■2011.08.31 morning
管理人
先日、私の大誕生パーティーを決行した。
我が家が六名、姉夫婦、妻の従妹夫婦四名の計12名だから大パーティーなのだ。
庭でやろうと半日がかりで準備をしたのだが、夕方からの雨で止む無く撤収。
急遽ベランダの狭いデッキに場所を移し、もうもうと煙に巻かれながらのバーベキューパーティーとなった。

「この人はね、今、ガールフレンドが沢山いるんですよ、ねえ貴方」
私の方を見ながら妻が誕生会に来てくれた姉にそう話している。
「この人はギラギラしたものがないから、同年代のおば様連にもてるんですよ」
よく聞いていると、褒められているのかけなされているのか分からない。
取り敢えず、褒められていると思って、こう答えた。
「姉さん、もてる秘訣はね、まめにおば様連の話を聞いてやること」
「まず基本は、嫁の悪口と孫の自慢話し、これに付き合う事」
「最後まで聞いてやると、そうすれば次には同窓生の話題や色んな情報が手に入る」
「それと・・・・、決して手前の自慢話はしないこと」
先達てのミニ同窓会での私の評価と、妻の評価が期せずして同じであった訳で。
もうこれは誰も異を挟めぬ事実となったも同じ。
「どうだ!、思い知ったか」
そう、誰かに自慢したいが、自慢できる相手がいないもので、
ここで声をあげて自慢するには、誰にも迷惑はかからないからいいだろう。
■2011.08.30 morning
管理人
車庫を囲うアルミフェンスにカズラを這わせている。
建て替えの際に園芸店でポット苗を幾つか買い求め、フェンスの元に植えていた。
10年と云う歳月はさすが、フェンス一面にからみグリーンカーテンの様相を呈している。
ネットで調べるとハツユキカズラという品種だそうで、この時期の新葉はピンク色で花のように綺麗。
今はやりのエコなグリーンカーテン、我が家は随分昔から取り組んでいる。
私の暮らしに緑は欠かせない、
家の周りは常緑樹の生垣、道路沿いはつる薔薇、五月には塀一面が白い薔薇で覆われる。
車庫を除く殆どのスペースに樹木を配し、その根本には日陰に強い草花で代表はクリスマスローズ。
とにかく多くの緑に覆われた住宅が私の究極の目標。
10年前の建替え直前は殆ど”お化け屋敷”の様相を呈していた。

やはり分不相応な事はするべきでないのだろうか、
慰安旅行が近づいていると昨日の日記に書いたのだが、
同じく同時並行で刻々と近づいてくるものがある。
出国は羽田からと云ったのだが、
こやつもその羽田、そして関東めがけて一直線。
両方が同時到着だと、この旅行は中止になるかもしれないが・・・・・、
一面では、それを願う心も。
正直なところ、多少のキャンセル料かかっても、
このくたびれ親爺、2泊5日の旅程は許してほしいのだ。
■2011.08.29 morning
管理人
40数年前の丁度今頃、暑く暗い1968年の夏が終わろうとしていた。
その頃私には、運動的にも私的にもその後の展望は見えていなかったし、
まさか、迎える9月があのようになろうとは夢にだにしなかった。
その1968年9月に起こった幾つかの出来事が、その後の私の40年以上の人生の全てを決定したといっても過言ではない。
僅か1回のテストの合否が人の人生を決めると言われることがあるが、私の人生のそれは1968年9月の一ケ月の出来ごとだった訳だ。
その9月からもう直ぐ40数回目の9月になろうとしている。
「**さん、9月に(慰安)旅行決めたけど、行きますか?」 「旅行って、それで何処行くんですか?」 「**へ、皆で毎月お金を積み立てて、2年に一度海外に行ってるんですよ」
「**へ!!・・・・・」 因みに前回は上海だったそうだ。 夏に声掛けして頂いて、その9月の旅行が間際に近づいた。 思うに、前職場では永く業績の悪化が続き、定年退職まで(慰安)旅行は途絶えていた。
職場の慰安旅行なんて十数年振りなのだ。 しかし、今の職場で私は新参者、積立をしていないので全額一括払いになる(泣。 まあ、お金は何とかなるとして、海外と聞いて気になることがあった。
