my favorite songs
 
■2011.01.30  night  管理人

「息子達の行末はなにも心配してないけどね」
「貴女の事が心配な訳・・・・」
講演会の懇親会を終え、かなり酔って寒い夜道を家に帰りついた。
酔いの勢いもあって、妻にボソボソとそんな話をはじめた。

私は両親、祖父母、其の他の大勢の親族を癌で見送った。
私が逝く時は、突発的な事故以外は100パーセント癌だと思っている。
「そりゃ〜、可愛い孫の顔を見てみたいし」
「全然未練が無いと云えば嘘になるけどね」
素面では話しにくい話を続けた。

「でもね、いつか、癌と告げられても・・・」
「それはそれで仕方ないと、何故か割り切れそうなの」
「強がりじゃなくて、素直にそう思う」
「でもね・・・・・、」
「唯一、貴女の事だけが心配なの」

少し気になる点が有って、ちかく総合病院で精密検査を受けることにしている。
事前に渡された書類は二枚。
検査の結果は「自己責任において事実を告知して欲しい」という欄にチェックを入れた。
もう一枚の検査の承諾書に妻のサインを貰った。

妻は、
「ありがとう」といって顔を上げなかった。






■2011.01.29  night  管理人

しょうもないアクセスカウント一考から一夜明けて、
職場主催の講演会をこなして、ホット一息ついている。
私は事務局の責任者だから、講演会の責任者ということになる。
会場の手配、講演者のチケット・宿の手配、チラシやレジメの準備、人の動員、パソコン・プロジェクターの準備セッティング、当日の受付、司会進行、それに終了後の懇親会セッティング。
フッッ・・・・・・・・。

ところで講演をお願いした講師の先生、首都圏から飛んで来られた。
講演前にお昼をご一緒した。
労働問題に関する講演で、元々労働組合業界の御大で国際的な活躍もされてた方で、私より年上。
話をしていて妙ょ〜に”その匂い”がする、これは私の動物的勘なのだが。
少し探りを入れてみた。

「ワハッッ・・・・、私は前科二犯ですわ!」
屈託無くそう云われた。
ここまで聞き出せば、あとはイケイケなのである。
当然、かつて大昔の履歴まで話題は及んだ。
先生は「マルセン」だったそうだ。
当時の赤ヘル業界の説明を仔細に渡って承わったが、私にはチンプンカンプン。
明治の委員長や情況出版のKさんもよく知っており、高橋ハムさんは後輩になるそうだ。

何時もどおり、
私等のかつての業界の世間は狭いのだ(笑。






■2011.01.28  night  管理人

アクセスカウント一考
暇なオヤジなのであります、笑

あくまでジコチュー的なアクセスカウントの分析ですが、
アクセス解析見ていて、解析のアクセス数とアクセスカウント表示数に大きな違いがある事に気付きました。
それで、今頃分かった事なのですが、トップページから入らず、かつトップページを経ずに退出する訪問者が約半分います。
すなはち、トップページのアクセスカウントを刻まない訪問が半分程あるということです。
この傾向が、サイト開設以来一貫して続いているとしたら、サイトへのアクセスカウント実数は表示のほぼ倍になると云う事が推論できます。

トップページ以外で最初の訪問入口ページは
1番は、「管理人日記トップページ」
2番は、「'71年京都」、”二十歳の原点”に関して綴ったページ。
3番は、写真集「日大闘争」
4番は、「報道写真」
5番は、日大闘争年表
1番の「管理人日記トップページ」からの入場は、間違いなく”常連”さんだと思うのですが、
2番以降は、いわゆる”通りすがり”さんだと思う。

一般的にFTPで更新するHTML記述のホームページより、「ブログ形式」の方がアクセス数が伸びると言われていますが、この要因は、強引にアクセスを引ぱってくるトラックバックなどの機能もあると思いますが、サイトを訪問した全てのアクセスがカウントされるその仕組みも大きな要因と思うのであります。
ブログに対する負け惜しみと云われかもしれませんが、
私のサイトへの訪問の実数は、トップページに表示するカウント数の倍という推論は、それなりの根拠が有ると思うのでありますが。

