■2010.09.30 morning
管理人 参ったのだ。 両隣りは日大全共闘副議長の矢崎さんに同じく組織部長の今さんなんだもの。 一兵卒としては完全に委縮する訳だ。
ほんでもって発言は初っ端だから。 写真に映るように今回は930同窓会+公開座談会。 「**さん、発言者で頼みますよ」
事前に三橋先輩にそう言われていたのだが。 云いたいことは既にHPで云い尽くしているから、あらためて何を喋っていいのか戸惑っているうちにマイクが回ってきた。
それに何度も云うが初っ端だ。
 やっぱ、さすがだった。
矢崎さんの味のあるおトボけ、今さんの意外な生真面目さ。 副議長と組織部長は伊達じゃない、私もあんなにビシッと決めたかった。 単ゲバでは絶対負けないつもりだが、弁舌では一兵卒と将校の差は歴然だった。 それにしても今さんの生真面目さは意外だった。
此処だけの話で内緒だが・・・・(笑、 今さんはかつてバリバリの**派、 アジ演説は上から目線でチョ〜偉そうだったし、 云う事はこ難しく、かつ教条的。
極論云うと、日大全共闘をセクトの草刈り場ぐらいにしか思ってないのではと思っていた。 正直、好きでなかった訳だ。 「エッ・・・嘘だろう」
昨年の情況12月号、今さんが寄稿したページを読んで目が点になった。 40年前、セクトという教条で固められた鎧の下は、当然だが私等一兵卒には全く見えなかった。
その鎧が、40年という歳月でボロボロとはげ落ち、生身の組織部長が私等の前に現れた事になる。 その「思い」は一兵卒の私等と寸分違えないのだ。
私の横には、鎧を脱いだ、私にも見える今さんが座っていた、 嬉しかった。
■2010.09.29 morning
管理人 27日朝、ラッパさんと東銀座で待ち合わせ。 二人でふるさと回帰センターを訪れ、高橋ハムさんに会った。
ラッパさんによると、先日、高橋ハムさんに島泰三さんを紹介したという。
ご存知の方も多いだろうが、島泰三さんは'69年安田講堂攻防戦の時に学部生の守備隊長を務められた方。 因みに、院生の守備隊長は今は亡き今井澄さんだった。 島泰三さんは東大全共闘の中でも稀有なバリバリの肉体派、それに大の日大全共闘ファンである。
その日大全共闘に対する思い入れは著作「安田講堂
1968‐1969 (中公新書) 」にも綴られている。 ラッパさんは日大全共闘芸闘委行動隊長、 島さんは東大全共闘安田講堂守備隊長、
その行動特性上に於いては一卵性双生児といっても過言ではない。 その共通項ゆえか、ラッパさんと島さんは大の仲良し、家族ぐるみの付き合いが続いているそうだ。
勿論・・・・・、絶対に比べてはいけない部分もあるのだが(笑。 高橋ハムさんは知る人ぞ知る、早稲田反戦連合の猛者。 僅かな手勢で、□○を蹴散らし、□○に完全制圧されていた早稲田本部にバリケードを構築したという逸話の持ち主。
最後は□○に拉致され、凄惨なリンチを受けて山中に放置されている。 その時、死んでいてもおかしくない方。 島・ラッパのペアに早稲田のハムさんが加わり、東大・早稲田・日大のゲバ隊長トリオになった訳で、
これは・・・・恐ろしい事なのです(笑。 まあ、冗談はさて置いて、 高橋ハムさんとは今まで何度か同席する機会は有ったのですが、懇意にお話ししたのは今回が初めて。
小柄ながら引き締まった体、優しい表情の奥に意志の強さを感じる眼差し。 しばし談笑を続けていると、 「そうだ、**さんは私の本読んでくれたかな?」
「済みません、仲間伝手に出版記念パーティーにはお招きを受けていたのですが・・・(汗 」 「何せ、往復の費用がかさむもので・・・(汗 」
 
そういうことで、「兵どもが夢の先」を著作者本人から著作者割引で購入。