チェウニさんの歌に「成田発」という演歌があり、ウオークマンに入れて聴いているお気に入りの歌なのだが、 歌はいいとして、私は命ある限り「成田」は利用しないと決めている。
これは私の人生では決して妥協出来ない”けじめ”でもある。 「それで旅程は?」 「地元空港から羽田に飛んで、深夜の羽田発便を利用して、帰りも羽田着便です」
「ウ〜ン、羽田か、なら行きますよ、参加させて下さい」 その他の事はどうでもよかったのだが、私の関心事は、まさに「成田」一点に有った訳。 その後、旅程を詳しく見てビビッている。
羽田深夜発、目的地に早朝着。 向こうで二日目と三日目をホテル泊、四日目の夜帰路に就き、五日目の早朝に羽田に着く、2泊5日の旅程なのだ。 かつて若者が、0泊三日で東京-佐世保間を往復した話は有名だが、
今の老体、私の体力が持つかどうか。
■2011.08.26 morning
管理人 昨夜は、先週から帰郷していて明日には東京に帰る同窓生をダシにするミニ同窓会、10名の参加。 要は何でもいいから飲もうやという話。
偶々隣に席した同窓生、初対面で高校時代の記憶も全くない。 彼は今年の初め、東京での生活に区切りを付けUターン帰郷していると云う。 その点だけで云えば、私の決断の方が40年早かった訳だ。
「こちらでの年金だけの生活は大変だよ」 何かいい仕事はないだろうかと探していると言う。 それで何をしていたのかと聞くと、建設業界で永く建築士をしていたと云う。
都会ならまだしも、この不況でかつローカル、同じ業界に限っての彼の職探しは厳しいだろうと思う。 「ヘエ〜、建築士というと大学は何処だったの?」
「東京電機大」 「そうすると当時キャンパスは神田だったよね」 「そうさ、大変だったよ」 「大変だった?」 「日大や明大が騒いで、何度も大学まで催涙ガスが流れてきてさ」
電機大は駿河台下、神田警察署の北隣、位置的に云えば十分すぎるほど迷惑を掛けている(笑。 「ところでお宅は何処だったの?」 「ウ〜〜〜ン(汗」
「日大理工学部、お茶ノ水だよ」 ここでハタとこの後の会話の進め方について思案した。 同窓生がどういう視点であの時代と状況をとらえているのか、その時点では判断しかねる状況だった。
それに彼は”建設業界”、一般的に保守的とされる業界だったから。 「そうだね、あの頃は大変だったよね」 当り障りのない返答をした。 「あなた、日大だったら全共闘だったの?」
当然、次の質問が続いた訳だ。 「他の大学の事は知らないけどさ、日大で全共闘は特別でなく普通の事だったよ」 「あの頃は、ウチは体育会系以外はみ〜んな全共闘だよ、ホント」
この返答の内容だと、私は全共闘だったことになる。 同窓生、少し間を置いて、 「そうだね・・・・」 若干、同窓生の返答に間と戸惑いが有ったのを私は見逃さなかった。
そう云う事で、この話題はそれ以上続けず、意図的に次の話題に移した。 高校の同窓生との付き合いは、僅か2〜3年の思い出を媒介としている。
だから、大学時代の考え方、その後の長い人生の価値観を出しすぎると、和やかな付き合いは続かない。 そんな付き合いを面倒と見るかどうかで、付き合いが大きく分かれてくる。
私はそれを面倒と思わない、 無理せず素直に楽しいから。 歳を経て、こと沖縄と安保、それに原発の事だけは別としてだが、 色んな事が許せると云うか、余りこだわらなくなったのだろうと思う。
■2011.08.25 morning
管理人 110824 木野龍逸×岩上安身トークセッション
色々と拡散用の情報を頂くもので、 JUNさん、いつも有難う。
■2011.08.24 night
管理人 Chantays
Move It ワタシャ〜へそ曲がりだから、 夏も終わりかけになると、こういうのを聴きたくなるの。
■2011.08.24 morning
管理人 「お前さんを呼ぶと、色々と(同窓生の)情報を取れるからな」 朝、デスクに着くと同時に携帯電話が鳴った。 普段ほとんど付き合いのない同窓生。
2008年に催した卒業40周年還暦同窓会の代表幹事を務めてくれた、その筋では大物の御仁だ。 関東の同窓生♂が帰郷していて一杯やるので出てこないかとのお誘い。