「なに、それがどうした」
って・・・・、
えぇ〜と、相済みません(汗。






■2011.01.28  morning  管理人

私にもよく分からないのだ。
月半ば頃からアクセスが累進しているのだ。
昨夜チェックすると、とうとう日頃の平均的なアクセス数の倍になっており、増え続ける傾向が続いている。
増加の兆しが見えたのは、不精していた日記の更新を再開した頃。
合わせて、aaghさんが旅立たれた頃。
しかし・・・・、
いずれもアクセスが増え始める要因とは思いにくい。

帰路のJR、下車すると線路の向こうの夕焼け空が綺麗だった。
前職の頃より平均して帰宅が一時間ほど早まっている。
今年は早々とこの時期から黄昏時の茜空が楽しめるようになる。
再就労して良かったことが一つ増え嬉しい。


明大全共闘さん、
明治大学構内での会議と言うのはTPP関連ではありません。
私の勤める労働組合関連団体が開く会議です。
少し詳しく言うと、紫紺館が会場ということです。
明治大学が建て替えられてから一度も入った事がないので、そこがどういうところは存じませんが。

山の上ホテルは私の生活レベルからするとかなり高価なホテルなもので、
死ぬまでに一度泊まってみたいと思っていたホテルです。






■2011.01.26  morning  管理人

ウ〜ン、悩むところ。
JUNさんから告知のあった「中村克己君墓参会
2月27日という、一度も参加できていないので行こうか行くまいか迷っている。
私も何時まで元気で居られるか保障はない、元気と時間、それにお金が有るうちに一度墓参したいとかねがね思っているのだが。

手帳をめくってみると、墓参会の直後に東京出張の予定が入っている。
会議の場所は御茶ノ水の明治大学構内とあり、宿泊の指定は無い。
これは”山の上ホテル”に泊まる絶好のチャンスと思っていた矢先だった。
間を空けずの二度の上京、片方が業務出張でもこれは結構(費用)負担がキツイ。

話は飛んで、
'70〜'71年の四年次の学科の研究室、取り合えず席だけは置いていた。
それまでの悪行(笑)のお陰で、教授は私(達)を研究室からパージしたくても出来なかった。
そういう意味では、敗退後の私等らだったが、キャンパスでの(全共闘の)一定の立場は確保していたし、理工学部では体育会も私等には手出しはしなかった。

理工学部二号館、山の上ホテル、明治大学を望む

山の上ホテルは理工学部二号館の隣に位置している。
バイトが忙しく珠にしか顔を出さなかった研究室だが、行けば皆で近くの喫茶店に出かけたものだ。
山の上ホテル別館のレストランのシェヌーは、極々珠に訪れる店、何故かと云えば学生の身にはとても高い店だったから。
その頃、シェヌーは店内中央に白いグランドピアノが置かれており定期的に生演奏されていた。
店の入り口には演奏時間の案内があり、丁度の時間だとポケットの金をかき集め無理して入店した。
高い店なのに何故無理したかというと、
白いドレスを着た正装の音大生が目当て、極めてシンプルな分かり易い理由だった(笑。

話はかなり逸れたが・・・・・、
墓参会、どうしようか。






■2011.01.22  nightU  管理人

出張から戻り、コーヒーカップを片手に明大の野次馬日記を見ていた。
昨夜のアップ分、No172・惜別・明大文ゼミ協N氏(aaghさん)の記事。
aaghさんの人柄を書いてくださっている。
私もその通りだと思う。
少しはにかみながら、ハッハッハッと笑っていた顔を憶えている。