「ところで**さん、全共闘白書の資料集は持っている?」 「立松和平の追悼文集は持っている?」 次から次に本が出てきた。 勿論、これらは無料で有り難く頂いた。 高橋ハムさんと会った後、まだ何ヵ所か訪問先が有ったもので、
バッグは有り難い重みで、結構肩に食い込みました。
■2010.09.28 morning
管理人 「俺さー、お前さんに会ったの久し振りに思えないんだよな」 「歳で仕事のポスト変わって暇でさ、職場で頻繁にお前さんのページ見てるから」
「最近は昔のページまで遡って見ているよ」 26日の930同窓会、理工学部の先輩にビール注ぎに行ったらそう言われた。 そうか、見てもらているのか、嬉しかった。 しかしだ・・・・・、
この先輩は悪い奴なのだ(笑。 先輩は理工学部のブンド情況派のボス(もう「某派」ではなくはっきり明確に書くのだ)。
この先輩の御蔭で、なんの義理も無いゲバに何度駆り出されのか。 まだ、つけは返して貰っていない。 そもそもの発端はHP本文の「阿佐ヶ谷」にも書いてるが、
この先輩の配下の仲間に、情況派の親分で通称「カメ」という御仁を匿ってくれと頼まれた事から始まる。 なんでもブンド間の諍いで、身に危険が及んでいるとの事。
何の関わりもない私の阿佐ケ谷北のアパートは絶好の隠れ場だった訳だ。 もし見つかって襲われれば、私も一緒に脳天にハンマーだったが、当時そんなリスクなぞ露も考えなかった。
親分には飯は作るは、買い物には行ってやるは、私としては随分世話をしたつもり。 勿論、謝礼は無かったが、将来の地区ソヴィエト議長のイスは約束してくれた(大笑。
この約束もまだ果たして貰っていないと先輩に云ったら、 40年経っての返事が、 「ワハッハッハッ・・・・・」 「おい**、ちょっと手伝ってくれ」
この後から、親分を無事匿った功績なのか頻繁にこの派からお声が掛りだした。 たぶん最初だったと思う、呼び出しで指定された医科歯科大に出向いた。
眼下にお茶の水橋が見下ろせる屋上で隊列を組むと、短い樫の棒が全員に配られた。 前後関係は全く吹っ飛んでいるが、明大学館付近に機動隊の阻止線が張られている、その阻止線を実力突破するとアジられた。 お茶の水の通りに降り、機動隊とにらみ合った。
「突っ込めぇ・・・・・・」 デモ指揮の突撃合図で正直にジュラルミンの楯めがけて突っ込んだ訳だ。 横を見たら居たのは十数人、それも殆どが日大勢、残りははるか後ろに居る。
日大全共闘はホント馬鹿だと思った。 この話も先輩にした、そしたら、 「そうだ、そんな事も有ったな、ワハッハッハッ・・・・・」 その次は、民青の安田講堂前の全国集会。
これも前後関係、及び主旨の記憶は吹っ飛んでいる。 お茶の水カルチェラタンの突撃行動が高く評価されたかどうかは知らないが、二度目のお呼びだった。
5〜60人の部隊だったと思う、もう少し居たかも、地下鉄丸ノ内線でお茶の水から本郷に向かった。 東大の正門前に着くと、安田講堂の前は全国から集まった民青の皆さんで埋め尽くされていた。
正門を入り、気合い入れのアジテーションを聞かされた。 目の前の民青の全国集会に突っ込み、集会を粉砕すると云うのだ。 相手は数千人、こちらは5〜60人。 突撃の合図で、この時も真面目に突っ込んだ。
民青の皆さんは蜘蛛の子を散らすように逃げる。 普通ならこれで集会粉砕で大勝利なのだが、なにせ相手が多すぎた。 ハタと気がついた時は、周りは民青に囲まれていた、大海に飲み込まれたアリと思えばいい。
「固まれ、今から包囲を突破して正門外まで撤退(逃げる)するぞ」 まあ、これは適切な戦術判断だが、そもそもの戦術は全くでたらめ、いかにもブンドらしい。 私は命からがら正門まで逃げおおせたが、当然「欠員」が何名か出た。
