my favorite songs
 
■2010.10.29  night  管理人

「貴方、これ大吟醸よ!」
妻が上機嫌で云う。
大吟醸といわれても飲兵衛ではない私には何の事かさっぱり分からない。
私に分かる酒のグレードは、ビールか発砲酒ぐらいのもの。
長男がお土産に持って帰ってきたという。
そういうことで、昨夜の晩飯は「鍋」に即決。
妻によると、大吟醸だと「鍋」であるべきで、そうでなくてはならないそうなのだ。

「貴方はビールでいいですよね!」
姑息にも私を排斥して、息子と二人でしっかり飲むつもりらしかったが、
一人のけ者にされるのは悔しいので、
「私も頂く!!」、
決して飲みたかった訳ではないが、しっかり自己主張した。


私がさかずき二杯頂くうちに、
大吟醸は息子と妻のやり取りで瞬く間に底をついた。
その間僅か10分程。
せこい話だが、後で如何ほどの酒かとネットで調べたら、僅か4合で5000円近いではないか。
一升瓶に直すと軽く一万円を超す酒となる。
これは我が家の一大事件なのだ(笑。

ウ〜ン、
美味しい云えば、そうだと思うが。
飲兵衛でない私には、その値打ちがチト分からないのだ。






■2010.10.28  morning  管理人

「アワイチ」と云ってもマニアでなければ分からないだろうが、
「淡路島一周150Kmロングライド」が10月31日に開催される。
タイムを競うレースではなく、サイクリングを楽しむイベント。
コースは、
明石海峡公園(夢舞台)→洲本→南淡路水仙ライン→福良→湊→淡路サンセットライン→岩屋→明石海峡公園(夢舞台)
クロスバイクを購入した自転車屋さん、それにJUNさんからもお誘いを受けていたが。
とてもとても、私のような超初心者にはまだまだ無理。

アワイチの制限時間は10時間だそうで、タイムオーバーすると走行を続行出来ないそうだ。
単純に距離を時間で割ると、時速15Kmで10時間休みなく漕ぎ続けなければならない計算。
まあ、ロードバイクで15Km/hはないだろが、途中休憩を挟んでも平均20Km/hで7時間半漕ぎ続けなければタイム内に収まらない。
『JUNさん、貴方は一体何Km/hで漕ぐのですか?』

この1ケ月程で、時速20Km程度で1時間ほど漕ぎ続ける練習はしたが、それも数回。
チャレンジしても途中リタイアか、制限時間をはるかにオーバーすること確実。
行程半分でタイムオーバーすると、ワタシャ〜そこで誰かに救出して頂くか、それとも自転車担いで引き上げなければならなくなる(笑。

アワイチと同じように、
11月には「しまなみ街道」を縦走する80Km、120Km、150Kmコースのロングライドもあるそうで、
鍛錬が十分に足りればだが、来秋は「しまなみ80Kmコース」にチャレンジしてみようと思っているが・・・・、
しかし・・・、
一周ロングライドであれば、出発点に戻ってくるからいいのだが、
縦走であれば、フィニッシュ地点は出発地点と違う訳で、何方かに拾ってもらわなければならないわけで、
サポート役の協力者が必要。
しかし困った事に、妻は高速道を運転した事がないのだ。







■2010.10.27  night  管理人

「どうでした、貴方?」
帰宅すると、妻が私に聞く。
「うん、まあね・・・・」
妻は、
「そうでしたか、それは良かったですね」
更にかしこまって、
「おめでとうございます」と云ってくれました。

再び勤めだした職場、
今までは病休の事務局長の穴埋め役、臨時職員の処遇だったのですが、
今日の理事会で私の人事案件が承認され正規雇用になりました。
60歳をとうに越して再就職するとは、全く持って想定外なのです。

戸惑う私をよそに、妻は上機嫌です。
妻がこんなに喜ぶなら、もう少し働いてもいいかなと思った訳です。
でも、その妻は私にこう云いました。
「でもね、私は定年かっきりで辞めますからね」
「それでいいですよね?、貴方」

後で思うに・・・、
ちょっと格好付け過ぎたと思ったのですが、私はこう答えました。
「いいですよ、それで」
「貴女は十分過ぎるほど頑張り働いてくれましたから、感謝しています」

妻が働いてなければ私の安月給だけでは、二人の息子達を、この田舎町から遠く離れた都会の大学まで行かすのはとてもとても無理だったと思っていますので。
妻のお陰だと、心底そう思っていますので。






