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■2011.02.25  night  管理人

今日は某県に出張。
職場の法務について、同業団体に教えを乞いに来ている。
朽ちた脳細胞に目一杯詰め込もうと頑張ったが、入る傍からボロボロと流れ出てしまう。
気力の満ちた以前なら、漏れるものを何とか拾おうと焦ったのだが、
今の私は、漏れるものは仕方ないとこだわらない。
まあ、これが老人力というものだろう。

夜、教えを乞うた同業団体の長と食事をご一緒した。
長は某県の元連合会長。
食事の後、いい店があるから行こうと誘われた。
後ろに付いて行くと、見上げた店の看板には”ミンガス”とある。
「これってチャーリー・ミンガスのことなの?」
会長、
「私はカラオケでなく、こういう店が好き、昨日も来ていた」

 携帯電話で撮影なのでそれなりの写り

店に入ると、
オッッッッ・・・・・・、
パワーアンプは球のマッキントッシュ!
コントロールアンプも球のマッキントッシュ!
何と、スピーカーはジムランで1958年製。
仰け反ってしまった。
因みに”ジムラン”はJBLの前身、
分かる人は分かるが、分からない人には分からなくてよい。
でぇ・・・、マスターはシャープ&フラットのバンドでベースを弾いていたという。
30分程のライブタイムがあり、枯葉他数曲の演奏が楽しめた。
私はミンガスの「直立猿人」を弾いて欲しかったが、残念ながら時間切れでリクエストが叶わなかった。

ご案内頂いた元連合会長、外見は典型的なゴリゴリの労組の親分。
正直、こりゃ〜付き合い難い御仁だと引いていたが、
ミンガスで一度に仲良しになった。
人って見かけによらないものだとつくづく思った次第。

私も球のマッキントッシュが欲しいのだ!
ついでに、JBLも欲しいのだ!
それで、コルトレーンの”至上の愛”を天上に向けて鳴り響かせたいのだ、
無理か・・・(フッッ・・。


■2011.02.23  morning  管理人

忘れざる日々の発刊に携わっている930の会の事務方(裏方)が色々とあって大忙しだそうだ。
嬉しい事に、myHPに告知ページを出させて頂いた途端、大口注文が舞い込んだとの一報もあった。
思うに自主出版なもので、あらゆる事を裏方がこなしている訳で、
そう考えると、ローカル在住で殆ど何も手助けできない我が身が悔しい。

 出張先のホテルの窓から

大手ゼネコンに定年まで勤務し、再雇用で働いていた友がこの三月で退職するとの便りが届いた。
これからは晴耕雨読の生活をおくると綴られている。
熾烈な業界で、我が身と心を削り働き続けてきた友、
定年退職から更に働くこと二年、もう十分、ご苦労様でしたと思う。
でも、晴耕雨読ではなく晴読雨読にならないよう、しっかり動き回って下さいねと便りした。
皆それぞれ、人生節目の春がそこまで来ている。



■2011.02.22  morning  管理人

あれから(1968年から)42年経った2010年、日大930の会に集う仲間が中心になって、日大闘争を記録し記憶を語る本を、出版社でなく当事者である自分達自身で出版しようとする取り組みがスタートしました。
途中、色々と苦難が有りましたが、出版に関わるノウハウを持つ仲間の尽力もあり、やっとこの2月15日に第一号の出版にこぎ着けることができました。 
史実としての記録は年表として掲載しています。
寄稿した各学部の仲間は、薄れゆく記憶を蘇らせ、日大闘争を当時どう受け止め、その後をどう生き、また現在をどう生きているかを素直に語っていると思います。

個別日大闘争は、少なくない当事者自身が「百姓一揆に通じるものがある」と言ってはばからない側面を持っています。
誤解を恐れず言えば、学生蜂起に至る過程は、まさしく「勧善懲悪」の世界であり、軽重は別としても「正義感」が根幹に座り、連帯感は「義理と人情」の世界であったと言えます。
特段の信条や思想が大勢を占めた訳でなく、語り伝えるにしては、その動機と行動は極々「当たり前」のことであり、それが返って語り継ぐことの障害になったという皮肉な一面を持っています。
仲間の記録と記憶を読んで頂き、日大闘争が極めて当たり前の事であったことを知って頂ければ幸いです。