みなみな血相が変わっている。 本郷三丁目駅までの道すがらは、全国集会に参加する民青の隊列がその時もまだ続いていた。 着いた地下鉄のホームにも、入ってくる電車にも民青の集団が。 血相を変えた赤ヘルの隊列と、歌声さわやかな民青の隊列。
当然だが、穏便にすれ違うとは思わないだろ。 その通りだった訳だ。 安田講堂前での「欠員」の奪還は、等価の「物々交換」で決着をつけたと覚えている。
交換用の「物」はどこで調達したか、それは秘密だ。 亡・中村君が線路に放込れ「虐殺」された時、被っていたとされる証拠物件のヘルメット
ところで、この件に関しての先輩の一言。 「えっ・・、お前もあの時居たのか?!」 「ありゃ〜面白かったよな」 要約すると、その様な内容のリアクションだった。
人をこき使い、引き回した反省も謝罪も一切無かった訳だ。 だから、私は赤ヘルが好きなのだ。
■2010.09.26 morning
管理人 当初は昨日25日の土曜日に上京することにしていたのだが、新しい職場の行事が割って入ってきていた。 労働安全に関するセミナーで、私はその事務局なので外す訳にはいかなかった。
職場環境や健康面で労働安全を管理する産業医の講演と意見交換で二時間程。 講演会終了後、講師の医師や関係者スタッフで懇親会を持った。 産業医の先生は二歳上で、元ゲバ医学生だったという情報はサロンの長老から入手していた(笑。 関係スタッフが同席しているので、その方向の話をしなかったが、 「先生、学生時代のお噂は**さんから聞いていますよ」 そういうって一献差し上げた。
医師は「ウッ・・???」 怪訝な顔をされていたが、同席していた同僚の医師が、 「そうか、**さんから聞いているか」 「なら、バレバレだな、ワハッハッハッ・・・・・」 理解してくれたようだ。 宴も盛り上がってきたころ、もう一人威勢のいい方が。 「靖国を敬う右翼が『親米』なんてちゃんちゃらおかしい」 「お国の為にアメリカと戦い逝った英霊を敬うなら『反米』が道理、それをいうなら俺の方が正統な右翼だ」 威勢のいい方は旧労働省所管の某地方行政機関の長だった方。 その良き思想性からだろうか、労働行政で何かとアドバイスを頂いている先生。 一献差し上げに行ったついでに、 「先生、大学は何処だったんですか?」 「中大の法科」 「何年にご入学ですか?」 「1969年」 「私は遅れてきた全共闘だったよ・・・、ワハッハッハッ」 この後の話の展開は説明しなくてもその通り。 元・某地方行政機関の長で労働行政に色々とアドバイスを頂く先生、 私は某団体のパートタイム事務員、 当然、私は先生に敬語で話をしていたが・・・・・、 途中から先生の方が敬語に変わっていた。
帰り際、自称右翼の先生と携帯番号を交換しました。 そういう事です(笑。 帰国する妻とすれ違いに、今から上京です。
■2010.09.20 night
管理人
午後二時過ぎ、 ロードの途中、河原へ下りてしばし足を冷やした。 写真に映る河原は風情が有るが・・・・・、実は、後ろでは若者の集団が大騒ぎ。 ワゴン車の後部を開きスピーカーをガンガン鳴らしている。 気持ちいい河原、いやはや、もっとましな楽しみ方があると思うのだが。 爺さんのボヤキなのだ。

時差を計算すると、妻は起床し朝食をとっているだろう時間帯。 彼女、最近とみにお酒に強くなったから、 朝からワインかビールだろうか? 帰ってきてから話を聞くのが楽しみだ。
そうそう、 坂道で、転倒覚悟で、ペタルこいだら、 スピード計は38Km/hを指していた。 次はマジ死ぬ気で(笑、 40Km/hオーバーを目指すのだ。 闘争勝利!