実は・・・・・、
私はaaghさんの泣き虫顔を知っているし、
その証拠を持っている。
先日11日の日記で紹介した写真がそうだ。
それは2008年11月22日、拡大同窓会を記録したビデオからのキャプチャー画像。


当日、私は恐れ多くも公式記録班を命じられていた。
肩組みインターを歌う輪の中心で、ひたすらビデオカメラを回していた。
その時の事をハッキリ憶えている。
ファインダーの中、aaghさんが顔をクシャクシャにして確かに泣いていたのだ。

保存DVDを取りだし、もう一度そのシーンをキャプチャー画像で取り出した。
この画像、aaghさんの泣き顔以外の登場人物と幾つかのエピソードを披露しよう。
1、aaghさんの左側(写真では右側)で肩を組んでいるのは、aaghさん達が激しく対立したと野次馬日記でも紹介されている元・戦旗派リーダー。
2、その隣は農闘委のJUNさん。
3、aaghさんの右側(写真では左側)はかつて”叛逆のバリケード”を刊行し、今またその新版を刊行した中心人物。
4、その隣は「藪さん」。
5、輪の後ろ、チラリと映っているのは「さらば革命的世代」を刊行した産経新聞の河居記者さん。
以上。





■2011.01.22  night  管理人

いや〜、何処へ行っても突き抜けるような青空で。
それに10年程前とは道路事情は一変しており、除雪は完璧で難なく走行。
考えてみれば、かつてのゲレンデへ向かうアイスバーン走行の常は、深夜から未明にかけてのドライブでしたので、今般とは事情が随分違っておりました。。
お陰で、当初の夜遅くの帰宅予定が昼過ぎには帰って来る事ができました。

前夜に掛けて日記が一時アクセスできなくなっていました。
一泊目のホテルの部屋にはネット環境が備わっており、これはと思い日記の更新を掛けた次第です。
しかし、敵もさるもの、ホテルのLANにはしっかりとセキュリティが掛かってけており、FTPのアップロードがブロックされてしまいました。
更新のアップロードファイルが関所に引っかかり、着ているものを全部脱がされ裸にされてしまった訳です。

簡単に云うと、空のファイルで日記を更新した結果となりました、そこの環境では元に戻せません(泣。
昨夜の二泊目のホテルでやっと現状復帰まで戻しました。
いやはや、ITは高度に、そしてそのセキュリティーはより高くなっていることを痛感。
レトロ親爺、慣れ親しんだ自宅以外でのFTP更新は今後控えようと思いました。

台所でコーヒーを点てていてふと窓の外に目をやりました。
木の下に小鳥が二羽横たわっています。
抹茶色からしてメジロだと思うのですが、二羽並んで死んでいるのです。
庭で野鳥の骸を見かけるのは珍しくないのですが、二羽並んでと云うのは初めてです。

「貴方、鳥インフルかも知れないから気をつけてね」
妻にそう云われると気になり、猫の餌食になる前に庭に埋めてやりました、当然ゴム手袋を付けてです。
ぶっそうな話はさて置いて、
その昔、子供達が雀の骸に目を潤ましたのを懐かしく思い出しました。






■2011.01.19  night  管理人

明日から週末まで出張です。
今回は自家用車使用、海峡を越えての出張です。
次男坊からスキー仕様のツーリングワゴンを借用してきました。
昨日、冬タイヤへ交換しました、ジャッキアップし自力で四輪を替えましたので腰に堪えています。

途中、十年振りのスノードライブが必須な出張となりそうです。
土地柄に似合わぬ、アイスバーンのドライブが大好き人間なので・・・・、
かつてはランドクルーザーとアイスバーンを時速80Kmで競り合った経験もあるのですが、
今は命が惜しいのでゆっくり走るつもりです。
これが、行き先が青さんと同じようなゲレンデだとワクワクするのですが、今回は正真正銘の業務出張です。

