■2010.08.30 night
管理人
朝、一便遅い列車に乗る。 通勤時間帯は過ぎているので勤め人は殆ど乗っていない、学生の影もまばら。 夕方は二便早い列車、学生でごった返しているのが少し辛い。 先週末から、そんな”通勤”を再開している。 先日、プールから上がると、更衣室のロッカーの携帯に着信が残っていた。 某労働団体の某会長。 折り返し掛け直すと、相談が有ると云う。 某団体の事務局長が病気で入院し、事務局が忙しくてパニッくっているという。 私に一時助っ人を頼みたいという話だった。 リタイヤしてほぼ一月、緊張感の無い”低空飛行”の生活にやっと馴染んできた矢先。 どうしても今働かなければという切迫感は無いし、贅沢しなければ生活に困窮している訳でもない。 働くモチュベーションは既に最低値まで下がっているのだ。 返答に窮してしまった。 翌日、某団体の事務局に顔を出した。 「どうしてもでしたら、出来れば一日六時間位で・・・・・」 「それに・・・・、」 「出来れば週4日の勤務で・・・・」 「給料はそんなに要りませんから・・・」 「年金が満額頂ける範囲でいいですから」 多分、断ってくれるだろうと身勝手な条件を色々と並べたら、 「いいですよ、**さんの仰るとおりで」 想定外の返答に、テーブルからズリ落ちそうになってしまった(笑。 結局、断れなくなってしまった。 そういう事で正式には9月1日からだが、とにかく急ぐと云う事で今日で出勤3日目と相なった。 リラックスしてるというか、 緊張感が無いというか、 生活掛っていないというか、 助っ人の身軽さというか、 それに結構楽しいというか、
40年近く勤めてきた前職場の私とは、全然違う私なのであります(笑。
■2010.08.29 night
管理人
この一月、 定期的にプールに通い、 映画を録り貯めていた。
「タッチ」は三回観て、三回泣いた。 「太陽の下の18才」も目尻を下げて三回目を観た。 お分かりのように、私は難解な映画は観ないし、 メッセージを込めた映画も観ない。

'71年の8月は杉並の桃井に居た。 うだるような暑さの中、毎日毎日、赤坂見附の化粧品会社へバイトに通っていた頃だ。 アパートにエアコンなど有るはずがない。 バイトから帰ると、外の共同洗濯場の流しの上に座り込み、ホースで体を冷やし洗った。 素っ裸、通りから丸見えだったが何故か恥ずかしくなかった。 そんなある夜、 会長さんがギターを弾いていた時、 前後関係は忘れたが、宮澤君が云った一言が今でも忘れられない。 「オイ、おケイ」(桃井で私はKEIと呼ばれていた) 「オイラはな、詩は詠めないが・・・・」 「オイラの存在自体がポエムだ」 宮澤君はそれから間もなくセクトに戻った。 結果として、その後の宮澤君の人生は壮絶を通り越していた。 あの一言は、宮澤君のその後の人生への覚悟の一言であり、メッセージだったのだろうと今更に想う。 事実、宮澤君は”ポエム”のように人生を走り抜けてしまった。 だから、 論旨が飛躍していて申し訳ないし、 そして、多分分かってもらえないだろうが、 個別、私(等)に限っての特殊な時代の経緯から、 反戦や平和をメッセージするその手の映画には、私はどうしても馴染めないのだ。
これは私(等)の一生掛っても消えない”時代”のトラウマだろう。
■2010.08.29 morning
管理人
「ハイハイ、三人並んで・・・・」 「ウワァ・・・、両手に花ね!」 叔母が盛んに冷やかしながら写真を撮ると云う。 初めて三人仲良くフレームに納まった。 今月は誕生月、恥ずかしながら満六十二歳になった。 妻の叔母が私と殆ど同年代で誕生月が同じなので、一緒に誕生会をしてくれるという。 先日、叔母の娘と私の妻、つまり従姉妹連合が私と叔母の合同誕生会を催してくれた。 歳をとるのは嬉しくないが、嬉しいのは息子二人がそれぞれ彼女を連れてきた事だ。
泳ぎこみ、日焼けでいい色になってるのだ
息子達はまだ婚約している訳ではないので、彼女達と私等夫婦は”微妙”な間柄。 次男坊が彼女を紹介してくれたのはつい最近だが、長男の彼女はもう随分になる。 写真には私等夫婦と彼女達との付き合いの長さの「差」が出ている。 長男の彼女、私の後ろでピースサインをしている、余裕なのだ。 次男の彼女、私の隣で畏まっている。
そういうことなのだ(笑。
■2010.08.26 night
管理人 musicプレヤーを停止して再生スタート
涙が落ちてきます・・・・、 51歳(2003年)の森田童子です。 「ひとり遊び」