■2010.09.20 morning
管理人
困った、家中何処を探しても”洗濯”するものが無い。 妻の留守中、家中を綺麗にしておいてやろうと(良い心がけだろう!、自画自賛)、 片づけ、フローリング磨き、その間に片っ端から洗濯していたらもう何も洗濯する物が残っていない。 日頃の行いが善い証拠なのだが、貧乏症だから、これはこれで寂しいものなのだ。 昼からロードにと思っていたが、少し早めに出る事にする。昨夜、”師匠”へのレポート代わりに装備強化の進捗状況を日記に綴った。 起きてメールを開くと、次なる装備強化の指示が届いている。 今度は「パワーグリップ」ちゅうもの、私なりの理解はペタルの「拘束帯」 紹介されたネット通販を見ると税込みで4095円。 ”師匠”の解説には、 >ただ足をペダルに乗せている状態とは、段違いにペダリングが快適かつ効果的になります。
 反射板と競合するから付くのかな?
御蔭さまで、 装備の強化は師匠の有難いアドバイスで順調に進んでいる。 昨日のサイクルコンピューターでも取り付けてもらって2千円足らず、 四輪車と違い、二輪車の装備品は年金+α生活者にも優しい価格であることも嬉しい。 当然だが、ヨットと比べると何十分の一。 二輪用のグッズやウエアーを選んだりする楽しみも増えた。 諸々、良いことづくめなのだが一点において懸念する事がある。 レトロ親爺の脚力と総合体力。 今朝起きぬけ、久しぶりに体重計に乗った。 8月末のメモリーと比べると体重+0.9Kg、体脂肪で+0.1。 8月の1ケ月で2Kgの減量だった訳で、半月で0.9Kgの”返品”を食らったことになる。 9月から再びデスクワークに就き、予想通り確実に坂を下っている事になる。 この”返品”、どうやって再びお返ししようか?
■2010.09.19 night
管理人
昨夜はロースカツにキャベツを添え、かぼちゃの煮もの。 一昨夜は刺身の盛り合わせとポテトサラダ、勿論スーパーマーケットの総菜で購入。 まだ、8時以後の半額タイムサービスまで待つ程の根性はない(笑。 連休二日目、妻が旅行に出て三日目になる。 今夜は何にしようか迷っている、そろそろ億劫になったからカップラーメンでもいいかも。「旦那さん、さぞご心配でしょう」 空港の手荷物カウンター、手続きをする妻を眺めていたら同行する女性に声を掛けられた。 「いやいや大丈夫でしょう」 そう返事したが・・・・、 私の表情は、初めてのお使いに行く幼子をみる眼つきだったのだろう。 時差は丁度マイナス7時間、 緯度は北海道より高いので、きっと涼しくて快適な旅になるからいいねと話していたのだが、 直前の情報で、夜は2度近くまで下がりますとのこと、急遽、出発間際に冬物を詰め込んだので、妻のボストンバックは満杯になった。 「おい、これでは(私の)土産物が入らないではないか?」 「大丈夫、主だったものは旅先から送りますから」 元気勇んで出かけて行った。
  ぼつぼつ”オタク”の傾向が・・・
昼前から街中サイクリングへ。 前回、飲み物やカメラなどなど諸々、シュルダーバッグに詰め込んでサドルをまたいだ。 疲れてくると、買い物で重くなったショルダーバッグが動き回り、そのたびにバランスを崩す、エライ目にあった。 背中に固定できるバッグの購入が今日のサイクリングの目的。 アウトドアショップにサイクル用バッグの良いものが有った。 ヘルメットボルダーが付いており、更に、不意の雨にパックカバーも内蔵している優れ物。 40数年前にこの手のバッグがあったら重宝したにと、しばし感慨。 迷わず購入。 サイクルショップにも立ち寄った。 JUNさんから勧められていた装備の「サイクルコンピューター」を物色。 店員さんに尋ねたら、「CAT
EYE」を勧めてくれた。 「おお、これこれ、友人が勧めてくれたものだ」、思わず嬉しくなった。 ついでにバーエンドも購入。 勿論、店員さんにサービスで装着してもらった、私はいい「カモ」だからそれ位はいいのだ。 私のビアンキの装備強化、順調に進んでいる。 帰路、フラットな路面、ハイギアで目一杯こいでみた。 サイクルコンピュターは時速30Kmジャストを表示。 ヘエヘエゼエゼエ、心臓が破けるかと思ったのだ(笑。 帰宅したら走行距離15Km、往路を入れると30Kmのサイクリング。 更に5Km程近辺を、 JUNさんの云った通りだ、この装備はペダルこぐ励みになる。 妻が不在の一週間先までに、 積算メーターは100Kmを越したいと密かに思っている、 今週末は某会議に妻の帰国と入れ違いで上京、そうなると残る休日は明日と23日の2日間、 街中サイクリングでは距離は稼げないから、やっぱロードに出なくては。 メットをビシッと決めて。 かつてのように、闘争勝利!