女子連専門に特化している私としては、仲の良かった友人以外で野郎連からお誘いを受けることは極希。 それで誰かと聞くと、先の6月某日、ホテルニューオータニの関東同期会で同席していた野郎だ。
そういうことで、あちらで歓待を受けている義理があるから出ていくことにした。 
この数年、それなりの投資と時間、努力を惜しまず同窓生ネットワークを拡げてきたことは確か、その自覚はある。 1968年のあの時代の記憶と、格子窓に切り取られた四角い夜空の中に想った”あの子”の記憶とがごちゃ混ぜになり、
何時かはあの時代の”あの子”に行く着けるかもしれないという思いが強力なモチュベーションになり、 同窓生から同窓生へと何本もの糸を巡らせていたら、結果として情報ネットワークの中心付近に位置するようになってしまったようだ。 自分で云うのも何なのだが、
私は本来シャイ。 付き合いは最小限に止め、音楽を聴き、草木と話すほうが好きな性分。 極めて個人的かつ特異なな動機からとは云え、 この評価と、昨今の展開は全く持って想定外なのだ。
■2011.08.23 morning
管理人 児玉龍彦(東大先端研教授)×津田大介(ジャーナリスト) REC:2011.8.5
某所からのパクリなのだが、 実は、わたしもまだ終わりまで全部視聴していない(汗。 ここに貼って、ゆっくり観るのだ。
■2011.08.20 night
管理人 「色々とお世話を頂きありがとう!! 今 帰りの電車に揺られてます ふるさとはとおくにありて、の一節が浮かびます・・・・」
彼女から送られてきた携帯メール(原文通り) 彼からは「ありがとう!」の電話が入った。 コンチクショウだ。 先日、要らぬお節介で彼女と彼の44年振りの再会、そして47年振りのコミュニケーションの仲介をしてしまった訳で。 一週間ほど前、両者から相次いでメールと電話でお礼の挨拶が入った。 「人の幸せは私の不幸せ」という、私だけのことわざが有るのだが、 今回、まさにそれを実践してしまった。 あらためて思い出して、再度、コンチクショウだ。 金曜日、久しぶりにサロンに顔を出した。 一番乗りだった。 姉御が次に来た。 牧師様が初めてお会いする人と一緒に来た。 長老が来た。 夏枯れかサロンは5人と小じんまりだった。 姉御は原発問題で相変わらず最初から最後まで”沸騰”していた。 「**さんは、最近、すっかり”穏健派”ですからね」 嫌味たっらしく姉御が云う。 らちが明かない現況からの八当たりだろうが、姉御と事の捉え方が違う私は穏健派と云うレッテルを貼られてしまった。 かつてよく用いられた"反革命”のレッテル貼りよりはましなのだが、 要は日和見と同義語の”穏健派”と呼ばれては、自称”単ゲバ”としては口惜しいのだ。 初めてお会いした方は牧師様とご同業の牧師様、 おもしろいグループがあるからと誘われ、私の欠席中に既に何度かサロンには来ているらしい。 同じ牧師様だから、取り合えず「過激な牧師様」と「新しい牧師様」と呼び分けることにする。 「**さん、貴方の事は元日大全共闘だと詳しく話してありますからね」と過激な牧師様。 「イヤ〜、それは・・・・」 私としてはそれなりに勿体をつけたい仁義、それをそのように単純にショートカットされては困るのだ。 新しい牧師様は関西で永く公務員をしていて、ある時、牧師に転業されたという。 何故、牧師に転業したかはまだ聞いていない。 中央大学出身で1949年2月生まれ、同学年ということになり、キャンパスは当然お茶の水でお隣さんだ。 「**さん、お茶の水通り、デモで地面が揺れましたよね!」、と新しい牧師様。 時代を共有し、同じ空気を吸った方。 そう云う事で、訳のわからぬ八当たりのプッツン姉御はシカトして、 新しい牧師様は過激な牧師様なのか、それとも穏健な牧師様なのかの見極めは出来てないが、 かつての同じ履歴から当然、最大級に盛り上がった訳だ。
■2011.08.19 night