忘れざる日々案内ページ


■2011.02.20  night  管理人

家族の祝い事があり、
自宅で、ささやかな食事会を催した。
「お父さん、私が撮りますから三人並んで下さい」
そういって撮ってくれた息子と私。


酔っていたのだろう、
この歳になっても二人の息子を両手に抱えこんでいた。
妻は・・・・、横で笑っていた。





■2011.02.20  morning  管理人

エジプトの今般の事変が勃発した当初、地元新聞の国際記事が目に留まった。
ローカル紙だから共同通信の配信記事だろうと思う。
この様な事が書いてあった。
記者が広場に(デモに)に集まった一人にインタビューしたら、医師と名乗る人はこう云ったそうだ。
「私は誰にも誘われていない、自分一人の意思でここに来た」

この記事を読んだとき、背中がゾッくっとした。
そうだ!、
私(等)がかつて体験したあの時の気持ちそのものだと思った。
誤解を恐れず云えば、日頃の抵抗勢力のいわゆる”プロパガンダ”なんて何の役にも立たない。
それが役に立つといえば、先鋭化した極少数の集団を生む範囲。
大衆が蜂起するする際に、一部の先鋭な集団(前衛)は殆ど何も役立たない。

それが良い事かどうか、いまだに分からないが、
私(等)はその空気を身をもって体験した。
学園という極限られた空間だったが、
底が割れ、全体が動き出す状況に身を置いた。
私(等)はその空気を知っている。



■2011.02.15  morning  管理人

そぼろ雨降る午前、雨水がタップリ溜まったヨットの日覆いを外していて雨水を被り、パンツはずぶ濡れ震えあがった。
昨日、世間一般はバレンタインだったが、私は六年に一度の船舶定期検査の日だった。
ここのところ永く晴天続きだったのに・・・・、運悪く空は雨天。
検査に立ち会うため午前中は休みを頂き、上は雨合羽を羽織って臨んだが、下は雨具を着けず無防備だった。

検査官はチェックシートを見ながら、船の法定安全装備と機関を調べていく。
「マスト灯と航海灯を点けて下さい」
前回3年前の中間検査の際、このマスト灯が点灯せず、灯火の修理が済むまで船舶検査証が差し押さえられた。
車でいえば”車検証”を取り上げられたと同じと思えば良い。
今回は法定安全装備も万全、灯火や機関も問題なく、検査は無事終了。
雨に打たれ頭髪がバーコードに、そして雨水がパンツを通り越し下着までずぶ濡れになったのは予定外だったが。

   紅炎信号管・税込\5000、検査手数料\24300 法定安全装備一覧(PDF)

ようやくパンツが乾いた夕方、次男坊と彼女がひょっこり職場に訪ねてきた。
「お父さん、これを」
次男坊の心遣いか、さてまた彼女の心遣いは定かでないが、
私も人並みにアレを頂いた訳だ。
嬉しいのだ。



■2011.02.10  morning  管理人

先日、日記で案内した灘高校全学闘争委員会だった前田年昭さんについて、JUNさんからメールの一報が入っています。
2008年、一ツ橋の教育会館で開いた写真展に「前田年昭」との記帳があるとのこと。
ご本人なのか同姓同名なのか何れも断定はできませんが、同一人物だと思いたいです

そうであれば、関西から所用のついでに立ち寄ってくださったのだと思いますが、
遠く離れて、かつ五歳年下の方ともつながっていると思うと嬉しい限りです。

表紙

ところで、
仲間の皆で「日大闘争の記録」を発刊することにしています。
そのVol.1が限定発刊ですが近々にデビュー予定となりました。
タイトルは「忘れざる日々」
先日、WEBでの広報・告知の命を事務局より承ったところです。
今、告知ページの準備を進めていますので、もう少ししたらご案内出来ると思います。



■2011.02.07  morning  管理人

芝工大全学闘ブログのリンク先に「繙 蟠 録」というブログを見つけリンクさせて頂いた。
リンクさせて頂いた理由は単純明快、ブログの主が高校生全共闘(全学闘)だったから。
でもこのブログの主、私等とは随分と事情が違う。
主は前田年明さんといい私より五歳下(?)、1969年に高校入学とブログに書いておられるから多分間違いない。
私より五歳下という年代は、遅れてきた全共闘というよりは、間に合わなかった全共闘といってもいい世代なのだ。