■2010.10.25  morning  管理人

「大丈夫、大丈夫!」
「お母さん、すぐ来るから、大丈夫だよ」
何とかなだめて泣き止んだが、時折肩がひくついている
雨で濡れた肩と頭をタオルで拭いて撫でてやる、
幼児特有、髪がしなやかで柔らかい。

昨日は前の職場の業界イベント。
非常勤役員で籍だけは残っているので、休日なのにしっかりと動員が掛った(泣。
もう職責の”耐用年数”はとうに過ぎたポンコツ親爺、使いものにならないから本部席に鎮座。
小雨が降ったり止んだりの生憎の天気の下、
会場で迷子が出るたびに、その世話が私の重要な任務だった訳だ。


一回目の迷子呼び出しアナウンスでは母さんはなかなか現れない。
再び幼児の肩が小刻みに震え始める。
もう彼の不安の限界を越したのだろう。
見ていて私も涙が出そうになる、二回目のアナウンス。

やがてお母さんらしき方が近づいてくる、坊やの顔が一瞬ひきつる。
女性は申し訳なさそうに笑いながら、「どうも済みません、大変お世話を掛けました」
坊やの顔が崩れて大粒の涙、母さんにしがみつき嗚咽しながら何やら必死に訴えている。
多分、ハット気が付いたら母さんが視界から消えていたのだろう。
迷子になった理不尽さ、恐怖、不安さを訴えているのだろう。
「ごめんね、ごめんね!」
お母さんは坊やをしっかり抱きしめ、優しく頭を撫でている。

かつて遥か昔、糸のようなかすかな記憶しか残っていないが、もしも母さんが居なくなったらと思った事が何度かある。
必ず、周りの空気に押し潰されるような恐怖にも近い不安感に襲われた。
そんな、母さんが私の全てだった時代が、私にも確かにあった。
催しは午後からひどい雨に、片づけでずぶ濡れ散々だったが、忘れていた遠い昔の懐かしい記憶を思い出させて頂いた。






■2010.10.23  morning  管理人

(職場の)近くで、何やら憶えのある声がするので廊下に出て隣室を覗き込んだ。
姉御がパンフとチケットを携えて話をしているではないか。
なになにとパンフを覗き込むと、地元「女性Q条の会」の講演会。
姉御が付き合いで「女性Q条の会」に入信している事は知っていたが、まさか此処までチケット販売の営業に来るとは驚き。
デフォルメすれば、ブクロの前進社に□○がチケット売りに来たと同じと云ってもよい(笑。

夕刻のサロン、
「貴方はエライ、いくら(女性Q条の会との)義理付き合いとはいえ、私の所(会館)まで営業に来るとは」
「姉御だから、煙たがられず話を聞いてくれたのだよ」
「怖いもの知らず、さすが姉御!」
「ところで、確かエレベーターで日教組の委員長と一緒になったろう、チケット買ってくれたの?」
「そうだよね、委員長が『Q条の会』関連を買ってくれる訳ないよね、ワハッッッ・・・・・」
持ち上げるのと、けなすとのバランスを慎重に取りながら、笑ってこきおろしてやったのだ。

サロンの帰路のバスの中、バス停で一人客が乗り込んできた。
ICカードの読み取り機の位置が分からず入り口でウロウロしている、振り返ってみると仲の良い私の地元の首長。
首長のカミさんはとは元同僚の仲だし、他にも色々とご縁がある。
「やあ、**さん珍しいでね」
「タクシーでなくバスでお帰りですか?」
首長、
「そうです、公用のタクシーチケットも頂いていますが、バスの方がエコですので」

さすが上に立つ方、殊勝な心掛けだが、
思うに、
タクシーを利用すると、税金で業界労働者の雇用を守る事につながる訳だし、
バスを利用すると、エコで、かつさびれた地方公共交通を守る事につながる訳だし、
立場上、多く選択肢があって大変、
この一点では自由な一市民で良かったのだ。

そう云う事で、
首長と「地方自治」と、此処のところ聞き覚えの「新しい公共」について真摯な議論しようと思って駅前の酒場に入った(嘘。
しかしというか、案の定、
懸案の真摯な議論には至らず、お互いの家族の話や共通の趣味の話に終始したのだ(笑。
サロンを出たのは午後九時前だったのに、帰りついたのは午前様だった。