管理人 さあ・・・、亡霊が蘇るぞ! ちゅうたら、仲間の皆に袋叩きにあいそうだけど(笑。 以下、芝工大ブログよりコピペ--------------- 8月上旬日大、明大、芝工大の、反原発闘争に参加してきたメンバーが集まり、9月19日の取り組みについて話し合いました。
決定したこと。 1. 3大学連名で「宣言文」チラシを当日に配布する 2. とにかく他の多くの大学にも呼び掛け、全共闘の旗をできるだけ掲げよう
3. 9月19日「さよなら原発5万人集会」 PM1:00 〜 日本青年館前 3大学集合(明治公園隣接)ミニ集会後、 PM1:30
〜 全体集会(明治公園・・千駄ヶ谷下車3分)参加 もう一点、 仲間の情報によると。 ここのところ仲間が集う会合等への公安筋のマークが気に成るそうだ。
威張る訳ではないが、我が仲間はそれこそ百戦錬磨のツワモノ達で、 その筋の目線とか挙動には並の人の百倍も反応する訳で。 それに思うに、
片や、あの頃の百戦錬磨の公安筋は既に退職しているか、それこそ幹部クラス、 今、地廻りしている方々は実戦を経験していないひよっ子な訳で。 かつての亡霊集団(笑)から見れば孫にも等しい訳で。
別に腹にダイナマイト巻いて何処かに突入する訳でもないので、 放っておけという結論に成っているそうだ。 ちゅううことは、 ここも、そしてBBSも、その筋にチェックされてるかも。
皆々、言葉にはゆめゆめご注意を。
■2011.08.19 morning
管理人 再就職も想定外だったが、またまた想定外の事態が。 我が職場は、全国の協議会組織、そしてエリアで構成するブロック協議会組織の二つに属している。
頻繁に出張があるのは、定期的に開催される全国、そしてエリアブロックの協議会に出席するため。 全国の協議会組織には立派な事務局があるが、エリアブロックのそれは、エリア内の各県が二年毎の持ち回りで事務局県を務めている。
我が所属するエリアブロックは9県、二年毎だから18年に一度事務局県を務めなければならない勘定だ。 「**さん、次はお宅の県の番だからね、よろしくね」
前回、エリアブロックの協議会に出張っていた折に、当番県の事務局長からそう言われた。 その時はそう言われても、新米なもので、云われている意味が全く理解出来ていなかったのだが。
それから、時が経つにつれて前述の組織の仕組みが徐々に分かってきた訳だ。 正直、焦っている。 別にリクルートした訳ではなく、今の職場は軽い気持ちで来ている。
セコイがそろ盤勘定で云わせてもらうと、来夏で満64歳、年金満額受給の歳になる、 それに、丁度来夏までには先日述べた新法人へ移行作業の見極めが付く、
御縁が有ったのだから、責任も含めて、そこいら辺りまでお世話になれば上等だし、声掛け頂いた渡世の義理も果たせると思っていた。 弱る体力から云ってもそこいら辺りが限度、後は気ままな年金生活者に戻ろうと思っていた。 勤めさせて頂いてほぼ1年になり、もう一年先の来年の夏で丁度2年になる。
このままいって来春のエリアブロック総会で事務局県を引き受けると、任期は今から3年先の春までとなっている。 仮に事務局県を引き受けるとなると途中で無責任に放り投げるわけにいかず、来夏のリタイアはお預けとなる。
そうかといって引き受けると、今からほぼ3年間も働かなければならなくなる。 その頃には、我が頭頂には全く何も残っていないのは間違いないが、
問題はその後の老後に体力・気力が残っているかどうかだ。 またまたの想定外に、 どうすんべえ。
■2011.08.14 morning
管理人 クソ暑いこの頃に、 胸クソ悪いものを見せるのもなんなのだが、 まあ、暑いときには熱いお茶をというものある訳で。
少し辛抱して観て頂ければ。 東大の先生が信用できないと先般言ったのは、 今般の事変で、それを証明する履歴が山ほど出てきたからだ。
テレビでコメンテーター務めたエライ先生方もその一例だが。 平成17年12月25日、プルサーマル公開討論会(佐賀県)
右上のミュージックプレヤーをオフにしてスタート これはイカン、無茶苦茶だ! アホだけでなく、犯罪、人殺しだ! 誰か告訴してくれ!