■2010.08.21 morning
管理人 昨日の金曜日、午後二時頃。 「やあ、今から?」 「**さんが泳いでないかとプール内を探したんだけどね」 「一時間程居たから、もう上がるところ」 更衣室を出てプールに向かっていると、プールから上がって来るNさんにバッタリっと出会い声を掛けられた。 「今日は少し遅いけど、(私は)今からひと泳ぎしてくるから、じゃあね」 Nさんに穴場のプールを教えてあげたのは先週の水曜日。 「山を切り開いて作られた運動公園の奥の奥に競技用の公式プールがあり、車でないと行くの大変な所だから」 「平日、高校のクラブの貸し切りの合間の時間帯だと、50mプールに4〜5人しか泳いでいないし」 「小学生は利用不可」 「だからちびっ子が来ない訳で・・・・、」 「それに残念だけど、きれいな水着のお姉様も皆無だけどね」 「プールの利用(コース占有)状況は常時ネットで公開され、何時コースが空いているか分かるしね」 Nさんは大層気に入ってくれたのだ。 8月初めから泳ぎだして、体がだんだんと慣れてきた。 距離を延ばすにつれて、どれくらい泳いだか数えるのが面倒だから泳ぐ単位を決めた。 50mを2往復で200m、そこで一度インターバルを取り息を整える、これを1本としている。 これを何本泳いだかで、泳ぎこんだ距離を掴んでいる。 今のところ5本で止めている。 五十肩で泳ぎを中断して五年程、その間に歳は何故か五才とった訳で(笑、 体力的に無理は禁物というもの有るが、深刻な事情は別にある。 コースが空いているのは正午から三時頃まで、この時間帯は体育会クラブも練習を避けているようだ。 インターバルをゆっくりとり5本泳ぐのに4〜50分程、競泳公式プールだからサン・プロテクト使用はご法度。 この時間帯、これ以上の時間お陽様に背中を晒していると、火脹れになるのだ。

プールを上がり休憩室から写真を撮った。 プールではこれが実に”危険”な行為なのである。 併設の室内25mプールではレディも泳いでいる、 こちらは怪しげな初老の親爺、パシャリと景色を撮っていても、見つかれば”職務質問”を受けることは間違いなし。 そんな危険を冒して撮った一枚がコレ。 50mプール、コース中央に一つだけスイミングクキャップが写るのみ。 穴場だろう!
■2010.08.19 morning
管理人
四時に目が覚めた。 陽の出前、モーニングドライブに出掛けた。 東の空に炎のようなお陽様が頭を出して来た。 窓は全開、市中を制限速度30Kオーバーで走り抜けた。
BGMは、もちろん”ラヴァー・ソウル” 帰り道、背中にお陽様が覆い被さってくる。 前を走る長距離トラックのアルミパネルに二度目の陽の出をみた。往復1時間のドライブ、昼間なら2時間超のドライブに相当する。 昼過ぎにはこのお陽様をプールの底に見ることになる。 負け惜しみだが・・・・・、 1時間のドライブと、150円の料金でも、トロピカル・ソウルが味わえるのだ。
■2010.08.17 night
管理人
「そういえば貴方・・・・・、」 今更に気が付いたように妻が笑う。あごひげを生やしてみた。 10日程で、長い奴は5mm程になった。 もともと濃い方ではない上に白髪で山羊さんのヒゲのよう。 残念だが、我ながら貧相過ぎる。 密かに期待していた哲学者の風貌には程遠いのだ(笑。
■2010.08.16 morning
管理人
午前中は何処かの高校のクラブが全コース占有。 夕方も同じ。 炎天下の正午前後は体育会系の若者も敬遠している だからその時間帯だけポッカリとコースが空いている。 平日のそんな時間帯に通い始めてもう二週間。

大体1km程、時間にして40分から50分程のスイミング。 背中はひたすら真上のお陽様の方を向いている訳だから、 そちら側はきれいなココナッツ色に変化。 それに比べ胸から腹は未だに異様に白い。 夏休みを宣告して2週間。 体は見事にツトーンカラーに変化したが、心はまだまだ。 何事も3日、3週間、3ケ月という、もう少しの辛抱だと思っている。 当面の鍛錬場はオリンピック公式屋外50mプール。
初期投資は買い足した夏用のメッシュキャップが千円ほど、利用料金は2時間で150円、施設は公営だから年金生活者に優しい。 今日も正午から1時間程。 スイミングキャップとカルキのせいで少し髪が薄くなったような気がするが、 代わりに肩に少し肉が付いてきたような気がするのだ。
aaghさん、はるか遠方から闘争勝利!