それでもって・・・・、入れ替えなし出入り自由、豪華三本立て一挙上映ほぼ決定!
■2010.09.15 night
管理人 サロンの次の取り組み。 11月の某日。 豪華3本立てで、入れ替えなしで前売り1000円。 監督のトークショーも予定(未定)。
 藤本幸久監督 「アメリカばんざい Crazy as usual」 「Marines
Go Home 辺野古・梅香里・矢臼別」 「One Shot, One Kill 」
■2010.09.13 night
管理人 
帰り道は秋の空 前職場の同僚が仕事上のアドバイスを伺いに訪ねてきた。
この元同僚、オタクと呼べるほどの車マニア。 一通り話が終わると、少しからかい心がムクムクと。 「それでさ、ワタシャ〜外車買ったんだぞ!」
「へえ〜、凄いですね!」 「ワーゲンですか?」 ベンツですか?、と云わないところが歯がゆい。 私めの生活レベルを充分承知だから、 せいぜい無理しても、その程度だと見下しているのがまたまた悔しい。 「違う違う、イタ車だよ」 「へぇ〜・・・」 「ランボルギ〜ニですか?」 こいつ、完璧に馬鹿にしてやがる。 「ビアンキちゅうメーカーなの」 「アウトビアンキですか、今時それってチョ〜珍しいですよ!」 「アウトビアンキ??」 「何だ、それは?」 車オタクをからかった私が悪かった。 その後、アウトビアンキなる四輪車の説明をクドクドと聴く羽目に。 ワタシャ〜、てっきり自転車専業メーカーだと思っていた訳。 かつての自動車のブランドとはついぞ知らなかった訳。
■2010.09.13 morning
管理人 丁度寝入りばなだった。 電話の向こう、札幌の悪友は相当テンションが上がっている。 「仲間内でな、1年半遅れの還暦を祝う会をやってんだ」
この野郎、酒の席からまたまた電話してきやがった、 寝入りばなを起こされたのもあり、かなりムットしながら応対した。 「お前な、また働いてんだって?」
「労組関係の職場らしいが、オイラは大嫌いだ」 「大体、あいつらは既得権にしがみついた特権階級だから」 まあ、云いたい事を次から次に抜かしてくれる。
全共闘をくぐった”特異種”には労組嫌いの輩が多い事は確かだが、 私をそれほどにそしる事はないだろうにと思うが。 酔狂に真面目に反応するつもりはないので「ハイハイ」と聞き流した。
私、 「とろこでお前さん、二年前の落とし前、今回はつけるんだろな」 「何なら、オイラが段取りつけてやるから」 あまり電話で騒ぐものだから、強引に友の泣きどころの話題に切り替えた。
途端に焦って、 友、 「いいよ、自分でやるから」 私、 「自分でやるって云ったって、全然進展ないじゃないか」
「いいから、オイラが何とかしてやるから」 その後、友は、私の”あの子”の話題に切り替えようと反撃の機会を伺ってきたが、そうは問屋がおろさない。
素面と酔っ払いのやり取り、駆け引きの優劣はおのずとはっきりしている 攻守反転、攻めまくってやった。 友は札幌で、 私は駿河台で、
十代の青春を見失ってしまったと思っている。 人は皆、青春をどこかに置き去りにしてくると思うのだが、 私と友の場合は、其の事に「あの時代」が絡んでいるので、しつこくてややこしいのだ。