でも・・・・、
心密かにアイスバーンをぶっ飛ばそうかとも思っています。
生きて帰ってきたら、日曜日にはまたこの日記を綴りますので、
それまではヨロシク。






■2011.01.18  morning  管理人


上のmusicプレヤーを停止して再生スタートを

aaghさん似のミック・ジャガーが歌う 「アンジー」



ストーンズは、aaghさんも、宮澤くんも、大好きだった。
二人の生きざまは対極をなしていたが、
あの時代を背中から降ろすことなく背負い続け、旅だったのは全くもって同じだと思うのだ。

合掌。







■2011.01.16  morning  管理人

aaghさんの葬儀が今朝行われるそうです。
昨夜の通夜の様子がaaghさんのBBS楽宮旅社の掲示板に紹介されています。
管制塔占拠被告カンパの「カンパ運動勝手連」からも千葉MSさんが代表して葬儀に参列すると破鍋さんからメールが届いています。
aaghさんは、死しても人と人を繋いでいる訳です。

aaghさん、「私は元・黒ヘル」だと言い切っていました。
白でも青でも、緑でもない黒ヘルの最大の特徴は、主義を超えて人と人を繋ぐことにあるのではと思った訳です。
私もかなり赤のかかった元・黒ヘルだったと自分では思っていますので、
その遺志を少しでも受け継げたらと思っています。
合掌

 my favorite songs I a'int gonna cry no more Timi Yuro




■2011.01.14  morning  管理人

BBSで柘植洋三さんが紹介下さった「法務省・国土交通省に対する声明 三・ニ六管制塔元被告団」
aaghさんは4回泣いたという。
2005年11月12日の管理人日記に全文をしっかり記録していたので、あらためてここに紹介します。

法務省・国土交通省に対する声明

                          三・ニ六管制塔元被告団

 二十七年前の管制塔占拠闘争に対する損害賠償請求は、今年七月時効
を迎えようとしていた。
その直前の四月、突然一億三百万円の強制執行を始めた法務省・国土交
通省殿、あなた方が、給与の四分の一や全てを満額に達するまで納め続け
よとした全額がここにある。
これは、お金ではない。
これは、十六人の私達被告を今度こそ本当に人民の懐に奪い返そうという、
全国の人々の暖かい思いの涙の結晶であり、正義と道義を愛する熱い魂
である。これは、私たち十六人の管制塔被告の生存を奪い去ろうとしたあな
た方の仕打ちに対する、人々の憤怒であり、一億三百万の怒りの炎である。
あなた方は、失敗した。
国の非道を正すために戦った私達は、万余の人々によって守られ、壊され
ることのない勇気と信頼、人々との繋がりは以前にも増して深かまった。
それだけではない。
職場を奪い、家庭を破壊し、生存を脅して私達被告を苦難に陥れようと十年
間も密かに準備し、時効直前に強制執行の暴挙に出たあなた方の策略は、
全国の人々の心に、怒りの炎を燃え立たせ、憤激は大河となった。普通に
生活している私達の同僚、友人達を、みんな敵にまわしてしまった。二十数
年連絡もしないでいた人たちが、深いところで繋がっていることをみんなが
知った。離れ離れになっていた被告が一つになった。被告団は十数年ぶり
に団結した。
感動的な再会があった。
胸の熱くなるメッセージが寄せられた。生活を削って多額のカンパが津波の
ように寄せられた。少ない年金の中からの基金も頂いた。それは四ヶ月で
一億円をはるかに突破した。お国に逆らった者に対する見せしめにしようと
する狙いは覆された。
献身的に戦うものは必ず救われる。
一億円の基金を四ヶ月で集めるといういまだかってない事業が、全国の驚く
ほどの人々の熱い協力によって見事に成し遂げられた。三里塚闘争の三十
七年は、この国の民主主義の問題において、農業問題において、地球環境
の問題において、多くの原則的な事柄を、全国の人々にさらにはフランスの
ラルザックなどを通して全世界の人々に提起し続けてきた。今ここに、不合理
と戦うものは必ず救われる、必ず報いられるという原則がそこに付け加えられた。
見事に実現されたこの原則と約束は、今後のあらゆる戦いの場で貴重な財
産となり、大きな力となって、権力の不条理に立ちはだかるであろう。三里塚
で、畑を耕し、家畜を育て、大地に根をはるようにして暮らしている数戸の農
家の屋根を擦るようにしてジャンボ機を飛ばそうとしている非人間的な仕打ち
を許さない巨大な石垣となるであろう。
さあ、国の非道を許さぬ人々の真実と正義を愛する心の結晶を受け取れ。
私たちを深く包み、解放してくれた全国の人々の熱い心を受け取れ。
我々一六人の被告は、全国の人々に涙ながらの感謝の気持ちを表明しなが
ら、限りない怒りをもって一億三百万の熱い魂を、あなた方、法務省と国土交
通省に叩きつける。