大橋弘忠(東京大学教授、工学系研究科システム創成学専攻) テメエの履歴、一生消えないからな!
■2011.08.12 morning
管理人 この歳になって、こんなややこしい事に関わるなんて思ってもみなかった。 一節によると、 アメリカ帝国主義が日本経済に介入しようとした際、大きな障害となったものがあるそうだ。
政府を二重三重に取り巻き、予算を吸い取る集団。 天下り官僚が牛耳る、公益財団法人や公益社団法人。 「こいつらは邪魔で目障りだからなんとかしろ」とブッシュが小泉に云ったらしい。
ポチの小泉が飼い主の命令を忠実に実行し、出てきたのが「公益法人制度改革」。 不正蓄財と資産の私物化で物議をかもした漢検協会、 お家騒動を繰り返す日本相撲協会、
窓口で会費を徴収するだけの交通安全協会、 それに件の、官僚の天下り先の諸団体の殆ど全て、 お上と協同組合、株式会社など営利企業以外の殆ど全ての団体が「公益法人」だと思ってよいだろう。 てめえら公益、公益といいながら蓄財を繰り返し、資産を私物化しているのだろうが、
そんなのはちっとも公益なんぞじゃないわい、 エセな公益法人はおとり潰し、でなければ普通の「一般法人」になるのじゃ、 てめえら今持つ資産は公益という目的で蓄財してきたのだろうが、
なら、それは国に没収(寄付)、それが嫌なら将来的に全て(真の)公益事業で使い切れ。 それから、こうなったからといって、会員・組織内での火事場泥棒的な(資産の)分配・給付はまかりならねえからな。
まあ、遠山の金さんのセリフではないが、立派で非の打ちどころのない建前、官僚ってのは実に頭がいい。 当初、当時の野党はこの制度改革に反対しなかったらしい、
それは、アメリカ帝国主義の意図が発端であると言われているのは悔しいが、 お上の言う建前はスジが一本通っていた訳で。 2008年に、5年間を猶予期間としてこの制度改革がスタートしている。 ところで・・・・、
我が職場は「公益法人」なのだ。 云っとくが、 我が法人は不正蓄財もしていないし、資産の私物化もしてない貧乏法人なのだ。 しかし、
先輩方が苦労して建てた会館があり、その会館を我が法人が所有しているのだ。 これも立派な(固定)資産であり、凍結される資産はなにも現金預貯金だけではない。 それで、
今年度中に財務を整理し、税務上の諸課題をクリアし、移行後の新法人の公益目的支出計画(事業)を策定し、移行申請手続きに移り、移行認定委員会の審査を受け、次年度、移行の認証をもらい、2013年11月までに「新一般法人」へ移行しなければならない。
それが出来ないなら、おとり潰し(解散)なのだ。 事務員さんの顔色を伺うと、「そいういう事です」という表情なのだ。 お主ら、だましたな!
■2011.08.10 morning
管理人 昨夜、書きたくないと云った割には更に続けて書くのだが、まあ、これも気持ちの流れだから。 47年前、彼女は彼を傷つけたのではと気遣っており、
47年前、彼は彼女を傷つけたのではと気遣っており、 47年間、二人はそのことを忘れずに今まで引きずっていたという。 自分の事は棚にあげておいて、こんな演歌みたいな話を傍で聞かされると、正直、コンチクショウと思った訳だ。
だから書きたくなかった。 今朝、彼から電話が入った。 これが最初で最後、もう二度と会うまいと心に決めて出てきたそうだ。
それは、自分が彼女を傷つけたという痛みを引きずっていたからだそうだ。 それが先般の展開で、もう一度会いたくなったという、だから電話番号を教えろと云う。