■2010.09.12 morning 管理人 正確に云うとスポーツサイクルに乗ったのは生まれて初めて。
街中なので距離はさほどでないが、合計2時間程ペダルこいでた事になる。 当然、明日朝は筋肉痛に悩まされるだろうと床についた。 ところだが、起きてみると別にどこも痛くない。
変わったといえば手首にくっきりと日焼けの跡が付いているだけ。 8月、泳ぎこんだ成果だろうと思うのだ。 枯れススキのような頭は相変わらずだが。
「お〜い、アイツも一緒だって!」 「貴方、一緒ってなに?」 「イタ車、イタ車だよ」 嬉しくて妻に報告した。 夕方、用事で次男坊に電話を入れた。 話の後、こう付け加えた。 「父さんはな、格好良い自転車買ったんだぞ」 「へぇ〜そうなの」 「イタリア製だぞ(どうだ負けただろう!)」 次男坊は半年ほど前、通勤用に高い自転車を買ったと聞いていた。 通勤距離は5k程らしい。 ようは、息子と自慢比べしたかった訳だ。 当然、イタ車だから親爺の勝ちと踏んでいた。 「父さん、僕のもイタリア製だよ」 「ウッッ・・・」 「父さんの、何処のメーカーの奴なの」 「ビアンキと云ってな、老舗のトップブランドだわい」 「へぇ〜そうなの、僕のもそうだよ」 「・・・・・・・・、」 タイプは違うが、同じメーカーのものでほぼ同価格、その上に同じサイクル店で購入していた事が判明した。 悔しいが、この自慢比べは私の負けだった。 親爺たるもの、息子のものよりは高いもので在らねばならない、それが親の威厳なのだ。 同等のものでは、親爺の負けなのだ。 それに少しヤバイ事もある。 息子が云った。 「父さん、僕もクロスバイク欲しいと思っていたの」 今後、我が家に置いとく際も、ワイヤーチェーンは必ず掛けることにした。
my
favorite songs 斉藤和義 ずっと好きだった(LIVEは7日のYouTube版をどうぞ)
■2010.09.11 nightU
管理人 高校の関東同期会の案内が届いた。 11月の某日、お台場の某ホテル。 しかしだ、1時開催(2時間)と記してある。
1時に開催して2時間だと終わるのは当然3時ではないか。 同窓会が真昼間の3時に終わるわけがない。 当然、近場に場所を移して二次会が5時まで。
ここで関西日帰り組は引き上げるかもしれないが、その他大勢は更に三次会が8時頃まで。 ここまで想定するのは常識だろう。 しかし札幌の悪友、更に今回は関西の悪友と東北の悪友が結集すると言うから、常識どおりにはいかないだろう。
四次会、五次会と深夜までいく事が充分想定できるのだ。 案内状を受け取ってそんな事を考えていたら、 早速、札幌の悪友から電話が、 関西の悪友からはメールが、
東北の悪友には私から謀議の電話を入れた。 今回の関東同期会には二つの課題がある。 一つは勿論”あの子”。 40数年間、分からなかった”あの子”の所在がこの春つかめた。
4月10日には43年振りに電話で話した。 その後連絡を取ると言ったきりになっている。
関東同期会では一定の経過説明をする必要がある。 もう一つの課題は、札幌の悪友。 前回の関東同期会で、”複雑”かつ”微妙”な関係にあった同窓生♀との40数年ぶりの再会を私がセッティングした。