■2010.10.22  morning  管理人

風雲きわまるこのご時世に『レトロな同窓会話でもないだろうに』、とそしりが聞こえてきそうなのだが。
まあ、居直りだが・・・・・、
ご時世は何時も風雲きわまっているわけで、私は”今”が特段にきわまっているとは思わない。
それに・・・・あれこれと、声高にアジテーションするのはもう止めているもので。
そうしなければ、じっとしていられない方は勝手にどうぞです。

高校の同窓生のオバ様・・・・、
もとい、女の子達の話を聞くのは楽しい。
専業主婦だった子、教師を務めあげた子、自営業の子、医療専門職だった子、それぞれに話題も視点も違う。
そんな人生の違いにもめげずに、彼女らは実に巧みに話題を繋げてゆく。

帰省組の一人は中学校の同窓会も兼ねて帰省したという。
60人前後の出席があったらしい。
私等の世代は団塊、何処の中学も教室はスシ詰でクラスは50人を優に超していた。
三クラス有ったと云うから、同窓生は少なくとも150人以上、出席を勘定すれば4割近くになる。
彼女の中学は近郊の田園地帯、昔ながらの結びつきが多い地区だからだろう。
出入りの多い市街中心部だった私の中学では、(出席は)こうはいかない。

「ところで、**くんの(中学の同窓会)はどうなの?」
私にも突っ込みが入って来た。
「まあね・・・・・」
同窓会を仕掛ける”取り組み”は四月以降、半年近く棚上げにしている。
この”取り組み”は、姑息にも”あの子”を探すネタに使ったもので、そこいら辺は説明し難いのだ。
このような”ゆるい”やりとりが実に心地良い。






■2010.10.21  night  管理人

首都圏の同窓生♀二人が帰省してきており、先日、何時もの通りお呼びが掛った。
此処のところ、帰省してくる同窓生から頻繁にお呼びが掛る。
言っておくが、高校時代、私は決して人付き合いは良くなかった。
なかんずく、女の子から声を掛けられるなんて事は全く持って”皆無”だった。
それが、『なんてことでしょう!』ちゅうセリフではないが、
現状は『なんてことでしょう』、なのだ。

当地で一番高い(値段ではなく背丈)ホテルの最上階のレストラン、
帰省組二人♀に地元一人♀、それに私の四人で大昼食会。
11時半にロビーで待ち合わせて、再びロビーに下りてきたのは午後二時過ぎ、昼食会は二時間半に及んだ。
それ位居座っても、ランチは1000円+デザート200円也、三対一だから当然割り勘。
ホテルだからゆったりしているし、座席を追い立てられる事もなく寛げた。

「父さん、笑って」と珍しく息子がパチリと撮ってくれた

私の精神構造は、二年前の還暦同窓会を契機に大きく変化したと思う。
それが証拠に、このオバ様達・・・・、
もとい、女の子(笑)達の話を聞いていて、素直に楽しいし退屈もしない。
「また今度もご一緒しましょうね」
別れ際に、彼女等からそう声をかけて頂いた。

思うに、
ニコニコ顔で聞き役に徹しているのが全く苦にならなく、素で出来る。
私は何時から”癒し系”になったのだろう。
かつての、ヘルメットにゲバ棒も随分の変身だった訳だが、
今般の変化も、肩の突っ張りがとれたと云うか、我ながら随分だと思う。

闘争勝利!、なのだ。






■2010.10.21  morning  管理人

再び働かせていただいている職場は頻繁に出張がある。
11月、楽しみにしている高校の関東同期会の直後に東京への出張が入ってきた。
早速、エアーチケットを手配したが割安チケットは既に売り切れ。
止む無く規定料金に近いチケットを予約した。
出張だから自腹が痛む訳ではないが、大損したような気分。

「エッ・・・・貴方、一週間に二度も東京へ」
「私なんか年に一度も東京へ行かないのに・・・・」
「でも、一週間に二度お土産が頂ける訳ね!」
妻は呆れていたが、ノルマもしっかり頂いた訳だ。

プライベートは詳しく書かないが、職場は労働組合業界の横の連携機関のようなもの。
だから、いろんな労働関連団体の集会や催しからお呼びが掛る。
お呼びが掛ると、手勢の少ない職場だから、誰かが挨拶や何やらで参加・出席する。
誰かがと云っても、それが私なのだ。
近場はそれでもよいのだが、全国集会などは大都市となってしまう。