「やかましい、そんな頼み、聞きたくないわ」と喉まで出かけたが、 ぐっと堪えて教えてやった。 彼には私という付き添いが、 彼女も仲の良かったクラスメートを従えてやってきた。
クラスメートは元・高校教師。 クラスメートと私の二人は、彼と彼女の緩衝材という舞台設定。 そんな設定が、二人きりでは煮詰まるであろう展開を和らげたと思う。 悔しいのは、
私が”あの子”にいつか再会できたら、言うであろう、言えたらいいだろうと思っているセリフを、 彼女と彼は、見事に、完璧に交わしたことだ。 こんな、私が脇役の話し、悔しくて悔しくて、書きたくないと思ったが。
やっぱ、書いてしまった。 外ではあの頃のようにセミが煩く鳴き、 祭ばやしがきこえている。
■2011.08.09 night
管理人 彼女と彼の43年振りの再会について、書き留めておかないといけないと思うのだが・・・・、 正直、気が進まない。 他人様の事はどうでもいいと云う訳ではないが、
やはり気が進まない。 最初、彼はかなり緊張して突っ張っていた。 彼女のほうから言い出した一件なのだが、彼女はそうでもなくリラックス。
私は事前に彼女から、彼との経緯を詳しく聞いていた。 話を聞いた際の私のリアクション、 「ヘェ〜、少し違うけど」 「大筋では私の場合とほぼ同じだね」 彼女と彼はそういう事で、私の事象と少し違うが、かなり似通っていた。 そんな、青春すれ違いのアウトラインで、43年を越しての傷ついた心同士の再会だった。 女は・・・・、強いなと思った。 男は、弱いなと今更に思った。 このストーリー(顛末)は演歌の抒情がよく似合うと思った。
敢えて詳しく書かないし、うまくまとめられないが、そういう事だ。
■2011.08.09 morning
管理人 先月末の土日の屋外の交流事業、私の映るスナップ写真を仲の良い労組の方が届けてくれた。 私は催しの主催者だし、買い出し係だし、記録係だし、諸々全てが係。
私が記録する写真に私が映っていないのは当然で、 この一年、仕事関係で私が映るスナップはこれ一枚のみ。
そう云う事で、まあ、それなりに元気にやっている証拠写真のつもりだが、この後ダウンしたのは先日の日記に記録済み。
my favorite songs は珍しくド演歌 Chuni 冬のひまわり
■2011.08.08 morning
管理人 児玉龍彦氏(東大教授)の衆議院での参考人意見、質疑応答( 2011.07.27)が今話題になっているようです。YouTube他で投稿・削除が繰り返されていると云う事で、ここにペーストしておきます。
此処は私が生きている限り、削除されませんから。 しかし・・・・、 東大の先生だから信用できないってのもありますが、一方、東大の先生だからちゅうのも厳然としてある訳で、
後者だとすると、率直に云って凄い内容です。 この映像データは衆議院HPで国民に広く公開しているものだから、今更に、著作権どうのこうってのは云わないはずですが。
衆議院TV で今日現在も公開されています。(7月27日→厚生労働委員会と辿れば動画に行き着けます)
であれば、何故、動画公開サイトでサイト管理者によって削除が繰り返されるんでしょうね、 人心と公安を乱すという懸念(恐怖かも)からの”自己規制”でしょうか?
それとも、お国のものを民間が勝手に(公開)するのは畏れ多いちゅう事でしょうか? 何れにしても、国会 = 国が公開しているものを民間が自己規制するっちゅうのは、
全く持って、頭の回りが遅くなった爺さんには、訳が分かんねえす。
■2011.08.07 night
管理人
Sissel ノルウェーの歌姫、暑さ厳しき折、声のエアコンシャワーです、 右上のプレヤーOFF → してGO!