その折、友はもう一度会ってゆっくり話すと言っていたが、実現していない。 この間、幾度か機会を作ったのだが、その場になると友は逃げてばかりいる。
この決着を付けねばと思っている。 「それは余計なお節介!」 そしりが何処からか聞こえてきそうだが、お節介やくのが友というものだ。
そういうものなのだ。 人生、せいぜい後10年ちょとだろうから、全開で行くのだ。 そういうことなのだ。
■2010.09.11 night
管理人 主夫だから。 きちんと洗濯と掃除を済ますと9時過ぎ、9時20分に家を出た。 途中、自転車マークの入ったボタンを押さないと緑信号が点灯しない事に気づかず、信号2回待ちの時間ロス。
長い坂道もローギヤでスイスイと登る。 抜け道、近道を知らないので国道をひたすら走る。 職場10時10分着、ジテツウ(JUNさんがこう称した)のテストランは職場まで片道13K程、所用時間50分。
更に職場から3K程離れたアウトドアショップに足を延ばす。 サイクル用のレインコートを物色。 不意の雨用に軽く携行し易いものをと探すが、どれを選んでいいのか皆目分からない。 お店のお姉さんにアドバイスを、お姉さん、私が小脇に抱えているヘルメットをジット見て云った。 「ロードバイクにお乗りなら、お客様、絶対これですよ!」 「いやいや、ロードバイクではなくクロスバイクですが」 「でも、運転姿勢は前かがみになる奴でしょう?」 「それなら前かがみになっても背中が隠れるサイクル専用を、それにアンダーは腰部分が直ぐに擦り切れるからこの補強の入った奴を」 結果、レジで受け取ったレシートは3万円近かった。 お姉さんに弱い私の負けだった、私としてはあくまで不意の雨用のつもりだったのに、いいカモだった訳だ(泣。
 ベルとバックミラーを追加
まあ、間違った買い物ではないと自分に言い聞かせて、ついでにサイクル店にも立ち寄った。 「やあ、早速乗ってますね」 店主、カモが来たぞとばかり愛想がよい。 「ベルとバックミラー、良いの選んでよ」 2点でレシートは1323円、 こちらは店主の期待に応えられなかった訳だ(笑。 折角だから牧師様にもご披露せねばなるまいと迂回して教会へ。 四方山話にしばし花が咲き、帰路へ。 教会からの帰路は山手のルートを選んだ。 実はここからが地獄だった。 長いアップダウンが何ケ所も続く。 お陽様は頭の真上、露出した腕がジリジリと焼ける。 体中の体温が一気に上昇する。 長い上り坂、日陰で何度か休息して12時50分にやっと帰りついた。 午後はソファーでひたすらグロッキーなのだ。
■2010.09.08 night
管理人
8月、ひたすらプールに通い、 8月、ひたすら汗をかき、 8月、ひたすらウーロン茶で渇きを癒し、 8月、おかげで2Kg程、贅肉を絞った訳です。このまま続けば、時間の問題で20才の頃のウエイトに戻るとほくそ笑んでいたのですが。 9月に入り、環境が一変。 空調の効いた環境で、汗もかかず一日デスク。 それに、2〜3日に一度のペースで飲み会が、 このペースだと瞬く間に2Kgのお肉の返品+αがありそうで・・・・トホホの昨今です。 私の第二の青春は何処へ行ってしまったのでせう。
やっぱ、転倒覚悟で、 イタ車のクロスバイクこぐしかないのです。 闘争勝利!!