■2010.08.07 night
管理人
新聞で読んだのだが、メランコリックってのはうつ病なのだそうだ。 最近は初老にその症状が多いそうで、 私なんぞはそれにドンピシャリ。 そんなメランコリックな風景が車窓を流れていく。通勤で親しんだ便より2便遅いJR列車、一週間ぶりに所用で元職場に顔を出した。 「少し老けたたんじゃないですか?」 「(記念に贈った)アロハシャツ着てくるかと思っていたのに」 職場の元同僚♀にそう声を掛けられた。 地味(な服装)で通した元職場に、アロハシャツで出掛ける根性は未だ無いのだ。 昨日は8月6日金曜日、所用を済ませた後に8.6の集会に参加する予定だった。 街に出るのは一週間ぶり、集会まで時間が空いたので繁華街をブラブラ。 うなぎ屋の暖簾をくぐり、一人贅沢にうなぎ丼の上を注文。 メランコリックな気分に覆われていたのでうな丼なのだ。 まあ・・・・、私のメランコリックはうな丼で追い払えるから容易いものだ。
musicプレヤーを停止して再生スタート ムービーで講演する方は漢字名で李載春さんという。 参加した当地の8.6原水禁集会では光州「5.18拘束負傷者の会」の特別講演があった。 1980年当時、李さんは21歳で軍人だったそうだ。 軍人と云っても自宅から出勤し自宅に戻る軍人で、地域の防衛軍のようなもので普通の軍人とは少し違うとの説明が有った。 その軍人が、市民に暴虐をふるう戒厳軍に憤り、道庁に立て籠もり戒厳軍と銃撃戦をやったのだという。 結局、彼は5月27日の最後の日まで道庁に立て籠もり、最後まで抵抗して逮捕される。 「私は軍人だから間違いなく死刑だと思っていましたし、一緒に捕まった仲間も皆そう思って大層心配してくれました」 だが判決は意外や懲役15年、死刑を免れた李さんは、裁判官がとてもハンサムに見えたと云う。 レベルは桁外れにちがうが、私も裁判官が神様のように見えた経験がある(笑。 結局、全斗換大統領の特赦で1年ちょっとで娑婆に出られたそうだ。 三人目の講演者は、5.18当時18歳で高校を出たばかり、ムービー画面では通訳の女性の隣に座る方。 アメリカ文化センターに火炎瓶を投げ込み放火を試みたそうだ。 火炎瓶がうまく発火せず、止むなく石油缶を背負って屋根に上ったそうだ。 屋根瓦をはがし、石油を掛けて屋根に火を付けたが、消防車が駆け付け消火されたという。 結局指名手配で逮捕され、懲役4年。 前述の李さんのような特赦はなく、丸々四年刑期を務めた。 軍人でありながら戒厳軍と銃撃戦を交わした軍法会議ものの者でも特赦があり、方や放火犯には無し、 こと”反米”闘争者には統治者アメリカに配慮し、手心が無かったかと納得した次第。 集会が終わり、姉御、長老などと遅いサロンに参加。 「いや〜、レベルは違うけど、ワタシは今夜の話は他人事では無かったですよ」 「私等の場合は、間違ったら命の危険は有ったけど、間違わなかったらその恐れはなかった訳ですから」 「ですげど彼等の場合は、間違わなくても命の危険が有った訳で・・・・・」 「でもね、知ってます?」 「当時光州5.18で、学生が云ってた事を」 「それはね、『日本の全共闘のように頑張ろう』って云ったらしいですよ」
一緒に集会に参加したJanJan記者をしているNさんが相槌をうった。 「私は韓国に幾度となく行ってるけれど、」 「1969年に行った際、韓国の学生が日本の学生運動に非常に関心を示していた事をよく憶えていますよ」 ところで軍人でありながら光州市民の側に立って戒厳軍と銃撃戦をやり遂げた李さん、 管制塔占拠の前田隊長に雰囲気がよく似ていると思ったのだ。 季節と同じ様に、熱い金曜日だった。
■2010.08.03 morning
管理人
我が身、我が心を環境にカスタマイズのため、夏休中です。 その内、再開します。
my
favorite songs Mary Black The Water Is Wide
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