一昨日、札幌の悪友から手紙が。
書き出しには、こう綴られていた。
「もう(同期会には)一ケ月程になったな」
「危なく、東京に行くどころの話ではなくなるところだったよ」
連絡ならメールが早いのに、このオヤジはいつも必ず手紙を使う、私以上のレトロなのだ。

つい最近、家族に起きたアクシデントが生々しく綴られている。
娘さんが交通事故を起こしたそうだ。
不注意で他車に激突しそうになり咄嗟に急ハンドル、娘さんの車は横転して道路下に落下し大破。
普通なら重傷、即死してもおかしくない事故、それがかすり傷程度だったという。

「シートベルトが無かったら私は死んでいたかも、人生の運を私は(これで)使い切ったかも」
翌日、落ち着いてから娘さんにこう言われたという。
助け出された時、娘さんは横転し大破した車の中でシートベルトに宙づりになっていたそうだ。
相手も車体片側が大破したが、幸いにも人に怪我は無し。
警察官、「娘さんに怪我が無ければ今回は物損事故で処理します」
不幸中の幸いとはこの事を云うのだろう。

関東同期会の際には娘さんも一緒に上京するそうだ。
親爺が同窓会に出ている間、彼女は物見遊山の予定だそうだ。
娘に甘い親爺の典型なのだ。
悔しいが・・・・、
私には娘が居ないので羨ましいのだ。
ここはひとつ、是が非でも息子たちにプレッシャーを掛けねば。






■2010.10.18  night  管理人

筆無精しています。

マイ・フェィヴァレイト・ソングスの更新だけです。
ささやかですが、家族に嬉しい事がありましたので、
かなり長い、カップラーメン3杯分のこの曲です。

 my favorite songs   BB King   To Know You Is To Love You








■2010.10.12  morning  管理人

出張一日目の夜の懇親会。
新しい職場の出張なので、当然、会場に顔見知りは居ない。
立食形式だったので、適当なテーブルについた。
私は此方から積極的に声をかけていく性格でないので所在なさげにしていた。

周りを見回していると見覚えのある顔が目に付いた。
それが元・民青全学連委員長のN戸さんだった訳だ。
「やあ、この前はどうもお世話になりました」
渡りに船でそちらのテーブルに移動した。

N戸さん、前回同席した某会議で管理人撮影

断っておくが、痩せても枯れても、アチラ系ではあるが元全学連委員長、
今は某業界のトップを勤めている。
私は某労働団体の事務員、僅かに面識があるだけでタイマンはれるような関係ではない(笑。
隣にいたN戸さんの団体の専務さんと名刺交換。
その隣の某全国団体の部長さんと名刺交換。
全てアチラ系の皆様だ。
僅かな伝手を使い、今後の仕事の為、アチラ系の団体幹部との人脈つくりに精を出した訳だ。

'70年か'71年か記憶は飛んでいるが、東大安田講堂前の民青全国集会に一兵卒で突っ込んだ話を以前日記に綴った。
N戸さんの履歴によると、私が突入した集会の演壇に彼が居た可能性が非常に高いと思う。
ややこしい思想の話はさて置いて、
当時、アチラ側のピンに居た方と、コチラ側のキリに居た者が同席し酒を酌み交わした訳なのである。
ピンとキリの関係は今もって変っていないが(泣。






■2010.10.09  night  管理人

実は、出張先で'70年頃の元・民青全学連委員長N戸さんにお会いしたのは今回で二度目。
前回、名刺交換しているので、今回は「ヤアヤア!」とご挨拶。
二回目でかつ懇親会場ということもあり、和気あいあいと歓談した。
勿論、当方がかつて不本意だが”トロ”とか”暴力学生”とか呼ばれた事は決して明かしてない。
まあ・・・、そのような事はさて置いて、お互い歳相応に頭が薄いことに親近感が沸くのだ。

今日の帰路はかなりスリリングなフライトだった。
「天候によっては別の空港か羽田に引き返すことも予めご承知ください」
30分ほど早い隣の搭乗口ではこうアナウンスされていた。
幸いな事に無事帰着したが、何せ前線をくぐってのフライトだったから、久しぶりに二回ほど床を踏ん張った。