■2010.09.07 night
管理人
上のmusicプレヤーを停止して再生スタートを
わたくしめが、♂vocal ペーストするのは極稀です。 恥ずかしながら62歳、 私の気持ちもチョッピリ入っているようで、 リズムも歌詞も素直でシンプルで、この曲良いですわぁ 。
■2010.09.07 night
管理人
ロードバイク歴数十年、大々先輩のJUNさんから早速アドバイスが届いた。 ロードバイクには勝てないが、走ってみるとクロスバイクでもママチャリとはスピードの次元が違う。 転倒、接触、果ては衝突事故の可能性が・・・・、ママチャリよりはるかに高い。 それに、適正な加齢現象で、反射神経は順調に低下している。 事故はかなりの確率で見込まれる訳だ。JUNさんのアドバイスに素直に従いショップに出掛けた。 店員さんは真面目顔で云う、 「かよわきバイク、ロードで目立ってなんぼですよ」 店員さんがやたらこれを勧めるから、買ってしまったのだ。 しかし・・・・こやつ、色と云い、形と云い、やたら目立つ(汗。

この店員さんのセリフ、何処かで聞いた事があるような・・・・・。 そうか、私が何時もうそぶいているセリフなのだ。 しかし・・・・このヘルメット、 かような綺麗なお姉さんなら似合うのだが。
『あれ、完璧にヘルメットに負けてるよな!』 ゲバ・ヘルメットなら負けないし似合う自信があるのだが、 そんな声が聞こえてくるようで、親爺は当分の間、被って天下の公道を走る自信が無い。 それにしても、それにしても、 ホームセンターで売っているママチャリよりも高かったのだ(泣。
■2010.09.04 night
管理人
朝一番、以前から注文を入れていた海水ポンプをヤンマーに取りに行っていた。 この部品が届くまで船の修理が中座したままになっている。 10日程前、注文のためヤンマー店に行ったが、アッセンブリー一式で5万2千円と云われ顔が引きつった。 せいぜい1〜2万円程だとタカをくくっていたのである。 これほどの金額になると私の一存で購入する訳にはいかなく注文を保留していた。 ヨット仲間の(費用の)了解が取れたので今日やっと取り寄せた。先月末から再就労して一週間ほどになる。 当面は週4日程、一日六時間という希望はあっさり受けてくれたのだが、 一泊二日の出張が一回、業務の懇親会が二回あり、希望通りの勤務は一日だけだった訳だ。 まあ・・・・それは大したことではないが、 困った事は、月、水、金と週三回通っていたプールが一回しか行けなかった事。 働いているから当然だろうと言われればそうなのだが。 私は車を持っていないので、仕事の帰路にプールに通うという訳にはいかない、そこでハタと考えた。 朝晩の通勤を自転車にすれば結構な運動になる。 しかし、私は自転車も持っていない(笑。 そこで、海水ポンプを取りに行った帰りに自転車店に寄った。 自転車店の店主は、以前、仕事で面識がある。 「社長、適当な自転車選んでよ」 全くおまかせで一任した。 「用途は通勤、休日には少し街中サイクリングも」 「できればママチャリでなく、カッコ良い奴を」 お任せだが、少し要望も付け加えた。 店主が選んでくれたのが”イタ車”。 これが店でも巷でも今一番人気で「クロスバイク」というそうだ。 当地のようなローカルでは、別途に色違いなどを注文すると入荷に半年ほど掛ると云う。 そこまで言うならと即決。 まさか外車を買うとは思ってもみなかった(笑。
bianchi(ビアンキ)というらしい
専用の空気入れ、着脱できるランプ、イタ車純正のチェーンロック、街乗りが多いだろうからスタンドも付けてもらって防犯登録で〆て8万円ちょっと。 想定していた予算の倍ほどになったが、 何度も云ってるように私は家族の中で唯一車を所有していない、 そう思えば贅沢でも何でもないと自分に言い聞かせた。 待っていたら30分ほどで”イタ車”の整備は完了。 車のトランクに積み込む際に店主が、 「**さん、最初はこれ位で・・・・」 「でも・・・少し乗り込むと、この自転車の隣にあった奴が絶対欲しくなるはずですよ」 そう云ってニンマリ笑った。 確か・・・・・、 隣に展示していた奴は、30ウン万円と値札が付いていた(汗。
■2010.09.01 night
管理人
出勤一日目からして泊まりの出張(泣。 少し、約束が違うと思うのだが。
出張先での懇親会の居酒屋、 用を足していたら、水洗の音に混じってBGMが流れていた。 「ウム、何だこれは!?」 早速、YouTubeでググッてみたのだ。阿部芙蓉美 私達の望むものは
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