二〇〇五年十一月十一日



何れも撮影はJUNさん

a a g h さ 〜 ん 、
これ読むと、5回目の涙だよね。







■2011.01.13  night  管理人

午後五時チンで職場を出る。
前職の時より二便早いJRに乗る。
午後六時前には我が家に辿り着く。
着くと直ぐに洗濯機に立ち向かう。

それから台所の片づけ。
食器を洗い、お米を研ぎ、炊飯器のスイオッチON。
ついでに散らかった居間を片づけ。
そうしている内に、洗濯機の終了のブザー。

ベランダに出て洗濯物を干す。
午後七時頃、玄関のドアが開き妻の帰宅。
エプロン姿で妻が調理、その間、私は洗濯物をたたんだり家事に励む。
午後八時ごろ、妻と二人で夕食。
つまり・・・・、
調理以外は殆ど私の任務なのだ。

私は缶ビール一本で事足りる。
妻はワイン、食後は焼酎のお湯割りコースへ。
妻は韓流ドラマ、私は自室でネット。
だからテレビは全く観ない訳だ。

ネットは主にYouTube他で音楽の検索・収集、小難しいサイトには興味なし。
特段の事情が無い限り、午後十時までには就寝。
その代わり、朝は歳相応に早い(笑。
つまり・・・・、
仕事に打ち込む人生はもうとっくに止めているのだ。

風呂?・・・・
我が家は基本的に朝シャワー、
これだけは何故か”洋風”。
これが昨秋からの私の生活スタイルなのだ。
だから、夜の連絡はできるだけメールでお願いしたいのだ、
ヨロ!





■2011.01.11  night  管理人

藪さんによると、aaghさんが亡くなられたそうです。
ご冥福をお祈りします。

aaghさんとの出会いは、日記を遡ると、
今はネット上から消えていますが、ふと見つけたホームページでした。
思わず惹きつけられ、奥へ奥へとはいって行きました。
私のような人種を何故かグイと惹きつける、お香の香りのするホームページでした。
ホームページ、何時か復活すると信じて楽しみにしていましたのに・・・・、
残念です。

ラッパさん達と我孫子旅社に押し掛けましたね、
折角、用意してくれたお寿司、殆ど食べずに御免なさいね。
管制塔カンパ達成パーティー、本当に楽しかったね。
拡大同窓会に来てくれて、肩組んでインター歌ったよね、
aaghさん、涙目で歌っていたよね、証拠のビデオしっかり持ってるよ。

 写真中央

オイラがそちらに行ったら、
「チョンマイから」と「ダンプスまで」、また見せてくださいね。
きっとだよ
ホントにきっとだよ





■2011.01.11  morning  管理人

「生きてるか?」 
ちゅ〜うて、何件か突っ込みが入ってきていますので。

年末年始、慶弔あい含め立て続き、身辺繁忙極めていますが、
取り敢えず私は元気ですので。
ヨロ!


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