少し気になった事があるのでググッてみた。
エ〜ト、N戸さんの委員長在任は'73年とあるだけ。
何時から何時までの在任なのかの記述はネットでは見つからない。
ウキによると民青同盟や民青全学連が共産党本部から査問を受けた新日和見主義事件は'72年5月だから、N戸さんは査問をくぐり抜けたのか、入れ替えで登場した新委員長なのか分からない。
しかし、いずれにしてもその渦中に居た事だけは間違いない。

私はあれから40数年、
許せない事は頑として許せないが、
許せる幅も随分と広くなった。
N戸さんにお会いする三度目の機会が近々にある、立場は違ったが同じ時代を生きた者同士、あの時代は何だったのか聞いてみたいのだが、
無理だろうな・・・・・。






■2010.10.08  night  管理人

出張二日目、今夜の宿泊は品川に移動。
ここ数年、品川に宿を取ることが多いので、ここは少し寛ぐ。
夕方から少し時間が有ったので映画を二本はしご。
一本はそれなりだったが、もう一本は駄作で疲れた。

一本目はビールちびちび飲みながら、二本目はコーラにキャラメルコーン。
二本とも最後までトイレが持ち堪えられなかったのだ(泣、
クライマックスの時間帯に必ず我慢できなくなる。
一本を貫徹できないなんて、寄る年波をひしひしと実感。



映画館を出て夕食をと近くのレストランを覗くが何処も此処も満席。
それに週末のこの時間帯、独りで入るのはいささか気後れ。
オヤジが独りでうろつく場所ではないようだ。
結局、ホテル近くのコンビニへ。
決して倹約したわけではないから(笑。

「それでは皆さん、来月の会議でまたお会いしましょう」
二日目の会議の終わり、司会者がそう締めくくった。
「エッッ・・・・・」
「嘘でしょう、聞いてないよ?」
来月の(東京での)会議の予定など、事前に私は聞いていないのだ。

来月は高校の関東同期会への出席を楽しみにしているが、
この流れだとまたまた来月(東京に)来なければいけないかも、
フウッッ・・・・・。
日程が高校の関東同期会とダブッていないからいいのだけれど、

公私含めてお江戸は年二回位で十分なのだ。
此方の方々には悪いのだが、田舎者だからお江戸は疲れるのだ。
明日、午前の便で帰路に。






■2010.10.07  night  管理人

もんじゃ焼きなるものを食べました。
前回上京から僅か10日振りのお江戸、今夜は日暮里の駅前に居ます。
その昔、5年余り東京に暮らしていましたが、日暮里に来たのは生まれて初めて。
それにもんじゃ焼きも生まれて初めて。
美味しかったか?
ウ〜ン、複雑なところです(笑。


私の二度目のご奉公先は労働組合関連の職場。
ご奉公して間もないのに、今回お江戸に出張を命じられたわけです。
つつがなく初日の出張用務も終わり、夜の懇親会。
世間は狭いものです。
名刺交換すると・・・・、
「そうですが、私は高橋ハムとは連合で同期なんですよ」
「私は安田講堂の年の'69年入学なんですよ」
それと此処だけの話で内緒なんですが・・・・、
'70前後の元・民青全学連委員長も居まして、親しく名刺交換しました(冷汗〜。
そんなこんなの方ばかりで、嬉しくなった次第です。

かなり酩酊して書いていますので、
今夜はこの辺で。
ではでは。






■2010.10.04  morning  管理人

'69年だったか、'70年だったか忘れたが、
4.28沖縄奪還闘争に参加して、新橋を走り回った。
最後、部隊は機動隊に蹴散らされちりじりバラバラになり、駅前のキャバレーみたいなところに逃げ込んだ。
5人だったか10人程だったか記憶はないが店の奥までなだれ込んだ。

ボーイ服を着た従業員が数人出てきて、
「学生さん達、悪いけど出てってくれよ」
こちらは多勢だったが、ボーイさんの云う事に素直に従った。
ヘルメットを脱いで出た通りは騒乱状態、壊された車がそこ此処にあった。
殆ど何も出来なく撤収した。

因みに、
後で故郷に還った時聞いたのだが。
この時、地元の国立大の全共闘が全国動員で上京していたそうだ。
失礼だが、事情が分からぬ地方上京組。
新橋で、指揮官の云う通り素直に白ヘル被って突撃し、見事にパクられたそうだ。
地元に還ってくるのに半年程要したと聞く。


沖縄は、
地道に、根気強く。
老い果てるまで、
続けていこうと思う。









■2010.10.02  night  管理人




 my favorite songs  CONNIE FRANCIS   HURT








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