■2011.08.05 night
管理人
「やあ、お元気そうですね」 「理事、ふくよかになりましたね」 午前中はゆっくり洗濯機を回すだけにし体力のリカバリー、午後からは一年振りに前職場の定期総会に出席していた。 一様、非常勤役員の職責だけが残っているもので。確かに、体重計が正確だとするとデータ的には昨年の同時期から約4Kg程増えている。 私としては、増量分はウエスト+4cmに集中しているのが実感なのだが、 見た目に、顔つきが丸くなったと云われた。 これは喜んでいいのかどうか微妙なところ。 二十歳から還暦までの体重の変化、40年間で+4Kg。 それが退職からたった一年で+4Kgだから、変化量はそれ以前の40倍ということになる。 これはマジ、ヤバイのだ。 まあ、貧相な印象が少しは改善されたのではと、納得するしかないが、益々薄くなった頭頂については一切コメントが無かった。 これについては、触らぬ”髪”にたたりなしで、話題にしない配慮ではないかと勝手にイジケている。 常勤役員ではないので約2時間ひな壇に座るだけ、終わって、一杯やりませんかというお誘いが有ったが、未だ腹の具合が十分に復調していないので誘惑を振り切り、金曜のサロンも欠席して帰宅。

ところで、 私は東西を問わず、基本的に”泣き節”音楽が好み。 my
favorite songs の傾向を聴いて頂ければお分かりだろう。 今、ハマっているのが韓国の歌手、 決して”少女時代”等々のガキタレではないから、それははっきり云っておく。 理屈抜きに心地良い、 今日は帰りに Chuni 他を三枚レンタルしてきた。
■2011.08.04 night
管理人
土日は催しで出勤、週が明けてからは連日の飲み会&接待。 生活リズムの変則に冷房が重なり、変調をきたしている。 体調すこぶるよくなく、今日は昼までで早引け、 ソファーに沈み込み、扇風機の風に当たりながら居間で完全にダウンしていた。ウトウトしていたらメールが二件。 一件は悪友から。 長々と別件の用件を書き、最後の一行に「飲むんだってな、よろしく云っといて」 こいつ、本当は気になるくせに。 もう一件は悪友のあの子から。 帰省したら会いたい人が4人指名してある、男二人に女二人。 最新版の校友会名簿を持ち出してきてチェック。 一人は私の友人でもありよく知る奴だったが、残念ながら後の3名は住所不明。 その旨彼女に返信。 しばらくすると返信が。 彼女が指名の私の友人は、高一の時の彼女の片思いの相手だったと書いてある。 私はその友人と高二、高三と一緒だったが、ついぞそんな話は聞いたことが無い。 札幌の悪友と彼女の付き合いはそれから随分後だから、時期はクロスしてないのだが。 率直に・・・・、随分だと思うのだ。 分かりましたよ、 私が言い出したこと事とは云え、結局もって、人の世話ばかりやく役回りなんだから 悔しいがワタクシが、 他人様の43年振りの再会をセットすればいいんでしょう。
■2011.08.04 morning
管理人 「お前、帰ってきて面倒みろよ!」 昨日、先達て毛蟹を送ってくれた札幌の悪友にメールを送っているが未だに返答が来ない。
一昨日の深夜、携帯にメールが入っていた。 高校の関東同期会の同窓生からで、来週帰省してくるとの連絡。 当人が云うには、当地には高校時代の仲の良かった友人は居ないと云う。
これって、私に”接待”せよという事だろうかと深読みした次第。 ところで、 何故、札幌の悪友に即刻メールしたのかと言えば、件のメールの主は悪友の”あの子”だから。
2008年の8月に上京した際、ミヨちゃんが動員してくれた関東の同期生の中に奇しくも彼女がいた。
それ以来、上京する度に彼女も含め皆で集まり楽しい時間を幾度となく過ごさせて頂いている。 そういう義理も有り、当然、当地でご接待するにやぶさかではないが、
悪友の”あの子”と一対一はさすがに気が引ける。 そう云う事で、先程、彼女にメールを返信した。 「私は同窓会名簿を持っているから、会いたい人がいるなら探して上げますよ」
「帰ってきたら、お茶かお酒を一杯やりましょう、楽しみにしてますよ」 さて・・・・・・・・・、 悪友がこの件だけで急遽帰省してくることは先ず持って無理だろうから
誰も見つからない場合はどうしようか思案のしどころ。 そう云えば1968年の8月、 セミが煩く啼く丁度今頃、ナップサックにヘルメットを忍ばせ一時帰省していた。
卒業以来一年振り、あの子に会おうと家の近くまで行って軟弱にもフリーズしてしまった。 あれから43年経つが未だに会わずしまい。 悪友の”あの子”も同じ文科系クラスだったから、三年間でクラスが一緒だった可能性もある訳で、
酒でも飲みながら、ゆっくりそんな昔話でもしてみようか。
■2011.08.02 morning
管理人 今更、 初めて知った事実のように書きたてる。 やらせなんて、 まともな取材していたら、そんなの常識だろうが。
おびただしい犠牲者が出なければ、 未来永劫、知ってても書かなかっただろう。 金にまみれたマスコミ、 お前ら、クソだ、
人殺しだ。 |