ブログ2010/12/13の「もうひとつ」という普遍性 紹介『もうひとつの全共闘』の記事に、嬉しいことを書いていただいている。

以下、記事引用
「学内の教育闘争は低次元で安保などの“政治”問題が高次元」などと新左翼諸党派は布教しようとしたが,クラスに根ざした大衆闘争として闘っていた高校生運動は,学生運動ほどは観念にまみれていなかったがゆえにそういう考えには与しなかったのである。本書で記されている芝浦工大や日大のように学内の教育闘争をどこまでも追求すべきだったし,また,全国全共闘を東大を盟主にして党派連合でこしらえたりせずに,日大や芝浦工大をリーダーにして頑張ればよかったのだ,と今にして思う。

私の元・友人に、このブログの主と同じ時代、そして多分同じ様な経験を経ている方がいた。
年齢も同じく私より五歳下、今は事情があって付き合いは止めている。
全共闘運動→全学連(党派)→連合赤軍という思考回路で、かつての時代の総括は連赤の総括だという強い信念を持たれている。
水中のみずすましさんが最も嫌うパターンだ。
この元友人、余程、党派に振り回された恨みだろうと思う。
遅れてきた世代、間に合わなかった世代、同じ時代を経た世代にも色々あるものだと、つくづく考えさせられた。

既出ですが日大全共闘を語るに、私はこれ以上のものはないと思っている動画(静止画ですが)をどうぞ。
上の音楽プレヤ−をOFFにして再生スタート



■2011.02.06  night  管理人

破鍋さん、ないしょ話有難うございます。



一時は殆ど観念していましたが(笑、
もう少し長生きできそうですから、
その内、きっと、
”全共闘割引”してもらって食べに行くつもりです。




■2011.02.04  night  管理人

「父さんね、癌だったかも知れないのよ」
「でもね、違ってて良かった、それでね兄ちゃんが一杯おごるって云ってるから、貴方も出てきなさい」
電話で、妻が次男坊にも動員を掛けている。
私の”事変”をネタに、家族の食事会を画策しているようだ。

まあ、私がネタになるのはいいとしても、
今般の事変、振り返れば反省点多しなのだ。
酒の勢いとはいえ、そして自分が割り切れたとは云え、
検査の事を妻に話したのが、結果、彼女には大きな負担となっていたのだ、
今更に反省した。

 心に沁みいる茜空

妻から、その情報はつぶさに長男に伝えられたようだ。
二人には大きな心配を掛けてしまった。
「そうだったら」、と云う結果を冷静に受け止めようと、私なりに割り切り、自分に言い聞かせていたのだが、
家族の思いは、割り切れないものがあったのかと思うと・・・・、
今夜は、泣きそうになってしまった。





■2011.02.01  morning  管理人

Jさんが教えてくれたドキュメンタリー映画「Herts And Minds」をBS-hiで観た。
映画の最終盤、米軍の最高指揮官だった、ウイリアム・ウェストモーランド将軍がこう述懐した。

General William C Westmoreland  "Masters of War"

東洋人は西洋人ほど命を重視しない

人口が多い分、命の価値も低い

東洋の哲学はこう説いている

「命は重要でない」

戦争の親玉の一人が語った本音だ、
涙が出るほどの怒りを覚えた。

皆、忘れたいだろうが、そうはいかない、
この戦争に、そして東洋人の命を虫けらとしか思わない米軍に、同じ東洋人として日本は加担したのだ。
そして、今なおその米軍に加担し続けているのだ。
何が日米同盟だ、クソ食らえ!






■2011.02.01  morning  管理人

昨日、休みを頂き、組成検査に出されていた結果を病院に承りに行っていた。
先生、「グレイゾーンですけど、まあ大丈夫でしょう」
「まあ・・・」というところが私としてはかなり引っかかるのだが。
良性が「1」で悪性が「5」としたら、先だって切り取られた私の体の一部は「3」という判定らしい、
中途半端な私の性格と同じ様に、非常に紛らわしい数値なのだ。

そういう事で、今後の更なる精密検査は取り合えずご赦免頂いたが、年一回の検査はしっかり義務付けられた。
結果次第で、今後の私の生活状況が一変する覚悟は出来ていたし、その結末も割り切ろうと思っていた。
そんな折角の決意から云えば残念だが、
神様は私に、もう少し今まで通り生きよと云うことらしい。




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