないの敗残兵みたいなものだ(笑。
妻は、働けるだけでも有り難い事よと言うが、私はそうは思わない、
もう直ぐ決着を付けるのだ。



報道で聞く、警察庁長官の狙撃事件の迷走した捜査、
警視庁幹部のトップダウンの捜査方針で突き進んできたらしい。

例えは適切でないかもしれないが、
先の大戦、
陸軍の上層部参謀の突っ走りでブレーキが利かず敗戦に突き進んだ。
どちらもいわゆる優秀な一部のエリートが舵取りしている。
一部エリートの引き回しと、上に物言えぬ硬直構造。
いわゆる左翼勢力も含め、
いずれも同じ様なものだと思うのだが。



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